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(2021)令和辛丑 3年 7月の記録 (新しい日付けの順)

令和 3年 7月31日(土)

 今日も暑かったのだなあ、あまり気にならなかつたが、天気が少し下り坂のやうだ。ギリギリかすめて行つた
     最低気温 20.4℃ (05:47)、最高気温 30.9℃ (13:42)

 裏の田んぼで、肥料だろうか農薬だろうか、ドローンで散布してゐた。ご近所の農家でなくて、どこかの農業法人である、さすがに斯う云つた目的で使うドローンはデカイ

 熊本に郷土史家の二子石三喜男と云ふ方がおいでになる、伊能忠敬が高森を測量で訪れた際の日記などを研究されおいでだとか、これは児玉さん情報である、そして、もしかしたら登母祖用水路に関してもご存知かもしれないと云ふことなのでいずれお訪ねする機会もあるかもしれないと、ちよつとネットで調べてみたところ、二子石さんが高森町の広報に、伊能忠敬が測量で高森を訪れた際の日記を中心に調べられたものが平成24年から25年にかけて11回にわたつて連載されてゐるのを偶然見つけた。伊能忠敬はここ坂梨宿にもこの時ともう一回、都合二度に渡つて来てゐる。
 
 園田五郎次が登母祖高原に水路の開削工事を始めたのが、1848年とある、そして伊能忠敬が測量で高森にやつてきたのは、それより40年近くも前、測量技術はもつと進んでゐただろうにどうして登母祖用水の測量が閒違つたのだろう。
 
 そして、高森町広報の連載記事に当時伊能忠敬が宿泊した庄屋の子孫に後藤廣太と云ふ人物の名前がでてくるが、これは今でも草部の田畑を潤している白水路を掘つた後藤廣太であろう、不思議なぐり合わせである。

 夏子、今日大学の職域接種の二回目を受けたさうだ、モデルナの副反応はどうなんだろう、若い人に出やすいと云ふが。
 福岡県はまた蔓延防止なんとかが適用されるらしい、熊本県も最近になつてまた感染者が増えてきてゐる、ただ、不思議なことに阿蘇はここのところずっと全く出てゐないやうだ。

 日本の病院数は数は多いのに、いまの感染程度で医療崩壊だと騒ぐ、これは今の全国の病院が、高血圧だとか糖尿だとか、腰痛だとか、生活習慣病や老人医療のための病院で、そこに根本的に、構造的に感染力が強い病気を並行して受け入れるやうには出來てゐないからだ。病室だけでなく、病院の入り口から始まつて何もかも別にしなければならない。それが出来ないから「医療崩壊」が生じる、だから、外出をするな、店を開くな、酒を飲むな、騒ぐなとなるのだろうが、だから日本の経済は回らなくなるのだ。そうではなくて、このやうな非常時には乱暴なやうだがいくつかの公立の病院は問答無用に一般診療を断つて、入院・外来患者はその間別の病院に転院させて、病院全体を隔離病院にしてしまえば良いのだ、今だつて病院にクラスターが発生すれば否応無しにさうしてゐるだろう、だから、それを最初からさうすれば良いのだ。遥かに合理的な考え方だと思ふが。

 もうだいぶん前になるが日記に書いた、ある医師で脳科学者が話してゐたこと。
 人間の脳には生まれた時から使われてゐない未熟な細胞が一生使い切れないほど沢山あるのださうだ。
脳細胞は日々どんどん死んでいつてゐるが、一方で、その使われてゐない細胞使えば何歳になつても人間の脳は成長する。
人の記憶などを司る海馬は怠け者で、新しい刺激が入つてこないとどんどんと衰えていく。耄碌すると云ふことは然う云ふことである。

 たとえば、学識や物事の経験値が高い人、役職の高かつた人ほど、定年や引退で仕事を辞めた後に脳が衰えやすい傾向にある、自分は知識があると思い込んでいるので、何かをやる前から分かつた気になり他の事に興味が持てない、前向きになれない、その結果、新しい情報や刺激を受けて脳を活性化するチャンスを逃してしまいがちであると云ふ。さういつた人たちに認知症になるケースが結構あるさうだが、これなのだろう。

 海馬に脳を老化させる異常タンパク質のアミロイドβと云う老廃物が溜まり、これが正常な脳細胞を死なせ、認知症を引き起こす原因になることが分かつてゐるが、海馬を刺激することで、脳を活性化することが出来て、このアミロドβの蓄積を抑えることができるのださうだ。
 
 たとえば読書で云えば、読みやすい本ばかり読むのではなくて、時々は難しい本を読む。読みやすい本は今使つてゐる脳細胞を使つて読んでゐて、それに対して難しい本は理解しやうという気持ちが今まで使つてゐない脳細胞刺激することになり脳細胞を活性化させることになるのださうだ。
 
 知らないことを識ろうとする気持ちが、脳細胞の活性化には非常に需要である。新しい言葉を識ろうとする気持ちが脳の活性化に非常に大事である。読書に限らず、なにか未知のものに少しずつ挑戦する、これが大事なのだ。
 
 さういふことからすると、小生なんか、肉体的には最近とみにガタが来てゐるが、好奇心旺盛で次々に新しいことを知りたいと思つてゐるので、未熟な脳細胞を次々に活性化させてゐるということになるな、特に、今やつてゐる「和文モールス」なんか、最高の脳の活性化になつてゐると思ふ。別に脳の活性化のために和文モールスの鍛錬を続けてゐるわけではないが、オマケとして脳の活性化が付いてくるのである、でも歳を取ると、なかなか上達はしないなあ。
 
 ずつと10ワード(10wpm)で練習してきた、1ワードは確か英文では5文字と云はれてゐる。ということは、一分間に50字(cpm)と云ふことになる、和文でも同じ計算なのだろうか、探したが何処にも解説はない。で、この10ワードが最近遅いなと感じて、15ワード、つまり75字/分にあげてみたところ、逆にこちらのほうが瞬時に頭で理解できてゐる、ただ、符号の冒頭で、あるいは、途中、一文字でも取りこぼすと、その符号に捉われてその後全く取れなくなる、この時々ひつかかることをクリアしないと実戦では駄目だと云ふことになる。
 
 和文モールス(QOD6)は欧文(QOD1)に比べて覚える文字数が多いから覚えきれないと云ふ人が多いが、確かに、文字数は多いが、覚えてしまえはこれほど楽なことはない。みんな短時間で覚えやうとするからすぐに「挫折」する、何事も簡単にできるものほどすぐに飽きるものなのだ、とにかく少しずつの積み重ねだ。何もしなくても時間はどんどん過ぎていく、その時間に付き合つてほんの少しずつでも積み重ねていけばよいのに、これがなかなか難しいのだろう、実際にやつてみれば、今にして思えばどうと云ふことも無いのだが、もつとうんと若い時にそれに気がついてをれば良かつた。



令和 3年 7月30日(金)

 今日も暑かつた。今日は東日本、大気が不安定なやうだつた
     最低気温 22.1℃ (03:02)、 最高気温 31.1℃ (15:46)

 太郎、今日も、大津町まで夏期講習に出かけた。

 図書館に本を返しがてら、予約してあつた本を受け取るべく出掛けたら、また休みだつた。月末が大体休みだと思つたが、月末が土曜日に当たるからか一日繰り上げて今日が休みなのか。

 我が家に隣接する田んぼに今日電柵が張られてゐた。例年イノシシが入つてくるのは稻が稔つて穗が頭を垂れるもつと先だが、別にコメを食べるため入つてくるのではなくて、田んぼの泥濘んだ場所を遊び場、ヌタ場にするためなので、特に稻が色づく必要は無いのだろうが、今年はどうして早いのだろう。田の志賀さんに訊ねたら、みみずを食べるために掘りくり返してゐるのだろうとのことだつた。田んぼの周辺に電柵を張つても、我が家の入り口はオープンなので、そこから我が家の庭に入つてくる可能性はある(写真1写真2)、熊と違つてミツバチの巣は狙わないとは思ふけど、以前ならボンがゐて吠えてくれたのだが。「ミツバチ」のナベさんは以前は鉄砲でイノシシを獲つてゐたが、今は鉄砲は引退してワナで獲つてゐるらしい、我家の庭にワナしかけてもらおうかな。

 地元のS建設の児玉さんの訪問を受けた。受けたと云ふよりは、おいで戴いたと云ふのが正しい。氏はこの会社の統合幕僚長のやうな存在の方で、現在は滝室坂トンネル工事などを手掛けておいでだ。氏にはもうだいぶん前になるが、小生の高祖父にあたる坂梨・野尻手永の横目付だつた園田五郎次季光が、熊本藩がほぼ終わる頃、藩の援助を受けて、高森の野尻と草部の間12キロに水路を掘削して300町歩の荒地に水田を拓こうとして最後の最後になつて両側から掘り進めたトンネルに段差があることがわかり、まさに工事が「水泡」に歸し、その昔、小生が今住んで居る場所で責任を取つて切腹をした。といふ歴史に関する資料(草部村小史)を届けて戴いたことがある。(手永とは熊本藩独自の地方行政組織・・・・今で云ふ地方振興局のやうなものだろうか)

 最近、たまたまFacebookを見てゐて、児玉さんではないだろうかと云ふ名前にぶつかり連絡をとつてみたところ、やはりさうで、お忙しいなかお訪ねいただいたといふ次第である。

 この用水路は宮崎県境の登母祖高原にあり登母祖用水路と云つてゐる、大谷川から地下隧道を掘る難工事で十数年かかつたらしい。大谷川にある取水口は川岸の崖に掘つた穴が残つてをり、以前教えてもらつて先年現認してゐる。ところがもう一方の草部側の水の取り出し口の場所が分からない。それについて草部ご出身の児玉さんに何かご存じないかとお尋ねしてゐたのである。そして、今日お聞きした話の中で、いくつかヒントになることをお聞きした。隧道は固い岩盤で、一日かけて炭火で炙つて水をかけてようやく朝持つて入つた空の弁当箱にいつぱいくらいの砕いた石を毎日運び出すと云ふ難工事だつたさうで、だから100年以上經つても土と違つてそうそう簡単に穴は塞がらないだろう、場所さえわかればと思ふのである。

 今ではこの高祖父の工事のずつと後になつて、この場所から少し離れた場所に、地元の篤志家が「白水路」と云ふ、5キロの用水路を完成させて、今では豊かな畑地が広がつてゐるそうである <http://takaramori.com/jp/spot/kanko_detail.cgi?up_spofo1=1045>。実はこの白水路、長年月の間に、埋もれたり、壊れたりで、満足に水が流れなくなってゐたのを、 児玉さんの会社が地元の強い要請を受けて採算度外視で整備をしたさうで、今のこの時代でも水路が狭くて難工事だつたと云つておいでだつたので、登母祖用水路の時代ではそれ以上の難工事だつたのだろうと同じ土木を扱う同業者としては一般の人より以上に分かると云ふことだつた。

 高祖父が自ら掘ったわけではないが、なんとか、もう一方の穴がみつかればと思つてゐるのである。

 H25 高森町 社会科副読本より
 TAKAraMORI より PDF


令和 3年 7月29日(木)

 ここのところずつと朝晩ヒグラシの声はよく聞こえてゐるが、クマゼミのワシワシワシという鳴き声を今日初めて聞いた、あるいは今まで鳴いてゐたのに今日初めて気がついたのかもしれない。

 今日も気温が高かつた、でも、頑張つても32℃までは届かないやうだ。今日は風があまり吹き込まず、屋内では熱が少し籠つたので小生の居場所では扇風機を回した。
 最低気温 21.4℃ (05:35)、最高気温 31.5℃ (15:52)

 太郎、学習塾の夏期講習にいつもの時間に出かけていつもの時間に戻つてきた。

 朝、小一時間、裏の畑の刈り残した部分の草を刈つた。

 今日全国の武漢肺炎の感染者数が10,000人を超えたさうだ、ところで、日本の人口は125,360,000人ださうだから率で云ふと・・・小さすぎて分からない、数字はさうやつて捉えなければ。宝くじもなんとなく当たる気で買うけど、当選確率をみるとアホらしくなるのと一緒だ、武漢肺炎の感染率は宝くじほどは低くはないけど、12,536人に一人・・・・か。


令和 3年 7月28日(水)

 美しい夜明けだつた、昨日と同じやうな天気だつた、今日も気温が上がつたが、炎天下は別として過ごしやすい一日だつた。
    最低気温 18.8℃ (05:22)、最高気温 31.3℃ (17:08)

 台風8号、通り過ぎたやうだ、どうしてNHKはこんな小さな台風を大げさに報道するのだろう、だから肝心な時にみんな真剣に聞かないのだ。

 もうイノシシが降りてきて田んぼをヌタ場にしつつあるやうだ、以前だとボンが吠えて追い出しただろうが、今は庭先まで平気で入つて来るやうだ。
 
 今日は太郎の学習塾は休みの日だつた。それもあつて、太郎が誰もまだ見てゐない新聞を一番で開いたところスーパーの「うなぎ」の折込広告が目についてやうで、「今日はうなぎの日ばい」と云ふ。云われて広告を見ると今日は確かに土用の丑の日である。

 太郎の好物ベストテンの確かうなぎは一番だつたと思ふ。

 そんなことで、本当はカレーの日なのだが、なんとなく流れがうなぎになつて、じゃあ、今晩は思い切つてうなぎにするか、と云ふことになつた。大体、このやうな日は普段よりも値段が高いのが相場だが、今日だけ普段よりも安く売るとある、これにも釣られた。

 中国産と国産とでは値段が倍違う、しかし、柔らかさから云ふと経験上やはり国産の方だ。カミさんが太郎と私とで半分ずつにするから二匹で良いわよと云ふのに、太郎のやつ、一匹食べたい!と拔かす、結局三匹買つて、大散財。もやは小生のフトコロが悲鳴を上げてゐる、でも外で焼き肉でも食べに行けばそのくらいはかかるのだろう、まあ、年に一回のことだ。
 
 大学の寮に居る夏子に今晩の献立を云つたところ、いいなあ、じゃあ私も、とスーパーでうなぎ弁当を買つてきたさうである、LINEで写真を送つてきた。
 
 柔らかなウナギでしみじみ美味かつた、ただ、お重が無いので丼にしたところ、うなぎの座り場所が足りなくて、明日もう一回楽しむことにした、結局二匹で良かつたのだ。

 うなぎつながり、日本の、特に東京を中心に武漢肺炎の感染者数がウナギ登りである。でも、今さらいくら騒いでも、もうオリンピックが終わるまで仕方がないだろう、なによりもオリンピックがと云ふより基本的に日本国民が予防行動に飽きてゐて、お上の云ふこと聞かなくなつてゐるのが一番の原因だ、それに、感染者が増えたと云つても海外の感染者数の増加具合から見ると遥かに少ないし、死亡者数も少ない、国民もそのことがだんだんわかつてきてゐてそれが自粛行動が緩んでゐるのだろう。オリンピック騒動の後、またしばらく報道がコロナで大騒ぎをしてそのうちに徐々に減つていくだろう。と思つてゐる。

 そして、そのオリンピック、朝、女子ソフトボールで日本が金メダルを取つたと云つて騷いでゐたので、ニュース映像でもあるかと思つて探してみたが、どこも静止画像だけで映像は無かつた、放映権だとか著作権だとか云ふものがあるのだろうか。

 今日は昼のニュースの時間なのにラジオで野球予選が始まつてゐたが、この野球はネットでもライブ放映をしてゐた。ただ、この映像は所謂国際映像と云ふのだろうか、画だけは送るが中継音声はそれぞれの国でやれと云ふことなのだろう、何も中継アナウンスが無いうえに無観客だから全く気の抜けたビールのやうなものだつた。

 そしてしばらくして途中経過を覗くと、終盤なのに敗けてゐる。と云ふことか、と思つて夕方結果をみると逆転で勝つてゐた、勝負はわからないものだ、小生がスポーツを見ないのは基本的にハラハラドキドキが嫌だからと云ふのが主な理由でもある。本当はそれが良いのだろうけど、小生は苦手である。日本の選手はプロの有名選手ばかりなのだろうが、小生、今のプロの選手の名前は一人も知らない。

 今日の野球放送の画面で選手の名前の英語表記が姓が全部大文字で、名の方は頭だけ大文字で以下小文字になつてゐた、習近平だとか文在寅だとか周辺国ではちゃんと「姓」「名」の順で国際的に表記するが、どういふわけだか日本は欧米式に名前苗字の順番で表記してきた、それはオカシイからちゃんと姓名の順で表記しやうと云ふ動きが出てきて、そのために姓名と名姓が入り混じつて国外からはわかりにくいので、最近、姓は全部大文字で、名は頭だけ大文字でといふ表記がされ始めた、これだと並ぶ順序がどうであれファーストネームとファミリーネームが区別がつく、小生はもうだいぶん前から名刺などにはさう書いてある。ところが、この表記方法は国際的にはマイナーであまり海外では通用しないと云ふやうなことが以前何処かに載つてゐたの、へえ、さうなのか、ローカルルールなのかと思つてゐたところ、今日の国際映像ではちやんとさう表記されており、決してローカルルールでは無いのだなと云ふことが分かつた。(写真1写真2


令和 3年 7月27日(火)

 朝はヒンヤリして肌寒いくらいだが、この空気の冷たさがいつまで保つかなと思つてゐたが、今日はどんどん気温が上がつて真夏日になつた。西日本が暑かつたやうだ。それでも、もちろん暑くなくはないが、湿度も低くて基本的に空気が冷たいので炎天下でない限り苦になるほどの暑さでは無かつた、室内にも思つたほど熱はこもらなかつた、扇風機は全く必要なかつた。まだ気圧が下がつてゐる。
    最低気温 16.9℃ (05:31、最高気温 31.6℃ (13:41)

 太郎、今日も、大津に在る学習塾の夏期講習に行つた。昨日と同じスケジュールで、4時半ころには暑い暑いと云つて帰つてきた。宮地駅から我が家までは気分的にはかなり距離があると今まで思つてゐたが地図で測つたところ3キロ弱である、どうと云ふことはない。

 知り合いに、車のエアコンのガスチャージの元プロがゐることがわかり、道具類も手元にあるから入れてあげると云つてくださるので、近々お願いすることにした。

 その準備で車を少し清掃しておいた。軽トラツクは、昔、かなり高いところから、重くて太い薪にする木の幹を積む際に落として床板がボコボコになつてをり、その床板はエンジンカバーを兼ねてゐて隙間が出来て、エンジンルームがかなり汚れてゐる。今日はコンプレッサーの場所の確認を兼ねて、開けてきれいにしておいた。

 それからもう一台の軽四輪、これも、ガスが抜けてほとんどエアコンが效かないのでお願いすることにした。この車のガスチヤージのバルブの場所がいくら探しても見つからない、ようやくのことで、エンジンの下の方にバルブらしき物が見えるが、とてもではないが、狭くて手が入らない、いろいろ考えて、どうもナンバープレートを外せば出來そうな気がしたので、ナンバーのネジを外してみたところ、ピシャリ、そのための開口部ではないかと思ふやうな場所に、バルブのLとHが見つかった。今までこの方面の知識は無かつたのでネットで調べて識つた。これで準備万端である。

 晩飯、夏のスタミナ補給、手つ取り早くステーキにした。



令和 3年 7月26日(月)

 晴れ。今日も涼しかつた。午後2時半ころから4時ころまで雨が通り過ぎた、大降りでなく、静かな雨だつた、良い「おしめり」だつた。血圧が、モトイ、気圧が下がつて来てゐる、これは台風の影響だろうか、どちらの台風だ?ついでに血圧についても行を変えて改めて書く。
    最低気温 21.1℃ (02:16)、最高気温 27.8℃ (12:29)

 先日の住民健診で血圧が180くらいあつたので、そんなはずは無いと思つて、ここの所朝晩血圧をちゃんとした血圧計で測つてゐるが、120~130くらいで、全然高くない、小生は昔から、病院などで測ると血圧が高くなる。白衣高血圧症と云ふうらしい。

 太郎は今日から大津にある学習塾に夏期講習で出かけていつた。朝はカミさんがいつもより少し早いが出勤がてら太郎を駅まで送つて行つた。

 カミさんが帰りは小生に駅まで迎えに出てくれと云ふので、バカタレ、歩かせろと云つたところ、一日勉強でくたびれて、暑い中歩くのは可哀相だから・・・バカタレ、冷房の効いた列車に一時間も乗つてくるのだから、何が疲れるだ、遊びの時は駅よりも遠いところを歩いて行くだろう、一日運動しないのだからそれくらい歩かせろと云つて、さのやうにさせた。

 ただ大雨や雷の時は人道上の問題だから迎えに行つてやる、と云つてあつたところ、午後から雨が降り始めて、強い雨でもないし、もちろん迎えに行くつもりは無かつたが、少し気になつてゐたところ、太郎が宮地駅に着く4時頃には丁度雨も上がつて、涼しくなつたところを歩いて帰つてきた、それで良いのだ。
 
 帰つてきてから、帰りの列車の様子を訊いたところ、朝は仲間が二三人一緒のやうだが、帰りは、選択科目によつて塾の終わる時間が別々なので、一人で帰つてきたさうだ。知つてはゐたさうだが立野のスイッチバックで列車が逆方向に走り出した時は焦つたと云つてゐた。それでも帰りの列車の中で寝たそうである。受講科目などについては、全く知らない。

 カミさんが珍しく、昨日菜園の草取りをしたので、今日は、同じエリアの草を刈つておいた

 晩飯 唐揚げなど


令和 3年 7月25日(日)

 今日も日本国中暑かつたやうだが、ここは、ちつとも暑くなかつた。我が家にはエアコンは無い、不要である、扇風機もまだほとんど出番は無い。今回の台風も幸いに当地には影響は無ささうだ。今年もこのまま穩やかであつて欲しい。
    最低気温 20.8℃ (02:20)、最高気温 27.9℃ (15:33)

 太郎、午前中、テニススクールに行く。

 オリンピックが始まつてゐる、テレビはもちろんラジオも競技の中継は聴取しないけど、新聞やラジオやネットのヘッドラインで否応無しに(まあ、否でもないけど)結果が入つてくる、無関心な者にとつては、へえさうなのか、程度だがアスリートたちにとつて人生のすべてをかけてゐるのだろう、小生は觀ないけど頑張つて欲しい。

少し前の地下鉄浸水事故に続いて鄭州市で起きたトンネル水没事故、これはヒドイ、ある報道によると4キロの自動車専用トンネルが5分で冠水、車内にゐた6000人(この数字はどうだろう)が沈んだとある、どうもダムの緊急放流のやうで、事前告知も無かつたらしい。(写真1写真2

 易姓革命、
 物の本によると、CHAINA数千年の歴史のなかで繰り返されてきた王朝交替のこと。王朝にはそれぞれ一家の姓があるから、王朝が変われば姓も易(か)わる(易姓)。徳を失つて天から見放された前王朝を廃することは、天の命を革(あらた)める行為である(革命)。したがって、このような新王朝を創始する事業は「易姓革命」とよばれた。revolutionの訳語としての「革命」とは、一応別の概念とすべきである。そして、そのときには、大地震、大水害、蝗害などの災害が引き金になるとも云ふ、今の姓は「習」だな。

 今日は何もしなかつた、図書館に行つて数冊返却して一冊借りてきた。


令和 3年 7月24日(土)

 晴れ。今日も風があり過ごし易かつた、全国的にはどうだつたのだろう。
     最低気温 22.3℃ (05:23)、最高気温 28.5℃ (15:29)

 今日はここなどの草を刈つた。

 太郎が今日から山を下りた大津にある学習塾の夏期講習に通うことになつた、受講のいきさつは聞いてゐないが、塾はここからJRで一時間くらいかかる距離にあり、夏休み期間中、定期券を首にぶら下げて通うことになる。

 初日の今日は、鉄道の乗り方、降り方を学ぶべく、徃きは母親と宮地駅から肥後大津駅までJRに乗つて、今日は昼までの授業らしくて、一旦母親が鉄道で帰つてきて、改めて車で大津まで行つて、終わつて塾から出てきた太郎が大津駅から阿蘇向けに無事に一人で列車に乗り込むのを見届けてから、車で帰つてきて、宮地で降りてきた太郎を乘せて帰つてくる予定だつたらしいが、徃きで要領がつかめたらしく、帰りはちやつかり母親の車で帰つてきた(おい、それじやあ全然練習にならないだろう)。

 次からはもう往復とも太郎の一人旅になる、大都市だと子供でも鉄道の利用は馴れてゐるかもしれないが、ロクに鉄道が走つてゐない山村、とにかく太郎にとつては生まれて初めての大冒険だろう。でもローカル線、ほとんど客は乗つておらず、駅の数も少なくてノンビリ乗つておればいいのだから大丈夫だろう。
 
 小生は小学校の確か4年くらいの時だつたと思ふ、北九州の小倉から熊本の親戚まで一人旅をしてゐる。これでまたひとつ成長をしてくれるだろうか。
 (小生は子供たちの教育には全くノータッチ、今日送つて一旦戻つて来た時に母親に訊いてみると、太郎の塾通い、どうも仲間に触発されたやうで、複数人が同じ塾に通つてゐるらしい。「キンボクヒツシ キンシユヒツセキ」と云ふやつだ、三日坊主に終わるなよ。)


令和 3年 7月23日(金)  スポーツの日(体育の日から名称が変つたのか)カレンダー変更

 少し雲があつたか、今日も涼しい一日だつた。
 最低気温 22.4℃ (00:00)、最高気温 26.6℃ (13:23)

 少しだけ草を刈った

 相変わらずハチウト、ミツバチであふれるばかりである(写真1写真2)。去年はいつ採蜜したろうかと思つて日記を見たら、去年は10/21、11/4頃採蜜してゐる、え?こんなに遅かつたか?と思つて過去を遡ると、2016年には8/30~9/1あたりに採蜜をしてゐる、随分と開きがある、そもそも、適切な時期と云ふのはいつなのだろう。日記を読んでゐて、その頃、2016年9/6に小生の大腸がん騒動が始まつたことが書いてあつた。

 ハチと云へば、カミさん経由の情報だから正確ではないかもしれないが、先日、当村の農家で下草を鎌で刈つてゐたかで、草むらの中にゐたアシナガバチに刺されて、アナフィラキシーショックで失神して救急車がくる騒ぎがあつたさうだ、幸いにすぐに回復したさうだが、小生はその時、買い物か風呂にでも行つてゐたのだろうか、昨日カミさんに聞くまで全く知らなかつた。

 アシナガバチは基本大人しいハチであまり攻撃的では無いが、うつかり手で払つた時に反射的に刺したのだろうか、人によつてハチ刺されの反応が違うが、ミツバチより大きいので、やはり受けるダメージは大きいのだろう。

 太郎のクラスメートのたくま君兄弟が遊びに来てゲームをしたり外遊びをしたりして一日元気に飛び回つてゐた。昨日も来てゐたかな、近所に友達がゐないので、少し距離があつても誘ひあつて遊んでゐる。

 今日は一年遲れのオリンピック開会式である、China大陸に大雨を降らせてゐる台風6号、オリンピックに直接影響が無さ然うで、踏んだり蹴つたりの今回の東京オリンピック、なんとか致命傷にならずに濟みさうだと思つてゐたら、今度は台風8号ださうで、これは関東地方を狙つてゐるらしい、このコース取り、いつもの台風のコースからみるとちよつと変則的である。

 小生はオリンピックには全く関心がないが、開催するのであればうまく行つてほしいと思ふ、ところがマスコミはあいも変わらずネガティブな報道ばかりだ、それでゐて同じテレビ局が派手に競技を報道するのだろう、いつものことなので怒る気にもなれない。

 前回の東京オリンピックの時には小生は大学生だつたが、もう60年近い昔になる、いま日本を動かしてゐる世代、今回のオリンピクが初めての人が多いのだろう。

 小生は中継は觀なかつたが、今日ブルーインパルスの五輪を描く飛行があつた、それにしても大勢の人が固まつて空を見上げてゐた、なにも固まる必要は無いと思ふのだが、人は群れたがるのだろうか。それとも地上ではどこでも沢山の人が空を見上げてゐたのだろうか。
 
 昼間ラジオを点けたところオリンピックの開会式をやってゐない、開会式は夜だつた、日記を書いてゐる時点ではまだやつてゐなかつた。


令和 3年 7月22日(木) 海の日 カレンダー変更

 晴れ。全国的に30℃越えのところが多かつたやうだが、当地は風もあり、涼しかつた。熊本市の最高気温が33℃以上あつたやうなので、今日の気温差は大きい。
    最低気温 22.2℃ (05:11)、最高気温 26.3℃ (15:24)

 一年以上ぶりに武漢肺炎のせいでずつと休止状態だつた阿蘇文化調査研究会の例会が社協センターであつた。小生、この一年、会長職にあつたが、やはりこの役、向き不向きがあり、さらに小生は個人的にやることが多すぎてこの会に集中できず、小生にはとても務まらないとこの休会中に思い至つて、児玉さんにお引き受けを願つて副会長に交代させてもらつた。そしてこの一年休会中に新加入会員も増えて(今日は欠席者もゐたが)総勢20名くらいの陣容になつた。皆さんの自己紹介を聞いていて意欲的な方ばかりで、これからの会の活動が楽しみである。(写真1写真2

 カミさん一晩経つて、武漢肺炎ワクチンの跡、基本的には痛くもならず熱も出なかつたやうだ、気のせいか、少しだるさがあるとは云つてゐたが。
 アナフィラキシーと副反応は違うのだろうか(昔は副作用と云つてゐたが云い方が変わつたのだろうか)、小生は勝手に同じと決めつけてゐるが。だから注射の後で、夜になつて注射の跡が腫れるとか発熱すると云ふ副反応も、接種後すぐには症状が出なくてもアナフィラキシーだと解釈してゐる。注射の後で急激に生命の危機につながる呼吸困難などの症状が出る場合、これをアナフィラキシー・ショックと解釈してゐる、これらの解釈、違ふだろうか。


令和 3年 7月21日(水)

 晴れ。今日は強風気味で涼しい一日だつた。下界は暑いらしい、おかげさまで暑さとは無縁の阿蘇の夏、夜になつて窓を開けてあると肌寒いくらいだから閉めた。。
   最低気温 19.7℃ (05:31)、最高気温 28.5℃ (14:00)

 今日から太郎たち夏休みだ、ますます曜日の感覚が狂つてくる、今年はラジオ体操は無いさうである。武漢肺炎感染防止のためで今年だけなのかもう今後もずつとなのか、学校ではそれについての改めての説明は無いさうだ、尤も太郎の云ふことだからあまりアテにはならないが。これも影響してゐるのかもしれない

 近年は地域や保護者のほうでも、毎朝早く起こされるのはかなわない、早朝から放送がウルサイだとかで昔は夏休み中毎日やつてゐたラジオ体操もだんだん短縮されてきた、今では時間を持て余してゐる早起きの年寄の健康つくりでやるくらいになつたのか。

 でも去年はやつただろう、と思つて改めて調べたら、去年は武漢肺炎元年で大騒ぎ中で、夏休みも短縮されて、体操どころではなくラジオ体操もまた学校プールの開放も無かつたのだつた、もう、そんなことも忘れてゐる。

 今年も学校プールの開放は無いやうだ、だからこそ今の時期には公営プールが欲しい、それにつけても、アゼリアのプールの突然の閉鎖、長年月行政の責任を担いながら手を打たず一体その間何をやつてゐたのだ、こんなもの突発事故でもなんでも無いだろう。

 北京などで洪水が起きたらしい。地下鉄に流れ込んだ水で、電車内でたくさんの乗客が胸まで水に浸かってゐる映像や、多分水死者だろう、何人かの人たちがホームに横たえられてゐる映像が載つてゐた、大都市の洪水、もう少し早めに電車を止めるなんか出來さうなものだが、東京の海抜より低いところを走る沢山の地下鉄、首都直下地震が起きて堤防が壊れたり津波が来るとこのやうなシーンが現実になるのだろう。それにしても、今は、誰でも彼でもスマホで動画を撮る時代なのだなあ、まるで劇映画のようなシーンが普通にネットに載る時代になつてゐる。

 裏山にある墓の草刈りに登つた。例年だとお盆近くになつてから登るのだが、昨年、8月に入つて登つた所、墓石の基台の隙間にスズメバチが巣を作つて誕生したばかりのまだ若いハチが沢山飛び回つてゐたので這々の体で逃げ帰ってきたことがあつたので、今年は少し早めに登つてまたもし同じところに巣を作つてゐるやうならハチが誕生する前に穴を塞ごうと思つたのである。
 幸いに、今年は同じ場所に巣を作つてゐる気配はなく、周辺にもハチの姿は無かつたので、本格的な草刈りはもつと先にすることにして、太い草だけ刈つて下りてきた
 
 去年立てた「スズメバチ注意」の看板、全く汚れることもなく残つてゐたが、杭の根本が腐つてゐたので、とりあえず撤去して持ち帰つた、まだ出番はあるだろうか。

 墓の在る位置、下から優に100m以上はあるだろうと思つてゐたが、GPSで測つたところ、なんのことはない、41mしかなかつた(写真1写真2)。江戸初期、曲垣平九郎が馬で階段を駆け登つたといふ東京港区にある愛宕山、高さは25.7mださうだ、それでも高い建物が無かつたあの時代、お江戸中が眺められたそうだから。

 カミさん、今日武漢肺炎ワクチンを打つてきた。仕事が忙しくて昨日午後4時くらいになつて電話をして予約をしたさうだが、それでも、翌日即接種、全国的にワクチンが不足してきてゐると聞くが、自治体によつて確保しすぎて餘つてゐるところもあるはずだと国では云つてゐたと思ふ、もしかしてその口か?

 晩飯 夏休みでも OPWCである。


令和 3年 7月20日(火)

 晴れ。全国的に暑い一日だつたやうだ、ここは風もあつて全く暑くなかつた。
    最低気温 22.2℃ (05:04)、最高気温 28.9℃ (15:27)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 今日は一学期の終業式である、明日から夏休みが始まる、夏休みの始まりと云へば小生の子供の頃から7月21日だが、今年は武漢ウイルス騒動で授業時間などが短くなつて夏休みが例年よりも短くなるのかと思つてゐたが、それは去年のことで、今年は授業時間の消化は順調なのだろうか。

 朝一番で草を刈る、今日は公道の路肩も刈つた、この部分はお盆のころになると、行政が草刈りをするが、これがあまりアテにならない、とりあえず、刈つておいたが、お盆の頃にはまた伸びるだろう。
写真1写真2

 武漢ウイルスワクチン、カミさんの年齢の接種申込みは今日からだそうで、小生たち高齢者の場合は直接医療機関に申し込むやうになつてゐたが、我々高齢者が済んでそれより若い年代の接種が始まるが、今までと申込み方法が違つて、予約センターに電話をするかインターネット予約になつた。カミさんが今日予約センターに電話をしたところ、なんと、早速明日接種しますと云ふことになつたのださうだ、今日電話をして明日接種、これには本人も驚いてゐた。自治体によつては待ち期間が結構あるところもあるらしい、なんでなんだろうねえ。

 晩飯 ナスの豚バラ巻き、今回はポン酢仕立てと甘酢タイプと二種類作つてみた。


令和 3年 7月19日(月) 平日

 曇り、午前中、ときどき細かな雨が降つてゐた。やうやく四国が梅雨明けをしたやうだ、これで全地域梅雨明けと云ふことになるが、今年の梅雨明けはどうも天気が安定しない。
 ここにきてやうやくヒグラシが沢山鳴き始めてゐる、日記を書いてゐるとカナカナカナと聞こえてくる。
     最低気温 21.7℃ (02:55)、最高気温 26.1℃ (12:18)

 今日は平日だ、カレンダーはオリンピック延期で祝日の変更が間に合わず変更前のものがほとんどだろう。
 あるツイッターには「うちの家のカレンダーが今日休みで子供が休みと勘違い。宿題もやってなくて泣きながら学校行った」などとあつたが、多分ウソだと思ふ、もし本当なら親も子もアホである、そんなもの職場でも学校でも注意はあつたはずだ。

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4

 登校見守りから帰つてすぐに草刈りをした、今日は天気があまり良くなかつたので暑くなかつた、小一時間で1タンク分刈つた。

 西仲町の五夫さんが隣の空き地の桜の枝払いをしたからと云ふ連絡をもらつてもう大分になるが、今日、草刈りをしたあと、思い出して作業着を脱ぐ前にそのまま積み込みに行つてきた。いつも風呂の帰りにそこを通るのだが、風呂上がりの上、もう夕方だからまた日を改めてと思ひながらズルズル忘れてゐた。ちよつと見たところ、少しだけだなと思つて行つてみたら、あちらこちらに結構あつて一台分あつた。ここ以外に声をかけてもらつてゐて、そのうちに行きますと云つてをりながら忘れてゐるところが少なくともあと二箇所あるなあ。

 夏野菜の旬である、ご近所からいろいろな野菜をたくさん頂戴する
 
 晩飯、久しぶりにトンカツを食べたくなつて揚げた。基本、小生が食べたいもの作るのだが最近は特に食べたいものもないので、適当に流してゐる。


令和 3年 7月18日(日)

 今日も今朝のうちは雨が降つてゐたが、それも、やがて上がつて夏空になつた、もう全国、基本的には大雨の季節は終わつたと思つてゐたが、四国地方など依然と雨が降り続いてゐるやうで、警報が出されたりしてゐる、なかなか天気が安定しない毎日だ。
 台風6号が発生してをり、その影響だろうか、九州南部でも雨が降つてゐる。
    最低気温 21.4℃ (00:09)、最高気温 26.6℃ (14:17)

 本年度の市の住民健診が今日から始まつた、一月近くかけて市内の各地を巡回して健康診断が行われる。坂梨地区が全地域の先陣を切つて第一日目の今日実施され、小生も坂梨体育館で後期高齢者健診を受診してきた、後期高齢者になるまでは国保の「特定健診」と云はれてゐたもので健診項目は同じだが主管が後期高齢者医療保険に替わつて名称も替わつた、それに特定健診の時にはあつた、メタボ健診も無くなつた、まあその齢まで生きたのだからあとはお好きに生きてくださいと云ふことだろうと小生なんか受け取つてゐる。

 小生、血圧は少し高めだがそれでも130台なのだが、この健診になるといつも驚くほど血圧が上がる、血圧が一定以上になると、健診項目に眼底検査が自動的に追加される、そして眼底検査を受けると後日必ず再検査をしろと云つて来る、問題は無いとは思ふが折角だから、まあ、その時は安心のために再検査を受けやう。
 
 後期高齢者健診や特定健診は最低限の健診で、それに、オプションで胃や肺のレントゲン、肝臓だつたろうか超音波健診なんかがある、便の潜血検査も有る、小生はそれで癌が見付かつたのだが、現在、小生は大腸がん術後定期的に検査を受けてゐるからそれらのオプションは全部パスして、PSA検査だけ追加で申し込んだ。
(写真1写真2

 太郎は母親とテニススクールに行った。


令和 3年 7月17日(土)

 朝から雨だつた、窓を開けてゐると「寒かった」。東の方では猛暑だと云ふ、日本は広い。

 今日の雨は通常と逆で、東から西方向、太平洋岸からの雨で、このやうな雨の場合、不思議と、九州脊梁山脈を境に、東側に降つた雨が西側を越える度合いが低くて、つまり、熊本県側にはあまり降らない(と云ひながらも今日は35mm降った)。雨雲は山よりもはるか高いところを通過するのにいつも不思議に思ふ、然う云えば雪もさうだ。
    最低気温 20.0℃ (10:28)、最高気温 24.5℃ (16:22)

 夕方近くなつて雨も上がつて日が射し始めた。

 今日は近畿東海地方の梅雨が明けて、殘るは四国だけになつた、確かに、四国地方、ずつと雨雲がかかつてゐる、と云つてももう梅雨前線は疾つくに無くなつてゐるのだが。
 
 カミさんのノートPC、最近太郎が主に使つてゐるやうで、昨日動かなくなつたと云つて小生のところに持つてきた。どう動かないんだ?電源が入つたランプは点くけど、画面が黒いまま・・・・・・

 以前なら喜んで回復に取り掛かるところだが、最近はもうPCを弄るのは飽きて、億劫で、自分のPCでさえ、とりあえず動けば良いと云ふレベルでしか管理してゐない。
 
 いつになるかわからんけど診ておくと云つて預かつた。
 
 然う云ひながらも今日は雨が降つてをり、外で何も出来ないので、早速修復にとりかかつた。メーカーのロゴは出て、Windowsのクルクル(昔の砂時計にあたるもの)は回つてゐて、そのあとしばらくすると画面は消えて、ずつと消えたまま。BIOSは起動する、HDも壊れてゐないやうで、クルクルが回つてその先に進まない、多分Windowsのシステムの一部が壊れたのだろう、と思うが、サテどうやつたか、とにかくなんでも良いから画面が出てくれなくては、ああでもない、こうでもない、といろいろ弄り回して半日かかつてやうやく復旧できた。カミさんには非常に大変な作業だつたぞ、と、ちゃんと修理代を払わせた。とても直らないと思つてゐたらしく喜んで応じた。 備忘 (BIOS F12Enableから入る)写真1写真2写真3
 
 夏子、今日、自動車の仮免の試験があつたさうで、実技・学科ともに一発で合格したさうである、順調に進んでゐるやうだ、彼女はだいたい本番に強い。ネットなんか見ると、最近はAT車の免許を取る人の方が多いらしいけど、我が家では軽トラックがあるし、今では軽トラックどころか大型トラックなんかもAT車があるらしくて、将来マニュアル車を運転する機会があるかどうかわらないけど、夏子はマニュアル車を習つてゐる。同じ村の実家が農家の高校時代の同級生も実家の車を運転するかどうかは別にして今遊学先でマニュアル車を練習してゐるさうである、田舎出身だと自然にマニュアル車、と云ふ発想になるのかもしれない。

 太郎、母親と、夕方近くになつて熊本城へ、なにかイベントでもあるのだろうか、出かけていつた、外出が好きな二人だ。


令和 3年 7月16日(金)

 今日、関東甲信地方と東北地方が梅雨明けした、これで全部梅雨明けかと思つたら四国近畿東海がまだだと云ふ、まるで順不同だ。今日の四国地方の雨は梅雨の雨か?でも梅雨前線はもう無いぞ夕方には九州にも雨が降つた。
 東日本など、今日はかなり気温が上がつたやうだが、ここは、今日は日が射さなかつたこともあり、大げさでなく家に居て窓を開けてゐると肌寒いくらいだつた。
     最低気温 19.9℃ (03:24)、最高気温 25.4℃ (14:24)
 
 定点撮影  その他写真1写真2写真3
 
 裏の畑がかなり草茫々になつたので、奥(東端)から刈り始めた。

ボンの命日だ、一周忌だ、まだ一年しか経つてゐなかつたのか、なんだかもう遠い昔の事のやうな気がする。
香華を手向けて般若心経を唱えた、ついでにカミさんが育ててゐる玄関先のプランターの花をちよつと借りてきて飾つた。

 晩飯 中華丼、前回作つた際の味付けを自分なりに少し変更して良くなつた。


令和 3年 7月15日(木)

 今朝も霧が出た、晴れ、今日も大気が不安定で、全国的に小さな雨雲が点在してゐた
最低気温 19.4℃ (01:38)、最高気温 28.2℃ (11:45)
 
 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4

 見守りから帰つてからすぐに今日も草刈りをした。また細い竹が沢山伸びてゐた、もうそろそろ打ち止めだと思ふのだがいつまでも出てくる。これはチップソーの刈払機でなければ切れないが、使おうと思つたら、タンクから燃料かなりの量、漏れてくる、このまま使つて引火するとアブナイので、今日はチップソーの刈払機の使用はやめて、枝切りハサミで切つて回つた。

 その後でナイロンコードが使える場所の草を刈ろうとしたが、ナイロンコードがもう無かつたのだつた。最近自動補給式のナイロンコードに換えたのだが、これは、その度に短くなつたコードの交換作業をしなくて済むので非常に作業効率がよくなつた反面、内部のホルダーに収納されてゐるコードの残り具合に気が付きにくく、全く無くなつて空になつたのに気が付かなかつた、痛し痒しである。今日交換用のナイロンコードを買つてきて、使う分だけ切つて装填作業をした、今日はここまで。暑い、暑い、湿度が高いので息苦しくなつてくる。
 
 もう日本列島には梅雨前線は無くなつてゐるのに、これでも残りの地方の梅雨明け宣言は無いのだろうか、そもそも梅雨とはなんなのだ。
 ここも今日も時々強い雨と雷があつた。太郎がちゃうど帰つてくるころにも、強い雨雲と雷の接近で学校でこどもたちの下校を一時止めてしばらく待機させてから帰つてきた。田んぼの中では雷が逃げる場所が無いので心配である。

 東京の方で、「ながらスマホ」で踏切内で止まつてやつてきた電車にはねられた人がゐたさうで、踏切の外にゐたほかの人たちもスマホを見てゐてそれに気が付かなつたらしい、一体なんなのだこの事故、そんなにスマホなんて見入るほどのものあるのか、とてもでは無いが信じられない、本当にスマホにのめり込む最近の風潮に腹が立つ、スマホ以外にもつと熱中するものは無いのか。

 晩飯 刺し身だつたが、色々加えてゐるうちに、なんだか旅館の料理のやうな品数になつてしまつた。


令和 3年 7月14日(水)
 
 朝霧が出た、今日も暑くなつた、真夏日になつた。今日も大気が不安定で、ここでも、夕立と云ふには規模が大きくて時間も長く雨が降つた、落雷も激しく随分久しぶりにドッカンドッカン、バリバリバリといくつも近くに落ちてゐた、阿蘇地方に竜巻注意報もだされた。
 今日の雨も、極限られた範囲の雨で、我が家の雨量計は午後3時頃から午後7時頃までの短時間の間に50mmも降つたのに、ここから数キロ西にあるアメダスポイントの阿蘇乙姫では3mm程度だつた。

 落雷が原因だろう、停電が起きて、何度も点いたり切れたりして、ちょうど飯の支度にかかつてゐたので、炊飯器やIH調理器が切れて往生した。落雷の停電はまあ、仕方がないと思ふので、オイ!九電しつかりしろとは云わない。
     最低気温 20.4℃ (04:38)、最高気温 31.2℃ (14:50)

 北陸地方が近畿や関東甲信よりも早く今日梅雨明けをしたさうだ、未だの地域もほとんど同じやうなのに微妙なものだ。

 定点撮影 その他写真1写真2写真3

 朝、見守りから帰つてきてそのまま気が変わらないうちに一服つけることもせず、すぐに草刈りをした、一時間足らず、まだ暑くならないうちに一タンク分の草を刈つた。before  after

 午後二時から、村の天神祭があつた、今年も武漢ウイルス感染拡大防止のため、直会は行われなかつた。
(写真1写真2

 神事の最中に電話が入つた、従兄の哲兄と八重子夫妻の突然の来訪である。前もって連絡するとそれなりの準備をするだろうからと最近はいつもさうである。今日はかんぽの宿に泊まるさうである、ふたりとも元気だつた。

 太郎たちが午後5時ころ、観光バス二台で集団宿泊教室を終えて無事に帰つてきた、太郎たちが泊まった「熊本県立あしきた青少年の家」と云ふのは阿蘇にある青少年交流の家が国立なのに対して、県立の施設で運営内容は同じやうなものだろう。 http://www.k-seishonen.com/ashikita/index.html
 特に何もなければ、わざわざ迎えになど行かなかつたのだが、雨が激しく雷がすごかつたので、学校まで車で迎えに行つた。山育ちだから海辺での活動が非常に楽しかつたやうだ。 

 晩飯 OPWC


令和 3年 7月13日(火)

 九州北部がやうやく梅雨が明けた(中国地方も、のやうだが、例によつていちいち調べないと、分からない)梅雨が明けたのでもう空模様には急に関心がなくなつてゐたが、たまたまレーダーを見たら、日本全国、多分大気が不安定なのだろう、日本中、まばらな雲が沢山点在してゐる、みんな赤いからその付近は強い雨が降つてゐるのだろう、ここより早く梅雨が明けた鹿児島地方も広い範囲で雨が降つてゐた。

 梅雨が明けたと思つたらも真夏である、車で走つてゐても暑い、と云ふのも軽トラックのエアコン、買つてから一度もガス充填をしてゐないので、ガスが抜けて全然効かない、じゃあと窓を開けて走つたところ、助手席側の窓がパワーウインドウじゃないので、わざわざ手を伸ばして開けるのが面倒だから片側だけ開けて走つたが全然風が入つてこない。いままではそれでなんとかなつたのだが今日は一旦道端に車を寄せて助手席側の窓を開けてから走つたら、これが涼しいのなんの、阿蘇はさすが高地である、窓の開け閉めさえ面倒がらなければ今のところはエアコンは要らない。(写真1写真2
   最低気温 20.9℃ (05:05)、最高気温 29.3℃ (15:03)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4

 太郎たち5年生は一泊で集団宿泊教室にでかけた、目的地は海辺の町、芦北である。ここでいろいろなマリン活動をする。六年になると修学旅行があるがそれとは別の学校行事である。昔、坂梨小学校があった頃は、ニ泊だつたか海辺の町の小学生とここ山の小学生が一緒になつて一泊ずつ場所を変えて交流をしたものだが、現在は一泊の行事になり、海辺の小学校との交流も無くなつた。太郎はいつものランドセルに代えてリュックを担いで登校していつた、滑り込みで梅雨が明けてよかつた。

 朝、8時ころから、草刈りをした。完全に敷地内草茫々になつてゐる、また少しずつやろう。before after

 11時を過ぎたばかりの頃、ラジオを聴きながら走つてゐると放送を中断して、梅雨明けの放送が入つた、突然放送を中断したので、何か緊急ごとかと思つたら、この九州北部の梅雨明けの知らせだつた、その時、ちゃうど、「講談」が流れてゐた、べつに是非モノとして聴いてゐたわけではないが、面白くて聴き入つてゐた、なかには傾聴してゐた人もいるだろう、選りに選つて「語り」がメインの番組で、わざわざ中断して流すほどのものか?すぐに終わるからそれからでもよいではないか、そんなに緊急性があるものなのか、NHKのディレクターのセンスを疑う。

 最近ラジオで大相撲を聴いてゐる、今日は今まで聴いたこともない解説者が解説してゐたので誰だろと思つてゐたら、元横綱鶴竜だつた、完璧な日本語で、語彙も豊富で、いやいや驚いた、モンゴル語と云ふのは日本語と文法的に近いのだろうか、それにしても見事な日本語だ。

 今日のやうに子供が二人とも居ないことあつただろうかと考えるが、記憶がない、もしかしたら初めてかも知れない、いずれ、将来子どもたちが巣立つて、もし、片方が、と云ふより、それは小生になるのだろうが、缺けるやうなことがなければ、今日のやうに二人だけの生活になるのだろう。


令和 3年 7月12日(月)

 曇り一時雨。 梅雨前線に沿つて雨が降るのは理解できるが、今年は例年に比べて複雑な天気が続いてゐる、上空の冷たい空気と南からの濕つた空気とがぶつかって日本列島不安定な天気で局所的に強い雨が降つたり雷が鳴つたりしてゐるやうだ。今日も島根地方など激しい雨が降つてゐた、梅雨が明けた鹿児島で強い雨が降つてゐた、ここでも、昼ころ、短時間だつたが雨が降つてゐた。
     最低気温 20.2℃ (03:01)、最高気温 27.0℃ (14:51)

 定点撮影 その他写真1写真2写真3

 草がかなり伸びてきてゐる、ここのところずつと、明日は刈ろうと思ひながら、大体、夜のうちや朝になつても雨が降つてをり、刈ると飛沫が飛び散るので、延ばし延ばししてもうかなりボウボウになってきてゐる。午後にはだいたい濡れた草も乾いて、刈ることができるのだが、朝のうちにエンジンがかからないとその日はズルズルと何もしないで過ごしてしまふ、結局かうやつて草に敗けてしまふのだろう。農家なんか雨に関わりなく、ちゃんと畦切りをしてゐるのにな。

 午前9時、市の防災無線からのサイレンを合図に九州北部豪雨災害で犠牲者になつた人たちへ慰霊の黙祷をした。
この村でも山の斜面が大きく崩れ、家屋が二三戸潰されて今朝春さんの母上が亡くなつた、他にも重傷者がでた、あれからもう九年(2012H24.7.12)、小生のなかでは既に遠い過去の記憶になつてしまつた。崩れた崖もその後防護工事がされ草が覆い茂つてもう傷跡もあまり目立たなくなつた。あの時のこと、避難をしたことなどを日記を読み返して改めて思い出してゐる。災害発生後しばらくは混乱した毎日が続いたのだつた、新聞の全国版に避難所での小生の様子が載つたのだつた(7/15)、記事を読むと太郎はあの時はもう2歳になつてゐたのか。阿蘇ではその後もいくつか大きな災害が起きたので、それらの記憶が輻輳してしまつてゐる。

 堂場瞬一「沈黙の終わり」、今日の昼過ぎには一気に読み終わつた。大変面白かった。

 晩飯  天津丼を作つた。普通、かに玉の下は白ご飯のやうだが、前回試作の時に、全体的に味に深みがなかつたので、今日は白ごはんに代えてチャーハンにした。


令和 3年 7月11日(日)

 曇り。今朝になつてやうやく阿蘇市に出されてゐた大雨警報が解除された。そして今日、九州南部で梅雨明けしたさうだ。九州北部は明日以降だろうが、このことはいつも書いてゐるが熊本は九州の中部だ、南部(鹿児島宮崎)が大雨で騒いでゐるときも、熊本のほとんどは降つてゐない、九州北部が大雨のときも、長崎、佐賀、福岡が豪雨でも熊本は降らない事が多い、オイ!気象庁、熊本大分両県を中部にして九州を三つの地域に分けろ。分けたからと云つて、常に分けて扱う必要は無い、分ける必要があるときだけ分けて、さうで無い時は、比重のかかり具合で、九州中南部だとか九州中北部だとか云えば良いのだから。
   最低気温 20.5℃ (04:59)、最高気温 26.3℃ (12:49)

 太郎たち、朝九時ころには国立阿蘇青少年交流の家から帰つてきた。昨夜は雨で星の観察はできなかつたが、スライドなどでJAXAのはやぶさ2の話があり、今太郎は一番の関心事の一つなので大いに満足して帰つてきた。講師は隣の産山村の教育委員会のその方の専門家だつたやうで、産山村には天文台もあるので、また夏休みにでも星の観察に行くと云つてゐた。

 相変わらず、ハチがこぼれんばかりぶら下がってゐる。写真1写真2

 昨夜から読み始めた堂場瞬一「沈黙の終わり」上下巻二冊の小説、一気に昼過ぎまでに上巻が読み終わった、これは面白い。

 小生、オリンピックの開催について、ずつと日記には賛成とも反対とも何も書いてゐない。早い話が興味がないからである、興味がない人間が、賛成であつても反対であつても強い関心がある一生懸命の人たちに対して軽い気持ちで何か云ふことも無いやうな気がするからである。

 これよりずつと前、オリンピックを日本に招致をするか否かの段階では反対であつた、今更日本でオリンピックなんかやる必要がないと思つてゐたからだ。

 武漢ウイルスのせいで、すつたもんだの挙げ句、一年遲れでとうとう開催はするやうに決まつたやうだから、この段階で今更反対を叫ぶ人たちの意見はもう通らないのだろう。となるとあとはどう開催するかだが、ここに来て武漢ウイルスがまた感染拡大してゐて観客の数を制限するだとかいろいろあつて、結局無観客で開催することになつたのか?それで感染拡大が抑えられるのか?

 ここにきて、開催する以上、今更無観客にしても有観客にしても感染拡大の程度、あまりそれほどの変化はないやうな気もする。だから、やるのだつたら感染覚悟で良ければ有観客でやつてもいいのではと少しだけ思つてゐる、まあ、どつちに転んでもおかげさまで小生は心穏やかで居られるのだが、なんとなく中途半端な気がしてゐのである、どうせ、多分短命におわるのだろうから、総理も開き直つて思い切つてやつたら?浮かぶ瀬もあるかもしれないよ、それにここにきてどんどんワクチン接種も進んでゐることだし。

 なんでも共産党は、党綱領で掲げている日米安保条約の「廃棄」について、次期衆院選の政権公約には盛り込まないことにしたさうだ。よかつたね、これで「立憲共産党」を作りやすくなつたな。(政権公約には盛り込まないが、綱領としては生きてゐるんださうだから、これは詐欺だろう)

 パックご飯「サトウのごはん」が武漢ウイルスで在宅需要が増え、過去最高益だと、ご飯くらい自分で炊け。


令和 3年 7月10日(土)

    最低気温 20.1℃ (09:41)、最高気温 23.3℃ (00:00)
    本日の雨量 17.8 mm(19:30現在) 連続雨量 155.4 mm 
 
先日は島根鳥取方面の大雨に大変だなあと思つてゐたのに、昨夜はなんとも無かつたのに、今日は九州南部だ、鹿児島宮崎方面に続いて朝6時ころには熊本県にも大雨特別警報が出された、警報が出された時点の熊本県の大雨は熊本県南の鹿児島県境付近で、県北にあたる阿蘇地方にはほとんど雨は降つてゐなかつた。そして、結局、最後まで大雨はこちらまで来ないでとりあえず今日の雨騒動は終わつたようだ。今回、鹿児島の大量の雨で川内川水系が大変だつたやうだが、幸いに氾濫越水などは無かつたやうで良かつた。鹿児島方面の雨、今夜もまた降るのだろうか。然う云へば阿蘇市の大雨警報はまだ解除されてゐない。

 降雨の場所、雨量、天の采配とは云へ、被害の有る無し、まさに紙一重でハラハラさせる。天気図からはさつぱり分からない、観天望気と云ふが空を見てゐても分からない、水蒸気は海から空へと循環してゐるとは云へ一体どのくらいの量の水が空にあるのだ。色々聞いてゐると、高気圧の縁に沿って南から大量の水蒸気を含んだ風が流れ込んで大雨を降らせると云ふ、なるほど、だから、梅雨前線上と云ふより、その南側で大雨になるやうだ。今日は学校が休みで良かつた。

 肩の凝らない読み物、時代小説も好きで、いろいろ漁つては読んでゐる、ここの所ずつと浅黄斑の「無茶の勘兵衛日月録」を読んでゐた。ようやく20巻目を読み終えた、さすがに長かつた、ところが、これで完結はしてゐない、だが、図書館にはここまでしかなく、ネットで調べても続刊は無い、それに、作者の浅黄斑は最近亡くなってゐる、なんとなく宙ぶらりんの気分である、娯楽作品である、純文学ではなないのだから誰か続きを書いてくれないだろうか、未完の作品を別の人が受け継いで完結させる例はいくつかある。

 今夜は母子して高岳麓にある国立阿蘇青少年交流の家に一泊の予定で星の観察会にでかけて行つた。前々からの計画なので天気が悪くても実施された、当然雨天の場合も想定して空を眺めなくても良いプログラムは用意してあるのだろう、車で15分も走れば行けるところなのにカミさんなんか海外旅行にでもいくうやうな大荷物で出かけて行つた。

 今番は小生一人なので、料理研究で未知のものを作つてみた。天津丼(天津飯)である。中華料理屋のウインドウに並んでゐるサンプルなど何十年も見てゐながら今まで一度も食べたことがなかった。それがフト作つてみやうかと云ふ気になつた。家族に簡単に食べさせるレパートリーに加えるためである。我ながら研究熱心なのである、天津丼とはこのやうなものなのか、この食べ物、向こうには全く無いさうで日本で生まれた食べ物ださうだ。


令和 3年 7月 9日(金)

    最低気温 22.3℃ (01:06)、最高気温 25.3℃ (17:01)
 朝、7時少し前に停電した、まもなく復旧したが少し風はあつたが台風でもあるまいにどうして停電するのだと思つて、後から調べたら「風雨の影響」だと、おい!どこに電線が切れるほどの風雨があつたのだ。
 
 定点撮影 今日はいつもの中学生が雨の止み間を縫つて一人で自転車で登校していつた、太郎も今日は小生の前を母親の車で登校して行つた。

 昨夜からの雨、朝には峠を越えたやうだつたので、先日注文したメガネを光の森に受け取りに行つてきた、メガネの受け取りだけの往復では勿體ないので、ついでに映画を觀ることにした、ところが行つてみると上映時間割がけふから替わつてをり、かなり待たなければならないことが分かつた、それから、もうひどくは降らないだろうと思つてゐたのに、向こうに着く頃、エリアメールが入つて、阿蘇市と云ふ狭い範囲にだけ大雨警報が出されたと云ふ、ええ?と思つたが、もしさうなら、場合によつては学校から太郎の非常時引取の連絡が入るかも知れない、そのあたりはカミさんに電話をすれば済むことだが、是非モノの映画でもなし、帰るか、と云ふ事で、映画鑑賞はやめてメガネだけ受け取つて帰つてきた、たしかに阿蘇谷に入るとずつと強い雨が降り続いて居た、そしてやはり、学校から保護者引き渡しになつたというメールが入つた。しかし雨雲の動きを見てゐると、雲の動きも少しずつずれてきてをり、騒ぐほどのことでも無いとは思つたが、気象庁が安易に警報を出すものだから、出された以上教育委員会としては無視できないのだろう。尤も今日はもともと下校時間が早い日だつたので、これでカリキュラムに影響があるものでもないやうだ、半分実戦半分訓練のやうなものだろう。

 夕方には九州は鹿児島の一部だけ雨が降つてゐるだけだが、阿蘇の大雨警報が継続中だが、熊本各地に大雨注意報が次々に出されてゐる、今夜から明日にかけてまた大雨が降ると云ふことだ。

 上空に寒気が入ってゐるために天気が不安定だといふことらしい、天気図ではそれがわかるのだろうか、天気図だけでは天気予報はできなのか、梅雨前線から離れてゐてどうしてこんなに天気が悪くなるのだろう、天気図だけからは分からないものなのか。

 今日も往復ともトンネルでなく、57号線現道部を使つた、この道路部分、連続雨量が200ミリを超えると通行止めになると云ふ、あれだけ立派に復旧したのにどうして止める必要があるのだ、阿蘇大橋崩落の原因になつた山崩れがトラウマになつてゐるだろう。ところどころ200ミリになつたらと表示が出ているが何処にも現在の連続雨量は表示されてゐない、車は、引き換えさうか、迂回しやうか、どうしやうかと何で判断すればいいのだ、これもお役所仕事である。

 晩飯 天丼


令和 3年 7月 8日(木)

 梅雨前線が同じやうな所に横たわつてをり、その前線に沿つて相変わらず中国地方に雨が降り続いてゐる、夕方近く鹿児島付近に雨雲が固まつてゐる、こうなると前線との関係が素人には分からない、日中も、熊本付近には細かな雨雲が次々に流れてきて、時折強い雨が降つてゐた、ただ、雷雲が熊本の北と南に分かれて通過して少し雷鳴は聞こえたが、その程度だつた。今夜から明日にかけて熊本県に集中して強い雨の予報が出てゐるが、雨雲レーダーを見る限り、さうなのだろうかと思つてしまふ。
     最低気温 23.5℃ (16:45)、最高気温 26.6℃ (11:42)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4

 病院と云ふところは生命維持に直結する装置の電源をいくつも使つてゐるところだ、そんな施設に入る清掃業者の慎重さが全く欠如してゐる、それ以上にあれほど幾度ともなく報道されてゐる冷蔵庫の電源管理事故、病院は一体何を学習をしてゐるのか、本当にバカ者!である。斯う云つたニュースを目にするたびに怒りが込み上げてくる、本当にどいつもこいつも。

 晩飯 豚大根など


令和 3年 7月 7日(水)   七夕(しちせき これをタナバタとどうして読むのだろう

 今度は山陰地方だ、朝からずっと夕方まで、雨雲が同じところにある。昔はこんな降り方はなかつたのに、数年前の阿蘇の豪雨災害あたりから線状降水帯が注目されるやうになつてきた。
 (夕方この日記を書いてゐて、ラジオから島根か鳥取の知事だと思ふが、熱海の土石流をタニンゴトと思わずに注意したいと云つてゐた、秘書か誰かが書いた原稿をそのまま暗記して言つたのだろう、「他人事」にカナがふつてなかつたのだろう、他人事と書いてヒトゴトと云ふのだぞ、そのコメントの後でNHKのアナウンサーはちゃんとヒトゴトと云つてゐた、まあどつちやでもいいけど。)
 当地、弱い雨だが、降つてゐる時間が長かつたやうな。
    最低気温 23.8℃ (03:37)、最高気温 25.4℃ (10:30)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4

 痛てえ!また刺された、気をつけてゐたのに。あまり何度も刺されるとアナフィラキシーがひどくなる、ショックに繋がりかねない。
 とにかく群れが大きいので、いくら重箱を増やしても底板付近はハチが溢れんばかりである、毎朝、スムシチェックのために扉を開いて底板を引き出して掃除をする、掃除が終わつた底板を元の場所に差し込む、そこまではなんとか良いのだが、門扉を閉める時、とにかくハチが多くて丁番の付近にも沢山ゐる、そのまま閉めると沢山のハチを潰すことになるのでブラシで払つてハチを排除しようとする、そこで怒りだす。
 
 一応は完全武装してゐるつもりだが、何処からか隙間を見つけてかぶつてゐるネットの中に入つてくる、入つてはゐないのだろうが耳のあたりでブンブンどうも中に入つて飛んでゐるような気がする。気になつたので少しハチの群れから離れてネットを外した時にもうゐないと思つてゐたところ一匹残つてゐたやうでまた指先を刺された。いやあ、今日のは痛かつた。先日懲りたので急いでバキュームをして様子を見てゐたが、30分くらいしてみるみる腫れてきて、刺されたせいかどうかわからないが右腕の手首から付け根の表面が痒くなつた。ただ、その痒さも皮膚に蕁麻疹様の症状が現れることもなくまもなく痒さは消えた。刺されたのは指先近くだが、右中指の付け根から甲にかけてなり腫れあがつた、ただ気分が悪くなることもなく、呼吸が苦しくなることもなく、先日に比べて、昼前ころにはほとんど腫れは引いた。夕方になつてまだシコリは残つてゐるが前回ほどのことはない。
 
 でもいつも思ふのだが、攻撃してくるハチは一匹二匹で集団で総攻撃してくることは無い、ハチには役割分担でもあるのだろうか。でも攻撃してくるハチは「特攻」で、ミツバチはスズメバチと違つて刺すと必ず死ぬ運命にある。その決死隊の役割はどうして決まるのだろうか。

 愛斗クン、すごいなあ、小生競馬はやらないのであまり分からないが、これすごいことなんだろう。愛斗クンは保育園から中学校まで夏子たち坂梨のなかまたちとずつと一緒で小生もよく知つてゐる、いやいや大活躍だ。
 
 「役所のやる気の無さ」、これが今問題になつてゐる日本のデジタル化を阻害する最大の原因だ、シノタマワク「出来ない理由ではなく、出来る理由を探しなさい」、河野太郎クンもこの程度でやめるのなら最初から云ふな、パフォーマンスと云はれても仕方がない。どっちみち任期残り時間が少ない・・か、じゃあ、もつと偉くなつてからやつてくれ、どうせなら電信にしたらどう?

晩飯 OPWC


令和 3年 7月 6日(火)

 曇り、時々晴れ。
    最低気温 22.0℃ (00:57)、最高気温 26.6℃ (14:39)

 小生、もう梅雨前線は下がらない前提でここの梅雨明けを予想してゐるけど、梅雨前線、まだ下がることもあるのだろうか、さうなると、この先まだわからないな。
 
 定点撮影 その他写真1写真2写真3

 ここ数日、また草が伸びてゐるので切ろうかと近くに行つてみると、まださうでもないな、まだ大丈夫だなと云ふ伸び具合なので、またにするかと切らずにゐる。この段階でさつさと切ればいいのだが、それでタイミングを逸して結局草に敗けてしまふのだろう。

 ネット記事によると、最近、日本でも唐揚げ屋がどんどん増えてゐるさうである。今まであつた食べ物屋も唐揚げ屋になつてゐるのださうだ。唐揚げ屋ばかり、と云ふのはどこか隣の国で聞いたことがある、仕事がないから誰でも彼でも唐揚げ屋を始めるのださうだ。どうせいずれ店舗過剰になつて潰れてしまふのが分かつてゐるのだが。
 さう云へばここでも最近、唐揚げ屋ができた、確かに唐揚げはウマイ、でもわざわざ買つてこなくても自分で作れば良いだろうに、小生なんか自分で揚げるぞ、全然面倒なことないぞ。
 
 今晩?唐揚げでなく簡単にオムライスにした、太郎の誕生日だつた、11歳になつた、だんだん○ソ餓鬼になつてきた。、手の込んだ料理はやめにした、後はケーキとスイカ。太郎は腹いつぱいスイカが食べられたら他に何も要らないと云つてゐた。ところがもう熊本のスイカの旬は過ぎてしまつてをり手頃な値段でと云ふわけにはいかなくなつてゐるがそれでもスイカは食べられる量はたかが知れてゐる、すぐに腹一杯になるぞ。
 
 夏子も寮からスマホでリモートでオンライン夕食に参加した、便利な世の中になつたものである。
 バースデーケーキのろうそく消しは向こうから撮つた写真を送つてもらった、向こうでも一人分のケーキを用意して食べてゐた。


令和 3年 7月 5日(月)

 昨日の日記、当然更新したとばかり思つてゐたが、今朝友人に生きてゐるかと問い合わせがあつて初めてアップ忘れに気がついた。便りの無いのは良い便り、と云ふが、毎日「便り」している人間が一日でも怠ると逆に何かあつたのかと(心配はされないが)不審がられることになる。

 朝のうちは雨が日本海側に沿つてずつと降つてをり、太平洋側も伊豆半島熱海付近には相変わらず雨雲があつた。
 こちら九州方面、この太平洋高気圧がもつと張り出してくれたら梅雨明けになるのだろう、でも、梅雨が明けた沖縄と奄美地方とここと同じ高気圧の等高線内があるから、もう梅雨明けでも良いやうな気がするが。そして明日は更に穏やかな気圧配置になりさうだが・・・・・
    最低気温 23.5℃ (04:55)、最高気温 28.3℃ (14:47)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3写真4
 登校時、細かく降つてゐた雨が上がつたばかりで、虹が出てゐた
 
 昼から夏空が広がり、天気が良かつたので、そのせいか「とき騒ぎ」も、いつもよりも盛大だつた。いつも二つの巣は時間差で飛ぶが、今日は一号基と二号基、同時に飛んでゐたので非常に賑やかだつた。写真に撮るとどうもその大迫力が伝わらない写真1写真2

 晩飯 麻婆豆腐


令和 3年 7月 4日(日)

 梅雨前線が北上して今日も関東地方はずつと雨だつたやうだ、そして対馬海峡付近に雨雲があるが九州のここは時々弱い雨が降つてはゐたが、基本曇りだつた。熱海の土石流事故、天気が悪くて捜索が難航してゐるやうだが、事故から一日経つてその被害の大きさ激しさに改めて驚かされる、首都圏(に連なるところも)は至る所に家が密集している、ここのやうな過疎地帯であればこれほどの人災にはならないのだろう、まさか今度はうちが、
 とは現地の人だれも思わなかつただろう、災難はどこで起きるか本当に分からない。
    最低気温 22.4℃ (04:43)、最高気温 25.9℃ (13:07)
    
 今朝、やうやく今年はじめてヒグラシの鳴き声を聴いた、一斉では無くて一匹のみだつた。

 太郎、午前中、テニススクールに出かける。

 小生は「携帯」は所謂二台持ちである。初めコストダウンがその理由だつたが、しかし、最近はそれだけでなく積極的に二台持ちが良いと思つてゐる。小生が携帯を持つのは、あくまで電話が主であつて、ウェブ閲覧は二の次、二の次だからである、今どきの大きなスマホを電話のためだけに取り出して操作するのは非常に不便だと思つてゐるので、電話は昔ながらの二つ折りの携帯で、どうしても外でネット回線に繋がなければならない時にだけスマホを使うことにして、携帯電話とは別に格安スマホを持つてゐる。そもそも世間の人はどうして外でそんなにスマホを覗き込むのか全く理解に苦しむ。
 
 ところがその二つ折りの携帯が今やこの世から消滅寸前で、特に電波形式がFOMAと云はれる3G世代の携帯は数年後には無くなると云ふことである。だから、折に触れてドコモから、スマホに替えないかと勧誘電話が入る、そのたびに、小生は二つ折りの携帯がいいのだ、FOMAがあと数年で無くなると云ふことだが小生の年齢から考えたらそれだけの期間あれば十分であるといつも断つてきた。ところが、もし、それまでに今使つてゐるFOMA形式の携帯が故障したら、もう修理ができないと云ふ心配もある、事実最近この携帯が少しくたびれてきてはいた。
 
 そんなところに最近新しいタイプの携帯が発売された。これは電波形式はスマホと同じ形式(SPモード)でありながら、二つ折りの携帯に限りなく近くて、ついでにスマホとしての機能もあるというものである。スマホのいくつかの機能を削つてガラケースタイルを残して、だから、本体価格も安くて一括で払うにしても分割で払うにしても懐に響かない、月額通信料も、小生が現在使つてゐるドコモ携帯の料金よりも安く設定できる。
 
 と云ふことで、買い替えたのだ、「F-03B」から「DIGNO ケータイ ベーシック KY-41B」に替えたのだ。

 この機種、ドコモショップでは扱つてゐなくて、ドコモオンラインショップで賣つてゐる。だから直接送られてくるために新旧機種引き継ぎの設定を自分でやらなければならず、携帯電話界の事情に疎いので大いに苦労した。あまりにネットで見た説明が長くて面倒でさつぱり分からないので、それらをほとんど無視して自己流で引き継ぎ作業をして、なんとか新しいケータイに乗り換えることができた。
 
 月額使用料は今まで使つてゐた携帯が月額 1,600円程度だつたのに対して、新しい契約が 1,300円程度(料金設定が複雑すぎてハッキリ解らない)、これが携帯電話分で、二台目の格安スマホの方はOCNモバイルONEと云ふやつで月額 1,100円くらいだつたか、これでも普段ほとんどWiFi環境下でしか使はないので容量が餘つてゐるくらいだ。もし今度の新しい携帯でインターネットをやりたければWiFiモードでやれば通信料はかからない、だから実質携帯電話部分だけの通信料で済むので、この程度の容量で足りるのである、これも基本、家に居ることが多いから可能なのだろう、外でスマホをやりたい人には無理かもしれない。
 
 ドコモの「携帯電話」と格安スマホ代、合わせて月に 2,500円程度で済むと思ふ。
(FomaとSPモードと云ふ用語は対語では無いと思ふが、そのあたりがよく分からない)



令和 3年 7月 3日(土)

 梅雨前線による大雨、西日本東日本の太平洋岸に雨を降らせ続けてゐるが、熱海で大変な土石流事故が起きた。湘南方面も結構大変だつたらしい、数年前の阿蘇の豪雨災害を思い出す、天のちよつとした気まぐれで、激しい雨が降るかと思へばすぐ近くではなんとも無い、運不運は紙一重だ、土石流の現場映像を見てもそれを感じる。現在、梅雨前線が少しずつ北上してゐるなかで、幸いなことに、九州の我々のところは今までのところずつと雨雲の切れ間部分にあたつてゐて、大雨に遭わずに済んでゐる。この梅雨前線がこのまま北上してしまへばこの後も大雨に降られること無く済みさうな気配だ、まさに希望的観測だ、そんなに都合良くは展開しないとは思ふが、このまま梅雨前線が北上して梅雨明けにつながつて欲しいところである。(写真1写真2写真3
 最低気温 21.2℃ (04:59)、最高気温 25.4℃ (16:20)

 出遅れた日本のウイルスワクチン接種、ここにきて職域接種で接種の加速が一気につきそうだと思つてゐたら、肝心のワクチンが不足してゐて受付中止になつたさうだが、娘の大学、商売柄?接種環境は整つてゐるので大学で早々と職域接種に手を上げたせいか中止されることもなく予定通りで、今日娘も接種が出來たやうだ。若年層でありながら早々と接種ができて良かつた。
 
 日本では今回もネガティブキャンペーン的な報道のせいもあつて反ワクチンという層が結構ゐて、子宮頸がんのワクチンの時でも某朝日新聞など主要メディアがワクチンの副作用ばかりを大きく報道したため日本では接種率が海外に比較して非常に低いさうで、今になつてワクチンの有効性が再認識されてワクチン接種が広がりつつあるさうだがマスゴミはつくづく反社会的勢力である。。

 太郎、夏休み期間中、学習塾の夏季講習に通う気になつたやうで、その準備調査で母親と山を下りて行つた。ここは田舎でのんびりしてゐるが、世の中の小学高学年はもう、次なる目標に向けてとつくにその準備に入つてゐるのだろう、ゲームばかりにうつつをぬかしてゐないでそろそろ覚醒して欲しいものである。

 昨日ハチに刺された跡、今日になつてかなり腫れてゐる、痛くは無いがまあパンパンに近く腫れてゐる(それほどでもないが)、これが指先だから良かつた、まぶた付近だつたらおそらく「お岩さん」のやうになつてゐたかもしれない、ハチは不思議とまぶたなど弱いところを狙つてくる、顔だけはしっかりガードしておいたはうがいい。これも軽度のアナフィラキシーだろう、ここ数年で何度刺されたろう。


令和 3年 7月 2日(金)

 これでも沖縄、梅雨が明けたんだなあ。今日も九州は埒外だつた。そろそろ明日辺りから梅雨前線が北上して、このあたりも雨域に入つてくるのだろう。今日は夕方、所々に小さな雨雲が発生して、ちよつとだけ雨が降つたが、基本的には暑い一日だつた。
   最低気温 21.5℃ (04:02)、最高気温 29.1℃ (15:35)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3

 そろそろ当地も雨空が續きさうなので、今日、ハチウトの重箱の追加挿入作業をした。当初は一号基だけのつもりだつたが、二号基も敗けず劣らずもうハチが垂れ下がってゐるので、まず、手慣らしの意味もあつて重箱が一段少ない方の二号基から作業をした。追加する重箱の予備がなかつたので、登録抹消した四号基をバラして使つた。

 一人作業のため手順を間違えて途中で立ち往生するといけないので、何度も手順を確認、イメージトレーニングをしてから行つた。
 問題は、巣門から覗くと垂れ下がつてゐるハチの塊、それがハチだけの塊であれば追つ払えば済むが、もし巣そのものが下の方まで成長してきてゐるとしたら、新しく追加する重箱の中に十字に組んである巣落ち防止に巣が当つて巣を壊すことになる。それが、一番の心配であったが、幸いに、巣はそこまで成長してゐなかつたので、巣門の上に追加する重箱を差し込んでその上に今までの重箱を戻し重ねることによつて無事に重箱の追加作業が出来た。

 二号基に続けて当初予定の一号基も巣は下まで成長しておらず、無事に作業が終わつた、二号基は五段になつて一号基はとうとう六段組みなつてしまつた。普通は四段だから非常に背が高いハチウトになつてしまつた、それだけ巣が大きくてハチの数も多いと云ふことである。一号基は当然だが、居抜きで自然入居した二号基、最初の頃は数が少なくて心細かつたが、今や二基とも抱えると非常に重たい、この秋の採蜜が楽しみである。
 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 一号基の作業中、ハチに指先を刺されしまつた、、防護ネットと一応軍手をしてゐたが軍手の網目が荒いので針が通つてしまつた。
 結構痛い、刺された時のために、毒液を吸い出す簡単なバキュームセットを二種類も持つてゐるのだが、小生は今まで刺されても痛いだけでアナフィラキシーを起こすこともなかつたのであまり熱心に使い方を研究してゐなかつたから、イザと云ふ時に役に立たなかつた。同じ「刺す」でも、蚊の場合は痛くない、知らないうちに刺されてゐる、何が違うのだろう、おそらく、蚊の場合は血を吸うためにそつと気が付かれないやうに、で、一方のハチの場合は、攻撃するのが目的で、痛い目に遭わせるのが目的だからだろう、自然界はよく出來てゐるものだ。

 簡単ながら長袖シャツと防護ネットをかぶつてやつてゐると暑くて暑くて汗が目に入るほどで、下着から何から汗みずくになつた。午前中で終わらずに、午後まで少し作業が残つた。毎朝、巣の底板の掃除をする時にハチで溢れていて掃除がやりにくかつたのでこれで一安心である。

 晩飯 唐揚げ


令和 3年 7月 1日(木)

 「今日から7月か」と、月が替わるたびに、人は何かを思ふ、年が替わるときもさうである、ところが、日も週も同じやうにそれぞれ替わるのだがそれらについては人はあまり特に何も云はない、月、年、が人にとっては意識する区切りなのだろう、ああ、今日から7がつか。

 ここのところ、梅雨の大雨が、九州の南部から西日本、東日本の太平洋岸に降つてゐる、不思議と熊本など九州の北部には降つてゐない。今日も、午後、少し降ったが、一日曇り空で大雨の心配は無かつた。この他人事、いつまで続くのだろうか。
    最低気温 21.1℃ (04:52)、最高気温 24.8℃ (12:12)

 定点撮影  その他写真1写真2写真3

 ご近所から、田んぼの用水路の堰板の高さを少し詰めてほしいと云ふリクエストがあつたので久しぶりにガス溶断をした。我田引水では無いが、用水路から自分の田に水を引く場合、その用水路の上流から下流にかけて沢山の田があり、それらの田にバランスよく水を配るのは結構大変らしい、阿蘇は熊本平野に限らず周辺部への大水瓶だが、最上流部の阿蘇は思つたほど有り余るほどの水は無いやうだ。堰板はさういつた周辺との関係で高さの調整が必要なのだろう。

 もう随分「ガス」はやつてゐなかつたので、奥の方から装置一式引つ張り出して、まずエアでホコリを払つて、ホースに割れはないか、ガスの漏れは無いか、安全点検をしてから作業にかかつた。、

 基本下手くそに加えて、酸素が少ししか残つてゐなかつたこともあつて及び腰でやつたので、まあ、なんと、切り口が汚いこと。ハンドグラインダーで修正したが、それでも、まあ、用水路用だからなんとか使えるくらいの出来だつた。(写真1写真2
 
 酸素ボンベがもう一本あつたので、取り替えてからやれば良かつた。作業が終わつてから空のボンベと新しいボンベと交換したが、しつかり締め付けてなかつたのだろう、酸素が漏れてゐた、酸素はコンプレッサーのエアーなどと違つて酸素そのものである、酸素そのものは可燃性ではないが、物を燃やす時に酸素があると物が燃えるので支燃性ガスと云ふ、火の近くにこの酸素をもつてくると火が激しく燃えて、下手をすると爆発を起こし、一歩間違えば命取りになる、よく暑い時など、コンプレッサーのエアダスターを襟元に突つ込んで涼をとるが、咥えタバコで酸素ボンベでこれをやつて丸焼けになった事故もあるくらいだ。

 ガス溶断の際には酸素ボンベはアセチレンガスよりも後から開いて、閉めるときにはアセチレンよりも先に閉めなければならない、ガス溶接の講習を受けるとまず最初に習う。

 空つぽになつたボンベ、熊本市の二本木にある境酸素と云ふところで以前充填してもらつたことがあるので、今日も、阿蘇に回るついでがあるときでいいのでちよつと寄つてボンベを持つて行つてくださいと電話をしてをいた。小生が使つてゐるボンベは0.5立の小さなやつで、本当は酸素にしてもアセチレンにしても、もつと大きなやつがあると良いのだが。
 
 ハチウトの一号基、重箱を一段追加してやることにして、その準備に取り掛かつた。上の重箱と下の樹箱を細い板でビス止めをしてあつて、ビスの利き具合がちよつとアヤシイ、もし、持ち上げた時に重箱が離れるやうなことでもあると、中の巣が壊れてしまふので、少ししつかりした板と取り替えておいた。最下段の巣門の上に重箱を一つ挿入する予定である。