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(2024)令和甲辰 6年 4月の記録 (旧い日付けの順) (今月より従来通り新しい日付が上に来るやうに戻した)

令和 6年 4月30日 (火)

 雨のち曇り。
  最低気温 18.3℃(18:13)、最高気温 20.8℃ (15:08)

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3

 横浜JTQの四十雀の抱卵のライブカメラ、今朝見ると、雛が孵つてゐた、確か卵が11個あつたと思ふが、今朝の段階ではあと一個がまだ還ってゐなかった。親鳥がエサを運んで与えてゐた、あんな小さな巣に十羽もゐて押し合ひ圧し合いで、どんどん大きくなるので大変だ。

wikipediaを開くと寄付依頼の画面が出た、いつも世話になつてゐるので、最低額の300円を寄付したところ、自動返信礼状が届いた


令和 6年 4月29日 (月) 昭和の日

 いつから降つてゐたのだらう、夜中からだらうか、夜が明けた時は降つてゐた、ずつと降つてゐたが、午後に入つて大分經つてからようやく上つた、上つたのを見て、ボンの散歩に行つた。
  最低気温 17.5℃ (01:24)、最高気温 21.8℃ (15:50)

 我が家の前の田んぼに水が入り、例年のごとく我が家が水に浮かんだ。豆札のモン・サン・ミシェルだ。

 昼前に、久しぶりにオーチャードハウスにお邪魔した、もしかしら、謹賀新年になるかもしれない、今年初めてだつたかもしれない。

 週末は数試合リーグワンの試合がある、リアルタイムで見ると、中座が来ないので、小生は後からゆつくり録画で見る、JSportsは見逃し配信があるからリアルタイムで觀なくてもよい。プロ野球やサッカーのように知りたくなくてもラジオのニュースで試合結果が流れてくることはないから、あとから見てもリアルタイムで見ても同じだ。

 リーグワンのチームで九州のチームは九州電力のキューデンヴォルテクスだけだから、小生はこのチームだけは勝ち負けに拘る、このチームはD2に属してゐる。去年D3から昇格したチームだが、今シーズンは6チーム中5位で終了した。

 リーグワンにはD1からD3まであつて、シーズンの終わりに、入れ替え戦があり、D2では上位のチームはD1の下位チームと入れ替え戦をして、D2の下位チームはD3の上位と入れ替え戦をする。

 詳しく書くともう少し複雑であるが、今日見た昨日の試合の録画、九州電力キューデンヴォルテクス vs. 日本製鉄釜石SW。 釜石が敗けてこれで二敗となり最下位が決定した、九州電力はD2残留が決まつた、応援するチームがあると単に試合を楽しむだけでなくて余計な神経を使うことになるが、まあ、それはそれで楽しいのだが。

 日本製鉄釜石SWは昔は新日鉄釜石で7連覇するほど強いチームだつた。今は日本製鉄がメインだが地域型クラブチームになつてゐる。

 それから九州電力キューデンヴォルテクス は積極的に九州出身者を採用してゐるやうで、九州各地から選手が集まつてゐる。
 バックスの山田章仁と荒牧祐輔の二人は小生の高校の後輩になる、受験校の高校からリーグワンの選手が出てゐるから面白い。山田は日本代表だつたし、リーグで通算100トライを記録してゐる名選手である。



令和 6年 4月28日 (日)

 晴れ
  最低気温 15.0℃ (05:12)、最高気温 24.0℃ (14:03)

 阿蘇五岳 有明の月
 阿蘇五岳 
 火口の噴煙・・これで噴火警戒レベルは1なのか?

 田んぼの水、大分入つた

 昨夜、カミさん、夏子のところに行く。昨日はバスケの試合があり、終了後、打ち上げでジョイフルに仲間たちと行つた太郎を終わつて迎えに行つた関係で、小生は寝てゐたから知らないが、カミさん、多分、家を11時過ぎに九州道経由で行つたらしくて、途中、広川SAで仮眠をとつたさうで、今朝になつて、これから夏子のところに向かうとLINEが入つた。


令和 6年 4月27日 (土)

 夜中に降つてゐた雨、午前中には上がる、曇の一日。
  最低気温 14.9℃ (01:43)、最高気温 21.1℃ (12:39)

 今日の阿蘇五岳 山が雲に隠れ外輪のやうだつた。

 今日から世間は大型連休なんだなあ、田舎に居ると世間の様子が分からない、図書館に行つたときに国道を走つたらいつもよりは車の数が多かつた、でもまだ始まつたばかりだから、それほどでも無かつた。

 朝食時、マヨネーズを切らしたことに気がついた、休日はパン食でマヨネーズが欲しい。
 買い置きが無かつたので自作した。ネットで調べたら、レシピは色々あるが、一番シンプルなやつを選んだ。
 サラダ油 80g  卵黄一個  酢大さじ1/2  塩小さじ 1/4 ハチミツ小さじ1
 油以外を一緒に泡立て器で2分ほど撹拌して、油を三回に分けて一分間隔で撹拌して作る。

 食べ慣れたキューピーと大分味は違うが立派にマヨネーズが出來た。市販のマヨネーズにはいろいろな香辛料が入ってゐるのだらう。
 材料を計量カップやスプーンで測るが、カップの目盛は体積表示で、サラダ油80gにちよつと戸惑つたが油の比重は大体0.9くらいださうだから、80/0.9でお凡そ90CCの目盛に合わせたらいい。

 週末はラグビーのネット観戦だ。


令和 6年 4月26日 (金)

 基本的に曇り空だつた、昼過ぎに少し降つた。
  最低気温 11.1℃ (03:49)、最高気温 19.3℃ (11:46)

 今朝の阿蘇五岳
  阿蘇中岳噴火警戒レベルが1に引き下げられた、(この時期に・・・多分に大型連休を意識した引き下げに違いない)。

 我が家に隣接する田に水が入り始めた、今年もそろそろ田植えが始まる。

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3写真4写真5
 家庭訪問週間で昼過ぎの下校時間のころに雨が降り始めた。下校の子どもたちのなかに傘を持つてゐない子がゐたので、車に積んである予備の傘を貸そうか、と云つたら、ヘイキ、ヘイキと傘なしで歩いて帰つた、その程度の弱い雨だつた。

 小生、サッカーにはほとんど興味は無いけれど、U23アジアカップ、昨日今日の準々決勝二試合、これは「メシウマ」だな。

 近年、キラキラネームが流行つてゐるが、人名だけでなくて、銀行にも・・・「きらぼし銀行」と云ふ名前の銀行があるのかあ(これはキラキラネームじゃなかもしれないが)、この銀行がらみのニュースで知つた、小生はもう経済社会から20年以上縁が切れてるからなあ。

 草刈りをしやうと道具を取りに作業小屋に入つたところ、昨夜のうちにイノシシの餌の米ぬかの袋が開けられて中身が散乱してゐた、それから、ハチの巣の欠片(誘引剤を作ろうと思つてゐる)を入れた籠も中身が同様に散乱してゐた、これで作業開始が30-分ほど遅れた。多分、猫どもの仕業だらう、我が家の(居付いてゐる)猫が4匹、それに、外からやつてくる猫どものどれかだらう。

 もう20年近く使わずに外に置いてあつたコンテナー、外は汚れまくつてゐるが中はきれいなので、洗つて、これからしばらくは使わない薪小屋に置いてそのなかに米ぬかを入れた。

 今日は貯木場になつた裏の畑の草を刈つた。2タンク分を刈つて終わつた、あと 1/3くらい残つてゐる。

 ネコ(だと思ふ)が荒らした竹林の蜂の巣箱、正常なハチの動きをしてゐる、時々、花粉も抱えて帰つて来るからもう大丈夫だ。

 最近、カミさんが、家の中にネズミが居るやうで時々ガリガリ齧る音がする、といふので、昔買つて使つたことが無かつたネズミ捕りを仕掛けたところ、いつの間にかエサが無くなつてゐた、このネズミ捕りは「箱罠」で小生が取つた狩猟免許の試験でも、これよりは大きいな箱罠の操作が出題された。昔買つたときにはそのやうな知識など無かつた。
 もちろんネズミ捕獲に免許不要だが、狩猟鳥獣捕獲でもこの手の罠は使ふ。
 改めてエサをぶら下げて、隅の方へ設置した、今まではネズミホイホイを仕掛けたことがある。。



令和 6年 4月25日 (木)

 非常にいい天気になつた。
  最低気温 6.7℃ (05:34)、最高気温 24.2℃ (15:07)

 朝の阿蘇五岳

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11写真12写真13写真14

 下校時 写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 今日の登校風景、自転車を押して登校する姿があつた、これは、毎年、新学期が始まると、学年ごとに自転車の安全点検が行われて、ついでに安全運転講習もある、今日は4年生の安全点検日だと云つてゐた。学年によつて自転車に乗つて良い行動範囲が決められてゐて、確か一年生は自宅内でのみしか乗れなかつたと思ふ、外で乗つても良い学年でも、登下校には自転車禁止なので、今朝も押して登校して行つた。

 朝のルーチンワークが終わつて、草刈りを始めた。

 刈払い機には主にギザギザの刃が付いた円盤(チップソー)で草を切る方法と、ナイロンコードをグルグル回して草をなで切るタイプのものとがある。それぞれ一長一短がある。

 今日はナイロンコードで草を切る方の刈払機で草刈りを始めたところ、暫くして、エンジンが空回りして、草を彅ぎ切る円盤が回らなくなつた。

 刈払機の仕組みは、エンジンの回転を、長いシャフトで先端に伝えて、そこで直角に曲がつた歯車で回転方向を変えて刈払機の歯を回すのだが、この直角に曲がつたベベルギア(傘歯車)が摩耗して、直角方向に回転が伝わらなくなつたのだ。以前にもこの部分の部品を中古で手当して直したことがある、この部分が一番壊れやすいのだらう。

 もう一台、同じタイプの刈払機(いずれも相当使い古したものだが)があつたので、先端部分のチップソーを外して、動かなくなった刈払機からナイロンコードのアタッチメントを取り外して付け替えて使おとしたが、その前に試しに回した時は動いたのに、イザ本本になつたらエンジンがかからない、これは長期間使つて無かつったやつだ、またキャブレターの分解掃除をしなければならない。

 そこで、エンジンがかからない刈払い機を分解して、ベベルギアだけ外して最初の空転する刈払い機に付け替えてとりあえずは午前中の草刈りはした。
 

 楽しみで直すのであれば、コスト計算はしないで買うかもしれないが、中古でおそらく歯車もかなり減つてゐるはずだが、どれもこれも大体4K前後する。そのくらい出せば、中古の刈払機がそつくり買えてしまふ値段だ

 今回の刈払機、かれこれもう20年近く使つてゐる。その昔、ホームセンターで目玉商品と云ふ一番の廉価版で売つてゐたやつだ。エンジンも何度もオーバーホールしてもういい加減に廃棄をしても良い代物だ。十分に働いた、そろそろ引退かな。
写真1写真2写真3写真4

 今日は修理に時間がかかったのであまり広範囲には刈れなかつた、竹林の方に通じるところと、前の畑の丈の高い草の上部分だけ、ざつと刈つた、この場所にはレンゲが咲くことになつてゐるので短く刈りたくないのだ。

 そのレンゲソウ、今のところホンの二三株しか姿を見せてゐない、そのかわり、畑一面、小さな野草でいつぱいだ。去年はあまり見なかつたと思ふが、ネットで調べたら、アメリカフウロといふ花のやうだ、初めて知つた。
  外来種にしては、可憐な花だが、繁殖力が強いのだらう、このあとレンゲは咲くだらうか。
 
 これ、ルリシジミだらうか

 和シャクナゲが沢山花をつけてゐる、洋シャクナゲより、控えめで華やかすぎずなかなか良い、人間も含めて大体において「和種」のほうが控えめで良い。



令和 6年 4月24日 (水)

 曇りのち午後には晴れる。
  最低気温 15.9℃ (18:36)、最高気温 19.1℃ (12:51)

 昼ころの阿蘇五岳 こゝに来て急速に草原の緑が濃くなつてきた

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2
 民児協の総会のあと、懇親会までの間にかなりの待ち時間があつたので、一旦家に帰る途中、今日は下校時の見守りは駄目だらうと思つてゐたのだが丁度下校時と重なtu
 たので、いつも場所とは少し違ふが、見守りが出來た。

 今日は午後二時から民児協の新年度総会と続ゐて意見交換会(懇親会のやうなもの)がホテルサンクラウンで行われたのだ。

 午前中は、1月から3月分までの溜まつたゐた民児協の活動報告書を書いた、大した活動をしてゐるわけでもないが、三月分も溜めると結構大變で午前中いつぱいかかつた。

 竹林の巣箱の扉が開いてゐて、中の巣が大分掻き出されて散乱してゐた、何者の仕業だ、数日前にも梅の木の下の巣箱が二日続けてやはり扉が開いて、こちらの方も巣が少し掻き出されてゐた。

 二つとも扉に施錠はしてなく開ければ簡単に開く、でもハチの力では絶対に開かない重さだから、特にカギは替えてゐなかった。

 梅の木の下の巣箱はその後、針金で縛つて開かないやうにしてをいたが、竹林の方の扉は、こちらは離れてゐるので大丈夫だらうとカギを付けてゐなかつた、今日見るとその巣箱までやられてゐた。

 イノシシはミツバチの巣は関心が無い。多分我が家の猫どもの仕業だと思ふ。猫もハチミツそのものには興味がないと思ふが、巣に手を突つ込んで掻き出すをやりたいのだらう、要はイタズラである。

 梅の木の下の巣箱は、おそらく無王群だらうと思ふが、竹林の巣箱は立派に蜜蜂の巣と機能してゐたので、少なからず頭にきた。
 
 ただ、今回掻き出された巣は居抜きで入つた、黑つぽい元のハチの巣で、下に落ちた巣を観察すると、卵も幼虫も居ない、多分、女王蜂以下、卵や幼虫はその上の方に居たのだらうと思ふ、さうあつて欲しいと願つての想像だが。

 改めて針金で縛つて開かないやうにして觀てゐると、いつものやうにパッと飛び立つて一直線に帰つて来るハチの数が多いので、蜂の巣としては多分正常に機能してゐると思ふのだが、それでもある程度の数は、巣の周りをなんとなく不自然な動きをして飛び回つてゐる。二三日様子見である。


令和 6年 4月23日 (火)

 曇り、時々小雨が降つてゐた。
  最低気温 15.7℃ (02:53)、最高気温 18.8℃ (15:23)

 外輪に雲がかかると阿蘇谷を見渡すことが出來ず阿蘇五岳も見えない。その阿蘇五岳、カルデラ平野部の我が家から見ると雲に隠れて山容が見えず、阿蘇谷の南側もまるで外輪のやうである

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2

 今日も日記の材料は無かつた。


令和 6年 4月22日 (月)

 今日は確か雨は降らずに、終日曇り空で推移したと思ふ、時々薄日も射してゐた。
最低気温 16.1℃ (05:21)、最高気温 19.3℃ (13:41)

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 下校時 写真1写真2写真3

 カミさんが休んだのか仕事に行かずに朝から一生懸命に掃除をしてゐる、理由なんか訊かなかつたが、昼ころになつて、今日は午後から太郎の家庭訪問で先生がおいでになると云ふ。だからか。

 先週と今週は小中学校とも家庭訪問週間で、太郎の家庭訪問もあること、考えてゐなかつた。

 太郎の教育は母親に任せてあるので、先生がおいでになる時間は小生は出かけた。昔は先生と保護者の面談だつたが、今は、子供も面談の中に加わつてやるやうだ。

 今してゐるボンの首輪が細くて、切れはしないだらうがなんとなく心もとない、それに、細いと力が加わつたときに首にかかる力が食い込んで痛いだらうと、新しい首輪を買つてきて取り替えてやつた。

 今までの首輪は細すぎて、鑑札や注射済み票が取り付けられないので無装着状態だつたが、万一、逃げたときに飼い主不明になると困るので、それらを付ける意味もあって、少し太めの首輪に替えて鑑札類は縫いつけずに首輪に付けたポケットに入れてやつた

 今までがあまり細かつたからか、新しい首輪は逆に少し太い感じもするが、まあ仕方がない。



令和 6年 4月21日 (日)

 朝のうちはなんとか保つたが、終日、ほとんど雨がシトシト降つてゐた。そんなに低い気温でもなかつたのだが、なんだか肌寒い一日だつた。
  最低気温 14.6℃ (00:00)、最高気温 19.7℃ (10:01)

 今日は、朝のうち、雨が降らない間にボンの散歩に行つた他は全く外に出ずに、本を読んだり、ラグビーをみたり、primevideoで、オランダだらうか、連続ものの刑事ドラマ(ストライク・フォース)を觀たり、和文のヒアリングをしたりと屋内で一日を楽しんだ。


令和 6年 4月20日 (土)

 晴れのち午後に入つて少し降り始めた弱い雨が時々降つたり止んだりしてゐる。
  最低気温 9.4℃ (05:16)、最高気温 20.6℃ (10:42)

 阿蘇五岳

 先日来、気になつてゐたタケノコの伸び過ぎ、とりあえず、二階の窓から見えるこゝの部分を、竹挽きノコで切り倒した。竹本体はまだ柔らかいので簡単に挽けるのだが、切つた後の切り株が地表から出てゐると、蹴躓くのでなるべき地表ギリギリに切らうとすると、これが結構難しく、また竹の皮がびつしり覆つてゐるので切るのに力がかかり、ここだけで、先日少し腰を捻つて痛いし、ヘトヘトになつた。

 このあと裏の竹林の方にはたくさんあるので、竹挽のノコに換えてチェンソーで切つて回つたが、これを一箇所に集めるのがまたおお仕事。太い竹になると10キロ20キロはある
 
 とりあえず、前庭に集めたが結構な量である、また切つて集めきれないのが竹林に残つたままだ。
 竹の成長力と云ふか、土の栄養分と云ふかすごいものがある。

 もともと我が家の竹林、密生しすぎで、本当は傘をさして歩けるくらいが良いと誰かが云つて居たが、せめて今年出た分だけは切つてしまいたいのだが増える一方である、今年はイノシシが来ない

 いずれ、裏の貯木場の方に運んで焼却するつもりだが、今の段階では水分を非常に沢山含んでゐるので、乾燥させるまでかなり日数を要すると思ふ。
 
 しみじみ眺めたら、これ、元はタケノコだよなあ、と云ふことはこれは相当量のフードロスだなあ、皆さんに差し上げたら良かつたが、心当たりは配つたが配り忘れもあつたと思ふ、それに、小生が、体力的に全部掘るのは無理だから、結局、無駄にしてしまつた。来年から、ホームページにお近くの方自由に採りにおいでくださいと書くかなあ。

 横浜のJF1JTQの四十雀のライブカメラが今年も動き出した。今年は無いのかと思つてゐたら、もう卵を10個くらい生んでゐる。四十雀なんてスヾメくらいの大きさだから、10個の卵、一つ一つは非常に小さなものだ、無事に孵ると良いが、昨年はヘビにやられたなあ。
 ホームページの見出しの部分にリンクを貼つたら、危険なサイトだと開かない場合がある。最近はやたらとキュリティーが厳しくて、素人のカメラがなかなか開けない、開けるやうにする手順が非常に面倒である。
 http://polluelo.f5.si:50003/CgiStart?page=Single&Language=1 ←リンクでなくてこれをコピペしたら見られるだらうか。


令和 6年 4月19日 (金)

 なんとなく寒いなあと思つて寝てゐたが、朝起きてみると、4℃台まで気温が下がつてゐた。
 そして、逆に日中は夏日になつた、黄砂で景色が黄色く霞んでゐた、 
  最低気温 4.6℃ (05:41)、最高気温 25.1℃ (14:19)

  今朝の阿蘇五岳  黄砂だな
 
 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3

 今日も午前中草を刈つた。ハチの巣箱周囲は残して薪小屋の前付近、我が家の入り口付近と隣の田の境付近、畑の中は、これからレンゲが咲くから、当分はそのままにしてをく。2タンク約2時間の作業。

 ハチの様子その後。
 竹林のハチは間違いなく自然入居した、蜜を求めて一直線に飛び立つて、蜜を集めて一直線に戻つて来る日常の活動を開始した、時々花粉を抱えて帰って来るハチもゐる、女王蜂はいつ入つたのだらう。

 梅の木の下の巣箱の方、相変わらずまあまあの数が居るが、漫然とゐるだけで、目的意識を持つて飛んでない。このハチたちがなんで居るのか分からない。可能性は非常に低いが、奇跡的に越冬した無王群が仕事に縛られることなくのんべんだらりと自由に過ごしてゐるやうに見える、女王蜂は越冬出來なつたのか。
 
 和尚がやつてきて、今日もナベさんのところで分蜂があつたので取り込んできたとのこと、と云ふことは、同じ巣から都合4度分蜂したことになる、こんなこともあるのだ、それから北坂梨のUさんが山に置いてある巣箱に二群入つたさうだ、今年はいつもの年にくらべると非常にニホンミツバチが「豊漁」である、ハゼなら湧きがいいといふやつだ。
 
 我が家の浄化槽からの排水が県道脇の側溝に流れるやうになつてゐるが、敷地から側溝側に排水パイプが30センチほど突き出してゐる、県はそれにたいして道路占用料を取る、まさに「取る」である、年間100円である、毎年律儀に納付書を送つてくる、Pay-Easyで納めた。事務手数料はおそらく100円では効かないだらう。


令和 6年 4月18日 (木)

 昨深夜(と思ったら、うちの連中はまだ起きてゐる時間だつた)、突然のグラグラミシミシで目が覺めた。愛媛地方での地震、豊後水道を挟んで九州は近い。大した地震では無かつたし、仮に大きくても我が家の構造から家がひしゃげることは無いので、小便をしてまた寝た。ここは震度4だつたか。
 熊本地震以來、停電真つ暗が困るので常に枕元に携帯を置いてある、懐中電灯代わりだ。

 曇りのち晴れ、今日も気温が上がる。
  最低気温 13.6℃ (05:55)、最高気温 23.1℃ (12:54)

  今朝の阿蘇五岳
  夕方の阿蘇五岳 黄砂だな
 
 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3

 表の畑の和シャクナゲが咲き始めた、まだ蕾が固かつたのでも少し先かと思つてゐた。

 床屋に行つてきた。

 テスラの車、日本ではどのくらい走つてるのだらう、今日阿蘇市の国道で信号で止まつた前の車がテスラだつた、初めて見た、少し前に、テスラが落ち目だと云ふネット記事を読んだときに、車のマーク(エンブレム?)が載つてゐたのでそれでマークを覚えてゐた。BYDはまだ見たことがない、エンブレムは知らない。

 自然入居待ち蜂の巣箱。
 表の梅の木の下の巣箱、昨日段階では、もうお終いかなと思つてゐたら、今日になつて急に勢いを盛り返して、ハチの群が徐々に増えてきて、これもしたから分蜂群がやつてきたのかなと思つて見て居たが、一向に群はやつてこない、でも少しずつ増えてきてゐる、分蜂に五月雨式の分蜂なんてあるのだらうか、でもオスバチの姿は全く無い、どうもよくわからない。

 もう一箇所、裏の竹林の巣箱、こちらは昨日までは数が少なくて、表のほうが小生は本命と見てゐたのだが、表の巣箱の観察の後から裏に回ってみると、こちらのほうも結構なハチが飛んでゐて表の方よりも非常に勢いがある、乱舞の仕方も分蜂時の乱舞の仕方である、ただ、こちらの方も、本隊がやつてこない、小生が見落としたのかもしれないが、こちらのほうが本格的な自然入居のやうで、オスバチが沢山混じつていゐる、多分、こちらは自然入居で正解だと思ふが、まだ分からない、明日になれば、落ち着き具合で分かるだらう。

 先日もらったヒラマサ、もう全部食べたと思つてゐたら、冷蔵庫にまだ残つてゐた、もう10日も經つてゐるが全く臭わないし、この手の魚は結構保つから流石に刺し身は躊躇われるので、照り焼きにして食べた、全く問題は無かつた。

令和 6年 4月17日 (水)

 晴れ、午後になつて曇つてきた、今日は黄砂が飛ぶ予報だつたと思ふが、阿蘇には飛んできてゐないやうだ。
  最低気温 12.2℃ (06:50)、最高気温 22.8℃ (12:56)

 今朝の阿蘇五岳

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 下校時 写真1写真2写真3写真4

 午前中、突然思ひついて草刈りをした、今の時期、野草の丈も短く、まだ沢山の小さな花をつけてゐるので、刈り取るのが忍びなくて、ついつい刈りそびれてゐるが、そろそろ切つて仕舞はないと、丈が高くて太い草が生えてくるので、見切りどきかなと思つてゐる。

 前庭と、裏の浄化槽周りと、家に入つてきたところやつたところでタンクがカラになつたのでやめた。突然始めたので、どのくらいやつたか分からないが、刈払機1タンク分やつて終わつたので多分小一時間の作業だつたらうと思ふ。
 竹も早いところ切らなければなあ
 
 今年も薪作りのシーズンが終わり、草刈りシーズンの始まりである。冬までに何度草刈りをすることになるだらう。

 ご近所から「きゃらぶき」を頂戴した、小生、昨年初めて摘んで作つたが時期が少し遅くて固くてあまり出來は良くなかつたが今日頂戴したきゃらぶきは非常に柔らかくて味付けもベストだつた、ご飯によく合う。

 猟仲間ハチ仲間の渡辺さんから、午後、電話が入つて、さっき、分蜂取り込み損なつた群がオマエの家の方に翔んで行つたけど入らなかつたかと。
 
 先日来、やつてきてゐる探索蜂はナベさんのところのハチかと思つたが、残念ながら来なかつた。
 それで聞いてみると、昨日一発目の分蜂の時は和尚が取り込んで持つて帰つたけど、今日になつて更に二度分峰して、最初の一群は取り込んだけど、もう一群が取り損なつたと云ふ。
 
 え~?同じ群から三度くらい分峰するのはまあ不思議ではないが、でも、前日に続けて二度も分峰するか?ちよつと信じられない。
 
 で、それは別にしても結局我が家には、分蜂群はやつてこないのだらう、残つてゐる探索群の数、めつきり少なくなった。もしかしたらナベさんのところから分峰したハチは当初我が家に来る予定ではなかつたらうか。


令和 6年 4月16日 (火)

 今日は晴れて気温も上がった。
  最低気温 11.8℃ (04:53)、最高気温 23.4℃ (15:14)

 今朝の阿蘇五岳 1
 今日の阿蘇五岳 2 黄砂は明日辺りからだと思ふが早くも霞んでゐた。

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 下校時 写真1写真2
 今日から今週いっぱい、小中とも家庭訪問だ。小中に兄弟の居る家庭、休みを取る保護者の二度手間にならないやうに、小中学校連携で同じ日になるやうに訪問スケジュールが組んであるやうだ、期間中は昼過ぎに全校一斉下校になる。太郎の家庭訪問日はいつなのだらう、その日は小生は関わらない。

 今日は熊本地震の本震(2016H28.4.16)から丸8年目の日にあたる。10時、市の防災行政無線塔からのサイレンを合図に、黙祷をした。山が崩壊して阿蘇大橋が押しつぶされて谷に落ちたり、沢山の家屋がひつくり返つたり潰れたりした、我が家から2kmも無い阿蘇神社の楼門が倒壊したが、結構揺れたものの我が家は幸いに軽微な被害で濟んだ。なんだかもう遠い昔のことのやうな気がして前後してあつた豪雨災害のときの避難などの記憶と混同して当時の状況もあまり記憶に残つてゐないので改めて日記を読み返してゐる。

 裏の貯木場の方、薪作りのシーズンはよく行き来するが、今の季節、ほとんど通らないので、洋シャクナゲが満開状態になつてゐたのに気が付かなかつた(写真)。  表の畑の和シャクナゲはまだ固い蕾の状態だ、開花時期に相当の開きがある。
 それはさうと、我が家のコブシ、今年は全く花が咲かなかつた、坂梨さんの家の前の、我が家のよりうんと大きなコブシにも全く花が咲かなかつた、どういふ理由なのだらうか、裏の食堂脇のコブシは数輪だけ咲いてその後咲かなかつた。

 タケノコがどんどん孟宗になりつつある、まだ柔らかいうちになるべく早く切り倒さないと後で切るのが大変だ。

 ボンにフィラリアの予防薬を飮ませた。毎年、蚊が出る5月から10月の間、5ヶ月飮ませるのだが、昨年通販で購入した薬が中途半端に残ってをり、消費期限があるやうなので、今年は一月早く飮ませることにした。4錠残ってゐて、5月から飮ませると8月で切れてその時点でまた購入すると、また来年中途半端になるので、4月から7月まで残りの薬を飮ませて、8月から10月分は、追って通販で三錠入を買うことにした。動物病院で買うと、高いので、通販で買う。

 今の薬はフィラリアだけでなくて、回虫やマダニなど、いろいろなものに効くやうなので、フィラリアだけだと、投与期間限定でもいいのだが、その他の病害虫予防のためには通年飮ませたほうが良いのかもしれないが、そこまではしない。

 文明さんのところに薪をもらいに行つてきた、重たい木を担いで少し腰に来た、大丈夫だらうか、油断した。

 今日ほど分蜂に絶好な日和に分蜂が無かつたのは、もう既に分蜂して、他に行つてしまつたやうだ。


令和 6年 4月15日 (月)

  起きた頃はまだ降つてゐなかつたが、丁度子どもたちが登校してくるころになつて弱い雨が降り始めた。
 予報では午後には回復方向に向ふと云ってゐたが、ほとんど一日降りつぱなしだつた、風も強かった、それに今日は肌寒かつた。
 ところが東日本北日本の各地では真夏のやうな天気だつたらしい。
  最低気温 13.7℃ (16:51)、最高気温 15.2℃ (10:41)

 今朝の阿蘇五岳

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2

 我が家に駐屯中のミツバチ、雨が降つてゐて気温も低めだつたので、姿が見えなかつた、巣の中に居たのか、原隊に引き揚げたのか分からない。

 リーグワン、13節、クボタとヤマハ、ヤマハは既に80分が過ぎてゐたところで劇的に同点に追いついて、コンバージョンキックを決めたら逆転勝利のところ、プレッシャーからか実に簡単なコンバーションキックを外してドローに終わる、31:31。
 いつもフルタイム間際にゴールライン際の攻防でドラマが生まれる、ラグビーは面白い。


令和 6年 4月14日 (日)

 晴れ。どんどん気温が上がつてゐる。
  最低気温 5.7℃ (05:40)、最高気温 23.9℃ (13:23)

 今朝の阿蘇五岳   野焼きで真つ黒だつた草原もいつのまにか緑色に変わつて来てゐる。

今朝は実に珍しく5時近くまで、一度も起きること無く熟睡できた、9時には寝たので8時間近く寢た、いつもは3時前には起きてしまふ。こんなことは本当に珍しい、そしていつも夜中に何度も目が覚める、夜中といってもまだカミさんなんか起きてゐる時間だ。小便がしたくなつて目が覚めるのか、目が覺めたから小便にいきたくなるのかどちらか分からないが、小便が近い。それに、歳をとると急に尿意を催してくる、徐々にしたくなるのではなくて急にしたくなる、これが若い頃は我慢ができたのが、今はそれが出來ない、ヘタをすると漏らしさうになるので、必死に我慢して急いでトイレに行く、幸いにまだ「おもらし」はしないが、年寄がよく「おムツ」 をするはなしを聞くが他人事で無い。だから映画を見に行くときは決死の覚悟が要る、上映時間が長い映画は困る、いつも最後のエンドロールの頃になると我慢できなくなるが、エンドロールのあとにまた大事なシーンが続くことがあるので必死で我慢をして見る、そのうち尿もれパッドが必要になるかもしれない。。

 医者で薬をもらえば、夜中にトイレに行かなくて濟むやうになるよと知人が教えてくれるが、まだ、そこまでする必要性も無い。だから最近、ネットで、薬でなくて夜中にトイレが近い人向けの健康食品の広告がやたらと目に付く。
でも、絶対にあんなものは買わない。

 と云つてをきながら、実は以前一度だけ、有名食品メーカーの製品で、メーカー名につられて夜中によく眠れるやうになるといふ健康食品を買つたことがある、法に触れないやうに書いてあるのだらうが、実にもつともらしく書いてあつてついつい買つてしまつたが、薬ではない、効くわけが無い、騙されたのである。

 今、「紅麹」だつたかで、いろいろと世の中騒がしい。紅麹がきっかけで健康食品がニュースになつてゐる、健康食品が不健康食品だつたと騷いでゐる、ざまあごらんあそばせ、である。

 こあと下書きでは延々と健康食品について書いてゐるが、後になつて読むとバカバカしいのでこれ以降はカットである。

 今日も一日、蜂の巣箱の近くで過ごした、太陽の下で本を読むと目が眩むので木陰に椅子を置いて監視したが、もう風も柔くて心地が良い。ハチ、未だ居るには居るが心な無しか一昨日昨日より数が少し減つてゐるやうに見える。
 
 そこで、考えた。ニホンミツバチの巣箱は、少しならいいが、ちよつと離れたところに動かすと、蜜を集めに出て帰つてきたハチが自分の巣がわからなくなる。ミツバチは2キロくらい離れたところまで行動するやうで、自分の巣の位置は覚えてゐてまつすぐに帰つて来る、これは、自分の巣箱の景色を覚えてゐるからだと聞いたことがある、だから巣箱の置き場所を移動すると、自分の巣箱の位置が分からなくなるらしいのである。

 巣箱の位置を何らかの理由で動かす場合は、少しずつ動かすか、夜中にハチが巣箱に帰つてから動かさなければならない。
 
 だから、もし、今、先遣隊としてやつてきてゐるハチたち、その間にもしハチの原隊が何処か別の場所に移動して仕舞つたら、もう先遣隊で来てゐるハチたちは、新しい移住地には行けないといふことになる、移住した新しい場所をわざわざ仲間が知らせてくれるとは考えにくい。

 つまりは置き去り、捨て駒にされてしまうのだらうか。今、ここにゐる先遣隊、本体に帰ることが出來ずに可哀想だなあと云ふことになる。

 でもそれは人間の勝手解釈だと小生は思ふのである。

 ミツバチは、同じメスながら女王蜂としてただひたすら卵を生み続ける役割と毎日毎日来る日も来る日も蜜を集めに行つて帰つては巣を作り、子供を育てる働き蜂とがある。

 今ここにゐる先遣隊が本体に帰ると、あるいは本隊がここに移住してきたら、この本来の働き蜂の役割をするわけだが、これがハチにとつて幸せなのか、そんなことは人間が考えるだけで、幸せも不幸せも無い、それがミツバチなのだらうが。

 もし結果的に置き去りにされたら、ハチたちは本来本体に戻るとする仕事からは完全に開放されて、日がな一日、好き勝手(かどうかわからないが)に、日々を過ごすことが出來る。本隊で暮らさうが、置き去りにされやうが、寿命は同じなのだから、人間から觀たら、置き去りにされたほうが良ささうに見るが、これも、実際にハチの立場に立たなければ分からないことである。

 などと、巣箱を監視しながら、今の時期、分蜂の季節になつたなあ、然う云へば、婆様(母)の一周忌の日に、突然分蜂が始まつて大騒動したことがあつたなあなどと思い出しながら、ふと、時計のカレンダーを觀たら、おいおい、今日がその婆様の命日ではないか、数日前まで覚えてゐて、肝心の当日、忘れてゐた。
 
 思い出したのが昼をだいぶ過ぎた時間だつたので、あわてゝ、トンカツの材料を買いに走つた。
 
 婆様の命日は、過去になんども書いてゐるが、「トンカツ忌」と命名してゐる。婆様がトンカツが好きで、私が死んだら命日にはトンカツを供えてくれと、遺言で、ではなくて、冗談で云つたゐたので、毎年、この日は小生がトンカツを揚げて供えることにしてゐる。

 今年の命日でつまり今日で丸13年になる、だから回忌で云へば、14回忌だが、仏教の節目の「13回忌」は去年で、去年の13回忌を以て「お弔い上げ」にした。本来の「お弔い上げ」は33回忌らしいが、小生はその頃にはもう完全にゐないし、小生の後、子孫がやつて呉れさうも無いので、13回忌を以て婆様の「お弔い上げ」にしたのである。

 毎年、ソメイヨシノは終わり、山桜くらいは残つてゐるが、今年は山桜ももうほとんど終わつてゐる。
 桜の枝を飾つた年もあるが、今年は庭先の花を摘んで仏前に供えて、小生が揚げたトンカツとポテトサラダを供えて回向した(小生が飲まないのでアルコールはいつも忘れる)。


令和 6年 4月13日 (土)

 今日も気温がグングン上がつた。
 最低気温 11.2℃ (03:38)、最高気温 22.7℃ (14:39)

 今朝の阿蘇五岳 写真の根子岳の左奥は祖母山(1756m 大分、宮崎県境)である、阿蘇高岳1592mよりも標高が高い。

 太郎は菊池方面に対外練習試合で朝早く母親と出かけていつた。昔は学校でまとめて引率してくれたが、現在は、保護者の送迎だから保護者も大変である、他人事のやうだが、小生はこの場合の保護者から外れてゐるのだ。
 今日は午前中だけの練習だつたやうで、2時半頃には帰つてきた。
 小生、一人で到来もののアスパラとベーコンを炒めて朝食、我が家ではいつの頃からかなんとなく休日の朝はパン食である。
 (洋食の場合、ご飯にあたるパンは左か右か知らない)

 小生、豆札と馬場地区の民生委員をしてゐるが、馬場の様子はあまりよく知らないので、馬場の4月からの新区長のところに顔つなぎの挨拶に行つてきた。

 馬場は豆札より大きな集落で、結構知り合いは多いが、知らない人もこれまた結構居る。こんどの区長さんも知らない人だと思つて訪ねたら、顔をよく知つた人で、いままで接触の機会がなかつたので名前まで知らなかつただけだ。 
 氏はやまびこネットワークの世話人も兼ねてゐて、お尋ねしたところ、馬場には現在気にかけなければならない高齢者の一人暮らしの人は居ないとのことで、豆札も馬場も住民にほとんど出入りの無い地域なので隣保班ややまびこネットワークで普段からしつかりとフォローできてゐるやうなので、さしあたつて小生の出番は無くて濟んでゐる、支部の民生委員の集まりなどで聞くと、いろいろな相談事で忙しい民生委員さんもおいでだが、小生は一番楽な民生委員かもしれない。

 我が家のニホンミツバチ、小生の管理の仕方が悪かつたからだらう、二群残つてゐた群が結局全滅した。
 厳冬期にはなんとか延命させやうとこまめに砂糖水を与えたが、群が小さかったこともあつて最終的に寒さに耐えられなかったやうで、完全に消滅した。それでも、時々、一匹二匹が残った砂糖水を舐めに外からやってきては巣を出入りしてゐた。
 
 それが昨日、梅の木の下の巣箱の一つを見ると数匹のハチが出入りをしてゐる、ん?これは探索蜂かなと思って観察してゐると、その数がどんどん増えて、数十匹のハチの群になつた。

 お~!!!!自然入居した!!!と思つたが、小生の経験からすると、これは、入居したわけでは無い、もし入居したのなら、早速、ミツバチ本来の行動をとるはずだが、その行動をしてゐない。本来の行動とは、蜜を集めにさっと飛び立って、集め終わると一直線に巣箱に戻ってくることである。
 
 ところが、今やってきてゐるハチは巣の出入り口に固まつて、その辺を飛び回つたりするだけで、本来の行動を取ってゐない。
 これは、規模の大きな探索蜂なのだらうと思って、調べたら、最初のうちは少ない数の探索蜂も、少しずつ數を増やしてくるらしい、なかには100匹200匹の探索集団もあるらしい、もし、最終的にその場所を新しい移住地と決めたら、それから改めて元の巣から空が真つ黒になるほど大挙して移住してくるさうである。
 
 ミツバチは分蜂に先立つて、あちらこちらに探索蜂を派遣して、そのなかで最終的に一箇所を決めて移住するので、もし、その際に、別の場所を移住先に決定したら、残りの探索蜂群は徒労に終わることになる。
 
 それは小生も分かつてゐるが、いつも、我が家の巣箱から分峰のために一時的に蜂球を作る段階で、強制的に用意した空の巣箱に強制移住させるので、そのまま自然に任せた分蜂の行き先を考えることはなかつたので、どのくらい前から先遣部隊は移住先の準備をするのか知らないで来た。
 
 今回、昨日は移住して来なかったので、今日あたりかなと、一日、巣の近くで、やってくるのを觀たいので待機してゐたが結局今日もやってこなかった。それでもまだ数十匹のハチが居るので、どこかに移住してしまつたと云ふことでも無いと思ふが、なんとも氣の揉めることである。

 それからこの巣箱とは正反対の場所に置いてある竹林のカラの巣箱を今日、覗いてみたら、こちらにも昨日までは觀なかつたハチの姿が数匹・・・ここにも自然入居してくれるのか?それとも今、今やって来てゐる梅の木の下のハチの群の同じルーツがここでも探索をしてゐるといふことか。
 
 この二つの巣箱ともこの冬中、砂糖水を置いてゐた巣箱である。他にも空の巣箱は置いてあるが、それらにはハチの姿が全く無いので、空の巣箱にハチをおびき寄せる手段とし、蜜蝋を塗るほかに、もしかしたらこれも有力な方法かもしれない。それからこの二つの巣は「居抜き」状態で以前の巣を撤去しないままにしてある巣箱である、そのあたりもあるのかもしれない。



令和 6年 4月12日 (金)

 今日はいい天気だつた、気温も一気に上がつた。
  最低気温 11.7℃ (05:17)、最高気温 21.1℃ (13:41)

 風向きのせいだらうか、阿蘇山の噴煙が多い、近いうちに來さうだなあ・・・写真1写真2

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 下校時 写真1写真2写真3
 小学校は今日は新入生歓迎遠足だつた。みんな体操服にリユツクを担いで登校して行つた。
 遠足と云つても、近年は学校から数百メートルしか離れてゐない農産物販売所「四季彩」の芝生地までである、これでは遠足でなくて近足である。色々と事情はあるのだらうが、昔は遠足は結構歩いて普段行かないところに行くのでワクワクだつたが、近足では子どもたちの楽しさも半減だらう。

 今年は我が家の二群居たニホンミツバチが全滅で「無し」の状態だが、そのニホンミツバチが・・・・これは明日の日記に回さう、回しただけの内容があればいいが。

 我が倅はもう中学生で小生は小学生の保護者ではないが、毎日の登下校見守りの関係で間接的ながら今でも関わりを持つてゐる。
 その一の宮小学校のホームページで「校長ブログ」が始まつてゐる。

 近年は校長先生もその他の先生方も、昔と違つて結構短いサイクルで異動がある。校長先生にもその時々で積極的にICTを活用する校長先生がおいでになつたり、そうでもない校長先生がおいでになつたり・・・
 
 今年赴任された校長先生はICTを積極的に活用される方のやうだ。
 学校の子どもたちの学校生活が伝わつてなかなか良いブログである。
 小生の小学校時代(もう70年の昔になる)、終戦直後で空襲で学校が燃えたからか(それと子沢山の時代もあつて)教室が足りず、二部授業と云つて、午前の部と午後の部とに分かれて授業を受けた、午前の授業が終わる頃には教室の後ろの方で午後の授業の小らが午前の部が終わるのを待つて居た。一教室に60人くらい居た、校舎の壁も床も穴だらけだつた、今の学校の教室、机や椅子、御殿のやうに美しく素晴らしい。
  (いきなり校長ブログに来ると小学校のホームページ https://www.aso.ne.jp/ichinomiya-es/ に飛ぶボタンは無いなあ。)
 
 これから先は蛇足である。
 小生はもともと「校歌」が好きである、今はもう廃校になつたここ坂梨小学校の校歌も大好きである(因みに坂梨小学校の昔の校歌は小生の曽祖父が作詞したさうである、ただ、明治時代には自前で作曲することはあまりなかつたやうで、「ああ玉杯に」のメロディーで曽祖父が作詞した校歌を歌つてゐたと、後年の校歌が出來る前に当時小学生だつたAJYから聞いたことがある。
 後になつて出來た(廃校までの)坂梨小学校校歌の音源は、H21.9.16にやってきたオーケストラが吹奏してくれたメロディーを拝借して豊後街道坂梨宿のホームページ <http://sakanashi.ddo.jp>の資料室(坂梨小学校100年誌)に残してある。
<http://sakanashi.ddo.jp/sakanashikou100/new_page_1.htm>
 
 で、ここからが蛇足の本題になる。
 今の一の宮小学校の校歌はホームページには歌詞だけ載つてゐて、メロディーは無い。太郎が小学校に入学した頃、だから、もう、7~8年前になるのか、ちよつと耳にして、覚えたいと思つて、登校班の子どもたち何人かに前を通るときにとつ捕まえて歌わせて覚えやうとしたが、どうも、半音程変わるとことろで少しずつ違ふので、先生に云つて音源をお借りして覚えたが、どうしてホームページにメロディーは無いのかとお尋ねしたら、なんでも著作権の関係で曲を載せることができないとの回答だったと記憶してゐる。

 歌詞にも著作権はあるだらう、それが、載つてゐながらメロディーは何故駄目なのかよくわからない。メロディーもあつての校歌だらうに。
 公共性があり、商用に使うわけでもないのだから載せても良いのではと思ふのだが何故駄目なのだらう、普通、楽曲はまずメロディーが頭に浮かんで、それに歌詞がついてくるものだ、卒業してからも、まず、メロディーを耳にしてから懐かしく学校生活を思い出すものだらう。
 
 長野県の県歌に「信濃の国」 https://www.youtube.com/watch?v=ePSKD8G7BXE
といふ楽曲がある、小生は長野県民ではないが、この歌が大好きである、名曲である。聞くところによると、長野県では小学校に入るとこの歌を習つて、そのあとも事あるごとに、たとえば故郷を遠く離れて県人会など皆が集まり機会があるとみんなでこの歌を唱ふと云ふ、長野県民は全員この歌を知ってゐると云ふ。

 関連して、阿蘇市の市歌(とは云はないか、イメージソングか)に「阿蘇ものがたり」という楽曲がある、なかなか良い曲である。
 これがもう何年も前になるが、この楽曲が発表されたけど一向に市民の間に広がらない、(無料)一般公開しないで市としてはCDにして儲けやうと云ふ魂胆があったのだらう(でも、いくらいい曲でもそこまでして買おうと云ふほどのものでもない)。

 市はいつたい何のためにこの歌を作つたのか。小生は当時、日記に、こんなもの、そんな姑息な手段で金儲けなんかせずに、小学校の音楽の時間にみんなに習わせて、かつ防災無線放送でどんどん流せ、それが波及して最終的に市のPRにつながりCDで設けるより何倍もの効果につながるのだ、と書いたことがる。

 小生はCDにして売つて儲けるなどと云ふ発想を、自ら名付けたのだが「木戸銭主義」と云つてゐる。
 日本ではともすれば入場料で儲けやうとする、PCのアプリにしてもさうである。大したものでもないのに、まず、金を取る。これがアメリカなどになると、どんどん無料で配布して、そのアプリを使う中でもつと魅力的コンテンツに有料で誘導する方法を取る、まず、存在を周知させるところから始める。である。遊園地で言へば、無料で入場させてから、そのなかで、いろいろな遊戯施設で金を払わせるのである(尤もディズニーランドなんか入場の段階でバカ高い入場料を払わせるところもあるが)。

 小生が云つたからでは無いのは分かつてゐるが、現在、市の防災行政無線の正午の時報のメロディーにその「阿蘇ものがたり」が流れてゐる、ざまあごらんあそばせ、である。


令和 6年 4月11日 (木)

 曇り、きどき晴れ、今日は肌寒かつた。今夜一雨來さうだ。
  最低気温 6.2℃ (01:55)、最高気温 17.8℃ (14:36)

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 下校時 写真1写真2写真3写真4
 一年生が一人登校のなかにゐた、坂梨地区は確か今年新入の児童は二人だつたと思ふ。
 新学期が始まつて、こどもたちの登校時の集合時間が保護者間の連絡の行違いがあつて非常に間延びをした登校になつてゐたが、今日から正常に戻つて、まとまつて登校していつた。

 今日は読書をした。東京の九段に一口坂と云ふ場所があつて、これは「ひとくちざか」とも読むが本来は「いもあらいざか」と読むのださうだ、知らなかつた。


令和 6年 4月10日 (水)

 今日は穏やかな暖かい一日だつた、高気圧にすつぽりだつた。
  最低気温 3.8℃ (05:26)、最高気温 18.7℃ (15:34)

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5
 下校時 写真1写真2写真3

 玄米30キロ精米に行く、今回で3/5袋。前回は3/7に精米してゐるので一ヶ月で消費したといふことか、今までは1.5ヶ月に1袋見当だつたのに少しスピードが早い。夏子が帰省して向こうに戻る時にまとめて持つて行くのに加えて、今まで食が細かつた太郎のやつが結構食べだした。太郎が成長につれて食べる量が増えるのに対して小生が歳を取つて食べる量が減らなければならないのに小生の消費量は一向に減らない。この調子で行くと、我が家の米びつ、秋のコメの収穫期まで保つかどうか心配になつてきた。写真

 先日、これで大丈夫だらうと思ってゐた、スコップの割れの補修、また、割れた。タケノコを掘る際に、全体重を掛けて深くスコップを土中に入れて力いつぱいタケノコをテコの原理で掘り起こすので、竹の根などに抗しきれず割れてしまったやうだ。
 家庭用の100Vの溶接機ではやはり溶け込みが弱いのかもしれない、今日はちゃんとしたエンジン溶接機で再々挑戦で溶接した。
 家庭用の溶接機の電流は40Aになつてゐて、エンジン溶接機は150Aだから直線的電流が変化するのかどうか分からないが、5段階の目盛がついてゐるので、一目盛は30A見当か、このくらいで、薄板の場合2mmの溶接棒がなんとか穴を開けずに溶接できる。、



令和 6年 4月 9日 (火)

 朝には雨は東に移動して、久しぶりにいい天気になつた
  最低気温 9.6℃ (07:01)、最高気温 18.1℃ (13:07)

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5
 下校時 写真1写真2
 今日は小中学校とも入学式だつた。小学校では6年生のみの式参列で、2年生から5年生までは休みだつた。
 從つて、登校下校も6年生だけだつた。
 田起こし、代かきもまだずつと先なのに連日の雨でまるで田植え前のやうな田んぼになつてゐる。

 我が家の日本国旗、こゝは風強いのでいつのまにか少しずつ削れて、今日見たら半分になつてゐた。旗は予備があるのだが、ロープの縫い付けをしなければならない。

 タケノコを掘つてご近所に届けた。

 今日はそんなところだ。



令和 6年 4月 8日 (月)

 今日も一日降つたり止んだりの天気だつた。それでも明日からしばらく太陽が拝める天気が戻つて來さうだ。。
  最低気温 13.8℃ (06:03)、最高気温 16.9℃ (13:45)

 登校時 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 下校時 写真1写真2写真3写真4 
 今日から新学期が始まつた、小生の登校見守りも再開である、入学式は明日だから、今朝は新二年生から六年生の登校である。
 いつもの時間にいつもの場所に立つてゐても誰も来ない・・・不思議に思つてゐると、普段見慣れない子どものたちのグループがやつてきて、かなり時間が經つてからいつものグループがやつてきた。

 然う言へば、坂梨校区の子どもたちの登校が早くて、まだ学校が開いてないから少し出発を遅らせると云ふやうなことを聞いたやうな聞かなかつたやうな。

 それで今日の新学期から出発時間が10分ほど遅くなつたさうである。最初にやつてきたグループは、今まで保護者送迎の子が多く、この先も歩いて登校するのか、今日だけなのかわからない。

 斯うして見ると、坂梨の子どもたちもまだ結構な人数が居ることが分かる。
 
 到来もののサトイモがあるのでイカの煮付けを作った。ただ、イカは、いつも使うイカが無くて、ヒイカと云ふ種類のイカしか売つてなかつた。ヒイカとはホタルイカのやうな小さなものばかりでなく、今日買つたヒイカよりも大きなヒイカもあるらしいが、もともと小ぶりのイカのやうだ。
 今日買つたヒイカの調理方法がわからなかつたので、調べたところ、大きなやつは内臓を取り除いたり、目や嘴を取り除いたりする調理方法が良いらしいが、小さなやつは、内蔵込みで全部そのまま食べても美味しいさうだ、だが、軟骨だけを取つたほうが良いとのことなので、背骨(軟骨)を取つて煮込んだ。軟骨は指先で摘んで引つ張れば簡単に取れる。
 
 ついでに豆ごはんを炊いた、グリーンピースである。
 今晩は、それらに加えて、昨日のヒラマサの刺し身もあつた。

 録画、東芝府中(とは今は云はないのか)とクボタ、土壇場の逆転劇、面白かつたなあ。D1のレギュラーシーズンは全部で16節あるが、今は12節が終わつたところだ、その後に更にプレーオフがある、まだまだ当分楽しめる。


令和 6年 4月 8日 (月)

 今日も一日降つたり止んだりの天気だつた。それでも明日からしばらく太陽が拝める天気が戻つて來さうだ。。
  最低気温 13.8℃ (06:03)、最高気温 16.9℃ (13:45)

 今日から新学期が始まつた、小生の登校見守りも再開である、入学式は明日だから、今朝は新二年生から六年生の登校である。
 いつもの時間にいつもの場所に立つてゐても誰も来ない・・・不思議に思つてゐると、普段見慣れない子どものたちのグループがやつてきて、かなり時間が經つてからいつものグループがやつてきた。

 然う言へば、坂梨校区の子どもたちの登校が早くて、まだ学校が開いてないから少し出発を遅らせると云ふやうなことを聞いたやうな聞かなかつたやうな。

 それで今日の新学期から出発時間が10分ほど遅くなつたさうである。最初にやつてきたグループは、今まで保護者送迎の子が多く、この先も歩いて登校するのか、今日だけなのかわからない。

 斯うして見ると、坂梨の子どもたちもまだ結構な人数が居ることが分かる。
 
 到来もののサトイモがあるのでイカの煮付けを作った。ただ、イカは、いつも使うイカが無くて、ヒイカと云ふ種類のイカしか売つてなかつた。ヒイカとはホタルイカのやうな小さなものばかりでなく、今日買つたヒイカよりも大きなヒイカもあるらしいが、もともと小ぶりのイカのやうだ。
 今日買つたヒイカの調理方法がわからなかつたので、調べたところ、大きなやつは内臓を取り除いたり、目や嘴を取り除いたりする調理方法が良いらしいが、小さなやつは、内蔵込みで全部そのまま食べても美味しいさうだ、だが、軟骨だけを取つたほうが良いとのことなので、背骨(軟骨)を取つて煮込んだ。軟骨は指先で摘んで引つ張れば簡単に取れる。
 
 ついでに豆ごはんを炊いた、グリーンピースである。
 今晩は、それらに加えて、昨日のヒラマサの刺し身もあつた。

 録画、東芝府中(とは今は云はないのか)とクボタ、土壇場の逆転劇、面白かつたなあ。D1のレギュラーシーズンは全部で16節あるが、今は12節が終わつたところだ、その後に更にプレーオフがある、まだまだ当分楽しめる。



令和 6年 4月 7日 (日)

 今日も日照時間はゼロだつた、時々細かな雨が降つてゐた。
  最低気温 12.2℃ (05:28)、最高気温 16.5℃ (15:59)

 村の若者、春樹君が今朝釣つたヒラマサを届けてくれた。春樹くんは普段は熊本にゐて時々実家に帰つて来る。

 以前にも何度か大きな魚をもらつたことがある、今日のヒラマサ、70センチくらいあつた

 早速三枚におろしたがなんとも不格好な三枚おろしになつた。とにかく切れない包丁で、こんな時に切れる出刃と刺し身包丁が欲しいと思う、我が家の赤鰯は小生が研いだくらいでは切れない。
 
 それでも三枚におろして、ちょうどやつてきた知り合いにも少し持つて帰つてもらつて、我が家は今晩は新鮮な刺し身の食い放題だつた。
 
 最近は生魚の寄生虫がよく問題になるが、ネットで調べたらヒラマサにはアニサキスはあまりゐないとのこと、それでも目視で分かる大きさだから、よく觀てから食べた。

 ところで唐突だが、
 
 「六一〇ハップ」。さてなんと読むか、これは何か、知つて居る人はもう殆どゐないだらう。
 これは「むとうはっぷ」と読む、これは入浴剤である。先日たまたまネットを見てゐてこの言葉が出てゐた。

 白く濁つた温泉の硫黄臭い(硫黄は本当は無臭で硫化水素の匂いらしいが、まあ、そんなことはどうでもいい)匂いがする入浴剤である。風呂にこれを入れて混ぜるとさつと白濁して温泉そのものになる、はるか昔、子供の頃、近見の親戚の家に行つて五右衛門風呂に入つたときにこの「六一〇ハップ」の存在を知つた。

 小生これが好きで昔我が家でも買つて時々使用した。それがいろいろな風評被害で販売されることがなくなり、製造も中止されて今ではもう売つてない。

 昔買つた「六一〇ハップ」が我が家にはまだある。本当はこれを風呂に入れて入りたいのだが、この入浴剤は白濁した温泉と同じやうに金属を傷める。昔の風呂は五右衛門風呂だつたので問題無かつたが、その後時代は、ガス釜になり、現在は追い焚きもする貯湯式、給湯式に風呂になつたので、お湯が給湯装置の中を循環するので、手が届かない場所だから清掃できないので、使いたいけど使えず、かと云つて郷愁があるので捨てるに捨てられずで未だに家の片隅に置いてあるのである。

 ついでに、小生は「赤チン」も好きである、これも今では知る人が少なくなつただらう、マーキュロクローム液と云ふ塗り薬の商品名である。
 
 昔はどこの家にもあつた、傷薬と云へば赤チンである、赤チンしか無かつた。転んで膝小僧をすりむくと例外なくこの赤チンを塗つてもらつたものだ。この赤チンも有機水銀がどうのこうので今はもう一般の薬局には無い、一時ネット通販ではあつたが、今ではもうそれすらも無いだらう。

 有機水銀と云つても、赤チンの毒性は極めて低く、薬効のほうが大きい、下手な傷薬よりはるかによく効くのだが水俣病以來、有機水銀が目の敵にされ、温度計や蛍光灯やそのほか水銀が使わるものは次々姿を消して、赤チンも無くなつた。

 そのうえに近年、キズ消毒薬の有効性すら否定されて、学校では子供が怪我をしたときには、ただ水道で傷口を洗い流すだけだと聞いたが本当だらうか。

 小生は、今でも赤チンを使う、小生はまだ入手可能な時代に手に入れて今でも大事に使つてゐる、赤チンは効くのだ。

 赤チンは小生の常備薬だから普段から手元に置いてある、昔から使つてゐて残り少ないやつと最近のデザインのものと二つある。最近と云つても今はもう売つてない、無くなると思つて以前買つたやつだ。この先、買おうと思つてももう手に入らないので小生の存命中、手元の赤チンで足りるだらうかなどと思つたりする。

 昔の赤チンにはテラダ薬局と云ふラベルが貼つてある、225円とある、このテラダ薬局は確か茅ヶ崎にあつた薬局だが今でもあるだらうか。

 小生は計算尺、クルタ計算機、タイガー計算器、発動機、カーバイドランプ、タイプライター、無線は電信で和文、溶接は手棒などなど動く産業遺産が好きだが、赤チンも云ふなれば動く産業遺産の一つかもしれない。
 


令和 6年 4月 6日 (土)

 午前中なんとか保つたが昼から弱いながらも雨になつた。今日も肌寒かつた。
  最低気温 8.4℃ (04:54)、最高気温 15.7℃ (10:52)

 こゝ数日の雨で、雨後の筍と云ふが、わつと生えだした。まだしばらく雨の空は續きさうなので、晴れてから掘ろうなどと思つてゐるとどんどん成長してあつと云ふまに竹になるので、午後からまた雨の予報が出てゐたので、午前中、目についた分だけ掘り起こして、ランダムに思いついたご近所にとりあえず第一弾として配つた。

 そして、小生、高齢により発送作業が難儀するので今年からもう遠隔地発送作業は「無し」にさせていただくことにした。

 タケノコ掘りの前に、スコップが割れて使えなくなつたので、まず、溶接作業をした、タケノコ掘り専用の鍬があつてお借りしてあるのだが、不慣れで上手く使えないから、結局手慣れたスコップを使う。

 小生は従来から体重を掛けてタケノコの周囲にスコップを立てて掘り起こしてゐるが、確かタケノコは生え方で掘る方向があるらしくて、専用鍬でうまくやれば簡単に掘れるやうだが今度教えてもらおう。

 少し前にスコップの先が割れたことがあり、一度、溶接したが、これがイモ溶接で、今日掘り始めた途端にまた割れたので溶接をした。
 
 スコップの板厚が非常に薄いので、家庭用の100Vの溶接機でも穴が開く、今回は、前回の失敗に懲りて慎重に溶接をした。溶接棒は2mmの棒を使うのだが同じ2mmでも、使いやすい棒と使いにくい棒がある、小生は、スターロード B-1 といふ棒のほうが使いやすい。
 離れて撮つた写真だが、自信があまりないので、遠目でごまかしである、でも今度はビクともしない。



令和 6年 4月 5日 (金)

 午前中、降つてゐた。午後からは上がつたがそれで晴れることは無かつた。この先も数日は天気が悪さうだ、今日はなんとなく肌寒かつた、気温の変化を見ると、やはり日中のほうが気温は低めだつた。
  最低気温 11.7℃ (05:27)、最高気温 15.5℃ (16:06)

 太郎はまだ春休み中で、今日は塾で午前中に春休み講座の締めの模擬テストがあるという、その時間、都合の良い鉄道もバスも無く、カミさんは今日は仕事の都合で送れないから小生に送つてくれと云ふ、これは仕方がないから、大津の塾まで送つて行つた。
 
 小生は朝食を食べないで出たので帰りに、ハンバーガー屋に寄つた。
 モスバーガーはこの時間は営業してゐないのでマクドナルドに入つた、ここは7時から開いてゐる。

 小生がナントカの一つ覚え的に注文する野菜ハンバーガーはこの店には無く、また早朝なので、メニューも限られてゐて、利用し慣れてゐないと、カウンターでメニューを觀ながら決めるのは、なかなか難しいもので、みんな同じやうに見えて、結局お店の人や後ろに並ぶ人が気になり、焦つて、何を注文していいかわからなくなつてメニューの一番最初のところにあるやつを注文したが、結論としてこのハンバーガーは安かつたけどウマく無かつた。味もついてゐるのかどうかも分からない味だつた。

 日記の下書きではこのあと、ぐだぐだとモスバーガーとマクドナルドの比較を書いてゐるが、バカバカしいので、載せるはやめた、結論的には、小生はモスのほうが好きである。


令和 6年 4月 4日 (木)


 雨は上がったが、はつきりしない一日だつた。
  最低気温 12.5℃ (06:36)、最高気温 16.7℃ (12:11)

 今日もノンビリ、アメリカのドラマを觀たり、和文のヒアリングをしたり、壊れた電気製品を分解して直らないか研究したり、本を読んだりして過ごした。
 
 壊れた電気製品とは、LEDのシーリングライトが壊れて点かなくなつた、無いと困るので安いやつを買つたが、興味が出て分解をして基板を調べてゐる。この昭明は、昼光色と電灯色とを強さを変えて照らすもので、これも安価な製品なのだが、LEDは何千時間だとか何万時間故障しないと云ふが、これはLED球の部分で、電源部分は間違いなくそんなに持たない。

 基板の回路を睨んでゐると、大体のことが分かつてくる、常夜灯は点灯する、これは測ると2.4Vの電圧がかゝってゐる、昼光色と電灯色はLEDが白色LEDと黄色LEDとが沢山植え付けられてゐて、それをスイッチングでコントロールするのだらうが、この部分に電圧がかゝってゐない、普通LEDは2Vくらいの電圧で光るが、何十個もLEDがしかも多分直列に配置されてゐるので想像以上の電圧が必要である、しかもこれは直流である。

 基板を見ると、100VのAC電源の直ぐのところに、小さなトランスがある、ここを通つた後で整流回路に入るのだらう、見たところ、このトランスは巻数比が1:1のトランスのやうで、巻数比が1:1だと云ふことなら、何もトランスを使う必要は無いと思ふが、調べると絶縁トランスと云ふのか、外部のノイズなどをここで遮断するためのやうだ。

 巻数比が1:1なら一次側にAC100Vを入れて、2次側に100Vを取り出してこれを整流すると、ちよつと考えると100Vの直流が出さうだが、実は、そうではなくて、140Vくらいの直流が出るのである、これはちよつと考えるとさうなる。。
 
 調べてみると、LEDにはそのくらいの電圧がかかるらしい、LEDの数が多いからである。などなど、かなり怪しいが、故障箇所を調べてゐる、電解コンデンサーがあるが、大体、このコンデンサーが壊れてゐることがままあるので、とりあえず、コンデンサーを取り替えてみやうかと思つたりしてゐる。静電容量計、どこかにあつたはずだが、使うことが殆ど無いのでどこにいつたかまた探さなければ。

 今読んでゐる本だが、恵美押勝の乱が題材の歴史小説である、恵美押勝といふ名前は非常によく知つてゐるが、さて、いつの時代でどんな出来事だつたのかと考えると、100%覚えてゐない。

 恵美押勝は藤原仲麻呂のことだが、どうして恵美押勝なのか、そして、本を読んで、奈良時代のことだと云ふことが分つた、弓削道鏡もこんなところに出てくる、和気清麻呂もでてくる、日本の歴史は面白いなあ。

 などなど、隠居は、一日中、好きなことをして過ごすことが出來るのだ。 


令和 6年 4月 3日 (水)

 大荒れの一日だつた、台風並みの風と強い雨が吹き付けた、それでも阿蘇谷は微妙に雨域から外れて他に比べたら雨量は少なかつた方だ。夕方ころからやうやく落ち着きつつある。写真1写真2
  最低気温 11.9℃ (00:01)、最高気温 22.0℃ (11:30)
  最大風速 17.0 m/s(11:28)
  今日の雨量 44.6 mm(18:00時点)

 今日も何も無かつた、こんな日の日記は楽である。


令和 6年 4月 2日 (火)

 晴れ。夜に入つて、雨雲が掛かり始めてゐる、九州、場所によってはもう降つてゐる。
  最低気温 5.7℃ (05:50)、最高気温 21.1℃ (13:27)

 世の中、と云ふよりは、小生の周辺、なべて事もなし、の一日だつた
 
The year's at the spring,
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill-side's dew-pearl'd;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in His heaven--
「All's right with the world!」

春の朝
ロバート・ブラウニング
(上田敏 訳)

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し


令和 6年 4月 1日 (月)


 --小生の日記の並び順について--
 時々拙文を覗いてくださる人にとつて、日付け順に続けて読む場合、その日の日記を読み終わつて、次の日付に進む場合、日付が変わる度に、下から上にスクロールをするのが大変だらう思つて、先月、日記の日付の並びを昇順で並べて載せたが、これが、いつも覗いてくださる人にとつては、毎日日記を開くたびに、新しい日付を追つて下のほうにスクロールをしなければならない、これが結構面倒だといふことである、書いてゐる本人も、毎日日記を書くにあたつて、最後尾まで毎日スクロールをしなければならないと云ふ不便さに気がついた、それに、原因が分からないが、写真に飛んだ場合、戻ると、飛んだ場所に戻らず、日記ページの一番上に戻つてしまふ、常に戻るかと云ふと戻らない場合もあるから、これが分からない。

 だから、日記の日付の並び順を常に新しい日付が上に来るやうに、以前の状態に戻せば、仮に、一旦飛んで、戻つた時に、一番上に戻るからあまり影響が無いといふことにもなる。

 そんなわけで、いつも読んでくださる人を優先に今月からまた従来通りの並びに戻すことにした。


 晴れ、素晴らしい天気になつた。我が家のソメイヨシノもそろそろ散り始めてゐる
  最低気温 13.1℃ (00:01)、最高気温 20.8℃ (14:36)

 今日からほとんどの所で新年度である、学校はまだ春休みだが、会社などは今日あたり入社式が行われたのだらうか、今年はタイミングよく桜が見頃で、入社式の背景としてはいい。

 先日案内があつた市の需要喚起策のプレミア付き商品券の引き換えが今日から始まつた、引き換えでなくて販売だ、小生も早速購入してきた。3000円で購入で5000円分の買い物ができる、一人頭、6000円の支払いで10000円分の商品券を購入することが出來る。

 我が家は4人家族なので、24000円で40000分の買い物ができる(計算合つてるか?)。ただ、7月末までに使い切らなければならない。毎日の食材などの買い出しは小生が主にやるのだが、4ヶ月だから使い切るのは間違いないのだが、これが結構さうでもない。

 一枚の券面の金額は1000円なので、1000円以上の買い物だと超えた部分は現金で支払うことになる、買い物が1000円に満たない時はお釣りは出ないから、商品券は使わずに現金で払う。これが無駄な買い物の原因にもなる。

 1000円以下の買い物の場合、現金で払えば濟むものを、変な心理で何とか1000円以上にして商品券で払おうとする、だから、強いて要らないのについつい無駄な買い物をして仕舞ひがちである。胴元としてはこれも需要喚起の狙いの一つなのかもしれない。

 それに、去年なんか、机の書類の中に紛れて、数枚、使い忘れたことがあり、結局、少し得をした程度で終わつたので、今年は、使い忘れをしないやうに最初から車のサンバイザーのところにでも挟んで置くことにした。
 
 新年度だから、小生の有害鳥獣の捕獲員の資格も今日から有効になつた。早速、先日作つた標識をラミネート加工して、罠のところに取り付けた。新年度で小生がやることはこのくらいのことである。
 
 今日、市会議員の中川文久さんが、議員活動報告の刷物を持つて回つておいでになつて、その活動報告のなかに今工事中の新しい57号線が滝室坂トンネルを出て、今の57号線につながる道路の俯瞰写真(版権中川文久)があり、しかもその奥の卯の鼻の突端に我が家が少し見えるので、此のやうなアングルの写真は非常に珍しく、新しい国道と今の国道との位置関係が非常にわかりやすく、なおかつ、我が家の位置もよく分かるので、この写真の出処をお尋ねしたら、氏ご自身がドローンで撮つたとのことだつたので、お願いして加工前の写真を頂戴した。

 氏は趣味でドローンをおやりださうで、もし、希望があれば撮りますよとのことだつたので、個別にお願いしたらリクエストに応じていただけるかもしれない。



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