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(2021)令和辛丑 3年10月の記録 (新しい日付けの順)

令和 3年10月31日(日)

 穏やかに晴れる。噴煙と雲海の阿蘇の夜明けのシーン、なかなか良い(https://visitaso.com/)。昨夜は9時ころからだつたろうか、雨の音が聞こえてゐた、朝には上がつてゐたが、所々道路に小さな水溜りができてゐたのである程度降つたのだろう、殆どの人が活動を休む夜間に降つて、夜が明けたときには止んでゐるのが生活をする上では都合が良い。
     最高気温 10.1℃ (06:58)、最高気温 20.0℃ (14:59)

 日本では急激に武漢肺炎の感染者数が減つてゐる、専門家でも説明が出来ないらしいが、「エラーカタストロフの限界」という理論があるらしい、「ウイルスは変異しすぎるとそのせいで自滅する」というのださうだ、もしそれなら有り難いが、でも日本だけなのか。

 衆議院選挙、投票日、全国的に投票率は低かつたのだろうか、ここのやうな田舎は総じて投票率は高い、10時ころ投票に行つてきた。大勢は今夜遅くだろう、小生は寝てゐる、選挙結果、明日の楽しみにしやうと思ふが、”共に立憲共産党”が勢力を伸ばしさうな気配だ、また当分政治が停滞することになりさうだ。
 共闘するくらいなら野党は一つの党になつたほうが、二大政党になつて良いだろうに、然のほうが国民の選択肢もはつきりして良い、今のやうにいろいろな政党があると無駄がいろいろな意味で多すぎる、放送でも、無視することが出来ないので全部の政党に発言権を与える、国のためになどと本気で思つてゐる政党なんか無い、自分が当選すれば良いと思つてゐる連中ばかりだ、全く無駄だ。全部小選挙区にして、比例は要らない、そうすれば真剣に政策を考え、国民の側ももつと真剣に考えるだろう。

 太郎、あたふたとテニススクールから帰つてきて、友達の家で開かれるハロウィンパーティに行つた。当初、昨日土曜日と今日日曜日と別々のグループから声がかかり、両方に参加するつもりで居たやうだが、どうも日程を間違つたやうで、今日同日開催で二つのパーティーがあつたらしい、幸いに、開催時間がずれてゐたので、二つとも無事に参加することができたやうだ、夕方満足して帰ってきた。ハロウィンなんて、もともと然のやうに子供のお祭りなのだ、それなのに、いい齢をした連中が・・・・まあ、精神的には子どもなのだろ。
 夕方の渋谷駅前、雨模様なのか、傘が見える、奇抜な仮装をした人間がスクランブル交差点の中で止まつて手を振つてゐる、昨日以上におまわりさんの数が多い、今日がやはり本番なのだろうか。


令和 3年10月30日(土)

 晴れ。
    最低気温 4.7℃ (06:47)、最高気温 20.4℃ (12:39)

 太郎の塾、今日は昼間で、カミさんが連れて行つて、塾が終わつて二人でどこかでウロウロしたらしくて、夕方かなり遅くなつて帰つてきた。

 コイン精米所で玄米30キロ精米した、今回で8/9袋・・・まだもう一袋残つてゐる。(前回9/7)

 採蜜の際に、切り取つた重箱を、収める容器のことで作業が停滞してゐる。と云ふのは、蜜が詰まつた巣を、なるべく綺麗な垂れ蜜と、少し巣のカスや花粉などが混じつた、少しそれより品質の劣る蜜とをうまく選り分けるために、一旦、一日ほど放置して、自然に落下する純粋な蜜を貯めるためにスノコ様の下敷きの上に置くのだが、その下敷きにするものと、底面の間に空間を作る工夫で、いろいろ考えて、最終的に、百均で売つてゐる、壁などに貼つて、いろいろなものを吊り下げる、なんと云つたか、格子状の・・・・ネットパネルと云ふらしい。を買つてきて、それに底から浮かせるための針金の足を付けて・・・・など色々工夫をしたが、結局、最終的に我が家に生えてゐる竹を切つて底に置いてその上にパネルをと置くと云ふ至極簡単な方法を思いつゐて、最終的にこれで行くことにした、コロンブスの卵である。いよいよ準備は整つた、早くしないと冬になる。

 小生はNHKのドラマになつた「坂の上の雲」が好きで、昨今の日本を取り巻く安全保障環境が念頭にあるわけでも無いが、特に、日本海海戦の回(最終回)あたりをDVDで時々見返してゐる。もちろん「敵艦見ユ・・・」が中心なのだが。それになんと云つてもこのテーマ曲が良い、名曲である、久石譲作曲「Stand Alone」である、

 この曲名の「Stand Alone」の日本語名を、近代化を遂げた明治時代の日本が独り立ちする樣を表して「凛として(立つ)」としたもので、この意訳が素晴らしい。

 この「凛として」は小山薫堂の作詞だそうだ、熊本出身ださうだから地元のイベントや放送で取り上げられることが多く、小生も名前だけはよく知つている、調べてみると、映画「おくりびと」の脚本を書いた人らしくて、それで有名になったのだろうか。

    ちいさな光が 歩んだ道を照らす
    希望のつぼみが 遠くを見つめていた
    迷い悩むほど 人は強さを掴むから
    夢をみる
    凛として旅立つ 一朶の雲を目指し

 で、この曲をトランペットで吹きたいと思つて、ネットで楽譜を検索したが無い。オカリナ用の楽譜はあつた、同じ単音楽器だからソロ用の音符は平易である。この曲は音域が広くないので、小生のトランペットがカバーできる音域に十分に入る、それにゆつたりとした曲調だから吹きやすい。単純なメロディーである、それでゐて心を打つ、音楽とは不思議なものである。

 といふことで、今練習を始めてゐる。ただ、このネットで探したオカリナ用の楽譜はC管用なので、トランペットとは音程が(2度/全音)違う(説明がいい加減だと思ふ)、トランペットは移調楽器で普通 Bb管なので、もしピアノなんかと合わせるとすれば移調しなければならない。まあそれは、いずれ、と云ふことで。

 ハロウィンが日本の文化に入つてきたのはいつ頃からだろうか、わりと新しいだろう、そしてもともとは子供のお祭りなのが、いつの間にやら日本では一部若者中心に繁華街に集まつて周囲の迷惑を顧みずに馬鹿騒ぎをする行事になつた。成人式の日などで繁華街などで騒ぐ連中と精神構造は同じである。どうして斯う云つた連中を毅然として取り締まらないのだろうかといつも腹が立つのだ。今年の渋谷はどうなんだろと思つてまだ宵の口だが、渋谷の交差点のライブカメラを見てみたら、もうチラホラ仮装服姿の若者が見られる、警察官もたくさん出て交通整理を始めてゐる。ハロウィンは明日なのだが、土曜の夜の今晩あたりがもし騒ぎがあるとしたらピークなのだろう。それにしても人が多い、多い、何故に集まるのだ。


令和 3年10月29日(金)

 晴れ。今日は少し風が強かつた。
    最低気温 8.6℃ (05:55)、最高気温 17.8℃ (14:47)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5


 先日動かなかつたトライアックの電圧コントローラー、・・・・・トライアックを外してみた。GとT1間、GとT2間、極性を変えて測つてみたがが導通している、T1とT2の間も導通している、といふことで、これは壊れてゐるのだろう。捨てて構わないのだが、まあ、直してもいいかと、データシートから部品を注文してをいた。部品単価は安いので、なかなか一個売りをする店が なくてどこでも5個だとか10個単位だとかで売つてゐる、当方としては一個だけあればいいので、探して、Aliでみつけた、送料込みで139円、二月くらいかかるやうだが、忘れた頃にやってくるだろう。

 注文してあつたエンジン発電機のエアフィルターが届いたので、セットした。純正品は高いので、ホームセンターから似たやうなものを買つてくればよいのだが、どんなものなのかわからないので、高いの承知で取り寄せた。要はウレタンスポンジだ。

 10月4日に小生と太郎はインフルのワクチンを打つたが、今年はインフルのワクチンの供給が不足気味、遅れてゐるから太郎の二回目が可能かどうか今時点でわからないので、四週間後に改めて電話をするやうにとのことだつたので、今日電話をしてみたところ、問題なく接種できるとのことで、来週、塾の無い日を選んで連れて行くことにした、アイツは注射嫌いなので、直前に言い渡したほうがいいから、默つていやう。

 晩飯 唐揚げ。



令和 3年10月28日(木)

 素晴らしい秋空が続く、東日本ではさうでもないのだろうか。今はもう完全に冬の身支度になつてゐるので、日中は暑いくらいだつた。美しい夕焼けだつた、明日も晴れるだろう。
    最低気温 3.7℃ (05:08)、最高気温 22.2℃ (15:00)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8


 久しぶりに阿蘇文化調査研究会の例会があつた、先月の予定が蔓延防止ナントカで一月繰り下がつたのだ、今日は島津義昭先生の「阿蘇の原史産業」を演題として講演を聽いた、非常に面白かつた。


 採蜜の準備を少しずつやつてゐる、そんなところに、今日はオオスズメバチが飛んできて巣箱の出入り口でミツバチを捕らまえてゐた、オオスズメバチは仲間を呼んできて集団でミツバチを皆殺しにするやうななことを聞いてゐるので、ホイホイを仕掛けてをいたら、数匹がかかつてゐた、ハエもたくさんかかつてゐた、トンボも何匹かくつついてゐた、ミツバチは一匹もゐなかつた。同じスズメバチでもキイロスズメバチは集団では来ないと聞いているが、以前、キイロスズメバチもたくさんホイホイにかかつたことがあつた。ここのところ朝の気温が急に下がつてそろそろスズメバチも退場の時期かなと思つてゐたら、そんなことは無い、ますます意気軒昂である。


 イプシロン5号機の打ち上げ日が決まつた、11月7日だ、日曜日だ、学校は休みだな、三度目の正直なるか。


 晩飯 中華丼 


令和 3年10月27日(水)

 穏やかな秋日和。(写真1写真2
    最低気温 5.2℃ (05:53)、最高気温 21.1℃ (13:20)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 「あれ?6年生が見えないねえ」「修学旅行!」「修学旅行!」、ださうである、さうか、今日からか、どこだろう、長崎かな、無事に実施できて良かつた。

 昨日注文したトライアックの電圧コントローラー、24時間も経つてゐないのにamazonからもう届いた。二個組の商品で、1000円以下。とりあえずは一個だけで良いが、いろいろ使いみちがあるだろう。

 さっそく、結線して使つてみた、今度はちやんと機能した(写真1写真2)。この手のものは原始的な負荷の物用なのだろう、白熱球だとか電動ドリル、グラインダーなどなど。基板が小さくてスペーサーを入れる場所もないので、基板の裏面が直に触るため金属製のケースには入れられない、プラスチックのケースにいれることになるだろう。

 太郎の塾の日、水曜日は小生が大津まで送らなければならない、カミさんは今日用事があつて、帰りも頼まれてゐたので、さうなると、むこうで、2時間くらい時間を潰さなければならないと思つてゐたら、カミさん、用件が早く濟んだから迎えに行けると連絡が入つたので、送るだけにして、帰つてきた。

 晩飯 カレー


令和 3年10月26日(火)

 晴れ。今日は気温が高かつた。
    最低気温 4.0℃ (05:01)、最高気温 21.1℃ (15:09)

 庭先にジョウビタキがやつてきた、これはメスだろう。薪を作り始めると、木の皮の間にいる虫を食べにさかんにやつてくる、まだ薪は作らんぞ。

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 人工衛星「みちびき」を搭載したH2Aロケット44号機が種子島から無事に打ち上がつた、もう、「無事に」といふ修飾語はもう必要がない、上がつて当たり前になつた、いちいち空港で無事に飛行機が飛び立つたと云わないが如し、どこか近くにまだ打ち上げが成功せず切歯してゐる国もあるやうだが。

 小生が関心があるのは、今日の打ち上げで使つた設備の一部を内之浦から打ち上げ予定のイプシロン5号機で使うので、今日の打ち上げが終わらないと先日打ち上げ延期(10/7)になつたロケットの改めての打ち上げ日程が決まらないさうだから、いつ打ち上げがあるのだろうと期待するのである。

 鹿児島県肝付町にある内之浦発射場からの打ち上げは、ここから200キロくらい遠くにあるのに天気が良ければ肉眼で見えるのだ、先日延期になつた打ち上げの時に、まさか阿蘇から見えるとは知らないだろうと、太郎の小学校に教えてあげて、それが結果的に打ち上げ延期になつて、もし、その時間、実際にこどもたち、授業中断して待機をしてゐたのなら、小生のお節介で授業時間を無駄にさせて申し訳なかつたなあと思つてゐた。

 あの日のこと、今日改めて太郎に訊いたら、「今日は上がらんかつたけど、また今度打ち上げる時に教えてね」と先生に云はれたさうである。国内でロケットの打ち上げを肉眼で見る機会なんかさうさう無いのだから少しくらゐ授業を中断してもよいのだろう。ただ、今度は打ち上げ時間が何時になるかわからないし、天気が良いかもわからない、まさに天任せである。

 色々工作などをする時に、AC100Vの電圧を落として使いたいことがあり、以前、確か、CHINA製のトライアック調光器を買つて、試運転をしやうとして、電源接続端子が一箇所しかなくて、入力と出力が分らなかつたので、説明書も全く無かつたので適当にあたりをつけてケーブルをつないだところ、見事に室内のブレーカーが落ちて、サーバーなどが停まつて復旧に往生したことがある、それに懲りて、その後、その装置は放置してあつたのだが、たまたまこのたびエンジン発電機がすぐに動かせる状態にあつたので、今日、改めて、ケーブルを結線し直して、電動工具を動かしてみたところ、こんどは発電機は落ちること無く正常につながったのだが、ボリュームが全く利かず100Vのまま電圧の変更が出来ない、スルーしてゐるだけである、思ふに、前回ショートさせた時に回路が損傷してしまつたのだろう。
 端子が一箇所しかなかつたのは、パラでなくてシリーズでつなぐのだろうと思つて、今日はさのやうにした。
 一組数百円ていどのものなので、今日改めて注文をした。最近のもの、どれをみても、入力用の端子と出力用の端子と二箇所作つてある。



令和 3年10月25日(月)

 夜中の雨が朝、少し残つてゐた。その後、回復方向に向かう
    最低気温 9.6℃ (但し 19:42時点、降下中)、最高気温 16.6℃ (16:09)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 もしかしたらまた噴火するかもしれないと云ってゐる。

 今日は何もしなかつた。

 月曜日は太郎の塾が休みでバタバタしなくて濟むので晩飯は精進揚げを作った
 なんとなく小生が食べたくなつたからであつて、家族がたべたいものでなくて、あくまで小生が食べたいものを作るだ、もちろん、その際には家族も好きだろうという忖度はするが。

 いつもジャガイモ、ナス、玉ネギは絶対に外せない。サツマイモは絶対に揚げない、世間ではサツマイモの天ぷらの方が普通で、スーパーでも売つてゐるが、小生は、戦後の食糧難時代にサツマイモばかりを食つたせいか、好きでない。

 それから最近はレンコンを揚げる。レンコンはウマい。天ぷらと云ふと不思議と必ずエビがつきものだが、今日は無くてもいいかと思つたが、動物性タンパク質も必要かなどと変な理屈をつけていつものやうにエビも揚げた。

 いつもすぐに無くなるので、今日は山程揚げた、少し揚げ過ぎたか。

 斯う云ふ時はビールを飲みたい。しかし小生はアルコールに弱い、そこで、これだ。”ビール”である。
わざわざ、””付きでビールと書いたのは、この”ビール”は微アルコールのビールテイスト飲料で、度数1%未満である。ノンアルコールではない、あくまでアルコール飲料である。この度数だと酒税法ではビールと云わないさうである。

 最近この”ビール”が非常に売れてゐるといふ。小生のやうなアルコールに弱い人間ばかりが飲んでゐるかと云ふと、普通に酒を飲む人も飲むらしい、近年のアルコール離れも影響してしてゐるやうだが今までの商品開発に無い発想である。

 で、どうだつたかと云ふと、やはり、喉ごし、ビールである、ノンアルよりはウマい、でも流石にこの程度のアルコール度数では小生すら全く体調に変化は無かつた。警察はアルコールだからダメだと云ふが、これは清涼飲料だな、ただ、警察としては、アルコールと謳つてゐる以上は、良い、悪い、を数値化できるものでは無いので、一律ダメだと云ふのだろう、絶対に「風船」にも引つかからないだろう。世の中には奈良漬けでも酔う人が居るくらいだから、下手をすれば奈良漬けの方が度数は高いかもしれない。

 因みに、350ml缶の場合、アルコール度数が1%未満、仮に1%とすると、3.5mlがアルコール分になる、今晩飲んだ”ビール”はアルコール分が0.5%ださうだから、計算機を持ち出すまでもないが 1.75ml になる、実際にどのくらいの量かと云ふと、なんでも科学する爺さん、咳止めシロップ用の小さなカップに牛乳を入れてみたら、このくらいだ、やはり清涼飲料水だ。

 カミさんがいつもより少し遅く帰つてきたが、玄関のところにアナグマがゐて、私の姿を見てお尻を振りながら逃げていつたと云つてゐた、夜、玄関先のセンサーライトが誰も来ないのに、時々点灯するのがライブカメラのモニターで分かるのだが、ネコかと思つてゐたらアナグマかあ、ボンがゐた時は、イノシシでもなんでも吠えて追い払つてくれてゐたが、今や、野生動物出入り勝手次第である。


令和 3年10月24日(日)

 曇り、朝は晴れてゐたので非常に気温が下がつた。アメダスポイントの阿蘇乙姫では1.9℃まで下がってゐる。
     最低気温 3.8℃ (05:11)、最高気温 15.2℃ (13:37)

 太郎、テニススクール、途中全く寄り道をせず、午前のうちに早々と戻つてきた。


 過去の今日の日に何があつたかと云ふ「今日は何の日」と云ふのがある。

 本日10月24日は「神風連の乱」があつた日だ。明治9年(1876年)、ざつくり云ふと、このころは明治維新によつて士族の既存の権利がどんどん奪われてそれに不満を持つ元士族を中心に政治観の違いなどもあつて、主に九州各地で士族の反乱があつた、その最たるものが、翌明治10年に起きた西南戦争であるが、その前年の今日、熊本で「神風連の乱」が起きて、熊本鎮台を襲撃する事件があつた。そのほかにも佐賀の乱、萩の乱、秋月の乱などがこの時期相前後して起きてゐる。

 で、今日のお題は「これ」である。

 熊本鎮台とは、当時、熊本城にあつた日本陸軍の九州における拠点で、のちに第6師団になる。その鎮台を神風連が襲撃して一時占拠したしたのであるが、その夜襲の際に、自宅に帰つてゐた鎮台の司令長官である種田少将は襲撃隊に殺害されて、一緒に居た小勝と云ふ権妻さんも怪我をした。

 そこで小勝さんは東京の身内に無事だつたと云ふ電報を打つた、その時の電文が「ダンナハイケナイワタシハテキズ」(旦那はいけない、私は手傷)であつた。

 この電文が簡潔にして要を得てゐると当時の新聞に取り上げられて、大いに評判になり、民間の電報普及に一役買つたさうである。
 当時、電報料金は高額で一文字ずつ料金が計算されてゐたので、できるだけ短く作文をした、この電文を例に取ると、濁音の、ダンナの「ダ」、テキズの「ズ」は、「タ」に「゛」、「ス」に「゛」で、合わせて「ダ」・「ズ」となり、「ダ」・「ズ」と云ふ独立した符号は無いから、「タ」を打つて、そのあとに続けて濁点の符号を打つたので、一文字でニ回電鍵操作をするので二文字分の料金が発生した。

 わりと最近まで、お役所などの届け出用紙にフリガナを振る時に濁音、半濁音の後はひとマス空けなさい(あるいは、清音と濁点、半濁点は別枠に書きなさい)と、なつてゐたが、それはこの電信時代の名残りである。今でも小生は、さのやうな届け出用紙にフリガナを振るときには濁音の後は必ず一文字分空白にしてゐるが、これ、どうなんだろう、今は空けなくても良いのだろうか(多分現在は清音、濁音は文字コードが別だから分けなくても良いと思ふ)。そして小生も昔、電報を実生活で使つてゐた世代である。だから小生は消えゆく文化遺産、「和文モールス」を残したいのである。

 閑話休題言帰正伝、この明治ころには上に書いたやうに既に電報(電信)が実用化されてゐて、翌年に始まつた西南戦争でも、政府軍では大きな戦力になつた。一方の西郷軍には然のやうな通信手段は無かつたのでこのこと一つを取つても、西郷軍には勝ち目が無かつたと云ふことになる。

 この時の電報(電信)は、当然、有線である、東京から九州などに延々と電線を引いて、電報を打つてゐたのである、それまでは基本的に人が運んでゐた文字情報(手紙)を、ほぼリアルタイムで地球上を伝わるその革新ぶりは今のインターネットの比では無かつたろう。

 福沢諭吉がヨーロッパ視察で電信網を、地球を取り巻く「蜘蛛の巣」(spider's web)のようだと表現してゐる、まさに現在の「web」という言葉を当時既に使つてゐる。

 これが「有線」から「無線」になるのは、日露戦争のころで、更に30年近くも後のことである、今では何でも無いことだが当時の科学技術では電波を作つて飛ばすと云ふことはそのくらい難しかつたのである。

 補足・・・当時の電報は、小勝さんの時も、日露戦争の時でもまだ上記のやうな音響ではなく、紙テープに自動的に長短の符号を印字する方法であつた。電信を音で聽きながら通信士が文字に置き換える方法はもつとずつと後のことになる。

 電信線を最初に描いた日本人(PDF)
横須賀市自然人文博物館 https://www.museum.yokosuka.kanagawa.jp/archives/news/26325# より拝借

 また、アシナガバチが入つてきた、どこから入つてくるのだろう、外に逃してやつた。

 千葉の義父からエンジン発電機が送られてきた。昔、こちらから持つて帰ってもらたものがまたこちらに戻つてきたのだ。

 Honda holiday EP600N、( 2004年H16.12.4)17年前に当地ホームセンターで購入、その後、何年かして、エンジン溶接機を購入して、これは発電機そのものなので、Hondaの発電機、よかつたら使つてくださいと義父の阿蘇訪問時に持つて帰つてもらつた。

 その後、どうしたろうかと思つてゐたのだが、確か、東日本大震災のときだつたろうか、あるひは別の地震だつたか台風だつたかもしれない、千葉で大停電があり、この時、発電機が活躍したかなと思つて後から訊ねてみたところ、住宅地で発電機は騒音がするし、地域一帯が停電してゐるのに自分たちだけが電気を使うのはなんだか悪いやうな気がしてと周囲に遠慮して結局使わなかつたらしい、(義父はこのくらい心優しい人なのである)。

 そして、ここにきて、エンジンをいじつてゐて、突然そのことを思ひ出して、今後も使う機会は無いやうであれば、斯う云つたものは、定期的に動かさないとだめになる、その点、田舎の方が使う機会が多いので、よければ送つてくださいとお願いして、それが戻つてきたのだ。

 小生も、当時、買つてからあまり使つてをらず、基本的にはほぼ新品同様の状態で、これまで17年を経てきたことになる。今日早速エンジンをかけてみたが、やはり、動かない、先ずエアフイルターがもう劣化してボロボロ状態でエアの吸い込み口を塞いでゐる。それから、あまり運転してゐないと思ふのだが、点火プラグがかなり汚れていた。とりあえずフィルターは取り外して、プラグを掃除したところ、幸いに今回はこれ以上のことをやらなくても発電機は無事に回復した

 溶接機の発電機はものすごく大きくて重いので簡単に持ち運びが出來ないが、これだと可搬性に優れ使いやすい、ありがたく当方で使わせて貰うことにする。

 今回のエンジン発電機の輸送で、知つたことがある。普段、オークションで中古のエンジンなど何度か落札してゐるのだが。使用済みの、つまり、燃料が一度でも入つたエンジン類(多分石油ストーブも)の輸送は、燃料が残つてゐて気化して火災の危険性があるので、燃料を抜いても宅配業者によつては受け付けないところもあるやうだ。


令和 3年10月23日(土)

快晴、抜けるやうな青空が広がった。
    最低気温 6.9℃ (05:39)、最高気温 17.3℃ (15:14)

 朝の時間、噴煙は・・・・写真を見ると三箇所に噴煙らしきものが見える。一番もつともらしいのは右側だが、これは雲だ。杵島岳の頂上付近だ。左側は高岳で、阿蘇山の中で一番高い、標高1592mである、この数字「ヒゴノクニ」と読めるので覚えやすい、これも雲だ。我が家が標高500mちょいあるから、ここから高岳頂上までは1000m以上あることになる。

 そして本物の噴煙は少し低くなつた中岳からのものがさうだ。左端のギザギザ山は根子岳である、お釈迦様の頭部にあたる山だ。因みに、「阿蘇山」といふが、阿蘇山と云ふ名前の山は無い、上記の山々を総称して阿蘇山と云ふ、広くは我々が住んでゐるカルデラも標高500m以上あり、遠方から見ると、まとめて阿蘇山になる。この時の風向きは北寄りの風なので、火口から昇つた噴煙はすぐに南方向、写真では向こう側に流れるので、あまり、大きくは見えないが相変わらず大量の噴煙を吐いてゐる、ただこれは噴火ではなく、ただ吐いてゐるだけだ。ドカンと云ふ噴火は先日の一回だけだ。

 昨日から我が家では薪ストーブに火が入つたが、先日メンテナンスをした時に、少し手を抜いたが、やはり、それは上手くなかつたやうだ。
 ストーブの扉周辺などに空気が漏れないやうにガスケットが貼つてある、完全にシールドが効いたストーブだと扉やダンパーをきちんと閉じると空気が遮断されて火が消えるやうになつてゐる、その空気の流れ加減を調整することで温度調整をするのだが、我が家のストーブはもう20年経つてをり、ちやんと整備をしなければならいのだろうが、小生が毎年いい加減にやつてをり、かなり空気の漏れがある。
 厳冬期にはボンボン燃やすので少しくらいの空気の漏れ、即ち調整なんか必要が無いが、今の時期、あまり燃えすぎると熱くてしやうがない。だから手抜きをして剥げたままにしてあつたガスケットを貼ることにして、今日は日中暖かかつたからストーブは焚かずに、整備をした、ガスケットの接着まで少々時間がかかるが夜までには使えるやうになるだろう、でも今晩は要らないだろう、明朝は4℃くらいまで下がるさうだから明日にしやう。

 我が家の暖房具はこれ一台、電気や石油などの暖房機は無い、これ一台が我が家の生命線である。こどもたちは世間のコタツが羨ましくてしやうがないやうで、どうしてウチにはコタツ無いと?とよく云つてゐた。無いことはない、ある、向こうに居た時に使つてゐた電気コタツが二台ある、ただ、今はPCを置いたりの机に化けてゐる、たしかヒーター部分もどこかにあるはずだが。

 2年前のW杯後、初のラグビーテストマッチ、日本対オーストラリア戦、大分で開催されてテレビ観戦した、久しぶりに力が入つた。オーストラリアは強い、スピードが違ふ、それでも日本、善戦した。

 太郎の塾、土曜日は昼からだ、その送迎を済ませて、カミさんは、午後3時半ころ、夏子の冬服などの入れ替えで出かけて行つた、帰つてくるのは夜中だろう。

 食べると中るから牡蠣がダメなお母さんが今晩は居ないから、二人でカキフライにしやうか?と云つたところ、太郎のやつステーキが良いと云ふ、そのほうが手が掛からないから小さなステーキにした、太郎のやつ大きいと食べ切れないで必ず残すのだ。

 それはさうと、小生、ステーキなどの時は、水代わりにノンアルコールビールを飲むことが多いが、なんでも最近アルコールが1%未満の微アルコール”ビール”があると云ふ。小生のやうな下戸向きの商品かと思つたら、それもあるかもしれないが、普通に酒を飲む人間も結構飲むやうで、ヒットしてゐるとのこと、ノンアルは小生でも少し物足らないところがあるので、早速飲んでみやうかと思つて今日ミヤハラの酒売り場を覗いたら、ここには無かつた。まだメジャーじゃないやうだ。たとえ1%未満でもアルコール飲料になるので、車の運転は不可で、未成年も駄目なんださうだ。


令和 3年10月22日(金)

 朝、阿蘇谷は雲海に沈んだ。昼間少し降つたが夕方になつて晴れてきた。相変わらず噴煙が多いやうだ(雲と区別がつかないが)。
    最低気温 8.2℃ (01:31)、最高気温 15.2℃ (15:06)

 けさ、たうとう股引を穿く、セーターも着た、皆が出かけた後、ストーブも焚いた、年寄りにヤセ我慢は禁物、無理はしないことにした。

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 採蜜に向けての下準備、今日は、切り取る重箱部分と残す重箱を連結してあるビスや天板のビスなどを外してをいた(写真1写真2)、あとは、切り取るだけだが、切り取つた重箱がハチ蜜でベタベタするので、スマートに処理するのにこれが結構大變でまだ下準備が殘つてゐる。

 蓋付きの一斗缶が届いた、最近は容器がダンボールに代わり、蓋付きといふのがなかなか無い。今年の2月に下町の石田さんに大量の薪材をトラックで運び入れてもらつた際、話のついでに蓋付きの一斗缶がなかなか無いと話したところ、もし今度あつたら持つて行つてやるよ、と云つてくださつてゐたが、覚えてゐて今日届けてくれた。別に季節があるわけではないだろうが、小生的にはそろそろ燻製の季節だ、これでまた改良型燻製器を作ろうと思ふ。

 ここは熊本三区である、今回の衆院選、三人立候補してゐる。掲示板のポスターは多分二枚で終わりだろうと思つてゐたら、今日見たら三枚になつてゐた、これで全候補者が貼つた、最後の一枚、組織あるのかなあ。

 晩飯、ロールキャベツ。コンソメ仕立てが多いと思ふが、小生はいつもホワイトソース仕立てだ。太郎、ボクの好きなものベストテンの上位にロールキャベツがあると云つて喜んで食べる、今日は塾行き、遅れないでカミさんの事務所に送り届けた。

 明日の土曜日、新生ラグビー日本代表とオーストラリアの試合がある、地上波ではなかなか中継が無いから久しぶりだ、今からワクワクする。


令和 3年10月21日(木)

 曇り、そして、昼ころから路面が濡れる程度の細かな雨が落ちてゐた。今日は日中もほとんど気温が上がらなかつた。
     最低気温 09.4℃ (00:28)、最高気温 13.3℃ (12:28)

 日中、じっとしてゐると少し寒いなあと思つて寒暖計を見ると室内温度が18℃を切つてゐる。一般的に室内温度が何度になつたら暖房を入れるのだろうかと思つて調べてみたところ概ね18℃くらいからだとある。なるほど、たしかにそんなもんかなあと今日体感して思つた。それでもちゃんと着てゐればまだまだ大丈夫だ、と云ひながらも、もし火を入れたくなつたらすぐに点けられるよう、ストーブに薪を入れていつでも準備OK状態にしてをいた、別に薪が惜しいわけではない、今年の冬は薪は腐るほどあるぞ。
 薪ストーブの管理は一から十まで全部小生の役目にいつのまにかなつて、それが面倒なので、なるべく先送りをしてゐるのである。
     
 今朝、ISS「きぼう」の観測ができるかなと思つて外に出てみたら、残念ながら薄曇りで見えなかつた。太郎のやつは起きて來なかつた、5時半ともなればもう学校のみんなも起きる時間だろうにギリギリまで寝てゐたいのだ、睡眠時間が短い小生からみると羨ましい。

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8


 派手な噴火は昨日のイッパツだけだつたやうでもう落ち着いてゐるやうだ、今日は曇つてあまり良く見えないが、それでも噴煙は出続けてゐるやうだが、今日の風向きは南西の風で、もろにこちら方向に風が吹いてゐることになつてゐるのに火山灰は降つてこない、水蒸気だけ噴出してゐるのだろうか。昨日は高森や南阿蘇で降灰がひどくて、確か前回の噴火の時もさうだつたが、通学する子どもたちは全員ゴーグルをしてゐた、当時太郎の小学校はゴーグルの支給はあつたろうか、阿蘇谷は南郷谷に比べて降灰が少なかつたので支給は無かつたろうか、覚えてゐない。
 当地では稲刈りが終わつてあまり農業に影響は出ないのではと思つたが、降灰地帯、収穫期のキャベツに灰が降つて困つてゐるとニュースで云つてゐた、そうだつた、ここはキャベツの産地でもあつた。雨が降ると洗い流してくれるが、雨がないと収穫を諦めなければならないかもと云つてゐた。

 前回の大きな噴火の時に小生が火口麓まで出張つたことが日記に残つてゐる。この時の方が今回より規模が大きな噴火だつたと思ふが、この時の噴火警戒レベルは2だつた、だからロープウェービルまでは行けたのだが、当時の写真を見ると結構な迫力で、今ならレベル3クラスだと思ふが、基準が変わつたのだろうか。(2014年H26.11.27の日記)。

 と書いた後、今回の噴火、2016年H28年の36年ぶりの噴火以來だとニュースで云つてゐた。えっ?2014年じゃないの?と思ったら、、その後、2016年(H28)10.8日に大きな噴火があつたのだつた。

 ここに来てから、豪雨災害や地震や噴火などが相次いで起きてをり、記憶があやふやになってゐるが、今回の噴火の前は、確かにこの2014年11.27でなくて、その後の2016年H28.10.8だったのだ、日記に当時のことを詳しく書いてあり読み返しては思ひ出してゐる。

 午前中、選挙カーが家の前を凄いスピードで通過して行つた。白手袋で手を振つてゐたがあつと云ふ間に通り過ぎたので本人だつたのかどうか確認できなかつた。そして、午後になつて、みやはらに買い出しに行つた時、また選挙カーがやつてきた、午前中と同じ一行だつた、ゆつくりと通過して車から手をふる人を見ると、候補者ご本人だつた、顔見知りの地元の同派の人たちも後に続く車に乗つてゐた、今日一日を阿蘇市を中心に選挙活動に当てゝゐるのだろう、選挙運動期間中、熊本三区内をくまなく走り回るのだろうが、尻も痛くなるだろう。尤も政治家が忙しいのは任期中、この期間だけだろうが。

 晩飯 柳川もどき。古い日記を読み返してゐて、以前の献立の中にあつた。何を作ろうか考えるのが面倒なので、助かった。
 ところが、 太郎の塾、一週間ほど休みが続いて、今日からまた再開されることを忘れて、太郎が出かける時間に間に合うやうに夕食の支度をしてゐなかつた。出かけるギリギリになつて太郎が催促するのでもう間に合わない、インスタント焼きそばを湯切りするところまでやつて、あとは焼きそばの器をもたせて、カミさんの事務所まで送つて行つた、行きの車の中で食べろと云つて。



令和 3年10月20日(水)

 ここは晴れ、日本海側は天気が悪かつたやうだ。今日、明けゆく五岳の写真を記録してあつた、数時間後、中岳が噴火をすることになるのだ。(写真1写真2写真3
(https://visitaso.com/)
       最低気温 6.7℃ (06:37)、最高気温 17.1℃ (12:53)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 昼前、ニホンミツバチの採蜜の下準備で中岳に背を向けて作業をしてゐたら、村の中に立つてゐる防災無線塔からJアラートのあの禍々しいチャイムが聞こえたので、あれ、今日テスト放送あつたか?(時々テストがあり、事前に広報がある)と思つて聽いてゐると、「阿蘇中岳が噴火しました・・」と、振り返つてみたら、数年ぶりの大噴煙、どうせ、阿蘇の噴火は市街地から離れてゐて全く心配は要らないからとしばらく眺めてゐた。
(写真1写真2

 幸いに、今回、登山者も含めて人的被害が無かつたやうだ。無線仲間のKVFは火口直下のターミナルビルのお土産屋さんの大将だが、建物は押し寄せてきた噴煙に包まれて真つ暗になつたが、従業員は建物内に避難をして、今回は噴石が飛んで来なかつたこともあり、建物の損傷もなかつたさうだ。

 夕方、太郎が学校から帰つてきて訊いたら、「別に・・・」だつた、「でも教室から山、見えるのだろう」、「見るけど別に騒ぎにならなつた、ボクもわざわざ見なかつた」と云つてゐた。この興味の無さ、これはこれでまたどうかと思うふが。

 作業に掛かる前に、中岳の噴煙、相変わらず多いなと、写真を撮つた十数分後に噴火があつたことになる。

 友人に教えてやろうとしたら、もう放送で知つてゐた、盛んに放送してゐたらしい、小生はテレビは見ないので、それにテレビを点けるまでが普段線をつないでゐないので手間がかかる、どうしやうかと思つたが、考えてみたら、何もテレビを見なくても、実際に噴火を見ているわけだからその必要も無いなと思ひラジオを聽いた。自慢ではないが、我が家の庭先からだと真正面のかぶりつきだ。まいど、報道は、噴火した噴火したと騒ぐだけで、阿蘇の地形の説明をしないから、事情を知らない人は阿蘇の人たちが大変なことになつてゐると心配する、オイNHK!いつも云つてゐるけど、まず、そのことを放送しろ。

 この噴火で、噴火警戒レベルが3に引き上げられた、後出しジャンケンである、最近、火山活動が活発化してゐるのは分つてゐたが、噴火警戒レベルは2のままで、もうすぐ爆発するぞと云ふ注意は無かつた、かもしれない、とは云つてゐたやうな気がするが、そのくらい小生でも云ふ、今の予報技術では無理なのだ、噴火して、後からレベルを上げることしかできない。

 警戒レベル3とは入山規制で、別に日常生活には全く影響はない。火口のすぐ下の以前ロープウェイがあつた場所にロープウェイは無くなつて、今、ターミナルビルができてゐるが、そこが火口から1キロくらい、さらに西の方、火口から3キロくらいのところに、レストランと火山博物館がある、まあ、もし影響があるとして、せいぜいこのあたりまでだ。

 今日だつて、噴火の時、駐車場にバスが停まつたままで、修学旅行生もゐたらしいが、別にあわてゝ避難したやうでもなかつた、映像で見ると大事のやうに見えるが、火口からあのあたりまで3キロある、現地にゐてもそんなに危険ではないと分かる距離だ、もし、あのあたりまで被害が及ぶやうな噴火であれば、あんなもんでは無いだろう。

 我が家は火口から直線距離で8キロ、もし我が家が直接噴火の被害を受けるやうなことにでもなれば、それはもう「破局噴火」で阿蘇だけの問題でなくなる。

 今回の噴火はマグマ上昇によるものでもなく、継続的なものでは無いのではと思ふ、ガス抜きで、一発でオシマイだろう、ただ、暫く火山灰は降るかもしれない。今日のところ、風向きが西から東で、こちら方向には噴煙は流れてゐない、南阿蘇、高森方面が大變だろう、こればかりは「運」である。

 これから心配することは、火山灰が降り続けると農作物に影響がである。それを除けば、ちよつと乱暴だが、どうせ火口は覗けないのだから、離れて見れば、火山なのだから大いに観光効果はあると思ふ、ただ、噴火は危険だと過去のいろいろな報道のせいで、キャンセルが出たり、旅行中止になつたりと観光客の足が遠のくのが困るが、だから阿蘇山の噴火は、危険ではないと、これを奇貨としてもつと広くPRすればいいのだ。

 阿蘇地方の今年の稲刈りは大体終わつたろうか、晩生種で一部まだのところもあるかもしれない、風向きで火山灰が降ると非常に影響が大きくなるところだつたが、多分稲への影響は少ないのではと思ふ。、

---- 人いまだ生れず神と鬼とのみ住みけむ世よりもゆる山かも ---- 佐佐木信綱


 採蜜の下準備をした、一気に全部をやろうとするとシンドイので、少しずつやることにした、今日は、重箱を上から一段ないし二段切り取るので、そこから引つ張つてゐる転倒防止のステーを、新たに一番上になるところに付け替えた。
(写真1写真2

 明朝、天気が良ければ当地からISS「きぼう」が見える、たとえコースが真上を通るとしても、昼間だとか真夜中だとかだと太陽の反射の関係で見えないから面白いものである。

 晩飯 カレー



令和 3年10月19日(火)

 曇り。日本列島を両側から低気圧が挟むやうな気圧配置で、全国的にあまり天気は良くなかつたやうだが、九州は特にここはその影響はあまりなかつた
(https://visitaso.com/)。しかし今日も日中の気温が上がらなかつた。
   最低気温 7.5℃ (04:16)、最高気温 17.8℃ (15:16)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 武漢ウイルスワクチン不足の次は今年大流行が予想されるインフルエンザワクチンが不足してゐて現在予約が取れないと云ふニュースもある。武漢ウイルスワクチン製造を優先したために資材が不足してゐるからだと云ふ。
 然う云ふこともあろうかと、我が家では小生と太郎は早々と接種を済ませた、ただもしかしたら太郎の二回目ができないかもしれない。

 衆議院選挙が公示され、いよいよ選挙戦が始まつた。村の掲示板にもポスターが貼られてゐる。ここ熊本三区は三人立候補してゐる。しかし云つちやあ悪いが、ほぼ無風選挙区なので、それに山中の過疎地帯なので選挙カーは先ず回つてこない、それでも一回くらいゐは通り過ぎるだろうか。ところで選挙カーの台数は立候補者本人が乗車する分だけでないのだろうと思ふが違つたかなあ、何台まで、と云ふやうな決まりはあるのだろうか、ちよつとネットで調べたけど見つからなかつた、もし本人乗車分だけなら間違いなくここには回つてこない。

 時々政治に関するアンケートが電話である、相手はコンピューターなので、確認することもできず、本当のアンケートなのか分からないからいつも回答せずに電話を切ることにしてゐる。今日も、日経リサーチと云つたかな、今回の衆院選挙についてアンケートの電話があつた、この無差別抽出によるアンケート、本当なのかなりすましなのかわからないのに、みんなはそれに回答するのだろうか。小生、もし答えるとして、何に一番重点を置くかと問われたら、「安全保障」、と答えたいが、だいたいこの「安全保障」はコロナ対策だとか経済対策だとかが上の方にあつて、いつも順位がかなり下だ。先ず何より安全保障だろう、安全保障がしつかりしてゐないから、しなくてもいい外との対応のために迂遠で無駄ないろいろなコストがかかるのだ。

 いつも腰に挿してゐる計算尺のネジが一個無くなつってゐることが分かつて、代わりのネジを探すのに、いろいろなものから外した種々雑多のネジが沢山入つてゐる箱のなかを探して漸くなんとか代用できるネジを探すことができたが、薄着で長時間、庭先で箱の中を探つてゐたので寒くなつた。

 キャノンがアメリカで、プリンターのインク切れだとスキャナーも使えないのは詐欺だと訴えられてゐるといふ。これについては小生も昔からさう思つてゐた。
 小生のレーザープリンターはスキャナーが無いので、どこのだつたかインクジェットプリンターはプリンターとしてはもう使わないのだが、スキャナー機能が欲しいので置いてある。ところが、インクが切れてゐると、最初のプリンターの自動チェックでインク切れだと云つてその先に進めず、スキャナー機能が使えない、メモリカードに直接保存するのだからインクは要らんだろうといつも文句を云つてゐる。アメリカでの訴訟事件だから、多分、キャノン負けるぞ、こんな基本的なこともクリアーしないで売るのだから、お粗末だな、訴訟文化のアメリカと違つて今まで問題になつてゐないのだから日本人は大人しいものだ、日本ではこの程度で腹を立てても訴訟までは考えない、文化の違いだ。


令和 3年10月18日(月)

 全国的にこの秋一番の寒さのところが多かつたやうだ。当地も、気温が下がつた、ここは山付きだから、カルデラ平野部にあるアメダスポイントよりは低くはならなかつたが、それでも、朝、まだ夏の寝間着なので起きてからベストを着た。

 朝気温が低かつたと云ふことよりも、日中の気温が上がらなかつた方が体感的には冬到来を感じる、日中、直射日光下で座つてゐても全く暑さを感じず気持ちが良いほどで日中の気温が低いと云ふことは然のやうなことなのである。それでもまだストーブは全く出番はない、夏の服装から冬の服装に替えれば濟む程度の気温である。、
    最低気温 7.1℃ (06:52)、最高気温 18.1℃ (14:45)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 ネットで天気情報を知る方法には色々ある。気象庁、ウェザーニュース、Yahooの天気情報などなど。今まで見たことなかつたが偶然NHKのwebnewsの天気情報を見た、いろいろな気象情報がまとまって一度に見られて、しかも詳細に分かる。

 ここからだと今の時期の風向きで分らなかつたが小噴火による噴煙が続いてゐるやうだ。よく見ると、たしかに、噴煙が上がつて風向きですぐに南の方に流れてゐるのが分かる。それでも、時々こちらからでも噴煙が見える。そして、車に火山灰が少し付いてゐた、昨夜降つたのだろうか。少し地下活動が活発化してをり、もしかしたらレベル3になるかもしれないと云つてゐる。
写真1写真2

 もうそろそろ冬ごもりの時期になつて、雌の山椒の苗を二株、雄の木のそばに移してやつた、今の時期でもいいのかどうか全くわからない。それから、これもだいぶん前に入手してあつたユズの苗木も定植した、これも今の時期にやるものでないかもしれない。

 全く唐突に、少し、植裁を整理した。この場所に植裁は別に必要でなく、車を置くスペースの奥行きがもう少し欲しかったので、切った。写真1写真2写真3

 公示前だと云ふのにもう衆議院議員選挙の入場券が送られてきた、我が家では選挙権を有するもの三名のはずなのに夏子の分が無い、確か18歳以上だからと思つて、本人に連絡を取つたところ、向こうにも今日送られてきたと云ふ。住民登録はこちらのままのはずだが、よくよく考えたら、郵便局に、本に宛の郵便を転送するやう届けてあるので、自動的に現在地に転送されたやうだ、然う云へば、ワクチン接種のときも、こちらの市役所から届いたと云つてゐた、これも、郵便局が転送したからだ。でありながら、小生気付けで夏子宛の郵便は、我が家に届く、然う云ふものなのか。

 で、結局、投票日あるいは期日前投票で本人が帰つてこなくては投票できないと云ふことになる。病気だとか身障者だとかである一定の条件下では郵便投票と云ふこともできるやうだが、夏子の場合は当てはまらない。初めての国政選挙の投票、さてどうするのだろうか。

 今日、武漢ウイルス感染者、熊本県は久しぶりに0人だつた。あの東京ですら今日は29人だつたさうだ、ここまできたら、東京も0になるかもしれない、この激減、一体なんでなんだろう。

 晩飯、ナベ。今朝気温が低く、こんな日はナベだな、と決めた。別にまだナベが恋しくなるほどの気温ではないのだが、何を作ろうかと毎度悩むのが面倒で、朝の気温の低さにかこつけてナベにした。夏と冬とどちらが食事の献立の幅が広がるだろう、多分冬のほうだろうと思ふ。


令和 3年10月17日(日)

 晴れ。穏やかに晴れる。昨日の予報では雨が降ると云つてゐたが、北の方から福岡あたりまで南下してきた雨雲、ここまで降りきれず、レーダーを見ると午前四時ころ、軽く雨雲通過して、それでオシマイだつたやうだ。
     最低気温 11.3℃ (ただし20:00時点、降下中)、最高気温 19.2℃ (13:16)

 今日北海道では雪が降つたらしい、ナフコに部品を買いに行つたところ、次々に灯油を買う人がやつてきてゐた。寒くなるぞと云ふ天気予報にみなさんあわてゝ冬支度を始めたやうだ。ここでは一気に冬が来る、小生のストーブの準備は終わつてゐる、ただし、我が家では灯油は要らないが、一般家庭では一冬に暖房にどのくらいの灯油を使うのだろう、全く見当もつかない。

 太郎は今日はテニスククールでなくて塾の学力テストがあつたやうで、大体テニススクールと同じやうな時間割りで母親と出掛けて、そして帰つてきた。

 排水詰まり掃除、台所の流しの下の鍋釜をカミさんが全部外に出してカラポにしたので、更に、隱し壁を外して、パイプを顕にして、掃除を始めた。結局昨日やった外からの掃除では中の詰まりを除去できなかつたので、今日、コンプレッサーのエアの力で詰まりを吹き飛ばすことにした。この方法は前回やつて成功してゐる。2018年(H30)3月10日と11日に悪戦苦闘した記録がある、この時は、排水溝を探すのに地面を掘り繰り返してゐる。

 今回も前回の記録を参考に、呼び径50の排水キャップでシンク下の排水パイプの口を塞いで、キャップに開けた小さな穴にエアガンを突っ込んで空気を送り込んで詰まりを吹き飛ばしたが、今回はある程度は水が流れれてゐるのでそこから圧搾空気が抜けてあまり圧が上がらないので、一旦大量の水を流し込んで、流れきれず、その水が穴を塞いだ形になつたところに、エアを送り込んだところ、ドカンとまるで大砲の空砲を撃つやうな大きな音がしたので、外に出てみると、いやいや、前回に劣らず詰まりものが大噴出して周囲に散乱してゐた。食堂の窓枠まで飛沫が飛んでゐた。肉厚のVPでなくてVU管だけど大丈夫だろうかと心配するほどだつた。

 今回作業に入る前に液体のパイプクリーナー剤でなんとかならないだろうかと何本もを流し込んだが、そんなもの全く効き目が無いほど、詰まりものは、まるで、石のように固形化してパイプ内にへばりついてゐた。

 今回もコンプレッサーを運び込んだり、排水キャップを買いに行つたりと段取りで一番時間がかかつた。そして後片付けがまた大変だつた、それでも、ほぼ午前中には終わることができた。これでまた数年は大丈夫だろう、数年先は小生ができるかどうか保証できないから、カミさんに、現場をよく見せておいた。

 今回、気がついたこと、シンク下のフレキシブルパイプは、呼び径50の排水パイプにただ差し込んで防臭キャップがかぶせあるだけで、これだと、流れきれずにパイプを戻つてきた水がシンクまで戻る前に、この継ぎ目から漏れる。これなんとかならないのか、差し込むだけでなく、ジョイントで直結してここに隙間ができないようにはできないのかとネットで探したけど、どうも差し込み式が一般的なやうで、直結方式は無かつた。片方がフレキシブルでしかも異径だとつなぐのは難しのだろう(後になつて、ミヤコ株式会社の流し用のホースと塩ビ管との接続に「排水ホース用アダプタ モレス」と云ふものがあることを知つた)。

写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11
(memo. パイプ内の空間は広いので、短時間のエア放出では効果はない、ずつとエアを送り続けてゐるとパイプ内の内圧がどんどん上がつて、やがて詰まつてゐた付着物がその圧力に耐えきれずにドッと外に向かつて爆発的に噴出する)
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令和 3年10月16日(土)

 晴れのち、曇。夜には雨になるさうで、北の方から雨雲が下がつてきてゐる
   最低気温 14.5℃ (03:41)、最高気温 25.1℃ (13:23)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 今週も土曜授業があった、ここのところ土曜授業は結構ある。4年生は草原学習といふことで、昨日から一泊の予定で青少年交流の家に行つてゐるので今朝の登校班に姿は無かつた。太郎たち5,6年生は今日は地域体験学習とのことで阿蘇神社の復興具合を見学したさうである。阿蘇神社のFasebookに復興具合が分かる映像がある、https://www.facebook.com/watch/asojinja/

 カミさんが上がつてきて食堂に大きなハチがゐると云ふ、降りてみると、アシナガバチだつた、昔ならハチは危険なものとして問答無用で殺してゐたが、ミツバチを飼うやうになつてわかった、ハチは別に危険なものではない、だから今は無益な殺生はしない。あくまで「無益な」である、捕虫網で捕らまえて外に放してやつた、たとえスズメバチでも家の中に入つてきたやつは開放するのだ、窮鳥懐に入れば、である。

 台所の流しがまた詰まり気味で、流れきれないうちにパイプ内に水が溜まり、シンク下の継ぎ目から水があふれるとカミさんが云ふので、また排水管の掃除をした、明日は雨だから外の排水溝口は今日やつたが、シンク側は下に鍋類が沢山詰まつてゐるので、明日、全部外に出して改めて掃除をすることにした。

 今晩から雨になるといふことだつたので、先日伐採した植栽の後始末をした。乾燥注意報が出されてゐる時だと燃えすぎて神経を使うが、少し前に雨があり、今朝も朝露に濡れてゐる時に火を点けたので程よい燃え具合で、綺麗さっぱり燃え尽きた


令和 3年10月15日(金)

 快晴 (https://visitaso.com/)
    最低気温 11.9℃ (06:01)、最高気温 28.3℃ (14:20)

 噴火警戒レベルが2に上がつたと思つたら、早速昨日の早朝、阿蘇中岳が小噴火をしたらしい、曇つてゐたので誰も見てゐない。噴火と云つてもちよつと噴いた程度だ。
 新聞記事  PDFファイル

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 例によつてまた気象庁が、今度の日曜日辺りから急に冬のやうな寒さになるぞと脅かしてゐる、来週2℃まで下がると云つてゐる、そんなことあるか、と思ふが万一のこともあるので、ストーブの準備をした。先日、煙突の煤の掃除は終わつてゐるので、今日は本体の掃除である。

 普通、煙突内の煤は、ストーブ本体に差し込んである煙突を根本部分から全体的に少し持ち上げて抜いて、その先端に袋をぶら下げて煙突内の煤を屋根に登つて煙突のてつぺんから重しを付けたブラシを降ろして上下させてこそげ落として袋の中に溜めれれば良いのだが、我が家のストーブの煙突、去年から、どうしても抜けないので、やむなく、煙突を抜かないでこそげ落とすので、全部、ストーブの中に落ちて溜まる。

 ところが、この煤が溜まる場所が、ストーブの燃焼室であれば前扉を開けて取り出せば濟むのだが、燃焼室のもう一段上にある副燃焼室になる。ここは外からは簡単には覗けないので、普段では使うことのない天板を外してそこから煤を取り出さなければならない。ところが、この天板は日常的に開ける場所でなくて、天板を止めてあるボルトが腕がやうやくなんとか入る奥の方あり、位置も手探りで探して外さなければならず、これだけで大仕事である。うっかり、一箇所、別のボルトを外してまた元の位置に戻すのに大いに苦労した。

 ようやく、ストーブ内の煤や、灰を掃除して、なんとか、ストーブの準備はできた。我が家のストーブ、もう20年も使つてゐて、かなり汚らしくなつてゐるので、ここで、丁寧は人は耐熱式の黒塗料を塗つて、美しくするところだが、小生は、しない!機能とは全く無関係だからである(本心は面倒だからである)。

 あとは頻繁に開閉をする扉部分のガスケットが少し剥げてゐるところがあるから、できれば貼つておいたはうがいいのだが、まあ、それはオイオイと云ふことで本日の作業、オワリ。

 試し燃やし(なんかする必要ないのだが)をしたが、煙突から出る煙、薄くてよく見えなかった。午前中いつぱいかかつた。

 晩生のコメ「姫ごのみ」が出来たと云ふ連絡をもらつたので早速親戚二軒に送る手配をした。


令和 3年10月14日(木)

 晴れ。今日は特に下界に下りたが、暑かつた。
    最低気温 19.1℃ (07:19)、最高気温 26.3℃ (14:13)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」を觀に行つてきた。最近は觀たい映画でもだんだん億劫になつてきて、結局見ないで濟ますことが多くなつた、この映画も、もう封切りして一週間くらい經つだろう、そろそろ終わることだろう、今回も觀ないで終わるかなと思つてゐたが、今日、急にその気になつて、登校見守りが終わつて、光の森に行つた。

 平日朝一番、ジイさんバアさんがほとんどだつた、館内に入つて、マナーモードにしたつもりでも変なところで音がするといけないので、スマホの電源を切つたが、マスクは当然のこととして、スクリーンに、スマホは電源を切らずに、マナーモードにしろと。なんでだろうと思つたら、武漢肺炎感染確認アプリのCOCOAで万一の場合の感染ルートを掴むためらしい、ナルホド、電源が入つてゐないと分からないな。

 映画が始まると同時に一気に画面に引き込まれて、最初から最後まで息もつかせぬテンポの良さ、カメラワーク、筋立て、道具立て、これじゃあ日本の映画が敵わないわけだ。

 この作品で(ネタバレといふことになるのかもしれないが)、最後にボンドは死んで終わる。死体を見せるわけではないが、あのシーンで死なないわけがない、それに、最後に、MI6のメンバーによる追悼のシーンもある、それから、今まで敵対してゐた悪の集団の親玉たちも全部死ぬ、そして主演のダニエル・クレイグのジェームス・ボンド役はこれが最後とどこかに書いてあつた、だから今回の映画、007シリーズの完結編と当然に受け止める。ところがエンドロールを見ないで席を立つ人が多いが、そのエンドロールも終わつて、最後に、一行だけ、James Bond Will Returnと映し出された、これはなんなのだ、生きてゐたと云ふことか、このwillはどう解釈すればいいのだろう。

今回は単なる派手なドンパチでなくて、余韻の残る作品だつた。初期のころの007シリーズ、ショーン・コネリー時代よりボンド役のキャラクターも大分変わってきてをり、ドラマ自体が重厚でリアルな内容の作品が多い、それだけ観客の目が肥えたといふことだろう。

 衆議院が解散した(わざわざ衆議院と断らなくても、解散は衆議院だけだと思ふが、放送を聞いてゐても必ず衆議院と云ふ、もっとも自治体の議会でも解散はあるのだろうが)、解散は、ちょうど車に乗つてゐる時で、ヤケクソのバンザイが聞こえてゐた、19日公示、31日投票だ。

 当村でも三叉路のいつもの場所に立候補者の選挙ポスターを貼る掲示場が出來てゐた、昨日無かつたと思ふので、今日小生が昼間外出してゐる間に立つたのだろう。ここ熊本三区は無風選挙区で面白くない。しばらくは全国の話題区の情勢を楽しむことにしやうか。
 夏子も今回は選挙権がある、選挙は初めてだろう、市長選挙の時は無投票で終わったので、今度が最初の権利行使である。

 太郎の塾、今日から一週間ほど休みなのださうだ、その間の送迎と早めしが無くて助かる。

 晩飯 ご近所から採れたての里芋を頂戴したので、いわゆる「芋煮」と云ふやつを作つた、我が家では「我が家風さつま汁」と云ふ、牛肉、里芋とネギとコンニャクとゴボウとキノコ類を入れて味噌仕立てで作る。里芋は穫れたての時は皮もすぐ剥けて、柔らかくて美味しい。


令和 3年10月13日(水)

 晴れ、雲が少し多かつた。東日本は今日もあまり天気はよくなかつたやうだ
     最低気温 21.1℃ (03:44)、最高気温 26.5℃ (15:15)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 今日は登校班の数が少なかった、大きな班が二つ通らなかつたやうな気がする、車登校だつたのだろうか。

 先日来、阿蘇中岳の噴煙が少し多いなと思つてゐたが、午後5時過ぎ、ちょうど車で走つてゐた時、ラジオで、阿蘇中岳の噴火警戒レベルが1から2に引き上げられた、と伝えてゐた。1から2は、全く日常生活には影響がない。噴火警戒レベル1は「阿蘇山は火山だよ、いつ爆発するかわからないからね」と云ふだけのことで、噴火は全くしてゐない状態を指す数字で、それが噴火警戒レベルが2に上がつた場合、今までは火口縁に立つて火口の中を覗くことが出来たけど、それが出来ないよ、火口には近づけないよ、と云ふことを示す数字である。この先、本格的な噴火に進むことは先ずなくて、しばらくするとまた元に戻るのだと思ふ。
 考へてみると、さあ観光客を呼ぼうかと云ふ時に限つて、警戒レベルが上がる。前回は確か5月の大型連休のときだつたと思ふ、今回は武漢肺炎の行動制限が解かれた途端である。


 ハチウト、三基とも全部ハチがベッタリと外に出てゐる(写真1写真2写真3)、なんなのだろう、今の時期、こんな行動をしてゐたかなあ、考えてみたら、過去においては疾くに採蜜が終わつてゐてもう関心を以つて観察してゐなかったからだろうか。

 採蜜に備えて少し準備を始めたが、今日は、ハンドブロアーを買つた。ハチがびつしり巣に取り付いてゐる時に、不用意に重箱を重ねると沢山のハチを潰すことになるので、柔らかい刷毛で撫でるようにして排除するのだが、それでも物理的にハチに觸れることになり、それで怒らせることになるので、風の勢いを使つて動かすと、興奮しないで動かすことができるのである。
 商品紹介にバーベキューの火起こし用とあるが、バーベキューには風量が少なすぎる、ハチを動かすのにちやうど良い程度の風量である、乾電池で動く、片手に収まるくらいの小ささだ。

 日がめっきり短くなつた、太郎を送り届けて引き返す57号線、もうライトの点灯が必要だ、当然点灯しなければならない薄暗さなのに相変わらずライトを点けないで走つてゐる馬鹿者も結構ゐる、己はいいだろうけど、周りの迷惑考えろ。戻る途中、阿蘇に入るころから雨が降り始めた、結構雨粒が強かつた、帰つてから雨雲レーダーを見てみると、今日も阿蘇上空に雨雲がかかつてゐた。

 水曜日はカレーの日

令和 3年10月12日(火)

今日も穏やかな秋晴れだつたが、昼のニュースで、東京で雨の中で、とある行事の様子を伝えてゐたので普段は九州の地図を表示してゐる気象庁の地図を広げてみたら、今日は日本列島全体あまりいい天気ではなかつたやうだ。ここでも午後7時ころ窓の外で雨の音がしてゐた。
    最低気温 17.5℃ (05:43)、最高気温 28.4℃ (13:18)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 昨日、阿蘇中岳の噴煙がいつもより気になると書いたが、今朝見ると、たしかに、噴煙の量が多いやうである、噴煙が西の方向へ流れてゐる、だからと云つて噴火につながるものでもないと思ふが、最近、各地で結構火山が活発である。

 もうそんな季節なんだなあ、アブラムシが空を沢山飛び交い始めた、北国では雪虫と云つて雪の季節が始まる前に飛ぶ、年によつては息ができないほど大量発生して交通マヒすらも起きることがある。ここでも息が出来ないほど、目を開けてゐられないほど飛ぶ年もある、今から飛んでゐるやうでは、今年は多そうな気がする。まだそれほど多くないので写真に撮れるかなと思つたら、あまり鮮明ではないが寫つてゐた。

 今朝、ある登校班が宿場どおりの眼鏡橋付近を通りかかつた時、猿がおつた!と登校見守りでいつもの「門の町橋」の袂に立つてゐる小生のところにやつてくるなり、興奮気味に教えてくれた。

 ここにきて武漢肺炎蔓延が後押し?になつて当市でもやうやくICT教育にエンジンがかかり、子どもたち一人ひとりにオンライン授業などを想定してタブレットが貸与されてゐるが、この映像、そのタブレットで撮つたのだろう、ソーラーパネルの上にゐた猿の映像を見せてくれた(写真では反射で全く分からないが)、4匹ゐたそうである、先生に報告をすると云つてゐた。

 そして、猿に対する注意喚起は地域住民みんなに関わることだから、普通は学校から保護者あてのメールで濟むところ、学校から市役所へ連絡が行つたのだろう、早速、市の防災無線を通じて、地域住民対して野生猿の住宅街への出没に関して注意喚起の放送があつた、そろそろ餌不足で里に降りてくる季節になつたのだろうか、まだ早い気もするが、あるいは人里の農作物や柿などの実りを狙つて降りてくるのだろうか。

 昔(それほど昔ではない)は、学校から子供がプリントを持ち帰つて初めてそのことを知つた(学校では児童の数の分、プリントをつくた)。云はば、飛脚で情報伝達してゐたものが電信に代わつたやうなものである。これちよつと飛躍し過ぎか、無理やりなんでも電信に結びつけてゐるのである。

 bcse 次に続く文につなぐための「接ぎ穂」である。

 小生、和文モールス関連で、ネットでブログを検索して、同好の士が綴る和文ネタを探しては読んでゐる。そのなかに、「以学舘」と云ふサイトがあるhttp://igakukan.web.fc2.com/、もともと「母屋」は「英語塾」なのだが、小生、「離れ」のブログhttp://blog.livedoor.jp/igakukan/に時々和文ネタが載るのでいつも楽しみに覗いてゐるのだが、最近の話題に、実際に和文で交信をしてゐる映像が載つた(10/8 題「11日月曜は祝日ではないそうです」)。

 実はこの映像は説明を読むとライブ録画でなくて、再現映像なのだそうだが、説明を読まなければ実際の交信の映像かと思つてしまふ、結構、手がかかつた「作品」である。

 実際に電波は出さずに、サイドトーンを使つて送信シーンを再現してゐるのだろうが、面白いのは相手局から返信もブログ主殿がカメラから外れた位置にある別の無線機につないだ電鍵でこれもサイドトーンを使つて再現しておいでだと思ふのだが、これなんか、まさに「同好の士」でなくてはわからない嬉しい映像である。

 小生のレベルは、この映像の交信スピード、まだなんとかついていけるかなと云ふ程度だが、それも実際にオンエアしてのことではないので、これがもし実際に実戦に参加のことになると、いきなり頭が真つ白になつて絶対に出来ないだろうと思ふのである、文頭部分を取り損なうと、それでもうパニックになつてその後は全く取れなくなる。それでも和文がわかると云ふことは楽しいものである、和文モールス通信バンザイである。おいみんな、死ぬまでまだ時間はたつぷりあるぞ。

 太郎の塾通いのいつもの手順は、カミさんが仕事が終わつて一旦家に戻つて太郎を大津の塾に連れて行く、それまでに小生が太郎に晩飯を作って食わせておく。

 ところが、今朝、夕方は道路が混んでゐて、家まで戻るのに時間がかかるから、事務所まで太郎を届けてくれないかと云ふので、そのくらいなら応じようと、太郎をカミさんの事務所まで送り届けた、いつも、塾の授業開始ギリギリ滑り込みださうだ、時には数分遅れることもあるさうである。

 晩飯 酢豚


令和 3年10月11日(月)
 平日だぞ、オリンピックで「スポーツの日」を7月に先取りしたので、今日は平日だぞ。勤労者や学生たち、今ころになつてツケを払うのかと思つてゐることだろう、我々隠居暮らしには関係が無いが、オリンピック、もう遠い過去のやうな気がする。でもどうして日本国の祝祭日にスポーツなどと云ふ敵性語使うのだろう、「体育の日」ではイカンのか。

 今朝はもう2時には起きた、早く寝るとは云へ、さすがに睡眠時間が短い、たまには昏睡したいと思つて、深く眠りに入れると云ふ謳い文句の健康食品の初回だけ安い金額で提供と云ふ錠剤を数日分飲んだが効く訳がない、小生は健康食品などと云ふものを全く信じてゐないので、それだけでもう効果が出ない、斯う云ふものは須らくプラシボなんだから。

 晴れ、周囲の稲刈りも終わり、農業機械の音も無く、静かな秋空だつた。日中はまださうでも無いが、朝晩はめっきり空気が冷たくなつて窓を閉めるやうになつた。
    最低気温 19.6℃ (03:22)、最高気温 27.4℃ (13:33)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 うーむ、ダメだ、どうしても、FTPサーバーの設定が出来ない・・・・
 今日も外作業はしなかつた・・・・・・

 日が落ちるころ、中岳の噴煙が目を引いた、ちやうど落日が噴煙を照らす角度があたかも噴火したのかと思わせるやうな演出をするのだろう、普段は気が付かないが、いつもこのくらいの水蒸気は上がつてゐるのだろうか、それとも今日は特別なのか。

 太郎の塾があると思つていつものやうに早めに飯の支度をしたところ、「お父さん、月曜日は塾、休みバイ」・・・・さうだつたなあ:;

 晩飯 八宝菜


令和 3年10月10日(日)

 今日は中華民国(臺灣)の建国記念日だ、「双十節」と云ふ、10が二つ重なるところから来てゐる、昔から支那大陸では奇数の数字の重なりが縁起が良いとされ(日本も受け継いでゐる)、一月一日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日がそれにあたり、奇数(陽数)の極の九月九日は重陽と云つて特に目出度い日になつてゐる。さうでありながら(調べるとなるほどと分かるが)、偶数の10の重なりが記念日だと云ふのも面白い。その他にこの日は「目の愛護デー」なんてのもある。

 穏やかな秋日和
   最低気温 20.1℃ (03:33)、最高気温 26.2℃ (13:51)

 また台風が発生した、今度は台風19号、今回も日本列島には向かわないで濟みさうである。

 そろそろ外気温が下がつてきてをり、今まで外にゐたやつがどこからか中に入つて来たのだろうか、カメムシのやつが、網戸に止まつてゐた、これからどんどん部屋の中で沢山のカメムシの姿を見る季節がやつてくる、うまく捕まえないとあの臭い匂いには本当に閉口する。

 太郎、週例のテニススクール。帰つて午後から自転車で近くの友達のところへ、最近は高学年になつて自転車での許される行動範囲が広がつて数名の友人たちと集まつて遊んでゐるやうだ。

 ミツバチ5号基のハチの樣子がオカシイ、「時騒ぎ」でもなし、巣箱表面を沢山のハチが這い回つてゐる、箱の中になにか異變でもあつたのかと気になつて、飛んできたスズメバチを捕まえて、放り込んだら、一斉に襲いかかつて熱殺をしてゐた、統一行動がとれるのであれば特に異變があつて這い回つてゐたわけでもなさうだ。採蜜をしなければと少し焦つてはゐる。

 今日、東京でJRの変電所が火災で、電車の運転を見合わせてゐるとニュースで伝えてゐた。停電の場合は、電車は動かそうにも動かせないのだろう、そのやうな場合は、見合わせるとは云わない。現在、台風が通過中で、雨風が激しくて危険だから収まるまで運転を取りやめる、このやうな場合に、運転を見合わせると云ふのだ、なんでもかんでも見合わせるなんて云ふ言葉を使うな、言葉は正しく使え、NHK。

 数年前の熊本地震で、山が崩落してJR豊肥線の線路が流されて何年も列車が動かない期間があつた。その時に何ヶ月もの間、「運転を見合わせてゐる」と毎日の鉄道運行情報で伝えてゐて、小生は地元民として非常に不愉快な思いで聞いてゐた。

 あまり腹が立つたので、当時NHKにメールを出した。あれ以來、物理的に運転が出来ないにも関わらず、運転を見合わせると云ふアナウンスを聞くと腹が立つのだ( H28年10月31日の日記にその時のことを詳細に書いてある)。

 人間国宝の柳屋小三治が亡くなつたと聞いたので、小生には昔の小三治の記憶しか無かつたので、別人(代が違う)だろうと思つて調べたら、小生が知つてゐた昔の小三治だつた、顔もすつかり変わつてゐた。いきなり訊かれてもわからないところだ、もうそんな高齢だつたのだなあ、小生より上だつたのか。ラジオで高座一筋、テレビなどには出なかつたと云つてゐたので、特に好きでもなければ容貌の変化など知らないものだ。、


令和 3年10月 9日(土)

 「東京都は9日、都内で新たに82人が新型コロナウイルスに感染していることを確認したと発表した」。これは一体なんなのだ、自然に終息するものなのか、昔、スペイン風邪などが大流行したときも、あの時代にワクチンなんか無かつたのに自然終息したのだろう、さういふことなのだろか。そして、今年はインフルが大流行すると云つてゐるが、どうも専門家の予想もあまり信用できないな。

 晴れ。
  最低気温 18.4℃ (06:13)、最高気温 27.0℃ (14:26)

 日本には直接関係が無ささうだが、一応、台風17号,18号

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 今日は土曜日だが、いつもの時間に子どもたちは登校していつた。

 今日は運動会だつた、登校する子どもたち、それぞれのチームに色分けされたハチマキをして体操服姿で歩いて行つた。今回、武漢ウイルスの関係で開催が一月ほど延期になつたが、本日、秋空のもと無事に開催された。無事開催と云つても、感染防止のために、午前中だけの開催、保護者の応援も兒童一人について、市内在住の保護者など2名限りの入場に限り、さらに、「密」を避けるため、保護者の応援も入れ替え制で、我が子の出場する競技時間帯だけの応援になつた、場内にはアルコール消毒液を置いてなど、細心の注意を払つて行われたさうだ。
 小生は応援には行かなかつたが、太郎が帰つてきて、自分のチーム「白団」が優勝したバイ、リレーも一等だつたバイ、と嬉しさうに、得意さうに話してゐた。

 今日は午後から太郎の塾があり、母親は体育委員で運動会の後始末があり、間に合わないから小生が送り迎えをすることになつてゐて、そのつもりで準備をしてゐたところ、出かける前に母親が帰つてきたので、小生は送迎はしなくて濟んだ。
 来年は武漢肺炎が終息して、運動会も本来の運動会らしく盛大に開催できるといいのだが。


令和 3年10月 8日(金)

 晴れ。少し雲が出てきたか。
    最低気温 16.1℃ (03:52)、最高気温 26.9℃ (15:01)

 昨夜、一時ころ尿意で目が覺めてトイレに行こうとしたら、階下に燈りが見える、こんな時間になんだろうと降りてみるとカミさんが、関東地方で地震があつて、その報道などを見てゐたらこんな時間になつたと云つてゐた。そんな大きな地震でも無かつたやうだが、近場の地震ででもないとスマホの緊急地震速報は鳴らないから全く知らなかつた。

 最近は耐震技術が進んで、震度5程度ではほとんど被害が出なくなつてゐる、建物も然う簡単には壊れないやうになつてゐる。それでも、時間帯にもよるが「通勤難民」は必ず発生する。とにかく首都圏は人が多すぎるのだ、毎朝毎晩、一点に向かつて、そしてその一点から出発点に大勢の人が長距離移動するといふ形態を変えない限りこのことは続く。何万人あるいは何十万人の然う云つた人間は、飯も食うしトイレにも行くから、自宅に帰り着くまではどこかで暫く面倒を見なければならない、首都圏大地震で一番の問題は、もしかしたらこのことかもしれない。わかつてゐながら喉元過ぎればで、また次の時に大騒ぎすることになる。万一の場合、通勤難民以上の通勤しなくても良い人が通勤難民周辺には住んでゐるはずだから、彼らを各家庭が一時的に引き受けることができれば、緊急の通勤難民問題はひとまず解決するはずだが、今の世の中、おそらく見も知らずの人を然うやつて引き受けることなどほとんど無いだろう、まさに難民になるのだ、通勤難民になるかならないか、偏に災害の発生時間次第だ、これはまさに「運」だ。

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 今日は外作業はなんにもしなかつた。

 日本海海戦の日の天気図の話が、載つてゐた。
 記事の画像(掲載部分の前後にも記事があるが、割愛)
 当日の天気図の画像


令和 3年10月 7日(木)

 晴れ。写真1写真2(https://visitaso.com/)
    最低気温 9.7℃ (05:49)、最高気温 28.8℃ (15:02)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 鳴呼、イプシロン5号機の打ち上げがまたもや延期になつた、登校見守り地点まで出直してカメラを構えてゐたが、予定時刻の午前9時51分を過ぎても航跡が見えない、スマホで確認したら、風が強くて中止したさうだ、ロケット打ち上げはイチかバチかの一発勝負的なものがある、失敗したら高額な打ち上げ費用が一瞬でパーになる、少しでも懸念材料があれが迷わず中止である、当然である。金をとつての有観客興行ではないのだから、周囲の目を気にする必要は全くない、皆好きで勝手に見てゐるのであつて別に頼んで見たもらつてゐるわけでは無いので、そのあたりは全く気にする必要がない、觀てゐる方も楽しみがまた少し先に延びたと思へば良いのだ、今日で二度目の延期だ。(写真1写真2
 
 JAXAの現在の大型主力ロケット打ち上げは種子島で、とてもここからは見えない、だから鹿児島の内之浦からロケットの打ち上げがみられるのは貴重である、前回(H31.1.18日記)はよく見えた。ここから内之浦まで200キロくらいだ、そんなに遠くなのによく見えるものだと思ふが、打ち上げ角度の関係で、こちらからでも見える向きに上がるのだろう。

 H25.9.14の打ち上げのときは、小生は現地まで見に行つた、鳥肌が立つほど感動したことを覚えてゐる。

 昼過ぎ、東京との二拠点居住を実践中の横澤千恵子さん御入来。現在は日本画家である。こちらに帰つてきて、頼まれた作品の制作に没頭してゐたがやうやく出來上がつて時間が出来たと、ダベリング(多分死語だろう、四方山話か)に訪ねて来られた。彼女は少し前になるが庭の草むしりをしてゐて、多分アシナガバチだと思ふが、巣を刺激したやうで、7~8匹に刺されて、一時は点滴を打つなど大変だつたらしい、また今度刺されると命に関わるからとエピペンまで処方してもらつたとのこと、エピペンが常備してあると安心だと思ふが、小生も欲しいが薬局には賣つてゐない。

 ノーベル文学賞、村上春樹が今回も受賞ならなかつたやうだ、落ちること自体がもう恒例行事になつてゐる、マスコミが事前に下馬評で騒げば騒ぐほど滑稽ですらある、ご本人の心中如何ばかりかである。食わず嫌いなのだろが、小生、村上作品、どうも読む気がしないのだ、読まなくてもなんとなく分かる気がするのだ、ハルキストと云つたか、毎年この時期、ワインを片手に集まつてゐるあの連中を見ると、小生が好む作風とは違うなとわかるのである、そもそもノーベル賞などと云ふ芸術性の高い文學は小生にはわからないのだ。

 今日初めてノーベル賞発表のシーンを見た、特別な舞台ではない、鳴り物も何もない、実に簡素な、あれはどこか部屋の前なのか、発表する人たちも平服で実に自然体である、アカデミー賞などの発表とは大違いだ。斯う云ふのを「品」と云ふのだろう。


令和 3年10月 6日(水)

 晴れ。朝、雲海が出た
     最低気温 13.2℃ (06:38)、最高気温 26.8℃ (14:42)

 水曜日は小生の当番、夕方、太郎を塾まで送つて帰りの車を走らせてゐる時に、ラジオから緊急地震速報のあの警報音が鳴つて地震発生を知らせた、考えてみたら、緊急地震速報の警報音を聞くのは随分久しぶりなやうな気がする。熊本地震の頃は頻繁に聞こえてゐたが、ここのところ聞いた記憶がない。

 それで今日の地震は鹿児島方面の地震で、強いところで震度4弱程度だつた、とろころがそれからが大変で、通常ラジ番組を中断して、延々と各地の震度を放送してゐた、震度1までの市町村名まで全部、何度も何度も伝えてゐた。おい、NHK!これ必要なことか?全く無駄だろう。

 阿蘇市は震度2だとラジオで伝えてゐたが、その時小生どこを走つてゐたろう、全く感知しなかつた。

定点撮影・・・・今日は無し。太郎の小学校は今週末予定の運動会の振替で今日は休みである、だから登校見守りも無く、定点撮影も無かつたのである。

 もうニホンミツバチの採蜜、いつでも良いのだが、なんとなく面倒で、ズルズル日延をしてゐる、それでももうそろそろやらなくちゃと、採蜜の時に必要になるだろう差し替え用の重箱作りをしやうと、材木を買つてきた 2×6材である。

 帰り着いて屋根を見上げて、突然、ミツバチとは全く無関係に、ひとつ今日は煙突掃除でもするかと云ふ気になつた。なんでも事前に計画を立てることなく、突然気が向いた時にやる、これが隠居の特権である。

 それに、今日は太郎が振替休日で家にゐる、万一小生が一人の時に屋根から落ちるやうなことでもあると、通報者が居ないのでさういふ点でも好都合なのである。

 我が家の屋根は急勾配で、ザイルを使つて登らなければ絶対に上までたどり着けない。ザイルを横にある足場から煙突にまわして下ろし、それに傳つて登るのであるが、これら段取りがとにかく大変で、煙突掃除の9割方がこの準備である、登つて仕舞へば、後は錘の着いたワイヤブラシにロープをつけて煙突中を数度上下させるだけである。今年は思つた以上に綺麗だつた。
 写真1写真2写真3写真4写真5写真6・写真7写真8

 太郎に下から写真を撮つてもらった。写真1写真2

 屋根に登つての景観は、普段ニ階から眺める風景と大分違う、
 写真1写真2写真3

 本来であれば、煙突をストーブから、持ち上げるやうにして少し抜いて、その抜いた煙突の下の方に袋をぶら下げて、掻き落とした、煤を直接袋に入れればいいのだが、去年から煙突がどうしても抜けない、だから、煙突の煤は、ストーブ本体の中に落ちて溜まることになる、これを改めて、回収するのだが、これがまた天板を外したりと結構大變な作業で、それはまた日を改めてやることにした、とにかく、一番大變な屋根に登つての煙突掃除が終わつたので、あとはゆつくりやればいい、歳を追つての高齢化、だんだん、作業が危なくなりつつある、それでも、瞬発を伴う作業は体がついて行きにくくなつてゐるが、スピードを伴わない作業はまだ大丈夫だ。

 ストーブの準備、その他に、ストーブの扉などのガスケットを貼りもある。ストーブを焚くまでにはまだ日がある。


令和 3年10月 5日(火)

 晴れ。毎日天気が良くて湿度が低くなつて乾燥注意報が出されてゐる。ほぼ真夏日まで気温が上がつたが、暑さは感じなかつた。
     最低気温 14.1℃ (06:42)、最高気温 29.6℃ (15:00)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 もう二ヶ月ほどになるだろうか、山下OMからビワの苗木をもらつて、移植しなければと思ひながらズルズル今日まで来てしまつた、下手をすると冬になつてしまふ、移植に適した季節がいつころなのか知らないが、ここの厳しい冬ではマズイのではと思つてやうやく実行に移した。

 裏の畑の端つこにイチジクが植わつてゐるが、その並びに場所を決めて、移植した。この場所は電信柱のステーワイヤーが張つてあつてもともとデッドスペースなので、ここが良いだろうと判断した。(写真1写真2写真3

 実は先日来、整理をしていた、入り口の右側部分、本当はこの付近に、移植するつもりだつたが、草花と違つて一旦植えたらおいそれとは移動できない、だから、今回、開墾した場所が果たして良いのか悪いのか決断が出来てゐないので、今日植えた場所になつたわけである。


令和 3年10月 4日(月)

 晴れ。今朝の当地(極めて狭い当地、つまり我が家の観測点)の最低気温12.9℃が、ラジオで伝えるここから10キロほど西にある阿蘇市のアメダスポイントの乙姫の気温 8.9℃とかなり違う、我が家の装置が故障したのかなと思つたら、高森や南阿蘇では我が家より更に高い、一方、阿蘇乙姫から16キロほど北にある南小国では阿蘇市と同じやうな気温である、熊本平野のやうな下界と違ひ互いに同じやうな高地にあつてそれほど離れてゐないのに地形と冷気の流れ具合で大きく違うものなのである
       最低気温 12.9℃ (02:00)、最高気温 28.1℃ (14:35)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6・ 

 自宅サーバーのFTPサーバーの設定がどうしても上手くいかない、非常に難しい、サーバーなどと云ふ分野になると、さうさう素人でもわかるやうな親切な解説が見つからない、webサーバーの設定は出来たので、FTPサーバーもと思つたのだが、一日PCにへばりついてゐた、いやいやくたびれる。

 10月に入つたので、もうインフルエンザワクチンの接種が始つてゐると云ふことを耳にした、早速、太郎も月曜日は塾が無いので下校してから二人で古閑医院に打ちに行つてきた。去年は武漢ウイルスへの警戒で結果的にそれがインフルの感染予防につながつて全国的にも全く流行らなかつたさうだが、一年経つて流行らなかったがために日本国民の抗体もかなり弱くなつた今年は果たしてどうなるだろう、ワクチンは打つてから時間が経つと効力が減つてくると云ふ、ちょつと行くの早すぎたかな。
 終わつて接種済證をもらつて帰つてきた、太郎は持参した母子手帳に記入してもらつた、母子手帳といふものは何歳まで使うものなのだろうか。

 岸田文雄が、第100代目の総理大臣に選ばれた、14日解散、19日公示、31日投票となるやうである、与野党の勢力図がどう変わるか暫く楽しめる。


令和 3年10月 3日(日)

 阿蘇秋天。我が家でも朝10℃を切つた、結構な気温差だ。
    最低気温 9.8℃ (06:23)、最高気温 29.1℃ (13:49)

 太郎、母親と週例のテニススクールへ出かける、いままでどこにも寄り道しないでトンボ返りだつたが、武漢肺炎の危険性が少し薄れたからか、途中、寄り道をして午後もかなり入つてから帰つてきた。

 ご近所の春樹君が長崎で釣つたと云つてドでかいヒラマサを届けてくれた。早速切れない包丁で三枚に下ろした。やまほどサクができた、刺し身三昧だ。彼には以前、ハマチを届けてもらつたこともあつた、釣りが好きなのだ。彼は今、親元を離れて、熊本で社員寮暮らしださうだが、暫く見ないうちに立派な青年になつた。


 今は、ブログと云う簡単にwebサイトを作る方法がある、小生はブログなどと云ふ手法がまだ無い20年以上も前から自分でホームページを作つてをり、それを随分長い間、プロバイダーがオマケでやつてゐる無料サーバーを借りて運用してきた。

 ところが経年でホームページのファイルがどんどん増えてくると無料の範囲を超えて、有料スペースを借り始めた、それもどんどん増えるのどんどん追加で借りてゐたが、この費用が結構馬鹿にならなくなつた、だから、それならと、自前でサーバーを立てることにした。

 いわゆる「自宅サーバー」と云ふやつである。これは自分が胴元になるので、HDが許す限りいくらでも記録を貯められる、それに自分が好きなやうに運営できる、ところが、バックアップなど面倒なので取らないので、落雷などでサーバーが故障したら、一巻の終わりなので、雷が鳴つたりすると、すぐにな停止するなど、管理が結構大変で、そのうちに、外部のレンタルサーバーのレンタル料がどんどん安くなつてきたので、数年前に改めて外部のサーバーを借りて運用し始めた。

 だから現在は、近年のファイルはレンタルサーバーに置いたファイルを使い、何年も前の古い記録は、自宅サーバーのファイルを引つ張つてきて表示する「二階建て」のサーバー構成になつてゐる。

 それからこの自宅サーバーには「豊後街道坂梨宿」といふWebサイトがあり、これは地元の友人が、小生の自宅サーバーで運営管理をしてゐる。ところが二ヶ月ほど前からこの自宅サーバーが不調で、上記のWebサーバーが全く動かなくなつた。

 ある日突然、何もしないのに、自宅サーバーのwebサーバーアプリが動か無くなつた、このアプリはAN HTTPDといふフリーソフトでもう20數年前からあるWindowsソフトである、Windowsのバージョンがどんどん進化しても、このソフトは安定して動ゐてきた、フリーソフトでは老舗中の老舗、他に無いくらいの安定たソフトだつた、これが突然動かなくなつた、ソフトが壊れたわけではない、おそらく、Windows10が頻繁にアップデートされ、セキュリティーがどんどん厳しくなつてきて、これは小生の想像だが、それで、只では、動かなくなつたのだろうと思ふ、つまり、Windowsでいろいろな細かな設定をしてセキュリティーをクリアする方法があるのだろうが、小生にはどうしてもわからない。

 と云ふわけでずっとサーバーの休止状態が続いてゐた。そこで、この際、フリーソフトに代えてWindowsのIISで再構築することにした、ところがもともと見様見真似で始めた自宅サーバーの環境を全く違う方法でやろうとするのだから暗中模索である(Windowsの場合はIISで、空をぐるぐる回つてゐるやつは、ISSである、ややこしい)。

 そして、ここに来てやうやく一筋の光明が見えてきた感じがする。ただ、今のところ動くのはWebサーバーだけでまだFTPサーバーは機能しておらず、またサイト内で使うCGIソフトも機能してゐないので、肝心の「坂梨宿」の情報更新や掲示板の一部がまだ使えないが、久しぶりに休止してゐたファイルが見られるやうになつたのは、なんだか非常に新鮮が感動を覚える。


令和 3年10月 2日(土)

 秋晴れ。朝の気温も下がつた、山付きの此処と違つて阿蘇の(カルデラ内の)平野部では放射冷却で10℃を切つたところもあつたやうだ。
 台風一過で全国的に多分今日は好天だつたろう、武漢ウイルスの外出制限も解けて大勢の人が行楽地にでかけたと思ふが、多分マスクは引き続き着けるのだろう、この先も、もうマスクは服装の一部、パンツのやうなもので、着けるのが当たり前になつて仕舞ふのだろうか。
 湿度も低くて、気持ちの良い一日だつた。
     最低気温 11.1℃ (05:33)、最高気温 28.4℃ (13:57)

 太郎は昼間、塾に行つた。
 小生は今日は全く何もしなかつた。


令和 3年10月 1日(金)

 秋晴れ。
    最低気温 16.9℃ (02:45)、最高気温 26.9℃ (15:59)

 台風16号、直接列島上陸は無かつたものの、強い台風で、関東沿岸は結構大變だつたろう、これほど余所事で見る台風も珍しい。いつもネットで天気予報を見るときには、九州を設定してあつて、地図を全国に広げて見ないので九州が晴れてゐるから東の方も晴れだろうと思うてゐたら、東日本は結構な雨だつたやうだ。天気図を見ると台風を中心にした丸い等圧線、首都圏も当地も気圧配置はほぼ同じなので、同じやうに気圧の変化があつた

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 環境整備の続きをした。今日でとりあえず、第一期工事終了、これでスッキリした、あとはどこに何を移植するかだ。(写真1写真2

 馬場の松村重行さんが亡くなつた、時々元気な姿を車ですれ違いながら見かけてゐたが、急だつたのだろう、氏とは馬場八幡の総代さんで何年かご一緒したことがあつた、確か小生より一年年長だつたと思ふがまだまだのお歳だつた。

 晩飯 から揚げ。 カミさんが仕事終わつて事務所を出るのが少し遅れるからという電話が来たので小生が太郎を事務所まで送つて行つた。

 熊日の夕刊廃止の記事が、今朝の新聞に載つてゐた、本当の理由は書いてないが、他の新聞がそのことを書いてゐる、部数減である、新聞はどこも厳しい、このことを報じてゐる新聞も明日は我が身であろう。