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(2022)令和壬寅 4年 1月の記録 (新しい日付けの順)

令和 4年 1月31日 (月)

 今日も曇り時々晴れか、晴れ時々曇りの一日だつた。朝登校見守りで事前にエンジンをかけておこうと外に出たところ、薄つすらと雪で白くなつてゐた、少し降つたやうだつた。
  最低気温 -1.3℃ (07:50)、最高気温 7.3℃ (14:25)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 阿蘇山上のお土産屋さんの大将と無線でつながつて話をした際、今日は山に登らないのかと尋ねたら、どうもお山の様子がオカシイから営業を見合わせてゐるやうなことを云つてゐた。公には特に然のやうな発表は無いが、なんとなく臭うやうなことを云つてゐた、たしかに最近は噴煙が多いやうな気がする

 今日も自宅静養に努めた。

 武漢ウイルスの三回目ワクチン、高齢者宛にニ回目を接種した順番で三回目の案内が来てゐるが、今日、市から小生のところにも接種券が届いた。
 一ニ回のときは直接医療機関で予約をしたが、三回目は市の予約センターで予約をする
 その方法に電話によるものとネットで予約する方法があり、試しにネットで予約しようとしたが、途中で止つて次に進まない、希望する医療機関の予約状況が全く表示されないのだ、他の医療機関の予約状況も全く表示されない、なんじゃこれは、と思つて電話で予約センターに手続きをした。
 こちらの方はスムースだつた、スムースと云ふより、先方の担当者が丁寧すぎて、もっと事務的にやればいいのにと思つたくらいだ。

 それで、予約センターを通して希望医療機関を告げて、古閑医院で2月18日の接種予約が取れた。
 
 世間では、ファイザーばかり希望が多くてモデルナが餘つてゐて、政府は何とかモデルナを使つてほしいやうなことをニュースで云つてゐたので、今回はモデルナかなと思つたら、どちらでも良いと云ふ、へえ、さうなんだ、それじゃあ、一二回ともファイザーだつたので三回目もファイザーで行くことにした。モデルナだつたらモデルナでも良かったのだが、まあ、無難なところでファイザーにしてをいたが、世のなか、副反応が怖いからとモデルナを避ける傾向があるやうだが、別にそれで死ぬわけでも無し、どちらでも良いだろうと思うが臆病者ばかりだ。

 晩飯 精進揚げ。 月曜日は太郎の塾が無いので、変則的な食事をしなくて濟むから、家族一緒で食べられるやう腕を奮つた。


令和 4年 1月30日 (日)

 終日曇り、だったやうな。
   最低気温 1.0C℃ (02:05)、最高気温 7.7℃ (15:16)

 今日は家族全員全く外出せず、小生も、朝、新聞を取りに半歩だけ外に踏み出しただけ。
 膝が痛いので、少し静かにしていやうと思つてゐる、今回の右膝の痛みは関節の骨ではないといふ絶対的な自信がある、筋だろうから少し休ませやうと思ふ。医者に行くと、対症療法、痛み止めの注射を打つてハイ終わりになりがちだから、それは「ごまかし」だから駄目である。


令和 4年 1月29日 (土)

 薄曇り、晴れ時々曇り、曇り時々晴れ・・・どれだつたらう、そんな天気だつた。夕方近く薄つすらと彩雲が見えた
    最低気温 0.0℃ (00:14)、最高気温 7.3℃ (14:23)

 胡蝶蘭、4つ目が開いた、まだまだいけさうだ。

 日中、散発的に、どこか空の遠くから、ドーン、ドーンと云ふ音が聞こえてゐた、自衛隊がどこかの演習場で大砲の射撃訓練をしてゐたのだろうか。日出生台か大矢野原あたりだらうか。

 今日もベースキャンプの焚き火とは別に、昨日とは別の場所で焚き火をして半分残つてゐた蔦蔓葛類を焼却した、これで一連の蔦蔓葛類の焼却は一応終わつた。写真1写真2
 
 太郎、土曜日は昼の部の塾で母親と一緒に出かけた。


令和 4年 1月28日 (金)

 久しぶりに景色は霜で真つ白になつて、車のガラスもガチガチに凍つてゐた。
  最低気温 -2.3℃ (07:00)、最高気温 10.1℃ (14:07)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 少し前に、公道沿いの植栽の蔓蔦葛類の整理をし大量に伐ってそのまま置きつ放しになつてゐたが、今日、その半分くらいを焚き火にした。いつもの焚き火はベースキャンプだからちゃんと焚きながら二箇所で焚き火をした。
 
 先日作つた薪、ベランダにあげてをいたところ、カミさんが大きすぎて重くて抱えられないと云ふので、下に降ろして更に半割にした。小生は大きいほうが火持ちが良いので、ぎりぎりストーブに入るくらいの大きな薪を作る、確かにそれだと重くて小生も苦労をするくらいだ、まあ、割つてをいた方が、小生にお鉢が回つてこなくて濟む、お安いご用だ。。

 晩飯 カキフライ


令和 4年 1月27日 (木)

 曇りがち。
  最低気温 1.1℃ (00:31)、最高気温 8.6℃ (12:55)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 少し前の日記に、爆発的感染拡大で大勢の医療従事者が感染して現場を離れ、医療崩壊が起きると云ふニュースがあったので、戦線離脱しないで陽性の医療従事者が陽性の患者を診る、そして看るのは問題があるのだろうかと書いたが、今日のニュースで「陽陽介護」といふ言葉があつた。介護施設で陽性の介護職員が陽性の施設利用者の介護をするとかしてゐるとかと云ふことだつたと思ふ。老老介護と云ふ言葉はあるが、とうとう「陽陽介護」と云ふ言葉が生まれたか。

 昨日に続いて竹林の整備をする。下草をチェンソーで刈つて、ニ三本、孟宗を間伐した。夏場は刈払機、冬はチェンソーと云ふわけには行かず、冬も刈払機の出番がある。写真1写真2

 その他、少し前に、薪貯木場になつてゐる畑の脇に生えてゐる植栽の蔦、蔓、葛類を整理した際に、もみじの木に沢山の蔦だと思うが張り付いてゐて、この手の蔦は藤類の蔓に比べて優しいのでいずれは刈り取るつもりではゐたがずつと放置してあつた。蔦は冬でも緑のままで、常緑性の植物なのだろうか、そろそろ刈り取るかと今日木の根元に行つてみたところ、想像してゐた以上に太くて猛々しく幹に張り付いてゐて、ちよつとやそつとでは剥ぎ取ろうにも剥ぎ取れずナタやバールまで持ち出して、漸く切り取ることが出來た。

 斯う云つた植物は、張り付いた幹から落ちないようにびつしりと小さな根が広がつて幹に根を張つてゐる、この細かな根を通して木から養分を吸い上げてゐるのなら、根元部分を切り取つても枯らすことは出來ないが、びつしりと細かな根は張り付くためのもので、養分はあくまで、地下から吸い上げて摂つてゐるのなら、根元近くの通路を斷つたのでそのうちに枯れると思うがどうだろうか。近くの別の木の藤系の蔓は少し前に根元を切つたので上の方で枯れてゐるがこれは幹に張り付くための細かな根は無い種類のものだ。
 写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 晩飯 カレー 予定の水曜日の昨日は別の献立だつたので一日遅れである。


令和 4年 1月26日 (水)

 午前中は風もあり雲が多かつたが、午後からはよく晴れて、気温も上がり気持ちの良い一日だつた。
  最低気温 -0.2℃ (00:00)、最高気温 10.7℃ (14:06)

 胡蝶蘭、三つ目が咲いた、今までの二つに比べたら少し小ぶりか、すぐ隣に蕾が膨らんでゐるのがもうひとつある、ここまでは行きさうだ。

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 今日は竹林の方の整備をした。去年の春以來、ずつと管理をしてゐなかつたので、ジャングル化してをり、そろそろまたタケノコのシーズンが近づいてうゐるので蔓蔦類や小笹などを取り払つた、それから、孟宗を切つたあとの切り株が地面から数センチ残つてをり、うつかりすると蹴躓いて特に訪ねてくる人が分らずに怪我をする恐れがあるので、今日、主に人が通るところの切り株、斧で一株づつ潰してをいた、全部で十数箇所あつた。

 今日は作業をする場所が薪割り場所とは別のところだつたが、それでもしつかり焚き火をした、今日は作業時間より、焚火の番の時間が長かつた、焚火のそばでテレワークをして過ごした。
 
 考えて見るに、焚き火といふものは、やはり都会人のするもので、nativeがするものでは無いと云ふ気がする、地元の人で田んぼの草を燃やしたりはするが好んで焚き火をする人は居ないやうだ。都会住まいだと自然に憧れてその延長で焚き火をしたくなるが、田舎では普段が自然の中にゐるのでわざわざ自然を求める必要もないわけだから。小生の場合は焚き火が目的でなくて「從」なのだが、田舎に20年住んでゐてもやはり自然に対する憧れと云ふものがまだ残つてゐるのだろう。

 太郎の塾、水曜日は授業開始の時間の関係で小生が塾まで送るやうになつてゐるが、今日はカミさんが休暇を取つたので、カミさんが送迎した。それに、よくよく調べたら、水曜日は、わざわざ小生が送らなくても、丁度この時間「やまびこ号」が塾に間に合うやうにうまい具合に走つてゐることが判つたので今後は小生は送ることをしないことにした。


令和 4年 1月25日 (火)

 終日曇り。気温は高かつた。
  最低気温 1.2℃ (05:19)、最高気温 10.6℃ (15:31)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 今日から太郎の小学校が再開された。塾通いも今日から再開した。

 小生、本日も休養日に充てる。

 晩飯 ひき肉玉ねぎのオムレツ


令和 4年 1月24日 (月)

 雨は上がったが、終日晴れることも無かつた。
  最低気温 4.1℃ (07:24)、最高気温 7.9℃ (12:03)

 まだ周囲は濡れているので骨休めに本日ものんべんだらり。文字通りの「骨休め」である。
 去年だったかもう一昨年になるか、左の膝を傷めたのは内反性膝関節症と云ふやつで、これはO脚、つまりガニ股の場合、膝の関節の内側の軟骨が失くなつて擦り合わされて炎症を起こして痛むといふやつで、これは、O脚を矯正して骨の関節先端が擦れないやうにしてやれば良いので、靴底に外側が厚くて内側を薄くしたソールを敷いてやれば、O脚の度合いが減つて、関節が擦れなくなつて嘘のやうに痛みは無くなる。それさえ気をつけてやればそれで良い。今度はその左膝をかばつて、知らず知らずに右膝に負担がかかつたのか、最近、右の膝が痛くなつた。ただ右膝の痛みは左膝の痛みとはまた違つた痛みで、関節がぶつかつて痛い、というのとは別の痛みである。そこで素人なりに考えた、これは、筋を傷めたのだろう、筋と云へば、靭帯と云ふやつかな、別に物理的に切れたわけではないので、薪材運びなどで少し無理がかかつたので、一旦減つた骨はもう元には戻らないが、筋だからそのうちに自然治癒するのでは、と人間の自己回復力に期待してゐるところである。高齢者でも自己回復力はまだ残つてゐるだろうと思つてゐるところである。

 昨日の雨で、張り替えた薪小屋のシートの屋根、大丈夫だつたらうと見に行くと、見事に剥がれてゐた。これは雨の重みでなくて、シートが長すぎるので端の方を内側に折り返してあつたところに風が吹き込んで風を孕むやうな形で力を受けて剥がれたやうである。早速張り直してをいた。 

 ニホンミツバチ5号基の砂糖水がすつかり失くなつてゐたので、給餌をしてをいた、この群れは相変わらず非常に元気である。数匹死んでゐたがその程度は物ともせず、砂糖水の交換で扉を開けたりしてゐると沢山飛び出してきた

 玄米30キロ精米に行く。これは去年(R2産)の米の最後の袋にあたる(9/9袋)。暮れ(12/23)に精米したが、これは新米で、前年の分がまだ一袋残つてゐたのは知つてゐたが、友人に少し送つて、正月が来ることだし、夏子が帰省して寮に戻る時にどうせなら新しい米を持つて行つた方がよいだろうと、一袋残したまま先に新米を精米したのだつた。さて令和3年の新米はいくら確保したのだつたろうか、12/23分が新米の1/?袋になるが...と思つてゐるところに胴元と連絡がついたので調べてもらつたところ、今年(R3年産米)は自家用に8袋お願いしたことが確認できた。といふことで、現在1/8袋消費済みと云ふことになる。
 
 太郎の臨時休校は本日までで、今日もオンライン授業を受けてゐた、明日から通常通りの授業が再開される。

 晩飯 酢豚


令和 4年 1月23日 (日)

 雨量は少なかつたが本日は終日九州に雨雲がかかつてゐた。その雨雲、東に移動することなく、だんだんその雨域、東にも廣がつてゐる、気温が高いのでこの雨で雲の切れ間に垣間見えた山の雪もほとんど融けてしまつたやうだ。
  最高気温 4.1℃ (02:15)、最高気温 7.2℃ (15:18)

 本日はこの天気のおかげで完全休養日になつた

 太郎、自粛で、テニススクール休む。


令和 4年 1月22日 (土)

 終日曇りながら、風もなく穏やかな一日だつた、夕方近く予報より早く雨が落ちはじめた。
    最低気温 -2.3℃ (01:47)、最高気温 8.4℃ (15:11)

 昨夜午前一時過ぎに大きな地震が来た。熊本地震のときはJアラートやエリアメールが鳴らなかつた、鳴るヒマもなかったが、今回は揺れが来る直前に例の禍々しい警報音と”大地震が来ます、大地震が来ます”というアナウンスが流れてから揺れが來たので一瞬だが布団の中で身構えて観察する余裕があつた。
 
 Jアラートはいままでは台風の時に警報を発する程度のあえて必要も無いやうな実感の無い警報ばかりだつたが今回始めて地震より先に警報が鳴るJアラートの緊迫感を味わつた、Jアラート、なかなか大したものである、見直した。

 熊本地震を経験してゐるので、ああこの程度の揺れか、と思つて揺れの大きさを感じてゐた。阿蘇市は震度5弱だつたさうだが、同じ震度5でも、「強」と「弱」とではかなりの強さ差があるのだろう、我が家では5弱ほども無く、4程度の体感ではなかたろうか、熊本地震のときのやうなガツンと、いやドカンと下から突き上げる揺れでなくて、あのときほどの家の軋み(きしみ)も無く、横揺れに近かつたので、震源は此処では無いな、もしかしたら南海トラフかな、いよいよ来たな、ここでこのくらいなら大事だなと思つて枕元のスマホを見たら、南海トラフの予想域のなかではあるのだろうが、大分の海岸近く、日向灘が震源だつたやうだ。

 とりあえず、騒ぎが一段落したのでもうしばらく寝るかと思つてゐたところ、市役所の防災無線やお知らせ端末が、地震発生の放送と注意喚起の放送があつた、地震から30分ほど経つてからだつたと思ふが実に間の抜けたタイミングだ、Jアラートやエイリアメールで騒いで、ニュースでも伝えて結構時間が經つてホッとしてみんなまた寝直してからそんな放送をする必要なんか無いだろう。
 
 市の職員がおつとり刀で登庁してから放送をしたのだろうが、それでも放送しなかつたらしなかつたで文句が出るのだろうが、新しい情報なら別だが、Jアラートで放送したのだから、もう必要ないだろう、なんの意味があるのだろう、「屋上屋」だろうに。
 今回は神奈川県のエリアメールの発信回数は大丈夫だつたろうかナントカ知事は謝罪しないで濟んだろうか。

 地震があつたのが一時ころ、まだ少し眠気が殘つてゐる時間なのでなんとか二度寝が出來て目が覺めたときには5時半を回つてゐた、もし地震が二時ころだつたらその時間だともう目がパッチリの時間、そのまま起きて仕舞つただらう。
 
 今朝起きてから6時半すぎ、阿蘇地方(産山村)などで震度3の地震があつたとラジオが伝えてゐたがすぐ隣村なのにそれは全く感じなかつた、地質で地震波の伝わり方は大きく違うのだなあ(阿蘇市は震度1だつたらしい)。


 昨日ハンマーの柄が折れたので、昨日またホームワイドから交換用の柄を買つてきたが、今回折れた柄はつい最近換えたばかりで、保証期間などは無いが、折れるのがあまりに短すぎる、無理な使い方をしたわけでも無いので、これはやはり補償対象になるのでは、ダメ元でとりあえず店に掛けあつてみやうと、店が開くのを待つて折れた柄を持つて出かけた。

 すぐに店の責任者が出てきて、事情を話したところ、すぐに交換に応じてくれて、昨日支拂つた代金を返金してくれた。電子決済だつたので、電子決済用の口座にその分の金額が戻つてゐた。
 
 返金の方法は、柄の代金だけ戻つてくるのか思つたら、昨日他に買つた商品の代金を一旦全額返金する形をとつて、改めて柄の代金を除いた金額が支払われた形になつてゐた。現金払いだとさうはいかないだろうが、数字上だけの計算なので、その方が都合が良いのだろう。差し引きの結果、交換用の柄の代金は2,200円だつた。

 多分、折れた方の柄を買つた時のレシートはあるかと問われるだろうと、レシートはもう無いので、自分が書いた日記の記録は証拠能力は無いだろうが、そのことが書いてあるので疎明にはなるだろうと思つて該当の日付の日記の写し(令和3年11月28日)を持つて行つたので、それを示してすんなりと了解してもらつた。ちゃんとした店はちゃんと対応してくれるものである。
 
 早速柄の交換作業をした。前回、クサビが入つた折れ残つた柄をハンマーヘッドから取り除くのに思つた以上に時間が掛かつた経験をもとに、今回は、ドリルで沢山穴を開けてグザグザにして取り除いたので、前回よりも短時間で交換作業ができた、それでも、出だしが遅かったこともあるが全部終わるのに昼近くまでかかつた。
 
 午後から前に一旦小屋に入れた太物を適当に出して、半割りにした。時間に追われる作業では無し、天候を気にする必要もなし、気の向くまま適当に取り出してのんびりと薪作りをして過ごした。

 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10


令和 4年 1月21日 (金)

 晴れ。
  最低気温 -5.2℃ (06:15)、最高気温 6.7℃ (14:57)

 今日も薪作り。今日は残つてゐた太きくてそのままではストーブに入らない薪材をストーブサイズに割つた。十分に乾燥してゐたので大部分はすぐに燃やすために直接ベランダに運び、残りは薪小屋に入れてをいた。

 斧で割れない時に、矢をハンマーで打ち込んで割るが、そのハンマーの柄が突然折れた。最近交換したばかりの柄だ。普通に使ってゐて折れたのだからこれはクレームものだろう、持って行けば交換してくれさうだが、面倒なので、今日また新しい柄を買つてきた。また折れたら今度は許さない。

 太郎、今度の月曜日まで休校で、今日もオンライン授業を受けてゐた、昨日の日記で塾の授業も今日からオンラインになると書いたが、細かく読まなかつたので、どうも勘違いだつたやうで、来週になつたらまた塾が通いが始まるらしい。
 
 小生は、もし、塾の授業がオンラインになると、丁度、夕方で、台所仕事など、いろいろ騒音がでて、授業が受けにくいだろうから、個室で受けたほうが良いだろうと、環境整備をしたのに、空振りになつてしまつた。

 二階の来客用の寝室(千葉の両親が我が家に逗留する時に使う部屋なので我が家ではおじいちゃんの部屋で通つているが、今や良く云へばウォークインクロゼット、まあ物置化してゐる)の天井灯が山小屋などにあるシーリングファン付きの天井灯で、球もいくつか割れて失くなつてをり、日常的に使うにはちよつと不向きなので普通のシーリングライトに交換しやうともう一年以上前に買つて、面倒でずつと換えず来たが、オンライン授業用にこの部屋を使えば良いとこれを機会に今日交換工事をした。結果的に、今日でなくても良かつたことになるが、まあ、こんなことでもないとなかなか行動に移さないから良かつたのだろう。

 シーリングライト、小生は従来の蛍光サークル管の形状をしてゐるのかと思つたら、LEDが円形にびっしりと貼り付けてあつた。安物だからかもしれないが、それでもリモコンで、明るさ調整は当然だが、白色から電燈色まで無段階で変化できるやうになつてゐる。

 阿蘇の裾野に大手の住宅総合メーカーが展開する緑豊かな広大な別荘・住宅地がある。隣村の哲史さんがそこを管理する会社の責任者(多分社長だと思ふのだが)をやつてゐて、その哲史さんが今日訪ねてきて、今度会社で自然環境をより豊かにするために敷地内でニホンミツバチを飼おうと云ふことになつた、聞くところによると小生がニホンミツバチに詳しいらしいと聞いたので訪ねてきたさうである。小生も人に教えるほど詳しいわけではないけど、ハチ仲間が増えるのは嬉しいので、知つてゐることならと引き受けた。

 その別荘地は裾野の牧野に隣接してをり、ニホンミツバチを飼うには最高の環境だと思ふ、上手くいくと良いと思つてゐる。

 とにもかくにもそれにはまず巣箱を作らなければならないので、丁度去年秋、採蜜した後の巣の跡が少しこびりついた重箱が置いてあつたので、多分小生より木工はお手の物だろう、作る参考になるやう見本にお貸しした。

 晩飯 餃子


令和 4年 1月21日 (金)

 晴れ。
  最低気温 -5.2℃ (06:15)、最高気温 6.7℃ (14:57)

 今日も薪作り。今日は残つてゐた太きくてそのままではストーブに入らない薪材をストーブサイズに割つた。十分に乾燥してゐたので大部分はすぐに燃やすために直接ベランダに運び、残りは薪小屋に入れてをいた。

 斧で割れない時に矢を打ち込んで割る時に使うハンマーの柄がポッキリ折れた。つい最近取り替えたばかりだ、べつに無理な使い方をしたわけではない、これクレームにならないのだろうか、持つて行つて文句をつけたら交換してくれそうな気もするが、面倒なので、また交換用の柄を買つてきた。

 太郎、今度の月曜日まで休校で、今日もオンライン授業を受けてゐた、昨日の日記で塾の授業も今日からオンラインになると書いたが、細かく読まなかつたので、どうも勘違いだつたやうで、来週になつたらまた塾が通いが始まるらしい。
 
 小生は、もし、塾の授業がオンラインになると、丁度、夕方で、台所仕事など、いろいろ騒音がでて、授業が受けにくいだろうから、個室で受けたほうが良いだろうと、環境整備をしたのに、空振りになつてしまつた。

 二階の来客用の寝室(千葉の両親が我が家に逗留する時に使う部屋なので我が家ではおじいちゃんの部屋で通つているが、今や良く云へばウォークインクロゼット、まあ物置化してゐる)の天井灯が山小屋などにあるシーリングファン付きの天井灯で、球も割れていくつか失くなつてをり日常的に使うにはちよつと不向きで普通のシーリングライトに交換しやうともう一年以上前に買つて、面倒でずつと換えず来たが、オンライン授業用にこの部屋を使えば良いとこれを機会に今日交換工事をした。結果的に、今日でなくても良かつたことになるが、まあ、こんなことでもないとなかなか行動に移さないから良かつたのだろう。

 阿蘇の裾野に大手の住宅総合メーカーが展開する緑豊かな広大な別荘・住宅地がある。隣村の哲史さんがそこを管理する会社の責任者(多分社長だと思ふのだが)をやつてゐて、その哲史さんが今日訪ねてきて、今度会社で自然環境をより豊かにするために敷地内でニホンミツバチを飼おうと云ふことになつた、聞くところによると小生がニホンミツバチに詳しいらしいと聞いたので訪ねてきたさうである。小生も人に教えるほど詳しいわけではないけど、ハチ仲間が増えるのは嬉しいので、知つてゐることならと引き受けた。

 その別荘地は裾野の牧野に隣接してをり、ニホンミツバチを飼うには最高の環境だと思ふ、上手くいくと良いと思つてゐる。

 とにもかくにもそれにはまず巣箱を作らなければならないので、丁度去年秋、採蜜した後の巣の跡が少しこびりついた重箱が置いてあつたので、多分小生より木工はお手の物だろう、作る参考になるやう見本にお貸しした。

 晩飯 餃子


令和 4年 1月20日 (木) 大寒

 朝のうち曇り、一時雪がちらつくも、その後は晴れ。冬らしい気持ちの良い天気だつた、今が一番寒い時期なのだろうが、もう暫くの辛抱だ(これ、ハチの気持ち)。今年は氷点下の日が続くので古閑の滝もしっかり氷結してゐる
  最低気温 -1.8℃ (00:20)、最高気温 6.3℃ (12:22)、

 今日、胡蝶蘭、二つ目の花が咲いた。胡蝶蘭の花の命は詩の文句と違つて結構長いやうで最初に咲いた花は開いたときと同じに立派な状態が続いてゐる。

 茎を見るとまだ数個の蕾があるが、育ち具合に結構開きがあるやうなので、残りの蕾が成長するにはまだ相当の期間が必要だろうがそれまで先に咲いた花が持つかだな。本来は蕾全部が同じ時期に開くやうに栽培するのだろうが、自然放置栽培法だから、全部が咲くまでは最初の花は持たないだろう。

 太郎の小学校、今日も明日もオンライン授業になつた。それに合わせたわけでもないが、塾も自主欠席にした。
 そして、蔓延防止ナントカにより、塾も明日からオンライン授業をするさうで、その案内メールが届いてゐたので太郎は明日から、日中は学校のオンライン授業、夜は塾のオンライン授業だ、ゴクロウサン。

 小生今日も薪作り。先日玉切つてそのまま薪には大きすぎるので更に二つに割るつもりで置いてあつた薪、せつかく切つたのだから雨になる前に割ろうと思ふが、現場で割つてから運ぶか、薪小屋前まで運んでから割るか、移動は車だから、結局の所どちらでも同じ労力なのだが、気分的に、小屋前で切つた方がなんとなく楽なやうな気がするので、とりあえず小屋まで運ぶことした、それに、考えたら労力は同じでも、小屋に入れてをけば、その間、濡れなくて濟むから、やはり先に割らずに小屋まで運んで切つた方が良いのだ。
 
 重たくて軽トラックに載せるには手に余る大きなやつだけ現場で割ることにして、切つた木を全部薪小屋に運び入れた。いやいやオジサンよくやる。モトイ、爺さんよくやるだ。自覚が無いのでいつまでもオジサンのつもりだが、世間的には十分に爺さんなのだから。

写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 最近はほとんど一日焚火のそばに居る、だからコーヒーセット、タブレット、電子書籍リーダー(kindle)などなどを置いて、焚火そばが小生の書斎になつてゐる(無線機も引つ張つて来ようかと思つたがそれは止めにした)。建屋から近いのでWiFiでつながるので、便利この上ない。昔は田舎と云へば、外界とほ大きく途絶した世界だつたが、今や全くそのやうなことは無い、田舎暮らし万歳である。

 晩飯、昨日予定外に豆ごはんにしたので一日繰り下がつて、本日、カレー。


令和 4年 1月19日 (水)

 今朝は結構冷えた。その分日中はよく晴れた。凍結防止に庭の水道をチョロチョロ流してゐるが、非常に量が少なかつたのでもしかしたら、蛇口が凍結してゐるかもしれないと思つて夜が明けて外に出てみたところ、特に凍つてもゐなかつた。氷点下10℃くらいまで下がるとチョロチョロ程度では凍るだろう。
  最低気温 -7.7℃ (08:06)、最高気温 5.8℃ (13:46)

 オミクロン株の爆発的感染拡大で、全国13都県に蔓延防止ナントカが適用された、熊本県も入つてゐる。
未だにナントカ部分を正確に云へない、あれやつちやイカン、これやつちやイカン、といろいろあるのだろうが、非常事態宣言とどう違うのかも分からない、そもそも非常事態宣言の中身すら知らない、分かろうとする気が無いからであるが。なんとなく外でたむろして会食をするな、酒を飲むなと云つたやうなことだろうと云ふ程度は想像できる。でもオミクロン株は伝染力が強いのでどの程度効果があるだろうか。

 太郎は今日も臨時休校でオンライン授業をやつてゐた。今日は散らかつた自分のいつもの居場所でタブレットを開いてゐるのでそこで良いのかと訊くと、ボク方は先生の方には映らんと云つてゐたけど、さうだろうか、先生は子どもたち全員の顔を觀ながら授業をするのだと思ふが。

 子どもたちは小さなタブレットでオンライン授業を受けてゐるが、タブレットに外部出力端子があつて、大きなモニターに映して受信はできないのだろうか、そのほうが授業を受け易いと思ふが、実際に貸与されてゐるタブレットを触つてみたわけではないので、仕様がわからない。

 太郎は昨日と今日、とりあえず塾も休んだ。
 
 阿蘇市のホームページに学校の臨時休校のお知らせが載つた。MP3
 
 市役所でも連日職員の感染者が出て消毒などで大わらわのやうだ。

 小生、今日も裏の畑で薪作り作業。
 
 コーヒーを淹れに家に入るのが面倒なので、焚火で湯を沸かして淹れてゐるが、ヤカンをぶら下げる三脚がキャンプ用で、携帯性を考えて小さくてヤワで、小生の豪快に薪を積んでやる焚火にはちよつと不向きなので、単管パイプで三脚を作つてヤカンを吊るすやうにした、これならダッチオーブンでも大丈夫だろう。

 晩飯 もうグリーンピースが売つてゐた。早速、豆ごはんだ。
令和 4年 1月18日 (火)

 晴れ。風があつたが日差しが暖かつた。明朝は氷点下8℃の予報が出されてゐる。
 今晩は満月、それも一年で一番小さな満月ださうだが、月明かりだけで小生のボロライブカメラが阿蘇山の冠雪を捉えてゐる
  最低気温 -0.3℃ (但し19:16時点、降下中)、最高気温 6.1℃ (14:39)

 連日の寒さで、何日もハチの姿が全く見えないと心配になつて來るが、今日は、気温は5℃未満だつたのに、日差しが暖かかつたので久しぶりに三基とも多くは無いがハチが出て飛び回つてゐた、安心した。  

 昨日張り替えた薪小屋の屋根シートの「張り」を調整した。いくらやつてもシートの性格から完璧にピンと張る事はできなかつたが、まあ、雨が降つた時に分かるが、多分大丈夫だろう。

 改造前は、200cmに対して12cmの傾斜だつたので、12/200=0.06だからArctangentで仰角は約3.4°
 改造後は 200cmに対して27cmの傾斜になつたので、27/200=0.135だから仰角は約7.7°になる、計算間違つてないだろうか、計算尺だとイッパツだが、写真にするのが面倒だから載せない。

 今日は、割らずに小屋の中に放り込んであつた玉切りした太い薪を割つた、小屋の前だつたので運ぶ手間が省けた。

 薪を作つてゐるところに數ヵ月ごとにやつてくる越中富山の(かどうかは知らないが)置き薬屋が在庫チェックにやつて來たので、家に上がるのが面倒なので焚火のところで応接した。今日は暖かかつたうえに焚火のぬくもりで、良いですねえと云つてゐた。以前は二社が入つてゐたが、ほとんど薬は使わないので一社はやめて、今一社のみである。こちらから頼んだわけでなくて、ここに住み始めてすぐに勝手に置いてゐつて始つたのだが、都会と違つて、あればあつたで便利ではある。

 今日も太郎のオンライン授業があつた。昨日は予行演習で今日から本番だつたやうで、無事に終わつたやうである。タブレットは学校から一人ひとりに貸与されてをり、学校でも普段使つてゐると見えてちよつと見ただけだが手慣れたものだつた。昨日最初のときはカミさんが周囲を片付けて行つたが、今日は室内干しの洗濯物がぶら下がつてゐる真下で縄のれんから首を出したやうな格好でやつてゐたので先生に洗濯物丸見えだつたろう。


令和 4年 1月17日 (月)

 まあ晴れ。としておくか。
    最低気温 0.0℃ (03:47)、最高気温 6.2℃ (13:41)

 薪小屋の屋根の葺き替えをした。葺き替えと云ふよりは張替えである。コストを抑えるためにビニールシートである。欲張つて、なるべく内部を広く取りたかつたので、屋根の傾斜が殆ど無い。それでも屋根がハードなら雨が流れるが、ビニールシートで弛みやすく、そこに雨が溜まる、それに、シート自体が極めて安価なものだつたので、かなり弱つてあちこちに小さな穴が開いて雨漏りもする。
 
 と云ふわけで、しつかりした、しかもブルーでなくてグレー(シルバー)のシートを買つた。ヨドバシドットコムで他の半値くらいで売つてゐた。
 
 屋根の傾斜が緩いので孟宗を何本か乘せて下駄を履かせて屋根の傾斜を強くしてなんとかごまかしてきたが、あまり見てくれも良くない。
 
 孟宗、全部、抜いて焼却。棟の高さは変えれられないので、軒にあたる部分の支柱のパイプをハンドグラインダーで少し切断して今までよりも傾斜をきつくして、ビニールシートを張り替えた。時間切れでざつと張つて今日は終わつた。

 薪小屋屋根シート張替え 連続写真
 
 太郎、二三日臨時休校ださうで、オンライン授業のテストがあり、今日はタブレットで学校とつないで練習を兼ねて健康チェックをしたさうだ。小生は外で作業をしてゐたので全く関与はしなかつたが、後から訊いたら問題なく出來たと云つてゐた。学校からのメールを読むと、オンライン授業のソフトはTeamsとあつた。先日の日記に小生は全く知らずに、最近はZoom以外にもTeamsと云ふweb会議システムがあるやうだと書いたばかりだつた。倅が使つてゐるとは知らなかつた。

 晩飯 なべ。

令和 4年 1月16日 (日)

 昨日と同じやうな気温だつたが、昨日ほどの風もなく穏やかな日和だつたが午後から雨になつた、それも夜にはやんで満月間近の月が出てゐた。
    最低気温 -3.1℃ (03:55)、最高気温 7.2℃ (12:46)

 早朝にスマホを見ると、三陸海岸に津波警報が出てゐる、地震があつたのかなと思つて見るけど、特に地震情報は無い、よくよくみたら、どうも、昨日のトンガの噴火の影響らしいが、昨日の時点で日本には影響が無いと云つてゐたので、まさか然うだとは思つてゐなかつた。気象庁も従来の津波の定義では説明できないやうで自然界にはまだまだ人智の及ばないことが多いのだなあと思つた。それにしてもNHKはずつと同じニュースを何度も何度も流し続けてゐたが、これなんか全くの無駄だろう。

 太郎、武漢肺炎パンデミック下、「自粛」で週例のテニススクール休む、それにしてもここに来ての爆発的感染拡大にはただただ驚くばかりである。

 市内の保育園でクラスターが発生して、今日保育園名まで発表があつた、それまでは公表していない、これはどう云ふ意味があるのか、大勢人が集まる場所では一人でも発生した段階で公表して、周囲に注意を喚起すべきだろう、クラスターになつたら個人のプライバシーは関係なくなるのか、だれが然う云ふ基準を決めてゐるのだ。
 
 社会生活はいろいろな人と接触することで成り立つてゐるから一旦感染が始つたら、感染が判明した時点では手遅れだろう、もう防ぎやうが無いだろう、次々に感染が広がつていく、まるで地雷原を歩くやうなものだ、敵は見えないから、運を天に任せるほかない。オミクロン株は総じて重症化しないやうだ、それに縋るしか無い。

 小生、今日も薪割りをしたが、昼ころから細かな雨が降り始めて雨雲レーダーにも映らず、一時間予報でも「曇り」で通してゐるので、すぐに止むだろうと思つてゐたが、弱いながらずつと降つてゐたので、午後からの作業はヤメにした。

 一度だけで結論を出すのもなんだと思つて、今日も「鎌倉殿の13人」を觀た。小生、この時代の歴史は大体頭に入つてゐるので、ああなるほど、このドラマではかう扱つてゐるのかと思つたりして觀てゐたが、やつぱり觀るのは今回限りでやめにしやう。


令和 4年 1月15日 (土)

 ほとんど一日雲がかかつて太陽はほとんど出なかつたが、雲を通して太陽の位置が分かる程度の曇り具合だつた、日中の気温も低くなく、風も思つたほどなかつたので、外に居ても寒くは無かつた。今日の気温くらいではハチは出てこない。
    最低気温 -4.5℃ (06:14)、最高気温 7.0℃ (12:55)

 太郎、今日は土曜授業の日だつたがある事情で中止になつた。MP3

昼から母親と太郎は大津の塾に行つた。

 小生は今日も一日薪作りに勤しんだ。太い木をとりあえずブツ切りにしてをいた。平ヤスリでの目立てがどうも上手く行かないので、以前、切れなくなつて、取り外したソーチェンを再登場させて、丁寧に丸ヤスリで目立てをして切つたところ、以前取り外したときには上手く砥げてゐなかつた刃が驚くほど切れるやうになつてゐた、目立の腕が上がつたと云ふことだ、ただバーが長くて切つたラインが湾曲するから砥ぎ方が一定で無いのだろう。

 今日は太い木を切つたので、然うで無い木に比べて腐つた皮に虫がゐるからか、終日ジョウビタキが一匹まとわりついてゐた。縄張りがあつて複数羽は来ないのだろうか。

 先日切つた薪の小山、今日カミさんが軽トラックで薪小屋に運んでゐた。
令和 4年 1月14日 (金)

 良く晴れた。予報では4~5mの風が吹くと云つてゐたが、活動の場所は家と竹林が風を防いでくれたのだろう、それほどでも無かつた。
   最低気温 -2.9℃ (06:48)、最高気温 4.7℃ (14:46)

 多分オミクロン株だろう、爆発的に感染が拡大してゐる、今日熊本県で390人、阿蘇市は10人とラジオが伝えてゐた。敵は見えないのだからこうなるともう防ぎやうが無い気がする、運任せといふことになる、このやうな田舎で然うなのだから、都会は大変だろう。

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11
 夜が明けるのが大分早くなつてきた。

 思つたほど風が吹いてゐなかつたので、焚火をして、薪作りをした。焚火で正月飾りのお焚き上げをした。

 今日は一番端の方に積んであつた小さな木の山を薪にした。

 その他に、また大きな木が姿を現した、次はこれに挑戦だ。ジゼル刃用の平ヤスリで大型チェンソーの目立てをしたが、まだ要領が掴めないので思つたほどの切れ味は出ない。

 今日の最高気温は5℃以下だつたが、太陽が出てゐたこともあり、体を動かしてゐる時は気にならず、動いてゐない時は焚火に当つてゐたので寒さは全く感じなかつた、しかし、太陽がよくあたつてゐてもミツバチはこの気温だと全く姿を表さなかつた。

 太郎、オムライスを食べさせて塾にやつた。


令和 4年 1月13日 (木)

 曇り、一時小雪、今日も寒い一日だつた。
   最低気温 -0.9℃ (但し18:49時点、降下中)、最高気温 1.8℃ (15:50)

 ここのところ何度か九州北部は大雪が降るぞ降るぞと放送してゐるが、雲をみてもどうしてもそんな様子はない、せめて「雪が降るかも」くらいにしておけば良いものを、毎度毎度予報が外れて恥ずかしくないのかと思つて仕舞ふ。

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 ここにきて武漢ウイルスの感染各拡大が急激に広まつてをり、熊本県も独自の基準で12日に熊本県のリスクレベルが「2」に上がつたとの発表がなされた。それにより小学校から、同居家族に発熱等のかぜ症状がある場合でも再び「出席停止」となる旨の連絡が入つた。幸いに阿蘇市では昨年の9/14を最後に発症者が出てゐない(そんな昔だつたろうかと思ふが市のホームページでは然うなつてゐる)、ここに来て、周辺の市町村では感染者が出始めてゐるのに、ここではまだ発生してゐない不思議である。しかし今度のオミクロン株は感染力が強いさうだから、阿蘇に入つてくるのも時間の問題だろう。
 熊本県の感染者数(1/12) 全国の感染者数(1/12)

 (感染者が増えてくると県も集計明細作成に時間がかかると見えて、20時近くまでデータが公表されなかつたが、今日13日の感染者296人で、とうとう阿蘇市でも2名の感染者がでたやうだ)

 今日も冬ごもりの一日。

 花の終わつた胡蝶蘭を試しに株分けをしてみたけど育ててみないかと、もう一昨年の末になるか、年が明けてからだつたか、ご近所から鉢を頂戴して、育て方もわからず、ランなんて難しい花なんだろうと、とにかく水だけは遣り忘れないやうにしてきたところ、今日一輪だけ開いた。もつと丁寧に育てたら絵で見るやうな、連なつて枝垂れて咲くのだろうが全く何もしなかつたので、自由気ままに茎が伸びてとにかく花開いた、選挙で当選した時になどに沢山の胡蝶蘭がお祝いに届けられる映像を見るが、多分みんなそのまま廃棄されるのだろうが、ちやんと育てたら(ちゃんとでなくても)、ちやんとまた花が咲くのだなあ。


令和 4年 1月12日 (水)

 晴れ。風が強くて寒かつた。
  最低気温 -2.7℃ (02:08)、最高気温 2.8℃ (14:44)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 日本列島北の方では低気圧で暴風雪の大荒れ、遠く離れたここも今日は風が強くて体感的に気温以上に寒かつた。昨日の朝、雨の中で使つた登校見守り旗、濡れたまま軽トラのトランクに入れてをいたところ、今朝バリバリに凍つて開くことが出來なかつた。

 ハチウト1,2号基の砂糖水が無くなつてゐたので新しく作つて入れてをいた。5号基にはまだあつた。

 今日は4~5mの風が吹いてゐたので用心のために焚火を控えた。先日作つてカミさんが運び残した薪、昨日雨で濡れて、また明日雪だと云ふので小屋に運びこんでをいた。

 チェンソーの目立てに丸ヤスリでなくて平ヤスリを使うて砥ごうと思つて取り寄せた。デプス調整でなくて刃を砥ぐのに丸ヤスリでなくて平ヤスリでも出來るさうなので挑戦してみることにした。ただヤスリは本体だけで柄は附いてゐないので、DIYで作ることにした。いろいろ考えて、折れた包丁の柄があつたので、それを利用して立派な柄付き平ヤスリができた。なんでもとつておく小生ならではである。

 混合油(チェンソー燃料)がすぐに無くなるので作つてをいた。燃料と云へば、最近はトンデモナイことに使うヤツがゐるのでガソリンを直接車に給油するのでなく携行缶で買うのがうるさくなつてゐる。小生の場合は「おなじみ」なので、かなり手順を省力してくれるが、住所氏名、免許証、使途など細かにチェックされる。

 太郎の塾、水曜日は往きだけ小生が送ることになつてゐる。年が改まつて初めての大津行だつたが、年末には、日が短くなつて送り届けて帰る頃にはもう真つ暗になつてゐたが、あれからまだ一月起つてゐないと思ふが随分と日が伸びて、帰る途中もまだ太陽が照らしてゐた、家に帰り着いた時にもまだ残照で邊りは明るさが残つてゐた


令和 4年 1月11日 (火) 

 雨、のち曇り、一時、小雪、薄暗い一日だつた。
 カルデラ平野部までは降らなかつたが、山の裾野近くまで真つ白になつてゐた。
 (写真1写真2写真3
    最低気温 -0.7℃ (但し18:30現在、降下中)、最高気温 4.8℃ (06:24)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 当市の小中学校は今日から三学期の始まりである、寒冷地のここは下界より少し遅いのかと思つたら熊本県下一斉のやうである。小生の登校見守りも新年最初である。
 天気が悪いこともあつて、登校時間はまだ暗くて街路灯も点いてゐた。小生のカメラ、なかなか弱い光を集められない。

 今日は天気が悪いこともあつてこれ幸いとばかりに完全休養日にした。

 太郎は今日からまた普段の塾通いが始つた。


令和 4年 1月10日 (月) 成人の日 当市は昨日式典があつたやうだ。夏子は19歳だが来年ださうだ。

 晴れ。今日は気温が上がつた。家の入口の田の畦にもうフキノトウが顔を出してゐる。(写真1写真2
  最低気温 -2.9℃ (07:09)、最高気温 13.1℃ (14:04)

 今日も薪作りをした。特大の木を切つて、新しい木の山と古い木の山との間に明確に境界線が出來た、できたからどうだと云ふのでも無いが、木の山の中での移動が楽になつた。(写真1写真2写真3

 三連休で今日はカミさんが一日、薪小屋の整理、小生が切つた薪の運搬をやつてゐた。常日頃老骨に鞭打つて薪を作つてゐるのだから、もつと高齢者を大事にしろと冗談で云ふと、それは十分に分つてゐると云つてゐたが、だからかもしれない。薪小屋を綺麗に掃除して、小生が切つた薪を軽トラックに積んで何度も薪小屋に運んでゐた、小生が上がったあとも暗くなるまでやつてゐた。
 写真1写真2写真3

 太郎のやつはゲームばかりやつてゐた、ゲーム依存症になつても知らんぞ。

 昨夜の「鎌倉殿の13人」(十三人と書くのかと思つてゐた)、期待してゐたほどでは無かつた、日本のドラマの場合は、どうしても登場人物としてよりも日常芸能欄を賑わす芸能人としての顔が前面に出てきて、ああ、あのタレントがやつてゐるんだなと云ふことが伝わつてきてどうもドラマに入り込めない、三谷幸喜がどうのこうのと云ふのではない。

 それに歴史ドラマは、その時代に登場する大勢の人物とその時代の背景、前後のことがわからないと面白さがわからないと思ふ、短い時間枠ではそのあたりのことが描写しきれないので、予備知識がなくて見てゐてもよくわからないのではと思ふ。頼朝がどうして伊豆にきたのか、当時、北条一族の内部の関係、関東の武士団と平家との関係はどうだつたのかなどなど、小生が今晩「鎌倉殿・・・」を觀ると云ふと、カミさんも太郎も觀ると云つて見てゐた。二人はどう感じたかわからないが、小生は一回だけでもういい、やはり活字で読んだはうがいい、「新平家物語」には詳しく書いてある。

 吉川英治の「新・平家物語」と云ふ小説がある、これは「平家物語」だけでなく前後の史書、保元物語、平治物語、義經記、玉葉、吾妻鏡などをベースに書かれた大大大河小説で、平易でわかりやすい文体で書かれてゐて、史家としてでなくて、一般人が平安鎌倉期の歴史を知るのにも非常に優れて面白い小説である。昭和20年代に書かれた作品だが今読んでも全く古さを感じさせない。大部の小説だが、デジタル化されて、それもほとんど無料のやうな料金で読むことができる。これと同じ吉川英治の「私本太平記」を併せて読めば、学校の勉強ではなかなか頭に入らない平安末期から南北朝までは非常によく理解できる。

 歴史書はいついつ何があつた、誰がどうしたと、云ふならば、「点」の集まりである。その点と点を結ぶ記録には殘つてゐない線が作家の想像力、創作力の発揮のしどころなのである。それをドラマやマンガにすると、想像力がその画面の中どまりとなつてイメージが固定して仕舞ふ。これに対して活字で読むと、10人いれば10人がそれぞれ自由に自分のイメージで脳内に人物像、背景を描く、当然みんな違うはずだ、このほうが断然面白だろう。と思ふ。


令和 4年 1月 9日 (日)

 晴れ。今日も穏やかな一日だつた。
    最低気温 -2.8℃ (08:12)、最高気温 10.4℃ (13:09)

 オミクロン株の感染拡大の勢いが止まらない。医療従事者も感染して次々と戦線離脱をしてゐるさうだが、感染した軽症の医療従事者が感染した患者を看ることは出來なのだろうか、双方感染してゐるのだから、もう防御の手間も要らないやうな氣もするが(探せば然う云つた記事もあるのだろうが、そこまでいちいち探さないので分からない)。

 今日は日曜日だが太郎の塾があつた、今日はテストがあつたやうだ、行きはカミさんが送つて、帰りは鉄道で帰つてきた。

 午前11時から村の集会所で「初寄り」があつた。その年の最初に行われる集会で、村の総会のやうなものだ。区長が古閑隆一さんに、現区長の藤井渡さんが会計になつた、その他にもいくつか役員人事があつたやうな気がするが正確には覚えてゐない、そのうちにペーパーが回つてくるだろう。今年も去年に続いて用心のために議事終了後の懇親会は無かつた。(写真1写真2

 午後1時からNHKテレビで、全国大学ラグビーの決勝戦を觀た。帝京と明治。帝京の勢いが全然違つた、全てにおいて帝京が勝つてゐた。

 今日も、薪作りをした。朝のうち、まだ霜で真つ白なところで火を熾して、小さなラジオで、丁度「音楽の泉」でラフマニノフの2番をやつてゐたので聽きながらコーヒーを飲んで準備をしてから作業開始。ここはカルデラ東端で今の時期、太陽が顔を出すのは9時半近くである。それでも我が家は村ではまだ早い方で、外輪直下の家では昼ころまで日が差さないとどなたかが云つておいでだつた。

 今日は特大の木を捌いたが、予定してゐた新しい刃には交換せずに、心を込めて目立てをして今までの刃で臨んだが、今日の砥ぎは上手く出來て気持ち良く切れた、今日また少し目立のコツを掴んだ気がする。今日も一日で結構な薪を切つた。
 この部分の木はずつと奥まで最近運び込んだ木で、まだ一年くらいはこのままだ、明日はここを切ろうか。

 今日から始まつたNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」、歴史的興味があるので節を曲げて觀た。小生がテレビドラマなんぞ觀るのは何年ぶりだらうか。

令和 4年 1月 8日 (土)

 晴れ、しつかり冷え込んで、しつかり暖かくなつた。
   最低気温 -4.6℃ (07:05)、最高気温 10.0℃ (15:01)

 日中、わざわざ山を見ることは無いので様子はわからないが、夕方、一仕事終えて眺めたら、結構噴煙が昇つてゐた。太陽の当たり具合で水蒸気が主の噴煙でも、白つぽく見える時と真つ黒に見える時がある。

「 ・・- ・・-・・ ・・- ・・-・・ --・-・ ・- 」
こんな日本語あるんだなあ、小生のボキャブラリーに無いなあ、使つたこと無いなあ、自信が無いから取り間違へたかと思つた。

 今日も終日薪作りをして過ごした。いつも作業の前に目立てをする、今日は二台のチェンソーを使つた。

 最近は漸くチェンソーの目立て、なんとか様になつて來てはゐるが、それでも新品の刃とは比べ物にならない、新品の刃は吸い付くやうに切れる、「切れる」より、「斬れる」のほうが合つてゐるかもしれない。今日、小さな方のチェンソー(12インチ)の刃を交換したところ、感動するくらいによく斬れた、研がずに新しい刃と交換したくなる誘惑に駆られる。

 今日は昨日の「山」の続きをやつた。この一角、まだまだ沢山切る木がある、もう暫くここで薪作りだ。ここは最近運び込んだ一番新しい木の山と少し古い木の山が入り組んでゐるので、少し整理しながら、古い木を斬つてゐる。その古い木のうち、こんどは、大型のチェンソー(20インチ)でこの太い幹を切るが、これは、新品の刃に交換して斬つた方が、能率が良いだろう。


令和 4年 1月 7日 (金) 人日

 今朝も冷え込んだが、その代わり日中は風も無く、非常に暖かかつた。(写真1写真2写真3

 穏やかな日差しに、一時、勢いが無かつた1号基も2号基もニホンミツバチが元気に乱舞してゐた、間違いなく新しい世代のミツバチだ。それにもう少しずつ日が延びて来てをり、春が近いのが本能的に分かるのか、動きが全く違う、間違いなく群れは存続する。
 昨日の雪で東京など今朝は氷点下3℃と云つてゐた、ここと同じくらいだつたやうだ。
    最低気温 -3.1℃ (08:01)、最高気温 9.9℃ (15:48)

 家の郵便ポストが壊れたままになつてゐた。蓋が割れたのだが、小生は、誰も郵便物なんか持つていかないから蓋なんかあつても無くてもどちらでもいいと思つてゐたから、いつ頃壊れたか覚えてゐない。カミさんはどうも気になるとみえて、新しいポストを取り寄せた、取り付けは小生の仕事だ。

 新しいポストを付けたが、今までのポストもわざわざ捨てることもないな、と思つたので二段重ねにした。郵便屋さんも宅配やさんも然の方が都合が良いに決まつてゐる、(ちょっと上下がずれてるかあ?)

 午前中は物置を少し整理して、混合油(チェンソーの燃料)などを作つたりして、昼から薪作りをした。物置とは小生の秘密基地のことである。が、最近は物置と云つたはうが相応しいほど無秩序に物が詰まつてゐる。

 今日はまた別の薪の山に取り掛かつた。ここも一年以上経つてゐるだろう。途中まで切つて、残りは明日にする。久しぶりにジョウビタキがやつてきた。最近はジョウビタキの姿がめっきり少なくなつた。少なくなつたと云へば、今年はカメムシが非常に少ない。いつも冬になると多いときは一日に十匹近くでて、カミさんたちが大騒ぎをするが、今年はほとんど出ない。

 太郎の冬期講習は昨日で終わつたやうで、今日は休みだつた。

 晩飯、七草粥を作つた。
 入れた野菜、順不同で、ダイコン、ニンジン、ネギ、サトイモ、ハクサイ、ゴボウ、シイタケ、コマツナ、とここまでで既に8種類もだ、ついでに、雑煮を作つた際に余つたコンニャクが中途半端に残つてゐたのでこれも入れた、コンニャクも出自は蒟蒻芋だから歴とした野菜だ、全部で9種類の野菜を入れた七草粥だ、規定をオーバーしてゐるけど良いだろう。

 いつもは、それに、ちゃんとスーパーで七草のセットを買つてきて入れるが、これは少量なのであくまで儀式で味とは全く関係がない。ところが今日、いつものミヤハラに無かつた。考えてみたら、七草粥は普通朝食べるもので、だから昨日は売つてゐたのだろう、小生が去年など当日買つたのは、おそらく前日の売れ残りだつたのだろう、さう思つて記憶を辿ると確かにほんの少ししか売つてゐなかつたやうな気がする、やはり売れ残りだつたのだらう。今日はその売れ残りも無かつたと云ふことだ。

 我が家の七草粥はダイコンだけが伝統に則つた野菜と云ふことになる。我が家の七草がゆは味噌仕立てで餅も入れる、一切肉類は入らない、その代わりバターをたつぷり入れて食べるので、家族全員大好物である。


令和 4年 1月 6日 (木)

 朝、少し雨が残り、曇のち、午後も大分入つてから時々薄日がさしはじめた。
  最低気温 2.4℃ (00:54)、最高気温 7.9℃ (16:01)

 朝7時を過ぎたニュースで、雨雲は東の方へ去つて雨が少し残つてゐるだけにも関わらず九州の山地では大雪になると云つてゐる、ここも九州山地のハズだが昨夜から雪は全く降つてゐない、雨である、いつたい何時の原稿を読んでゐるのだ、昨日からの騒ぎいつたい何だつたのだ。大山鳴動してネズミ一匹も出ず。

 この大山、泰山とも云ふが、小生は隣国山東省(だつたか)の泰山に源を発する諺とばかり思ひ込んでゐた、今日ネットで調べて、この諺は古代ローマ、ギリシャ時代頃の諺だと云ふことを初めて知つた、出典は西洋だつたのだ、この歳になつても初めて識ることが多くそのたびに新鮮な驚きを覚える。

 春先に低気圧が本州南岸を通る時に首都圏に雪が降ることがあるが、この南岸低気圧は東に移動して、今回はえらく早い時期に降つたものである。東京では大雪警報が出されたさうだ、雪国の人は笑つてゐることだろうが、過密度が違うから10cmでも積もると大変だろう。昔、鉄道のレールの各ポイントに凍結防止のため沢山のカンテラが暗いなかゆらゆら燈つてゐて幻想的な雰囲気を醸してゐたことを思い出すが現在はどうしてゐるのだろう、今でも使つてゐるのだらうか。

 太郎のやつ、今日も塾の冬期講習で昨日と同じ時間割だから、昨日と同じやうに家を出なければならないのに、またギリギリに出て、チャリではなく驅けて行つた。当然鉄道には間に合わない時間だつたので、昨日利用した「やまびこ」で行くのだなと位置情報を觀てゐたらこれも危うく乗り損なうところで、バスが遅れ気味だつたのでやうやく閒に合つたやうで、乗車したバスのスピードらしい太郎の移動速度を見てホッとした、突き放してゐても心配でちゃんと見てゐるのだ、おいもつと「学習」しろ、せめて「経験」に学んでくれ。


令和 4年 1月 5日 (水)

 曇り、終日、今にも雪が落ちて來さうな鉛色の空だつた。予報では今夜辺り雪になると云つてゐるが果たしてどうだらうか。ニュースを聞いてゐると盛んに弾丸低気圧が、と云つてゐる、それなら風が強くなるだろうと思ふが、予報では1mか0mとある、オカシイなと思つて調べたら、爆弾低気圧はあるが弾丸低気圧などと云ふ言葉は無く、今回は「南岸低気圧」なのださうだ。それなら強風とは関係がなさそうだ。でも雪、本当に降るのかあ?もし雪が沢山降ると実に困つたことが起きる、それは、明日、写真でわかることだが。
    最低気温 -3.4℃ (01:48)、最高気温 6.1℃ (14:02)

 太郎の塾冬期講習、今日は昼からの授業で、午前中にJRで行く予定が、グズグズしてゐて駅まで歩くともう間に合いさうに無いので、遅れるぞと云ふと、本人も、もう歩いては間に合わないと云ふことがわかつたのだろう、駅までチャリで行くと云ふ、やがてそれも、小生が頭で計算しても間に合わないだろうと云ふ時間に飛び出して行つたので位置情報で見てゐるとやはり発車に間に合わなかつた。都会と違つて一時間に一本もあればいい方で、一日に数えるくらいしか走つてゐない、どうするだろうと思つてゐると、小生は絶対に送らないのは知つてゐるので、母親の事務所が駅から5分くらいのところにあり、そこまで行つて相談したのだろう、うまい具合に大分と熊本を結んでゐるバスの「やまびこ号」が来る時刻で、カミさんがそれに乘せたとあとからメールしてきた。時間にルーズのは母親似で小生は絶対に約束の時間より早く行く、本当にバカタレである。帰りは鉄道とチャリとで帰つて來た。

 小生は今日も薪作り、次の山に取り掛かつた。ここも薪小屋に近い場所で、やはり一年以上積みつぱなしの山だ、それでも木はしつかりとしてをり太さもほどほどである

 昼間は雪でなくて雨が降るかも、と云ふので、昼飯も食わずに、(細めの木は少し残つたが)粗方切つて、二時前には薪小屋に入れてをいた、今年は薪が豊富にある、余裕のヨツチヤンである。体力的にはヘトヘトである。「エネルギー保存の法則」になるのか、小さからうと、大きからうと、抱える回数が違ふだけで、これだけの量の薪を運び込むのは小生のマンパワーである、結構な量であるが、これは体に負荷がかかるので、アスレチックに行かなくても日常生活で体を鍛えてゐることになり小生は満足である。

 作業中、今日は、E鴨氏御入来。

 道路を挟んで、地元の建設会社の公共工事の現場事務所がある。いままで注意をして見なかつたが、今日、薪を作つてゐて気がついた。
「年賀状」看板である、思わずニッコリとした、なかなかのアイデアである、こんな看板は安全標語だとかあまり外部の人間には関係が無いやうなものが多い、それに車で通り過ぎる場所なので、小生のやうに、真正面から見ることは少ないと思ふ。村の人たち、どのくらい気がついてゐるだろうか、

 晩飯 カレー。昔、「おせちもいいけどカレーもね」と云ふコマーシャルがあつた。調べたらもう50年近くも前のことだ。どつちみち今日は水曜日、我が家のカレーの日だ。


令和 4年 1月 4日 (火)

 晴れ
   最低気温 -2.6℃ (07:24)、最高気温 7.8℃ (13:28)

 朝五時過ぎ、ラジオで、三大流星群(ペルセウス座流星群 ふたご座流星群)のひとつ、しぶんぎ座流星群が今の時間ピークを迎えてゐると云つてゐたので、外で10分くらい観察してゐたけど、全く飛ばなかつた。だいたいいつも流星群には期待を裏切られる。

 流星群と云へば、数えてみると今からもう60年近く昔になる、友人と大学の夏休みにカニ族となつて野宿やユースホステルに泊まりながら一ヶ月くらい北海道旅行をしたことがあるが、どこだつたらう、たくさんの流星が流れてゐて、空が広くて周囲に燈りがなくて空気が澄んでゐるから、やはり北海道は違うなあと話したものであるが、今にして思へば、あれは流星群だつたのだらうかと思つて調べたら、ペルセウス座流星群が8月だとあつたので多分あのときの流星は然うだつたのだらう。

 今日が仕事初めのところが多かつたやうで、カミさんも出勤して行つた。勤労者諸君ご苦労!、である。

 太郎はまだ冬休み中だが、塾の冬期講習が午前の時間帯にあり、弁当持ちで、JRで行つて昼過ぎにJRで帰つてきた。

 小生は久しぶりに薪作りをした、今年最初の薪作りである。浄化槽に近いところにもう一年以上積みつぱなしの木を切つた。この木の山は焚火の場所に近いので、ストーブの薪にならずに焚火の薪になつた木がたくさんある、だからストーブ用の薪になった木はあまり量は多くなかつた、明日の夜には雪が降るらしい、明日それまでに薪小屋に運び込む予定。

 午後も、そろそろ切り上げやうかと思つてゐるところに、AJY御入来。焚火を囲んでしばらく賀詞交歓会をした。

 リモートワークやweb会議システムにZoomがあるのは小生も時々使つてゐるので知つてゐるが、最近は同じやうなシステムでTeamsと云ふものがあるらしい、今朝の寺さんとのLINEで初めて知つた。今や小生はどんどん過去の人間になりつつある。


令和 4年 1月 3日 (月)

 晴れ。正月三が日は今日までで、明日から仕事初めの人も多いのだろう。
  最低気温 -5.2℃ (03:51)、最高気温 9.3℃ (14:22)

 今日も箱根大学駅伝の復路を觀てゐた。武漢肺炎で応援自粛が出てゐてもテレビ画面では沿道には結構な数の観客の姿が見られた、小生なんか屋外なんだしそこまで応援自粛をする必要は無いだらうと思ふのだが、沿道の応援にいつもなら観客が振る旗が無かつたのでスッキリしてゐてよかつた、あれは新聞社の販売促進用の小旗で、これも無駄の極みだ、大量のゴミになるうえに、選手などに当つて危険だ、近年は斯う云つた大会では無くなる方向にあるやうだが、去年も今年以上に無観客の建前だつたので無かつたのだろうが、本当にあんなものは要らない。

 小生は特に応援をしてゐる大学は無いので、色々なドラマを期待して觀てゐるので、抜きつ抜かれつが面白い。最終区間に近づくともう大勢が決まつてゐることが多いので、最後まで觀ないで終わることが多い、長丁場、最初から最後まで觀るスタミナがもう無いのだ。

 午後3時すぎたころ、三人で阿蘇神社に初詣に行つてきた。阿蘇神社までの道路、びつしり車の列が出來てゐた、我々は裏道を知つてゐるので渋滞に捕まることは無かつた。熊本地震で倒壊した国指定の重要文化財の楼門は数年かかりでまだ再建中で、拝殿はすでに立派に再建されてゐた。
 写真1写真2写真3写真4写真5

 ニホンミツバチ、三日ほど前、ここのところの寒さで、巣箱の床に20匹くらい死んでゐた(特に2号基)、砂糖水もあまり減つてゐない(五号基の方にはたくさんハチがゐる)、一号基と二号基はもしかしたら、死滅したのだろうかと心配してゐたが、昨日、今日と日中穏やかな日和だつたので、二基とも、もう花がないので蜜集めには飛び出して行かないが、柔らかな日差しを浴びて巣箱の付近を結構の数が飛び交つてゐた、まだ、最小集団でこの寒さの中、命をつないでゐるやうである。(写真1写真2

 ハチが死んでゐるところを記録に残そうと思つて今日開いてみたら綺麗に無くなつてゐた、觀てゐると、ハチが自分と同じくらいの死骸を抱えて巣の外に 捨てに行つてゐる。たくさんの死骸は世代交代の姿なのだろうか。毎日のやうにたくさんのハチが生まれて、入れ替わるやうにたくさんのハチが死んでいくはずである、活動期間中は外に出てゐる時に生を終えるのが、寒くて外に出ることが無いので巣の中でその生を終えるのだろうか、今は餌の無い季節、生まれる数より死んでいく数のほうが多いのだろうか。


令和 4年 1月 2日 (日)

 晴れ。元日ほどの晴天ではなかつたが、今日も晴れた。この冬は雨が少なくて個人的には助かつてゐる。
  最低気温 -3.1℃ (01:23)、最高気温 9.4℃ (12:53)

 箱根大学駅伝、最初は別室に置いてあるテレビで見てゐたが、ネット配信をしてゐることを思い出して、PC作業をしながら駅伝を見てゐた。テレビ受像機がなくても同時放送でネット配信をしてくれるので便利である。小生のボロPCでもコマ落ちせずになんとか見ることができた。

 この駅伝の時間帯はアマチュア無線の新年QSOパーティもやつてゐて、以前は、注意散漫になつて困つたが、今ではもうQSOパーティは卒業したので、とりあえずは受信機でワッチをしてゐるが気にならない、それに最近は無線を点けてゐても静かなものである、無線人口が減つたうえに、実施期間が以前は正月二日三日の二日間だけだつたが、今では確か一週間くらいやつてゐるのであわてゝ交信をしなくても良いからだろう。

 今日は箱根駅伝に加えて、昼から全国大学ラグビーの準決勝が二試合も続けてあつた。国立競技場で、明治大学と東海大学、京都産業大学と帝京大学。二試合とも大接戦の好ゲームで時間が経つのも忘れて觀てゐた。9日の決勝戦は明治と帝京の対戦になつた、昔から大学ラグビーの決勝戦と云ふと1月15日の成人の日だつた、いや、あれは社会人と大学の一位の試合だつたか、今年は大学ラグビーの決勝戦、地上波テレビでやるだろうか。

 今日は、夕方、出し漏れの年賀状の投函で郵便局まで行つただけで、他にはな~んにもしないでテレビ漬けの一日だつた。


令和 4年 1月 1日 (土)  令和壬寅元日

 穏やかに新年が明ける、氷点下6℃以下と云ふのは今季初だろうか。初日の出は拝みに行かなかつたが、赤阿蘇は写真に収めた。
 (写真1写真2写真3
 日中は陽だまりでは暖かかつた。
    最低気温 -6.3℃ (07:23)、最高気温 7.9℃ (14:29)

 夜明けとともに新調なつた日の丸を掲揚したが、あまりにも穏やかすぎて風が全く無く、翩翻とは行かなかつた。景気づけに「喇叭君が代」を吹かうかと思つたが顰蹙を買うのでやめた。昼近くになつて微風が出てきてやうやく国旗が翻りはじめた。

 昔は元日の朝に届く新聞が楽しみだつた、今では、一面の見出しをさつと見るだけで、どうでもいい記事や名刺広告、それに初売り広告類が挾まつた分厚い「紙」のかたまり、開きもしない、これほどの資源の無駄も無い、新聞と云ふよりは届いたときからすでに新聞紙、もう新聞は要らんなあ。

 うちの連中は昨夜十時半近くになつて九州道経由で無事に帰つてきた、小生はそれを確認して早々と床についた、結局大晦日に打つた蕎麦、お腹いつぱいで手が出ずに、全員元日昼に「年越した蕎麦」になつてしまつた。

 さてさて新年の抱負・・・・もう改めて無いなあ、家族の健康とひとまずは和文モールス、畳水練から大海原に泳ぎだすことくらいかな。


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