風師庵日記目次へ

(2023)令和癸卯 5年 8月の記録 (新しい日付けの順)

令和 5年 8月31日 (木)

 台風の余波といふのか、南の方から雨雲が流れ込んで、終日、時々降つたり止んだりしてゐた。
 うーさぶー、と云ふのは少し大げさだが、下界の猛暑に比べたら、寒いくらいだ、窓は閉めてゐる。そろそろストーブの準備を始めないと。
  最低気温 22.3℃ (17:06)、最高気温 25.3℃ (14:12)

 台風9号11号12号  12号は日本にやつてくる前に熱低に格下げされさうだ。今年の台風のコースは変わつてゐる、だいたいまつすぐ西に進む。易姓革命。

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 二三日前から太郎の自転車がパンクしてゐて、たまたま部活の練習で下校時間が遅くなつたり(暗くなつての自転車通学は禁止されてゐる)、塾行きで自転車を使う用も無かつたやうで放置してあつたので、今日、スーパーに買い出しにいくついでに、軽トラに積んで修理屋に運び、帰りにまた積んで歸つてきた。時間があれば小生がパンク修理をするのだが、自転車屋に出せば20分ほどで修理してくれた、餅は餅屋だ。
 
 夏子が大学の仲間と北海道旅行にでかけた。考えたら、小生が北海道を旅行したのは大学二年の時だつた。かれこれ60年も昔のことになる。今では飛行機で一つ飛、それにレンタカーで自由に移動ができる、小生の頃は汽車でえっちらおっちらでかけた、当時は国鉄の均一周遊券と云ふ切符があつて、30日間くらい北海道の国鉄は乗り放題だつた、それでも時間がかかるのであまり長距離は移動できなかった。今は昔の物語である。



令和 5年 8月30日 (水)

 曇り、時々雨。
  最低気温 21.9℃ (00:13)、最高気温 28.3℃ (11:33)

  波状攻撃・・・・今度は12号が・・・台風10号はもう消滅したやうだ。

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4

 散歩から歸つてすぐ、スズメバチの巣、第二波の掃討作戦を実施した。スズメバチ、昨日は大人しかつたが、昨日のことがあつたのでもしかしたら一夜で覚醒してゐる可能性があるので、少し重装備で作戦を開始したが、今朝も大人しく向うから攻撃してくることは無かつた、どうせなら記録映像を撮ろうとスマホを片手にハシゴを昇つたが、慣れないカメラ操作、全く上手く撮れなかつた、世の中、youtubeなどを見ているとみんな実に器用に撮つてゐるがダメだつた。

 この時間、すでに巣を出ているハチも結構居たので、大部分は掃討できたと思ふが、まだ少し外を飛び回つてゐる、もう巣の中の女王蜂も生きてゐないだらうからあとは生き残りが細々と生きるだけだらうと思ふ。しばらくは様子見である。

 カミさんなんか、スズメバチは危険だから専門業者に頼んだら?と云つてゐたが、小生は下手な業者よりもスズメバチの習性は分かつてゐるのだ、正しく怖がればいいのだ。

 午前中、坂梨増実さん御入来、しばし歓談。

 阿蘇市のプレミアム商品券の購入引換券が送られてきた、武漢ウイルスは表面的には一段落して日常の経済活動も戻つてゐるのに、今年もやるのか。5,000円券で7,000円分の買い物ができる、我が家は4人家族で、全部で12枚送られてきた。つまり60,000円で84,000円分の買い物ができる、年内有効なので、年末の買い物で役に立つだらう。


令和 5年 8月29日 (火)

 晴れ
  最低気温 21.1℃ (06:02)、最高気温 30.7℃ (15:15)

  定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6・写真7・写真8
 昨日から二学期が始まってゐるが、小生、昨日、用があり、見守りに立たなかったので、今日から久しぶりの登校見守りが始まった。夏休み中にすっかり稻が黄金色に稔つてゐる、阿蘇谷の早いところではもう稲刈りが始まつてゐるさうだ。

 台風9号、10号、11号 易姓革命

 ここ数日、トイレの窓から外を除くと何やら、赤ぽい「虫」が何匹も飛び交つてゐる、赤とんぼかと思つたらよく見るとスズメバチだ、裏に回つて軒下を探すがスズメバチの巣はぶら下がつてゐない、よくよく探すと軒の隙間からスズメバチが出入りをしてゐるのが分つた。我が家では20年以上、スズメバチが巣を作つたことがないので驚いた。写真1写真2
 
 小生はハチのプロではないが、もう何年もハチと付きあつてゐるので、だいたいのことはわかつてゐる。
 用心のためにミツバチ用の防護ネットを被つて巣の近くまで行つてみた、普通これだけ近寄ると攻撃してくるはずだが、攻撃してこない。このハチたちはまだ生まれたばかりの若いハチで、「兵隊」に成長してゐないのだらう。このまま放つておくと多分攻撃的なハチの群に成長すると思ふ、だから、可哀想だが駆除することにた。

 スズメバチは自分の巣を守るために、秋になると、巣に近づく人間に攻撃してくるが、普段のスズメバチはおとなしいもので、ミツバチの巣にやつてくるスズメバチも、向うのほうが臆病で、人が近づくと逃げる。
 
 だから、ハチが間違つて部屋の中に入つてきて飛び回るのをみんな大騒ぎするが、ハチの方が恐慌状態なのである。ミツバチも分蜂の際に移住先が決まつてなくて、電柱などに蜂球を作ることががあるが、事情を知らない人は大騒ぎして、殺虫剤で殺さうとする。

 スズメバチの巣の駆除、普通は、その装備が大変である。重装備でかなり厚手の服の上からでも刺される。しかし今回のハチはまだ大丈夫だらうと判断して、ミツバチ用のネットを被つて、少し厚手の長袖のシャツを着ただけで、ハシゴを掛けて1mくらいの距離から、殺虫剤を吹きかけた、数百匹いるのでスプレー缶がすぐに終わり、今日のところは途中でやめた、改めて殺虫スプレーを買つてきた。今日は大騒ぎでまだ飛び回つてゐるので、明日、落ち着いて巣の中に居る状態の時に再度駆除作業しやうと思つてゐる。

 「平成29年7月 九州北部豪雨」により被災した日田彦山線添田駅~夜明・日田駅間について、従来の鉄道路線での復旧は行われずに、鉄道と専用バス道路、一般道を使つてつなぐBRT(バス高速輸送システム)が運行を開始した。全線が鉄道で駄目なら斯う云つた方法でも良いと思ふ、とにかく、点と点をしつかりと線で繋いでくれる公共の交通機関があれば良いのだ。

 九州の真ん中を南北に走る公共交通機関が無いのだ。ところがせつかく福岡方面と大分日田まで路線が繋がつてもそれから南の阿蘇とは全然繋がつてゐない。
 
 夏子が現在住んでゐる筑豊地方からここまでは直線で80キロくだいだらう、ところが、公共交通機関が無いので、九州を大きく左回りで迂回してくるか右回りで迂回してくるかだが、右回りも利便性は良くない。
 
 日田と阿蘇を結ぶバス路線は以前は在つたこともあつたが、今は無い。地方創生、阿蘇と日田を結ぶバス路線の復活を切望する。
https://www.jrkyushu.co.jp/train/hikoboshiline/
 この日田彦山線BRTのこと、当地の新聞は申し訳程度にしか記事にしてゐない、他国のことだからである。この新聞のダメなところである。熊本地震のときの報道もさうだつた。県内のいろいろな商業施設や公共交通機関なのど営業状態を連日のように報じてゐながら、隣県のそれを全く報じなかつた、だから地元では必死で県内の開いてゐる施設を新聞で探したが無いのに、県境を少し越えただけの場所では普通通り営業してゐることを知らなかつた。当地は大分県宮崎県に接する地なので、然ういつた情報が載つてをればと腹が立つたものだ。今では人は県境を越えて移動する、情報もさうだ、なのに地元の新聞の意識は昔の肥後熊本藩の意識と全く同じだ。熊本からすぐの大分や宮﨑のことをもつと報道すればもつと人の徃き来が増えるだらうにと思ふのである。小生的にはもうこの新聞は要らないと思つてゐる、何かきつかけがあれば購読を止めやうと思つてゐる、昔はテレビ欄が必要だつた、今は要らない、地元の訃報もいまではネットで教えてくれる、新聞は、特に共同通信をネタもとにする偏向新聞は要らないのだ。

 晩飯 普段あまりホタテは使わないけど、今日はホタテを買つて料理したぞ、あんな國とは付き合わなくていいぞ。



令和 5年 8月28日 (月)

 晴れ。
  最低気温 19.6℃ (05:15)、最高気温 31.4℃ (14:44)

 台風11号が正式に "認知”された、まだこの先どうなるか判らない、まつすぐ行くわけがない、必ず右に曲がるぞ。

 今日から第二学期の始まり、小生は都合で登校見守りに立てなかつたがカミさんが代わりに立つてくれた。
 
 出田眼科に行つた。理想的な回復具合ださうだ、それで今回で終わりかと思つたらまたひと月後に來いと云ふ、まだしばらくは一種類だけだが目薬も注せとのこと。

 今日瞳孔を開く目薬を注すかどうか聞いてゐなかつたので今回も駅まで送つてもらつてJRで行つた。あまり通学の高校生は乗つてをらず空いてゐた、高校は、あるいは下の高校はまだ夏休みなのだらうか。

 結果的に瞳孔は開かなかつたのだが、車で行くより、のんびり出來るので鉄道のほうがいい、ただ、帰りは宮地駅から炎天下歩きである。約3キロ、ポジティブに歩くので苦ではなく、気持ちの良い汗をかいて帰つてきた。今日はよく歩いた。写真1写真2

 熊本駅から病院まで、行きも帰りも市電に乗つた。そして今日も帰りの汽車を待つ間に、駅ビルでハンバーガーを食べた、最近ハンバーガが旨いことを知つた、考えてみたら、ビーフだから旨いのは当たり前か。

 帰つたら狩猟免許状が届いゐた、小生の狩猟免許は「わな猟」である。
 
 試験が終わつてからであるが、youtubeで鳥獣の狩猟免許関連のチャンネルを見てゐて、どうせなら狩猟免許のうち、ワナだけでなくて第一種銃猟免許もとつておけばよかつたと思つた。鳥獣の狩猟の免許には、「網」「わな」「第一種銃猟免許」「第二種銃猟免許」の四種類がある、日本では狩猟の免許は四種類しか無いのである、その他の方法で猟をすることは認められてゐない、古来からある弓矢での猟も日本では認められてゐないのだ。

 網やワナにしても、使つてはいけない網やワナもある、かすみ網は禁止である、とらばさみなども禁止である。野生の鳥獣は思つた以上に保護されてゐる。小生が取つた狩猟の免許は「わな猟」である。ワナでは鳥は捕つてはいけない、ワナではイノシシやタヌキやシカ、キツネは捕ることができるがクマをくくりワナで捕ることは許されてゐない、などなど試験ではこのやうなことを問われるのだが、狩猟の免許のなかの第一種銃猟免許は基本的には猟銃で猟をする免許だ(空気銃も使える)。猟銃を使う免許だから試験は難しいのだらうと思つてゐたが、youtubeなどを見てゐて、別に特に難しいものでは無いことがわかつた。
 
 銃の分解組み立ての試験があるが、これなんか講習会で習うことができる、筆記試験もワナ以外に銃猟に関する問題が出るが、過去問をやつておけば簡単である。だから、同じくらいのエネルギーを使つて試験を受けるのであれば、ワナと第一種銃猟免許の二つを同時に取っておけばよかつたと思つてゐるのである。
 
 もつとも、実際に猟銃で狩猟をするとなると、この免許証だけでは猟は出來ない、銃の所持許可を警察で貰わなければならないのだ、こちらの方が、うんと面倒なやうである。警察としては銃を持たせたくないから銃を持つ動機を根堀葉掘り訊かれて、身辺調査までされるらしい、何よりも問題は、許可を取つてから猟銃を買うのでなくて、買う猟銃を決めてからその銃の所持許可を貰わなければならないことである。だから第一種銃猟免許を取つても実際に銃を持たなければ許可が降りない、とりあえず、許可をもらつて、そのうちに銃を買う、などと云ふことは出來ないのである。ハムで云ふなら、従免と局面の関係だらうか。

 そこで、銃とはどのくらい値段で売つてるのかと思つてyoutubeなんか見てゐると、散弾銃で云ふなら30万円くらいだらうか、空気銃だとこちらの方が安さうだが、逆に製造の精密度が高くなるので、5~60万、80万円くらいする、とてもではないが、買えない。空気銃の弾は安いが猟銃の弾は高い、これは完全に余裕のある人向けの道楽だ。

 だから小生は猟銃を使う気はサラサラ無いのだが、同じ程度の免許取得エネルギーなら同じ狩猟免許でもワナ猟と第一種銃猟の免許とでは、第一種のほうが重みが、もつと簡単に言へば「かっこよさ」が違うのでは、と云ふただそれだけの理由である。
 
 それに、小生は狩猟のyoutubeを見てゐて、積極的に猟で動物を殺すことは出來ないなと思つた。小生が狩猟免許を取つたのは、畑を荒らす有害鳥獣のイノシシを止むに止れず捕獲するためであつて、出來たら人里に降りてこなければ捕られまいに、という立場である、小生は出來るだけ殺生はしたくないのである。
 
 免許が下りたので早速、市の農政課に行つて補助金の申請をしてきた、予算枠があると聞いたので、無くならないうちにと行つてきた。受験料が5,200円、猟友会の講習料が10,000円、全額が補助の対象らしい。これは道楽に補助金を出さうといふことでなくて、有害鳥獣を捕獲してほしいと云ふ市の考えから来るのだらう。


令和 5年 8月27日 (日)

 穏やかに夏の終わりの一日が過ぎる、今日はにわか雨も雷も無かつた。
  最低気温 20.1℃ (03:15)、最高気温 30.3℃ (13:42)

 我が気象庁もようやく台風11号になるだらうといふ低気圧を表示した、またぞろ、九州を窺つてゐる、ところが早々と予想してゐたECMWFの予想図(9/4)ではこれが怪しくなつてゐる、それだけまだ予想が難しいのだらう。

阿蘇五岳の朝  阿蘇五岳の夕

 カミさんは午前中に帰つてきて太郎を塾に連れて行つた、今日は塾の模擬試験があるさうである。

 「マタギ」のナベさんの紹介で、阿蘇地域の猟友会の代表者に連絡を取つて、入会の申し込みをした。当初、鉄砲では無いし、自宅周辺で有害鳥獣のイノシシをワナで捕まえるだけだから猟友会などに入ることも無いだらうと考えてゐたが、狩猟免許だけでは狩猟は出來ないのだ、狩猟免許は全国どこでも通用するが、実際に狩猟をする場合には、実際に猟をする都道府県ごとに狩猟者の登録をする必要がある。その登録には、狩猟に際して(主として猟銃だらうが)事故を起こした場合に被害を与えた相手方に損害賠償責任が生ずるが、そのための保険に入る必要がある(資力があればそれでも良いが、その証明が要る)、その保険には個人で入ることが事実上出來ないやうで、猟友会がそれらをやつてくれる。その他にも、猟友会に入つてをいた方が、色々と都合が良いやうなので、入ることにしたのだ。
 まだ免許状が正式に届いてゐないので、後日改めて猟友会の加入申請書類等を送つてもらうことにした。

 ラグビーW杯フランス大会前最後のテストマッチ、イタリア戦を見逃した。スケジュール表に書いてをきながら、勘違いをして一日間違つた。深夜放送なのだが、この時間は小生はそろそろ起き出す時間なので、起床時間には問題が無かつたのだが、今夜(日付的には明日の深夜)だと思つてゐたが昨夜(日付的にはもう過ぎ去った今日の深夜)だつた、残念。今回のフランス大会は時差の関係で、期間中、日本では深夜放送になるから、気をつけなければならない。


令和 5年 8月26日 (土)

 今日も涼しかつた、日中、一時にわか雨が降つた。
  最低気温 20.6℃ (04:28)、最高気温 28.1℃ (11:41)

 阿蘇五岳の朝  阿蘇五岳の夕

 台風9号と10号の間に、まもなく11号が発生しさうだが、この台風11号、九州方面に進みさうだ、まだ判らないが。 

 夏子が漸く歸つていつた、カミさんが送つていつた、多分カミさんは向こう泊りだらう。夏子は大学が始まる前に友達とちよつと北海道旅行をして、そのあとはほぼ半年間、病院での実習があるさうである、これがキツイさうである。

 太郎は今日も宿題に追われてゐたが、自由研究をなんとかやつつけたやうだ、まだ、宿題が残つてゐさうだ。太郎も来週には学校が始まる、それから漸く小生の夏休みが始まるのだ。

 晩飯 とろろ飯にした


令和 5年 8月25日 (金)

 寝てゐてタオルケット無しでは寒いくらいだ、午前中は晴れてゐたが、太郎が昼前に部活を終えて歸つてきたころから雨が降り始めて、それに、雷が伴つて結構降りつづゐていた。今日の雷は尋常でなく、いままでこんなに大きな雷があつたらうかと云ふほどの大雷鳴で、家がビリビリ震えるほどの雷が相当時間鳴り響いてゐた。
  最低気温 20.1℃ (03:54)、最高気温 27.5℃ (10:58)

 台風9号と10号が発生してをり、10号は日本には直接関係が無さゝうだ、9号は一応臺灣方向に進みさうではあるが、これもまだ、あまり信用できない。それより、9号と10号の間に不穏な気配が見られ、これがECMWFによると、台風11号になつて九州方面に進む予報になつてゐる、気になるところである。

 8/19に受験した狩猟免許試験、本日、県庁から合格者がネットで発表された、合格してゐた
正式な合格証は後日郵送されてくるさうであるが感想などはその時に。

 晩飯にトンカツを揚げて、ポテトサラダを作った。


令和 5年 8月24日 (木)

 昼過ぎに遠くで雷がなつてゐるなと思つてゐたら、短時間だつたが突然停電した、どこかで落雷があつたのかもしれない。その後、3時ころ、真つ赤な雨雲がどんどん南の方からやつてきて、太郎が塾に行く前には雨と雷鳴が轟いてゐた、でもレーダーほどの大雨にはならなかつた。
 全国的には今日はどうだつたのだらう、相変わらず暑かつたのだらうか、当地は夕方になつて気温が下がつてきて、窓を開けておくと肌寒さを感じたので、窓を閉めたほどだつた。
  最低気温 21.3℃ (19:11)、最高気温 30.4℃ (11:47)

 台風9号が気になる、そして10号も?このまま何事もなく稲刈りが終わるとは思へない、必ず、稲刈りのころに台風がやつてくる。
 夏子が運転をして小生が助手席で、塾に行く太郎をバス停まで送つた。そのあと近々友達と旅行をする予定で、レンタカーを借りるけど、給油の仕方がわからんからと云ふのでセルフスタンドに寄つて給油の講習をした。

 太郎は夏休みの宿題、いよいよ尻に火が点いたやうで、遊びに行くのをやめて、宿題の山に取り組んでゐた、姉が傍でハッパを掛ける役をやつてゐるので、小生は知らんぷりである。誰もがみんなが経験する憂鬱な土壇場の夏休みの宿題である。

 今日は小アジの南蛮漬けを作つた。昨日、晩飯の材料(牛肉と野菜の甘酢)を買い終わつて、魚売り場のところに来たら小アジが賣つてゐたので、もう食材はカゴの中なので、献立を変えるわけにいかないので、今日の献立にすることにして小アジも買い求めてをいた。早く夏休み終わつてくれ~


令和 5年 8月23日 (水)

 雨のち、晴れ。夜中から結構雨音が聞こえてゐて、夜が明けてからも弱い雨が降つていた。午後から雨だといふ予報だつたと思ふが、少し早まつたのか、その雨も昼には上がつた。
  最低気温 22.1℃ (07:03)、最高気温 28.5℃ (12:55)

 夕方、太郎を歯医者に連れて行く、カミさんの担当だが、今日は学校の美化作業でカミさんはそちらに行くから小生が太郎を高森歯科に連れて行つた。今日の診療とは直接関係がないが、太郎にはまだ乳歯が残つてゐるさうだ。

 歯医者から戻つて急いで夕飯をつくり、子どもたちに食べさせてから、7時から同時開催の坂梨公民館運営委員会、青少年育成協議会運営委員会、坂梨みどりの基金運営委員会の前年度活動報告と今年度の運営計画の会議があり、民生委員・児童委員として招集通知が来てゐたのでわけも分からずに出席してきた。坂梨地区のお歴々が大勢出席してゐた、民生委員は自動的に各委員会の運営委員になるやうで、委員名簿に小生の名前が載つてゐた。

 今日は夕方からオーチャードハウスで、阿蘇「みんなの森・いこいの村」活用促進期成会のミーティングが予定されて居たが、上記の事情で欠席した。欠席に当たり、昼間、夏子の運転でその断りに行つて二人でコーヒーをごちそうなつて歸つてきた。


令和 5年 8月22日 (火)

 晴れ。
  最低気温 19.7℃ (05:23)、最高気温 31.7℃ (14:51)

 太郎は午前中部活で登校して行つた、夏子は、高校時代の友達と会うからと光の森にでかけていつた、みんなが二三時間家に居ないのはこの時間くらいしか無いから、バルサンを焚いた。その間、小生は家に居られないから、図書館で二時間ほど過ごした。

 最近、多分、就寝中にだと思ふが蚊では無い虫にやたらと食われる、なんの虫だかわからないが、小生の部屋だけ燻蒸した。連中が寝る部屋も燻蒸してやらうかとも思つたが、ダニなどの死骸がまたアレルギーの元になるらしいから、とりあえず小生の部屋だけやつた。なるべく薬剤に触れる面積が広いほうが良いのだらう、布団などひつくり返してをいた。
 部屋を締め切つて燻蒸するから、別の部屋に居ればあまり影響は無いとは思つたが、玄関に警告文を出して外出した

 「バルサン」は商品名で固有名詞だつたか、小生が今日使つたやつは、バルサンでは無かつたが、もう普通名詞化してバルサンの方が通りが良い、図書館でバルサンしてるからしばらく居ますと云つたら、どうぞごゆつくりと返してきた、「燻煙剤」と云ふのが正しいのか。


令和 5年 8月21日 (月)

 晴れ。今日も暑かつた、でも風さえ吹けば涼しい。
  最低気温 22.2℃ (05:25)、最高気温 32.2℃(13:19)

 村の宗教行事、お大師さん、薬師さん、お地蔵さんがあつた。武漢コロナを挟んで、行事も簡略化されて、村の人が全員集まることも無くなつた、これも時代の流れだらう。

 今日ものんべんだらり。

令和 5年 8月20日 (日) 夏子21回目の誕生日

 晴れ。今日も暑かつた。
  最低気温 23.2℃ (01:54)、最高気温 32.2℃ (15:04)

 今日、夏子が帰省してきた、この夏休み二度目の帰省である、と云ふか、先日帰省してきて、北九州である講習会に出席のため、一旦、福岡に歸つて、講習会が終わつて、また、戻つてきたと云ふことである、その間僅か二日間の不在である。
 
 前回は都市間高速バスの「光の森」まで小生が迎えに行つたが、今回は、カミさんが益城まで迎えに行つて、そこから歸つてきた。時間的、距離的には「光の森」が良いのだが、この便は運行本数が少ないさうで、今日はもう一つの路線が停まる益城になつた。

 今朝5時半ころに向こうを發つて、途中二人でいろいろ買い物をして昼ころ歸つてきた。今回は8月の終わり近くまでゐる然うである。

 太郎、いよいよ夏休みが終わりに近づいてきたから、一日中宿題をやつてゐた、"x"がどうのこうのと云ひながらお姉ちゃんに訊いてゐたので数学の一次方程式の問題だらう、中一ともなると、もう方程式を習うのだ、夏子のときは小生が教えたが、太郎には先輩がゐるから小生が教える必要がない。

 小生、親戚大集合in阿蘇のイベントも無事に終わり、狩猟免許試験も終わつて、開放感に浸つて何もしないでダラーつとして過ごした。いくら勉強をしなかつたからとは云へ、それなりに気にはしてゐたのだ。


令和 5年 8月19日 (土)

 晴れ。昨日までは旅行者にとつては気の毒な天気だつたが、一日二日遅れで今日は漸く回復した。
 でも今日は湿度が高くて蒸したなあ。
  最低気温 22.3℃ (05:43)、最高気温 29.8℃ (12:19)

 阿蘇地域振興局で狩猟免許の試験を受けた。狩猟免許には「わな」「網」「猟銃」「空気銃」があり、それらを同時に複数受ける者などが居て数十名が試験を受けたが、受験者のうち、10名以上の欠席者があつた、どのやうな事情があつたのだらう。

 午前中、鳥獣法などの筆記試験があり、その合格者が午後からの実技試験を受けることになつてゐる、先ず筆記試験である程度フルイにかけると云ふことだが、どのくらいの人数が篩にかけられたのだらう、大した人数では無かつたらうと思ふ。(筆記試験は、解き終わつて最後まで90分居残らずに途中で退出する受験生が多いので、筆記試験が終わるまでに途中退出してきた受験生の視力検査、聴力検査、運動能力検査もやつてしまふ)

 小生、今回あまり身を入れて受験勉強をしなかつたうえに、出題範囲をよく調べてゐなかつたので必要の無い他の免許の分まで過去問をやつたので、それでも全部マスター出來たのならまだ良いが、範囲が広い分ざつと目を通す程度で終わつたので、逆に小生が受ける「ワナ」の過去問勉強はかなり手抜きだつた。

 狩猟免許、小生、害獣のイノシシ駆除のために必要に迫られて取る免許で、決して狩猟が好きだからと云ふわけではないので、どうしても勉強に身が入らなかつた。

 実際に今日の試験では多分過去問の中にあつたのだらうが、正答が分からなかつた問題がいくつかあつたので、正午頃に貼り出された筆記試験の合格者の受験番号を見る時はちよつとヒヤヒヤものだつたがなんとか筆記試験には合格できてゐた。写真1写真2

 ヒヤヒヤした原因はもうひとつある、受験番号と氏名を全部で6枚の答案用紙に書くのだが、受験表の受験番号欄には「阿蘇第5011号」とあるので、解答用紙にも、然のやうに書かなければならないところ、受験番号だからと単に番号だけ「5011」とだけ書いて問題を解き始めたが、ふと、試験開始前の説明で、昼ころ、筆記試験の合格者は受験番号を貼り出すからそれを見るやうに、他に同じ番号の人も居るから阿蘇第****号だとか菊池第****号だとか番号の前の文字もちゃんと見てくださいと云つてゐたのを思い出して、番号だけでは駄目なんだとあわてて答案用紙の受験番号の欄に「阿蘇」と云ふ文字を追加したが、これ一つとつてもあまり試験に身が入らない証なのかもしれない。もつと厳格に取る試験では受験番号欄に「阿蘇第****号」とある以上は「第や号」まで書かないと失格だつたかもしれないが、まあ、多分このあたりは大目に見てくれるだらうと思つてゐたものの内心少しヒヤヒヤしてゐた。

 筆記試験は一斉に受けるが、午後からの実技試験は、一人ひとり、個室に呼ばれて試験管の前で試験を受ける。

 ワナ猟免許の試験は、実際に6種類の「ワナ」(「箱落とし」「筒型のイタチ捕獲器」「トラバサミ」「くくりワナ」などの狩猟道具が実際に机の上に並べてあり、一つ一つ、このワナは使つて良いワナなのか使つてはいけないワナなのかを試験官の前で答える。一見して使えさうなワナだが、間違つて捕獲した非狩猟動物を逃してやるために動物を傷めないやうな仕掛けがあるか無いかで、使つて良いワナか、使つてはいけないワナないのかの答えが違てくる。

 この試験は、何も準備をしてゐなければ決して合格できるやうな試験ではないが、実は猟友会の講習で、全く同じ教材で予行演習をしたものだから、講習会で習つたものをちゃんと復習しておけば、大丈夫である。
 
 同じくワナの試験で、その中の一つの「箱ワナ」を実際に架設してその後、解除するまでの試験がある、これも猟友会の講習会で実際に試験で使われる箱ワナと同じもので体験済みのものである。

 もうひとつの実技試験、ワナ猟で捕まえて良い動物と捕まえてはいけない動物のカラー写真パネルを試験官がランダムに示すものを、「捕れます」と答えて、その動物名云ふ、捕つてはいけないものは捕れないと答える。全部で16枚のパネルである、これも講習会で事前に教えてもらつた動物だから、これだけ覚えれば濟む。(タヌキ、キツネ、テン、イタチ(オス)、ニホンジカ、アライグマ、ハクビシン、アナグマ、ミンク、モモンガ、イタチ(メス)、カモシカ、ニホンリス、ムササビ、ニホンザル、オコジョ 以上16種)

 だから午後からの実技試験では先ず落ちること無いだらうから、午前中の筆記試験を通れば、多分、最終合格間違いがないだらうと思ふのであるが正式の合格発表は25日ださうだ。
 
 ひとりひとりについて、ワナ猟の実技試験は上に述べたとおりだが、鉄砲の試験まで受ける人はもつと色々な実技試験があるのだらうから、全員が終了するのが午後4時ころとなつてゐたが、小生の場合は、1時前には終わつて歸つてきた。

 これで、もう、狩猟の免許の勉強はしなくて濟む、ああ清々した。


令和 5年 8月18日 (金)

 今日も朝から雨が降つてゐた。
  最低気温 22.2℃ (00:49)、最高気温 25.9℃ (15:50)

 昨夜、亀の井ホテルに泊まつた連中、哲兄は一晩中咳が止まらなかつたさうで、それでも朝6時には、友人と会う約束があるからと、早々に八代に向けて發つて行つた然うである。
 
 滉兄夫妻は、10時すぎの汽車で宮地駅から博多に歸つて行つた然うである。
 写真1写真2写真3写真4

 残りの連中は、今日の行動の前に、ボンの顔見たさもあつて我が家に寄つてくれて、しばらく歓談をしたあと、一旦阿蘇山頂に行つた後、二台の車(三家族)はそれぞれの別の目的地を目指して阿蘇を離れて行つた。
 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 本日我が家に寄つてくれたくれた連中、あれだけの大人数が入れるかと心配したが、なんとか全員が座ることが出來た。
 こんなに大勢の人間が一度に集まつたのは婆様の葬式以來だらう。

 前々から気になつて仕方が無かつた一族の一大イベント、悪天候に邪魔されながらもなんとか無事に終了して、小生は何もしなかつたが本当に良かつた。

 今回の阿蘇集合は、九州を家族旅行をするついでに阿蘇に集まるはずの計画が、一方の九州旅行のほうが雨で新幹線のダイヤが大幅に乱れたりで、ほとんどできなくなって結局阿蘇に集まるだけの旅行になつてしまつた形になり申し訳ない気持ちである。 
 
 今回は一族と云つても母方のそれもほんの一部だけの会合だつたが、もつとそれぞれの配偶者側の血縁も辿れば、わずか二三代で膨大な数の親戚の関係図ができることになる、それを更に伸ばせば人類皆親戚になることになるといふことは決して大げさなことでは無いといふ気がしてきた。
 
 カミさんは夏子のところに泊まつて、今朝講習会の会場がある北九州まで送つてから午後もだいぶ入つてから歸つてきた。


 夕方、武漢コロナで何年か中止になつてゐた村の宗教行事のひとつ、「妙見祭」が公民館で開かれた。
 写真1写真2 (鉄男さん夫妻は所用で撮影後に参加のため写つてゐない)



令和 5年 8月17日 (木)

 午前中は九州の両側を雨の帯が南北に流れて当地は雨は降らないなと思つてゐたところ、午後に入つて九州本島にも雨が降り始めて、結構断続的に宵の口まで降り続いた。
   最低気温 22.6℃ (20:44)、最高気温 30.4℃ (13:20)

 小生の年代とその前の世代の親戚は高齢化に伴いどんどんその数を減らしてゐる。そして今や、一族は、次の、またその次の世代の「子孫」たちの世になりつつある。ところが、子や孫たちの横のつながりが、特に我が家の子たちにとつて、親戚、従兄弟姉妹が一体どのくらいゐるのか殆んど知らない。そこで我々が「退場」する前に、子や孫たちの横のつながりをしつかり確認しやうと云ふ小生の妹の発案などもあつて、阿蘇でできるだけ、親戚が集まろうと云ふことになつた。

 ところが実際に何軒かの親戚にその計画を提案すると、それぞれの家庭の生活スタイルや事情があつて、ある日時を限つてみんなで集まると云ふことが如何に大変なことかといふことが分かつて、最終的に、我が家も含めて17人18人が今晩、阿蘇のホテルに集まることが出來た。

 大人数が夏の行楽シーズンに一つの宿泊施設に宿を取る、人数が確定してをれば早くから予約を入れることもできるが、直前まで都合がつかない親戚もゐる、また、今回は台風といふ人間の力ではどうにも出來ない不測の事情もあつて、それに、高齢者の直前の急病もあつて、幹事役を引き受けてくれた妹の尽力で、ようやく、計画が実現した、これだけの人数が集まるのはおそらく今回が最初で最後になるだらうと思ふ。

 夕方6時から元かんぽの宿の亀の井ホテルで懇親の宴席があつた。

 小生は阿蘇にゐながら、何もすることが出來ず、地元だからもつと旅館などに無理を通して、などと云ふ力は全く無く、ハラハラしながら、計画を見守ちてゐただけだ。
 
 この計画が持ち上がったのはもう数ヶ月前のことで、多分、無理だらうと内心思ひながら計画を見守つてゐた、それが各方面への交渉など妹の粘りでとうとう実現した。
 
 数日前に肺炎症状を起こして、救急車で運ばれるほどの瀕死状態にあつた今回のメンバーの最長老、88歳の哲兄も、当然今回は無理だらうと思つてゐたところ、二三日前にはかなり症状が改善したので、這つてでも会に出席したいと云つてゐたが、宴会の途中、豪雨をついて自分で車を運転して熊本からやつてきた、これには一同大驚きだつた。
 
 また滉兄夫妻、仕事が終わつてから福岡から来るのに、どうしても9時過ぎるけど必ず行くと云つてゐたが、今日の突然の豪雨で、豊肥線が不通一歩手前の遅延で予定より大幅に遅れて、たどり着いた、(そのときには小生は太郎ともう会場を辭してゐたが)、後から聞くと、晴佳ちゃんが宮地駅まで車で迎えに行つてくれたさうだ。このホテルの食事はバイキング方式で、食事を部屋では摂れないさうで、もう時間も過ぎてゐたが梨生の交渉で滉兄夫妻の分を特別に取り分けて食堂に置いてもらつて、バイキングレストランも終了してゐたが、滉兄夫妻を交えてかなり遅くまでみんなで食堂に居続けたさうで、ホテル側には迷惑をかけてしまつたが、レストランの従業員の皆さん、気持ちよく(だと思ふ)応対してくれたさうである。

 今回の会合では最高齢者は88歳の哲兄とその次の85歳の滉兄と三番目が80歳の小生と、あとはみんな若い世代の集まりだつた。

 太郎は数年前の「いとこ」(正確には従兄弟の子らで、小生が所帯を持つのが遅かつたので、年齢的に従兄弟くらいの間柄になる)が我が家に来たことは全く忘れてをり、特に当時遊んでくれた「いとこ」たちの成長が著しくて、太郎からみると実際の年齢以上の開きを感じるらしく、食事の間もずつと固まつてしまつてゐた。
 
 それでも、「いとこ」たちから卓球を誘われて、気持ちがほぐれて楽し然うに遊んでゐた。太郎は、夏子もその傾向があるが、「人見知り」なので、これからの長い人生、多くの人ともっと積極的に交わったほうが良いのでそのことを話してやつたが、こればかりはなかなか治らないことだらう。

 あとからつくづく考えたら、今日のメンバーは四人を除いて全員が小生と血縁関係があることに気がついた、小生から続く血縁ではなくて、小生の母、さらにその母(祖母)を祖として続く血縁者のだ。だからもし、祖母が居なかつたとしたら、全員が今の世にはゐなかつたことになるのである、改めて思つた、うーん。
 
 親戚大集合 in 阿蘇 連続写真(1/2)
 親戚大集合 in 阿蘇 連続写真(2/2)
  (日記を書く時点で集まつた写真 このあと 追って追加がある)

 夏子は宴会のあと、カミさんの運転する車で、福岡まで歸つて行つた。ところがこの福岡まで帰るのは、北九州で行われる学業にかかる講習の参加のためださうで、それが終わつて二三日後にはまた阿蘇に戻つてくる然うである。


令和 5年 8月16日 (水)

 ずつと曇りがちの空だつた。それでも今日の気温真夏日になつてゐた。
  最低気温 22.0℃ (04:42)、最高気温 31.3℃ (13:36)

 なんだ、まだ台風7号、生きてゐたのか、もう疾つくに温帯低気圧になつたと思つてゐた、今日も場所によつて大雨になつて、空の便や新幹線が動かなかつたりしたやうだが外に注意を向けないものだから全くそんなこと気が付かなかつた。

 夏子はずつと勉強をしてゐる、なかなか大変な専攻のやうである。
 太郎は、夏休みの宿題の「絵」をやつつけで仕上げてゐた。
 小生も受験勉強をしたが、いつの間にか机に向かつたまま眠りこけて、太郎たちの「餌食」になつてゐたやうだ。

 日が落ちてから、送り火を焚いてご先祖様をお送りした


令和 5年 8月15日 (火)   終戰の日 

 さうか、今日は台風騒ぎで気が付かなかつた、終戰の日だつたか、「ひろしま」ではサイレンを鳴らすが、「終戰の日」には鳴らないのか、この日こそ、全国民が夫ぞれの想ひで黙祷をする日だらうに。

 今日でお盆は終わりだ、静かなお盆だつた、明日の夕方、送り火を焚かう。

 直接影響は無かつたものの、台風の影響だらう、今日一日、ずつと曇つてゐた。
  最低気温 22.4℃ (00:29)、最高気温 27.1℃ (14:42)

 台風7号、紀伊半島関西圏に猛威を振るつて、日本海に抜けて行つた(まだ6時時点では抜けてゐないのか)。ずつと追つてゐた訳では無いが、台風の周辺での雨が酷かつた印象があるが、実際はどうだつのだらう、九州とは無縁の台風だつたので、あまり関心を持つて注意を払つてゐなかつた。


令和 5年 8月14日 (月)

 晴れ
 当地の今朝の最低気温が20℃を切つた、一方で相変わらず日中は暑くて、最高気温は今日も真夏日を軽く突破してゐた。
  最低気温 19.8℃ (05:31)、最高気温 32.6℃ (14:14)

 台風7号、紀伊半島を縱斷して兵庫県に抜けるのか。今回は当方のんきに構えてゐられるが、コースに当たる地域、戦々恐々だらう。

 カミさんたち、明日の予定を繰り上げて千葉から今日歸つてきた。明後日かと思つてゐたので、予定変更は正解だらう。
 飛行機、出発が30分ほど遅れて、正午ころ熊本空港に着いた、空港が近いので高度を下げながら我が家の上を通るので写真を撮つた。歸つてきたカミさんが、これANAでなくてJALでせう、と云ふので、画像を拡大したら確かに尾翼にツルのマークがあつた。同じころANAとJALが飛ぶのださうだ、でも、あのとき、飛んでたのこれだけだつたけどなあ。
 今日の便、台風の影響を避けて途中少し北側を飛んだのだらうか。

 武漢コロナが流行る前は、お盆の14日には、毎年、妙法寺の庵主さんが村の各家を回つてお経をあげてくださつてゐた、今年からそのお経は復活かなと思つて準備をしてゐたがお見えにならなかつた、今年も用心のためなのだらう。


令和 5年 8月13日 (日) 盂蘭盆会

 ,阿蘇五岳写真1写真2 ひえ~、猛暑日手前まで気温が上がつた、たしかに今日は暑かつたが、別に我慢できないほどの暑さでも無かつた、歳を取ると気温に鈍感になるらしい。
  最低気温 22.1℃ (05:52)、最高気温 33.8℃ (14:58)

 台風7号の予想進路、また少し西に寄つて来てゐる、紀伊半島西側を通つて兵庫あたりを指してゐる。勢いも当初騷いでゐたころよりも、大分弱くなつてきてゐる。カミさんたちは台風で飛べなくなるといけないからと明日歸つて来る然うである。変更しなくても多分、大丈夫だつたと思ふが、変更したものは仕方がない、でもよくチケット取れたなあ、逆コースだからだらう。
 逆コースと云えば、今回に限らず、田舎に住んでゐると交通渋滞とは都会人の行動と逆のコースなので、だいたいいつも渋滞に巻き込まれることが少ない。

 円通寺様にお盆のお経をあげて頂いた、いつも、午後一番においでになるのだが、いつまで待つてもおいでにならないから、我が家はパスかなと思つて、初盆参りに出かけやうとしてゐたら、午後三時過ぎにお見えになつた。今日は「師走」で、一年で一番忙しい日だ、智道住職、いつものやうに奥方運転の車で走り回つておいでだつた、南無・・・
小生作お供え膳
 
 夏子は以前から友達と会う約束があつたので、生きてる人間優先で、お経は失礼して出かけて行つたので、小生一人で和尚のお経を聽いた。

 初盆参りがてら、八千場の分家の墓に花を供えてきた
 今年の初盆参りは正士さんと桐原さんとDIさんの三軒にお参りをした。

 日没後、お迎え火を焚いてご先祖様をお迎えした。日中のお経と日が暮れてからのお迎え火、理屈に合わない気もするが、斯う云つたものは時空を超えたものだから考えないことにしてゐる。

 晩飯 鰹タタキ、鯨刺し身


令和 5年 8月12日 (土)

 晴れ。今日は当地も暑かつた。
  最低気温 22.2℃ (05:34)、最高気温 31.1℃ (15:02)

 台風7号予想コース。台風8号も発生してゐる、流石にこれは日本には来ないだらう。と思ふが。

 夏子が夕方福岡から帰省してきた、九州自動車道を走る都市間高速バスが最近は光の森までやつてくるので、小生が光の森まで迎えに行つた。ちやうど時分時だつたので、二人で「いきステ」で飯を食つて帰ってきた(写真1写真2)。帰りは途中から夏子にハンドルを任せた。阿蘇大橋までは二車線で、そのうえ殆んど車が通らないので、初心者でも安心してマイペースで運転できる。
 
 夏子が到着するまでの時間を利用して、久しぶりに映画を觀た。「リボルバー・リリー」といふ邦画でつい最近、本を読んだばかりなので、筋はともかく、当時の時代が映画でどう映像化されてゐるかが興味があつた。

 太郎は今日は戦艦三笠を見に行つたやうだ、今回の千葉行で、是非行つてみろと云つてをいた。

 初盆参り用に両替をしておこうと、銀行ATMコーナーの両外機のところに行ってみると、銀行の休業日には両替機は取り扱いをしてゐないやうで、しかたなくATMで引き出したところ、営業日外の取り扱いに110円手数料を取ると云ふ、どうして自分のカネを下ろすのに手数料を払わなければならないのか、110円の利息を得るには何年預金しなければならないのか、銀行の殿様商売には分かつてゐても腹が立つ。

令和 5年 8月11日 (金) 山の日

 晴れ。相変わらず下界では連日暑い日が続いてゐるやうだが、当地、ギリギリのところで踏みとどまつて、真夏日にはさせなかつた。
  最低気温 21.5℃ (06:01)、最高気温 29.9℃ (12:15)

 台風7号、どうなつただらうと夕方ネットを覗いてみた、どんどん西にコース予想が変わつてきてゐる、今のところ、紀伊半島の高野山あたりを指してゐる、まだ西にブレる気がする、下手をすると、九州方向に曲がるかもしれない。

 坂梨体育館で住民健診があつた。小生は髙野病院で定期的に肺や胃腸のチェックを受けてゐるので、住民健診では最低限の基本診療とオマケにPSAの検査だけしてもらつた。PSAについても今までずつと異常がないので、仮に数値が今になつて少しくらい高くなつても、小生の年齢からすると、命取りになるまでの年数と寿命を秤にかけたら、敢えて検査をすることもないのだが。写真1写真2写真3
 
 もうお盆休みが始まってゐる、夕方、太郎とカミさんは千葉のお祖父ちゃんの家に出かけて行つた。行きはヨイヨイだが、帰りがちやうど台風7号の影響を受けさうで、スケジュールが変わるかもしれない。お盆帰省で交通網が大混乱をするだらう。


令和 5年 8月10日 (木)

 まだ九州でも降るところは降つてゐたのだらうが、午前中の早い頃から太陽が出て、セミがうるさく鳴いてゐた。
  最低気温 24.3℃ (19:51)、最高気温 28.2℃ (12:17)
  
 小生のなかでは台風6号は昨日の内でもう終わつたことになつてゐたが、一晩經つて見てみるとまだ殆んど動いてゐない、速度が遅いのだ、、だから、台風が通過してゐる地域では強い雨と風がずつと続いてゐるのだ、距離と場所、ほんの僅かの差で、被害の大きさが極端に違つてくる、当地は昨夜もほとんど雨も降らず、風も大した事無かつた、今朝雨雲レーダーをみると、広範囲に台風を取り巻くやうに大きな雨の帯が渦状に連なつてゐて、一部線状降水帯を爲してゐる、そんな状態のなか、当地のすぐ東側大分宮崎県側では真つ赤な雨雲の帯が連なつてゐる、そして、当地のすぐ西側、熊本地方海岸部にも同じやうに雨雲が連なつてゐる、当地はその間にあつて、昨夜から明け方まで殆んど雨は降つてゐなかつた、紙一重の差である。

 現金なものである、朝までは台風の状況をみてゐたが、もう、自分に関係が無いとなると急に関心が薄れ、その後の進路、見ようともしない。台風7号についてももう殆んど見てゐない、自分の方にやつてくる台風のときは、そんなに頻繁にデータ更新が無いのが分かつてゐながら何度もこまめにコースを確認してゐたが、関係がないとなるともう殆んど見ない。


 午後、買い出しに行つたとき、ミヤハラの駐車場のところで外国人の老夫婦が自転車でやつてきて、自転車を停めて小雨の中、旦那がスマホをいじつてゐる、ああ、どこか探してるんだな、多分、このあたりで探す場所は阿蘇神社だらうと思つて、軽トラの中からお節介にも何処に行くのかと声をかけたら、確かに阿蘇神社には違いなかつたが、阿蘇神社の近くにレストランは無いかと云ふ。レストラン?そんな洒落たもの、この近くにあつたかなあと思つて考えてゐたら、そうか飯屋だ、飯屋は英語でレストランだ、何も洋風である必要はないのだと思い至つて、この先の阿蘇神社の向こう側の商店街に何軒かレストランあるよ、と教えて上げたら、大変喜んでゐた。団体でやつてくるインバウンドは御免蒙るが、少人数でやつてくるインバウンドは歓迎である。

 小生はロクでも無い英語力であるにも関わらず、お節介にもすぐに口を出す。不思議と全く気後れはしない、なんとかなると思つてゐる。
 ところが小生が高校の頃の話だが。田舎の高校生が家族と東京に旅行をした。寝台特急「あさかぜ」、つまりブルートレインで旅行をした。ブルートレインには食堂車が附いてをり、確か予約制で食堂車の入口付近で順番を待つてゐたところに「外人」、多分アメリカの軍人たちが数名順番待ちをしてゐる我々のところにやつてきて、小生に向かつて何かまくしたてる、外人が話しかけてきたことだけでもう頭の中は真つ白、顔がこわばつて何も云えないでいると、さすが、母親、年の功、我が子を助けようと、一生懸命、食堂車の方を指さして「ショク・ドウ・シャ」「ショク・ドウ・シャ」と日本語で叫んでゐた。件の外人たち、こりああダメだとばかりに去つていつた。小生はその時何も応対できなかつたことが非常に恥ずかしかつたことを今でも覚えてゐる。
 
 何が原因だつたのか、それは、外国語でなくて外国人だといふだけで臆したのだらうと思ふ。あの時と同じ人間が今では、外国語がロクに出來ないのは恥ずかしいが、相手が外国人だからといふことで恥ずかしくて近づかないと云ふことは100%無くなつてゐる。
 
 英語なら全部分からなくても知つてる単語でなんとか意思疎通ができるだらうと思ふから、外国人、英語を話す外国人、日本に来る西欧人は母国語が英語でなくても最低限の英語を話すだらうと思ふから、そばに立たれても全く怖くない。だいぶん前になるが、上京した時に、駅の行き先表示板を一生懸命眺めて何かを探してゐる外国人がゐたので、こちらから、何処に行くのかと訊いて教えてやつたことがある。偶にしか都市部に出ないが、外国人が居るとわざとその近くに立つことさえあるのだ。

 夕方から、オーチャードハウスでミーティング。太郎を塾行きのバス停まで送つた足で出かける。



令和 5年 8月 9日 (水)

 昨夜二日続いて夜中に停電があつた、都合4度くらいだつたらうか、これは台風とは全く関係がない、台風はまだ来てゐないのだから。一昨日の停電の原因が調査中だといふことだから、原因不明で、二日続いたのだらう。

 一夜明けて全く台風の気配なし、速度が遅くてまだまだずつと南の方だつた。鹿児島宮崎方面は台風の雨でかなり降つたやうだが、当地は、丁度雨雲からハズレて、しかも九州山地が衝立になつて太平洋側から来る雨雲がこちらまであまり来なかつた。(昨日今日で降つた雨 112.3 mm)
 最低気温 24.2℃ (01:31)、最高気温 25.8℃ (10:30)
 最低気圧 990.4 hPa(15:14)
 最大風速 8.9 m/s (04:12)

 日記を書いてゐる時点ではまだ最接近はしてゐない、総括は少し早すぎるか。いやいや今回の迷走台風6号、何日も「楽しませてもらつた」、こんなにヤキモキした台風も珍しい。
(断つてをくが、いや、断るまでもなく、「楽しませてもらつた」は逆説的表現である・・すぐに最近は炎上する)

 あれだけ大騒ぎをした台風、18時現在には少し勢力が衰えて975hPaまで上がつてきた。当地は暴風域の外側でもあり、普段なら吹く風も全部台風の方へ持つていかれたかのやうで、殆んど無風状態だつた。当地に関しては知らなければ知らないで濟んだ台風だつた。あとはこの先、遠ざかるにつれてどのくらいの吹き返しがあるかである(夜に入つて少し風が出てきたが、このあたりではごく普通の風だ)。

 さてさて続いて発生してゐる台風7号に関しては、これは御前崎あたりに向かうのだらうか、今回は九州は関係が無いと思ふがまだ数日先のことだからまたどう転ぶか判らない。

 晩飯 唐揚げ


令和 5年 8月 8日 (火)

 昨夜二時頃(だから正確には今日になるのだが)停電をした。停電から復旧すると、常夜灯にしてある天井灯が全灯になるほか、いろいろな機器がピーピー音を立てるので気がつく。停電したときはもともと暗いから判らないからどのくらい停電してゐたのか判らない、台風が来てゐるわけでもなく、風が強かったわけでも無い、何故だつたのだらう。
 ここまで書いて、調べてみた。08月08日 01:49~01:53 原因は調査中とあつた。

 今日は降つたり、止んだり、少し照つたり、まあ、台風前の不安定な空模様だつた。
  最低気温 24.3℃ (05:52)、最高気温 26.1℃ (11:43)

 台風6号は漸く向きを北に変えて北上を始めてゐる。最初の予想コースからかなり西にズレてくれた、暴風域ギリギリの距離だらうか、台風は数字だけでは判らないところがある、今回の台風はどのくらいの強さでやってくるだらう、一応、高齢者避難指示が出た
 台風6号進路予想  台風6号進路予想2

 夕方、買い物に出たら、もう今の段階で、風が結構ある。明日の通過時には暴風域ギリギリの位置だから、全く何も養生をしてゐない、明日の朝、慌ててて養生することになるかもしれない、間に合うだらうか。

 ボン、このくらいの台風なら、保護の必要も無いとは思つたが、風が舞うので雨が降り込んで小屋の中が水浸しになるので夜に入ってから玄関の三和土にケージを組み立ててその中に収容してやつた、考えたらまだ生後8ヶ月くらいしか経つてない幼犬だからこのくらいは過保護許にはならないだらう、ネコどもは拘束されてゐないので好きなところに入り込めば良い。

 今日、熱低がめでたく台風に昇格して台風7号になつた、昨日の予想のコースが変わつて、四国から九州を裏から攻めやうとするコースになつてきた、まあ、方向としてはさうなんだらう、またまた心配の種が増えた、と思つてゐたら、夕方には、また関東直撃になつてゐる、まだこの先1週間以上あるから、これからも右に振れたり左に振れたりするのだらう。
 本日朝の時点の予想(動画)  夕方の時点の予想(動画)

 午前中、床屋さんに行つてきた。

 晩飯 酢豚


令和 5年 8月 7日 (月)

 晴れたり、曇つたり、さつと降つたり・・・我が家周辺は30℃を超えなかつた。
  最低気温 23.3℃ (05:40)、最高気温 29.0℃ (11:36)

 今日用があつて山を降りたけど、いやあ暑かつた、昨年充填した軽トラのエアコンのガスがもう抜けてゐたので、補充用のガスを買つてはあつたけど、阿蘇に居る限りは、無くてもなんとか我慢できるので、ガスチャーをまだしないでゐた、やつておけばよかつた。

 台風6号、少しずつではあるが、九州から離れたところを北上しさうだ。ギリギリ暴風域に入らずに濟みさうだ、などと、そちらの方ばかりに気を取られてゐるうちに、また台風7号が発生しさうだ。ECMWFによると、こんどは東海地方から関東地方に直撃の予想が出てゐる、ちょうどお盆のころになる。
(台風6号と台風「7」号、進路予想動画)

 山を降りたついでにボンの餌を買つてきたが、大袋が置いてあつたので、それを買つてきた。小袋を大袋分量買うより相当割安である。


令和 5年 8月 6日 (日)

 時々、ざつと降つたかと思つたら、カツと照つたり、時々風が吹いたり・・・現在のところ、台風が来ることを知らなければ不安定な空模様ではあつたが普通の天気だつた。
 最低気温 24.7℃ (02:00)、最高気温 28.8℃ (11:34)

 迷走台風6号、我が家の真上を通るコースから少しずつ左に逸れて来てをり、九州の西側の沖合を通つてまつすぐ北上しさうな気配で、向かう方向としては日本を離れるので大いに結構だが、私的には我が家の西側を進むより、東側を進んでほしかつた、西側と東側とでは風の強さが全然違ふ。まだ、コースが決まつたわけではないので、この先、まだ、どう変わるかだが、もう少し左方向に曲がるのか、右方向に揺れ戻しがあるのか。

 広島原爆投下から78年、投下時の時間に合わせて市の防災無線のサイレンを合図に家族で鎮魂慰霊の黙祷をした。

 コメを精米してきた(4/7袋)。
 コイン精米所の国道沿い、滝室坂トンネルに通じる道路がここで合流するので道路の拡幅工事が行われてゐる。写真1写真2
 (8/10の園主との話し合いにより、スタートを7袋だつたものを、6袋に修正して、今回4/6袋とし、残りを2袋とする。)

 何年ぶりだらう、藤沢のMQYが我が家を訪ねてくれた、DIさんの葬儀の時にちよつと会場で顔を合わせただけだつたが、今回、親戚などの初盆のお参りに少し早めの阿蘇への帰省だ、もう向こうの人間に成りきつてゐるので「帰省」はおかしいか、「来訪」だ。

 お盆の時期の往復は乗り物が混雑するので、少し早めの繰り上げ来訪ださうだ。
 「ジパング倶楽部」といふシニア向けの会員制の鉄道やホテルなどの大きな割引きや乗り放題のサービスがあるさうで、小生は全く知らなかつたが、鉄道旅行が好きな人には非常に便利なサービスで、今回、MQYは帰りはそれを利用して新幹線で帰る然うである。

 MQYは近年体調を崩して結構大変だつたやうだが、上手く合う薬が見つかつて、今では寛解して日常生活が送られるやうになつたさうだ。午後から三時間ほど積もる話に花が咲いた。


se
0令和 5年 8月 5日 (土)

 晴れだつたが、大気が不安定で所々に小さな雨雲があり、それが流れてきて昼すぎににわか雨を降らせてゐた。それに、もう今から時々不規則に強風が吹いてゐる、実感は全くないがグラフを見ると気圧がどんどん下がつて来てゐる。
 今日も全国的に非常に暑い一日だつたやうだ、当地は、それに比べたら天国だ。
  最低気温 23.1℃ (04:38)、最高気温 30.3℃ (12:51)

 もう当地直撃コースでほぼ決まりだらう、午後8時の時点の予想では、台風6号、どんぴしゃり我が家の上を通る。あとは、少しでも東側を通つてくれることを願うばかりだが、少しずつ左に進路を変えつつあるやうだ。ただ、当初の非常に強い台風でも、上陸してやつてくる頃にはそんなに恐れるほどの強い台風では無くなつてゐるはずだ。

 気が付かなかつた、いつやつたのだらう、昨日不在時にやつたのだらうか、行政による、我が家前の公道の草刈りが終わつてゐた、今朝、ボンの散歩の時に気が付いた。大体お盆の前に草刈りをすることが多いので、今回、小生が刈ろうかどうしやうかと思案してゐたところだつた、少し刈り残しがあるが小生が刈らずに濟んだ。

 この先の天気がわからないので、思い立つて、午前中、山に墓掃除に行つてきた。二時間近く草を刈つたり、枯れ枝の処理、フワフワ絨毯のように散り積もつた木の葉などの掃き寄せをしたりした。それでもかなり大雑把な仕事になつた。以前はお盆の日は山にご先祖様を迎えに登つてゐたが、近年は天候不順やしんどくなつたのもあつて家の玄関先でお迎え火を焚くやうになつたので、次に登るのはまた一年先になるだらう。今日も以前以上に何度も途中で休んで息を整えて登つた、体力の衰えは如何ともし難い。(写真1写真2写真3

 昼から我が家の墓掃除のついでに、と云つては失礼か、我が家の墓の掃除と併せて、八千場霊園の分家の墓の掃除に行つてきた。
ところが、行つてみると綺麗に掃除が濟んでゐた、お供えのシキミもまだ青々としていたので、ほんの最近、ご縁者が掃除に来られたのだらう。

 神前にはサカキを供えるが仏前にはシキミをお供えする、花でなくて青々とした常緑の枝が供えてある場合、神前の場合はサカキ、仏前の場合はシキミと自動的に解釈してゐるだけでそれぞれの詳細については全く知らない、当然別物なのだらう。

 夜はラグビーだ。日本VSフィージー。またジャパンがレッドカーで殆んど全部の時間14人で戰つた。ハイタックルについては厳しく判定される。終盤の息詰まる攻防、敗けたけど面白かつた、でも力の差は歴然である。それにしてもどうして〇〇芸能人をゲストに呼ぶのか、なにか意味でもあるのか。歯の浮くやうなお世辞コメントが不愉快なので音声を消した。
 
 今日の分から白内障手術の予後の目薬が3種類から2種類になつた。もういいと思ふのだが、一体いつまでさすのだらう。


令和 5年 8月 4日 (金)

 今朝、少し肌寒かつた、23℃くらいだと然う感じる気温なのだらうか、当地は今日も、各地の猛暑の基準で云えば涼しかつたと云ふ気温だらう。
  最低気温 22.6℃ (03:35)、最高気温 30.0℃ (12:15)

 台風6号、笑い事ではなくなつてきたやうだ、当初、九州を襲う予想に驚いて、そのあと、東にコースが変わつて、いくらなんでも九州は無いだらうと思つてゐたら、ここにきて九州、しかも熊本直撃が現実味を帯びてきた。
 JMA JTWC
 
 、最初に九州に来ると予想したECMWFは世界で一番精度が高い観測機関だとどこかに載つてゐた。それも含めてGPV Weatherの予想コースを見ると、なんとJMAまでが当地に向かう予想になつてゐるではないか。

 コチョウラン、随分時間をかけて少し前に最後の花が開いて、それで一気に終わるかと思つていたら、まだ二輪ほど落ちないでしつかりと花を付け続けてゐる、本当に息の長い花である。
 
 時々、ネコどもがモグラを捕まえてくる、捕まえた場所で処理すれば良いものを、わざわざロビーに持つてくる、我々に戦果を誇りたいのだらうが、モグラに関しては食べやうともしないで放置するので、仕方がないから小生が外に運んで捨てる。野鳥は羽を残して全部食べるが、モグラは全く食べやうともしない。

 「極楽征夷大将軍」面白かつた。足利尊氏、戦前は逆賊の代表のやうな評価だつたが、近年は「いい人」として語られることが多い。私本太平記も面白かつたが、この本も面白かつた、貴族政治から武家政治に変わる前後のこの時代の小説が好きである。

 猟友会が主催する「狩猟者免許」の講習会に行ってきた。後日、県が主催する本免許試験がある。事前に猟友会が主催する今日の講習会を受けたら、あとは形式的に本試験を受けて・・・とは全く行かないやうで、今日の講習会と本試験とはリンクはしてゐないやうだ。ただ、どのやうな試験を行うかと云ふ実技試験については実際に試験の時に使われる道具類や絵を使つて実地体験ができるので、これは有効だが、ペーパーテストではその特典は無い。

 法令などの筆記試験では受ける免許だけでなくて、狩猟免許全般について出題されるので、小生が取りたいワナの勉強だけをすれば良いといふわけにはいかない。

 全般に渡つての法令解説だから時間が足りないから早口で駆け足でざつと法令の説明があつたが、ほとんど頭に入らなかつた。
 今日は、法令などの解説本「狩猟読本」と「試験の例題集」の二冊をもらったが、問題集については全く解説も無かったから、試験までに、この例題集を頭に入れなければならない、これは過去問を集めたものだらうか。

 狩猟者免許なんかそれほど受講者はゐないだらうと思つてゐたら、今日の未来館で行われた講習会には聞き間違えでなければ45名が受講して、そのうちワナはこれも聞き間違いがなければ24名で、それ以外は鉄砲などを使う猟の受講者だつたやうだ。

 朝の9時半開始で、昼食休みを挟んで、午後3時過ぎに終わつた。実際にワナを使つて実技試験の講習では、小生、くくりわな、かと思つてゐたら、未経験の箱ワナが教材に使われた、本試験でもこの箱ワナを使うさうで、試験官の前で一人ひとり、実際にワナを仕掛けてから解除するまでの手順の試験があるさうである。

写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7未来館からの眺め

 今日の講習会の会場だつた「未来館」は阿蘇地域の行政事務所としての施設であるが、メインはごみ処理場である。小生、最近何度か、山ほど軽トラにゴミを積んで捨てに行つたが、場内の分別コースを運転しながら中の様子を撮る機会が無かつたが、今日、狩猟免許の講習会があつた会場(会議室)はこの未来館の三階にあり、その階には見学コースも作られてゐて、上から、ゴミの分別の様子が見られるやうになつてゐる。運び込まれた「ゴミ類」、自動的分別されるのかと思つたら、分別不十分のゴミを大勢の人が改めて手作業で分別してゐた、実に無駄な作業だと思つた。今では高温で何でもまとめて焼却できるのに、なまじつか中途半端な分別基準に拘つて余分のコストを掛けてゐる。ダイオキシンは細かく云ふと數百種類のダイオキシンがあつて大部分は殆んど無害、ほとんど毒性が無いのに、偏向報道によりダイオキシンは猛毒だといふ風評被害が広がつて焚き火すら出來ない時代になつてゐる。一時注目を集めたここの廃棄物固形燃料化(RDF)もほとんど有効に機能してゐないやうだ。
 写真1写真2写真3・小さくて分かりにくいが、点のやうな小さな青い色、ヘルメットである、大勢の人が手で選別してゐる


令和 5年 8月 3日 (木)

 晴れ。相変わらず下界は猛暑だらけのやうだが有り難いことに当地は少し暑いくらいだつた。
  最低気温 23.6℃ (04:22)、最高気温 30.4℃ (13:59)

 台風6号、そろそろ西進から方向転換をするやうで、このあと東に転じてどう進むかである、日米の予報、大体同じやうな予想を見せてゐるが果たしてその先、どうなるのだらうか、まだ予報円が大きいので、どつちに転ぶかわからない。JMA JTWC
 
 当市には小学校・中学校学校運営協議会といふ組織があり、その中に「安全・安心部会」といふ組織がある、今夕、その部会主催の会議が一の宮小学校で開かれ、どういふわけか、小生にも出席せよとの呼び出しがあつた。

 部会の主な目的は子どもたちの登下校時の安全を守ることであるやうで、隣の旧阿蘇町の校区では以前より先行して地域のいろいろな人の協力で「阿蘇つ子見守り隊」といふ名称で活動をしているので、一の宮地区でも倣つて学校見守り隊を作ることになり、その一回目の会合が本日持たれた。

 小生は、「個人営業」で毎日登校見守りをしてゐる関係で、本日の会合に呼ばれたのだと思ふ。校区の小中学校の校長や教頭先生、PTA会長や交通安全指導員の皆さんの出席があり、阿蘇小学校の「阿蘇っ子見守り隊」の発足やその後の活動状況などの説明があり、一の宮地区では実際にどのやうな形で誰が見守りをするかなど、皆さんの意見が出された。比較的に時間の自由が利く老人会の応援を頼むのも有効ではといふ意見もあつた。改めて後日また会を持たれることになつてゐる。


令和 5年 8月 2日 (水)

 曇のち晴れ。朝地面が濡れてゐた、夜のうちに少し降つたやうだ。
  最低気温 23.8℃ (05:08)、最高気温 29.6℃ (13:12)

 台風6号、沖縄付近にあつてモウレツな風が吹いてゐた、この台風がこの後、どう進むのか、まだハッキリしない。気象庁はそんな先までは多分予想をしてゐるのだらうが正確性に缺けるからだらう、発表しない。それに対して、ヨーロッパの観測機関はかなり先まで予想する。だから、結構コースが変わる。新しい予想では、関東地方に上陸するよう予想をしてゐるが、気象庁JTWCはある程度はっきりするまではそこまでは予想しない、どちらが良いかだな。
 それにGPV Weatherといふサイトの予想、二通りあつて、比べるとかなり違う、この二通りの意味がわからない。 

 午前中、裏の畑地の残りの1/3の草を刈つた、これでとりあえず、ざつとだが、草刈りが終わつた(写真1写真2)。切つても切つても次から次に伸びてゐた竹、漸く、今回で終わりだらう。残るところ、表の県道の路肩だが、これ、どうするかなあ。毎年お盆が近づくと、行政で草刈りをする、ただ、しない時もある。元々小生の仕事では無いのだが、当方で刈つた後すぐ後に草刈り部隊がやつてくることもあるので、来るのがわかつてゐれば、刈らないで置くのだが。

 朝の内、湿度が高くて、太陽は出てゐなくても草刈りをしてゐて晴れて太陽が出てゐる時よりも蒸し暑かつた。
 
 午後から、民児協の全体定例会があつた。

 晩飯、ご近所からナスを頂いたので、ひき肉のナスの挟み揚げと同じく頂戴したオクラを素揚げした。


令和 5年 8月 1日 (火)

 毎日毎日一日が過ぎていくが、それについては特に何も云わない、一週間が過ぎても同じだ、それなのに月が替わるたびに、不思議と、ああ、月が替わつたなあと声には出さないが、詠嘆する、そんなわけで、ああ8月に入つたなあ。である。

 今日も気持ちよく晴れた、下界のやうに猛暑ではない、真夏日ではあつたが、ヒンヤリする風が吹いてくる、高地バンザイである。 今日久しぶりに東京から帰つてきた人が居る、阿蘇の涼しさに驚いてゐるだらう、窓を開けて寝ると明け方、寒いかもしれないぞ。
   最低気温 22.8℃ (05:11)、最高気温 30.6℃ (12:39)

 今日も裏の畑地の草刈りをした、昨日、殘るは1/3と日記に書いたが、計算違いをした、殘るは2/3だつた、今日、また1/3を刈つた、あとまだ1/3残つてゐる。
 
 台風6号、ますます怪しげな動きを見せてゐる、まだ、見せてはゐないが、その気配である。大陸に進む予想が急旋回して太平洋に抜けるかと思つたら、また急に方向を変えて九州に戻つてくる予想が出てゐる、サイドワインダーか。
 

このページ先頭へ  風師庵日記目次へ