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(2021)令和辛丑 3年 9月の記録 (新しい日付けの順)

令和 3年 9月30日(木)

 晴れ、今日は素晴らしい秋空が広がつた。屋外作業には少し暑いくらいの気温だつた。
    最低気温 16.9℃ (05:32)、最高気温 27.9℃ (15:28)

 台風16号。他所事ながら、ここでも気圧が下がつてきてゐる

 定点撮影(撮り忘れた)  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 午前中、植栽の整理の続きをする、大分向こうが透けて見えるやうになつた。上に伸びすぎてゐる木の枝を少し詰めなければならないだろう、まだ先は長い。

 武漢肺炎の非常事態宣言、蔓延防止ナントカが總て今日いつぱいで解除されるさうだ、ただ、どうしてここに来て急に感染者数が減つたのかの説明が無い、バカテレビのバカコメンテーターや馬鹿評論家どもの発言はどうでもいい、最初から信用していないからだが、それにしても専門家会議などの専門家がこのことの説明をしてゐない、オリンピックが終わるとまた感染が爆発的に拡大すると云つてゐた学者もゐたのではないのか、これら専門家の意見をもとに政府は方針を決定してきたのだろう、ちやんと、どうして予想が外れたのか説明してくれよ、説明が出来ないといふことは、もしかしたら外出制限や飲食店などの営業制限は正しかつたのかと云ふことにもなるし、第六波が来るぞという警告にも説得力が無くなるぞ。

夕方ラジオを聽いてゐたら、地元紙の熊本日日新聞の夕刊が本日で無くなるさうだ、廃止と云わずに休刊なのださうだ、不通なのに運転見合わせと云ふやうなものだ。おそらく社告で事前にこのことは云つてゐるのだろうが、全く気が付かなかつた、こつそり載せたのだろう。既に全国紙でも夕刊がない新聞もある。

 当市では中心部では夕刊があつたが、カルデラ内でしかも中心部からわずか直線で2~3キロしか離れてゐないのに、小学生の徒歩通学距離くらいしか離れてゐないのに、我が家の集落近辺には夕刊配達区域外となつてゐてもともと夕刊は無かつた、総合版と稱する朝だけである。ここに来たときにはそれが非常に不満だつたが、いつのまにか慣れてしまつて、別に夕刊がなくても困ら無くなつてゐた。特に最近は新聞そのものも要らなくなつてゐる、昔はテレビ欄が必要だだつたが、今では全く無駄な紙面である、一瞥すらしない、あえて見るとすれば地元の訃報欄だけである、大都市圏と違つて、地元紙には毎日県民の訃報が載る。昔は、折込広告を見るのも楽しみだつたが、今やそれすらも全く見もしない。もし、今後、購読料を値上げするやうなことでもあれば即刻購読中止する、購読中止する機会を窺つてゐるのだ、今は、新聞はその程度の存在でしかない。



令和 3年 9月29日(水)

 晴れたり曇つたり。
   最低気温 19.9℃ (07:26)、最高気温 24.9℃ (11:05)

 台風16号

 夕方日本海で地震があり、変な場所で揺れたさうだ、これを“異常震域”と云ふさうだが、いろいろなあるやうであ。

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 昨日の入り口の植栽の伐採作業の続きをした、結構な重労働で、なかなか捗らない。蚊やダニやその他害虫が入り込まないやうに、全身を厚手の作業着などで武装してするので、暑いのなんの、二時間ちょっとで今日も終わつた、大分広くなった。
 (写真1写真2写真3

 水曜日はカレーの日、太郎にはいつもの塾の時間より更に早く食べさせて、今日は小生が送る日だつた。

 自民党、岸田文雄新総裁が誕生した、大方の予想のとおりだつた、河野太郎君は国会議員の間ではあまり人望が無いやうである。間もなく行われる衆議院議員選挙、どうせポピュリズム選挙なんだから、何でも反対野党を増やさないために選挙の顔としては河野太郎のほうが良かつたのかもしれないけど、先生方にも色々と打算やシガラミがあるのだろう。新総裁が決まつて岸田新総裁から菅総裁に花束を送るシーンをたまたまネットニュースで見たが、菅さんの顔が非常に穏やかな表情だつたやうな気がする、ここにきて今まで鯱張つてゐた肩の力が抜けたのだろう。写真1写真2


令和 3年 9月28日(火)

 今日は朝からずつと曇つてゐた、時々霧のやうな細かな雨も降つた、九州の鹿児島宮崎と云つた太平洋側が雨が降つてゐたやうだ、遠くの台風の影響なのだろうか。
   最低気温 19.7℃ (00:00)、最高気温 23.5℃ (13:35)

 台風16号

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
   もう既に欅などの紅葉が始まつてゐる。

 午前中、敷地に入つてすぐ右手にある畑地の草を刈つたがいつも丸く刈るので周囲の植栽が徐々に畑地の方に侵蝕してきてをり、畑地部分が少しずつ狭くなつてゐる、別に畑地が狹まることに関しては現在菜園をやつてゐるわけではないのでそれほど困らないのだが、この部分に、もらつた果樹の苗木を植えやうかと思つてゐる、それで今朝も草を刈つたのだが、侵蝕してゐる木々がどうも気になつたので少し伐採を始めたところ、ほんの少しがだんだんハマり始めて、大仕事になつてしまつた。午前中2時間ほどやつてヘトヘトになつたので今日のところは一旦中止して、明日にでもまた続きをすることにした。

 ここに移住してきた時にすでにあつた生け垣が手をかけないのでだんだん成長して背丈を越えてさらに幅(奥行き)が大きくなつたもので、ここに最初にあつたから、なんとなくそのままにして来たのだが、考えてみたら別に此処に生け垣は必要が無いのではと思ふのである、生け垣の「垣」は境界を意味するものだろう、別にこの垣根は国境(くにざかい)でもないので必要は無い。そこで、今植わつてゐる植栽の名前も知らない木を思い切つて伐採して、その後に、もらつた果樹を植えれば、わざわざ畑地も潰さなくても良いなと考え始めてゐるのである。花が咲く椿や柊、また柘なんかはそのまま残してをいて、山椒の木は雄だからこれも残してこの隣に、雌の山椒の苗木を移植すると良いな、なんて考へてゐる。花が咲いたり食べられる実がなつたりする木は切るのは惜しいと思ふが、さうでない木は、例え価値がある木でも知らないので割と平気で伐つてしまいがちである、「無知」の怖さ、強さである。

 晩飯 キジ焼き丼。太郎に早めに食べさせて塾に送り出した。


令和 3年 9月27日(月)

 くもり
    最低気温 16.1℃ (01:25)、最高気温 24.1℃ (12:13)

 台風16号、急に関心が薄れてきた、いつも野次馬心理で台風を見てゐるわけでなく我が身に直接台風の被害が及ぶことを恐れるのでいつも台風の進路に神経を使うが、今回は、もうその心配は無ささうだからだ。それに今回は日本列島から少し離れて進むやうなので、それもある。
 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 随分と久しぶりに昼間一人の生活が戻つてきた。それが良いとも悪いとも書かない、客観的に「一人の生活が戻つてきた」である。

 当地の稲刈りも天気が良いこともあつて順調に進んでゐる、我が家がいつもお世話になつてゐる農家の早生のコメの稲刈りや籾摺りも終わつたと云ふ連絡をもらつたので、毎年親戚から頼まれてゐる米の発送をした。玄米4袋を軽トラックでコイン精米機に持つて行つて、そのまま郵便局に持ち込んでゆうパックで送つた。我が家で食べるコメは晩生のコメでまだ一月くらい先になる。今年は台風が来なかつたので、一時長雨で心配されたが、こちらの農家では結構作柄は良かつたさうだ。


令和 3年 9月26日(日)

 日中は外で太陽を背にじっと立つてゐると焼けるやうに暑かつた(ハチを観察してゐたわけだが)。
     最低気温 15.6℃ (06:22)、最高気温 27.2℃ (13:55)

 台風16号

 新聞に歴史的音源の記事があつたさうで、寺さんが以下を見つけ出してきたと教えてくれた。
 「日本海海戦第一報告と信号」   そのMP3音源
  当時連合艦隊司令長官だつた東郷平八郎が往時を回想して晩年の昭和6年に吹き込んだもののやうだ。東郷平八郎の肉声が残つてゐたのか。
https://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1318193

 そして、当然の如くコレだろう MP3音源
 これらのことに付いては、令和元年5月27日28日の日記に詳しく書いてゐる。

 台所の流しの詰まりの掃除の第二弾を本日するつもりだつたが、まあ、普通に流れてゐるやうなので、今日のところはやめた。その代わりに昨日から何本も(5本)洗浄剤を流してをいた。

 太郎、午前中、週例のテニススクールに行つた、今日も夏子が一緒に乗つて行つた、彼女も大学でテニスサークルに入つてゐるさうで、太郎の練習ぶりを見たかつたやうだ。

 そして、その夏子、2時過ぎには夏休みを終えて沢山荷物を積んで福岡に帰つて行つた。当初、太郎も一緒に乗つて送つていくつもりだつたやうだが、塾だか学校だかの宿題があるし、家でゲームをやつてゐた方が良いと云つて残つた。夏子が運転して帰つて行つた、リアルタイム位置情報を見たところ、6時過ぎに着いたやうでちょうど4時間の旅程だった、カミさんだと3時間位で帰つてくるだろう。(写真1写真2・家族集合写真非公開)

 晩飯 太郎と二人でステーキを食べた。300gちよいあつたけど、「いきなり」で食べるとしたらこの程度のボリュームか。


令和 3年 9月25日(土)

 晴れ。登校見守り、今朝はTシャツの上に長袖シャツを着て行つた。
   最低気温 14.5℃ (03:15)、最高気温 25.8℃ (12:01)

 台風16号の予想コース、ほぼ当地には来ないだろう。

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 今日の土曜日、小学校は授業があつた。先週に続いて二週続きの土曜日の授業である。先週は平日が休みだつたので、その振替の授業だつたが、今週の授業は「土曜授業」である、この二つは厳密に云ふと違うのである。いつの頃からか、本来の疲れを癒やすための労働者の週休二日制が「ゆとり教育」と称して学校にも適用されて土日が休みになつた、ところがそのせいだと云ふのだろう、子どもたちの学力が昔に比べて、低くなつたから、また昔に戻して土曜日も学校をやろう、と云ふことになった、「ゆとり教育の見直し」である。ところが、いままでずつと、週休二日だつたところに急に土曜日も授業をするのはいろいろな意味で大変だろうといふことで、時々、土曜日に授業をして、少しずつ慣らしていこう、そして、いずれは元のやうに毎週土曜日は学校があるようにしやう、と云ふことになつた。それで、現在のところ、ときどき、土曜日も学校がある日がある。これが「土曜授業」と云ふのである、以上、土曜授業についての不正確な説明である。

 昔は、と云つても、どのくらい昔か忘れたが小生が子供の頃、そして、社会に出てからも、随分長い間、土曜日は大体、半日就学半日労働だつた。更にウンと昔、明治時代だろうか大正時代だろうかあるいは昭和に入つてからだろうか、土曜日の昼にお役所で、これで今週はオシマイと云ふ合図で大砲(もちろん空砲だが)を、ドンとぶつ放してその音を合図で一週間の終わりを告げる時代があつた、それで「半ドン」と云う言葉が生まれたわけだが、昔の小生の若いときでもこの「半ドン」と云ふ言葉はちゃんと生きてゐた。この土曜日が午前中で終わり、午後から休みになると云ふ「半ドン」の開放感が実に嬉しいものであった。週休二日の土曜日が休みになつたより、土曜午後の半日休みのほうが貴重で嬉しかつた。そんなわけで、最近は時々土曜日も学校がある、でも考えてみると、学校に行くのはこどもたちだけではない、「先生」も然うだ、昔と違つて今の先生の忙しさは、それは大変なやうだ、どうして斯うなつたのだろう、昔の先生は今と比べたらノンビリしてゐた(実際に先生経験者が云うのだから間違い無いだろう)。一言で云へば、これはこどもたちに対する「保護者・社会の過保護」が原因だと思ふ、子どもたちに対する「ケア」の行き過ぎであるが、これについて書きはじめると長くなつて論文になるので「以下省略」にする。

 太郎、昼から塾で、夏子も一緒についていつて、塾のあと三人でどこかに寄つて帰つてきた。

 台所のシンクがまた詰まつて水が流れない、原因は分かつてゐる、動脈硬化と同じでパイプの内側に脂肪分がこびりついてこれが固まつてパイプの穴が狹まるのである。連中が出かけてゐる間に、排水口のパイプの掃除をした。この場所は草刈りをしてゐなかつたので先ず草刈りをして、排水口の蓋を探すところから始めた。今日半日かけて掃除をしたが、フレキシブルのパイプクリーナーが途中までしか入らず、とりあえず、大量の水を流さなければ普通の水仕事には支障が無い程度にはしてをいたが、明日改めて、シンク側からパイプの掃除をすることにした。


令和 3年 9月24日(金)

 昨夜、毛布を一枚追加してもらつたけど、今朝はそれを使うほど低くなかつたものの、夜が明けてからのほうが気温が下がつて、登校見守りのときには半袖シャツでは少し肌寒いくらいだつた。いずれにしても一日を通して基本的にもうTシャツ一枚の夏の服装はちよつと合わないな。
 今日はスカッと云ふほどの秋晴れでは無かつた、高曇り・・・だつた、かな、どうだつたろう。
      最低気温 15.9℃ (06:33)、最高気温 25.8℃ (12:07)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 また台風(16号)が日本を窺つてゐる、非常に強い台風のやうだ、ただ、これからの時期、偏西風に乗つて、こちら方向にはもう来ないだろう、あとは、どこでどのくらい右に曲がるか・・・だな、と期待してゐるのだが。JMA  JTWC 各国 ECMWF動画


  CHINAの巨大不動産会社「恒大集団」がキャッシュフロー不足で首が回らなくなつてをり、債務不履行だ経営破綻だデフォルトだと大騒ぎしてゐたのに、利払い・償還期限の20日になつても23日になつても一向に何事も起きてゐない、マスコミはどこも揃つて絶体絶命のやうな報道の仕方だつたろう、なんだかわけがわからない、あの騒ぎは一体なんだつたのか。

 夏子、高校時代の友人「ちなつちゃん」と、「お茶」すると云つて乙姫まで出かけていつた。これが初めての「単独飛行」である、多分一生忘れないだろう。出かけるまでは、ああ嫌だなあ、の連発だつたが、案ずるより産むが易し、である。(写真1写真2

 我々が普段走る田んぼの中のショートカットの道は狭くて不安だからと、坂梨交差点経由で国道に出て走つて行つた、移動の様子を位置情報アプリでリアルタイムで捕捉してゐたが、他の車の迷惑にならないやうに流れに乗つて結構なスピードで走つて行き無事に現着した。あとからgoogle mapで確認した所、我が家から目的地までちやうど11キロだつた、この樣な時でもないと測らないから小生もここまでの距離を初めて知つた。

 会合のあと、ちなつちゃんは内牧駅から熊本方面に鉄道で帰るのだが、夏子は初めて独りで運転をするので、駅まで送るのは万一の場合を考えたら、と断つて送らないで帰つて來たさうだ、まあ、それが正解だろう。駅までは歩いて20分くらいださうだ。ひとつ予定に無かつた応用問題で、帰る途中ドラモリに寄つて、マヨネーズを買つてこいとLINEをして無事に買い物を済ませて帰つてきた

 晩飯 トンカツを揚げてポテトサラダを作つた。太郎はそれを食べてから迎えに戻つた母親と塾に行つた。


令和 3年 9月23日(木) 秋分の日(秋季皇霊祭)

 晴れ。穏やかな日和だつた。朝の気温が大分下がつてきた、毛布一枚では少し寒い。
   最低気温 14.7℃ (03:42)、最高気温 26.7℃ (14:07)

 夏子が我が家で乗つてゐる軽四輪、お父さんは運転のサポートはするけど、洗車の仕方は知らないからお母さんにでも聞いて自分で洗えと云つてあつたが、今日、母親と二人で洗車をしてゐた。小生はほとんど車は洗つたことがない、今から50年くらい前、つまり車に乗り始めた頃は、スタンドにある自動洗車機で洗つた事はあるが、それ以來、自動洗車機を使つたことがないので、最近、自動洗車機で洗おうかと思はないことも無いのだが、使い方を忘れて、今更係の人に訊くのも、なんとなく訊きにくいので、今では自動洗車機の使い方を知らないのだ。

 この軽四輪、20万キロ以上走つた中古も中古だが、丁寧に使つてあつたうえ、ちやんと磨いて我が家にやつてきたので来た時はピカピカだつたが、その後数年、一度も洗車をしてゐないので、もうかなりあちらこちらサビが浮いて来てゐる。今度、夏子が、友達とどこかで「お茶」をするので、一緒に行つてくれと云ふので、もうひとりで大丈夫だろう、一人で行けと云つてあるので、せめてその前に車を綺麗にと今日洗車をしたのだろう。
 
 もう一台、軽トラックも、堆肥なんかを運んだ時にはホースで荷台に残つた肥料を洗い流すことは何度かやつたが、ワックスなんか一度もかけたことがない、抑々持つてゐない、流石に、ここのところ、ボディーの表面が苔むしてをり、本来白いボディーが黄緑色になつてゐる。

 洗車のあと、今日は、カミさんを助手席に乘せて、滝室坂登り口にある後藤万十店にオハギを買いに行つたり、運動公園の駐車場に寄つて車庫入れの練習をしてきたさうだ。

 今日は祭日だが、太郎の塾はあるさうで、夕方、カミさんが送つて行つたが、夏子も一緒に行つて、塾から帰る時にカミさんの車を運転して帰つてこいと送り出したが、無事に帰つてきた。輕とカミさんの車(5ナンバー)とあまり大きさは変わらないけど、初めてだから大きく感じてどうだつたろうと感想を訊いたら、エンジンが輕に比べて静かだつたし、運転しやすかつたと云つていた、それに、この時間、特に祭日なので、阿蘇方面の車はほとんど走つていないので独走状態だつたさうだ。太郎も、お姉ちゃんの車、別に怖くなかつたと云つてゐた。まあ、何事も慣れだ、間もなく福岡の遊学先に戻るので、その時に、途中少しは母親に代わつて車の運転をすることになるのだろう。横に家族が乗らずに完全に自分独りで運転できるやうになれば、何ヶ月かに一度なんてこと云はずに、レンタカーを借りて頻繁に家に帰ることができるだろうと云つてやつたら、そうね、とその気になりつつあるやうだ。免許をとつて一生ペーパードライバーで終わるかどうかの分かれ目である。


令和 3年 9月22日(水)

 ここのところ、翌日の天気を氣にしなければならないやうな暮らしをしてゐなかつたので、真剣に天気予報を見てゐなかつたが、夜中に雨の音を聞いて、夜が明けてからも、通学時間帯に強い雨が降つてゐたが、そんな予報だつたろうか。昨夜、ナイターで稲刈り後の藁のロールを作つてゐたが、この雨のことが分つてゐたのだろう。昨夜を逃せばまた数日作業が延びるところだつたろうから、ロール卷きのナイター作業は大正解だつたやうだ
 その雨も、午前中の早い時間に上がり、夕方になつて、今朝雨が降つたことを思い出すのが大変なほど良い天気になつた。
     最低気温 21.1℃ (07:21)、最高気温 26.8℃ (15:10)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 ちょうど通学時間帯に強い雨が短時間だが降った。

 武漢ウイルスのために新スプリアス規格への移行期限が延長されたさうな、それも当面の間だと。当面の間とは一体のくらいなのか、結局ズルズル今のまゝ行くきさうだな、小生が無線から足を洗うくらいまではこのままで行くだろうか。

 今日、水曜日の太郎の塾、この日は始まるのが早いので、カミさんが仕事が終わつてからだと間に合わないので、小生が送る日である。早めの飯を食わせてから大津まで送つて行つたが、今日は、夏子も一緒に乘せて、太郎を送り届けたあと、帰る時には夏子の運転で帰つてきた。少しずつ長距離の運転を慣れさせなければならない。徃きも夏子に運転させやうと思つたが、太郎が、お姉ちゃんだと危ないからイヤだと云ふので、徃きは小生が運転をした。太郎の帰りはカミさんが迎えに行つた、途中、国道で車がすれ違うのが双方で確認して、夏子も見る余裕があつたやうだ。

 晩飯 水曜日はカレーの日。


令和 3年 9月21日(火)

 今日は降らないと思つてゐたら午前中、結構降つてゐた。午後には晴れて、暑いくらいだつた。
     最低気温 19.4℃ (00:00)、最高気温 27.8℃ (15:35)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 朝一番で小生は宇治歯科へ、夏子は阿蘇医療センターへ、ほぼ同じ時間帯にそれぞれ行くことになつてゐたので、医療センターまでは夏子が運転をして、夏子の受診の間、小生が車で歯科に行つて、歯科が終わつて医療センターに戻つて、帰りはまた夏子が運転をした。

 小生の歯科は、先日の定期メンテの際に以前埋めた箇所が少し削れてゐるのが分つたので、それを埋めるための保険診療。
 医療センターは、夏子のような看護学生は一般の人と違つて臨地実習を受けるに際して沢山のワクチンを打つておかなければならないさうで、今日はB型肝炎(だつたかな)のワクチンの接種に行つたのである。

 もうすぐお彼岸である、ちよつとついでに八千場霊園の分家の墓の草の生え具合を見に行つた所、お盆の時に草を刈つたのでそれほど伸びてゐない。予定では明日草刈りをするつもりだつたが、この程度なら、すぐに終わると思ったので、今日のうちに、草を刈つてをいた。

 稲刈りが終わつたばかりだが、もうロールを作つてゐた。雨でも降ると卷けなくなるので、良い日が天気が続いてゐるうちにと、ナイターでロール作りをやつてゐた

 太郎の塾に間に合うように早めに晩飯を作つて食べさせて、仕事が終わつたカミさんが迎えに来て間髪をいれずに塾に送る、それでギリギリ間に合う。
 晩飯 青椒肉絲(チンジャオロース)。カミさんが植えたピーマンと冷凍してあつた我が家のタケノコ。肉は自前と云ふわけには行かないが。娘が、自分の家のタケノコつて、そんなに無いわよね、と云つてゐたが、考えたら確かにそうである。


令和 3年 9月20日(月) 敬老の日

 今日も秋晴れのいい天気だつた
   最低気温 15.7℃ (06:20)、最高気温 26.7℃ (13:01)

 今日は敬老の日だ、小生はまだ「老人」を自覚してゐないので、市や村の祝意は謹んで辞退してゐる。村の祝典はたしか去年も今年も武漢ウイルスで中止になつてゐるはずだ、現在、ここでは確か75歳以上が「敬老の日」の対象者になつてゐると思ふが、寿命が伸びた今、最低でも80歳以上で良いと思ふ。

 今日の夏子の運転実習は、先ず、四季彩に寄つて、栗が出てゐるかどうかを確認して、今日は売つてゐたので、今晩の栗ごはん用の栗を仕入れて、それから、四季彩の前を通つてゐる「やまなみ道路」の古城口から外輪山を登つて城山展望台で一休みをして、ミルクロードで草原地帯を走つて、うぶやま牧場に行つて、アイスクリームを食べて、57号線に出て、滝室坂を下つて帰ってきた。
 今日は三連休の最終日、道路も、うぶやま牧場も結構な人出だつた。外輪のくねくねの急坂を登つて、そして、下りてきたのだから、少しは自信が付いたのではと思ふが。
写真1写真1写真3

 ニホンミツバチ2号基、今日理由がわからないがたくさん外に出てゐた、特に内部に異常は無ささうだが、いずれにしても、もう、いつでも採蜜はできる、いざやるとなると準備が結構面倒なのでなかなか踏み切れないでゐる。


令和 3年 9月19日(日)

 うん、台風一過だ、素晴らしい秋空が広がつた。湿度が低いので、数字的にはそれほどでもないのに、日中、窓を開けておくと肌寒いくらいだつた。今朝は体感は無かつたが結構気温が下がつてゐた。
     最低気温 14.5℃ (05:07)、最高気温 26.4℃ (14:16)

 さうか昨日から明日まで三連休だつたのか、高速の渋滞や空港の混雑を伝えるニュースで初めて知つた、みんな出かけたくてウズウズしてゐたのだなあ。県境を越える移動は控えて、と云ふ御上のお達しはまだ生きてゐるのだろう、もう誰もあんまり聞かないよなあ。

 太郎、週例のテニススクール、今日も夏子も一緒に乗つて行つて、帰りにちよつと光の森なんかに寄つてきたみたいだ。

 絶好の稲刈り日和、我が家の入り口の稲刈りも行われた、この田の倒伏はそれほどでも無かつたやうだ、同じ方向に倒れてゐると、コンバインも掬いやすやうだ。写真1写真2

 午前中、久しぶりに、草を刈つた、涼しいので三時間近く刈つた。


令和 3年 9月18日(土)

 台風は昨夜のうちに通過して朝からもう晴れる方向に空は動ゐてゐた。
     最低気温 20.9℃ (06:10)、最高気温 26.9℃ (12:03)

 台風14号は今日午後3時に静岡県の沖合で温帯低気圧に変わり、台風としては終わつたが、今回の台風、実に妙な台風だつた。昨夕、福岡県に上陸するまで、台風として発生してから何日も当初の予想コースを裏切つて、迷走のあげく最終的に福岡だつたわけだが、福岡県に上陸するのは観測史上初めてだつたさうだ、たしかに、地図を見ると、長崎、佐賀でなくて福岡に直接上陸するのは地形上「至難の業」である、よくもまあ、長崎佐賀でなくて福岡まで洋上を進んできたものである。
 
 台風の強さから見て、あの程度の台風なんかそれほど騒ぐほどのものでもないのに、いつものやうにNHKは大騒ぎして、おかげでしなくて良い心配をせざるを得なかった。
 昨夜は日記を書く時間帯の午後7時ころがここでは一番風のピークだつた.
 最大瞬間風速     17.4 m/s (19:01)。
 最低気圧(海面換算)994.2 hPa (19:14)

 一夜明けて、養生は何もしなかつたが、ほとんど飛ばされたものは無かつた。ただ、不思議と、ハチウト二基の天蓋が風で飛ばされてゐた。結構重量のある重しを置いてゐたのだが飛んでゐた。それから田んぼの稻が大したことは無いが、アチラコチラで倒れてゐた、被害と云えばその程度だつた。ここでは台風でなくても時々それ以上の風が吹く。

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 今日は土曜日だが、小学校は授業があつた。近年は、ゆとり授業の反省で、土曜日も時々授業があるが、それは土曜授業と云つて普段の平日の授業とは別の位置づけだが、今日の土曜日の授業はその土曜授業とは違つて、この前の水曜日が(延期になちつたが運動会の振替休日として)休みだつた分の通常の振替授業である。

 太郎は午後から塾に行つたが、夏子も一緒に乗つて行つて、塾のあと三人で映画を觀て帰つてきた、何と云ふタイトルか知らないが、多分アニメだろうと思ふ。


令和 3年 9月17日(金)

 曇り、夕方になつて台風14号が九州北部沿岸を東に進む。
    最低気温 21.9℃ (01:36)、最高気温 27.1℃(12:29)

 台風がもたらす雨とは面白いもので、面白いと云つてはいけないか、不思議なもので、中心に近いほうが沢山降るとは限らない、大きな雲の渦巻の外側で大量に降る。昨日あたりは宮崎で大雨が降ったが、今日はずっと四国方面で大量の雨が降ってゐる、雨雲のないところでは、台風に近い場所にありながら太陽が照つてゐる。ここ阿蘇は、幸いなことに、ずつと夜に入つても日記を書いてゐるころまでは大した雨は降つてゐない。
(写真1写真2写真3

 窓を締めっきりにすると蒸すので、窓を開けてゐても風が吹き込むこともなく、台風きてるの?と云う気がしてゐたが、4時ころから風が出てき始めた。
 
 今夜が山だと思うふがそれまで付き合つてはゐられないから、この時点での最大風速は、17.4 m/s (19:01)である、まだ最接近ではないのでもう少し出るかもしれないが、屋根が飛ぶ程ではないだろう。コースと強さから想像して、今回は全く台風に備えた養生はしてゐないのだが・・・・

 停電になると日記のアップができなくなるので、早々に切り上げやう。
午後6時時点の台風14号のコース

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 台風のために、今日の小学校の授業は午前中で打ち切り、給食を食べて帰つてきた(結果論だがその必要は無かつたやうだ)。

 夏子の運転実習。しんちゃんうどんに昼食を食べに行つて、帰りに「四季彩」でクリでも買つて今晩は栗ご飯にしやうと思つたのだが、まだ出てゐなかったので、炊き込みご飯にすることにして、えびすパーナに行き先変更、材料と鰹のたたきを買って、取って返して木村豆腐店で豆腐を買って帰る。

 太郎、こんな日だが、母親と大津の塾に出かけていった、いまは外輪山を貫通するトンネルができたので、大丈夫である。

重力蓄電」といふ蓄電方法があるそうである、理屈は揚水発電システムなんかと同じなのだろう、余剰電力を位置エネルギーに変換して貯めておくと云ふものでである、”原始的”な方法だがこれは面白い。


令和 3年 9月16日(木)

 くもり。もうモズの高鳴きが聞こえてゐる。,

    最低気温 20.1℃ (00:48)、最高気温 23.4℃ (13:58)

 台風14号、ちよつと話が違つてきた。当初は日本に来る頃には衰弱して温帯低気圧(が弱いということではないが)になることになつてゐたが、台風のままやつてきて九州に上陸しさうな気配である。まあ、当地直撃コースでは無いうえに台風としてはかなり弱い台風のやうだが、台風はいつも数字だけでは測れないところがある、来てみなければ判ないところがある。
 台風14号なぜ予報は大幅に変わったのか?(NHKのNEWSより)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 今日は降ることはなかつたので、隣接地の稲刈りの続きが行われてゐた。コンバインで刈り取つた稻はどうせ乾燥機にかけるのだろうから、ちよつとした雨でも稲刈りはできるのだろうと思うが、あまり長雨で田んぼがぬかるむと、コンバインが入らなくなるから、然う云ふコンディションでは出来ないが、なにも秋空のもとで、と云ふ必要も無いのだろう。ただ、今日の田んぼ、稻の倒伏が激しくて、人力で少し倒れた稻の倒れ方を直してやる必要があつたのだろう、ペースが遅かつたやうにみえた。同じ方向に揃つて倒れてゐる分には、コンバインは上手く刈つてくれるが、縦横に倒れると機械ではちよつと無理なやうである。今年は稻が倒れるほどの強い風は吹かなかつたので、もしかしたら、肥料のやり過ぎで育ちすぎたのかもしれない、と素人は想像するのである。稻は一部でも倒れると将棋倒し的に次々に倒れていくやうである。

 夏子に今日は市役所のATMに行つて、図書館に本の返却をして、えびすパーナで買い物をして、という小生の用件でオートマ車で運転をさせた。イヤだ怖い、と運転をしたがらないが、はやく慣れないといつまでたつても独り立ちが出来ない、逆にどんどん運転ができなくなつて行く。

 から揚げ。


令和 3年 9月15日(水)

 曇り。
   最低気温 19.8℃ (00:00)、最高気温 23.7℃ (13:51)

 台風14号

 定点撮影。  ところが今日は小学校は休みだつたのだ。学校行事で今週の土曜日に運動会が予定されてゐて、今日がその振替休日のあたつてゐた。運動会自体は、武漢ウイルスの関係で一月ほど延期されたが、振替休日に関しては、給食のスケジュールなどがあり、予定通り今日だつた(その代わり、土曜日に授業がある)。そのあたりの情報は、保護者あてにも事前にメールで連絡が来てゐたのだが、基本的に母親が承知してゐればいいので、小生はほとんどメールを見ない。だから、今朝もそのことを知らずに(おぼろげながら知つてはゐたが完全に忘れてゐた)いつものやうに橋の袂まで登校見守りで出かけて、家から、今日は学校休みよ、といふ電話で思い出して、空振りで戻つてきた。だから定点撮影だけはしてきた。

 表の道路際の彼岸花が咲いてゐた、草刈りで芽まで刈ったかと気に爲つてゐたが、大丈夫だつたやうだ。彼岸花の咲く期間は結構長い、入り口の彼岸花もいつのまにか群生してゐる。

 夏子の初運転。あまり気が進まなかつたやうだが、乗らないとそのままペーパードライバーになつてしまふので乗れ!と尻を叩いて運転させた。午前中はオートマ車で、田圃道から中学校のグランドを経て、山なみ道路、ミヤハラで買い物をして、国道を回つて帰つてきた。出発前、途中危なければ交代してくれと云つてゐたが、一度も然う云ふこともなく、一周してきた。

 午後からマニュアル車の軽トラックを運転させた。坂梨周辺やアゼリア方向、そして国道を走つて、これも無事に帰つてきた。

 今日の太郎の塾、始まりが早いので、小生が大津まで送つてゐつた。帰りはカミさんが仕事が終わつて迎えに行つた。

 晩飯、水曜日だ、カレーの日だ。昼は子供たち二人に焼きそばを作つた。



令和 3年 9月14日(火)

 出先ではずっと弱く降ったり時々強く降ったり。
   最低気温 19.8℃ (18:46)、最高気温 21.4℃ (00:00)

 台風14号、もう急に関心が無くなつた、万一、コースが変わつて当地に来たとしても、もう殆ど台風の勢いは無いだろう。

 今日は夏子の運転免許の試験の引率があり、朝が早かつたので、今朝の登校見守りは休んだ。
 毎朝の登校見守り、小生の立場は非公式な見守りなので、別に居なくても構わないのだが、毎日立つてゐる人間が居ないと、「?」となるかもしれないので、今朝は代役でカミさんに立つてもらつた、こどもたち多分面食らつただろう、見慣れない顔の上、旗も持つておらず、カミさんの話によると、みんな顔を合わせないやうに通り過ぎて行つたと云つてゐた、カミさんは小生ほど、こどもたちに顔が売れてゐないからな。

 運転免許センターはやはり「お役所」で利用者本位では決して運用されてゐない、まず、今の時代、あれだけ大きな施設でありながら、WiFi環境がない、近年は熊本県で設置してゐる無料WiFiがあちらこちらにある、阿蘇市でもたくさんある、それが、ここには無い、一体どこの責任か、これは県警の仕事だろう。

 それから案内が実に不親切だ、更新で何度も行つてゐる人間であればいざしらず、初めて免許の申請に行く人間に対する説明がまるでできてゐない。まず建物に入つて、どれがその案内なのかさつぱりわからない、しかも、驚くほど、漢字ばかりのお役所用語ばかりである。係官は皆んな親切に教えてくれるが、掲示してある説明文がなつてゐない。

 朝8時過ぎから受付が始まり(写真1写真2写真3)、午前中が学科試験で、その合格発表が昼前にあり、午後二時くらいから、免許証発給事務があり、交付が終わるのが3時半ころ。付添の人間は一日がかりで待つことになる。それでも読書をしたりして、それほど待ちくたびれることもなかつたがずつと車内に居て動かないので逆に肉体的にくたびれた。

 午前の学科試験と午後からの免許証交付の間に2時間ほど空きがあつたので、昼飯、「浜勝」にトンカツを食べに行つた、浜勝で偶然にもご近所のHさんと遭つた、人は思いも寄らないところで遭うものである。

 夏子、無事に合格することが出来たが、苦労して教習所を卒業して免許センターの学科試験で落ちる人間なんか居ないだろうと思つてゐたら、今日は100人くらい受けて20人くらい不合格だつたさうである。電光掲示板で合格者の発表をするのかと思つたら、教室で口頭で発表があつたさうだ、多分地方都市だからだろう。それでも「人権」に配慮して、受験生全員を一旦机の上に顔を伏せさせて周囲が見えないやうにしてから、不合格者の番号を読み上げて、その不合格者が退出したあとに残つた受験生が合格者といふことださうである。不合格者は無念の気持ちで帰つて行つたのだろう、こうしてみると、人間は生まれて、実に沢山の試験を受けるのだなあと改めて思つた。早い子は幼稚園から始まるが、普通、高校受験に始まつて、大学入試、在学中の定期試験、運転免許、英検など、それから色々な資格試験、考えてみると人間死ぬまで試験試験の連続である。斯く云ふ小生も今まで沢山の試験を受けてきたのだが、喉元すぎれば、で、その時々の苦労や苦杯、喜びなどもう殆ど覚えてゐないものである。

 今日の学科試験について、なんでも免許センターの近くに、促成、一夜漬けで教える予備校的な商売があるやうで、これを「裏校」と云ふさうで、試験当日の深夜2時ころから朝まで、文字通り一夜漬けで予想問題を詰め込んで、睡眠時間不足のまま本試験を受けるらしい、嘘か本当か知らないが10,000円くらいかかるらしい、どのくらいの効果があるのか知らないが、そこまでするならちやんと勉強すればよいだろうにと思つてしまふ、どうもエネルギーの使いみちを間違つてゐる。

 当初の予定では免許センターからの帰りは、もう立派な免許保持者なのだから、夏子に運転させて帰つてくるつもりだつたが、雨が結構降つてをり、いきなり慣れない車では不安だと云ふので、確かにさうだ、それじゃあ、それは改めて後日自宅付近ですると云ふことにして、今日の帰りの運転は免除した。

 昼、重たいものを食つたので、夜は軽く、チャンポンを作って食べさせた。(写真1写真2)、太郎と母親は塾に行つてゐた。


令和 3年 9月13日(月)

 曇り
   最低気温 20.3℃ (04:29)、最高気温 23.8℃ (13:25)

 台風14号、上海付近でこれから三四日逗留するらしい、その後で日本方向に方向を変えるやうだ。大分弱くなつたとは云へ、何日も強い風が吹き続けると云ふのは大変だ、この付近でなくて良かった。

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 今日、高野病院に、大腸がん術後の定期検診に行つてきた、今日はCTの検査だつたが問題は無かつた。今度の12月で手術後丸五年になる、基本的にはもう大丈夫だが、用心のために、年一回くらい内視鏡をやつたほうがいいですね、と云ふことで、来年3月に内視鏡検査を受けることにして予約をしてきた。前回は2020年6月だつたから、次回は約二年弱ぶりになるのか。

 ここのところ晩飯の献立を載せてゐなかつた。夏子が家に帰つたら食べたいもののリストが作つてあったのでなるべく希望に添うやうにしてゐる。いつも自分で作つて食べてゐるやうだが、久しぶりに帰つてきたのでお客さん扱いにしてやつてゐる、本当は母親の仕事なのだが。

 今晩は、ナス豚バラ卷き、ポン酢仕立てと甘酢仕立ての二本立て。
 その他、今まで、ナスのひき肉はさみ揚げ、酢豚、麻婆豆腐、エビチリ、中華丼など


令和 3年 9月12日(日)

 曇り、少し降ったかな。
    最低気温 21.1℃ (06:19)、最高気温 25.9℃ (12:31)

 太郎、午前中、テニススクールへ。夏子も一緒に乗つて往復してきた。

 台風14号、動きが遅いためどうも息切れしさうでかなり勢力が弱まってきてゐる、しかもコースも当初の予想よりかなり北を進みさうで、どうやら、当地には来ないで濟みさうだ、まだ分からないが。

 毎日毎日読書三昧、日本の警察組織を作つた薩摩の川路利良の波瀾の生涯を描いた伊東潤の「走狗」、これは面白かつた、激動期の幕末から明治にかけて歴史上の沢山の人物との虚実入り混じつた関わり、西郷隆盛、大久保利通、川路利良の同郷の三人のそれぞれの生き方そしてその最後・・・・(なんとかく記憶に残つてゐたので調べたら、今から四年ほど前に新刊で読んだことがあった・・・)


令和 3年 9月11日(土)

 曇り、昼前から一時弱い雨。
    最低気温 20.7℃ (02:26)、最高気温 25.8℃ (10:14)

 田んぼの写真を撮つてゐて、気象観測装置が草に搦められて動かなくなつてゐるのに気がついた、台風に備えて草を取り除いてをいた。

 晴れ間を縫つて少しでもと、今日も稲刈りが行われてゐたが、昼近くになつて弱い雨が降り始めたので、今日の稲刈りは午前中で打ち切られやうである。こちらから見て、奥の一枚は昨日終わつたやうで、今日はひとつ手前の田の稲刈りだつた。(写真1写真2

 台風14号、最終的にどう云ふコース取りになるのかまだハッキリしない。どっちみち、こちら方向に来るのは間違いのないところだろうが、細かくどう通るかである。今回の台風の仕組みがだいたい判つた、結局大陸からの高気圧の張り出しの強さと、太平洋高気圧の弱まり方にかかつゐるのだろう。その狭間に日本列島があると云ふことである。
 
 太郎は土曜日の今日(昼間)も塾があつたやうで、ついでに、帰省以來一週間一歩も外に出なかつた夏子も久しぶりに一緒に町に出かけていつた。


令和 3年 9月10日(金) 二百十日

 曇り。
    最低気温 18.8℃ (06:24)、最高気温 28.3℃ (12:15)

 台風14号、いよいよ、進行方向を九州に定めたやうだ。気象庁のいままで北に向かつてゐた進路が急に右に折れた、JTWCも九州に向いてゐる、そして、ECMWFの予想動画、しっかりと九州を通過する、来なくていいのに。

 ここにきて急に周辺の田んぼの稲刈りが始まつてゐる。隣接する田の稲刈りも始まつた。何もなければ週末に家族総出でやるところだろうが、週末は天気がよく無ささうで、その後には台風の心配が出てきた、今のうちにできるだけ、と急に予定が前倒しになつたのではないだろうか。

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 夏子が帰省して、為念にPCR検査を受けてその結果が届いた、感染リスクは「低リスク」と云ふ表現に爲つてゐた。「陰性」「陽性」と云ふ表記では無いやうである。この検査は全国展開の民間会社が行つていゐる任意の検査で、こんな山間部でも検体を取りに来てくれる。
 まあ、気休めのやうなものだと思ふがこれで一安心である。カミさんはもし夏子が陽性なら改めて家族も検査を受けなければならないのでと、検査キットを複数個取り寄せてゐたらしく、せつかくだから「私も」、とカミさんも唾液を採取してゐた、その回収員が午後来たので、福岡から?と尋ねると、そうです。こんな山奥の一人だけのために福岡からですか?いえ今日熊本県内を回つて回収してゐます、とのことであつた。カミさんは職場で感染する可能性があるからまあ検査をしないよりはマシだろう、小生?そんなものするか!

 アゼリアをやめて、家の風呂に入るやうになつて、不思議なことに、家の風呂に入るのが面倒で、一日おきになつた。どう考えても、わざわざアゼリアに行く方が大変だろうと思ふのだが、それが不思議と大変でない。家の風呂は、少し家の中を移動するだけで濟むのにこれが、面倒なのである。考えて見ると、毎日毎日風呂に入つて、そのうえ、石鹸でゴシゴシ洗う動物が人間以外にゐるか?そんなに毎日入浴する必要は無いのにいつのまにか、多分、日本人ばかりだろう、毎日風呂に入るやうになつたのは。その入浴文化はおそらく、明治以降だろう、いや昭和かもしれない。風呂に行くと、いい爺様たちが体中泡だらけにして毎日せつせと洗つてゐる、歳を取ると体表の潤いが無くなつてカサカサなのに、それに追い打ちをかけるやうに、僅かな保湿成分を洗い落としてゐる。風呂に入るにしても、サッとお湯をかぶる程度でいいのだ、小生なんか体中を石鹸でゴシゴシ洗うのは年に一度か二度くらいだ、カミさんは下着が汚れると文句を云ふが、それで良いのだ。よく風呂で、上がつて出てくる人と入れ違いに入つて、上がつて出てくると、まだその人は着替え中で、驚いて、早かねえ、と云はれたが、そのたびに、ハイ小生はカラスより早いです、と応えてゐた。


令和 3年 9月 9日(木) 重陽

 晴れ。今日は真夏日だつたのか、然のやうな体感は無かつた。
       最低気温 20.1℃ (05:29)、最高気温 30.0℃ (14:31)

 昼過ぎに阿蘇山が噴火したと云ふニュースが飛び込んできた、あわてゝ外を見たが何もない、結局誤報だつた。

 台風14号の動きが気になる。気象庁の予想では右方向に回頭する気配だがJTWCは曲がらずに大陸方面に向かう予想を立ててゐた、ところがその後、JTWCも軌道修正をして、東に曲がるコースに変わつた、そしてECMWFの予想を見ると日本方向に急右回頭して九州、しかも当地を直撃コースになってゐる、この台風は非常に大きい。かういふ予報円の時はまずほとんど更に右にブレる、これは経験上いつもさう思つてゐることである。日本では法律上気象庁以外は天気予報ができないので、気象情報会社や気象予報士も腹の中では思つてゐても、自分の考えが云へない、だからどこを見ても同じ予報ばかりだ。国民は今気象庁が発表してゐる先の予報が知りたいのだ。小生が観測してゐる気象情報も厳密には違法行為なのだろうが個人的な研究と云ふことで、見逃されてゐるのだろう。

 定点撮影  その他写真1写真2・写真3写真4写真5写真6写真7

 なんだか最近、外に出て何をやればいいのかわからなくなつてゐる、いろいろたくさんあるのだが、家で本などを読んでゐると外に出やうと云ふ気持ちが起きない。そろそろ、ミツバチの採蜜の準備をしなければならない、そのために、重箱も作らなければならない、果樹の苗木が三本ある、適当な場所を見つけて定植しなければならない、そろそろ冬に向けて薪作りの準備もしなければならない、ストーブの煙突掃除も、れんげ草の種、蒔こうかどうしやうか、竹林も間引きをせんといかんなあ・・・・・その他いろいろ考えるとたくさんある。

 太郎の塾の関係で早めに晩飯を食わせて出さなければならないので、夕飯の支度に取り掛かるのがうんと早くなつた。

令和 3年 9月 8日(水)

 曇り。少し降ったか。朝の内、雨雲が九州に懸かつてゐたが幸いに熊本を挟むやうにして流れてゐたので、登校時に雨に降られることは無かつた。
    最低気温 21.1℃ (06:18)、最高気温 26.2℃ (15:05)

 台風13、14号の予想進路、14号がちよつと気になる。

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 登校見守りの際の身分証明?の腕章が配られた。毎朝の付け外しが面倒なので、とりあえずはその時だけ車のところに表示することにした。

 夏休みが終わつてからも太郎の塾通いは続いてゐる、どう云ふ存念で行つてゐのか詳しく聞いてゐないが、どうも本人の希望らしい、将来について自分なりの計画でもあるのだろうか、多分続かないだろうと小生は思つてゐるが、そのうちに訊いてみやうと思つてゐる。ただ塾は遠いので学校が終わつてすぐに行くにしても便数の少ない鉄道だと間に合わないので母親が週4日くらいか送迎してゐる、カミさんにとつては、大津くらいの距離はひとつ走りなのだろう。ところがこの歳になつて小生には非常に遠くに感じるその遠隔地まで週一回、どうしても小生が送らなければ、時間割の都合で間に合わないらしくて、不本意ながら送ることになつた、今日がその日である。送りだけで、迎えはカミさんが行つた。


令和 3年 9月 7日(火)  白露

 薄ぐもり
    最低気温 19.4℃ (05:30)、最高気温 28.2℃ (12:00)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5

 コイン精米機で玄米30キロ精米 (7/9袋)
 ここのところ、毎日、すごい勢いで本ばかり読んでゐる、外の活動を全くしてゐない、今日も二冊返却して二冊借りてきた。

 アゼリアの年会員の期限が今日までだつた、10年以上続けてきた更新はしなかつた、プールがあるから年会員になつてゐたのであつて、入浴だけのために更新する意味は無いからだ、明日からは自宅の風呂に入る。この3月に突然プールの建屋が危険になつたのでプールの営業を休止することになつた。それにしても腹が立つ、建物などの施設は経年で当然老朽化する、ある日突然老朽化するわけではない、だから、毎年老朽化に備えて計画的に手を打つのだ。何期も市政を担つてゐながらその間一体何をしてゐたのか、話を聞いているとまるで突然危険な状態になつたと云つてゐるやうだが、市民をバカにするのもいい加減にしてくれと云ひたい。先日の新聞の記事によると、市は近く外部の有識者らでつくる検討委員会を設置しプールの存廃を議論する、とある。「近く」?あれからもう半年經つてゐる、それになんでそこに「外部の有識者らでつくる検討委員会」が出てくるだ、別に原発の存廃を論ぜよと云ふのではない、市も市議会も当然やるべきことをやつてこなかつたからだろう、そんなもの責任逃れの誤魔化しである。
 九州には通年使える50mプールは少ない、だから、アゼリア21のプールには夏休みなどには九州一円(山口なんかからも)からバスを仕立てて学校やスイミングクラブが合宿練習にやつてきていた、無計画が原因の無責任な突然の休止はそれら遠隔地の人たちにも非常に失礼と云ふものだ。


令和 3年 9月 6日(月)

 晴れ。
 最低気温 19.9℃ (06:33)、最高気温 27.5℃ (14:29)
 
 昨日の太郎のテニススクール見合わせは朝検温をした時に37℃近くあつたからだつたやうで、ちよつと心配したが、その後、平熱に戻つて、あとで考えたら、どうも検温が食事をした直後だつたかららしい、そのせいだつたのだろうと云ふことに落ち着いた。今朝ももちろん平熱で、いつものやうに登校して行つた。

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 今朝の登校見守り、半袖では少し肌寒かつた、それでも20℃はあつたのだから、20℃と云ふ気温はそんなものなのだ。

 今年はイチジクが沢山生つてゐる。本当は整枝や摘果をすればもつと大きなやつが採れるのだろうが、小生の農法は自然農法、要は手抜き放置農法である。イチジクは下から横から四方八方にどんどん枝を伸ばす

 今年は台風が来なかつたので枝が折れなかつたが、枝が弱いので強い風が吹くと折れる。放りつぱなしでも勝手に生つてくれる農産物が一番いい、果樹が一番いい。熟れすぎたイチジクの實にスズメバチが沢山来てゐた。みたところ、ミツバチを狙うのはキイロスズメバチが多いやうだが、イチジクはオオスズメバチが多いやうである。

 カミさんの誕生日、小豆ご飯を炊いて、バースデーケーキとそれらしい祝い膳を用意してやつた、先月の夏子の誕生日の時は向こうとこちらとで離れてゐたので、今日一緒にバースデーケーキを、と云ふことになつたが、ケーキ二個は食べ切れないし勿體ないので、一個で二人分と云ふことで、それもうまい具合に、二人の年齢の一の位の数字は同じなので十の位のローソクを少し加減することで、簡単に二人の年齢分のローソクを差し替えることができたので、二回に分けてローソクをフーッと消してゐた(オイ全員で食べるのだ、ウイルス大丈夫か)。


令和 3年 9月 5日(日)

 晴れ・・・いや曇だったか、あまりハッキリした天気ではなかったので今日は稲刈りも無かつた。
    最低気温 20.6℃ (05:56)、最高気温 27.2℃ (12:47)

 朝のうち、外に人が来た気配がするので出てみた所、ハチ仲間のナベさん、和尚たち。外を通りかかつたらイノシシの足跡が見えたからとのこと。少し前に餌を撒いておいたのだが、来た気配が無かつたので忘れてゐた所、大分たつたころやつてきたやうだ。踏み荒らした跡が沢山付いてゐた、入つて何をするのだろうと云ふと、ミヽズを掘り繰り返して食べるのだろうとのこと、ワナを仕掛けることになりさうである。ただ、捕まえた時、住宅地だから鉄砲で処分することができないからどうするのだろう、電気かな、麻酔銃なんて使わないのかな。ナベさんは捕獲に関する免許を持つておいでだやうだ。野生動物だからと云つてむやみに獲つてはダメなやうで、でも、自宅の庭などに入つてきたものは、免許がなくても構わないやうなことがどこかに書いてあつた気がする。youtubeを見ると「猛獣」である、生け捕りにした後が大変である、來ないでくれるのが一番いいが、來たら面倒なものである。(写真1写真2写真3写真4

 夏子、昨夜夜10時ころ帰つてきたやうだ。小生は夢うつつで音を聞いたやうな覚えがある。
 免許センターにも行かなければならないが、万一のことを考へてしばらくは家で静かにしてゐるさうである。太郎も今日はテニスを休んだ、これも影響してゐるのだろうか。


令和 3年 9月 4日(土)

 晴れ、少し雲が多かった。
   最低気温 21.6℃ (06:07)、最高気温 28.7℃ (14:47)

 明日辺りから周辺の稲刈りが始まるのだろうか、その準備で畦切りをしてゐた。
 今日は図書館に行つたくらいで、他に特に日記に残すことは無かつた。

 夏子が遅い夏休みで、カミさんが迎えに行つて今夜遅く帰つてくることになつてゐるが、日記を書ゐてゐる時点(18:00)ではまだ向こうを發つてゐないだろう。
 武漢ウイルス騒動で、世間ではやれ移動制限だとか外出制限だとかうるさいが、大学は繁華街がある中心部からは遠く離れた地方都市、そして大学はある種閉鎖社会で、外部との接触もほとんどなく、授業もオンラインでやつてゐて、しかも寮生活で、ワクチンも接種済みで、田舎から田舎への移動、感染の確率は極めて低いから堂々と帰つて來いと云つてある。オリンピックをやつたり高校野球をやつたりと、今では御上のお達しもあまり説得力が無くなつてゐる、要は各人が適正に判断をすれば良いのだ。


令和 3年 9月 3日(金)

 曇り、一時雨。
   最低気温 21.3℃ (00:35)、最高気温 25.3℃ (15:33)

 今日も朝のうち、九州北部地方に強い雨が降ってゐたが、ここまでは雨雲は下りたこなかった。おい気象庁、ここ熊本も気象庁の区分けでは九州北部だぞ、いつも、長崎佐賀福岡ラインが大雨のときも、ここは降らない、対馬海峡沿岸地帯の気象とは明らかに違ふ、熊本大分地方を九州中部として九州を北中南の三つに分けろ。そして、普段は、九州中・北部、九州中・南部として予報して、分ける必要があるときに、九州中部と云えば良いだろう。

 定点撮影 その他写真1写真2写真3写真4

 菅義偉総理がやめることになつたさうだ、人には向き不向きがあつて、この人は、最初から総理大臣には向いてゐないと思つてゐた、誰がやつても大して変わりはないのだが、世間は、組織の「顔」は中身でなくてやはり見てくれや辯舌で評価する、その点ではこの人には全くそれらが備わつてゐなかつた、非常に損をしてゐる。面白いと云つてはなんだが、この先、自民党、どう云ふ陣容で、支持率の巻き返しを図るか政局が楽しみではある、立憲共産党は少し慌ててゐることだろう。

 今日図書館で浅田次郎の「兵諫」(へいかん)と云ふ新刊本があつたので、内容は全く分らなかつたがとりあえず借りてきて、ネットで調べたら、「蒼穹の昴」の第六部とあつた、小生はその前の「天子蒙塵」が最後かと思つて、実はjtqからもらつた本があるのだが、まだ讀んでゐなかつた。この清朝前後あたりから始まる支那大陸の歴史大河小説が小生は非常に好きで、いつも次の作品出ると、それにとりかかるまえに、しばらく空白期間があるので、前の作品まで一旦戻つて記憶を整理して改めて新しい作品に入るやうにしてゐたのだが、「天子蒙塵」はこれが最後だと思つて大事に読もうと、他の本を読んだりしてゐるうちに今まで読みそびれてゐた。だから天子蒙塵を読んでから今回の「兵諫」を読まなければならないので、折角今日借りてきたが一旦返すことにした。もしかしたら「兵諫」のあとも続くのだろうか。


令和 3年 9月 2日(木)

 朝7時前には北の方に雷を含む雨雲があつて、少しずつ東南方向に動ゐてゐる、ギリギリ当地の北をかすめさうな様子だつたが、子供たが通過するころには、少しだが雨が落ちてきて遠くで雷が鳴つてゐた。幸いに雨も強くなく子どもたちも全員無事に通過して行つたが、見守りで立つてゐて困るのは、雨は最悪濡れゝば濟むが、雷は、田んぼの中で逃げやうがないので、登校にぶつからなければとハラハラする、下校のときも歩いてゐるだろう時間に激しく雷が鳴ることがあるが、思わず様子を見に行くが、子どもたちを収容できる車ではないので困る。
 定点撮影   その他写真1写真2写真3写真4写真5

 今日も丁度下校時に強い雨と雷で、学校からのメール連絡で下校時間が二回にわたつて延期された。今日のやうに、下校前に様子が分かると学校側も待機などの手を打てるのだが、下校した途中に天候が急変すると、もう連絡のしやうがなく、オロオロするのである。
 尤も今日は太郎は終業後熊本に用があつて母親が学校に迎えに行つてそのまま連れて行つたので、我が家に限つては下校時の心配は要らなかつた。

 最低気温 21.6℃ (16:42)、最高気温 26.1℃ (13:40)
 激しい雨 149.4 mm/hr (16:09)
 本日雨量 23.1 mm  (18:00時点、ほとんど4時過ぎに降つた量)
 
 夏子、向こうで自動車教習所に通つてゐたが、今日卒業検定を受けて、無事に合格したさうである、仮免も卒検も一発で通つて結構スムースに行つたやうだ。数日前から夏休みに入つてゐたが、もう少しで卒検だからとみんな帰省したあとも寮に残つてゐた。

彼女はマニュアル車で免許を取つた(正確にはまだ取れてはゐないが)MTは彼女だけだつたさうだ。最近の路上教習では高速道路の走行も入つてゐて、せいぜい一区間くらいかと思つてゐたら、結構ドライブの様な距離を走つたさうである。小生が免許を取つた時代には、今のやうに高速道路なんか普及してゐなかつたから当然高速教習なんか無かつた(首都高は一応あつたと思ふが、東名はまだ無かつたと思ふ)。

 DIot御入来。近年、氏はさかんに「終活」と称して見のまりのものを次々に整理されてをり、いつもそのなかの物をいくつも小生ありがたく頂戴してゐるのであるが、今日はまた懐かしいものが出てきたとお持ちになつた。今日は小生には関係がないからブツと話だけだつたが、猟銃の彈である。もう大昔に鉄砲撃ちは引退しておいでだが、昔は、彈は一つ一つ手作りで作つたと当時の薬莢や道具を持つておいでになり、(火薬は無かつたが)彈の作り方の手順を嬉しさうに披露しておいでだつた。確か氏は来年は卒寿だつたと思ふ(と云ふことは小生は傘寿になるが)。

 小生、yahooカードも使つてゐるが今度PayPayカードに名前が変わつたらしい。小生どうも、どこかの国のパンダみたいなこのPayPayと云ふ名前、好きじやないのだが。


令和 3年 9月 1日(水) 防災の日 シェイクアウトなんかしないで、この日に全国一斉にやればいいのに。
 月初の決り文句・・・嗚呼、今日からもう9月か。
 
 今日は少し曇りがちだつたろうか、外に出なかつたのでハッキリした記憶が無い、ちよつと天気が下り坂なのは間違いない。
     最低気温 20.2℃ (05:42)、最高気温 28.3℃ (13:54)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5

 朝一番で、宇治歯科に三月ごとの歯のメンテに行く、歯科衛生士さんによく磨かれてゐますと褒められた。治療痕はあるが、全部自分の歯である、8020は生きておれば大丈夫だ。

 図書館に本を借りに行つた。図書館では会員カードを使つて本を借りるが、最近スマホでも、バーコードをスキャンして借りられるようになつた、ただ、ログインしてこのバーコードに到達するまでの手順が永すぎる、一番頭に持つてくるべきだろう、おそらくそのうちに然うなるだろう。

 デジタル庁が発足した、これがデジタル庁のホームページださうだ。デジタル庁ができると聞いてもう大分になる、今まで準備はしてゐなかつたのか。今のところ、小生のホームページレベルだな、多分これから劇的に豹変するところを見せたいのだろう、今のところこのシンプルが良いのだろう、さすがデジタル庁。

 今日はシマ(コラッ)の命日だ、PCのカレンダーに出てきた、もう何年になるのだろう、墓に花を供えてをいた。
 もう屋敷内に、彼岸花が咲いてゐる、先日の行政が行つた公道の路肩の草刈り、ちよつ遅すぎたかもしれない、もしかしたら彼岸花の芽を切つたかもしれない。