風師庵日記目次へ

平成31己亥(2019)年 3月の記録 (新しい日付けの順)

平成31年 3月31日 (日)

 晴れ。ただちょっと風が強くて、肌寒かった。
      最低気温 3.1℃ (06:16)、最高気温 9.3℃ (13:37)

 今日は大方のところが年度末になる、もっとも平日ではないので実質的にはもう終わっている。その昔、現役時代は、ただ一日日付が進むだけだったのだが、年度内にやっておかなかればならないことを忘れていないかと気ぜわしく少し緊張しながら過ごしたものだが、もうそういった気持も絶えて久しいものになった。いまでは言われなければ年度末なんて気が付かなくなった。

 今日は子供会のボーリング大会が菊陽町のボーリング場であったので、太郎とカミさんは出かけた。夏子も友人と光の森に行くそうで、一緒にカミさんの車に乗って出かけた。
 
 ボーリングといえば、昭和40年台だったろうかか、ものすごいボーリングブームが起きて、仕事帰りにボーリングをやりにいって、二時間三時間待ちなんか平気で待って投げたものである。テレビでもボーリングの試合をやっていた。そのころはボーリング場が乱立したが、やがてブームが去って、バタバタ潰れた。

 皆が出かけたおかげで、小生はひとりノンビリ過ごした。
 
 Windows7のサポートがあと何年かで終わると言い始めて、まだまだ先だろうと思っているうちにあっと間に来年早々にはその期限が来る事になってしまった。以前、無料でWindows10にアップグレードが出来る期間があって、そのときに主だったPCはWindows10にアップしたが、まだ何台かはWin7のままのやつがある、どうしようかと思って、ネット検索をしていたら、今でもWindows7やWindows8は無料でWindows10にアップグレードできるということがわかった。最近、時々、日本でまだWindows7を使い続けている割合がかなり高いということが報じられているが、無料でアップできるというような記事は見たことがない、胴元でもあまり積極的にはPRしていなのだろうか。
 
 というわけで、今日はノートPCをアップグレードしようと、朝から奮闘していたが、最後の最後の再起動で「safe_osフェーズで失敗しました」で止まってしまってできない。ただ、完了しないまま宙ぶらりんになるのではなくて、自動的にちゃんとWindow7に戻してくれるので、その点は安心である。我が家の回線はADSLなのでこういった際の大きなファイルをダウンロードする時はとにく時間がかかって、5時間以上かかってしまう。だから失敗も二度くらいで、一日が終わってしまう。
 
 ネットにトラブルシュートの記事は結構載っているし、そのうちなんとかなるだろう、何より、無料でアップグレードができることがわかっただけで良しとしよう。



平成31年 3月30日 (土)

 晴れ。ただ、なんだろう、PM2.5だろうか昼ころからほとんど山が見えない状態が続いていた。PM2.5のせいかなと思ってネットで調べたら、そういう風にも見えるし、そうでないようにもみえる、春かすみなのかもしれない。(写真1写真2)
     最低気温 8.4℃ (05:51)、最高気温 16.7℃ (15:46)

 昨日、オープンセサミに行ったときに、また来たいと言っていた夏子、今日の小生の毎土曜の牧場通いに早速一緒に行くと言いだして、おまけに太郎までがついてきた。
 
 豆腐屋さんでオカラをもらって、南阿蘇余生馬牧場、オープンセサミに向かった。三人だと軽トラックは無理なので乗用車で出かけたが、無線機もAPRSも積んでいないのでなんとなく落ち着かなかった。

 今日は手があるので、小生の餌運びを二人にやらせて小生は後ろからついていった。夏子は囲いの中に入って餌をやっていたが、太郎のやつは、とにかく臆病なので、昨年、一番最初に行ったときに戯れるつもりで走り寄って来たポニーに顔が引きつるほどの恐怖を覚えて、転げるようにして柵の外に逃れた記憶が今だに残っていて、今日もちょと馬が近寄る動きを見せると、脱兎のごとく柵の外にでて、柵につかまって中を見ていた。一緒に写真を撮ろうとすると、あいつだけ柵の外に立てカメラに納まっていた。あいつはもっぱら猫を可愛がっていた。
 
 最近は馬の他に、豚もいて、また鶏なんかもいるようで、帰りに、生みたて卵をもらって帰ってきた。

 昨日行ったときにいた、大阪からのボランティアのスイス人の若者、今日帰ると言っていたが、今朝も顔を見せていた。日本語ペラペラなので少し話をしたが、大阪で英語教室の先生をしているということだったので、母国語はドイツ語ですかと尋ねたところ、生まれはイギリスで、ドイツ語は全くできないんですよと笑っていた、ということはキングス・イングリッシュだと言うことだ。名前を訊いて、ホームページ写真を載せてもいいかと尋ねたら快諾を得たので、一緒に写真を撮った、彼の名前はRowan君という、また来たいと言っていた。
 
 太郎、明日の日曜日は子供会の行事があるために、毎週日曜のテニスレッスンが今日になってレッスン開始時間の都合で牧場であまりゆっくりできないということで、カミさんが太郎を拾うために、やってきたので、十時半ころ、白水にあるローソンで待ち合わせて、太郎だけカミさんに渡して、小生と夏子は帰ってきた。
 
 牧場は羨ましくなるほどミツバチが飛び回っていた、南阿蘇はこちらよりはるかにミツバチが棲みやすい環境なんだろうか、こちら側の牧野も多分ミツバチは沢山いるのだろうが、我が家の周辺にはあまり姿を見かけない。
 
 オープンセサミ 連続写真 (1/4)
 オープンセサミ 連続写真 (2/4)
 オープンセサミ 連続写真 (3/4)
 オープンセサミ 連続写真 (4/4)


 中通りのI下登士男さんのところから、解体したアルミ下屋一式をもらってきた、材料は一式揃っているということだったが、組み立て手順がさっぱり解らないなあ、まあ、時間があるときに考えて、無理なら別のことに転用してもいいか。



平成31年 3月29日 (金)

 晴れ、風もなく穏やかな日だった。
     最低気温 8.3℃ (06:43)、最高気温 17.8℃ (14:06)

 駿君、今日はどこに案内しようかと思ったが、夕方には発たなければ行けないので、遠出はできないから、とりあえず、阿蘇山(中岳)に登って、これから、お馬さんにでも行くかと言うと、賛成賛成ということになった。やはり生き物が好きなようで、大学でも動物に触れることが多いので、すんなりと行き先は決まった。夏子にも一緒に行くかと訊くと、行く!という。というわけで三人で出かけることになった。
 
 阿蘇山は毎日眺めていても登るのは何年ぶりだろう、熊本地震以降は初めてだし、その前もずいぶんと登っていないと思う、夏子にしても記憶が無いという、近くにいながらそういうものである。草千里に降りる手前の展望台が新しくなって景色が見やすくなっていた。また最近、噴火警戒レベル2になったとかで、火口見物はできないのはわかっていたがロープウェイビルまで行って、KVFにでも仁義を切るかと思っていたところ、先日、ロープウェイは撤去したのを知っていたが、ビルまでももう殆ど解体してあって、なんとも殺風景な荒涼とした景色が広がっていた。(写真1写真2写真3写真4写真5
 
 ロープウェイをやめるのはわかる、また、ビルを解体するのもわかる、しかし、どうも、それに対しての観光客への心配りが全く感じられない、なんの説明も無い。基本的なホスピタリティの問題だと思う、阿蘇の観光行政に何かが足りない、あそこの各観光業者の一体感がない、ばらばらでやっているようにみえる、もしアミューズメントパークなんかの名プロデューサーなら、もっと違う対応を取るだろう。せっかく来た観光客に心のこもったメッセージが届く方法を考えるだろう、基本的に阿蘇観光にはそれが無い、阿蘇の観光客の数が減っていると嘆く前に、そのあたりを考える必要があるだろう。(夜日記を書く段になって、噴火警戒レベルの確認をしようと思ってネットで調べたところ、午前11時にまた噴火警戒レベルを1に引き下げたということが書いてあった、我々が去ってすぐの時間になる、小生は火口は見なくてもいいが、せっかく行った駿や夏子には見せてやりたかった)
 
 行きは阿蘇駅前から登って、帰りは吉田口に降りて、余生馬牧場オープンセサミに行った。最初から囲いの中に入るつもりだったので三人分の長靴もちゃんと持っていった。
 
 金曜日にいつもやってくる顔見知りのキヨ君ともうひとり、スイスからの青年がいた。ペラペラの日本語で、訊くと大阪からボランティアでやってきたという。普段は英語の先生をやっていてもう日本も長いそうで、ほとんどネイティブな日本語を話していた。この牧場は本当に各地からボランティアがやってくる。
 
 駿君も夏子もいたくこの牧場が気に入ったようで、夏子はこれからもまた来たいというので、今度は我が家の三人分のボランティア保険に入ることにした。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 牧場で今日の予定を終わるにはちょっと早すぎたので、ちょっと足を伸ばして、ご先祖様の野尻川の「遺業」の跡でも見せようと車を進めたが、十年前に行っただけで、確かここだったはずだと色々探したが、下準備をしていかなかったので、ピンポイントで隧道の入り口を見つける事ができずに、残念ながら帰ってきた。以前行ったときもかなり傷んでいたが、高森町立高森東学園義務教育学校前にある教育委員会が立てた説明板がほとんど読めないほど朽ちていた、説明板くらいちゃんと立て直して欲しいと、子孫としては願いたいところだ。津留の町、十年前よりさらに過疎化が進んで人の姿が殆どなかった、寂しい限りだ(写真1写真2写真3写真4
 
 行きは結構回り道をして時間を食ったので、帰りは、笹倉に出て、波野道の駅神楽苑で遅い昼食を摂って、城山経由で帰ってきた。蛇足ながら、波野神楽苑のレストラン内のメニューやトイレの案内の文字が完全に日本語だけだったのをみてなんだかホッとした、最近やたらと外国語が併記してあるのは正直面白くないと思っていた。小生は観光業者ではないので、書くなら日本語と英語だけでいいと思っている。
 
 出発まで少し時間があったので小生は二階で一休みしている間、やはり若い連中だ、階下で楽しそうに時間を潰していた。太郎もまるで互角の友人のようにつきまとっていた。
 
 最初の心づもりでは、空港まで送っていくつもりだったが、結局宮地駅前からバスで帰ってもらうことになって、三人でバス停まで行って見送った。その後、無事飛行機に乗ったという連絡が入って、小生の役割は終わった。九州には親戚が多いのでまた是非遊びに来たいと言って満足して帰ってくれたようだ、よかった、よかった、そして、小生はやはり年だ、いやいや、疲れた疲れた。(写真1写真2写真3

 今日、県議会議員の選挙の告示があったが、立候補者が一名のため、無投票になった(と5時過ぎに放送があった)。県議会議員の選挙なんてほとんどの人があまり関心がないようだ、はて誰だったっけ?という程だ。


平成31年 3月28日 (木)

 今朝、昨夜の暖かい雨で、豆札村の標準木、ソメイヨシノが開花した、五輪と言わず、十輪くらい開いていた、この独特の淡いピンク色、ああ、春が来たなあと無条件に思わせる。(写真1写真2
       最低気温 10.0℃ (08:07)、最高気温 19.4℃ (15:26)

 昨日の予報では、今日の天気は良くないということで、朝のうちは確かに小雨が降っていたので、このままはっきりしない天気が続くのかと思っていたら、その後どんどんと回復して、なんだ予報と大分違うなというほど回復した。

 今日は春休み中ながら、学校の先生の退任式があり、普段よりも一時間遅かったが、普通どおりにみんな登校していった。今日の登校班のなかには、卒業したばかりの元六年生も混じっていた。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 この退任式は小学校だけでなくて、中学校も高校も今日行われた。夏子も、普段より遅く学校に出かけようとしていたが、退任式後、友人と「しんちゃんうどん」にお昼を食べに行くという、しかも高校から中通りのうどん屋さんまで歩いて行くという、これはちょっと距離がある、それにこんな空模様だ、じゃあ、お父さんも昼は、しんちゃんうどんでお昼を食べようかということで、小生が娘たちを学校近くで拾って送ることした、ということは登校時も送らなければならないということで、結局朝も送っていった。

 しんちゃんうどん、実に辺鄙な田んぼの中にある素朴なうどん屋ながら、いつも満員状態で、今日も、娘の学校の御用達店かと思うほど、生徒や先生で賑わっていた。ここの主は余技だと思うが能面打ちで見事な能面が飾ってある。(写真1写真2写真3
 
 昼食後、娘たちを図書館に送ってから帰ろうとするところに、従兄の哲兄から電話が入って、もう近くまで来ているという。実は横浜の従姉の弘子姉の孫の大学生の駿君が九州一人旅をしていて今晩は我が家に泊まることになっていて、昨夜泊まった、熊本市内の哲兄夫妻の送りで、やってきたのだ。哲兄の来訪はずいぶんと久しぶりで、友人と一緒に来て、あれ以来だ、何年になるかなあ、ということだったので、後で調べてみたところ、H24.7.24に訪ねていいただいていた、もう七年にもなる、それ以来ということだ。八重子義姉は体調が長らく優れないということを聞いていたが、思った以上に元気になっていて、医者も驚いているということで、しかりした顔つきをしていて、ここのことも思い出したと言って懐かしがってくれた、その様子をみて一安心した。
 
 午後四時ころ哲兄夫妻は熊本市に帰っていったが、駿君は一体何に興味があるのだろうと思っていたところ、裏の畑の方に行ってちょっとカブトムシの幼虫なんかいないか、調べたいというので、小生が間違いなくいるだろと思う、もうビンテージの何年も放置してあったものすごい太いクヌギ系の薪材を鳶口でようやっとのことでひっくり返したところ、思ったとおり沢山の幼虫がいた。彼はワ―ッ感激だと熱心に調べ始めた。単なる趣味を通り越して幼虫の縦に入った筋をみて、これはなんとかクワガタだ、これはナニナニだといろいろと言っている。小生はわからないので、彼を好きにさせておいて、太郎たちを迎えに行きがてら、晩飯の材料の買い出しにでかけた。
 
 太郎と夏子を迎えに行ってミヤハラに買い物に行って戻ると、小さな幼虫、を数匹確保していて、これは何とかクワガタでこれ持って帰って家で育ててみると言ってペットボトルに土と一緒に詰め込んでいた。もっと何倍もある大きな幼虫は要らないようでそのまままた埋め戻したそうである。小生には全く分からない、宮崎のじっちゃい一家もそうだが、人の趣味は色々だなあと改めて思った。彼は獣医系の大学に今年入学したので、多分生き物系に興味があるのだろう。
 
 晩飯。駿君に何が食べたい?と訊くと、肉系がいいというので、準備する時間も無いので、じゃあスキ焼きだなということになった。それに昼間買っておいたケーキ類が沢山、それからイチゴが沢山、まるでクリスマスのような豪華な晩餐になって子どもたちも大喜びだった。



平成31年 3月27日 (水)

 今日は暖かかった、でもちょっと風が強かった、おまけに、午前中はPM2.5のやつで視界が悪かった
      最低気温 2.6℃ (06:56)、最高気温 17.6℃ (14:55)

 外作業が終わって夕食の準備に掛かる前にPCのニュースをみていたら、宮崎で震度4の地震があったと伝えていた、え?地震って確か午前中にあった日向沖の地震、ここも横揺れがして、九州広い範囲で震度3だったはずだがと思って読むと、午後3時半ころにあった地震のようだ、小生が外で作業をしていて気が付かなかったが、日向沖で続けて地震が起きている、南海トラフだろうか、なんとも気味が悪い、それでも、多分大丈夫だろう、まだ来ないだろうとなんの根拠もないのだが皆心の中で思っている、それでずっときたからだが、いずれ、近い内に来るという覚悟はやはりしておいたほうが良いのだろう。地震の直接的被害よりも、怖いのは津波だ、東日本の津波の記憶が蘇る。

 ロングワイヤー(確かCG-3000だったと思う)が切れているのに気がついて、その補修作業をした。ワイヤーが切れているのではなくて、ワイヤーアンテナを引っ張っているロープが切れていた。とういことは支柱を倒さなければばならず、支柱の孟宗自体ももう古くなっているので、ついでに孟宗も交換することにして裏の竹林に入って切り出しをした。一番長そうなやつを倒して運んだが、一本の重さはおそらく50キロはありそうで、倒して、枝を払って、運ぶだけで大仕事。今日はそこまでのつもりだったが、ちょっと時間が余ったので、立てるところまでやってみようかと、やったけど(人力だけでは無理だとわかっていても)、やっぱり重すぎて立てられなかった。じゃあ、次は道具だと、以前は、軽トラッククレーンを使って立てたけど、そこまでやらなくてもできそうなので、試しに滑車を使おうとしたが、肝心の支柱が重さに負けて傾いてきたので今日の作業は終わりにした。今度の孟宗の長さは11mほどだ。並べると新旧ほぼ同じ長さ、だいたい竹の成長は(先の方はかなり切り落としてあるが)あのあたりまでのようだ。滑車も、前回、安物を使ったために(錆びるぞとどなたから掲示板でご指摘をいただいた記憶があるが)赤錆で回らなくなっていたので、結構高かったがステンレス製の滑車にした、もっと小さなやつでよかたのだが、このサイズしか無かった。

 春休み期間中、と言っても今週だけか(来週もか)、太郎の水泳教室は休み。
 
 晩飯。チキン南蛮


平成31年 3月26日 (火)

 概ね晴れ。ようやく熊本市で桜の開花宣言が出されたそうだが、確か、2月だったと思うが、今年の開花予想で、熊本が全国で一番早く開花するだろうと言われていたが、遅れに遅れて、九州でも一番最後になったようだ、ここ高地の阿蘇はまだもう少し先になる。豆札村の標準木(我が家の入り口のソメイヨシノ、村ではソメイヨシノはここだけだと思うのだが)、も大分蕾が膨らんできている。 
      最低気温 4.1℃ (06:36)、最高気温 14.4℃ (15:25)

 中学校脇の道路の拡幅工事がようやく終わりそうだ。

 今日は何かあったかなあ、無かったなあ、道楽だけだったなあ・・・・

 晩飯。麻婆豆腐、エビチリ。いつも子どもたちが食べるので、麻婆豆腐は甘口を作っていたが、最近、カレーを中辛にしたところ、太郎も辛いと言いながら食べるようになったので麻婆豆腐はどうだろうと、今日は中辛にしたところ、これが四川料理で、中辛というには非常に辛くて、太郎は顔をしかめて食べていた、それでも、辛いなりに旨さはわかると見えて、次回はどっちを希望するだろう。エビチリは甘口というのが無くて、いつも、お湯を用意しておいてやるとそれでエビを洗って食べている。、


平成31年 3月25日 (月)

 曇り、午後辺りから、弱い雨になる、野焼き関係者はホッと胸を撫で下ろしていることだろう。山はずっと雲だか霧に隠れていたが、夕方になって雲の合間から山頂付近が白くなっているのが見えた、今日はなんとなく寒さを感じたが、山は雪だったのだ。
      最低気温 -0.7℃ (06:04)、最高気温 9.4℃ (15:04)

 春休みに入って、今日から登校見守りはしばらく休みである、4月の何日だったろう始業式は、まだ調べていない、ということは子どもたちの春休みの期間も知らないのだ、多分、4月も入って第一週か二週目だろう、春休みは長くない。

 登校見守りが無い代わりに、太郎の「学童(学童保育)」の仕事ができた。普段、登校はほとんど独りだから、学童も独りで歩いて行っても良さそうなのだが、「学童」の規則で保護者が責任を持って送り届けなければならない。

 夏子は春休み期間は「課外授業」が無いようで、ずっと休みのようだ。


 晩飯。柳川もどき、など。(写真)


平成31年 3月24日 (日)

 穏やかに晴れた。
    最低気温 -0.1℃ (06:32)、最高気温 11.6℃ (14:19)

 太郎とカミさん、朝早くテニスレッスンに出かけて珍しく昼前に帰ってきた。

 延期延期でヤキモキさせた北外輪山一斉野焼きがようやく実施された。昨日から乾燥注意報が出されていて、延期した甲斐があって絶好の野焼き日和になった、ただ、下ではわからなかったが、風があったのだろうか、野焼きによると思われる山林火災があちらこちらで発生して、五、六件ほど消防署からの火災情報のメールが入っていた。燃えたところで山林原野だ、この時期、消防署も、しょうがねえ、という気持ちでいるだろう。

 外に出て田んぼの真中あたりまでいけば、ぐるり外輪の野焼きの様子が撮れただろうが、面倒で、家の窓から見えた分だけにした。(写真1写真2)

 今日たまたまヒマつぶしで読んでいたネットの記事に驚いた。JRにはもう急行列車は走っていないのだそうだ、しかもJRから急行列車が消えてすでに何年か経っているという、全く知らなかった。それだけJRを利用する機会がなくなっていたということだろうが、そうだったのかと、改めて驚いた。昔は私鉄は急行でも急行料金を取らないのにどうしてJRは取るのだろうと思ったこともある。今でも特急はあるが、急行があっての特急だろうから、急行の無い今、特急の名称を変えるべきだな。
 「おい!f-JR九州、大津~阿蘇間の代替バスを走らせろ、公共交通機関としての自覚を持て、社会的な責任を果たせ!」


平成31年 3月23日 (土)

 カラリというわけには行かなかったが今日もなんとか晴れだった、ただ、朝、峠越えで南阿蘇に行く途中、短い区間ながら波野から高森方面、雪がちらついていた。明日も晴れの予報が出ているので、ようやく北外輪山一斉野焼きは実施されそうだ。
       最低気温 2.1℃ (02:45)、最高気温 9.9℃ (14:33)

 毎土曜日の行動、南阿蘇オープンセサミに馬の世話に行く。今日は大阪からというボランティアの男性が来ていた。結構遠方からやってくる。(写真1写真2

 夏子が、部活の科学部の関係だと思うが、葉脈栞を作りたいから手伝ってくれと言うので、側で立ち会った。敷地内にこれこういった植栽はあるかと訊いてくるので、椿系(ヤブツバキ、山茶花、茶の木)の木はある、それからクチナシもある、ナンテンもある、と、葉脈を残しやすい植栽を教えてやった、エゴの木は?と言うのでエゴはまだ冬枯れのままだ。
 とにかくカセットコンロにボンベを取り付けるところから知らないので、直接手を出さずにあーやれこうやれと教えた。後は、アルカリ系の溶剤を溶かした温湯につけて、柔らかくして歯ブラシで丁寧に余分な部分を削ぎ落として・・・と黙々とやっていた、初めてにしてはよくできたと満足げであった。

 今日も誰も遠出はなかった。


平成31年 3月22日 (金)

 今日は、晴れだったかな、曇だったかな、あまり記憶がないな。
     最低気温 7.6℃ (06:39)、最高気温 12.9℃ (15:22)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9
 6年生が欠けた登校班、やはりちょっと寂しかった、そして、今日は小学校も、中学校も、高校も終業式だった。

 夏子が昼で帰ってきたので、二人でピザを焼いて食べた、どうもピザ生地が上手く延ばせない、それに欲張って、色々なトッピングを乗せるから山のようになってしまった、それでも家で焼くと外で食べるものよりも美味しい。プールに行くのを忘れた。

 晩飯、煮込みハンバーグ
 
 その他特記事項無し。





平成31年 3月21日 (木)  春分の日(春季皇霊祭) 

 昨夜のいつ頃から降り始めたのだろうか、朝になっても降っていて、ようやく上がったかと思ったら、日中結構長い間霧がでて家の周囲は真っ白になっていた。午後も大分経ってからようやくところどころ青空が覗き始めたが、昼間と夜の時間が同じ日の太陽の沈むシーンは雲がかかっていて見ることができなくなった。一陽来復から3月経って昼間の時間がぐんと伸びた。
    最低気温 13.3℃ (03:28)、最高気温 17.4℃ (07:31)

 今日は家族全員、家にいてどこにも出かけなかった。
 
 以上、特記事項無し、メデタシメデタシ。


平成31年 3月20日 (水)

 晴れ。日本各地気温が上がって、長崎だったか、全国で一番の桜の開花宣言があった、だいぶん前の予想では熊本が全国で最初に開花するようなことを言っていたこともあったが。天気のめぐり合わせというのか、いつも野焼きがその天気の悪いときにぶつかるようで、早々と夕方の放送で、明日予定されていた北外輪山一斉野焼きがまたまた次の日曜日に延期された。あまり遅くなると春の草の芽が出始めて焼けなくなることにもなる、関係者はやきもきしていることだろう。
     最低気温 -1.4℃ (04:50)、最高気温 19.7℃ (15:21)

 登校風景 今日は卒業式なので、6年生は卒業式に間に合うように登校すればいいので、登校班には6年生の姿はなかった、新学期からこの一団に新しく入学してくる新一年生が新たに登校班に加わることになるのか、と思っているところに、その6年生の鹿児島に帰るしょうたろう君と同級のれんと君の二人がやってきた、今日はもっとゆっくりで良かったのでしょうと言うと、ハイ、でも来てしまったと言っていた、これが本当に最後の登校写真だ
 。
  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 昼プールへ。淡々と@1,000m×1。


 太郎、水泳の認定試験日、今日、また前回と同じところで引っかかって進級できなかったそうだ。全く残念がっていない、だから駄目なんだ、悔しさをバネにしないと。

 晩飯。酢豚など。以前は太郎が泳いでいる間に、小生が風呂を済ませて、太郎が終わるのを待って帰ってきていたが、小生、昼間泳いだ後に続けて風呂に入ってくるので、夜は太郎の迎えだけでいいので、夕食を作る時間が取れる。だから以前は、水泳のある日は手のかからないカレーかハヤシにしてあったが、それにとらわれる必要がなくなった、やはり毎週カレーかハヤシというのも小生自身の好みとしてはあまりありがたくないのだ。



平成31年 3月19日 (火)

 雨、のち晴れる。
      最低気温 5.8℃ (但し20:13現在)、最高気温 11.7℃ (16:52)

 登校風景。今日は6年生の最後の登校日(明日は卒業式)なので、最後の登校風景を記録に残したいと思っていたが、はやり朝になっても雨が降り続いていたので、おそらく今日はみんな車で登校だろうと思った。結構雨が強かったので、こんなときに太郎だけ歩かせるのもとちょっと仏心を起こして、小生が毎朝立つ場所まで車に乗せていって、そこから歩かせようかとしたところ、家を出る段になって、太郎が朝の「お勤めに行きたいといいだして、それを待っていたので、家を出るのが少し遅くなった。それでもまあ今日は誰も通らないだろうと思っていたところ、この雨の中を歩いて登校する子がいた。その子が通り過ぎるときに訊いたら前に何人かもう行ったとのこと、小生が遅れたので、間に合わなかったのだ。なんとなく悪いことをしたような気になった(別に小生が立っていようがいまいが、子どもたちには関係がないのだが)。

 今年はとうとう最後の登校風景を撮ることができなかったなあと思っていたところ、午後に入って、夕食の材料を買い出しに行った帰りに、集団下校をする子どもたちに偶然行きあった。いつものアングルとは逆に子どもたちの下校風景を撮ることができたが、なかに、(多分公務員だと想像するが)お父さんの仕事の関係で三年間だったか鹿児島から転校してきて、今年を最後にまた鹿児島に帰ることになった三兄弟がいたので、引き止めて写真を撮って、向こうに帰っても阿蘇のことを忘れないでねと言ったらハイと言っていた。三兄弟の一番末っ子は今年ここで一年生に入ったばかりだった、いつも、坂梨の子どもたちと仲良く学校に通っていた。
 
 夜、写真を整理していて、三兄弟たちの後ろ姿を撮った写真のもっと先の方に、明日卒業する6年生が二人写っていたのがわかった、もっと先の方に引き返したら、この6年生たちも写真に残すことができたのにと残念だった。もっとも地元で多分一の宮中学校に進むのだろうから、これからもいつも姿を見ることができるのだろうが。
 下校風景 (写真1写真2写真3写真4

 うっかりして、プールに行くのを忘れてしまった。

 晩飯。キジ焼き丼、など。写真

 JARL(日本アマチュア無線連盟)から年会費の払込の期限が近づいている旨のメールが来た。年会費は7,200円である。最近、JARLに入っている意味はあるのかと考え始めている。直接的なメリットはQSLの転送サービスであるが、会費の金額はこのサービスを利用している人には有り難い額だろう、逆に、利用しない人にとっては、その人のために払い込んでいる会費のようなものである。
 小生はアワードハンターでもないし、DXCCを狙っているわけでもないので、この転送サービス、強いて無くても困ることはない。
それに従来QSLカードは紙に限られていたが、現在はネットを通じて行われるe-QSLがどんどん増えている。だから、紙のQSLから切り替えていけば(併用すれば)良いはずである。年会費のかなりの部分をこの転送費用にかけていると聞くが、純然たる会費と転送サービス料を分けてしまえばいいと思うし、そういう意見がたくさんあるにもかかわらず、そうなりそうもない。
 6月が会費納期限だが、この際、一旦退会しようかと思い始めている。別に連続することに意味があるわけでもなし、入っていたほうが良かったということになれば改めて入り直してもいいしな。


平成31年 3月18日 (月)

 晴れ。今朝は急いでいたので、気温のことまで気が回らなかったが、車のウィンドーが凍っていたのでそういう気温なのかと思って後から記録を見たら、今の時期としては結構低かったようだ。
     最低気温 -2.4℃ (06:27)、最高気温 13.6℃ (12:41)

 朝、6時半過ぎには家を出て、熊本の高野病院に、大腸がん手術後の3月ごとの定期点検に行く。今日の診療は血液検査だけだったが、現在は血液の検査だけで相当色々なことまでわかる時代になっている。前回、腫瘍マーカーが基準値より少しオーバーしていて、CTで前立腺がちょっと大きいような気がしますねとのことだったので、念のために今回はPSA値も測ってもらったが全く以上はなかった、また腫瘍マーカーも全く正常だった、その時々のいろいろな条件で数値が動くこともあるようだ。次回の検査はちょっと先にして、6ヶ月後に診てもらうことになった。
 
 今日は9時に採血で10時半には診察も終わって、非常に早く済んだ。昼には少し間があったが、朝昼兼帯で浜勝で昼飯を食って帰った。二重峠付近の外輪一帯はいつのまにか野焼きは済んでいた、また、外輪のところどころから野焼きの煙が上がっているのが見えた、多分、上の方で決めた「一斉野焼き」を待っているといつになるかわからないので、牧野によっては独自に焼いているのかもしれない。

 今日は朝、子どもたちを見送る時間がなかったので、パスしたが、多分、毎朝立ち始めてから初めてのことではなかったろうか、カミさんに、子どもたちが不思議に思うといけないので、オマエ、代わりに立てと言ったが、時間がないようで、だめだったようだ。明日は多分、6年生まで一緒の集団登校は、明後日が卒業式なので最後になると思うが、天気が悪そうなので、全員一緒の写真は無理かもしれない。
 
 晩飯。炊き込みご飯、アサリの味噌汁、などなど



平成31年 3月17日 (日)

 曇のち晴れ。
    最低気温 3.3℃ (02:48)、最高気温 13.2℃ (14:46)

 今日は二回延期になった北外輪山一斉野焼きの日になっていたが、またもや延期になった。延期の理由は強風注意報が出されているからだということだった、実に穏やかな夕方を迎えていたが、日中、延期するほどの風、吹いていたかなあ、また気象庁の見立て違いじゃなかったのかなあ、次は21日の春分の日だそうだが、その日の晴れが保証されていれば良いが、なんとなく絶好のチャンスを逃したのでは思う。

 太郎とカミさん、今日はテニスのレッスン日で朝早く出かけていった、というのは昼から夏子たちの吹奏楽祭の本番があり、その鑑賞に間に合うように朝のレッスンを選んだらしい。吹奏楽祭は体育館がいっぱいになるほどの盛況だったそうだ。

 ということで小生は一日独りのんびりと過ごす。


平成31年 3月16日 (土)

 晴れ。昨夜はその後、結局降らなかったようだ(もっとも寝ていてわからなかったが)。朝にはきれいに晴れ上がっていた。ちょっと冬に逆戻りをした感があるが、それでも顔に当たる風には確実に春を感じせる感触がある。
     最低気温 1.6℃ (04:57)、最高気温 10.6℃ (14:46)

 いつもの土曜日の行動、南阿蘇に馬の世話に行った。地上はなんともなかったが、昨夜山にはまた雪が降ったようで、箱石峠を越えて波野の山道に入ると、周囲の畑は薄っすらと雪をかぶっていてい、道路もところどころ凍結していて、昨シーズン、スピンしてヒヤッとした経験あったので慎重に走った。先週一緒にした馬ども、どうだろうと行ってみると、もう完全に新しい囲いに馴染んでいるようで、のんびりと餌を食べていた。時々福岡からやってくるお嬢さんが、小生が行ったときにはもう餌をやっていたので、小生はオカラだけ置いて帰ってきた。
  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10
 
 太郎はカミさんと山を降りて耳鼻科に行った。夏子は明日開催の吹奏楽祭の練習で学校に行った。もう吹奏楽はやっていないが、ピアノが必要な曲があるそうで助っ人として特別に参加するそうである。

 今日神奈川県茅ヶ崎市の「鶴が台ハムクラブ」のちょっと遅めの新年会がいつものように浜膳であったそうで、その写真を入手した。今でもこのハムクラブの名称を使っているがもう何年も前からメンバーは誰もここには住んでいない、それどころか、はじめから住人では無い人間もメンバーになっていた。今年は当時その住人ではなかった局がさらに何人か加わっていた。逆に、鶴が台の住人だった局は今年は参加者が少なかった。いやいや、みんな歳をとった。
 
 みんなが歳を取った証拠写真も一緒に手に入った、この写真は1986年とファイル名にあるので、今からもう30年以上昔の写真だ。相模川河畔にある相模原市望地弁天キャンプ場でバーベキューをしたときの写真だ。これがどういうミーティングだったか全く思い出せない、鶴が台ハムクラブと茅ヶ崎ネットワークのメンバーが入っているから合同でやったのだろうか。若かりし頃の今日のメンバーも6名は写っている、小生もちゃんと写っている。あの当時のことはよく覚えている。JA1GQVの職場にWから出張で来ていていた人も参加していた(サングラスの人物)、また、小生が持って行ったあの当時は珍しかった、ポータブルのQRPHF無線機JST-10で、ちょうどサンスポットのサイクルに入っていたのだろうか、オーストラリアがバリバリ入感していたのを思い出す、いやあ懐かしい。


平成31年 3月15日 (金)

 久しぶりにちょっと冷え込んだ、でも、全く寒さは感じなかった。今日はいい天気になった、そして、予報で明未明にかけて雨、所によって雪、そして雷と言っていたが、早くも今晩7時半ころだったろうか、雨と雷がやってきた。しかしそれらは短時間で通過していった、これが予報にあった雨と雷だろうか、それとも、深夜にまたやってくるのだろうか。
      最低気温 -3.4℃ (06:35)、最高気温 11.8℃ (12:53)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 
 今日、夕方、買い出しに行く途中、小生が毎朝立っている場所に、子供用自転車が二台放置してある、なんだろうと思って先に進むと、こどもたちが三人小学校の方に向かって小走りに駆けていた。坂梨校区のHくんとSくん、それからHくんの弟のFくん。あの自転車君たちのか?・・・ハイそうです。そこで思い当たった。小学校では学年によって自転車を走らせることができる範囲が決まっていて、それから外に出ては行けない規則になっている。それで、二人は坂梨校区内限定の運転許可で、残る一人はまだ自転車で外を走っていはいけない学年なのである。だから人員は三人で自転車は二台なのである。そうなんだろう?と訊くと、やはりそうだった。行き先は坂梨校区外になるので、「国境」まで自転車で行って後は徒歩ということだったのだ、実に遵法精神に富んだ子たちではないか、なかにはそんな規則を守らない子もいるにはいるが。で、もう一人の子は?この子はまだ外で乗ることができないから、家からずっと走って上級生の自転車を追ってきたのだ。確か以前にもそういうシーンを見たことがある、子供たちの世界もなかなか大変である。時代劇で主の乗る馬の後を徒歩で追いかける従僕のようなものである。太郎もまだ外で乗れない。三年生になると校区内は乗ることが出来るようになるのかな、もっと狭い範囲だったかな。

 そろそろ薪の必要もなくなりつつある、そうなると薪作りにだんだんと力が入らなくなってくる、たとえストックが底をついても、まあ、我慢すればいいやと思い始める。そう言ってもやはり全く無いと困るだろうと、今日は久しぶりに薪を作ることにした。冬場の我が家のストーブは溶鉱炉のように24時間燃焼で、だからできるだけ太い薪を放り込んでおけば良いが、今の季節になって、その必要もなくなって、夜のうちに薪が燃え尽きてしまうと、朝、改めて火を点ける段になって、太い薪ばかりだと火が点かなくて困る。そういうわけで厳冬期にはあまり要らない細めの薪が焚付ように必要になってくる。
 
 というわけで太い薪はまだストックがあるので、今日は、細めの薪を作ることにして、ずらりと並べて、端の方から次々に切断して、一時間ほどかけて薪を作っておいた。

 薪作りは昼からの作業だったが、昼前に、ひと仕事を済ませておいた。我が家の「野焼き」である、雨が降ったりやんだりで、畑の草も燃やし時を掴みそこねていたが、あまり放おっておくと下からどんどん草が生えだしてきているので、今日燃やした。というか、結果的に全部燃やしてしまった、いや、燃えてしまった。最初はちょうど風下に位置している畑の縁の草だけ燃やしておこうと火を点けたところ、風向きと逆なのであまりドッとは燃えないが、それでも、思っていた以上に風上に向かって結構な勢いで燃え始めたので、じゃあ全部やってしまおうかと、予定外のことだったが、畑を全部燃やした。これも周囲に何もないからできるのであって、間違っても周囲に燃え移ることが無いから出来るのである。今日も南阿蘇で工事作業員が焚き火のつもりで点けた草か何かが一気に燃え移り山火事になったそうで、県外からの防災ヘリの応援も頼んで消火作業をていたとカミさんがどこかからか聞き込んできた。確かに枯れ草の燃える勢いは想像以上のものがある。もう大分昔になるが、旅行者がインスタントラーメンかなにかの火を炊いて阿蘇山のかなりほ範囲が山火事になってミヤマキリシマにかなり被害が出たこともあった。(写真1写真2写真3写真4
 
 ミヤマキリシマで思い出した、先日のラジオで、熊本地震で道路が崩壊して交通止めが続いていた仙酔峡道路、今年はミヤマキリシマの一般公開が出来るように道路の整備を進めていると言っていた。

 先日、太郎の上の前歯が抜けたのに合わせて、その抜け具合をチェックしてもらいがてら、下奥歯の溝埋めという処置をしてもらいに連れて行った。前歯の方は、自然に任せて様子を見ることにして、上の奥歯の方も、もうしばらくしてしっかり歯茎から出てきたら、そのときに溝埋めをしましょうということになった。

 晩飯。豚大根


平成31年 3月14日 (木)

 晴れ。赤阿蘇(写真1写真2写真3)。昨日と同じような気温推移だったが、昨日に比べて今日は風もなく太陽も出て暖かく感じる一日だった。
    最低気温 1.1℃ (07:22)、最高気温 8.2℃ (12:21)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 昼プールへ。@1,000m×1本、淡々と。

 昨日カレーをいつもより多めに作ったのをみて、子どもたちが、じゃあ、今晩はカツカレーだね、と勝手に決めたので、わざわざトンカツを揚げて、ついでにポテトサラダを作った。

 今日はそんなところかな。


平成31年 3月13日 (水)

 昨夜、多分一時ころだったと想像するが、何度か雷が鳴った、予報でも雷注意報が出ていた、特に落ちたような気配はなかった。今日は、東京地方はバカ陽気だったようだが、阿蘇は一日中、気温も上がらず風が冷たかった、昨夜また山に雪が降ったようだ、少し白くなっていた。
      最高気温8.8℃ (00:29) 、最低気温 1.3℃ (06:19)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9) 

 昼にプールへ行く。@1,000m×1本、その後風呂に入って帰ってくる、最近は昼間風呂にはいるので忙しい夕食準備の時間に行かなくて済む。そんな訳だから、今日の太郎の水泳教室の迎えも、太郎が家で風呂にはいるようになったのでただ迎えに行けばいいだけだから、楽でいい。
 
 晩飯・・・・カレー

 Amazonの会員だと映画が無料で観られるが、yahooでもプレミアム会員向けに同じようなサービスがあることをメールで知った。プレミアム会員とは、オークションで買い物をするために入っている会員のことのようで、確かに映画や雑誌などが無料で利用できる。こうなると、レンタルビデオ屋は商売上がったりになるだろう。ネットで借りられるレンタルビデオショップができたために、実店舗でやっていたレンタルビデオ屋が減ってきて、さらに、こうなるとネットで借りるレンタルショップも苦しくなるのだろう。でも映画が好きな人には良いけど、人に与えられている時間は皆同じだから、そうそう見る時間は無い、映画を見ている時間がなんだかもったいなく思えてくる、だから結局タダでも見ることがあまりなくなる、それに封切り時に面白そうだと思っていながら見損なった映画も古くなって無料で観られるようになったら封切り時のような観たいという気持ちが失せる傾向にある、結局は観なくても済んだ映画を観たかっただけなのだろうか。


平成31年 3月12日 (火)

 今日はあまりカラリとは晴れなかった。朝のうちは風があったちょっと寒かった、関東地方ではバカ陽気だとニュースで言っていたが、ここは関係がなかった。
     最低気温 5.6℃ (01:49)、最高気温 11.1℃ (13:19)

 気象庁が本日、阿蘇中岳で火山活動が活発になっているとして、噴火警戒レベルを2の「火口周辺規制」に引き上げた。ここのところなんとなく怪しい気配がある。

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10) 

 今日あたりはまだ少し寒かったけど、作業小屋の雨水を受けるために置いてある大きな漬物樽にいっぱいはった水の中に、たくさんのボウフラが泳いでいた、もう蚊が出る季節になっているのだ。また、玄関先のサクランボの蕾が膨らんできた、サクランボは桜の中でも花が咲くのがうんと早い。

 床屋に行ってきた、先日松岡さんに会ったときに近々入院して二ヶ月くらい休業するから、その前においでなさいとのことだったのだ。最近も白内障の手術で一月ほど休んだと思ったら、女将さんまた入院だそうだ、今度は足首の手術をするそうだ、なかなか大変だ。小生は床屋は二ヶ月に一度くらいしか行かないので、営業再開まで他の床屋を探さずに済む。

 今日も夏子、学校休みだった、なんだ?と訊いたら、さああまり良くわからない、多分、進級会議があって先生たち授業をしている時間が無いからじゃないかしらと言っていた、理由は何でも、休めればいいらしい。昼飯の心配をしているうちにプール忘れてしまった。

 今日「みやはら」からの帰り途、県道を渡って電話局脇の路地に抜ける手前の赤信号で停まっていて、青になったからさあ出ようとしたら、信号脇の家のじいさまが、軽トラックの窓をコツコツ叩くから、しかたなく窓を開けて何だと言うと、クレーンと無線のアンテナ付いているからイノシシか?と訊いてきたので、よく訊かれるのですけど、かくかくしかじかで、アマチュア無線と薪材を吊るためのものだと説明をしていたら、そのときには、信号がもう赤になっていた。あっ、ここの信号、こちら側が青になるのものすごく時間がかかるんですよね、と恨みがましく言うと。ああ、それなら、ちょっとバックして、もう一度停まり直すとすぐに青になるバイ。まさかそんなことねえだろうと思いつつもせっかく言ってくれたから、言われたとおりちょっとバックして停まり直したら、本当だ、すぐ青になった。ダテに信号脇に住んでいるのではないようだった。多分この路地側の信号は、信号機の下にセンサーが付いているが、このセンサーで車が来たのを感知するするまでは、優先道路(やまなみ道路)が長時間「青」になるようにしてあるのだろう。だから、一旦「赤」になって次の「青」になるまでの時間は今回のように動かないで停まっていると、新たに停まった車として認識せずに、規定の長時間待機になるのだろう。それに対して、一旦バックしてそのセンサーの探知範囲を抜けてから改めて停まると、新たに車が来たと感知してすぐに青になるのだろう。信号機下にセンサーが付いていて車が来たのを感知する方式だということは知っていたが、こんな裏技があったのか。
 
 晩飯。ナスの豚バラ巻き。それを作る過程で出た白ワインベースの汁でほうれん草、シメジを炒めたやつ、など。


平成31年 3月11日 (月)    3.11から8年・・・か

 昨日日記を書いている時点で雨も上がったかと思ったがその後でまた降り始めて、朝までに連続雨量は43mmになっていた。風は思ったほどではなかった。今日は気持ちよく晴れた。   (写真1写真2写真3
      最低気温 7.2℃ (05:47)、最高気温 12.5℃ (15:21)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10) 

 最近、自宅サーバー(FTPサーバー)に侵入しようとする「サイバー攻撃」が頻繁で、みていると、パスワードを自動的に組み合わせて次から次にサーバーにログインしようとしては失敗してそれを延々と繰り返している。IPから調べると殆どがChinaで今日はベトナムからだった。簡単には破れないだろうが、いずれ、パスワードが一致することにもなるだろう、気がついてはソフトを停止して、しばらくして再起動しているが、しばらくは停止したままにしておこう、普通にwebを閲覧する分には関係ないが、日記などのファイルをアップする際にはこのFTPが停止しているとできない。毎朝9時前後に一度、「坂梨宿」のFTP転送機能を再起動をする必要がある。

 コイン精米機で玄米30キロを精米した、最近米の消費量が多い気がする。
 
 近くの農道の一部の舗装工事が始まった、田中角栄さんのお膝元と違って、阿蘇谷では農道は一部しか舗装していないが、我が家のすぐ近く、ボンの散歩道、豆札川の左岸を今度舗装することになって今その工事が始まった、有り難いようなそうでもないような。


平成31年 3月10日 (日)

 まだ「3月10日」という日付を聞くと反射的に「東京大空襲」という言葉が頭に浮かぶ。

 本日の雨量 22.9 mm(18:00現在)ずっと降り続いていた気がする、ところが結構降ったようで、それほどでもない、先年の豪雨災害が一晩で数百ミリ降ったと言うがいかに尋常でなかったかということがわかる。夕方になってようやく雨雲が東に抜けていった、この雨はこのあと近畿関東方面にまとまった雨を降らせることになるのだろう。そして、今夜から北部九州、そしてその後、関東地方にかけて低気圧による台風並みの強風が吹くという予報も出ている、大まかに言って熊本も北部九州に入るがこの風の場合も当てはまるのだろうか。
     最低気温 8.4℃ (04:58)、最高気温 11.8℃ (12:16)

 今日は夏子は学校行事、というか学校からある行事に出張っていって発表をした。そのある行事とは「阿蘇山直轄砂防事業着手式」なるもので、阿蘇市の体育館で開催された。最初読んだときには、阿蘇山が直轄するのかと思ったら、阿蘇山ぐるりを国の直轄事業で砂防事業を行おうということのようである。阿蘇豪雨災害以来数年に渡って各所で砂防ダムなどを作っていたのでそろそろ終わりを告げる式典かとおもっていたら、これからやるというのだから、どうもよくわからない、そんなにまだやるところがあるのだろうか、これでは阿蘇カルデラはコンクリートだらけになってしまうのではと余計な心配をしたくなる。(参考資料PDFファイル、約3MB)
 
 で、夏子は、今日の式典で、高校の科学部で土砂災害に関する調査研究をして以前発表をした内容を改めて今日の式典で発表をしたそうである

 その式典の後で、太郎と母親は高森町の新酒祭りが最終日だということで出かけていった、おそらく地域振興というカミさんの仕事に少し関わりがあって、今日の雨で、来場者が少なかろうと犠牲的精神?で出かけたのだろう、夕方近く二人でずぶ濡れになって帰ってきた。
 
 小生は・・・・昨日の馬との格闘で、以前からちょっと気になっていた左膝の関節痛が今日はかなり痛くなった、しばらく様子見だ。




平成31年 3月 9日 (土)

 今日も素晴らしい天気になった、それなのに、明日はもう雨なんだそうだ、夕方、早々と明日予定されていた北外輪山一帯の野焼きは17日に延期された、これで延期は二回目である。
    最低気温 -1.9℃ (05:29)、最高気温 14.1℃ (14:32)

 今日は土曜日だが明日はなにか都合が悪いようで、太郎とカミさんは熊本までテニスのレッスンに出かけた、ついでに夏子まで一緒について行ったので、当然帰りは夜になるだろう(小生がそろそろ寝ようかという時間になってもまだ帰っていない)。

 小生は土曜日の日課、馬の世話に南阿蘇に出かけた。木村豆腐店からオカラをもらって、箱石峠を越えたあたりで、牧場主どのから電話。ポニーが二頭逃げ出して捕まえるの往生しているから早く来てくれと。

 着いてみると、牧場主どのが二頭のポニーをなんとか柵にロープでゆわいつけようといているところだった、一頭にはもう無口が付けられていたがもう一頭の方にはまだ付けられていない、二頭が暴れる上に、柵の中のポニーがその二頭にちょっかいを出すので、収拾がつかない状況。無口をなんとかつけるから小生に一頭が動かないように押さえていろ、との牧場主どのの指示、これが、ポニーといえども力があって振り回されるわ、足を踏まれるわ(ポニーだからあまり痛くはない)、ようやくのことで二頭とも無口を付けたが、柵の中のポニーと吠えあって、暴れまわってせっかく付けた無口が外れそうになる、そこで、小生も一頭受け持って上の段の囲いのところまで連れて行ってそこにつないだが、しばらく興奮状態が収まらず暴れていたが、ようやく少し落ち着いたようだった、ポニーは蹴らないのかと思ったら、蹴りますよ、とのこと、蹴るにはいろいろな条件があるようで、ああいった人が抑えようとするような取っ組み合いの場合はどうも蹴らないようだ、あるいはたまたまだったのか(写真1写真2)。

 話を聞いてみると、二三日前に、新しいサラが仲間に入って、そのサラを一番下の囲いに入れたところ、その囲いには確か5頭の馬がいたと思うが、そのうちの件のニ頭がその新入りのサラを虐めてしょうがない、二頭でサラを倒してしまうほど意地悪をするのだそうだ。馬はもともと群れで生活をする動物なので、数頭集まると、そのなかで序列を作るために、最初はどうしても、そういったイザコザを起こすのは仕方がないのだが、この二頭は度が過ぎている。だから、その二頭を別の囲いに移そうと、夕方になって下から三段目の囲いに入れたところ、その二頭は柵をくぐって逃げ出してしまったということである。その囲いの中にもポニーが何頭かいて、ここでもイザコザを起こしたらしい。

 牧場主どのは、新月で真っ暗な中一晩中馬を探して、ようやく二頭を確保して小生に電話をしたということであった。結局、一番上の囲い、ここにはサラと道産子の二頭がはいっているが、ここに入れることにして、その作業をすることになった。

 ポニーという馬は非常に頭のいい馬で、実に器用に外に逃げ出すのだそうだ。結構低い柵はくぐったり、飛び越えたりするということである。だから、ここの牧場の囲いのアチラコチラにポニーが入っているが、今ある柵なんか、ポニーが逃げる気になればいくらでも逃げることができる、ただ逃げる気がないから柵の中にいるに過ぎないということである、馬の柵なんてそんなものなのだそうだ。ここに限らず、牧場の柵は馬が本気を出して飛び越えようと思えばいくらでも飛び越えられる高さなんだそうである。

 とうことで、柵の横桟は役に立たないので今日行った作業は、そのあとに集まった応援も得て囲いの内側全周に、フェンスを張った。写真ではよくわからないが、要は網である、それをぐるりと全周に取り付けて、ようやく、二頭をその中に入れた。

 二頭が入ると先住の二頭と早速序列決めの闘争が始まって、噛んだり、蹴ったり吠えたり、匂いを嗅いだりと囲いの中を走り回っていた。馬は嘶(いなな)くと、ヒヒーンとい鳴くが、こういったときの吠え方はまるで、野生動物の本性を剥き出しのけたたましい声で吠えあう、なかなか迫力のあるシーンである。
 
 多分、このまま落ち着くのではと思ったが、小生は、結果を確認しないで帰ってきた、昼飯抜きで午後三時ころ帰ってきた、いやいや、今日は心底ヘトヘトになった。ただ肉体的に疲れただけで精神的には全く平気だった。一年以上通ってここの馬にはもう慣れているので、覇権争いの群れの中は危険だが、それ以外は全く怖くない、座って作業をしていると後ろから耳元で馬の鼻息を感ずることがあるが、馬もなにか興味を示して鼻っ面をくっつけてくるのだろうが、振り返りもしないで、手で払う程度である、はじめの頃はそのくらいでも驚いて飛び上がったものである。


平成31年 3月 8日 (金)

 久しぶりに今日はいい天気になった。昨日の雨、山では雪だったようで、阿蘇の山々が白くなっていた。朝、放射冷却で薄氷が張り、霜で真っ白になっていて、普通ならば指先が寒くてかじかむところだが、素手でありながらそれが全く寒くなかった。今の時期、小生が立つ時刻にはもう日が昇っていて、その陽射のおかげで寒さを感じなくて済むのだ、太陽の力はやはりすごものだ。
    最低気温 -1.2℃ (06:56)、最高気温 12.7℃ (16:29)

 今日は平日なのに太郎は給食無しで弁当を持ってくるようにとのこと。理由を訊くと、学校では普段はクラスごと、学年ごとにいろいろな行動や行事の編成がなされているが、それとは別に一つの班に一年生から六年生まで縦割りで班分けがされている編成があって、構内の掃除なんかを協同して行っているらしい、その縦割り班の活動もそろそろ六年生が卒業することで終わりが近づいたので今日は縦割り班ごとに集まってお別れ集会をするということで、各人が弁当を持っていくことになったそうだ。その弁当持参に関しても学校からの支持で、いろいろなコースがあって、どんな内容かは聞かなかったが太郎は、お米をとぐところから始めて、炊きあがったご飯でおにぎりを作るというコースを選択したそうだ。昨夜寝る前に米をといで、炊飯器にセットして、今朝、炊きあがったご飯で熱い熱いと言いながら母親の手ほどきで握り飯を作って登校していった。今朝、見守りで立っていると、各人が弁当の包みを持って登校していった、何人かの子にその話を振ると、ウン楽しみ、と例外なく言いながら登校していった。

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 梅など木に咲く花にばかり気を取られていたが、いつのまにか雑草がはびこり始めたなあとふと足元に目をやるともう春の野草たちが咲いてきた、気が付かなかった。ホトケノザヒメオドリコソウ、オオイヌフグリ・・・

 今日も昼に、プールに行ってきた、今日は団体客は入っていなかった。@1,000m×1。

 晩飯。豆ごはん、ブリ塩焼き、揚げ出し豆腐、だし巻き卵、豆腐とニラの味噌汁。


平成31年 3月 7日 (木)

 今日はもう晴れるだろうと思っていたが、なんとなくはっきりしない天気で突然突風が吹いたり、思い出したように雨が降ったりの一日だった。
      最低気温 3.3℃ (但し19:24現在、なお降下中)、最高気温 7.6℃ (13:36)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 今朝は気温はそんなに低くはなかったが、曇っていてちょっと風があったので子供の見守りの際に少し寒く感じた。
 ボンの散歩で妙法寺の下を通りかかったときにホーホケキョが聞こえてきた、いやあ鳴いた鳴いた、きれいにホーホケキョ、今年始めて聞いた。

 昼にプールへ。今日も午前中は合宿の団体でいっぱいだった。泳ぎ始めて三日目、今日は最初から1000mをノンストップで泳ぐつもりだったが、全く問題なく楽に泳ぎきった。小生はゆっくり泳ぐので筋肉疲労感も無いし、この程度の距離では本当は運動の効果はあまり無いと思うのだが、とにかく1000m移動するのだから物理の法則から言って少しはカロリーを消費しているのだろう、まあ泳がないよりはマシかなという程度だろうか。水中ウォーキングで水の抵抗を受けながら1000mグングン歩くほうがエネルギーは消費するだろう、水泳は如何に水の抵抗を減らして移動するか、だから、全力で泳ぐのでなければエネルギーの消費量はウォーキングに比べて小さいだろう。

 晩飯。ジンギスカン


平成31年 3月 6日 (水)

 子どもたちが登校する時間帯は幸いにまだ降っていたなかったが、見守りから帰ってボンの散歩に出たところ、途中から雨が振り始めて、結局今日一日中ほとんど止むことなく降り続いていた。夜になってようやく上がる方向に向かいつつある。
     最低気温 6.9℃ (04:59)、最高気温 9.1℃ (13:36)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 正午にプールに。もう春休みでプールは合宿でほぼ満杯状態。しかし、昼食時にはうまい具合にプールが空くのでその間隙を狙って泳ぐと全く問題がない。今日はかなり呼吸が整ってきて、昨日は500mがやっとこさだったが、今日は、@200×3本のあと大丈夫そうだたたので@400×1本の計1000m泳いできた。

 夏子は今日から今週いっぱい休みなんだそうだ、なんでも入試(中学生の受験)の関係だとか。ということはずっと昼飯の面倒を見にゃならん。プールから帰ってちゃんぽんを作ってやった。

 太郎、水泳教室。
 
 晩飯。カレーもハヤシも少し飽き気味なので、今日は五目寿司(ちらし寿司)。ひな祭りの日にカミさんが作ったが、どうも気に入らなかったので、今日は小生が作った。本来であれば、はまぐりのお吸い物が付くのだが、こどもたちははまぐりは好きでないようなので、アサリにした、同じ貝であまり違わないだろうに。

 今朝はというより昨夜はと言ったほうが正しいかも。目が覚めたので、2時か3時ころかなと思って時計を見ると、まだ1時前、頭がスッキリしていてもうジタバタしても眠気がさしてこない、結局このまま本などを読んでいるうちに夜が明けた、多分、昼間眠くなるだろうと思っていたが全然眠くならなかった、できたらもうちょっと寝たいところだが。


平成31年 3月 5日 (火)

 どうやら今日は晴れた、久しぶりの放射冷却
    最低気温 -1.6℃ (06:37)、最高気温 16.2℃ (14:54)

 登校風景 太郎、今朝はぶっちぎりの一番だった。毎朝、何人かの子どもたちは必ず小生のところを通過するときに、時間を訊いてくる、小生は腕時計をしていないので、胸のポケットからその度に携帯を取り出して時間を教えてやるが、着膨れていてなかなか取り出せない。結構面倒なのである。そこで、大奮発、掛け時計を買ってきて車のところに置いた。子どもたちもビックリしたり喜んだりで、時間を確認していた。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 時間を訊く子たちは例外なく、「今何時何分?」と訊く、もう少し大きくなると、時間の部分はわかりきっているので、「今何分?」と問うのだろうが、そのあたりがまあ子どもなのである。時計を大奮発と書いたが昔と違って今は時計なんて安い、電波時計ではないがクォーツでも1K程度で売っている。

 ここのところオーバーウェイト気味、体重が70キロを超えつつある、腹回りが大分だぶついてきたので、薄着の季節もやってくることもありまたウェイトコントロールをすることにして、時間があるときにはプールに行くことにした。確実にプールが空く時間帯、昼前に出かけていった。ずいぶんと久しぶりなので100m往復するだけでハアハア息が切れる、呼吸を整えてまた100m、結局今日は都合500m泳いで切り上げて風呂に行った。
 
 以前はプールのあと風呂に入っても、また夕方太郎を連れてこなければならなかったが、最近太郎が家で入るようになったので小生の風呂もこの昼の一回で済むことになった。

 3月に入ると娘の高校、かなり休みモードになりつつあって、今日も午前中で終わってお昼はウチで食べると言って登校していった。帰るのは一時過ぎると思うと言っていたので、プールが終わってから昼飯の準備をすれば間に合うと思っていたところ、アゼリアを出てから娘も位置情報を見るともう家に帰っている。電話をして今日はピザを焼くつもりだったけど材料買いに寄ったりするけど待てるかと訊くと、待つ!というので、コスモスに寄ってピザのトッピングの材料を適当に見繕って帰ってきた。
 
 もうだいぶん前になるが、家でピザを焼こうと思って、冷凍のピザ生地を通販で取り寄せてそのままになっていたのを昨日思い出して、昨夜のうちに冷凍庫から出して自然解凍をしておいたのだ。

 ピザのトッピングと言ってもあまり知らないので、ウインナーとベーコン、それにマッシュルームがないので、しめじ、それから、オニオン、ピーマン。サラミが欲しかったが売っていなかった。あとは上に乗せるチーズ類、別にモッツァレラと表記してあったチーズもあったからそれも、それにトマト、そして肝心のピザソース、それらを買って急いで家に帰って、オーブンを温めた。

 その間に、生地を丸く伸ばして、その上に、ピザソースを塗って、トッピングを載せて、チーズを振って・・・・250℃の予熱に約15分かかり、焼くのにも13分くらいかかった。
 
 初めてだが出来は上々、ただ、生地をもっと薄く広く伸ばしたほうが良かった。最初、もっと大きく伸ばしたつもりだが、いつの間にか縮まっていた、中心に向かって縮む性質でもあるのだろうか。 
 
 とにかく初めてなのでどのくらいの大きさのものが出来上がるのか見当がつかなかったので、生地を4個解凍したので、ピザを4枚焼いた。娘は美味しいと言って一枚で足りず、あともう少し食べたが、小生は一枚で十分だった。生地一個分で一人前のボリュームがあることがわかった。これでこれからいつでもピザを焼くことができるというものだ。二枚近く残ったのでこれは今日の夕食に回すことにした。

 午後大分過ぎた頃、夏子が突然素っ頓狂な声で「合格してるッ」と叫ぶ・・・・何に?・・英検!・・・ホントかよ・・・信じられん・・・私だって・・・ 最近はスマホで合否がわかるらしい。英検2級というレベルはそれほどでもないようだが、それでもうちの娘が・・・あの平気でローマ字読みをする娘が英検2級に合格なだなんて、なんという試験なのだ。さらに熊本県の受験者の上位8%内に含まれているというのだからもう何をか言わんやである、ローカルルールでもあるあるのだろうか。英検2級というのは一応の目安として高校卒業レベルとは言われているようだが、こうなるといよいよフロックでなく本腰を入れて準一級に挑戦せんといかんねえ、そこまでやれたらまあまあだな。

 晩飯


平成31年 3月 4日 (月)

 時々雲合間から日がさす事もあったが、今日もはっきりしない天気だった。夕方、別々の場所で時間も違って二度虹を見た。細かな雨で煙っているところに西の雲の隙間から太陽が照らしたのだろう。二度ともカメラを持ち合わせておらず、急いでスマホで撮ろうとしたが、小生、スマホのカメラの扱い方をあまり知らないので、スマホを触っているうちに虹はすぐに消えた。
    最低気温 5.6℃(但し19:07、夜に入って少し下がってきた)、最高気温 9.9℃ (13:56)

 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10)。

 晩飯。シチュー。


平成31年 3月 3日 (日)

 終日雨。昼間ちょっと上がったのでこのまま晴れるかと思っていたら、夕方になってまた再び降り出して、この雨は明日まで続くようだ。まだ「春の雨」にはちょっと早く、気温は低くなかったものの、なんとなく陰鬱な雨の一日だった。
     最低気温 5.5℃ (00:47)、最高気温 9.4℃ (15:03)

 今日は五節句のひとつ上巳(じょうし)である、早い話が桃の節句、ひな祭りである。我が家では娘がもう早くから全然興味を示さなくなったので、何年も前から雛人形は飾らない、まあ今時どこでもそうだろう、せいぜい保育園から小学校低学年のころまでだろう。(五節句・・・人日、上巳、端午、七夕、重陽)

 今日は西日本ハムフェアの日だった、やはり福岡(苅田町)はちょっと遠い、去年も行かなかったが今年もやめた、これも老化現象のひとつか。

 太郎と母親、今日はテニスレッスン日、朝早く出かけて行って、珍しく3時頃には帰ってきた。娘は終日机に向かって勉強をしていた(ようだ。勉強している姿勢と、座ったまま居眠りをしている姿勢と変わらないので、後ろから見ていてもどちらだったか分からない)。

 小生は「死ぬまでもひとつプロジェクト」に励む。


平成31年 3月 2日 (土)

 今日も確か日中は天気は良かったはずだがほとんど曇っていた、夜には雨になると言っていたが、少し早かったがそれはあたったようだ昼過ぎあたりから雨が落ち始めた、この分だと明日の北外輪山一帯の野焼きは当然延期だろうと思っていたら、めずらしくもう夕方には早々と10日に延期する旨の放送があった。今日は南阿蘇からの帰り途、坂梨の町古閑牧野でゼッケンをつけたたくさんの人が集まっていたので、ここは今日野焼きをやったようだ、降り出す前にある程度は焼くことはできたのだろうか、因みにゼッケンをつけた人たちは、過疎化で野焼きをする牧野組合員が減ったのでボランティアで募集した人たちだ。
      最低気温 1.3℃ (05:12)、最高気温 9.6℃ (13:40)

 12月から2月いっぱいの厳冬期は山越えが大変なので、(小生の)馬の世話は休みにしてあったが、3月に入った最初の土曜日の今日からまた再開した。久しぶりに馬たちの顔を見に行ってきた。馬は人の顔を覚えているものだろうか、餌の入ったバケツをもっていうくとゾロゾロとついてくるが、それはエサにつられてだろうから、エサさえ持っていけば誰でもいいのかも知れない。ただ、こちらが馬の扱いをある程度慣れていてビクビクすることがないので、連中も自然に伝わる緊張感は無いのかもしれない、いままでどおりに馬の餌の世話をして帰ってきた。途中の山はまだ冬枯れの景色のままだった。
(写真1写真2写真3
 
 昨日がなんとなく休日のような感じだったから、今日は日曜日のような気がしていたが土曜日だった。今日は珍しく家族全員が家にいた。


平成31年 3月 1日 (金)

 朝のうち、目まぐるしく天気が変わり、子供たちが登校するときには霧が出て、こどもたちの見送りを終わってボンの散歩に出るころにはみるみる霧が晴れて青空が広がっていった。(写真1写真2写真3
     最低気温 0.2℃ (07:43)、最高気温 12.7℃ (13:01)

 登校風景 今日は太郎の小学校、授業参観日だった、母親が出席した。
  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 ボンの散歩から帰ってくると夏子がまだ家にいる、なんだ、まだ行かないのか?今日は卒業式だから休み!なのだそうだ。そう言えば熊本市の高校に通っているご近所の健太郎君も今日が卒業式なのだろうが、ご両親が盛装(正装・・・こっちか)をして車で出かけるところだった、そうか健ちゃんもこの春から大学生か。
 
 考えてみたら今日から三月に入ったのだった。三月は別れの月だった。そして今日の天気のせいもあるが、二月と三月とは気候がガラリと変わる月に感じる。
 
 などと思っているところに、しばらくして階下でドアが開く音。娘に、なんだ?と訊くと、お母さんよ。え?仕事に行ったのじゃないのか、今日の授業参観は午後からだろう、一日休んだのか?美容室に行ったみたいよ。なんだ、授業参観で美容室か?違うわよ、たまたまそんな予定よ。ふ~ん。でも今日は二人も家にいるのか、そんなこと前もって言っとけよ、言ったわよ、そうか右から左か。じゃあ、小生は出かけるとしよう。
 
 と久しぶりに映画を観に山を下りてきた。映画も随分と久しぶりだ。今日の「移動都市/モータル・エンジン」、ここのところ観たい映画が無かったが、これはちょっと観たいと思っていた。丁度今日から公開で、時間的にも丁度良かった。
 
 いやあ、面白かった、ハリウッド映画は特にCGが素晴らしい、日本映画がどんなに逆立ちしても絶対に敵わない、併映している日本映画の愚劣さ、資本力に加えて想像力の差だろう。

 午後6.39分、いきなりドンと直下からちょっと激しく揺れた、家族がオーッと声を出した。短く一度だけだったが、小生は昼間留守にしていて知らなかったが、娘が今日はニ三回地震があったわよと言っていた。しばらくしてから地震のアラームが鳴っていた、震度3だそうだ、この地震は阿蘇地方の局所的な地震のようだが、なんだろう、マグマかな?ここのところ阿蘇山が少し騒々しい(のに今朝の新聞だったか、ここのところ地下の不穏な動きで用心のために禁止されていた阿蘇火口見物が再開されたばかりだったが)が地下のマグマの動きと関連性があるのだろうか。例によってB荘が心配して電話をくれた。


 


このページ先頭へ  風師庵日記目次へ