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令和庚子(2020) 2年 5月の記録 (新しい日付けの順)

令和 2年 5月31日(日)

 曇り。
     最低気温 15.3℃ (03:54)、最高気温 19.6℃ (14:15)

 九州北部を飛ばして、今日、四国地方が梅雨入りしたそうだ、南から順繰りということではなさそうだ、と書いていて、そういえば昨年もそうだったと思い出した、昨年は確か、関東地方のほうが早かった記憶がある。

 日記に残すことは何もなかった。世は知らず、我が家は並べて事も無し。

   「春の朝」
      ロバート・ブラウニング
      上田敏 訳
   時は春
   日は朝
   朝は七時
   片岡に露みちて
   揚雲雀なのりいで
   蝸牛枝に這ひ
   神、そらに知ろしめす
   すべて世は事も無し


令和 2年 5月30日(土)

 くもり
    最低気温 11.6℃ (05:06)、最高気温 22.9℃ (14:02)

 今日、九州南部が梅雨入りしたようだ、九州は南北に分けたり、南、中、北に分けたりするが、南北に分ける場合は鹿児島県、宮崎県が南部で熊本県はイメージ的には南だが、北部になる。だから今日の梅雨入り宣言は熊本県は含まれていないことになる。ここもそう遠くないうちに梅雨に入るのだろう、今日はそんなこともあって、ずっと曇り空だった。(写真1写真2

 武漢ウイルス、収束したかのように、首都圏なんか人の出が増えているようだが、我が家では自粛癖がついているのか、だれも外に出ることも無かった。

 昨日のブルーインパルスの映像、https://twitter.com/i/status/1266247655702663169 こちらから拝借した、切れていてわかりにくいが、T U(- ・・-)(Thank You)とスモークを出しているそうだが、小生には正直どうもわからない、ただ、こういったシーンでモールス通信、これは嬉しい。

 昨日買ったSTIHLのチェンソーとヘッジトリマー、燃料の混合比は50:1だ、実はハスクも50:1なのだが、ほかのチェンソーが25:1だったこともあって、いつの間にかハスクも25:1の混合油で使い続けてきた。逆の場合だと、オイルが少なすぎて摩耗なんかの心配があるかもしれないが、オイルが多い分には、汚れがひどくなるくらいで別に構わないだろうと思って勝手に解釈している。実際のところ、どうなんだろうか、それほどデリケートなものだろうか。別々に混合油を作るのも面倒だしなあ。


令和 2年 5月29日(金)

 爽やかで気持ちのいい一日だった
   最低気温 11.2℃ (05:30)、最高気温 26.4℃ (14:31)

 太郎、登校日、今週は隔日の登校だったが、来週から平常に戻ることになっている、今回の長期臨時休校、ちゃんと落とし前をつけられるようで、この先、夏休みも冬休みも大幅に削られるようだ。こどもたちはともかくも、先生方が大変だろう
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10
 
 午前中、小一時時間ほど、1タンク分、草刈りをした。、

 昼過ぎに、今回の武漢ウイルスでの医療従事者たちの奮闘に感謝と敬意を込めてブルーインパルスが東京の空を飛んだ、偶然にライブ中継を見ることができた。たぶん、想像だが、都心上空で事故でも起きると大変だから、だと思うが、アクロバット飛行は無く、大人しく編隊で白い煙を引いて整然と大空を飛んでいた(後から知ったが「不死鳥」という隊形だったそうだ)、見ていて気持ちがよかった。これも全くの想像だが、太郎君のアイデアではないだろうか、河野太郎防衛大臣だ。(写真1写真2

 駅前の古木商店でチェンソーとヘッジトリマーのセットを買った。このほかに刈払機もあって、そのうちのどれか二つの組み合わせで、税込み38,000円也、メーカーは STIHL である、ブランドものだ、かなり安い買い物だったと思う。
 
 我が家には不思議とヘッジトリマーが無い、草木は自然に任せて、というのは、まあひとつの言い訳で、垣根も生え放題で、あまりに見苦しくなったら、刈払機でなんとか切っていたが、奇麗には切れなかった。だから欲しいなとは思っていた、それからチェンソーは何台かあるがどれもこれも、もうくたびれ果てていて、なんとか動いている有様だった、少し前に大型のチェンソーを買ったので、小さな奴が欲しいと思っていたところに今回の折り込み広告が入っていたので、思い切って買った、特定給付金も入ったことだし、まあ、いいだろう。 

 晩飯、豚肉のムニエル、ニンジングラッセ、ジャガイモの素揚げ、インゲンのバター炒め、コールスロー、全部下準備をしてから風呂に行って、帰ってきたらカミさんが帰ってきていたので、調理はバトンタッチして任せた。


令和 2年 5月28日(木)

 晴れ。穏やかな一日だった。
    最低気温 15.2℃ (05:48)、最高気温 23.3℃ (13:38)

 宇治歯科に三か月ごとの歯の定期メンテに行く、きれいにブラシが当たっていますね、と歯科衛生士さんに褒められた。

 (閲覧注意)二階のベランダのパイプに大きな蛇が巻き付いていた、取り込もうとしたが、下の草むらに落ちてしまった。

 武漢ウイルス騒動で、ドリームジャンボ宝くじ、今年は無いなのかと思っていたら、何かの拍子にやっていることを知って、今日ネットで購入した、もうすぐ終わるところだった、新聞の広告にあったのだろうが気が付かなかった。買わなければ100%当たらない、たとえ買っても100%当たらない宝くじ。

 晩飯、昨日作ったカレーに、トンカツを揚げて、カツカレーを作った。


令和 2年 5月27日(水)

 明治38年の今日、日本海海戦があった、だから5月27日は海軍記念日になった、世界各国にはそれぞれ海軍記念日があるが、今の日本にはもう無い。旗艦三笠から大本営宛の電文(mp3) (これらのことについては昨年の今日から数日間の日記にいろいろ書いている)

 穏やかに晴れる
   最低気温 15.7℃ (06:04)、最高気温 24.0℃ (13:52)

 太郎、登校日、今週は隔日で明後日が登校日で、来週から平常に戻る予定である。
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 今日も外では何もしなかった。

 たまたま我が家では水曜日はカレーの日、海軍カレーではないが、今晩はカレー、ついでに東郷ビールで乾杯!太郎の水泳教室のある毎週水曜日は時間の都合で原則カレーの日にしてあるが、水泳教室の再開は来週の水曜日からだ。


令和 2年 5月26日 (火)

 曇りのち、弱い雨。
    最低気温 16.9℃ (03:13)、最高気温 20.1℃ (12:17)

 大体いつもは、カミさんが朝のゴミを出しがてら出勤していくが、今日は太郎が言いつかったようだ。太郎のやつ律義に安全タスキをしてゴミ出しに行った。(写真1写真2写真3

 ハチウトの内検をする。一号基 二号基 異常なし。ただ一号基には雄バチが見える、最初の分蜂時の雄バチがまだ生きているのだろうか、それとも孫分蜂?いやいや。まだ今の季節はスムシの姿は見えないようだ。
 
 一の宮図書館と阿蘇図書館に行ってきた。
 
 今日も何もしなかった。
 
 武漢ウイルスの緊急事態宣言解除を受けて、ずいぶん久しぶりに、今日からアゼリアが再開した。早速風呂に行ってきた、会員証の期限延長をしてくれた、確か一か月と十日くらいの休業だったと思うが、二か月延長してあった、今回の休業は別にアゼリアのせいではないのだがサービスをしてくれたのだろう。広々とした湯舟、タップリの湯量、なんと言っても温泉だ、やはり家の風呂よりも気持ちがいい。まだ再開を知らないのか、あるいは用心しているのか、風呂は空いていた、お馴染みさんの顔もちらりほらり、やあやあと挨拶を交わす。、

 晩飯、煮込み半バークと塩コショウハンバーグ


令和 2年 5月25日 (月)

 晴れ。
   最低気温 16.0℃ (03:56)、最高気温 24.4℃ (15:05)

 太郎、登校日、緊急事態宣言が解除されて、徐々に学校生活が元にもどりつつある。今週は体慣らしの意味もあって、隔日登校日になった。今日は五,六年生の自転車点検日、通学に自転車は使えないので押して登校していった。給食も始まった、新一年生はまだ何日も登校していない、そして初めての給食だったろう。何事もない時に、隔日登校なんかになったら、一日行ったら休みだと大喜びするところだが、休みが当たり前になっていたので、ああ、一日休んだらまた学校かとなる。子供たちがそうなら、大人たちも、テレワークが終わって、通常の通勤に戻ると、しばらくはシンドイだろう。
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10)

 武漢ウイルスの緊急事態宣言が全面解除されてようやく日本では平常の活動が再開することになるが、さて、こののち、どうなるかである。ウイルスは宿主が無ければ生き残れないので、今感染している人が治って、他に感染しなければそれで理屈の上ではウイルスは日本では消滅することになる。ただ、今後、海外から新たにウイルスが持ち込まれるようなことになれば、また感染拡大が起きることになる、という理解の仕方で間違いないだろうか。ということなら、徹底的に水際でウイルス侵入を防ぐか、鎖国しか無いだろうが、鎖国はできないだろうし。
 
 今のところ、日本では海外のように強制力の伴ったロックダウンもせずに人の移動や活動の規制が欧米に比べて緩かったにも関わらずどうして感染者数も死者も少ないかという明確な説明がなされていない(分かっていない)、自己免疫力が自然に備わっているのか、そうだとしたらそれはなぜなのか。

 阿蘇医療センターに、先週、診てもらったMRIの検査報告書をもらいに行ってきた。阿蘇医療センターは医師不足で、CTやMRIの検査結果を機械的に処理する部門やシステムが無いので検査データを熊本まで送って、そこで解析をして報告書になって戻って来る。先週の検査後に医師の検査結果の画像を診ながらの診断解説では問題が無いということだったが、複数の目で診るようになっているようで、ちゃんと報告書という書類の形で返ってくるとやはり安心する、まあ、脳のほうはパーフェクトだった。MRAと言って脳の血管を立体的に見ることもできるのだ。慢性硬膜下血腫の疑いも全くなかった。今回(5/7)の巣箱直撃騒動、これにて一件落着。 
 
 ただ、篩骨洞に副鼻腔炎の疑いがあるとあった、小生、数年前(2015.10)に副鼻腔炎の手術をしたが、あの時は確か上顎洞だったと思う、篩骨洞というとその上のほうだ、急に今どうのこうのということは無いのだろうが、また副鼻腔炎かあ、でもMRI検査ってスゴイな、そんなところまで分かるんだ。(写真1写真2写真3

 先生が、出来たら年に一回くらいMRI検査をして、海馬の萎縮なんか比較したほうがいいですよとのことだったので、また一年後受診することにした。それにしても病院は耳の遠いじいちゃんばあちゃんばっかりで、それに「老人力」も相俟って病院スタッフとのやりとりがコンニャク問答、、「健常者」である小生からみると、イライラするくらいだが、病院の人たちは、別に怒りもせずに、実に、親身に親切に丁寧に応対している、さすがプロだなあと感心してしまう。

 毎日の記録に使っているカメラがいよいよ駄目になりつつある、小生は別にカメラには拘りは全くない、普通に写ればいい(と言うより、普通のオートでしか撮り方を知らない)、だからレンズを交換したりする手間かからない、コンデジが一番合っている。それにしても最近の一眼レフというのは、みたところ何が違うのか分からないがめちゃくちゃ高額である。欲しいにも関わらず高額で手が出ないというのは悔しいだろうが、幸いに小生にはカメラに関してはそれが無いから、気が楽である。最近はその小生向の一眼レフでない、「もどき」(ネオ一眼とも言うようだ)のカメラがあまり作られていない、ひとつに、スマホのカメラが素晴らしいからだろう、小生もスマホのカメラを使いこなせればいいのだが、これがまた使えない、だから、今まで通りのカメラがいいと思って買った、今使っているカメラと同じモデルの次のモデルである、と言ってももう数年前のモデルで、しかも中古である、今日届いたが、まったくの新品のような中古である、15Kほどだった、これで十分、大満足だ。
 
 FUJIFILM FINEPIX HS30EXR。前のカメラはHS20XERで光学30倍もボタンなんかも全部同じで外観は全く変わっていない、中で改良が施されているのだろう。
 
 晩飯、カツオたたき、だし巻き卵、冷ややっこ、オカラサラダ、アサリ味噌汁。ここしばらく、作る気がしなくて、ずっと冷凍もので済ませていた、最近の冷凍ものは昔に比べて品数も多く美味しくなった。


令和 2年 5月24日 (日)

 晴れ(少し雲が多かった)
     最低気温 13.4℃ (04:49)、最高気温 25.9℃ (14:09)

 仙酔峡のミヤマキリシマはもう盛りを過ぎて、ここから見ると少しだけピンク色が残っているが、緑が勝っている。今は高岳山頂が満開のころだろう。(写真1写真2

 今日は全く何もしなかった、借りてきた本をずっと読んだりしていた。



令和 2年 5月23日 (土)

 晴れ、今日も穏やかな一日だった。
     最低気温 12.2℃ (05:09)、最高気温  25.6℃ (15:04)

 朝いちばんで、裏の畑の草刈りの続きを、一タンク分やる。

 先日から再開された図書館に本の返却に行ってまた借りてきた。図書館が機能しているのはありがたい。

 オンライン申請をしてあった武漢ウイルス特別定額給付金の振込通知が市から送られてきた。ニュースなんか読んでいると、巷では泥棒を捕まえてから縄を綯うように、あわててオンライン申請をして、それも不慣れなものだから、申請内容が間違っていて、それをまた受理した側でも、人間が手作業でチェックするのものだから処理能力を超えてパンク状態になって、オンライン申請そのものを中止した自治体もあると聞く、今回のこと、まさにアナログ行政の象徴のようなものである。

 こちとらは、マイナンバーカード制度ができた時からカードは作っており、毎年の確定申告もe-Taxでやっているので、まったく余裕でスムースに申請して、その結果、スムースに支払いが行われた。(ちゃんと)為せば成る、(ちゃんと)為さねば成らぬ電子処理、成らぬは、己が(ちゃんと)為さぬなりけり、である。
 
 またマイナンバーの通知カードがこの25日、というと明後日だが、廃止になるそうで、そうなると、この通知カードは証明としては使えなくなるとか、そのことを当市でもわずか数日前になって市のホームページで広報しているありさまである。それまでにマイナンバーカードを作れということなのか、それとも猶予があるのか、小生には関係が無いことだから詳しく読んでいないが、とにかくオンライン申請といい、マイナンバーカード作成といい役所では大混乱を呈しているのは間違いが無いだろう。

令和 2年 5月22日 (金)

 穏やかに晴れる
     最低気温 9.1℃ (05:11)、最高気温 23.5℃ (13:13)

 夏子は登校日だった、午前中で帰ってきた。

 午前中、小一時間、裏の畑の先日の続きの草刈りを一燃料タンク分する。

 先日、ボンの狂犬病の予防注射をパスしたが、その際に、日本では数十年の間、狂犬病の発症は無いと書いたが、今日のニュースでその発症があったそうだ。ところが面妖なのは、その記事が配信されて、あちらこちらのネットニュースで取り上げられていたので、見出しをクリックしたが、どこも、その記事は見当たらない、あるいは、削除されたと、なっている、アップされて読めなくなるまでの時間、あっという間の出来事だった、確かその時の配信元は共同通信だったと思うが、どういうこっちゃ、誤報か?誤報なら、いったん上げたのだから、訂正記事を載せろよ、と思っていたら夕方になって時事通信がニュースをアップしていたので誤報では無かったようだ、じゃあ、なぜだったのだろう。

 晩飯。
令和 2年 5月21日 (木)

 曇り、朝ちょっと気温が低かったが穏やかな一日だった、ホトトギスが鳴いていた。
    最低気温 9.4℃ (05:33)、最高気温 21.2℃ (16:08)

 太郎登校日、中学校も登校日だった、武漢ウイルスの緊急事態解除に伴って当初の休校予定日も徐々に短縮されて、来週から隔日で授業が始まり、給食も再開される、姉のほうは当初の予定通り6月から平常に戻るようだ。
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 今朝一番で医療センターでMRIの検査を受けてきた。CTは経験あるが、MRIは生まれて初めてだ。CTと違ってMRIはゴンゴン音がすると以前から聞いていたのでどんな音なんだろうと思っていたが、頭が動かないように顔の両側に置いたあてものが耳を塞いでストレートには聞こえてこなかったが、色々なトーンの重低音が聞こえてきて、時には機械振動で体も揺れて、ある種気持ちがよかった、ただ、動かないようにということだったのでそれが結構苦痛だった、30分くらいだったろうか。
 
 正式はレポートは一週間後だそうだが、梗塞や血栓は見られず、動脈瘤も全くありません、海馬の委縮もありませんとのことだった。費用は1割負担で1,310円也、もっとかかるのかと思っていた。
 
 先日田植えが終わったばかりなのに、もうカブトエビがたくさん泳いでいる。カブトエビは卵のまま土中で冬を越して、田植えで水が入ると一斉に孵化して短い期間(一二週間くらだろうか)生きて卵を産んですぐに死んで土にかえる。これが肥料になり、また成虫が田の中を泳ぐときに水をかき回して濁らせて太陽光を遮ることで田の草の成長を阻む役割もする、地方によって、カブトエビ農法というコメつくりをしているところもある。アイガモ農法やコイ農法なんかと同じようなものだろう。隣接していながらこのカブトエビがいない田もある、その田にはカブトエビの卵がないからである、今日捕まえた我が家の入口の田にも数年前まではいなかった。昔からの農家でカブトエビを知らない人もいる、この地にカブトエビが入ってきたのはそんなに昔ではないのだろう。

 トラクターについたり肥料に混ざっていたりで、何かの拍子に、卵が混じった土が、カブトエビがいない田に入ると、そこで新しくカブトエビのいる田が生まれる。海にいるカブトガニは非常に大きいがこの淡水のカブトエビはそれにくらべたら非常に小さい、人の親指の爪くらいの大きさだ。古代の生物の三葉虫のようなイメージである。太郎は気味悪がって素手で触れない、いやになるほどの臆病者である。それでも夕方には掌で掬うことが何とかできるようになったようだ。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 ヒマ人が今日はskypeで応答してくれと言ってきた。どうしてだと問うたら、ある人と交信したいのだが相手がどうしてもSkypeでなきゃ嫌だと言っているらしい。昔はskypeだったけど、今はもう使っていないからPCの中には無いと思って調べたら、Windowsの標準アプリ一覧に、skypeがあったので起動したら、Microsoftアカウントでサインインしろ、という。小生はMicrosoftが好きじゃないのであまり深入りしたくないからアカウントは登録していない。昔はそんなことなかったと思ったら、skypeはMicrosoftに買収されたようだ。それでも調べたら、昔のskype名でログインできるとあったので、どんなskype名だったか忘れたので、適当に入れたらつながった、skypeはかなりアバウトなユーザー管理だ。それで、skypeがつながったのだが、ビデオチャットはZoomに比べたら、少なくとも、我々の環境下では、格段に悪い、画面がギクシャクするし、音質も良くない、やはり今はZoomだろう。
 
 小生77回目の誕生日、「喜寿」は普通は数え年で言うが、今日は「満喜寿」である。誕生日は、若い時には生まれて何年経ったのかと来し方を振り返るが、齢を取ってくると、あと何年だろう残っている年数は、と考えるようになる、冥途の道の一里塚とはよく言ったものだ。 
 
 家族が誕生日を祝ってくれた。(写真1写真2


令和 2年 5月20日 (水)

 晴れ。
     最低気温 11.9℃ (04:52)、最高気温 19.9℃ (15:37)

 午前中、小一時間ほど、裏の畑の草刈りをした、ちょうど1タンク分の燃料が無くなったところでやめた。

 浄化槽法による県の法定点検があった。

 辞めよう辞めようと思っていながら今年もとうとうJARLの年会費7,200円を払いこんでしまった、来年こそ辞めよう。

 もうだいぶん前になるが、子供たちの通学路の黒川にかかる「かどの町橋」の欄干の横桟が一か所壊れていて、下手をすると転落事故につながりかねないと思って市のほうに届けてあったが、今日、通ったら、補修されていた。それまでは、ロープが張ってあって、ちゃんと安全対策は取られていたが、やはり正式に修理されて一安心である。

 今日もヒマ人にオンライン会議システムのZoomの実験相手をさせられた、小生はネット会議とは無縁であるが、このシステムは非常に使い勝手がよさそうだ、別に会議でなくても、P2Pで使っても、小生のPC程度でも非常に安定していていい。

 今日は昨日に続いてLINE Payに入った、入ったけど使うあては今のところない。

 夏の甲子園、全国高校野球選手権大会が新型コロナウイルス感染拡大を受け中止が決まったようだ。春は中止が決まるまで大変だったが、夏の場合は一度中止を経験しているので、ある程度の覚悟やあきらめもあったのだろう、それほどの逡巡はなかったのではと門外漢としては想像する。
 
 晩飯。キーマカレー。


令和 2年 5月19日 (火)

 久しぶりに晴れた、ただ、今日も風が強かった。
    最低気温 13.7℃ (06:38)、最高気温 18.5℃ (05:06)
    最大瞬間風速 11.6 m/s (16:33)

 今日は風が強かった、ここのところ頻繁に風が強い日が続いていたので、国旗を降ろそうと思ったのだが、少し前にAPRS用のアンテナの修理をしたときに、国旗掲揚ロープの引き回しがアンテナの同軸ケーブルと変に交差して国旗を降下させることができなくなって、ずっとそのまま強風にあおられ続けていた。今朝太郎の助けを借りて小生が屋根の上に登って、ロープの交差を解いて、国旗を降ろすことができた。

 「米びつ」に全くコメが無くなっていた。慌てて朝一番でご近所に分けてもらってコイン精米所に行ってきた。前回は4/8だった、当初の目論見では1.5月で1袋の計算でいたが、少し消費が早いようだ、最近太郎がよく食べるようになった、それに引き換え、ジジイの食べる量が一向に減らない。(写真1写真2

 市役所の窓口で軽自動車税(2台分)と固定資産税第一期分を「現金」で納めてきた、ついでに税務課の窓口に寄ってオンライン納付の件で「意見交換」をした担当の人に仁義を切ってきた。

 武漢ウイルスの緊急事態宣言が解除されてようやく図書館が再開した、だいぶん前に予約をしてあった本の準備ができた旨のメールが入ったので、受け取りに行ってきた、今野敏の隠蔽捜査の最新刊「清明」である。

 最近は武漢ウイルスのせいで、休業やテレっとワークなどで家にいて、外出ままならず、普段やらないPCのお守りや、整備や未知のテクニックなどの習得に励んでいるご同輩があまた居る。小生なんか関係ないのについついそれらにつられて、PCの環境整備やスマホアプリを入れたりしている。
 
 最近、キャッシュレス決済が流行っていて、特に武漢ウイルスで現金に触らずに支払いをすることが都会では増えているようだ。当地でも若い人なんかは、スマホのキャッシュレス決済はもう普通に生活に入り込んでいるのだろうが、小生のような、カネを使うあてのない(肝心のカネも無い)ジジイなんかには全く縁のない話である。
 
 それでも最近、話のタネに「ゆうちょPay」というキャッシュレス決済のアプリを入れた。ところが「ゆうちょ」はキャッシュレス決済では後発組のようでほとんど使える店が無い。それに対して、あちらこちらでPayPayというまるでパンダのような名前のキャッシュレス決済を耳にする。このPayPayがなんのことだか全く知らなかったのでちょっと訊いたり調べたりした。
 
 このPayPayはソフトバンクとヤフーの共同出資の会社だということが分かった、調べてみるとキャッシュレス決済にはこのほかにもたくさんあって、乱立、戦国時代のようだ、LINE Payペイというのもそうだ。
 
 話のタネにこのPayPayに入ってみた。いろいろと登録事項があって、結構面倒だったが、とりあえずは使えるようにはなったが、ローカルの話になるが、熊本で一番大きな金融機関である「肥後銀行」はこのPayPayとは提携していないようで、扱い銀行には入っていない、熊本にはもうひとつ「熊本銀行」という地方銀行がある、昔は熊本ファミリー銀行と言っていた。この銀行はPayPayと提携している。いろいろ銀行にも事情があるようである。
 
 今回PayPayの登録事項のなかに本人認証という項目があって、スマホで自分の写真を撮って、そのほかに免許証やマイナンバーカードの写真を送って認証を受けるようになっているが、これはAIで画像診断をして顔認証を行うようだ、ところが、これが何度やってもエラーがでてとうとうこの方法では認証を受けることができずに、もうひとつある他の方法で認証を受けた。
 
 何度やってもエラーが起きるのは、自画像をスマホで送って、これは問題なくできたのだが、次のステップで、「まばたきチェック」という段階があって、これは、なんなんだろう、送った自画像が写真じゃないよ、実際の人間なんだよと顔認証システムに知らせるためなんだろうか、このチェックが何度やってもエラーで通らなかったのだ。

 ということで晴れて、PayPayのユーザーになったのだ。しかし、いろいろキャッシュレス決済の方法があっても、肝心の「おおもと」にカネが無いことには話にならないのだ、つまりこれを宝の持ち腐れというのだ。
 
 以前古いスマホにドライブレコーダーのアプリを入れたことがあったが、メモリーかCPUかが原因ですぐに固まるので、使うのをやめていたが、今回カミさんのお古をもらったので、それまで小生が使っていたスマホをドライブレコーダー専用にしようと思って、アプリを入れて走ってみた、今度は調子がよさそうなので、なるべく記録を取りながら走ることにしよう、事故はいつ起きるか分からないから。
 
 晩飯。
令和 2年 5月18日 (月)

 午前中また雨になって、そのあとずっと降っていた。台風1号くずれで出来た前線が降らせているようだ。本当はもう少し前なんだろうが、今、竹の秋だ
      最低気温 17.1℃ (但し17:48現在)、最高気温 19.8℃ (07:53)

 太郎の小学校の登校日だった。緊急事態宣言が解除されて、徐々に登校日が増えつつある、と言っても正常に戻るのは6月1日からだが。
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 先週、ハチウト直撃で、頭を診てもらいに行って、CTを撮ってもらった、その場では異常なしの診断をもらったが、そのレポートを書く部門が医療センターには無いのでデータを熊本に送って作ってもらうので改めて来てくださいということだったので、午前中日行ってきた。(写真は帰り道
 
 診断報告書は見立て通り直撃による直接的な損傷はなかったが、頸椎に加齢による変形がみられるので、気を付けるようにとのことだった。

 先生、このCTで脳の血管のプチプチ切れたりしているの(梗塞や血栓)は分かりますか?と尋ねたら、いや、CTではそこまでは分かりません、それはMRIになりますけど、なんだったらやりますか?  えっ、できますか?ええ、できますよ、いつで都合のいい時にまた病院においでください、とのこと。(へえ、できるんだ、脳の検査はもっと敷居が高いものだと思っていた、だから小生、頭を診てもらったことは今まで一度も無い、また出直すのもなんだから)、先生、今予約できますか? ええ、いいですよ、何時にしましょうかね、ついでに「イシュク」も診ましょうか?(「イシュク」ってなんだろう、分からないけど一緒に診てもらえるのなら診てもらおう)、是非の願いします、じゃあイシュクも入れておきましょうね、覚悟しておいてください、と笑っておいでだった。
 
 ということで、来週診てもらうことになった。後から看護婦さんに検査に当たっての説明を聞いたときに「イシュク」というのは認知症の検査だそうで、認知症の場合、海馬の「委縮」がみられるそうだ、だから覚悟しろと言われたのか)、小生は認知症のほうは大丈夫だと思うけど、MRIで海馬が委縮していたらやっぱりショックだろうな。

 緊急事態宣言で人の流れが減って、その効果で武漢ウイルスの感染者が全国的にどんどん減っている、これは極めて当然のことだが、逆に言うと、人が集まればまた感染者が増えることになる。
 
 最近になって、小生、考えを少し改めつつある、武漢ウイルスはそんなに恐ろしい病気なんだろうか、風邪の一種だという人もいる。今、みんなが怖がっているのは、治療法もワクチンも無く、もし感染したら重症化して死ぬ人がいるからあである。
 
 問題なのは、病気に罹って死ぬ人の割合である。あるレポートによると、毎年インフルエンザで死ぬ人のほうが武漢ウイルスで死ぬ人よりも多いという。インフルエンザでそんなに死んでいてもみんな騒がない、死ぬのは高齢者や基礎疾患を持った人に多いという、ある病気が流行ってこういった人たちが健康な人たちより死ぬ割合が高い、これはある意味自然なことなんだろう(小生も年齢的にはもうそだ)。今、武漢ウイルスがそういったインフルエンザのようなものであれば、世の中、少し騒ぎすぎなのかもしれない、と思い始めている。この先、医療崩壊を起こさない程度に国民の中に少しずつ感染を広げて集団免疫を作りながらワクチンや治療薬の完成を待つということか。
 結局のところこれもマスコミの責任なんだろう、本当にバランス感覚というものが大事だということだ。
(武漢ウイルス関連記事転載PDF) 

 晩飯


令和 2年 5月17日 (日)

 なんだか久々に晴れた感じだ、さわやかな風が室内に入って来る。天気予報ではこのあと、また雨が続くと言っているが。
   最低気温 18.5℃ (05:56)、最高気温 24.7℃ (13:40)

 朝一番でハチウトの内検をした。1号基(王台のあとかな)を覗くと、なんだか怒ってわっと出てきた。  2号基は大人しかった、たぶん巣が少しはできているのだろうが、まだ分からない。

 今日もこれといったことはしなかった。

 今更ながらであるがマルチディスプレーが面白くて、小さなモニターがあったので娘のノートPCの横にも置いてやった。勉強で使う場合、資料を横のほうに広げておいて、という使い方ができるので非常に喜んでいた。ところで、娘はいつの間にか食堂を勉強机として占領している、二階に本来の場所があるのにこの場所がいいと見える。まあ、能率が上がればそれでもいいのだが、能率が上がればだが。

 昔はモニターが非常に高価でそうそう簡単に買うことができなかったが今や我が家にも貰ってきた中古モニターがゴロゴロしている。それに昔使っていたCRTディスプレーがあるが、ちゃんと動くのでいまだに捨てきれずに屋根裏に置いていある。とにかくデカくて重くて、PCの設置に一番場所をとる周辺機器だったが、今や薄っぺらい液晶モニターが安価で手に入れられる時代になった。今頃になってCRTを捨てようと思っても、ブラウン管だから無料では捨てられない、だからいつまでも屋根裏で眠っている。そのうちに粉々に破壊して、なんだったか分からないようにして不燃ごみとして出そうと思いながら、まだできないでいる。


令和 2年 5月16日 (土)

 昨夜からずっと降っていた、夜中には雷も鳴っていた、夜が明けて昼前になってようやく上がったが、予報ではこの後もまたしばらく雨が続くと言っている。
     最低気温 16.9℃ (00:21)、最高気温 21.4℃ (15:32)
     昨日から今日19:00までの雨量 91.2 mm

  阿蘇山(中岳)の活動がちょっと活発化しているそうだが天気が悪くて視界が利かない。(写真1写真2写真3

 武漢ウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が解除されたところ、それにまだ続いている都道府県、全体的に緊張が緩んできていて人出も増えているらしい、でも、こんなにまでして飲みたいものなのか、小生は飲まないからわからない、それにオンライン飲み会も小生にピンとこない。

 アパレルメーカーの「レナウン」が経営破綻をした。小生の年代だと、
♪ドライブウエイに春が来りゃ イェイ イェイ イェイ イェイ イェイ・・・・・・オシャレでシックな レナウン娘がワンサカ ワンサ ワンサカ ワンサ イェーイ イェーイ イェイ イェーイ♪
 という軽快なテレビのCMソングが非常に懐かしい、それからアランドロン出演のCMで「ダーバン」もレナウンなんだろう、映像にかぶせるように、「D'urban c'est l'elegance de l'homme moderne.」ダーバン、セ・レレガァ~ンス・ドゥ・ロム・モデルヌというセリフが流れる。今回ネットで調べて分かったが、当時は分からずに、ダーバン、セレレガンスくらいはかろうじて聞き取ったがあとはムニャムニャムニャで済ませていた。どのくらいの年代の人までこれらCMを覚えているだろうか、昔は超一流ブランだったのだろうが、ファッションに無頓着な小生には全く無縁の世界だった、栄枯盛衰、とうとう退場か。


令和 2年 5月15日 (金)

 曇りのち、夕方近くなって予報通り雨になった。
    最低気温 12.9℃ (04:25)、最高気温 20.3℃ (10:01)

 今日は「生ごみ」の日だ、ここの地域は火曜日と金曜日がそうなっている。太郎がお姉ちゃんの護衛付きでゴミ出しに行った。(写真1写真2

 ここのところ、毎日(閲覧注意ムカデが頻繁に出没する、不思議と小生の目には留まらないが、子供たちは目ざとく見つける。
 分蜂の「待ち箱」というか、取り込みの時に使う軽めの巣箱、この前、頭に直撃でバラバラになったので、補修しておいた

 日本年金機構あてに「老齢年金の生計維持確認届」を投函、これは誕生日月の末日までに出さなければならない。月末誕生日の人は忘れそうだなあ。

 寺さんが「spasedeskって知ってるか」と訊いてきた、spase・・・か、何か空に関係することだろうかと思った、というのは、ちょうどスターリンク衛星やISSの観測をしたいと思って、その関係のアプリをいじくりまわしていた時だからである。ところが全く違った、PCに関するアプリのことで、複数のモニター、それも、タブレットやスマホなどいろいろな端末をつないで画面操作をするものだった。最近はなんでもできる時代になったのだなあと思って解説を読んでいたが、実際にやってみないと今一つ理解ができない、そのうちに、最近のPCではマルチディスプレーと言って、一台のPCに複数台のPCをつないで、複数台のPCの画面を一つの画面として扱って作業範囲を広くすることができるということを思い出した。現在は仕事をしているわけではないので、機能としてPCに(OSに)そういった機能が備わっているということは知っていたが、それを使おうとは今まで一度として思ったことが無かった。「spasedesk」はともかくも、とりあえずマルチディスプレーというものが小生の非力なPCで出来るのか、試してみようとモニターを持ってきてつないでみたら、何か特別な操作をしなければならないのかと思っていたが、(ちょっとだけ設定があるが)いとも簡単に、それができた、やってみると、非常に画面が広くなっていくつかのソフトを起動して(マルチタスク)も、画面を分散できるのでこれは便利だなあと今ごろになって感動している。


 新しい年度が始まるといろいろな税金や納付金がやって来る、今日は軽自動車税と固定資産税をオンラインで納付した、そのほかに、社会保険料など最近では年金で天引きしてくれる。

 武漢ウイルス、緊急事態宣言が解除されたからと言ってウイルスが消滅したわけではない、必ずまた感染が広がるのだろう、だから、これからも不要不急の他人との接触はできるだけ避けなければならない、だからと言って、どれもこれも不要不急では、社会というものが無くなる。そのなかで本当に不要な他との接触はどんどんと減らさなければならない、あくまで「不要な」である、その一つに、役所や銀行などでの手続きがあるある。最近は税金などの納付がネットで出来るようになった、ローカルな、つまり、地方税についてもオンラインで納付ができるようになったので、銀行や役所に納付に出かけなくてもよくなった。このような金銭の移動ほど人が直接介在する必要が無いものも無い、それに直接カネを触らなくて済む。そう考えると「窓口」というものは一体なんなんだというところまで行きつく。窓口に人は要らないから、ATMを増やしてくれるといい。
 
 今回のウイルス禍がそういったことがどんどん進むだろう。そうなると不要な職種や人がどんどん増えてくる、人口減少で人手が足りない、も、足りないところにその職種で不要となった人間が(直接ではないが)シフトすればいいのだ。そのためには、何度も書いているが「太い通信回線」が必要になる。娘が学校間の連絡やレポートの提出にClassi(クラッシー)というシステムを使っている。Classiは学校ICT化を多目的にサポートするクラウドサービスで、全国の学校で使っている、ところが今回の休校問題でこのシステムの役割が大きくなって、たくさんの生徒が使うので回線がパンクして機能不全に陥っている。これはベネッセとソフトバンクが胴元である。この程度ですぐにパンクするとはいかに日本のネット環境が脆弱かということである。今後も「しゅうきんぺい」防止のために、ネットの利用はどんどん増えるだろうから、ネット環境の拡大はますます急がれるだろう。当市はウイルスとは無関係にもっとネット回線の充実を図らなければならない。
 
 実はこの話には続きがある。
 上に書いた、地方税の納付もオンライン(ページー)で出来るようになって無駄がなくなったと言うのは大嘘だということが分かった、納付書にページーに必要な番号が全部打ってあるので当然オンラインで納付できると思ったので納付前に書いた予定稿である。
 
 予定稿を書いた後、実際にネットバンキングで肥後銀行につないで、ページーのページに行って、表示された「収納機関番号」に阿蘇市の番号の43214を打ち込んでもエラーになる、何度打ち直してもエラーが出る。そこで銀行に電話をして尋ねたところ、阿蘇市とはオンライン納付の提携をしていないという、(何故なんだ、提携を銀行が断っているのか、阿蘇市が望んでいないのか?そんなこと、銀行の担当者レベルでわかるわけが無く、とにかく提携していないということが分かったので)、了解、阿蘇市に訊いてみましょうと、阿蘇市に電話をした。そして、結果、銀行の言う通り、阿蘇市はそういったオンライン納付はやっていないということだった。じゃあ、じゃあ、納付書に打ってある、収納機関番号、納付番号、確認番号、納付区分とはなんだ、これはオンライン納付のための番号だろう?と訊くと、そうなんだろうけど、現在は市の内部で納付管理のための突合に使っているという。じゃあ、こういった番号が打ってあるけどこれではオンライン納付はできませんとどこかに断り書きはあるのか?と訊いたら、それも無いという、ボケ!である。苦しい市の財政、どこにコストダウンの努力をしているのだ、担当者に文句を言っているのではない、もっと上、ずっと上のほうの人、この時代、何をやっているのか、特に武漢ウイルスで出来るだけ不要な人との接触を避けようというときに。
 
 さらにさらに、この続きがある。
 阿蘇市の対応に対する怒りの日記の原稿を書いていたら、課長から電話がかかってきた、氏は小生がよく知っている地元の昔からのまあ仲間のような人だ。小生と電話をした係りの人から「ホウレンソー」、報告が行ったのだろう。
 
 話を聞いてみると外から見ていただけではわからないことが分かった。まず、収納機関番号や納付番号などは、ページーのシステムができる前からあった管理番号で、逆にページーがこの番号を使って管理するようになったのであって、ページーのために作られた番号では無いということ。だからこの番号があるからページーが使えるということでは全く無いということである(だから断り書きが無くて当たり前になる)。この勘違いが今回の根本にあることがわかった(反省)。

 それから、オンラインでの納付は以前から市としても深く検討をしているが、とにかくそのコストが高すぎて、小さな市区町村では導入するにはハードルが高すぎるということ。外からみていると、人が手作業で収納管理するよりはるかに低コストでできるだろうに、と思っていたが、データ処理をしている会社が寡占で競争原理が働かずに個々の自治体ではとても導入できないのだそうだ。
 
 疑問はぶつけたけど決して怒鳴ったりはしなかったが、I 村さんごめんね。こういったことは市民はわからないことだろう、市にはfacebookがある、こういった場で一般市民のこういった疑問に対して積極的に説明をしたらいいと思うが。そして、これこそ、国が主導してもっと安い費用で各自治体がオンライン処理ができる環境を作ってやるべきだと思う。市町村は連携して国に対して要求しなければならない(やっているのだろう)、いつも書いているがこれなんか根本的に国のアナログ行政の「たまもの」だ。
 
 オマケである。小生はいつも、良いことは良い、悪いことは悪い、という是々非々の姿勢で市政に対して思ったことを書いているつもりだが書き方が悪いのだろう、小生のサイトのURLが以前は市のホームページのリンク欄にあったが、おそらく、あんな反市政的なやつのホームページなんか載せるなということなんだろう、いつのころからか削除されている、別に頼んで載せてもらっていたわけではないから構わないが。「以て瞑すべし」。
 
 晩飯、
令和 2年 5月14日 (木)

 穏やかに晴れる、静かな一日だった。気温が結構高かったようだが、その実感がなかった、湿度が低かったからだろう、昨日からずっと乾燥注意報が出されている。坂梨地区、水源が減っているので節水しろと放送が流れている、これは地下源泉の減少というより、家庭菜園などに水を使うところが多いからだろう、毎年今の時期放送がある。
      最低気温 6.3℃ (05:29)、最高気温 27.0℃ (15:15)

 PCがようやく回復した、どうやったか全く覚えていない、ありとあらゆる考えられる組み合わせ・手順で回復を試みて、偶然あるところでうまくいったのでもう一度やれと言われても全く分からない。もう駄目だろう、再インストールをしようかと決めかけていた矢先のことだった、とにかくホッとした。

 ボンの狂犬病予防注射の日だが、今回はパスした、老齢化していて、連れて行って注射を打ってもらうのが、大丈夫なんだろうけど、なんとなく躊躇するのでやめることにした、年度中にもう一回巡回注射があるだろうからその時に改めて考えることにする。

 もともと日本ではもう数十年狂犬病は発生していなかったはずだ、だから注射をしなくていいという意見もたくさんある、注射を続けるのは利権のひとつだという意見もある、ただ、東南アジアでは狂犬病は蔓延していて、犬に限らず輸入ペットを経て入って来る可能性があるから、注射は必要だという意見もある、小生自身は大丈夫だろうと思っているが、万一のことを考えて注射をするほうを選んできた。

 レンゲソウの花の季節は結構長い、まだ、満開状態が続いている、そのなかで、花が散って次の段階に進んでいるものもある。
 
 次の段階・・・普通レンゲソウが咲いて、枯れてそれでオシマイと簡単に考えているが、花が枯れると、次に種ができる。マメ科の植物だから花びらの一つ一つが豆の鞘になるようだ、この鞘の中に小さな種が詰まっている。普通は、花が終わったころ、あるいはそれよりも前に田植えの準備で鋤き込んでしまう。だから、鞘ができる前、あるいは鞘の中の種が種になりきる前に、土にかえってしまう。この鞘の中の種が種として成長してから鋤き込んでやれば、畑に種を蒔いたと同じことだろうから、翌年また芽がでるのではと思う、それで間違いないだろう、そうならば、秋にまた種を蒔かなくてもいいことになる。
 
 今年レンゲソウが咲いて、その風景に感動した、どうせ作物を植えないのだから、来年もまたレンゲ畑にしたいものである。
 できることなら、裏の薪材を集積している場所にも種を蒔いてみたい。
 
 今レンゲソウの中に座っていると、心地のいいウーンともブーンともいったミツバチの羽音がさかんに聞こえてくる、それだけたくさんのミツバチがやってきている、でもよくみると、ほとんどセイヨウミツバチだ、二ホンミツバチの姿をあまり見ない、ということは、二ホンミツバチの分布が少ないということなんだろう。
 
 武漢ウイルス、緊急事態宣言がほとんど(と言っていいのか)の県(39県)で解除された、徐々に経済や学校などの活動が再開される、だからと言って武漢ウイルスが消滅したということではない、人が動かないから感染が抑えられているだけで、人が多く集まればまた感染が広がるのだろう、人類の歴史は、ウイルスとの戦いの連続だった。そしてその都度、集団免疫を獲得することで勝利を収めてきた。抗体保持者が人口のうち一定割合になれば、自然と収束に向かうだろうとも言われている、ということは多くの人が感染しなければそうならないことになり、それまでは多くの人が重症化して亡くなることになる。日本では外国ほどの蔓延をみないが、それはいつの間にか集団免疫ができているのではという人もいるが、そうであれば、これからも海外ほど感染者が広がることも無いような気もする、そうであればいいのだが。それとワクチンが早く開発されることだ。
 
  晩飯、
令和 2年 5月13日 (水)

 晴れ、直射日光下にいても空気が冷たかったので暑くはなかった。
    最低気温 12.3℃ (05:58)、最高気温 24.1℃ (17:43)

 もう台風1号が発生した、また台風の季節がやってくる、JTWCという言葉を思い出すのに苦労した、またデスクトップに貼っておかなければ。「もう」と書いたが、台風の発生、いつもの年に比べたらずっと遅いそうである。この台風、日本直撃は無いと思うがそれでも日本を指して進んでいるようだ。

 我が家の裏のほうに田んぼだった場所がある、他人に頼んで作ってもらっていたが、その人の老齢化で頼めなくなって、放置してあった場所に竹が勢力を伸ばしつつある、そして、いつのまにかいろいろな草木が生えている、草はわかるが木がどうして生えるのだろう、昨日、たまたま行ってみたところ、その木の一本にたくさんの花が咲いている、ところがこの花の名前がわからない、最近は写真を送るとネットで調べてくれるサイトだかアプリがあるようで、小生は頻繁に使う機会は無いので、妹に頼んで調べてもらった。
 
 そしてこの花が「ウツギ」の種類だということが分かった(ニシキウツギ)。このウツギを「卯の花」とも言うのだそうだ、小生が大好きな唱歌のひとつ、♪卯の花のにおう垣根に・・・という「夏は来ぬ」の卯の花のことだそうだ、そのことを知って朝からなんだか非常に得をした気分になった。(写真1写真2写真3
 
 我が家のニシキウツギはピンクと白だ、「おから」のことを卯の花ともいうが、これは真っ白な種類の卯の花からきたようだ。「夏は来ぬ」の卯の花も多分真っ白なんだろう。

 早速家族を引き連れて朝の植物見学会を催して、これが種類はちょっと違うけど、卯の花のにおう垣根の卯の花だぞと教えたが、感動は無かった、こどもたちはこの歌も知らなかった・・・・

『夏は来ぬ』

 卯の花の 匂う垣根に 時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

 さみだれの そそぐ山田に 早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして 玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ

 橘(タチバナ)の 薫る軒端(のきば)の 窓近く 蛍飛びかい おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ

 楝(おうち)ちる 川べの宿の 門(かど)遠く 水鶏(クイナ)声して 夕月すずしき 夏は来ぬ

 五月(さつき)やみ 蛍飛びかい 水鶏(クイナ)鳴き 卯の花咲きて 早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬ

 改めて、歌詞を追ってみた、早乙女が田植え機に代わったが今でも阿蘇の我が家の周りにはまだこの風景がほとんど残っている。

 歌詞に「おこたり諫むる」とあるが、なんだろうと考えたが、ああ、これは「蛍雪」から来たのだなあと思った、素人に毛が生えた程度の、いや毛さけ生えていない素人が歌を作ってそれがヒットしている今の世の中、昔の詩はなかなか奥が深い。

 この「夏は来ぬ」の作詞は佐々木信綱だそうで、
 「大阿蘇のヨナ降る谷に親の親もその子の孫も住みつぐらしき」
 という歌を詠んでいる。この佐々木信綱という名前、とても歌人とは思えない武張った名前だなあと昔から思っていたが、ネットで調べたら、やはり鎌倉時代の武人に同じ名前の人物がいた、武張った名前のはずだ。 

 武漢ウイルスで自熟していたわけではないが、ずいぶんと久しぶりに床屋に行った

 小生は長年「Thunderbird」というメールソフトを使っている、フリーソフトだが、任意で寄付を求めている、ソフトを起動すると、最初にその寄付依頼の画面が現れる、その画面を表示しないように設定ができるが、ここのところ何度かOSの再インストールをしているので、現在のところ初期設定のその寄付依頼の画面が出る状態である、毎日見ているうちに、いつも世話になっているから少額だけど寄付しようかと思って、操作したが、クレジットカード処理をしようとしもエラーが起きる、何度かやっても通らないので、寄付をやめることにした。それが午前中のことで、夕方近くなってから、カード会社のセキュリティー担当者から電話が入り、続けてエラーが起きていますが、心当たりはありますか、とのことで、事情を離したら、ここへの寄付に関して他でもよくエラーが起きています、ということだった。小生が驚いたのはこの程度のエラーでも最近は細かくチェックしているのだ、全国規模でみたらいろいろ相当なエラー件数があるだろうに、ついでに、ここ数日のカード処理の履歴について、二三件やりとりをして、本人だということが確認できたようなので、現在、カード処理にロックをかけていますが、解除しますということだった。この電話自体が考えようによっては本当にカード会社からかという疑問が無いとは言えないが、別に小生がカードで処理した内容をよく知っていたし、こちらからパスワードや暗証番号を言ったわけではないので正しかったのだろう。
 
 車で走っていてラジオのニュースで、ある相撲部屋のショウブシが武漢ウイルス感染症で死去したと伝えていた、相撲部屋の「勝負師」って何だろうと思っていたら、あとから勝武士という四股名だということを知った、若くて体力があっても今回のウイルスには勝てないこともあるのだ。緊急事態宣言が徐々に解除されつつあるようだが、解除されても収束はしないと思うが仕方が無いのだろう。
 
 またメインPCが起動しなくなった、今回は動きが少しおかしかったので少し前の復元ポイントまで遡って起動しなおそうと思って、それは完了したというメッセージが出たので安心して再起動をかけたらそのままどうやっても起動しなくなった。データはDドライブに置いておいたので、最悪の事態は避けられたが、そのドライブを別のPCに移して、日記を書いたが、またCドライブはOSの再インストールになる、それはいいが、アプリケーションが全部再インストールしなければならない、もう嫌になる。
 
 晩飯、ハヤシライス。


令和 2年 5月12日 (火)

 静かで穏やかな一日だった。
      最低気温 11.9℃ (04:06)、最高気温 20.5℃ (15:13)

 今朝は05:35にISSが通過する、-2.9等星で仰角 NE42.4°とのことだったので、子供達には起こしてくれと言われていたが、多分見えないだろうと思って一人で裏の畑にでてみた、もう日が昇り始めている時間で明るくなっていたが、太陽の光線を受けてまだ暗さの残っている空を横切るISSが見えるのではと思って見ていたが雲も少しあったし、分からなかった、基本的に見方がわかっていないような気がする、なんどかやっているうちにコツを掴むことができかもしれない、このSpace Station ARのフリー版、広告が邪魔なので有料版に切り替えた、250円で済むのだ。次のいい条件はこれかな。

 ハチウトの1号基2号基ともに元気に活動をしている、1号基の交尾飛行はいつだろう、もう終わったのだろうか。

 晩飯、チキンカツ、アサリの味噌汁ほか


令和 2年 5月11日 (月)

 カラリと晴れあがった、気温も上がったが湿度が低かったからだろうか気持ちのいい一日だった。
     最低気温 14.4℃ (04:10)、最高気温 26.1℃ (13:15)

 阿蘇中岳、ここのところずっと静穏な日が続いているが、これは小噴火だろうか、単なる風向きだろうか、今日は昼と夕方、山を見たときに噴煙がまっすぐ上っていた。(写真1写真2

 今日は久しぶりの小学校の登校日、みんな元気に登校していった。一週間に一度の割で登校日がある。夏子も午前中登校した。
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 阿蘇医療センターに頭を診てもらいに行ってきた(5/7巣箱直撃アクシデント)。ここは阿蘇地域の中核医療機関だが、医師不足で診療科目はあまり充実していない、そのなかで脳外科、循環器に関しては院長がその分野の専門で高い技術を持っておいでなので、充実している。
 
 だから普通なら、熊本市内まで行かなければならないが、今回は近くで診てもらうことができた(車で15分くらい)。
 
 病院はやはり、武漢ウイルスに対して注意を払っていて、入り口でオデコに向けて計る体温計でチェックを受けて、消毒アルコールで手を拭いて、それから入館した。病院側も受診者もみんなマスク姿だったが、小生はマスクは入れてもらえないと困るから念のために持って行ったが、咎められなかったので結局しなかった、小生のほかに二名ほどマスクをしていない人がいた。
 
 この医療センターが出来て、何度もきているが、それは全部家族の付き添いだったり、知人の見舞いだったりで、考えてみたら小生が受診するのは初めてのことだと思う、だから前身の阿蘇中央病院時代に一度だけかかった時に作った診察券を持っていて新しい診察券を作ってもらった、小生は付き添いばかりでほとんど病院には縁が無いのだが、そう言いながら時々何度か入院が必要な病気に罹る。

 問診表に簡単に受傷の状況を書いておいたが、看護師さんがさらに詳しく聞き取りにきたので、小生は口で説明するよりわかりやすいだろうと日記から写真を二三枚プリントして持って行って、それで説明したので、よくわかってもらって、頭に関することだから結構優先的に診てもらえたのではと思う。
 
 あの時、上からの衝撃でなんとなく首がムチ打ち症のような圧迫感があるとも言ってあったので、頭と頸椎のCTを撮ってもらったが、結果は、まったく異状は見られないということだった、ただ、慢性硬膜下血腫ができるかもしれないので二三か月は家族と一緒に観察をするようにという注意を受けて帰ってきた。
 
 小生は大丈夫だと思っていたが、根拠があるわけでなく、周囲から万一のことがあるから行ったほうがいいよと、背中を押してもらったので行ってきたが、診てもらってよかったと思っている、これで一安心だ。

 阿蘇医療センターにはフリーWiFiがあった、病院に隣接する薬局からのフリーWiFiの電波も届いていた、これは入院なんかするときには有難いと思った、結構大きな病院でもフリーWiFiが無いところもある。

 午後から調子の悪いチェンソーを一台整備した。

 晩飯、刺身、冷ややっこ、だし巻き卵、もやし中華風サラダな
 
 19:48にSLINK衛星が通過するというので、夕食後、子供たちと外に出てESE方向を見ていたが、わからなかった、-4.9等星なら十分に見えるはずだ、どうも、ここは外輪の東端で、仰角23°というのは外輪が邪魔をして見えない角度だったのだろう。それにしても、この画像この画像、どうしても意味がよくわからないのだ。
 
 明朝05:35にISSが通過する、-2.9等星で仰角 NE42.4°だそうだから、これは見えるだろう、子供たちも起こしてくれと言っている、でも、この時間はもう明るくなっているのではないだろうか。いろいろと難しいものだ。昔、この家を建てるときに、コンテナーハウスで寝泊まりをしていて、夜中にもよおして、外に出たときに、真上を一直線に光が動いているのを見て、その時に初めて人工衛星なるものを見た、昔の日記のどこかに書いてあるはずなんだが。


令和 2年 5月10日 (日)

 今日は晴れるかなと思っていたが、ずっと雲がかかり時々細かな雨が降っていた。
     最低気温 16.4℃ (但し18:27時点)、最高気温 20.5℃ (08:59)

 今日は外でやることもなし、PCの環境整備をしたが、忘れてしまいそうだからついでに武漢ウイルスの特別定額給付金の申請もオンラインでやっておいた。
 
 市の広報では、現在も準備中とあるが、実際には5月1日からオンラインでは申請の受付が始まっている、市はこのことを知らないのだろうか、オンラインで申請をする人はいないのだろうか、マイナンバーカードを持っているとオンラインであっという間に申請が終わる、一度のミスもなくスムースに終わった。(写真1写真2写真3

今までマイナンバーカード制度は私権を侵すものだと言って反対する勢力がたくさんいたが、今回の申請でこれがあると手続きがスムースだということがわかって慌ててカードを作ろうと役所の窓口に押しかけていると聞く、なんとまあ〇〇〇しい限りである。今回のことを奇貨として、アナログ行政が改善さるるといいが。今回の武漢ウイルス騒動で、医者から国への報告連絡方法がオンラインではいけない、ファックスじゃなきゃ駄目だというニュースが世界中から、今時まだFAXなのと笑われているということだった。

 小生のスマホはカミさんのお下がりのXperia Z3という古いスマホである、それに格安SIMを入れて使っている。それでも小生には十分すぎるほどの高機能である。ところが、Docomoの製品なので今の格安SIMには不要で邪魔な通知が度々表示される、これを消すのにroot権限でやらなくても、「開発者モード」でやることができると聞いて、今日やってみた。普通、スマホには「開発者モード」というメニューが無いのだが、ある操作をすることでメニューに「開発者モード」を加えることができるということを知った。あとは、PCとつないでUSBデバッグを使ってデータを書き換える・・・・・


令和 2年 5月 9日 (土)

 昼頃から雨が降り始めた、久しぶりという気がする、厚い雲ではないが、時々強い雨が降っている。
     最低気温 14.9℃ (04:41)、最高気温 19.4℃ (09:59)
     
 今日は週末だということもあって、勤労者も休日、隣接する田では家族総出、ご親戚も加わって田植えが行われていた。昔と違って、あっという間に見渡す範囲は田植えが終わった。(写真1写真2写真3写真4
 
 二号基、用心のために日没と同時に巣門を閉鎖して、翌朝に開けてやっているが、今朝、閉じた木片のところにアリがたくさん・・・
 えっ?もしかして・・・と急いで木片を取って、開口部からカメラを突っ込んで写真を撮ったら、無事に全員で天井付近に固まっていた。その後、活動を開始した様子を観察していたら、今日はもう朝から、一直線で蜜を集めに、そしてどんどん花粉を両翼に抱えて帰ってき始めた、近くで見ている不審者には昨日と違ってもう目もくれなくなった。これで一安心だ。
(写真1写真2
 
 でも最近はスムシは定番として、以前には無かった外敵が現れているようだ、アカリンダニというダニで、この駆除には根本的は方法は無いように見える、昔、小生が飼っていたころには、ある種のウイルスだったろうか、幼虫がどんどん死んでいたが、今はそれはないのだろうか、ミツバチの世界も次から次に試練が生まれている。

 寺さんからこんなアプリ知ってるかと訊いてきた、「分蜂マップ」というアプリで全国の二ホンミツバチ愛蜂家が分蜂状況を報告するものだ、スマホ版のほかにPC版もある。早速、小生もレポートを上げておいた。

 太郎と母親、即製のネットもどきを作ってテニスをやっていた


令和 2年 5月 8日(金)

 晴れたが、今日も昨日以上に風が非常に強かった、まるでちょっとした台風並みだった。山に積もったヨナが風に吹かれて舞い上がり、山裾を白く煙らせていた。分蜂が昨日でよかった。
     最低気温 10.4℃ (06:00)、最高気温 21.1℃ (13:30)
     最大瞬間風速 14.8 m/s (11:54)

 新しいハチウトばかりに注意を向けているが、元のハチウト(1号基)の中、どうなっているだろうと思って、カメラを突っ込んでみた、たくさんのハチがいた、巣が全く見えない、半分半分で分蜂するのでもないような気がしてきた。 

 早朝から、一時間おきくらいに、新しいハチウト(以後2号基)、ハチが逃亡してはいまいかと何度もチェックに行く、それでも心配だから、最後はICUだ、ほとんど付きっきりで監視を続けていた。
 
 不思議なことに、そのすぐ近く、昨日落下してバラバラになった重箱、重ねて置いておいたら、そこに十数匹のハチがまとわりついている、この箱は巣箱としての履歴は全くない、昨日だった取り込む前に落下している、一応誘引剤はつけてはあるが、それにしてもなんで飛んでいるのだろうか。取り込んだハチウトから飛んできているのだろうか、そのハチウトの様子は、まだ正常活動には戻っていないが、それほど興奮状態でもない、今のところは、どうしようかと協議中かもしれない。
 
 まだ花粉を運んでくるハチは一匹も見ない。花粉を運ばないハチは蜜を持って帰ってくるのだろうが、巣が出来ていなければ蜜を持ち帰る意味がない、分蜂した蜂は、女王を除いては自分で蜜を探すだろうし、育てなければならない幼いハチもいないはずだから、、自らタラフク蜜を腹に入れて、巣に帰ってきても一直線で巣箱に入る必要も無いような気がするのから、離発着が一直線でないのだろうか。

 それから分蜂で出て行ったハチの群れ(つまり今回取り込んだハチの群れ)の女王は今までのお母さんハチだからもう交尾の必要なないと思うが、それなのに、数匹の雄バチがいるのはなぜなんだろう、分蜂の時にはいなかったような気がする、近くにある、娘の新しい女王バチのウトから飛んできているのだろうか。
 
 バラバラに壊れて再組立てしたハチウトの周囲で執拗に舞っていた十数匹のハチが他所からの分蜂先を探しているハチで、新しい巣を探す先遣部隊だったらどうしよう・・・そんなうまい話は無いだろう。午後にはそのハチたちも姿を消した、明日改めて本隊を引き連れて・・・・なんて。

 今日、スズメバチが飛んできたが、すぐ近くにミツバチがいるにも関わらず、見向きもせずにシャクナゲの大きな花の中に頭を突っ込んで、しばらく蜜を吸った後どこかに飛び去った。もしかしたら、越冬から目覚めたばかりのスズメバチはまだ肉食をするほどの体力が回復をしていないのだろうか、しばらく花の蜜を吸って、少しずつ体調を整えるのだろうかと思ってしまう、そう思ってみると、スズメバチトラップを作ったがまだ一匹も入っていない、葷酒を遠ざけているなんてまるで禅宗の坊さんのような生活をしているかもしれない。

 今日は昨日取り込んだ2号基のハチ、逃亡することもなく、なんとなくまだ不安定ながら一日が経った。今日のところは英気を養って、改めて逃亡作戦を敢行するつもりなのだろうか。

 晩飯、餃子、八宝菜

 (昨日の日記に追記をしておいた)


令和 2年 5月 7日(木)

 五月晴れ。
     最低気温 12.8℃ (05:56)、最高気温 21.2℃ (15:38)

 今頃は仙酔峡のミヤマキリシマが見ごろなんだろうが、道路は封鎖してあるのだろうか、遠くからみるとうっすらとピンク色の群生が見えるが、それでもあのあたりは一番ヨナの酷いところだろう、たぶん薄汚れているのではないだろうか。(写真1写真2
 
 一応大型連休が終わり今日から平常(と言っても二日後は土日だが)。カミさんは仕事、夏子も登校日でいつもの時間に出て行った。

 みんなが出かけたあと、太郎と竹林の整備をした。隣接する田に近い竹は、田植えをした後では、倒れた竹が稲を傷めるので、田植えが始まる前に、それから、建屋に近い竹を大きくなってから倒すと、家に倒れ掛かっていろいろと面倒なのでその二か所の竹を、と言うよりは、まだタケノコの名残の竹を切った。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9
 
 今日はやたらと風が強かった、こんな日は、いくら天気が良くても、分蜂は無い!と自信を持って決めつけていた。
 が、が、が、分蜂があった・・・・・
 
 昼直前に、買い出しから帰ってきて、まあ、ちょっとだけ様子を、と思ってハチウトのほうに回ってみると、たくさんのハチが出てきていてワンワンとなりだした、オイ!太郎!分蜂が始まったぞ、と声をかけて、準備にとりかかった。
 
 この後が聞くも涙、語るも涙ではないが、そうそう簡単に書けないほどの展開になって、へとへとになって、ようやく収容に成功した。これを今日書くのは時間が足りない、よって、引っ張るわけではないが、明日、改めて追記ついきすることにする。
 
 晩飯、今日からまたおさんどんが始まった、豚肉のムニエル

 ここからが翌日追記した部分
 
 空をたくさんのハチが飛び交う中で、太郎はいつも小生が話しているのを聞いていて、分蜂がどんなものか頭では分かっていたが実際に目にして、スゴイ、スゴイと興奮していた。

 早く乱舞が収まるようにと、ホースで水を空に向けて撒いたが一向に収まらない、そのうちに、柿の木の上のほうにハチが集まり始めた、あまり上なので、あんなところに蜂球をつくられたらたまらないと思って、その部分に向けてかなり勢いよく水をかけたが全く動ぜず、どんどん集まり始めた。
 
 こちらで用意した蜂球板に集まらないこともあるだろう、その場合は、この柿の木だろうなとは思っていたが、その場合でも下のほうの太い幹だろうと考えていたが、とんでもない高い場所のそれもあまり太い枝ではないところに集まり始めた。
 
 小生の目論見が完全に外れた。取り込み作戦は一からやり直しである。
 
 まず、高いところに登らなければならない、それには、自立型の三脚ハシゴがある、ただ、取り込み用の箱が問題である。
 取り込みに用意してあるハチウトはとにかく重くてとてもハシゴの上までは運べない、平地で担ごうと思っても簡単に運べない重さである。だから低いところに蜂球板を用意してあったというのに親心子知らず、なんということだ、という気持ちで、頭のなかをいろいろな考えが巡って、そうだ、ハチウトよりも軽いやつがあったと、その箱を使うことにした、その箱も、ハチウトではある。
 
 もう何年も前にオークションで非常に安かったから買ったハチウト、これが、板が薄くて、とてもハチウトとしては使えないと思って、ずっと放置してあったやつだ、ベランダにおいてあって、去年スズメバチが巣をつくったやつがあった。一応その箱も、今年は清掃してあったから、これを使おうと思って、ハシゴの上に担ぎ上げた。
 
 軽いといってもそう簡単には運び上げられない、これを逃したらまたいつハチの群れを手に入れることができるか分からないと、もう必死の思いで担ぎ上げた。

 ハシゴの上はちょっと平場があるので、その上にようやく担ぎ上げて、板を置いてその上になんとか設置できた。
 
 ところが次なる作業に移ろうと、下に降りていたときに、いきなり頭にものすごい衝撃が・・・一瞬頭の中が真っ白になった・・・
 ハシゴの上に置いた箱が落下してきて小生の頭を直撃、そのまま箱は地面に落ちたバラバラに散乱・・・・
 
 今日は木の箱が風に煽られて落ちるほどの強風が吹いていた(何もこんな時に分蜂するなんて・・・)、
 これはヤバいな、頭にかなりのダメージを受けたなと一瞬思った。写真を撮っていた太郎が慌てて駆け寄ってきてお父さん大丈夫? それでもとにかくハチが飛び立つ前に早く取り込まなければという思いが勝って痛いのなんのと言っている場合ではない、それに意識ははっきりしている。ヘルメットを被ってやるべきだったか、でもネットがあるからな、これは重大インシデントだなあと思いながら、さて、箱がバラバラ、次にどうするか・・・

 そうだ、段ボールの箱を使おう、オイ太郎、適当な段ボールは無いか?広くて底の浅い段ボールはいくつあるが、底の深い、適当な大きさの箱が無い。そこに太郎が玩具入れに使っていた丁度いい大きさの箱があったので中身をぶちまけて、持ってきてくれた。
 
 それをハシゴの上に持っていって置いたがとにかく風が強くて軽い段ボールが飛びそうになる、そこでまた下に降りて箱に穴をあけて紐を通して運び上げてハシゴに括り付けて・・・でもハチが上に上に移動するから、ハチを逆さに置いた箱の下のほうから入れて上のほうに(底が天井になる)移動するようにハチをいれる開口部を作ってやらなければといろいろ工夫して、とりあえずは準備ができた。
 
 ただ、作業環境が良くない、ハチを掬って(すくって)、箱に入れるには、まず、ハチに手が届く距離が必要で、次に掬ったハチを箱の入り口にそっとおいてやるために手を横移動させたところに箱がなければならない。ところがハシゴにはそのような距離で箱を置く場所がない、つまり、箱はほとんど胸に接するくらいの近い距離にしか置けないのである。
 
 不安定なハシゴの上で両手を離した状態で、ハチを掬って箱に移してやる、これがどうしても不可能なのである。それでもとにかくやらなければ逃げてしまう、と、ハシゴの位置を、何度も何度も調整して、そのたびに、ハシゴを上り下りして(五回や十回では済まないほど)、でも結局無理な姿勢でやるしかないという結論に達して、ハチの取り込みを始めた。
 
 小生はハチは手で掬ってやる、youtubeなんかをみていると大体皆さん、ビニールの大きなごみ袋の中に一気に落とし込んで取り込んでおいでのようだが、それだと、ハチが大混乱を起こすので、手でそっと掬って移すのが一番だと思う。
 
 人によっては素手でやる人もいる、小生の熊本にいる従兄も素手で掬う、二ホンミツバチは大人しくて普段でもあまり刺すことはない、分蜂の時も同様で先ず刺さないという、それでもやはり万一ということがあるし何よりコワイ、だから小生はハチが刺しても針が通らない(だろうという程度の)手袋をして掬う、今回は皮の手袋だったが、以前はゴムの手袋を使った。今回はあまりわからなかったが、ゴムの手袋だと、ハチのうごめきや温かさが手に伝わってくる。たぶん、素手でもいいのだろうなとは思うのであるが。
 
 そういうわけでそっと掬って箱に移してやったが、どうしても箱との距離が取れないので、ハシゴの上で両手でハチを掬った状態で落ちない程度に体をうんと反らして距離を作って移してやった、あまり体を反らせすぎるとハシゴの上から落下である、高所作業である、普段ならそんな危ないことはやらないがもう必死である(今後のことを考えたら、ハシゴの上に手が伸ばせるところに箱が置ける作業台をとりつける工夫をせんといかんなあと思いながら)。
 
 掬ってなんとか箱の中に入れてやった、ハチたちは箱の中を上のほう(天井になった底)に少しずつ移動を始めた。それでもまだ枝にハチがたくさん残っている、女王バチはどちらにいるのだろうか、箱のなかだろうか、まだ枝に残っている蜂球のほうだろうか、もういちど掬って移してやった。これで多分箱の中に女王バチはいるだろう、そうであれば、残っているハチもいずれ箱の中に集まってくる、そう思って、段ボールの紐をほどいて、さて担いで降りようかとしたときに、また強い風が吹いてきてあっという間にせっかく取り込んだ箱が落下してしまった。
 
 幸いなことに落ち方やよかったのだろう、草地であったこともあって衝撃が小さかったと見えてハチがあまり外に飛び出ることもなかったのでとりあえずホッとした。
 
 さて、次なる作業、この段ボールの箱から、本来のハチウトにどう移動させるか・・・・
 
 ハチウトの開口部と段ボールの開口部とを合わせてやって、そんなに都合よくハチが段ボールからハチウトに横移動するか?移動するわけがない。で、段ボールを上下さかさまにして、つまり開口部を上に向けて置いてその上に底を外したハチウトを載せてやった。段ボールは弱いし、箱は重いしで、重量に耐えられだろうかと思ったが、大丈夫だった、これで、少しずつ、段ボールからハチウトのほうへハチが移動し始めた。
 
 ほっと一息ついて、柿の木をみやると、まだ残ったハチが小さな蜂球を作っている、もうここには女王バチはいないとは思ったが、これも取り込んでおくことにした、今度はもう段ボールが無いので一般的な方法、レジ袋の中にハチを落として、段ボールのなかに落としてやった、これで枝には一匹のハチも残らなかった。
 
 このまま大人しく、こちらで用意したハチウトに棲みついてくれるか、はたまた、当初予定していた移動先に再度、逃げ出すか、これはわからない、以前、移ってくれたとばかり思っていたハチが夜が明けたらもぬけの殻になっていたこともある、真夜中には移動しないと思うが、明け方だろうか、とにかく夜間はじっとしてもらおうと、定位置にハチウトを持って行って設置して、入り口を完全に塞いで今回の分蜂の取り込み作業は終わった。もともとが小さな群れだったので今回分蜂した群れも小さな群れである、これから大きくなれ、だ。
 
 分蜂開始は正午直前で、終わったのが午後2時、飯も食わず水も飲まず、(すぐには飛び立たないとはわかっていても)逃げられないかという緊張の連続、心からへとへとになった、夜になった頭が痛くなってきた、鏡でみると、吉良上野介、早乙女主水之介より少し上のほうの頭髪の隙間に赤く血がにじんでいるが分かった。脳挫傷ではない(だろう)、頭蓋骨骨折でもない(だろう)、もしあるとすれば、硬膜下出血だろうが、こうして追記を書いている翌朝、特に症状は無いから大丈夫だろう、でも今にして思えばあの重箱があの高さから落ちて頭を直撃して、箱がバラバラ、なんという不死身か、箱が衝撃で壊れるほどの強度だからよかった、(多分)箱の角でなくてよかった、釘が刺さらなくてよかった、それにしても人の生と死はまさに紙一重である。
 
 二ホンミツバチ 分蜂 連続写真 (1/5)
 二ホンミツバチ 分蜂 連続写真 (2/5)
 二ホンミツバチ 分蜂 連続写真 (3/5)
 二ホンミツバチ 分蜂 連続写真 (4/5)
 二ホンミツバチ 分蜂 連続写真 (5/5)



令和 2年 5月 6日(水) 振替休日(憲法記念日のげなたい)

 穏やかに晴れる。
   最低気温 16.9℃ (05:48)、最高気温 25.4℃ (13:59)

 いよいよ今日で大型連休はひとまず終わり、だが、今回は、「ああ、明日からまた仕事か」と憂鬱になっている勤労者はあまりいないのではなかろうか、それに学徒はまだずっと休みが続くし。飯炊きジイさんは明日からまた賄い方が始まる、ちょっと憂鬱ではある。

 今日は全く外では何もしなかった、PCの整備をして過ごした。HDを見ると、前のHDを継ぎ足したりしたので色々と不要な邪魔なパーティションがあるので整理統合している。まだ途中ではあるが、だいぶんすっきりしてきた、うっかり削除したら取り返しがつかなくなるかもしれないので、結構緊張しながらやっている。。


令和 2年 5月 5日(火) こどもの日(五節句・・人日・上巳・端午・七夕・重陽)

 穏やかに晴れる。アラ真夏日になった。(写真1写真2
    最低気温 16.3℃(00:00)、最高気温 29.7℃ (13:58)

 我が家の三人組が早朝散歩にでかけた、小生が以前ボンの散歩で毎朝歩いた約1キロの道だ、その後、小生のヒザ痛とボンの老化で歩けなくなって最近は一周できなくなっている。(写真1写真2

 菖蒲湯に入れる菖蒲を買いに市内のスーパーや花屋を三四軒回ったがどこにも売っていない、仕方がない、高森まで行こうと箱石峠を越えて高森のスーパー「フレイン」まで行った、去年も一昨年もここで買ったので、間違いなくあると思った。我が家に数年前に菖蒲を植えたのだが、日当たりが悪いところで一向に増えない、移植してやらないとだめだな。 
 
 久しぶりの箱石峠越え、野焼きの跡ももうすっかり緑に覆われていた。ただ、黄砂なのかPM2.5なのか、阿蘇谷全体がかすんでいた。道路には結構結構バイクや車が走っていた、「月廻り公園」にも家族連れがたくさん見られた、でも、これだけ広い阿蘇だから少々の人がバラバラにやってきてどこかに集まることもなくバラバラで帰るのであれば「しゅうきんぺい」にはならないだろう、どうしても人は外に出たがるのだなあ。
 
 帰る途中、ずいぶん久しぶり、もう一年以上になるだろう、オープンセサミに寄ってみた、牧場主殿にもう小生のこと忘れたでしょうと言ったところ、覚えていますよおと笑っていた。膝が痛かったので行かないうちになんとなく疎遠になっていたが久しぶりに馬の顔を見たらまた行きたくなった、近いうちに復帰しますと言って帰ってきた。
 
 午後からペットボトルでスズメバチトラップを二個作ってぶら下げておいた、中に入れる液体の基本はファンタグレープだ、それに、酒や焼酎やニンニクなど適当に入れてぶら下げておくてニオイにつられてやってきたスズメバチが小さく開けた口から入って、同じ道を通れば出られるのに、不思議と出ることとなくそのうちに液体に溺れて死ぬのだ。(写真1写真2
 
 太郎と菖蒲湯に入った。「菖蒲(しょうぶ)」はサトイモ科で、「花菖蒲」はアヤメ科、葉っぱが似ているので同じような名前がついているが全くの別物だそうだ。
 
 今晩は、スターリンク衛星とイリジウムフレアが同時に好条件で見えることになっていたが、残念ながら雲がかかっていて星も月も全く見えなかった、残念、またの機会を待とう。(写真1写真2

 昨日日記、追記をしておいた。


令和 2年 5月 4日(月) みどりの日(だったかな)

 夜が明けてだんだん天気が良くなって気持ちのいい五月晴れが広がった。
    最低気温 15.2℃(05:28)、最高気温 24.9℃ (16:08

 書くことはいろいろあるが、早朝に停電があって、いろいろあってメインPCが壊れて、その復旧でまる一日かかって、それでもようやく最小限の日記を上げるくらいにしか復旧できず、今日はそれ以上は無しである、明日今日のことを書くことにしよう。

 で、以下は翌日になって追記したもの。

 朝、5時前に数分間停電した。停電すると、常夜灯にしてある蛍光灯が突然全灯したり、スリープ設定してあるプリンターが突然動き出したりする、それにUPSにつないでいないライブカメラなどのサーバー類が軒並み落ちる。それより何より、昨夜消し忘れていたメインのPCが起動しなくなった。それでも何とかして何とかして何とかしてようやく復旧した、いろいろやって今回はセーフモードが使えた。それで復旧して、再起動かけて、ようやく元通りになった、それでやめておけばよかったのだが、どうもRAIDが効いていないような気がしたので、ちょこっといじったのが命取り、完全に起動しなくなって、最終的に、回復ドライブを使ってOSの再インストールをするしかなくなった。幸いに今回は回復ドライブ(メディア)を作ってあったので、再インストールはできたが、OSのインストールだけで、アプリやデータ類は全部消える。幸いに、RAIDを解消したので、もう一個のHDにそっくりデータは残っている。それをサブドライブとしてクリーンインストールPCにドライブを追加して、ドライレターが変わっているので、必要なものから少しずつ移す作業を続けいる。アプリケーションは全部再インストールである。
 
 結局まる一日かけて普及して、それでも最低限の環境しか戻っていない、なお、明日からも少しずつ整備していかなければならない。今回のエラーをみるとどうもRAIDシステムに問題がありそうなので、RAID構成はやめてシングルドライブでいくことにした。
 
 オイ!九州電力!ちゃんとやれ!と思いながら停電状況をネットで調べたら九州電力株式会社が九州電力送配電株式会社に社名変更していた、電気事業法の改正で電気を作る部門と送る部門が分かれて別会社になったようだ、会社のロゴもできている(九電 ・ 九電送配電)、と言っても形だけだろうが。オイ!九電送配電!ちゃんとやれ!それにしても、台風でもないのになんと停電が多いことか
 
 先日、当市の隣町の高森町が小中学校のオンライン授業を始めたということを書いたが、政令指定都市である熊本市でもオンライン授業を始めたそうだ、そのためには相当な準備期間が必要だったろうが、大きな人口を抱える都会でこれをやるのだから、立派である、将来を見通す能力がある。以前、市役所で繰り返しボヤ騒ぎを起こしたり、武漢ウイルスの陽性陰性患者を取り違えたりと、だらしがないと書いたが、これは撤回だ。(時事通信社記事無断転載 PDF1PDF2PDF3PDF4

 ある市では教育のICT環境整備のために、今ころになって、「自宅にインターネット環境はありますか?」というアンケートをとりはじめたところもある。これは何の違いだろう。
 
 武漢ウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言がさらに今月いっぱい延長された。これに対していろいろ文句が出ていてそれをマスコミはここぞとばかりに報道するが、いつになったら落ち着くのか誰にもわからないことだ、ただ、じっとしているしか方法はない、不要に動き回る人間がいる限り収束はしないのだ。感染して気の毒だなあと思う人もいれば、まったく同情に値しない感染者もいる、こういう人間のことを聞くと本当に腹立たしい限りである。
 
 巣立ちの前日(5/2)に撮った時には狭い巣の中で押し合いへし合いしてたシジュウカラの子たち、今朝みたらもう空っぽ、昨日巣立ったのだ、JTQが動画を送ってくれた、短く編集して載せる。完全に巣立つまでは巣の中を出たり入ったりして飛行訓練をするのかと思ったが、いきなり本番で、それっきり生まれ育った巣には戻らないのだ、そんなことができるのが不思議である。


令和 2年 5月 3日(日) 憲法記念日

 雨と言っても極めて弱い雨、昼頃にはほとんど上がった、長崎・佐賀・福岡の上を結構な雨雲が通過していたが、ここはその雨域を外れて、予報のような雨は降らずに終わった、雨量計が故障かなと確認にいったほどの少ない雨量だった。
       最低気温 14.5℃ (05:59)、最高気温 20.9℃ (15:24)
       本日の雨量  2.3 mm(17:00現在)

 小生は毎晩大体9時ころには寝て、最初の3~4時間は実に深い眠りに落ちるが、それを過ぎると眠りが浅くなって、「来し方」については無いが、「行く末」などを考えると下手をするとそのまま目が覚めてしまう、人にもよるのだろうがどうも齢を取るとしっかり眠ることができない、それでも昼間外で働くわけではないので、もし眠くなっら昼間寝ればいいやと思うので特に焦ることも無いし、またそれであまり眠くなることも無い。そんな小生、昨夜は1時ころには目が覚めてしまった、ボンの鳴き声が聞こえた、ずっと鳴き続けている、なんだか助けを求めている鳴き方だ、そこで外に出てみると、思った通り、ワイヤーがポールの根元で絡まって水が入っているバケツまで届かくて喉が渇いた喉が渇いたと吠えていたのだ。ほどいてやると、バケツに届くようになって実にうまそうにゴクゴク飲んでいた、そんなわけで、それでとうとう起きてしまった、1時というのはさすがに早すぎる、朝になって頭がぼんやりしていた。その時にはまだ雨は降っていなかったが、その後、かすかに雨音が聞こえたのでああ降り始めたなと思いながら本などを読んでいた。

 隣接する田の水が入って我が家が水に浮かんだ、今年も水に浮かんだ。 

 武漢ウイルスの特別給付金の支給手続きが各地で始まっている、当市のホームページでも準備が整い次第申請の受付を開始するとある(5/3現在)、一方、内閣府の情報によると、すでに全国679市区町村で5月1からオンライン申請ができるようになっているとあり、当市もリストアップされているるので、え?と思って試しに、手続き操作をやってみて、できることが確認できたので、途中で手続きをやめた。我が家は給料取りと年金生活者なので、直接的には今回の緊急事態宣言による影響を受けていないので、慌てて申請することも無いだろう、急ぐ人優先だ、あとからゆっくりやろう。e-Taxに比べたら手続きの煩雑さ、ずっと楽なようだ。

 緊急事態宣言であちらもこちらも休業・・・で、じゃあホームセンターにでも行くか、とホームセンターはテーマパーク化しているそうだ。必要で行くのであれば仕方が無いが行くところが無いから行くというのはもうアホとしか言いようがない、どうしてじっとしていられないのか、自宅で時間を使うことができないのか、おかげで危機感を抱いたホームセンターでは休業の対象になっていないのに休業するところがでているという、必要としている人たちからすると本当に迷惑な話だ。

 カミさんは今日も終日、敷地内の草刈りをやっていて、かなりの範囲を切り終えていた、やってみると達成感があって、また面白いのだろう、暑くもないし、たまにはよかろう。その分小生は今日も一日のんびりして過ごした。(写真1写真2


令和 2年 5月 2日(土)

 どんどん気温が上がっている、連日今年最高を更新している、昨日からクールビズも始まっているようだ、スズメバチの女王が飛んできた、越冬を終えて活動を開始した、当方もそろそろペットボトルトラップを作らなければならない。ミツバチがいない年には別に敵対するわけではないので放っておいたが今は可哀そうだと思うがそういうわけにはいかないのだ。
    最低気温 12.3℃ (00:31)、最高気温 27.0℃ (12:26)

 大型連休が始まっている、いつもだと、家の前をいくつものツーリングの一団が軽快なエンジンをンを響かせて通っていくのだが緊急事態宣言下、阿蘇を訪れる人も減っているのだろう、静かなものである。

 隣接する田にかなり水が入った。もうまもなく田植えが始まる。

 カミさんが明日は雨模様だと聞いて急に夕方になって実に珍しく(十年以上ぶりに)刈払機で草を刈り始めた。歯のついたやつは危ないからナイロンコードのほうでやれと言っておいた。燃料を入れてエンジンをかけるまで手取り足取りで、ようやく動き始めが太郎は生まれて初めて母親の刈払機姿に珍しそうに外に出て見ていた。周囲が田植えの準備が進んできれいに整備されているに対して我が家の雑草が目立つからだろう。我が家は今レンゲソウが最盛期で決して汚いのではないが、レンゲが咲いていない周囲の田との境界が確かに雑草だらけであるのは違いないが、それでも例年に比べたらきれいな方だ。(写真1写真2
 
 今日は全くなにもしなかった、ただ本を読んで過ごした。最近図書館で借りた大沢在昌の「新宿鮫」の最新巻を読んで、そういえば初刊はどういうストーリー展開だったろうか思って読み返してみたら、全く覚えていなかった、それでそのあともずっと巻を追って読み続けているが、ほとんど覚えおらず、初めて読むようなものである、最新刊は11巻目だと思うが、我が家には初刊からずっとそろって本棚にあったが最新刊の前の2巻(9,10)が無い、そのうちの9巻目だったか10巻目だったかは葬送の時に読書が好きだった(大沢在昌も好きだった)母の棺の中にいれてやった記憶がある。今日から6巻目に入った。


令和 2年 5月 1日(金)

 ずっと天気がいい、今日あたりはもう夏だ、暑かった。家の窓を開け放って過ごした、今年初めてだ。
    最低気温 6.1℃ (05:30)、最高気温 25.3℃ (15:03)

 ふつうレンゲ、レンゲと言っているが、正しくはレンゲソウと言うようだ。レンゲは文字通り蓮(ハス)の華で、そのハスの花のように咲く草だから、レンゲソウ、そして、このレンゲソウは正式な和名は紫雲英(ゲンゲ)という。 これは、花が一面に咲いている様子を遠くから見ると、低くたなびく紫の雲のように見えるというところからきているという。この「英」という漢字、我々は一般的に英国、英語といった使い方をしているが漢字表記で音が似ているので仮借したからで、もともと英の持つ意味とは関係がない。もともとの英は「花びら」という意味なんだそうだ、だから、紫の雲がたなびいているように見える花、で「紫雲英」と言うのである。

 その我が家のゲンゲも今、紫の雲のようにみえる、そしてそろそろピークを過ぎつつある。今日は飛んできた二ホンミツバチがたくさんいて、一つの視野の中に十匹くらいが蜜を集めていた。

 そのゲンゲの向こう、いよいよ田に水が入り始めた、そしてさらにその先、川沿いの道を姉弟が歩いている。朝、6時過ぎである、ここのところ家に籠って動かないので、特に姉なんか、太って困るといって、かと言って、走るのはキツイからと弟を誘って散歩に出かけた、またこれも三日坊主に終わることだろう。(写真1写真2

 シャクナゲももう満開を過ぎている。雑草のようにはびこるので、徹底的に切った藤の蔓、家の入口のところに一叢の房がぶら下がっていた。繁殖力が強いので根絶はしないだろう、またそれも計算に入れて切ったのだが、ちゃんと花を咲かせた、美しい花なのだが、ただ、繁殖力が強いのが玉に瑕だ。

 ハチウトの整備をいくつかした、いつでも来いである。(写真1写真2写真3
 
 太郎がテニスの練習で窓ガラスを割る心配をしながら遠慮しいしいやっているので、窓にカバーを付けてやった、着脱可能にしてある。
 
 緊急事態宣言がさらにひと月ほど延長になりそうだ、仕方がない、ここまでやって中途半端にやめると血を流した意味がなくなる。でも何時もの年でも最近は大型連休など関係がないからカレンダーなんか見ないのに、今年は特に子供たちがずっと家にいてなおのことカレンダーを見なかったが、月替わりで、カレンダーをめくったら、なんとなんと明日からずっと連休ではないか、テレワークだなんだと言っている勤め人たちも明日から、自粛とは関係なく休日になるのか。皆さんどういう連休を過ごすのだろうか。
 
 遠出もままならず、自宅でレジャーというと、家族でバーベキューが結構流行りとどこかに書いてあった、ただ、田舎と違って、建物が建て込んでいるところで、あるいはマンションのべランで、あちらこちらでバーベキューをするとその煙と匂いがまたトラブルの原因になっているとあった。こんな時に悪いけど、つくづく田舎でよかったと思っている。

 厚労省とLINE共同の武漢ウイルスアンケートの4回目があったので回答しておいた。

 晩飯、八宝菜、もやしの中華風サラダなど



   

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