風師庵日記目次へ
(2025)令和乙巳 7年 1月の記録 (旧い日付けの順)
令和 7年1月31日(金)
今日は放射冷却でしっかり冷え込んだ、その分、日中は穩やかで厚着したままだと暑いくらいだつた。
最低気温 -6.3℃ (07:01)、最高気温 10.4℃ (14:32)
阿蘇乙姫 -7.5℃ (06:00)
阿蘇五岳
https://kumamoto.guide/localguide/asocam/
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・
建築廃材の整理、目に付く範囲で釘などの抜いてようやく隅の方へ移動させた、釘類だけでこんなにあつた。釘を抜いて移動させた材木、結局使わないまま終わりさうな感じがする。太い材木で何かを作るのは大變なのだ、板なら釘を打てば留まるが、太い材木だと釘が打てないんで彫つて組まなければならない、小生の技量では無理だらう。
写真1・写真2
釘がやたらと多くて、拔き甲斐の無い木材は焚き火に直行。
これで随分とスッキリした、真ん中付近にデンと固まつてあるやつ、これは今季入つた木だから来季使う予定なのだが、これがこの場所から無くなると広々とするなあ、隅の方に移すかなあ。
令和 7年1月30日(木)
穏やかに晴れる、今日は風もなく外で作業をしてゐても本当に気持ちが良かつた。
最低気温 -2.9℃ (07:40)、最高気温 7.2℃ (15:36)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
阿蘇五岳3
https://kumamoto.guide/localguide/asocam/
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
せっかく薪が片付いたのに、真ん中付近に建築廃材が置きつぱなしになつてゐる、これは焚き火用にもらつたものだが、しっかりした材木が多くて燃やすのが勿體なくてそのうちに何かに使おうと思ってゐて残つてしまつた。
ここに住み始めたばかりの時に、家一軒分の建築廃材を貰つたことがある、乾燥してゐるし薪に格好の廃材で大喜びをしたのだが、建築廃材にはたくさんの釘が使われてゐてそれが木材内部に隠れてゐるものが多くて、薪用に切断しやうとして、その釘類にチェンソーがあたり、チェンソーの刃を何本も駄目にしたことがありそれ以來建築廃材はストーブの薪には絶対に使わなくなった、焚き火用に燃やす分には別に釘類があつても最後に燃え残るだけだから構わないのだ。
敷地の隅の方に移動させることにして、目についた釘やボルトなどを釘抜きやディスクグラインダーで切断して綺麗にしてから薪小屋隣に運んだが、結構面倒な作業で今日は半分くらいやって終わつた。写真1・写真2
その作業をやりながら腐つた薪材を割つて中にいる虫の幼虫を見つけ出してジョウビタキ用に置いてをいた、見てゐると來ないが、後から見に行くと綺麗に無くなってゐる。
写真1・写真2
イノシシのくくり罠に米糠を撒いた、少し前に撒いてその後、微妙に減ってゐるがたくさんは減ってゐない、こちら側にはあまり侵犯して来てゐないやうだが、撒くだけ撒いてをいた。現在、我が領内にくくり罠を4箇所設置してある。
写真1・写真2
令和 7年1月29日(水)
例によつて例の如し、阿蘇地方、大雪無し、風雪無し、着雪当然無し、雷も無し。
都会だとアスファルトとビルとアーケード、地下道であまり天気の影響は受けないが、田舎だと、農家でなくても自然の変化には敏感になる、だからいつもいい加減な予報を出されると腹が立つのだ。写真
阿蘇の西方、熊本市の海岸沿いに金峯山(665m)といふ山がある、ローカルニュースで金峯山にも雪が積もり、この雪が金峯山の初冠雪だと云つてゐた、阿蘇では初冠雪は随分前だつたので、数十キロ程度しか離れてゐないと思ふが今頃初冠雪なのかと少し驚いた、といふことは、平地には降らなかつたといふことか、予報とは全然違ふではないか。
最低気温 -1.2℃ (07:36)、最高気温 3.5℃ (14:19)
以下余談。ラジオを聞いてゐて最近「金峯山」と云ふ名前の相撲取りの四股名を耳にするが、聞いてゐて金峯山は熊本にもあるけど、どこの金峯山なのだらう、奈良の吉野山に金峯山寺があるが、金峰山と云ふ名前の山は日本にはほかにもあるのだらう思つてゐたら、相撲取りの金峯山は熊本の金峯山だといふことが分かつた、別に熊本出身ではないやうだが師匠が熊本の人だといふことだつたと思ふ。
相撲取りの名前は「きんぼうざん」と読むやうだが、熊本の金峰山は「きんぽうざん」と呼んでゐると思ふ、ついでに金峯山寺は「きんぷせんじ」だ。
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
阿蘇五岳3
https://kumamoto.guide/localguide/asocam/
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4
朝は風もなく穏やかだつたが、下校時は風が強くて寒かつたあ。
今日は朝一番で、宇治歯科で虫歯の治療をしてもらつた、先日に続いて二本目である、知らないうちに虫歯ができてゐた、定期メンテをしてゐるのに。歯医者の帰りに古閑医院に寄つて薬をもらつてきた、クリニックのハシゴである。
最近地面があちらこちら堀りくり返されてゐる、これはモグラの仕業である、畑を作つてゐないのでまあ実害は無いやうなものだが見苦しい、モグラは狩猟鳥獣ではないので誰でも何時でも獲ることができるが時々猫が捕まえてくるので猫に任せやう。
経済アナリストの森永卓郎氏がついに亡くなつた、膵臓がんに冒されて必死で闘病しながら最後の最後まで仕事をしてメディアに出てゐた、壮絶な死だ、この精神力に心から敬服する、小生にはとても真似ができない、小生だつたら余命を宣告された途端に滅入つて萎えて何もできなくなつてしまふだらう。早期癌なら怖くないと小生はいつも云つてゐるが、進行癌が見つかつた時の心構えは全くできてゐない。人が死ぬのは当たり前で、最近は別に怖くないと思つゐるが、それは突然訪れる死に対してのことであつて、突然訪れる死は本人が自覚しやうも無いからで、これが例えば死刑を宣告された場合だとか病気で余命を宣告された場合の覚悟となるとこれは全く別のもので、小生なんか慌て狼狽えてしまふだらうと思ふ。同じやうに満身創痍で進行癌と闘つてゐる人に医師の高須克弥といふ人がいる、この人も凄いと思ふ。
話頭を転じる。小生の嫌いな言葉、「推し」と書くのだらうがこの言葉、いつの間にか周辺で普通に使われてゐる、小生は知らなかつた、娘が使つてゐたので、どういふ意味かと聞いて初めて知つた、どうしてこんな言葉が流行つてゐるのだらうか、日本語がどんどん変化してゐる、劣化してゐる、もつと適切な表現方法は無いのか、日本語としての美しさに缺ける。
嫌いな言葉、他にもある、「心が折れる」、これも最近頻繁に聞く、鉛筆の芯でもあるまいし、それからなにかと云ふと「心が癒やされる」、この言葉もラジオなんか聴いてゐると実に安売りされてゐる、要は個人的な好き嫌いなのであるが、昔は使わなれなかつた最近の日本語の表現方法、どうも馴染めないのである。
令和 7年1月28日(火)
今日も時々雪が舞つてゐた、時々である、薄つすらと白くはなつたが全然積もらなかつた。そして、今夜から明日にかけて例によつてま雪の注意報が出されてゐる、大雪に加えて、風雪、着雪、雷までおまけに付いてゐる、降らないよ。
最低気温 -0.6℃ (06:47)、最高気温 3.4℃ (12:56)
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
下校時 写真1・(これ以降画像残せず)
今日は小生の父の命日だつた、今まで気にしたことが無かつたが、最近はPCのカレンダーに書いておくと毎年その日になると教えてくれる。何かのことで以前その日を入力してゐたので、今日が命日だと云ふことを教えてくれたのだ、こんなことでもないと先ず思い出さない、母親の命日はだいたい忘れないが父親の命日は忘れる、父親とは損な存在だと思つたが、亡くなつたのが昭和48年だつたので、もう没後50年以上経つてゐる、享年68だつた。昔はちやんと覚えてゐたと思ふから父親だから忘れたといふことでも無いのだらう。誕生日はいつだつたらうか、明治39年(1906年)は間違いないと思ふが、2月25日だつたかなあ。
C國が春節の大型連休に入り、その期間中になんと90億人が大移動すると云ふ(まるで蝗害のやうだ、世界の人口より多い、どういふ計算か知らんけど多分延べ人数なのだらう)、海外旅行先では日本が一位だとニュースで云つてゐた。
オーバーツーリズム勘弁してくれ、来ないでくれ~日本人が国内旅行できなくなる、ホテルがとれない、自国内でやつてくれ。
令和 7年1月27日(月)
時々小雨、小雪、みぞれ、くもり・・・
最低気温 0.8℃ (08:59)、最高気温 6.3℃ (13:20)
阿蘇五岳
https://kumamoto.guide/localguide/asocam/
登校時間前は小雨だつたが子どもたちが歩いてくる頃から小雪、みぞれに変わつた、それもまもなくやんだ。
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5
薪作りも終わり、予報通り雨の天気でもあり、今日は全く裏の方には行かなかつた、久しぶりに家でのんびりした。
令和 7年1月26日(日)
晴れ、今日も風が少しあつた。
最低気温 -1.0℃ (02:45)、最高気温 8.1℃ (13:50)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
阿蘇五岳3
https://kumamoto.guide/localguide/asocam/
予報によると明日は雪か雨らしい、切つた薪、まあ、濡れてもまた乾くのだが、せっかく切ったので今日全部小屋に運び込んだ、入りきれるかと思ったら、少し別の小屋に入れたが、全部入つてしまつた。
写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
何年も繰越しで残つてゐた薪材の山、今日でほぼ全部無くなつた、いやあ切つた切つた今回は何日もかけて実によく切つた、気持ちよくスッキリした。
今日も昨日ほどでは無かつたが風が強かつたので、今日は何本か原野火災などの消防メールが入つてゐたこともあつて念の為に水を掛けてしつかり消した。
令和 7年1月25日(土)
晴れ、昨日までと比べて日中の気温が上がらず風が強く寒かつた。
最低気温 0.1℃ (06:47)、最高気温 9.6℃ (14:48)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
阿蘇五岳3
https://kumamoto.guide/localguide/asocam/
昨日までの暖かさに比べると今朝は寒かつたので焚き火をしたが、今朝は風が強くて少し心配だつたが、予報で6mくらの風だと云ふので、それくらいなら今までの経験上大丈夫だと思つてゐたら予報以上の風で焚き火の火が飛びさうなので一旦燃やした焚き火を消した。
焚き火にする木は水分を含んでゐて燃えにくいので、燃やしてゐる時は他の薪と相互に影響しあって燃え続けるが、燃えてゐる木を離すと独自では燃える力が無く、水をかけなくてもすぐに消える。
一旦消した焚き火、昼から風もだいぶん収まつてきたので、再び燃やしたところ、朝方よりもつと強い風が吹き始めてフイゴで風を送つた時に立てるやうな音がするほどでこれは危険なのでまた消して今日は焚き火無しで過ごした。
最高風速 9.4 m/s(12:29)
今日も薪を作りながら古い木から出てくる虫の幼虫を集めてジョウビタキ用に置いてをいたが夕方までにはジョウビタキは姿を見せなかつた。ジョウビタキは確か縄張りがあつて、限られた範囲に一羽しかゐないと聞いた気がするが違つてゐるかもしれない。
啓蟄までにはまだ間があつて、今、野鳥が餌になる虫を探すの至難の時だと思ふ、昨日はたらふく食べて、普段の日に比べたら食べ過ぎで今日は腹でも壊して寝てゐたのかも。
今日でだいたい全部の薪を作り終わった、出來れば今度の雨までに全部小屋に入れたいところだが、入りきれるだらうか。
写真1・写真2
薪割りのクサビ、先日溶接で穴埋めをしたが、今日また割れて、割れ目を見ると、一体物のクサビでなくて、頭部分だけ後から継ぎ足したやうな作りになつてゐて、その分が剥げて離れてしまつたやうだ、これインチキだらう、今度はしっかり穴埋めをしなければならない。
写真1・写真2
期日は知らないが、2月に入ると市長選挙がある、その選挙ポスター用の掲示板(だらふ)が村の「札の辻」に立てられてゐた、新しい風が吹くだらうか。
令和 7年1月24日(金)
晴れ、昨日同様暖かい一日だつた。
最低気温 0.3℃ (07:35)、最高気温 14.2℃ (14:59)
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
https://kumamoto.guide/localguide/asocam/
もう焚き火は要らないくらいだが、雰囲気用とお湯を沸かすために焚き火をしながら今日もノンビリとジョウビタキ用の虫の幼虫を集めたり遊び七分仕事三分で過ごした。
(写真1・写真2・写真3・写真4)
昨日設置したくくり罠、寄せ餌に何か食べた跡があつた、動物は少しずつ食べながら様子見をする、イノシシかアナグマか、シカか何だらふ。DMZの向こう側の土手はかなり掘りくり返されてゐる。
(写真1・写真2・写真3・写真4)
令和 7年1月23日(木)
晴れ、ますます春の気候である、まだ1月なのに。
最低気温 -1.3℃ (07:00)、最高気温 14.3℃ (12:42)
阿蘇五岳 https://kumamoto.guide/localguide/asocam/
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4
確か4年生だつたと思ふが、体操着で登校していく子がゐたので、何かあるの?と訊くと「火消し棒を作る!」と云つてゐた、火消し棒は阿蘇の草原の野焼きの際に延焼防止のために皆で叩いて消す道具である、さうか今年ももうすぐ野焼きのシーズンなんだなあ、子どもたちも草原学習で野焼きの実地体験をするのだ。
今日もノンビリ薪を作つた、もう、春がそこまで来てゐて薪作りの切実感が無くなつて来てをり、遊び半分で休み休み薪を作つてゐる、長い間放置して周辺が腐つてゐる木材も中は立派なままなので、これらも薪にする。中の方まで腐つてゐるやつは焚き火用の薪にする。
割ると腐つてゐる木にはなんの幼虫かわからないが眠りを破られて蠢いてゐるやつを板の上に置いておくと何処で見てゐるのかジョウビタキが目聰く見つけて、さつと食べて飛び立つて行く。
我が家の一番南側、隣の田との境界付近、イノシシの通り道だ、くくり罠を設置した。過去には要領が分からずにオーバスペック気味にパイプを打ち込んだが、最近はだんだん分かつてきて、そんなに長いパイプの必要は無いだらうと、しかも複数本打ち込む必要もないだらうと、今回は1mもののパイプ一本だけで済ませた、これで大丈夫だと思ふ。2mもののパイプを打ち込む時は地上からではハンマーが届かないので、脚立の上からパイプを打ち込むなどといふ結構危なつかしいやり方で打ち込んで、今回も脚立を用意したが、短いパイプで濟んだので脚立の出番は無かつた。最後に撒き餌の米糠を罠に誘い込むやうに撒いてをいた(写真のオリは今回は使つてゐない)。
写真1・写真2・写真3・写真4
令和 7年1月22日(水)
久しぶりに今朝はグンと冷え込んだ、田畑はいつにも增して霜で真つ白になつてゐた、それでも気分はもう春のやうである、日中が暖かい、ここのところ山まで霞んでゐる、春霞か、でもこのまま春には到底なるまいが。
最低気温 -4.0℃ (06:30)、最高気温 13.3℃ (15:14)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
阿蘇五岳3
https://kumamoto.guide/localguide/asocam/
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4
最近ガソリンの値段がどんどん上がつてゐる、ハイブリット車にはあまり値上げの影響はないのだらうか、専ら軽トラで近場を走る分にもそんなに大きな影響は無いのだらうか、それでも、今日、ガソリンを軽トラとチェンソーなどの燃料用の携行缶に一緒に入れたら、約50Lで8000円以上した、専用アプリで5円引きでさうなのだから、大変な値段である。
無線のアンテナ支柱の支えに使つてゐた単管パイプの抜去、昨日うまくいかなかつたので、今日は軽トラクレーンで抜いた。アウトリガー無しで引いたところ、最初少し車体が傾いたが、その後一気に抜けた、さすがモーターである。
写真1・写真2
クレーンのモーターを架台に取り付けやうとしたら、電源ケーブルが切れてゐたので、その修復作業でまた無駄な時間が掛かつた、何かをしやうとするとトラブルが起きる。
このあと、数メートル場所を変えて、くくり罠のワイヤー留め用にパイプを打ち直すつもりだが、今日はなんとなく気分が乗らないので明日以降に延ばすことにした。
薪を割る際に使う、鉄製のクサビ、これを木にあてがつてハンマーで叩き込んで斧だけでは割れない硬い木を割るのだが、長い間、あまり強くハンマーで叩いてゐると、鉄の塊なのに変形したりヒビまで入つてきたので、溶接で少し肉を盛り付けた。
今日も薪を少し作つたが、体が重たいので、少しだけやつて今日は終わつた。
米糠を近所のコインランドリーに貰いに行つてきた、コインランドリーとコイン精米所併営である。昨日50袋くらい注文があつたさうでう全部出したので、倉庫は空つぽだつた。それでも二袋残つてゐたので一袋もらつてきた、50袋ともなるとは有料だが、一袋ならいいですよと無償でもらつてきた。50袋も何に使ふのだらう、肥料だらうか、飼料では無いと思ふがなんだらう、今度訊いてみやう。
令和 7年1月21日(火)
晴れ。連日好天が続く、日中の気温もどんどん高くなつてゐる。
最低気温 -0.7℃ (05:15)、最高気温 11.4℃ (12:30)
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4
今日も薪を作るつもりでいつもの朝のやうに焚き火を始めたところ、お隣さんが、昨夜遅く帰つてきたら我が家の前の道路をイノシシ一家が6頭くらい道路を横断して我が方に侵入してゐるの見たと教えてくれた。
11月だつたか大きなイノシシを仕留めて以來、ずつと我が家の方にはイノシシの出没は無かつたやうだつたが、最近またやつてくるやうになつたやうだ、確かに敷地内にはハッキリとした獣道は見られないが、時々歩いた足跡はあつた。
そろそろまたタケノコのシーズンも始まるので、こちらから好んでは出撃はしないが、侵入してくるイノシシに対しては専守防衛、捕まへざるを得ない。
今日は以前捕まえた場所にくくり罠を仕掛けた、そことは別にもう二箇所、以前からくくり罠を設置してあつたが、できれば捕まえたくなかつたので、なるべく掛からないやうに、餌も撒いて無かつた。今日はその二箇所にも餌を撒いてをいた。(写真1・写真2・写真3・写真4)
エサ箱を見たら、あまり米糠が残つたゐなかつたので少しだけ撒いてをいた、明日にでもまた貰いに行つて來やう。
それから、もう一箇所、これは一番可能性の高いルートで、我が家と隣の田の境界のあぜ道でまつすぐ行くと竹林に続く道で、そもそも小生が猟を始めやうと決めたきつかけになつた渡辺さんに頼んでイノシシを捕まえたルートにあたる場所である。
ここには長い間コイノボリの柱が立つてゐた場所で、太郎は13歳か14歳だから太郎の誕生のときに建てたコイノボリの柱がもう疾つくに腐つて残骸の形で残つてゐた。
写真1・写真2
今日はその残骸を片付けて、焚き火に燃やして、コイノボリとして立てられた杉の柱が今日、焚き火になつて燃え尽きてその使命を全うした。これは「連中」の云ふカーボンニュートラルだらう。
その柱の残骸の横の漬物樽にコイノボリを4旒か5旒入れつぱなしにして十数年、今日フタを開けてみたら、全く汚れてをらずカビも生えてゐなかつた。フタには重しをしてあつたので吹き曝しの中、雨水も全く入つてゐなかつた。明日にでも泳がせやうと思へば問題なく揚げらる完璧な状態だつた(でも残念ながら柱が無い)。
この付近には、罠のワイヤーをつなぐ木が無いので、以前様子見で餌を撒いたことあるが、くくり罠は一度も設置したことがない、ここに新たに罠を仕掛けることにした。
この場所から数メートル離れたところに、ワイヤーダイポール(無線のアンテナ)を張るための支柱の残骸がある、ここだと罠の設置場所には少し離れてゐるので、このアンテナの支柱に使つてあつたパイプを抜いてい、罠用に移設するために、今日、抜去作業をしたが、これがなかなか大変で、今日は完了しなかつた。
埋め込んである単管パイプを抜くのが大変で、最初はハンドウインチで抜かうとしたが、ビクともしないので諦めてレバーホイストを使つて抜かうとしたが、ようやく1本抜いたところでギブアップ、今日は時間切れで終はり。
輕トラッククレーンで抜けば抜けるかもしれない、明日試してみやう。
そんなこんなで今日は薪作り作業は全く無しで終つた。
小生はコストダウンの手段として電話の二台持ちをしてゐる、ガラケータイプのものとスマホである、通常はガラケータイプの電話で足りるので、電話もこちらの方の番号で掛けたり掛けられたり。スマホの方の番号では普段は使わないから他人にあまり知られてゐない。今日その普段あまり使わないスマホの呼び出し音が鳴つてゐた0800-300-0959。番号を見ると0800で始まる、080と0800とは後に続く番号の切り方で違ふだけだらうから、080と同じだらう、最近海外からのワンギリで詐欺電話があるが、この080は普通にある携帯番号だからオカシクないから出やうと思つたが、かかつてくるはずが無いから結局でなかつたが、ネットでこの番号を調べてみたところ、特殊詐欺の番号だとあつた、取つたらバカ高い料金を取られるものでも無いと思ふから出てみたら良かつたと後から思つた、次から次に悪いやつは居るものだ。それにしてもネットでこの番号を調べると、ちゃんと情報が載ってゐるのはスゴイ。
令和 7年1月20日(月) 大寒
昨日と同じやうな天気だつたが日中の気温が昨日より少し低かつた。
最低気温 -2.2℃ (05:11)、最高気温 9.4℃ (13:03)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
阿蘇五岳3
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9
下校時 写真1・写真2・写真3
今日も薪作り、この部分が更地に戻つた、もう何日やつてるだらう、流石にちよつと腰に来つつある、パンパンである。
先日村のゴミの集積箱の蓋の溶接をしたが、今日は区長夫妻が婦唱夫随で箱本体の座りが悪いので直す作業をしておいでだつた。
令和 7年1月19日(日)
晴れ。昨日は汗ばむほど気温だつたが、今日は汗ばんでとうとう下着をぬいでしまつた。
最低気温 -2.4℃ (06:24)、最高気温 11.5℃ (14:38)
阿蘇五岳 朝気温がしつかり下がつた割には空は晴れてゐなかつた、日中もあまり山はよく見えなかつた。
今日も薪作りをした、もうムキになつて薪作りをしてゐるやうなもので、この際、薪小屋に入らなくなつても、最近の薪材を除いてこの際全部薪にして仕舞おうとしてゐる。
尾も白いねえ
令和 7年1月18日(土)
晴れ。いつものやうに朝は気温が低かつたが、その後、今の時期としては気温は爆上がり、風もなく日差しがあつて作業をしてゐると普段の冬の格好では汗ばむほどだつた。
最低気温 -4.3℃ (06:50)、最高気温 10.4℃ (13:41)
夕方近く、名前、彩雲でいいのか、空に虹色の雲が見えてゐた。
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
阿蘇五岳3
今日も終日薪作りをした。写真1・写真2
手法だけ民主主義を使つても中身がね。今頃になつて少し慌ててゐるやうだが、新聞は社会の木鐸ではなかつたのか、散々一緒になつて煽つてをいて・・・
令和 7年1月17日(金)
くもり。今日は寒さが緩んだ、それでも十分に気温は低いのだが、なんだか暖かい朝に感じた。
最低気温 0.3℃ (00:24)、最高気温 7.0℃ (12:01)
もうあれから30年も經つのか・・・・阪神・淡路大震災、今の若い人たちにとつては我々が関東大震災をイメージするように歴史の一コマのやうなものだらう。計算すると当時小生はもう50歳を越えてゐたのだ。
あの朝のことは今でも非常に鮮明に覚えてゐる、地震に遭つた記憶ではない。当時は東京までの通勤に時間がかかる茅ヶ崎に住んでいて、朝起き抜けに、地震が起きたと云ふニュースが流れて、まだその時は放送局も地震の大きさがわからず、テレビだつたと思ふがスタジオのアナウンサーが地震発生地に近い出勤前のNHKの局員に電話をして、地震の様子を訊いてゐたが、その局員は確か神戸に住んでゐる局員で、自分の家の周辺では大きな被害は出てゐないなどと答えてゐた、地震が局地的なものだつたのだらう、小生はそのあと二時間近くかけて会社に行つたところ、事務所の皆んながテレビに齧り付つゐてゐる、何事かと思つたら、空に幾筋も黒煙が眞つ直ぐ立ち昇つてゐる災害現場のシーンだつた、それから高速道路の橋桁が倒れたシーンもあつたりして、その時に初めて地震の大きさを知つた、当時はまだスマホなどといふ便利な道具の無い時代で、会社に行つて初めて地震の大きさを知つたのだつた。
地震が発生した日から後はまだ朝6時の本放送が流れる前の時間を使つて毎日毎日何ヶ月もの間、現地の交通機関の不通状況を伝える放送が流れて小生は毎日それを耳にしながら会社に行く準備をしてゐたので、当時アナウンサーが交通機関、多分地下鉄かなにかの電車の不通区間を伝えるなかで、「モンドヤクジン」といふ駅名を伝えて、そこから先は不通だつたかなにかの情報を伝えてゐた、それが毎日毎日のことなので、他にもたくさんの駅名を伝えてゐたのだらうが、今でもモノドヤクジンと云ふ珍しい駅名がどう書くのかも知らずに頭に残つてゐる、小生は阪神淡路大震災と聞くと条件反射的にモンドヤクジンといふ言葉が浮かんでくるのである。
阿蘇五岳
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5
朝一番で、宇治歯科に虫歯の治療に行つてきた。前回のメンテナンスのときに二箇所虫歯が見つかつて、今日はそのうちの一つの穴埋めをしてきた。次回もう一箇所治療をすることになつてゐる。3ヶ月毎に歯のメンテをしてゐるのだからそのときに見つからないのかちよっと納得がいかない面もある。
ボンに月に一回のいくつかの寄生虫予防薬を飮ませた、また忘れて一日遅れた。
午前中は仕事にならなかつたので昼から薪作りをしたが、今日は朝からではなかつたのであまり力が入らずに適当に流して終えた。
令和 7年1月16日(木)
くもり。気温が低くて日照がなくて風が強い、これが一番寒い、今日はそんな天気だつた。
最低気温 -6.2℃ (04:40)、最高気温 1.7℃ (11:09)
阿蘇五岳
登校時 定点撮影 その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
今日も薪作りをしたが、昼前ころから、溶接作業をしたので、せつかくの焚き火は朝火を点けて時々薪を補給するだけで、全くあたる時間が無かつた。
先日の初寄りで、村のゴミの集積場所のフタが壊れてゐてその修理を小生が引き上けることになつたのできょうその作業をした。
溶接の難易度は母材が細くて電流に注意をするくらいで小生でも問題なくできるレベルの作業なのだが、今日はとにかく寒くて、特に作業をする場所の風当たりが強くて楽しみながら溶接をするといふコンディションでは無かった。
それに、またドジを踏んで、ハンドグラインダーのコードを巻き込んで切断してしまつた、この復旧作業で30分くらいのロスを生じた。
溶接作業自体は時間はかからないのだが、作業後ワクにネットを張るについて結束バンド(インシュロック)をたくさん使つて留めていくのだが、指先がかじかんで思うやうに留められずエライ時間が掛かつてしまつた。
子どもたちの下校見守りを間に挟んで、4時過ぎに作業が終わつて、ゴミ箱にセットして今回の作業を終了した。体の芯まで冷えた。
写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
暮れに今冬はハクサイが高いなあと思つたが、今年はキャベツも非常に高い、秋にコメが高くなつてそれに連動して野菜類は全部高くなつたのか、農家の強気なのかとさえ思つたが、野菜類は気候の変動に大きく影響されるので収穫すると損をするほど穫れすぎることもあるから生産者は大変だ、野菜類、安くて当然だと思ふのが消費者のわがままで、作る方の苦労を全然理解してゐない、小生なんか、野菜作りが大変でもう今は作らないが、以前苦労して作った農作物を売るとしたら一個あたりの売値はこんなものなのかとその苦労に比べて安いのに驚いた、これじゃあ生産意欲も削がれるなあと思ったものである。
野菜が高い高いと云つても、外でつまらないことに「浪費」する値段に比べたら一度に大量に食べるものでもなし、野菜は安くて当然だといふ考え自体を変えなければならないのではと、自分ではやらないが農村に住んでゐて思ふのである。
令和 7年1月15日(水)
小雨のち曇り。
最低気温 -1.6℃ (但し19:42時点、降下中)、最高気温 6.1℃ ℃ (03:49)
昨夜は睡眠時間約9時間、よく寝たなあ、普段は寝て5~6時間程度なのに。
7時ころ、そろそろ見守りに出かける準備をしやうかとカーテンを開けて外を見るとまだ真つ暗だ、もう20 分もすれば子どもたちが歩き始めるが明るくなるのだらうかと少し心配になるほどだつた、登校時間になつても阿蘇谷は薄暗くて、弱い光を小生の安カメラは捉えきれなかつた、冬至を過ぎて日は伸びてゐるはずなのに、天気が悪いので今朝は薄暗かつた。
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
下校時 民児協の定例会出席のために時間が重なり立つこと能わず。
午後三時から阿蘇プラザホテルで、民児協の全体定例会があつた。その後、引き続いて意見交換会、新年会が行われた。
あの国は実にヘンな国だねえ、あの国の◯度、130年ほど前の宮廷闘争、閔妃・大院君の頃と全く変わつてゐない、歴史は本当に面白い、あの時は日本が関わつてしまつたが、これからは非韓三原則で関わらず関わらずで行つた方がいいのにゲル総理はまた余計なことをしなければいいが。
令和 7年1月14日(火)
曇り、日中は気温が高かつたやうだが、日照がほとんど無くて全然暖かくは無かつた。
最低気温 -3.1℃ (05:34)、最高気温 8.9℃ (12:41)
昨夜、9時半近くだつたか、小生はもう深い眠りの中にあつたのだが、枕元のスマホから地震が来ますといつた緊急地震速報が流れて目が覺めた、ウン?来ないじゃないかと思つてゐるところに、気分的にはだいぶん経つて横揺れが来た気がする。
揺れが緊急地震速報から直ぐでは無かつたうえ縦揺れではないので、遠いな、どこだらうと思つて声を掛けたら、階下から震度4!と云ふ声が聞こえた、家の者はまだ起きてる時間だ、ここはそんなに無いだらう、場所は?と訊くと、太郎が、「日」と云ふ漢字と「向かう」と云ふ漢字でなんて読むの?と云つてゐる、日向だ、と云つて、起きてスマホでニュースをみたらほぼ九州全域が震度4を示してゐた、友人親戚などから安否確認のメールなどが入つたが、宮崎県の日向灘あたりが震源だつたやうだ、地震の発生場所によつてこんなに広範囲に揺れるものなんだなあと思つた。熊本地震を経験してゐるので、この程度の揺れでは驚かなくなつてゐるが時々泰平の眠りを覚ます地震が来ることで、そのうちに南海トラフの大地震が来るのだぞ、備えを怠るなといふ警告をしてくれてゐるやうな地震であつた。それにしても緊急地震速報といふものは揺れに対して身構える時間を与えてくれるので有り難い仕組みだと思ふ、この仕組みは小生がいつも文句をつけてゐる気象庁のものなのか、ウンこれは良い。熊本地震の時は震源が近すぎて緊急地震速報より早く揺れが来た記憶がある、地震が発生する前に教えてくれるともつと良いがそれは土台無理だな。
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5
だいぶん前からシャワーの水圧が減つて且つ温度コントロールが不安定な状態が續いてゐた、小生は原因は分かつてゐたが面倒なので放つてをいたところ、家の者が給湯装置の源泉にあたる部分のお湯の温度を勝手に上げてしまつた、これは知らないでゐるとヘタをすると火傷をする危険な行為である、そこで今日具合の悪いところを直した。
これは給湯装置そのもの問題でなくて、シャワーの湯温などの調整する部分のフィルターにゴミが詰まつて水の通り具合が悪くなつて、サーモスタットが正しく作動しないからである。
湯と水の混合水栓のうち、湯は給湯器を通つてくる関係で厳密にフィルターを通るのでゴミが詰まることは先ず無いのだが、水道水の方は簡易水道で水質は天然水なのだが天然には細かなゴミも混じることになり、フィルターに溜まつて目詰まりを起こすのである、水道からカエルが出てくると云ふ冗談もあるくらいである。
もう何年も前になるが、敷地内の水道管が熊本地震で壊れて小生が掘り返して修理をしたことがあるが、それまでは水道管が老朽化して普段でも砂などのゴミは多く混じつて、頻繁にフィルターを掃除してゐた時代があつたのだが、水道管を修理してからは砂が溜まるやうなかとは無くなつてゐたが、それでも長い間には少しずつ水に混じつたゴミなどでフィルターの目詰まりを起こすやうになつたのだらう。
随分久しぶりにフィルターを掃除して、水量たつぷり安定した温水シャワーが戻つてきた。20年以上も經つと風呂場も汚くなるものだ。
今日も薪作りをした、随分貯木場がスッキリしてきた。
写真1・写真2・写真3
令和 7年1月13日(月) 成人の日
くもり
最低気温 -2.6℃ (05:46)、最高気温 5.7℃ (14:24)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
今朝は体調がいいので、別に普段も悪くはないのだが、ここのところ体力仕事をしてゐてすこぶる体調がいいので、普段の散歩道を折り返さずにずつと先まで歩いて福原集落を経由して一回りしてきた。
古閑の滝が連日の低温で氷結が見事なので今年も古閑の滝観光組合は例年のやうに観光客の受入れ活動はやってゐるのだらうかと思って、散歩から帰ってから後から行つてみたら、駐車場の整理などは行われてゐた、担当の人は小生の知らない人だつたのであまり詳しくは話を訊かなかったが、茶店の営業はやってゐないやうだつた。
三連休だつたが、さうか今日は、今年は成人の日だつたか、単に三連休としてしか頭に無かつた。市では式典をやつたのだらうか、成人は18歳からになつたが多くの自治体で20歳で式典をするところが多いが18歳では式典はしないのだらうか、現在我が家に適齢の子がゐないのでそのあたりの情報が無い。
古閑の滝の様子を見に行つた時、坂梨公民館に成人の日を祝つて日の丸が掲揚してあつた。
昔は成人の日の1月15日に社会人と大学ラグビーの覇者との対抗試合が行われてスタンドには成人式帰りの振袖姿が多く見られたと記憶するが、今はもうその試合も無く、今年は13日の成人の日に大学ラグビーのフィナーレ、大学選手権が行われた、今年は国立競技場でなくて秩父宮ラグビー場で行われた。帝京対早稲田、帝京が一枚上手だつた、対抗戦では早稲田の方が強かったのだがわからないものである、面白い試合だつた。
今日もノンビリ薪作りをした。
令和 7年1月12日(日)
くもり
最低気温 -1.6℃ (01:29)、最高気温 3.3℃ (11:29)
天気予報を聞いてゐるとよく、上空1500mに強い寒気が流れ込み、などと云ふ、阿蘇山上空1500m付近に云々といふ放送もよく聞く、この1500m上空の気温が気象上ひとつのポイントになるやうである。
阿蘇山上空1500m、はよく分からない表現で、阿蘇山頂から計つてそこから1500m上空ともとれるので、以前NHKに訊いたことがある、阿蘇山上空1500mとは海抜1500mの阿蘇山上空付近だといふことだつた、阿蘇山の標高は1500mチョイなので、阿蘇山上空1500mとはつまるところ、阿蘇山頂付近の気温といふことになる、それなら何もそんな回りくど云ひ方などせずに最初から阿蘇山頂付近と云へば良いではないかと思つたものである。
以上は前振りだが、テレビは観ないし、ラジオもあまり聽かないがそれでも昨日から今日にかけて九州で大雪が大雪がとNHK(ということは気象庁といふことだが)が騒ぎまくつてゐたのが耳に入つてゐたが、それで当地はともかくもどこか九州で雪が降つたところあつたのか、当地は昼ころ雪と云ふには恥ずかしいくらいほんの少し舞つたくらいで、今回も狼が来たぞだつた、そして大げさに予報して、結果何も起らなかつた場合、起きなくて良かつたね済ませる、いつもいい加減な予報ばかり出されると本当に腹が立つてくる。
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
"初寄り"があつた、当地では、当地だけでなくかなり広範囲にわたつてだと思ふが、年始早々、各地域で初寄りと云ふ"村の総会"が行われる、このときに区長を始めとしていろいろな役決めや大事な行事などを決める。
今年は役員改選の年では無かつたやうで、シャンシャン総会で短時間で終わつて、あとは、食事会をして懇談をして散開した。
写真1・写真2
昨日の労働、作つた薪を屈んで抱えて持ち上げて運ぶ、車に乗せる、そして運んだ先でその反対の動作を何度も何度もする、腰に来さうだが、來なかつた、翌日に疲勞を持ち越さなかつた。
令和 7年1月11日(土)
今日も朝の気温は結構下がつた、風が無かつたので寒さは感じなかつた、焚き火を始めたときに気温を見たら氷点下5℃を指していたが、寒くなかつた。
最低気温 -6.3℃ (05:29)、最高気温 2.2℃ (14:27)
朝から夕方までずつと薪を作つた、転がしてきて抱えて切つて割つてそれをまた軽トラックに積んでそしてそれを下ろす。
写真1・写真2
作つた薪を一旦薪小屋に運ぶと二度手間になるので全部ベランダに下ろした、すごい量である、何日分あるだらうか、一週間くらいあるだらうか。
結構な量なので自分で云ふのもなんだがすごい運動量である、それをこなす体力がまだある、小生がここに住み始めた2001年、お向かいの昭元さんが一人で山に入つて木を切つてそれをトラックに積んで帰つて来る、高齢者なのにスゴイなあと思つてゐたが、氏は今になつて改めて計算すると今の小生より5年ほど若かつたことになる、小生はトラッククレーンや林内作業車は扱わないが、それらは機械がやることなので本人の体力とは関係がない、つまり、今の小生は当時の昭元さん以上に動けると云ふことなのである、このあとどのくらい動けるかだが。
今日は鏡開き、日中は一人だつたので、昼飯は汁粉を作つて焚き火にあたりながら食べた。
令和 7年1月10日(金)
晴れ時々くもり
夜明けとともに外を見ると薄つすらと白くなつてゐた、日本海側の大雪地帯と違つて予報では脅かされたが、薄つすらだつた(尤も最初から信用はしてゐなかつたが)。
今日は真冬日だつた、一度も気温が0℃を越えることはなかつた、気温もさることながら、朝は風がなくて気持ちが良かつたのだが、そのあと風が出て外に出るととにかく寒かつた、何人かの人と行き合って、挨拶は風が冷たいですねえ、だつた。
(我が家に居付いたノラ)猫どもも普段は別々なのだが今朝は一つの箱に三匹入つてお互いの体温で暖め合つてゐた(現在もう一匹ゐるが、コイツは独立心が強くて単独行動が多い)。
最高気温 -0.2℃ (13:59)、最低気温 -7.1℃ (07:48)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
山の表情 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5
小生はチェンは持つてゐるがスタッドレスタイヤは履いてゐない、四駆なので普通タイヤで見守り地点まで行つたが全く雪の影響は無かつた、その程度の積雪だつた。
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7・写真8・写真9・写真10・写真11・写真12・写真13
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4
外作業のコンディションではなかつたので、繕いものをした、ミシンの調子が悪いので手縫いでズボンの裾上げをした。
令和 7年1月9日(木)
昨日からしつこいほど当地方にも雪が降るぞ大雪が降るぞとラジオなんかで云つてゐたが、一体何処に降るのか、全然降らないぞ。マスコミなんか責任を取らなくていいので毎度毎度実にいい加減である。
今日は寒かつたなあ、気温はそれほど低くないのにとにかく風が冷たかつた。
最低気温 -1.2℃ (但し17:39時点、明朝は-7℃の予報)、最高気温 2.4℃ (02:28)
朝6時半ころいきなり(計画停電は別にして停電はいきなりが当たり前だが)二度にわたつて停電、昨日からの雪の注意報で電線が雪の重みで、などといふことは全く無い、そもそも雪が降つてないのだから。写真1・写真2
そんなわけで原因は不明だが停電は直ぐに復旧したが、今度はインターネットがつながらない。
PCなどをリセットしてみたが直らない、頭の中に、停電があつたばかりなので胴元のシステムの障害かもしれないと思つて、小生のメインPCからグローバルIPに向けてpingを打つてみたが届かない、この場合、胴元(プロバイダー)の障害の場合と宅内回線の障害で胴元まで信号が届いてゐない場合とが考えられるのだが、小生はプロバイダーの障害だとばかり決め込んでゐた。
いくつかのハブを経由してメインPCにつながってゐるので、とにかくプロバイダー側が生きてるのかどうかを確認するために、長いLANケーブルを見つけ出して、ルーターとPCを直接繋いだところ、プロバイダー側は正常だと分かつた。
つまり、ルーターからタコ足でいくつかハブを経由してつないであるので、一つずつ確認したところ、ハブの一つのLANケーブルが抜けかけてゐることがわかつて、ようやく復旧した。
後から考えて見たら、屋内でスマホや携帯はWiFiで繋いでゐるので、それらから確認をすればプロバイダーの確認は簡単だつたのに最近あまりこの手の作業はしてゐないので、頭がだいぶん錆びついてゐた。
最近小生のカメラが壊れかけてゐて時々写らない、今朝なんか殆んど撮れなかつた。
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6・写真7
令和 7年1月8日(水)
くもり、時々雪がチラつく。ここのところ日本海側に大雪降つてをり、当地にも明日の明け方から明後日にかけてかけて大雪の注意が出されているが降るかなあ。
最低気温 -0.4℃ (01:19)、最高気温 4.9℃ (13:35)
阿蘇五岳
今日から小中学校は三学期が始まった、小生の見守りも再開した。
登校時 定点撮影・その他写真1・写真2・写真3・写真4・写真5・写真6
下校時 写真1・写真2・写真3・写真4・写真5
今日も朝から雪がチラついてゐたが雨ほど濡れることはないので、焚き火をして薪作り作業をした。
風が全く無く、雪が静かに舞い降りてくる天気の時は、気温は2℃くらいだつたが着込んでゐるせいもあつて全く寒くなく、それに焚き火の暖かさも加わつて気持ちが良かつた。
今日も作つたまま放置してあつた薪を、小屋に運び込んだ、今日運んだ薪は我が家のストーブ用としては少し小ぶりで昨日と同様にそんなに必要とする薪ではないがせつかく作つた薪なので、このまま放置すると雨に打たれて腐ることになるので雨のあたらない小屋に運んだ。
シート屋根の薪小屋の一部、作業スペースのために意識的に空けてあつたが、午前中いつぱいかけてここに運び込んだ。
午後からは、長い間埋もれてゐた木を表に引つ張り出して、このままではいずれ腐るので、これらも直ぐには使わないが、薪らしく割つて保管することにして準備を始めたが結構な量がある。
ここのところの薪の整備で、いままで乱雑化してゐた貯木場が随分と綺麗になつた。
令和 7年1月7日(火) 人日(七草)
今日は西暦1989年のこの日、昭和(64年)から平成に改元された日だ。
曇り、時々雪がちらつく、風があり、寒い一日だつた、そんなに気温が下がらなくても陽の差さないこんな日は寒い。明け方たの最低気温が低いことよりも日中の気温が上がらないのが寒さを感じさせる。
最低気温 -0.1℃ (07:02)、最高気温 4.6℃ (14:20)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
阿蘇五岳3
阿蘇五岳4
阿蘇五岳5
阿蘇五岳6
ここ数日、あまり天気が良くなくて薪作りの環境にないので、以前作つて地べたに放置してあつた薪を小屋に運び込んだ、あまり良い薪ではないのだが、だからと云つてずつと放置するのもなんだから、現在入つてゐる薪を外に出して直ぐに燃やす方に移して一旦空にしてから小屋に入れてをいた。
夜、七草粥の代わりに、毎年我が家恒例の献立だが、七草代わりに野菜を入れた味噌仕立てのおじやに餅を入れて食べた。手元にある野菜で、7種類以上の野菜を入れた。すずな、すずしろ、ここまでは古式に則つた野菜だが、以下、ハクサイ、サトイモ、ニンジン、シイタケ、マイタケ、ネギ、コマツナ、ゴボウ、以上で10種類、コンニャクも残つてゐたからついでに入れた、元はこんにゃく芋、野菜だ、これで11種だ、多すぎてバチが当たることもあるまい。。
令和 7年1月6日(月)
気温が高かつた、昨夜は雪でなくて雨だつた、一晩で10mmくらい降つた、朝には上がつたがその後も天気ははつきりせずに、終日曇り空だつた。
最低気温 2.9℃ (01:06)、最高気温 9.1℃ (13:56)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
大部分の会社や官庁など今日が今年の仕事始めだつたのだらう、どんな雰囲気だつたのだらう、もうすつかり忘れてしまつた。
今日のやうな天気の日は外で何も出來ず、屋内ではやることはあるのだが結局録り貯めてあつた、と云ふのは正確ではないか、別に録画してあつたわけではないので、見逃し配信サービスのラグビーを何本か観た、そのなかで特にD1第3節のサンゴリアスvsヴェルブリッツの試合、いやー最高に面白かつた。強豪の両者、今シーズンまだ勝がなく2敗同士、どうしても敗けられないこの一戦、80分を経過してもゲームが途切れず延々と死闘が続き、最終的に30対30で引き分けた。
令和 7年1月5日(日)
晴れ。
最低気温 -6.3℃ (06:55)、最高気温 7.6℃ (14:03)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
阿蘇五岳3
阿蘇五岳4
長い正月休みも今日まで、月曜日から始まる明日からのことを考えたら憂鬱の極みの人が多いことだらう、小生は長い休みの嬉しさも活動再開の憂鬱さも無縁の隠居暮らし、果たしてどちらが良いのだらう。でもカレンダーを見ると今週末はまた三連休だ、頑張れ労働者諸君!である。
夏子も明日から大学が始まるらしい、夕方近く遊学先に戻つていつた、今年から自前で移動できるやうになつたから受け入れ側としては楽である。太郎の方はもう少し休みが残つてゐるやうである。
何でも来年も、いや、今年の年末も確認したわけではないがまた今回と同じやうなカレンダーの配列で年末年始は9連休になるとどこかにあつたな、小生には関係がないが、第一生きてるかどうかも分からないし。
今夜遅く雨か雪らしい、大した量では無いと思ふが、今日も、少し薪を作つてをいた。
令和 7年1月4日(土)
放射冷却、熊本県下軒並み今季最低気温、だからと云つて特に寒いことはない。日中は少し雲が多かつた。
最低気温 -7.2℃ (07:28)、最高気温 4.8℃ (13:18)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
阿蘇五岳3
ここのところの毎日の日課、焚き火と薪作り、ようやく三四年積みつぱなしだつた薪材を全部片付けて久しぶりの更地になつた、晴天続きのせいもあるが今シーズンは乗つてゐる、この勢いで古い木を全部片付けやう。
写真1・写真2・写真3・写真4・写真5
令和 7年1月3日(金)
晴れ、昨日よりは少し雲が多かつたやうだ、それに風が冷たかつた、天気は下り坂なのだらうか。
最低気温 -4.6℃ (06:19)、最高気温 7.3℃ (15:15)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
阿蘇五岳3
阿蘇五岳4
今日も昨日同様、焚き火にあたりながら過ごした。正月早々働くものではないと云つたか?そんなことは無いだらう、元日はまあ分かるが二日ともなると初荷があるくらいだ、「怠け者の節供働き」といふ言葉はあるが、小生は普段から働いてゐるから正月早々薪割りをしても構わないだらう。でも静かな正月にエンジン音は遠慮した方が良ささうなので今日は電動チェンソーで薪を作つた。
屋外コンセントから30mくらい電工ドラムで電気を引いて、家から二番目に離れたもう三四年くらい積んであつた薪材を一山ほとんど全部切つた。少し腐つてゐるのがあつたが大部分は立派なものだつた。
昼食時、丁度駅伝をネット配信で見てゐたとき、最終10区先導の二台並んで走ってゐる白バイ隊二名の紹介をしてゐて、一人の時は聞いてゐなくて、もう一人の紹介をするときに、前の白バイ隊員の風貌がなんとなく女性のよう気がしたが紹介が終わつてゐたので確かめやうがなかつたのだが、ふと制服の前合わせをみたら、二人目の男性白バイ隊員と逆になつてゐるのに気がついた、これ、洋服のボタンは男女で左右逆だと記憶してゐたので、ネットで調べたら、不鮮明だが確かに白バイ隊の制服は男女で前合わせが違つてゐるが画像があつた。女性の白バイ隊の制服は赤つぽい制服だと思つてゐたが、今ではジェンダー何とかで男女同じ青色で、前合わせが違うのかと駅伝を見てゐて思つた、最近のファッションは男女兼用の場合が多いので今日はふと気がついたのであるが、あるいは最初から小生の見間違いだつたかもしれない。
ついでにあまり関係が無いが、今からもう4~50年くら昔になるだらうか、正月になると殆んどの車はフロントグリルのところに正月飾りを付けたものだが、年末に娘の運転で出かけたときにそのことを思ひ出したので、娘に話したところ全く話が通じなかった。それで、駐車場に止めてある車やすれ違う車を見ても一台も正月飾りを付けてゐる車はみなかつた。この風習はいつのころまであつたのだらうか、小生自身がいつの頃まで付けてゐていつの頃から付けなくなつたのか全く記憶に無い。
田舎は公共交通機関が発達してゐないから車は必需品である、都会よりも各家庭の車の保有率は高いだらう、この他にトラクターなんかもある、我が家の今の状況も夏子の車があるので周辺住宅と同じやうに車で溢れてゐる。都会では高齢者に免許返納を勸めるが、当地では高齢者講習なんかでどうぞ安全にいつまでも元気で乗つてくださいと云つてくれる、90歳越えのドライバーも珍しくない。
令和 7年1月2日(木)
一点の曇りもない最高の晴れになつた。
最低気温 -3.3℃ (01:01)、最高気温 10.5℃ (13:34)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
阿蘇五岳3
阿蘇五岳4
今日は適度に風があったので我が日章旗は青空に翩翻と翻つてゐた。
最高にノンビリした正月だ、頭の中を空つぽにして、穏やかな天気の下、焚き火に当たりながら、箱根駅伝をラジオで聽き、和文モールの受信練習をして、ハンディー無線機でQSOパーティーをワッチして、コーヒーを淹れて、時々、思い出したやうに薪材をひつくり返したりして終日外で過ごした、昼には弁当を作ってもらつて、子どもたちも一緒に焚き火の周りで昼食を摂つた。
竹藪の奥に山積みになつて埋もれてゐた薪材を引つ張り出して、太陽にあてた。正確にいふと、竹藪の中に積んだのではなくて、積んだ後になつて竹が生えてきてその竹に隠れるやうに埋もれたのである、中には腐つた木もあるので、それらは焚き火の材料になる。
箱根駅伝はWiFiが届くから、外でも映像で観られるのだが、それなら最初から屋内で觀れば良いのであつて何も外で映像で觀るまでのことはないから耳だけ中継に注意を払えばよいのだ。向こうに長年住んでゐたので、駅伝のコースは全部わかつてゐて、放送で走つてゐる場所の実況中継が流れるときにはその周辺の景色はハッキリ記憶にあるから、ラジオで十分なのである。
QSOパーティはもうやめて6年くらいになるか、12年先まで生きてゐる自信が無かつたので、もう三回目の十二支達成挑戦はやめたが、久しぶりにワッチだけした。以前は2日3日の二日間だけの実施だつたが、今は一週間くらい開催期間があるのではないだらうか、アマチュア無線の衰退と過疎地のせいもあつて、しかもハンディ機だつたので、2mで三局ほどが "ハローCQ、QSOパーティ”と呼んでゐたが、小生はサービスもすることなくワッチだけしてゐた。
令和 7年 1月 1日(水) 元日
ホレ
令和乙巳年が始まつた、令和も7年目に入つた、明治は45年まであつた、大正は15年だ、昭和は64年までだつた、大正まではしつかりと頭に入つてゐたが、昭和が何年間だつたかは知らなかつたが、数年前に『64(ロクヨン)』といふ横山秀夫の推理小説を読んで、以來、ああ、昭和は64年まであつたのだ、とそれから忘れること無く覚えることが出來た、そして「平成」は何年まであつたのか、これが全く知らない、そして令和。なんでも今年2025年は昭和100年なのださうだ、昔、明治100年といふ言葉はよく聞いたが、昭和100年か、まさに月日は百代の過客である、
穏やかな年明けだつた、気温もしつかり下がつた。
最低気温 -5.6℃ (06:46)、最高気温 10.2℃ (14:26)
阿蘇五岳1
阿蘇五岳2
阿蘇五岳3
阿蘇五岳4
阿蘇五岳5
このあたりの人は初日の出を拝みに外輪に登る人が多いやうだが、小生は、普段毎日こどもたちの見守りをする場所で初日の出を拝んだ。阿蘇谷は盆地なので、外輪上から見るよりはるかに遅れて日が昇る、午前8時少し前に、滝室坂を越えて今年最初の朝日が差し込んできた。阿蘇の山並み赤々と照らして今日も滝室の峠に朝の日が昇る、旧坂梨小学校の校歌である、山口白陽作詞である、白陽はたくさんの校歌を作詞してゐるが、坂梨の生まれ、坂梨小卒である、子供の頃から眺めてゐた風景なのだらう、しつかり観察してある。
朝一番で暮れに縫製した国旗を掲揚した、あまり穏やかな天気だといふのも考えものである、旗が翩翻と翻らない、少しくらい風があつたはうが良い。
ちよつと用足に外を走つてみたが、年の初めだといふのに周辺地域、何処にも国旗が揚がつてない、坂梨公民館は旗日には国旗を掲揚することになつてゐると聞いたが揚がつてゐなかつた、ならばと思つてぐるりと周つてみたが、市役所はおろか小中学校も、沿道の商店街、民家のどこにも見た限りでは揚がつてゐなかつた、もしかしたら阿蘇で国旗を掲揚してゐるのは我が家だけかもしれない、「日本」はどこに行つたのだと、妙に気になつて、午後から改めて周辺を走つてみた、坂梨宿場通りに二軒だけ国旗がかげられてゐた、この風景を見てなんだかホッとした。そこで考えた、多分今の人たちには昔風に云へば三大節や四大節、五大節 、今風には祝祭日に門ごとに国旗を掲げる風習は忘れたのではなくて無いのだらう、そもそも各家には国旗そのものがもう無いのだらう。玄関先にしめ飾りはぶら下げても国旗を掲げる風習は忘れたのではなくて完全に無くなつてゐるのだらうといふ結論に達した。
小生の右翼仲間、でなくて、正統保守主義者仲間、由緒正しき日本人、茅ヶ崎の寺さんの家には節目の日には必ず国旗が立てられてゐた記憶があつたから試しに訊いてみたら今年もちゃんと掲げられてゐた、氏も小生と同年のジジイではある。
といふわけで、新しい年が始まつたが、来年また同じ文言を並べられるかどうかは、多分大丈夫だと思ふがもうこの歳になると本当にわからないのであるがそれでいいのだ、過客なのだ。
このページ先頭へ 風師庵日記目次へ