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(2021)令和辛丑 3年 1月の記録 (新しい日付けの順)

令和 3年 1月31日(日)

 今朝も放射冷却で気温が下がつたが、日中はもうポカポカ陽気、まだ一月だということを忘れてしまいさうな日だつた。
    最低気温 -3.6℃ (07:28)、最高気温 11.8℃ (15:15)

 もう数年間放置してある太い木材、最近大きなチェンソーが手に入つたので、今日、玉切した。

 二年や三年と云つた短い過去ではない、もう五年も六年も昔になるかもしれない。確か、あれは、登山道路のまだ阿蘇ユースホステルがあつた頃、その前辺りに太いクヌギがあつて道路拡張かなにかで切るからと、土地所有者のKVFから話があつてもらいに行ったことがある、あまりに太くて、人力では軽トラックに積み込めないのでチェンブロックを持つていつて組み立てて吊り上げたのだつた。その後、小生の小さなチェンソーでは齒が立たなかったので、結局数年間、放置したままで今に至つてゐた。多分その時の木だろうと思ふ、こんど日記を探してみやう。
 
 もう幹の周囲はかなり腐つてゐたので、これだけ長い年月経つてゐるから、中の方もグザグザだろうと思つたら、腐つてゐたのはかなり表層部分だけで、思つた以上にまだしつかりしてゐた。考えてみたら、1,000年以上も昔の木造建築が残つてゐるのだから、木と云ふものは考える以上に丈夫なものなのだと改めて思つた。
 
  ちとせ あまり みたび めぐれる ももとせ を  ひとひ の ごとく たてる この たふ
 --- 會津 八一 ---
 
 それから、製材目的で先日落とした杉の木の側面、今日、薪にするために、細かく切つてをいた

 今日は定位置に戻つてで焚き火をしながら、いろいろな作業をした、木を切る以外に、燻製器の基台を途中まで作つた、まるで焚き火周りは小生の屋外工房のやうになつてゐる。紙が手元に無いから、手のひらにメモに書いたりした

 今日は炊事をしなくていいので、午後五時までみつちりと作業をした、いつもなら三時ころには切り上げないといけないので、ゆったりとした気分で作業ができた。


令和 3年 1月30日 (土)

 晴れ。今朝は予報通りに放射冷却で気持ちよく気温が下がつた。
 (写真1写真2写真3
     最低気温 -7.3℃ (07:20)、最高気温 5.4℃ (15:51)

 こんなに風が無くてグッと冷え込んだ日は、最高の焚き火日和である。朝8時ころから装備一式整えて、裏の竹林の向こう側になる休耕田、耕作放棄地で焚き火にとりかかつた。ゴミ焼却は駄目だが、焚き火はいいらしい。あくまで、やるのは焚き火である。(写真1写真2写真3写真4

 昼頃になつて急に風が出てきて、少し心配だつたが、3時ころには今回の分はすべて燃やし終わつた。あと半分くらい草刈りが残つてゐるだらうか。

 太郎も小生の焚き火開始時間に合わせるやうに、まだ霜で真つ白ななか、テニスの壁打ちをやつてゐた、いつもゲームをしてゐない時はテニスの壁打ちをしてゐるくらいテニスが好きなやうである、今は武漢ウイルス感染防止のためにレツスンに行つてゐないので、なおさら壁打ちをしてゐるのだらう。
 
 今朝、早速打つたボールが屋根の雨戸樋のところに引つかかつて、霜で屋根がツルツルなので、へつぴり腰でボールを取りに屋根に登つてゐた(写真1写真2

 太郎は硬式のボールを力いつぱい打つので、小生の秘密基地のコンパの壁があちらこちら穴だらけになつてゐる、今までガラス戸を割らないやうに(以前割つて貯めた小遣いで弁償させた)一枚だけコンパネでカバーしてゐたが、そのコンパネももうボロボロになつたので、カミさんに頼まれて、三枚、塗装コンパネを買つてきて、秘密基地を防御した

 焚き火の後、一斗缶の燻製器と電気コンロと、どうマッチングさせるか考えて、一斗缶の底を全部切り取つた。コンロがすっぽり中には云つてゐるやうに見えるが、コンロの上に丁度乗つかる形になる。あと、コンロから一斗缶がずり落ちない工夫と空気取りを考えなければならない。
写真1写真2写真3


令和 3年 1月29日 (金)

 昨夜少し降つたやうで、乾雪が薄らと畑や道路に積つてゐた。今日は気温が低い中、風が強くて体感温度が低くて、同じ数字でも放射冷却の時よりも、風がある時の体感温度のほうが体に堪へる。一旦消えた阿蘇山もまた白くなつてゐた、一旦融けた古閑の滝もまた氷結してゐた、ただ、普通なら一晩で全面的に凍結するところ、今年は降雨が少なくて川の水量が少ないく全体的に凍りきれずにまだらになつてゐた。
    最低気温 -2.9℃ (07:46)、最高気温 0.8℃ (13:50)
    体感最低気温 -8.3℃ (07:37)
    最大瞬間風速 10.7 m/s (08:41)

 定点撮影 その他

 寒かつたので絶好の焚き火日和だつたが、今日も風が強かつたのでやめた。

 燻製器に使う電気コンロを試してみた、ワット数が低い(600W)ので、火付きにちよつと時間がかかるが、一気に燃えることもなくて、これで良ささうだ。あとは、どう一斗缶にセつトするかだな。

 我が家の浄化槽の排水パイプが我が家の前を通る県道の側溝に流れるやうになつてゐるが、そのパイプが少しだけ民から官の方へ出つ張つてゐる、そのために、5年毎に道路占有の許可申請をしなければならず、今年がその更新年にあたり、今日、阿蘇地域振興局にその申請書を提出してきた。申請書に位置図とパイプの写真を添付して三枚綴りである。こうやつて申請して許可が下りて、年間の納付金は100円である(書き間違いではない、百円である)、その手間たるや、官民合わせるととてもそんなものでは済まないだろう、金融機関の手間もある、馬鹿馬鹿しい限りであるが、規則は規則なんだろう。もつと云はせてもらえば、この部分は何十年もの昔、道路拡張で、無償提供したところだ。

 晩飯、昨日の鍋がまだたくさん残つてゐたので、具をもう少し買い足して鍋のアンコール。


令和 3年 1月28日 (木)

 晴れ、午後に入って急に風が強く吹き始めた。
    最低気温 -1.2℃ (07:16)、最高気温 9.2℃ (12:44)

 定点撮影

 裏の竹林と休耕田、耕作放棄地の草刈りをした。今日明日とまた寒い日になるといふ予報だつたので、今日は、焚き火の場所を移動して竹を燃やさうと思つてゐたが、風が強くて危ないので、今日は焚き火はやめた。(写真1写真2写真3
 
 草刈りのついでに、竹林の中に小径を作つた。数年前は竹など生えてゐなかつた場所だが、ここ数年で、すつかり竹が生えてしまつたのでこの際、元通りに全部切ろうかとも思つたが、なにも徃き来ができれば全部切ることもないなと、小径を作ることにした。なかなか風情のある小径ができた。(写真1写真2写真3写真4写真5

 燻製器に使う電気コンロがもう届いた、昨日注文したばかりなのに、どこか近くに地方拠点があるのだらう、ヨドバシ・ドット・コムで送料込みで、1,580円也、主要部分はニクロム線だけと云つてしまえばそれまでだが、それでも、しつかりした作りで、これだけのものが立派なパッケージに入つてはるばる海を渡つてやってきてこの値段で商売になるのだらうかと思つてしまふ。

 晩飯、鍋。小生だけ別仕立てでカキ鍋も作つた。カミさんはカキにあたるし、子どもたちは、カキフライは好きだが、それ以外の料理方法はまり好きでないやうなので、カキを同じ鍋に入れるわけず別仕立てとなつたわけである。
 

令和 3年 1月27日 (水)

 朝のうちは雲が残つてゐたが、その後晴れた。
    最低気温 7.1℃ (07:45)、最高気温 14.2℃ (13:41)

 定点撮影

 燻製器の手直しと実験をした。一斗缶の中に収める焼き網が大きすぎて収まらないので、ダウンサイジングをした。
 
 いろいろチップを燃やす実験をした(写真1写真2)が、熱源に使つた卓上のIH調理器がどうもピンとこない。 
 IH調理器の上に直に一斗缶を載せて、一斗缶の底にチップを置いて熏そうとしたが、一斗缶の底面に隙間ができて直接IH調理器面に接しないので、隙間にスペーサーを入れようと思つて、アルミの鍋をIH調理器で使うための鉄製のプレートを置いてみたが、どうも、今ひと思つたような煙が出ない、やはりニクロム線が直に見える電気コンロのほうがいいので、安価な電気コンロを注文しておいた、1.6Kくらいの金額だ。

 太郎水泳教室。
 
 水曜日はカレーの日、今回はその間にさらに一回カレーにして、なんだか立て続けにカレーのやうな気がするので、今日は半製品のトンカツを買って来てそれを揚げて、カツカレーにした。前回中辛と辛口をミックスにするために買つた辛口のルーが一回分残つてゐたので、抜き打ちで丸々全部辛口のカレーにした。食べ終わつてから云つたところ、誰も気がついてゐなかった、そんなものだろう。


令和 3年 1月26日 (火)

 弱い雨が時々。確か予報ではかなりまとまつて降ると云つてゐたやうな気がするが、最近、気象庁、外してばかりゐる。
   最低気温 6.1℃ (00:00)、最高気温 16.3℃ (14:45)

 定点撮影

 今日はどうもエンジンがかからずゴロゴロしてゐた。ただ、燻製器の制作を少しだけした。天井を缶切りで使つて切り取つて、上の方の側面に穴を開けてボルトを挿して、スモークする材料を置く網を乗せる受けを作つた、今日はたつたこれだけだ。魚焼き網が丁度良い大きさのものが無かつた、ネットなんかで見ると、22センチの網がいいのだが、25センチのものしか売つてゐなかつた。端つこを曲げるか、丁度よいものを改めて探すかだな。
 
 この後、下の方にも穴をいくつか開けて、燃焼時の空気の取り入れ口を作つて、材料から滴り落ちる油が直にチップに落ちないやうに工夫して一丁上がりだろう。昔、温泉卵か何か作る時に、買つた卓上のIHコンロがあるのでこの上に一斗缶を載せて直に炙れば、一斗缶の底に撒いたチップが程よく燃えるのではと思うが、実験をしてみないとわからない。
 
 少し桜のチップを作つてをいた

 昨日、高森町の山村将護さんが亡くなられた。十数年前に一度お会いしたことがあるが、その後、小生の先祖のことを多分良くご存知だらろうと云ふことが分かつたので、是非もう一度お会いしたかつた、残念である。

 晩飯、炊き込みご飯、娘がキンピラが好きで、いつも作つてもすぐに無くなるので、たくさん作つておいた。


令和 3年 1月25日 (月)

 晴れ、今日も暖かかつた。南阿蘇から見た阿蘇五岳
    最低気温 1.9℃ (07:41)、最高気温 12.9℃ (15:00)

 定点撮影

 燻製(スモーク)の実践になかなか踏み切れないで躊躇してゐる、理由のひとつはスモーカーである、要は煙で熏せばいいだけだから、ダンボールでもなんでも良いのだが、一斗缶で作らうと思つて、それに拘つて、なかなか進まないでゐた。その理由は、蓋付きの一斗缶がなかなか無かつたからで、別に蓋付きでなくても構わないのは分かつてをりながら、蓋付きを探してゐた。行きつけのスーパーで訊いたところ、最近、一斗缶で来るのは天ぷら油くらいで、ほかは今はみんなダンボールになつてしまつて、と云ふことだつた。前に豆腐屋から貰つた一斗缶も消毒用のアルコールが入つてゐたやつで、これも蓋付きではなかつた。
 
 ところが材料なんかを時々買ふ「モノタロウ」に一斗缶の蓋だけを売つてゐるのを知つて取り寄せた(@199×2)。蓋付きの一斗缶を売つてゐるのは知つてゐたが、やはり商売によつては蓋無しの一斗缶入の材料を買つて、一旦切り取つてから、蓋をして使うと云ふ需要もあるのだろう。
 
 これで問題は全部解決した・・・かな。後は一斗缶の加工と豚バラブロックを買つてきて一週間かけて仕込みをすればいいのかな。ああ、まだチップを作つてゐなかつた、それに、一斗缶のスモーカーでうまい具合にスモークが焚けるかどうか事前実験もしなくてはなあ。

 裏の竹林の整備に取り掛かつた、去年大掛かりに整備して以来である。去年ほどの大仕事にならなが、それでも結構また生い茂つてゐる、特に、竹林に隣接する、以前米を作つてゐた、今は休耕田と云ふか、耕作放棄地と云おうか、竹林から根を伸ばした竹がそこを浸食し始めてゐて、ところがまだ地盤が軟らかいので、高くなつた孟宗が風に踏ん張りきれずに軒並み倒れてゐる。それ以外に耕作放棄地、背丈ほどの草が立ち枯れてゐる、「野焼き」ができればいいが、危険かどうか慎重に見極める必要がある。
(写真1写真2写真3写真4写真5

 ハチの様子を見てみた、今日のやうな陽気だともう活動を開始してゐて、花粉を盛んに運んでいゐた、と云ふことは花があると云ふことだが、支援物資の砂糖水はあらかた無くなつてゐたので、手を抜いて近場で間に合わせてゐるのだろうか。もうそろそろ分蜂に備えて、ハチウトの準備もしなければならない、少し前に作りかけのまま置いてあるので、焼きを入れたり巣堕落防止の十字の竹串を入れたりしなければならない、冬の間はひたすら薪だけを作つてをればいいが、春になるといろいろなことが忙しくなる。

 晩飯。オムライス、こどもたちのリクエストである、自分で考えなくて済むから助かる。

 本日、アゼリア全館休業日

令和 3年 1月24日 (日)

 やっぱり狼さんは来ませんでした、とさ。
 当地、今日は雨が上がったが終日ドンヨリとした一日だつた。
 阿蘇山がまるで外輪山のやうになつてゐた(写真1写真2)。
   最低気温 6.2℃ (06:16)、最高気温 8.6℃ (14:11)

 今回、斧の柄が折れて、その繼げ替えで木を削る必要があつて、手で削つて苦労をしたので、この道具類の必要性を感じたが、考えてみたら、常時このような作業をする場面は多くない。だから、ちやんとした道具を揃えなくても、臨機応変、その場で、必要になつたら効果的に作業が出来る工夫を知つてをればそれでいいという気がする。カネも無いくせにすぐに買おうとする、何事もself-relianceだ。

 こうやつていろいろなことに挑戦する小生の道楽一切をひつくるめて動画で発信しやうかな、ユーチューバーになろうかなあ、「じじいの田舎暮らし」、内容は深くは無いが、間口は広いぞ、ネタはたくさんあるぞ。太郎が友だちと話してゐて、友だちが将来ユーチューバになると云つてゐた、だから僕もと。なんでも非常に「お金持ち」になれるらしいと。少し前までは存在しなかつた儲け口だ。

 閑話休題言帰正伝
 先ず、ドローナイフ、これは買うと非常に高価なものである。次なる策、作る。柳刃や長いナタを買つて来てそれに片側にも溶接で柄を付ける、あるいは自動カンナの刃に柄を付ける、ダマスカス鋼で最初から作る手もあるか。
 
 いや、ちよつと待てよ、先日斧の柄を削る時に使つた鎌があつた、これに、反対側に柄をつければいいのではないか、幸いに、その時々で使つては放つてある鎌が何本もある、ホームセンターで数百円のものだ、付け根の所で切断して溶接で付ければいい、と思つて、まずその前に、柄を付ける代わりに工具で挾んで即席ドローナイフらしきものを作つて、削つてみた。
 
 この工具と云ふのはロツキングプライヤーといふ、ペンチのようなもので、挟む材料によつて厚さをネジで調整できて、一旦咥えたら絶対に外れないくらいの工具である、この工具は非常に便利である。もし鎌の一方を普通のペンチで挾んでやると、おそらく、すぐに外れで駄目だと思う。
 
 早速、それで、木を削つてみた、なかなか調子が良ささうだ、削る力、片手と両手とでは全く効率が違う、でも木が固定できないのであまり具合が良くない、そこで、「削り馬」shaving horseの登場となる、
 
 最近、greenwood workという言葉を耳にする。greenwoodとは生木のことを指すらしい、要は生木を切るなり削るなり、加工してスプーンや家具などを作る活動らしい、そこでもこの「削り馬」を使つてゐる、小生は、例のカナディアンのサイト<https://myselfreliance.com/>で知つた、ネットで調べてゐると、アニメの「アルプスのハイジ」の中にも登場するやうで、昔からある道具のやうだ。
 
 加工する木を一時的に固定する道具で、足を踏ん張つて加工する材料が動かないようにでき、足の力を弱めることで、簡単に材料を動かせるので、頻繁に削る箇所を変える場合に重宝である、バイス(万力)でもいいのだが、一旦締めると簡単に材料を動かせないので、「削り馬」のほうが便利である。
 
 田舎暮らしをしてゐると、あると確かに便利な道具ではある、これも作ろうかと思ったが、待て待て、手段が目的化する、これもあるもので代用しやう、ということで、とりあえず脚立の脚で挾んで削る木を固定してやつてみた。常用するのでなければこれで十分ではないか。と云ふことで、ドローナイフも「削り馬」もとりあえずはすぐには無くても良いことにする。

 先日来の、薪割りをしてゐると我が家にやつてくる名前が分らなかつた野鳥、豐田市に住む義弟がイソヒヨドリではないかと云つてきた。最初、イソ・・磯と云ふことばが付くので違うのではと思つたが、この野鳥は全国的に、そして山間部にもゐるやうなので、間違いないだらう。長い間住んでゐて初めて出會つたやうな気がする。鳴き声はネットで調べたら、これはいつも聴いてゐて、美しい声だなあと思つてゐた、イソヒヨドリの鳴き声だつたのだな。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%92%E3%83%A8%E3%83%89%E3%83%AA

 NHKはこんなセンセーショナルな大きな見出しを打つて一体何を云いたいのか、人は「激しいアレルギー」と云ふ言葉の部分に反応する。
10/4,000,000は0.0000025だぞ、ほとんどゼロだらう。

 ゆうちょ銀行がなんだか面倒な書類を送つてきた、ちよつとみたところ、取引目的確認がどうたらこうたらという書類で、マネーロンダリング防止のためのうんたらかんたらとあつた、ネットでの回答でも良いらしいが、回答しなくても預金封鎖(ゆうちょだから貯金封鎖か)なんかにはならないだろう、面倒なので、放つておくことにした。
 
 それを別にしても最近のphishingメールも手が込んできて、よほど念入りに疑つてかからないと、詐欺だと云ふことが分からないものが多くなつてゐる。


令和 3年 1月23日 (土)

 終日弱い雨。この雨、東に移動して関東地方が明日にかけて雪になる・・・・と云つてはゐるが
    最低気温 8.4℃ (但し18:21時点)、最高気温 12.7℃ (00:16)

 太郎、今日、友だち数人と誰かの家で遊ぶ約束をしゐたが、今の時期、なるべく三密を避けたほうがいいぞ、と云ふ家族の説得で、昨夜は不貞腐れて寝間着にも着替えずに寝てしまつたが、一夜明けて、機嫌を直して今日はいつもの太郎に戻つて、百人一首などをしてゐた。大都市部あたりに行くともう、そのへんはかなりの緊張状態ではないかと思ふが、このあたりはまだまだノンビリしてゐるほうで、子どもたちが集まつてシュウ・キン・ペイ状態になつても大丈夫だと思ふが、万一のこともあるので今のしばらくは我慢の時である。百人一首の読み手はスマホのアプリがやってくれるから便利な世の中になつたものだ。

 やうやく雨が降つてくれた、完全休養日だつた。小生、毎年、一冬でどのくらいの木を切るのだらうか。木材の量は、立米で表現する。何立米くらい切つてゐるのだらうか。ここに来てもうかれこれ20年近く、切つた木の量は相当なものだ、それにこれだけの年月切つてゐるからもう素人とは云へないだろう。

 木の量は立米で表す、と云ふと、つまりは体積だ。ピンと来ないが、考えて見たら、樹木は円筒、だから、円筒の体積を計算すれ良いのだ、なんだ、計算尺の得意とするところではないか。
 
 例えば、今、板を取りたい丸太の直径が40cmとして、その長さが2mとすると、一本あたりの丸太の量は
  数式で書くと π×0.2m^2×2m=0.25立米となる(4本で1m^3と云ふことか)
  計算尺でやると、ほとんどワンアクションで計算できる

 最近小生が起居してゐる部屋の天井灯が急に暗くなつたので、蛍光管をネットで買つた。昔はもつとしたと思つたが送料込みで1,450円也、昔タイプの蛍光管はもうあまり需要もなく、在庫整理なんだろうか。今やLEDライトの時代で、他の部屋の蛍光灯は一二箇所LEDタイプの天井灯に替えてあるが、ここのやつは、球だけ交換すればいいので、従来型の蛍光管にした。
  どうせ --- LED 使い切るまで ない寿命 --- だから

 この川柳、寺さんが送つてきたなかにあつたやつだ。小生に当てはまるやつは二三個くらいかな。
~寺さんから~
面白いのが送られて来たので転送します!
(^o^) 川柳をお楽しみ下さい。

□ 日帰りで 行って見たいな 天国へ
□ 延命は 不要と書いて 医者通い
□ 三時間 待って病名 『加齢』です
□ 目覚ましの ベルはまだかと 起きて待つ
□ 起きたけど 寝るまで特に 用もなし
□ 改札を 通れず よく見りゃ 診察券
□ 誕生日 ロウソク吹いて 立ちくらみ
□ 万歩計 半分以上 探し物
□ この頃は 話しも入れ歯も かみ合わず
□ 目には蚊を 耳にはセミを 飼っている
□ 留守電に『ゆっくりしゃべれ』と どなる父
□ いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦
□ マイケルの 真似を発作と 間違われ
□ 名が出ない(あれ)(これ)(それ)で用を足す
□ 探し物 やっと探して 置き忘れ
□ 歳重ね もう食べられぬ 豆の数
LED 使い切るまで ない寿命
□ クラス会 食後は薬の 説明会
□ 立ち上がり 用事忘れて また座る
□ 無農薬 こだわりながら 薬漬
□ 妖精と 呼ばれた妻が 妖怪に
□ 眼薬を 差すのになぜか 口を開け
□ 少ないが 満額払う 散髪代
□ 景色より トイレが気になる 観光地
□ 厚化粧 笑う亭主は 薄毛症
□ カード増え 暗証番号 裏に書き
□ 妻旅行 おれは入院 ねこホテル
□ 恋かなと 思っていたら 不整脈
□ 深刻は 情報漏れより 尿の漏れ
□ へそくりの 場所を忘れて 妻に聞く
□ これ大事 あれも大事と ゴミの部屋
□ 腰よりも 口につけたい 万歩計
□ 何回も 話したはずだが『初耳だ』
□ 婆さんよ 犬への愛を 少しくれ

令和 3年 1月22日 (金)

 今の時期としては馬鹿陽気と云ふやつだろう。ストーブの要らない一日だつた。我が家の梅の木の一本に一輪だけ咲いてゐた
    最低気温 7.9℃ (05:05)、最高気温 17.3℃ (13:45)

 昨夜から雨が少し降つたやうだつた。朝時点、雨量計は全く記録が残らないくらいの少雨、昨夜燃やしっぱなしの焚き火も消えることもなく朝になつても残り火が熏つてゐた、今日も続けて焚き火をするつもりならすぐに火が点くので木をくべるところだが、今日はあまり天気がよく無ささうなので、そのままにしておいた。

 定点撮影

 久しぶりの雨で、今日は完全休養日のつもりだつたのに青空に太陽・・・・・何だ、話が違うなと、急遽、今日もまた薪作りをした。

 今日は細めの木が多かつたので、小さい方のチェンソーを使つた、このチェンソーの刃(ソーチェン)が何度目立てをしても切れないので新しい刃に交換した。短時間で切り終わつた
 
 今日で大体今回の予定の木の山は片付いた、これで一応打ち止めにするか・・・中締め・・かな。腰にもかなり疲労が溜まつてゐるのがわかる。
 
 例の野鳥、今日も木をひつくり返してゐると、大きなカブトムシの幼虫が出てきたので、見えるところに置いておいたが、デカイので、食べないかもしれないとじっと見てゐたら、その幼虫を挟んで、野鳥と小生とが一直線で睨み合う位置関係、かなり長い時間が経って、警戒したのか飛び去つた。そして、作業に戻って、随分時間が経つて、行ってみると、幼虫は無くなつてゐた、あれだけ大きいと腹一杯になつたことだらう。

 今日はなんの日、今日はカレーの日ださうだ。昔、学校給食で全国一斉にカレーを出した日を記念して設けられたさうだ。

 我が家では毎週水曜日がカレーの日で、一昨日食べたばかりだつたので、さすがに続けてとは思つたが、朝、ちよつとその話をすると、家族全員が今日もカレーでいい!と云ふ、全国一斉カレーの日、今でも学校給食で生きていゐるのかと思つて太郎の月間給食献立表を見ると、今日はカレーでは無かつた。だから、今日またカレーにした。自分で云ふのもなんだが、小生のカレーは旨いのだ、カミさんと同じルーを使つてゐながら全く違う味になる、こどもたちもさることながらカミさんすらもそのことは納得してゐる。

 そのカレールー、先日、中辛口と(大)辛口を半々で高辛口で作ったが、子どもたちはやはり、辛いから元の中辛にもどしてくれと云ふ。しかし、前回のルーがまだ残つてゐて、しかも辛口のルーは大きなパッケージだつたので、しばらくは高辛が続くぞと云つてある。
 このカレーの辛さについて、カレーに限らず、人間の感覚に関しては、比較する前の「刺激」との差は等差数列でなくて等比数列的に変化すると言はれてゐる。つまり、元のカレーの辛さに、同じ量の辛さを加えると、辛さは二倍になるが、それでは辛さの素を3つ加えると辛さが三倍になるかと云ふと、そうはならない、確か二倍の二倍の辛味を加えないと三倍にならないと云ふのではなかつたか。
 
 手のひらにオモリを乗せて、目をつむつてその重さを感じて、同じ重さを二個にすると前より重く感じるが、さらにもう一個加えても変化が分からないらしい、4個にして初めて重さの変化に気がつくと云ふ。音量にしてもそうである。
 記憶に基づいて書いてゐるので数値の扱いに間違いがあるかもしれないが、このやうな法則はウエーバーフェフィナーの法則と云ふ、小生は計算尺で対数の勉強をしてゐて知った。
 
 ウェーバー・フェヒナーの法則とは、人間の感覚量は、受ける刺激の強さの対数に比例する。

 小生のやうな貧乏人と金持ちとが手にするカネの髙も多分、このウェーバー・フェヒナーの法則が当てはまるのでは無いだろうか。
 今日はなんの日、カレーの日から、ここまで話が広がつた。


令和 3年 1月21日 (木)

 穏やかに晴れる、気温も上がる。今夜は雨になる模様。
    最低気温 -3.3℃ (06:41)、最高気温 15.3℃ (15:15)

 定点撮影  その他写真1写真2

 昨日の日記に書いた名前不明の野鳥、今日もちゃんと出現、木の中にゐた小さな虫を木片のまま、置いておくとちゃんと見つけて食べてゐる、あんな小さな虫を遠くからどうして見つけるのだろうか、不思議である。(写真1写真2

 以前は玄関先が屋外での小生のホームポジションだつたが、最近は裏の畑がさうなつてゐる。焚き火のそばに座つて、チェンソーの調整などをしてゐる、すこぶる居心地が良い。今日は目立が非常にうまくいつて、太い木も気持ち良く切ることが出来た、切れるのと切れないのとでは作業効率が天と地ほど違う。

 午前中、薪作りをして、午後から、昨日切つて置きつぱなしにしてあつたかなりの量の薪を、どうも今夜から雨の予報が出てゐるので、薪小屋に全部運んだおいた、そのなかの一部を、カミさん用に更に細かく割つておいた
 
 カミさんは太い木の塊をストーブに入れて、火の管理ができずにいつも夜中に火が消えてしまふ。最終的にそのとばっちりが小生のほうに来るので、来ないように、カミさん用に少し小ぶりの薪を作つたのだが、結局小生のためと云ふことになる。
 
 昼食後、北坂梨の龍泉寺跡を訪ねた、先年の阿蘇地方を襲つた豪雨災害で全部流失してしまつた。昔の記憶では、かなり登つたところだつたと思つたので、軽トラックで砂防ダム沿いの細い道を途切れるとことまで登つたが分からない、考えてみたら、土砂崩れがなければこんな砂防ダムなんか無かつた場所だから、昔の記憶に頼つても駄目なわけである。
 
 折り返して下つてきたところ、大きなイチョウ木の周辺が開けて、その横の方に材木が積んであるのを砂防ダムの川の向こう側に認めた。思つてゐたところよりもずつと下の方だつた。写真を見てもわかるやうに、土砂崩れは、龍泉寺を直撃したのではなくて、その横を土砂が下つて来て、寺の横で急に方向を変えたらしい、後から、龍泉寺のすぐ下の方にあるお宅で話を聞いたところ、土砂はそのお宅の少し前で方向を変えたので、自分の家は土砂の直撃を受けずに済んだといふことであつた。
 
 それで、龍泉寺を訪ねた肝心の杉材のことだが、かなり周囲が腐つてをり、使える部分が小生が必要とする太さに足りないので、増実さんに電話をして丁重に辞退する旨お伝えをしてをいた。

 晩飯 チキンカツ

 ああ、今日も目一杯働いた、体が悲鳴をあげてゐる、でも、腕も痛みは回復して今日の作業には全く支障はなかつた。


令和 3年 1月20日 (水) 大寒

 暦通りの寒い朝だつた、それも朝のうちだけで、晴れて、日中は穩やかで暖かゝつた
    最低気温 -4.4℃ (07:11)、最高気温 11.4℃ (14:57)

 定点撮影

 今日は終日薪作りをした。(切る前)  (切つたあと

 次はこの付近の木を切る予定。積年の貯蔵木がどんどん整理できてゐる、ストーブ以外に焚き火で毎日たくさん燃やしてゐるからである。

 小生が最近ずつと裏の畑で木を切つたりしてゐると、必ず、飛んでくる野鳥がゐる、そしてチェンブロックのテッペンに止まってゐる、定位置である。小生が木をひつり返したり、割つたりすると虫の幼虫が出てくるのでそれを待つてゐるやうだ。以前はジョウビタキが頻繁に飛んできてカチカチと啼いて、すぐ近くまで寄ってきてゐたが、そのジョウビタキの姿が近年少なくなつてゐる、それでも今日はジョウビタキも飛んで来た。この鳥はジョウビタキよりも少し大きな鳥だが、名前が分からない、なんと云ふ鳥だろうか。
 (写真1写真2

 日本の伝統木工道具の「せん」、ログハウスで木材削りに使うドロー・ナイフ(Drawknife)、これが欲しい。片手で木を持って片手で削るナイフよりも非常に効率がいい、昨日の斧の柄の削りだけでなく、ちょっとした木の面の削りなんかで重宝しそうだが、これがなかなか無い。例のカナディアン https://myselfreliance.com/ も使つてゐる。

 柳刃を買つてきて、刃の先にもうひとつ握り手を付けると「らしく」なりそうだが、と思ひながらネットを検索してゐると自動カンナの替刃と云ふものを使つて両端に溶接で柄を付けた記事があった、これなら出来さうだ。でもカーブが微妙に違うのだらうな。
 それから「削り馬 shaving horse」も欲しい、これも例のカナディアンが使つてゐた。

 太郎、水泳教室

 晩飯 水曜日はカレーの日。子どもたちがもつと小さな頃は、カレーは甘口だつたが、最近、中辛に昇格してゐた、それがさらにもつと辛くていいよ、と太郎が云ふので、じゃあ辛口にしやうと云つたところ、姉のほうが辛いのは苦手だと云ふので、間を取つて、中辛と辛口のルーを半分ずつにして高辛で作つた。中辛、「高辛」、大辛(辛口)と云ふわけである。


令和 3年 1月19日 (火)

 晴れ、穏やかな一日だつた。最低気温、云ふほど低くはならなかつた。
    最低気温 -2.8℃ (07:26)、最高気温 9.4℃ (15:46)

 定点撮影

 昨日、薪割り用の斧が折れたので、それが無いと商売にならないので、今日はその修理をした

 斧の柄はヒッコリーと云ふ非常に硬くて丈夫な木を使つてゐる。このヒッコリーと云へば、昔、小生が学生の頃の時代、スキーの板に使われてゐた、でもヒッコリーの板は高価だつたので、貧乏学生の小生は安いブナの合板のスキー板だつた、今ではグラスファイバーが当たり前だが、当時はようやくグラスファイバーのスキー板が出始めた頃だつた。

 今回折れて残つてゐる柄は太くてヘッドに入らないので、削らならければならず、考えてみたら、小生は、そのやうに木を削る鋭利は刃物を持ってゐない。

 それ以前に、ヘッドに折れて残った柄の先端を取り除かなければならない、これが大変だった、タガネなどを持ち出して、ようやく抜くことができた。

 木を削る刃物、ログハウスなどを作る時に使う、鎌のやうに少しカーブをしてゐて、その刃物の両側に柄がついてゐて両手でそれを引くようにして使う刃物がある、センだとか、drawknifeだとかspokeshaveなどと云ふ、それがあれば、このやうな場合に削りやすいのだが、無いので、気は心、草刈り鎌を使つて少しずつ削つて、やうやくはめ込む事ができた、半日掛かつてしまつた。それから、はめ込んだあと、柄の先端に打ち込む楔が、今までのものは特殊な形状をしてゐて、詳細不明なので、家にあつた楔を打ち込んで修理完了。  全体写真
 
 全長が今までより7センチほど短くなつたが実用には全く影響は無い、早速薪を作つておいた。
 斧のヘッドの重量は2.5キロと思つてゐたが、よく見ると3500gとあった、非常に重い斧である。
 今日の作業は以上である。

 晩飯、煮込みハンバーグ、ジャガイモの素揚げ、ニンジングラッセ、ブロッコリー、コールスロー、ポタージュ。小生はいつも煮込みハンバーグでなくて塩コショーだけのハンバーグを別に作る、太郎もそれを見て塩コショーが良いと云ふので、一個煮込みハンバーグと交換した。


令和 3年 1月18日 (月)

 今日は寒かつたなあ、特に午後から雪になると云ふ予報も出てゐて空が暗くなつて、雪がチラつき始めたので、外作業も早々に切り上げた。明朝も気温が下がるさうだ。
   最低気温 -5.2℃ (01:35)、最高気温 4.3℃ (12:02)
 
 定点撮影
 
 今日も焚き火と板取り作業の続きをする。丸太をようやく太い角材に処理した、あとは、上から必要な厚さをスライスすることになる。
 一辺が40cm弱の幅があるので、30cm幅の板は十分に取れさうだ。

 薪割り用の斧がポッキリと折れた、なんでこんな所で折れるの、この斧の頭部分は2.5キロある、重い、この重さで木を叩き割る、さう云つたタイプの斧である。日本刀でなくて、ヨーロッパ中世の騎士がぶん回す太くて長い剣のイメージである。この斧が無いと困る、柄を削つて差し込んで使えるかなあ。
 
 昼を過ぎたころから雪がチラつき始めたので、今日は作業はそこまでとして、薪を少し作った(雪はまもなくやんだ)。
 
 作業中に、北坂梨の坂梨増実さん御入来。坂梨さんからは何度かクヌギを頂戴してゐる。長老で、いま確か91歳のハズ、小生よりもお元気で矍鑠とされてゐる(カクシャクと云ふ熟語、普通、言葉として使うが、かう書くとは知らなかつた、難しい漢字だ)。
 
 で今日は何でおいでになつたのかと云ふと、北坂梨に小さなお寺だが非常に由緒のある龍泉寺がある、イヤ、あった、先年の豪雨災害で外輪の各所で土砂崩れが起こり、この龍泉寺も、納められていた我が家の前にある高城城主代々の坂梨家の位牌もなにもかも土砂に流されてしまつた(ご本尊は泥のなかから見つかつて、今、円通寺に安置してある。

 その土砂崩れの時に周囲の太い杉の木も流されて、今、何本か積んだままになつてゐて、近々処分するのでもし板を取るのに使えるようなら見に来なつせ、と云ふことだつた。
 
 先日、小生が、クヌギをもらいに行つた時に、たまたま、自宅入口の階段が腐つてをり、自作のための板を取りたいのでどこかにころがてゐる太い杉の木があつたら教えて下さいと話したことを覚えてゐてくださつたのだ。
 
 長老だけあつて増実さんは昔のことをよくご存知で、実は、増実さんは城城主だつた坂梨家の末裔にあたられ、古文書もたくさんあるとのこと、また、豆札は今は、中坂梨だが、昔は北坂梨に属してゐて(小生もそれは知つてゐたが)、今豆札にある天神社が北坂梨全体の天神社だつたそうだ、また高城八幡は鬼塚集落だけで祀つてゐて、鬼塚を除く北坂梨はかたつてゐない、その一方で山王神社は鬼塚集落はかたつてゐないなどなど、興味の尽きない話がポンポン飛び出して、ずつと焚き火のところで立ち話でいろいろなことを聞いたが、中共ウイルスが収まつたら一度じつくりと話を聞かせてくださいとお願いをしておいた。

 晩飯、・・・・ウナギ・・・実は、昨日だつたか、スーパーに行つたところ、先日やつた安売りが、一旦通常価格に戻つたあと更に少し安くして売つてゐたのだ、昨日は献立が決まつてゐたので、今日改めて、ウナギとなつた次第である。モチロン中国産だが、腹いつぱい食べて、太郎は大満足だつた。


令和 3年 1月17日(日)

 今朝は氷点下になると云ふ予報だつたので、風呂の凍結防止のために湯を残してをいたのに、氷点上だつた。ここのところ天気予報、微妙に外れてゐる。今日は風が冷たい一日だつた、明朝は氷点下7℃まで下がるさうだ、本当か?
     最低気温 -2.1℃ (但し19:08時点、明朝に向かつて降下中)、最高気温 3.5℃ (14:10)
 
 もう26年になるのか、阪神の大震災は今日だつたのか、その後も大きな地震がいくつも襲つてゐる、我々が住む大地はこの繰り返しなんだなあ。
 
 夏子、大学入学共通テストが終わつて、8時頃迎えに行つた母親とヘトヘトになつて帰つてきた、スケジュールを見ると二日間ビッシリと試験漬けだつたやうだ、それに厳重な中共ウイルス感染対策、これは疲れただろう。
 
 小生は焚き火と板取り作業をする。先日やっとのことで90°寝かせて、今日、その横側を一面切り取った。
 (写真1写真2写真3写真4
 そして、また反対方向に90°戻した。あともう一面削つて、それから本来の板取り作業に入ることになる。
 チエンブロツクは非常に便利な道具である。

 晩飯、鍋


令和 3年 1月16日(土)

 夜明け前、なんとなく何かが屋根を打つ音が・・・予報では確か晴れだつたはず、だから雨ではないな、枯れ葉でも降つてゐるのだろうか、ハテなんだろうかと思つて新聞を取りに出ると、雨ではないか、間違いなく今日は晴れと云つてゐただろう?思い違いか。
     最低気温 3.4℃ (01:48)、最高気温 10.9℃ (14:53)

 昨夜は母と姉不在で、二階の隣室で寢た太郎、昨夜どうしても観たい番組があると云つて同じ部屋に置いてあるテレビを観てゐた、何か理科の実験モノの民放の番組だつた、確か10時くらいまでの番組だ、小生は眠たいから先に寝るぞ、と云つて寢てしまつた、お父さんが寝ていて聞いていなくても太郎が寝るときには、一応オヤスミと合図してから寝ろと云つてあつたので、その声を聞いた記憶がある、ああ、間違いなくスイッチを切つて寝たなと思いながらそのまま眠りに落ちた。

 定点撮影
 今日は太郎、土曜授業の日で通常どり登校して行つた。と云ふことは小生も旗振りで出場した。
 太郎たち4年生はもう少し先に予定されてゐる牧野での野焼き体験実習の準備だとかで、学校から国立阿蘇青少年交流の家に出掛けて、火消し棒などを作つて午前中で終わつて帰つてきた。
 
 夏子は今日は大学入学共通テストの第一日目だつた、首尾はどうだつたろう、実力発揮できたろうか、勝敗は時の運だ、人事をつくして、人生なるやうにかならないのだ。小生の時の試験の思い出、受験会場の記憶、もう全く残つてゐない。

 ただ、昔は今と違つて、受験に親なんかが付いてくることは無かつた、小生は当時北九州に住んでゐて、受験時は、一人で上京して親戚がとつてくれた宿に投宿して一人で受験した、それが当たり前の時代だつた、単独行ができる喜びもあつた。今のやうに入学式や卒業式なども親が出ることは基本的には無かつた、変われば変わるものである。
 
 当時、小生が上京して、一番驚いたことは、東京駅で何本もの線路に次々に長い編成の電車が走つてゐることで、いまだにその時の驚きは忘れない、田舎では、鉄道に乗る時には一日何本かしか走つてゐない鉄道に事前に時刻表で確認して乗つた時代だつたから、時刻表を見なくてもホームに立つて待つてゐるだけですぐ電車が入つてくるのはこれは驚異的なことであつた。その鉄道のダイヤ編成は今でも当時とあまり変わらない、イヤここのやうに場所によつては逆にもつと悪くなつてさえゐる。

 そしてあの時、山手線で目的駅と反対方向の電車に乗つてかなり走つてからオカシイと気がついて、あとから考えるともう少し乗つてをれば逆回りでも駅に着いたのにわざわざ途中で降りて反対方向の電車に乗り換えた。それも、そんなこと誰も知るわけがないのに、なんとなくみんながそれを識つてゐて笑われるといけないと思つて、無表情に何気ない風を装つて乗り換えたことを今でも覚えてゐる。

 太郎が今日行つた青少年交流の家の周辺の牧野には牛が放牧してある。聞く所によると、世界中の牛は、ふつう南北方向に向いて立つてゐるさうだ、体内磁石があるとか、それは分かるが、それでどうして南北でなくてはいけないのだろうか、東西でも良ささうなものを方位磁針に従うのだろうか、頭はどつち方向、とまで決まつてゐるのだろうか。

 ところで、方位の話しだが、鬼には角があつて黄色と黒のシマシマパンツを穿いてゐると昔から相場が決まつてゐるが、それは方位の「鬼門」は(うしとら)、つまり北東の方角で、丑と寅の間にあるので、牛の角と虎の縞模様を借りて作られたと云ふが本当だろうか。

 「瓜にツメあり、爪にツメ無し」と云ふ、この伝で、「ヨシ(良)に角あり、ウシ((うしとら))に角なし」、どこかにあるかなと思つてネット検索をかけたが、見当たらない、と云ふことは小生が元祖か、嚆矢か?

 晩飯、オムライス(本当はウナギにするつもりだつたが、高かつたので、誕生日まで待てと云つて予定変更、実は数日前に安売りで普段の半値とまでは行かないが、それでも驚くほど安い日があつた、それがもう通常価格に戻つてゐて、あまりにもその値段の差が大きくて、通常価格が馬鹿馬鹿しくなつてやめたのだ、安売りがなければ買つてゐただろう)
 
 今日は一日焚き火にあたつてとりとめもなく過ごした。


令和 3年 1月15日(金)

 晴れ。この時期珍しく朝雲海が出る。一日穏やかに晴れる、暖かかった。
    最低気温 -2.9℃ (07:27)、最高気温 13.7℃ (14:21)

 定点撮影  五里霧中、子どもたちがすぐ近くまでやって来るまで全く見えなかつた。
 
 今日も裏の畑で板を取る作業をした。と云つても今日は直接木材は切る作業はしなかつて、チェンソーで側面を真つすぐに挽くためのガイドの延長加工をした、今までのガイド木材がちよつと短いので、木をダボで継いて長くしたのだ。

 埋没材を掘り起こしていたら、また、板が取れさうな太い木材が出てきた、この木材もあまり腐れが入つてゐない感じだ、長さは十分だなと思つては計つたら残念ながら2m無かつた、もともと軽トラックで運んでくる時は、荷台に収まる長さで切つて持つて来るので、大体180センチくらいしかない、軽トラックの荷台の奥行きは、畳が置ける長さだと聞いているので、大体そんなものだろう。

 今まで切り取った木材の側面を薪にすべく適当に切断しておいた。今日の作業はそんなところだ。

 明日から二日間、大学入学共通テストがある、従来のセンター試験から仕組みが変わつた最初の試験のやうで、小生はどう違うのか全く知らない。熊本県では、五つの大学が試験会場になつてゐて、夏子の学校は全員(と云つても10名程度だが)志望校とは関係なく熊本大学で受けるそうである。今の大学受験制度(センター試験も共通テストも)、小生の頃には無かつたので、どう云ふ仕組みなのか今以つて全く知らない、今回受ける共通テストと志望校との関係はどうなるのだろう、帰つてきてから訊いてみやう。
 
 夏子は今日は昼までで学校が終わるので、それに合わせてカミさんが迎えに行つて、そのまま熊本に発つて行つた、今日試験会場の下見に行つて、そのまま今夜は熊本のどこだつたか、明日と合わせて二泊するさうである。カミさんの準備の様子を見ていると、まるで海外旅行にでも出かけるのかと云ふほどの大荷物を車に積み込んでゐた。海外旅行とまで云わなくてもまあ家を離れてある種旅行気分なのだらう。

 今晩から二夜、太郎と小生二人である。太郎は全く平気である。いつもどおり二人が留守の階下で一人で寝ると云つてゐたが、小生が気になつて仕方がないので上で寝ろと云つて隣の部屋で寝させた。二人だけと云ふのは今回が初めてかと思つたら以前にもあつたさうだ、小生が覚えてゐないと云ふことは相当昔で、と云ふことは太郎は今よりずつと幼いころのことだ。

 晩飯、太郎が好きな「とろろ汁」を作つた。風呂は太郎一人では勿体無いので今夜は小生も温泉に行かずに家の風呂で済ませた。


令和 3年 1月14日(木)
 
 晴れ。穏やかな暖かい一日だつた。
    最低気温 -0.2℃ (02:16)、最高気温 13.3℃ (15:42)

 定点撮影
 
 熊本県独自で非常事態宣言が出された、これより先、国の非常事態宣言を熊本にも、という声があつたが、知事は、県単独でやつても効果は薄い、やるなら周辺の県と同調してやると云つてゐた矢先、福岡県にさつさと非常事態宣言が発せられて、周辺県一緒にと思つてゐた県はハシゴを外された形になつた、それで、単独発出になつたのだろう。

 非常事態宣言が出されやうと出されまいと、極力人の移動を押さえる、中共ウイルスの蔓延を抑えるのにはこれに尽きる、今の所。
 今、自分で移動しようとする人間、それが移動して良いことなのか、よくないことなのか、いちいち宣言に頼らずにそんなことは自分で考えろ、自分のことだろう。感染と蔓延はタイムラグがあるから、感染者が出ていない時点で行動を制限すると、必ず、文句が出る、マスコミも先頭を切つて文句を云ふ。反対に蔓延してしてから制限をすると遅すぎるとなる。為政者も右顧左眄せずに、もつと腹を括つて、フラフラせずに自分の信念を貫け政治生命をかけてかかれ。

 夜間の飲食店を閉じると云ふのも間違つてゐる、昼間だつたらウイルスは感染しないのか。それに会食すると感染するのか。単独でも店に入れば沢山の人が食べている、個人客の集合は会食と同じではないか、要は、飯を食いながら大声を出して話をするな、ということなのだ、それさえしなければ夜間に店を開いてゐても問題はないのだ、実際昼間そうしてゐるのだから。結局、夜は駄目だと云ふのは昼間は集まつて酒を飲むことは少ないが、夜になつて集まつて飯を食うと必ず酒が入る、酒が入るとどうしても大声になつてしまふ、ここだ、ポイントは。結論中の結論は、中共ウイルスの蔓延の最大の原因は、「集まつて酒を飲む(飲めば騒ぐ)」この一言に尽きる。

 外で酒を飲む時は、黙つて飲め、それが嫌なら、それが出来ないのなら、家で飲め。本当に酒が好きならどこで飲んでも同じだろう、イヤ違う、と云ふのは酒の味を知らないだけで、ただ雰囲気が好きなだけだろう、そんなヤツは酒なんか飲むな、今しばらくは。
 
 夜の飲食街そのものがウイルスの発生源ではない、自制が出来ない然う云ったバカな酒飲みのせいだ(バカな酒飲みであつて、酒飲みがバカとは云つてゐないぞ)、飲食店こそいい迷惑なのだ、寺さんどう思ふ?

 穏やかな日差しのなか、心配してゐたハチの様子をチェックした。二基とも大丈夫だつた、特に二号基は厳寒時に箱を叩いても一匹もでてこなかつたので、もしかしたら全滅したのかと心配だつた、このウトは母親女王バチの方の巣なので、母女王蜂がもう何年生きてゐるのか分らなつたので、もしかしたら厳しい寒さに耐えれらなかつたのではと心配してゐたのだ。今日は陽だまりのなか、両基とも元気にハチが出入りをして日向ぼっこをしてゐた。見ていると、死んだハチを仲間のハチが、巣の外に運び出して、草むらの中に落としてゐた。ハチ子をそうやつて運ぶのは見たことがあるが、自分と同じ大きさのハチを一生懸命に運ぶのを見たのは初めてだ。(写真1写真2
 
 板を取るための材木、今日は昨日切った面を上に持ってくるために、90°横転させた、これがとにかく大変だつた。このくらい太い木になると、テコで動かそうとしても少し傾いたあと、文字通り「テコでも動かなかつた」。そして最後に思いついた。今までチェンブロックを垂直方向に吊ったり降ろしたりしてゐたが、そして、まっすぐ上げ下げするのが正しい操作だが、これをあえてまっすぐ上がらないように、ベルトを不均等にして吊り上げたらと思つて、ベルトの長さを均等にせずに吊つたらいとも簡単に横転した。この方法を思いつくまでに、今日一日のエネルギーの全部を使い果たしたので、今日は午前中で作業は終了した。
 
 これから先、この方向に、側面を切り落とす予定である。
 
 今日も、埋れ木を掘り出しては、焚き火をした。この冬で、相当量埋没して腐りかけていた木材をほとんど燃やすことが出来るかもしれない。
 
 晩飯。トンカツとポテトサラダ、しじみの味噌汁。今週末、夏子の大学共通テストが控えてゐて、トンカツを食べてカツ!お父さん験担ぎにトンカツを作って!それも胃に負担がかからないやうに重くないほうがいい、とのたまうので、ハイハイ、そうしませう、と今晩はいつものロースでなくて、ヒレカツを揚げてやつた。是非勝つてください。
(小生、トンカツと云へば、ロース専門だが、ヒレも旨いなあ、でも、ヒレカツと胸肉チキンカツと同じやうなものだな)


令和 3年 1月13日(水)

 穏やかに晴れる。(写真1写真2写真3写真4写真5
  最低気温 -2.9℃ (00:03)、最高気温 7.7℃ (13:06)
 
 定点撮影  冬至から20日くらすぎて大分夜明けが早くなつてきた感じがする。
写真1写真2写真3

 中共ウイルス、非常事態宣言の範囲を関西や福岡等に広げるさうだが、これに対して、遅すぎるのどうのとまたぞろ、野党やマスコミなどが騒いでゐる、出さなければ出さないで、出したら出したで、批判をする。この問題に「正解」なんか無いのだ。ラジオを聞いてゐても、街頭録音で市民の声を伝えてゐるが、放送局の方針に沿った意見を流すので、批判ばかりである。野党は政権批判が商売だから常に政府方針とは逆のことを云ふ、聞いてゐて不愉快だが、まあ、これは仕方がないが、マスコミはつくづく「クソ」である

 今日も、焚き火をしながら、板を取る作業をした。

 板を取ろうとしてゐる木材が太すぎるので、製材装置が入る程度に腐つてゐる木の外側を少し切り取る作業をした。22インチバーのチエンソーを目一杯縦に突つ込んでも先端が下から出ないほど太いので、側を削るのが大変だつたが、とりあえず一面は削ることが出来た、ただ、アタツチメントのガイド(レール)にするツーバイ材が切ろうとする木材より短いのでガイドしきれず、最後の方はかなりいびつになつてしまつた。今日の切断は縦挽きだから、先日買つた縦挽き用のソーチェンを使うところだが、側面の切断で、ちよつ勿体無いので、横挽き用のソーチェンで挽いた。値段が倍近く高いからである。
 (写真1写真2写真3写真4写真5
 
 (以下、縦挽き用ソーチェンの説明)
 先日、CHINA製のチェンソーHG-K5200に装備されてゐる20インチバーを22インチバーに交換してソーチエンもそれに合わせて21BP-86Eに交換した。

 実は一般的に、チエンソーの刃(ソーチエン)は、木材を横方向に、つまり玉切りするやうに作られてゐる。そのソーチエンを使つて木材を縦に切るのには刃の形状があまり相応しくないのである。普通のノコギリは、片側に横挽き用の刃、もう一方に縦挽き用がついてゐて、板を切るときにはノコギリの刃をそれに応じて使い分ける。

 チェンソーの場合も、刃に縦挽き用のものがあつて、それを使うと、縦に切る場合に切断面が美しくてまた切断効率が良い。普通縦に挽くことはあまりないが、丸太から板などを取る場合に縦挽きソーチェンは有効である。

 小生のHG-K5200の、交換した22インチバーの場合は、普通の横引き用の刃は21BP-86Eを使うが、縦挽き用の刃は(この文はOREGONを前提に書いてゐるが)21R-86Eと云ふ刃になる。ところが、縦挽き用の刃で86駒と云ふ刃がどこにも売つてゐない、多分、需要がそれだけ無いのだらう。そこで、店に、84駒か88駒のソーチェンからドライブリンクを2駒プラス・マイナスして注文に応じてくれるかと照会したら、やつてくれると云ふことなので、21R-86Eと云ふ縦挽き用のソーチェンを入手することが出来た。


 今日の作業のあと今度は 90°ひっくり返して、もう一面の側面を削る予定である。 

 ここのところ、右上腕が痛くて、一時、チエンソーのリコイルを引くのさえ痛くて引けなかつたが、今日はチェンソーのリコイルを引つ張るのに痛さは感じなかつた、湿布だけで大分良くなつてきてゐる、医者に行かずに自力回復が出来さうだ、まだ復元力は残つてゐる。

 太郎、水泳教室
 
 水曜日はカレーの日


令和 3年 1月12日(火)

 朝起きると、2センチほどの積雪があつた、気象庁の予報とはかなり違つた、太平洋岸にも積雪が、と云ふ予報も大方空振りだつた。
 (写真1写真2写真3
      最低気温 -0.2℃ (但し19:02時点)、最高気温 2.4℃ (11:31)

 それでも、姉の方は6時前に早々と午前中は自宅待機のメールが入る、太郎の小学校、6時半ちかくになってようやくメールが入る、しかも、本日は平常どおりの登校と云ふ。太郎は姉の高校に倣つて期待をしてゐたやうだが、ガツカリしてゐた。姉の方は、その後、一日、臨時休校なつた。高校ともなると小学校と違つて校区が広いので、この付近で大したこと無くても、通学が無理な地域もあるのだろう。

 定点撮影  
 今日の小学校の登校は、久しぶりの雪で保護者が心配したのだろう、徒歩通学は太郎だけだつた。
 (写真1写真2
 太郎のヤツ、小生に雪玉を投げつけて行きやがつた

 中身は全く知らないから、様子からなんとなく勝手に想像して書いてゐるのだが、もうだいぶん前になる、一時、夏子が、「ちはやふる」と云ふ漫画にはまつてゐたことがある、これは百人一首を題材にした青春マンガで、どこかの高校あたりのカルタ部が舞台の話しだつたと思ふ、映画にもなつて夏子たちは観に行つてゐる。
 
 その漫画シリーズが家の本棚にあつて、最近太郎が、それを、熱心に読んでをり、各巻ごとに紹介されてゐる有名な百人一首を大きな声を出して読んでゐる。
 
 ところが太郎のやつはまだ、意味もなにもわからないので、時々、べんけいがな、ぎなたをもつて、と云ふ、いわゆる「ぎなた読み」をするので小生はニヤニヤしながら聞いてゐる。
 
 それでも、百人一首に興味を覚えたらしくて、母親や姉を引つ張り込んで実際にカルタをして楽しんでゐる。
 
 一方、小生、同じ百人一首でも和文モールスで百人一首を、と云ふアプリを見つけてきて、それで受信練習をしてゐる。少し前までは、和文モールスの練習方法は、非常に限られてゐて、昔のカセットテープを見つけ出してきて、それを聞いて覚えるくらいしか方法が無かつたが、今では、いろいろな人がいろいろなアプリを作つてくれてをり、わずかここ一二年のことだが、和文モールスに非常に取つきやすくなつてゐる。
 https://ditdah.jp/ditdah-waka/  モールス練習帳 百人一首編
 作者  https://twitter.com/ji1jdi
 その他作者作成 モールス練習帳いろいろ  https://ditdah.jp/ditdah-apps/

 今日は完全休養日、本を読んで過ごした。

 晩飯、八宝菜、アサリの味噌汁


令和 3年 1月11日(月) 成人の日

 当市の成人式は確か昨日だつたはずで、それも、中共ウイルスのせいで(期日未定の)延期になつた。この日を楽しみにしてゐた新成人・・・でなくて首長は一生懸命に練習した(であろう)パフォーマンスが披露できずにガッカリだろう。

 時々薄日がさす穏やかな一日だつた。当市の明日の天気予報は「雪」だそうだ、いままでの「時々雪」でなくて「雪」と断定してゐるので、今夜は間違いなく降るだらう。
    最低気温 -4.1℃ (03:22)、最高気温 4.3℃ (12:30)

 途中、大学ラグビーの決勝戦の時間は中断にして、今日も一日、少し雪が残るなか、朝早くから焚き火と薪作りをした。今日は昼食時、家族まで外に出てきて、焚き火を囲んで食べた。今日は鏡開きだつたので、オヤツの時間にも焚き火のところで、お汁粉を食べた。
 
 腐りかけた木の他に、細い薪材もどんどん燃やしてゐたら、カミさんが、細い木はストーブに使いたいから、燃やさないで切つて欲しいと云ふので、今日はずつと細目の薪を作つた。云はれなければ、細い木はそのうちに全部焚き火で燃やしてしただろう。
 
 小生は薪材を貰いに行くところから始まつて、重い薪材を積み込んで、運んで来て、薪を作つて、ストーブにくべて、火の管理をして、灰を捨てゝ、薪の燃え具合をチェックして、と一切合切を小生一人がしてゐる(ストーブの掃除、煙突掃除もあつた)、まるで家族はセントラルヒーティングのように当たり前に暖房の恩恵を浴してゐる、後期高齢者を少しは大事にしろと云つたので、最近はカミさんが結構、薪を運んできて、ストーブの管理を少し始めた。
 
 カミさんは経験不足なので連続して火を燃やし続けるテクニックが少し劣る、特に夜間、朝まで燃やし続けさせることが出来ず、朝になつて夜中に消えたストーブに点火するのに細い薪を必要とする、だから、細い薪を作つてくれろとリクエストがあつたのである、電動チェンソーで一山、薪にした、カミさんと太郎とで薪小屋に運び込んでゐた。
 
 小生はシーズン中は途切れること無く燃やし続けるので、「焚きつけ」は要らないので太い薪ばかりを作つてゐて、細い薪はあまり無い。もらつてくる薪材も太いものだけでいいのだが、小生が欲しい太い木だけ、と云ふのも自分勝手なので、少し細い木ももらつてきて、結局、積んだまま腐らせてしまふことが多い。
 
 大学ラグビー決勝戦、中共ウイルスでどうなるか心配だつたが、国立競技場で予定通り開催されてホッとした。テンポの早い気持ちのいい試合だつた、天理のほうが観ていて確かに勢いがあつた。
 
 板を取ろうとしてゐる太い木材、どう料理しようかと悩む、太すぎてチエンソーを使つた製材装置に入れきれない、墨書きした範囲でも一辺が40センチある


令和 3年 1月10日(日)

 晴れ。
   最低気温 -6.0℃ (07:47)、最高気温 0.3℃ (15:50)

 今日も日がな一日焚き火にあたつて過ごした。ここのところ右の上腕部が痛い、最近、続けて重いものを持つたり、ハンマーを振り回したりして、筋だか筋肉を痛めたようだ。以前膝痛で貰つた湿布を貼つたが治らなければまた整形外科に行つて注射でも打つてもらおう。昔、前腕部を同じやうに痛めたことがあつたが、今回は上腕部だ。

 北国では大雪が降つてゐるらしい、そんななかまた北陸道などでたくさんの車が立ち往生だと。分つてゐてどうして入るのだろうね、どうして入れるのだろうね、入れるから入るのだろうね、入れるほうが悪いね、そしてまた自衛隊頼みか?JAFじゃないぞ、学習をしないのか、〇〇は経験に学び〇〇は歴史に学ぶ・・・・・オイ!日本道路公団!と今は云はないのか、おい!NEXCO!自衛隊の出動費は税金なんだから、ちやんと費用払えよ。


令和 3年 1月 9日(土)

 昨夜は全く降ってゐない(多分)、夜が明けると地面が完全に乾いたままだつた。九州北部、この場合は、玄界灘沿岸地域、つまり福岡や佐賀県などを指して云ってゐるのだが、云っていたほどの雪が降ったのだろうか、おそらくそんなに降つてはいないだらう。このような場合も熊本県を九州北部にひと括りにするのは実態に合つてゐないのだ、熊本県や大分県は九州中部として分けるべきだといつも思つてゐる。
 ただ、気温は下がつた、深夜、氷点下10℃近くまで下がった。日中も気温が上がらず真冬日だつた。
    最低気温 -9.4℃ (00:07)、最高気温 -1.9℃ (12:56)

 昨日の熊本県の中共ウイルスの感染者、一日で90人に達したが、多すぎて内訳発表が間に合わなかつた?その内訳が強の熊本県のサイトに載つてゐたが、阿蘇市でもまた二人感染者が出てゐた。どこの住人だかわからないし、分かつたとしても、どういう経路で感染が広がるのかもわからないので、まあ、感染する、しないは交通事故のやうなものだ、我が家が感染してゐないのは、単に「たまたま」なだけだ。
 
 感染は直接咳などで伝染るよりも、ウイルスが付着してゐる手を経て口から入る場合が多いそうで、「咳」の飛沫はある程度分かるが、手にはいつどこで付着するか全く分からない。知らずにウイルスが付着した物を手で触れてそれで口を触つたすることは可能性としては非常に大である、直接にと云ふよりこの方が確率的には高いと思う、だから、とにかく手洗い、アルコール消毒をするのが感染防止に大いに役に立つ、外から帰つた時は必ず手洗い、あるいはアルコール消毒をする、これがマスクをするより有効だと云ふ気がする。
 
 中共ウイルスはノロウイルスなどと違つて、エンベロープウイルスと云ふらしい。エンベロープとは「封筒」と云ふ意味で、ウイルスが「封筒」、つまりある種の膜に覆われゐて保護されてゐるが、この膜はアルコールで破壊することが出来るから、アルコール消毒は非常に有効なのださうだ。

 今年はインフルエンザの流行が非常に少ない、インフルエンザウイルスもエンベロープウイルスなので、アルコール消毒には弱い、だから、マスクで、と云ふよりは、中共ウイルス対策のアルコール消毒がインフルエンザウイルスの蔓延を抑えてゐるのである、というのは小生の説、風師庵説である、縮めると、風説になる、オイオイ「風説」か、でも多分間違い無いだろう。

 それから、中共ウイルスの感染対策にマスク着用ばかり云つてゐるが、足の裏に付いたウイルスに対する予防対策をほとんど聞かない。小生が通つている温泉もさうだが、靴を脱いで靴下でロビーを歩き、脱衣して、入浴後また靴下を履いて帰つてくる、もし誰かが運んだウイルスが残ってゐて、靴下の裏、足の裏にそのウイルスが付着したまま帰つてきたら、いくらマスクをしてゐたからと云つてそれは無駄になる。靴を脱いで上がる公共施設は多分マスクや手の消毒はうるさく云ふが、足元に関しては無対策なのではないだろうか。
 
 靴を脱いでと書いたが、脱がなくても靴底にはウイルスは付着する、そのまま帰宅すると、玄関からウイルスが空気中に漂うことになる。徹底するなら、嘗て口蹄疫が流行つた時、畜舎に出入りする車のシャーシやタイヤまで消毒した、そして今また、鳥インフルエンザが流行つてゐるが、これもおそらく同じだろう。中共ウイルス対策も、徹底するなら、皆が出入りするビルや公共施設、そして各家の玄関先に踏んで靴を消毒するマットなんかを置かなければ、師曰わく「頭隠して尻隠さず」になる。
 熊本県 本日感染者 82名 うち阿蘇市 0

 中共ウイルスの警戒レベルは何段階に分かれてゐるのかどうもよく分からない、最高は4なのか5なのか、どうもハツキリしない。ガンの場合、数年前に小生、大腸がんを手術した時の話しのなかで、小生がステージ5とは、と云つたら、ガンの場合はステージ4までで、5はありませんと云はれた記憶がある(小生は1だつたが)。0から始まつて5段階で最高が4と云ふことだった。中共ウイルスは今4だ4だと騒いでゐるが、これが最高位なのだろか、熊本県なんか5という段階があるやうだが、レベル設定は国や県などいろいろあるのだらうか。イヤイヤ調べてゐたら6と云ふのも出てきたぞ、地震の場合は7が最高だつたな、確か。地震の場合は0から始つて途中に二つほど「弱」と「強」を織り交ぜて最高7の10段階だつた。

 今日は雪が少し残る裏の畑で焚き火をした(法的には家庭でするちょつとした焚き火は違法にはあたらないらしい)、長い間土に埋もれ、半ば腐つてゐるが燃える。ただ一気に燃えず、燃えやすい木の火が湿つた木を乾かして、今まで燃えてゐた木が燃え尽きるころ、燃え移つてといふ具合に燃えるのでジワジワ燃えて、暖を取るのには困らない。昼飯も、出前してくれ、と云つて太郎に持つて来させて、焚き火に当たりながら食べた。そのうちにまた雪がチラつき始めたので外作業は終えて撤収したが、ハテ、外作業、何をしたのだつたらう、ただ、焚き火をして当たつてゐただけだつたか。
 
 太郎は小雪舞う寒い中、長時間テニスの壁打ちをしてゐた
 

 
令和 3年 1月 8日(金)

 今朝の阿蘇山 写真1写真2
 松が取れた。と云つても我が家では元々門松は立てないし、最近は門口に松飾りもぶら下げてゐない。鏡開きは11日だつたか、それまで鏡餅は飾りつぱなしで良いのか、あるいは松が取れるのと同時にどこかに仕舞つてをいて11日になつて改めて取り出して汁粉にするのか、昔から疑問に思つてをりながら、毎年適当に流してゐる。

 早朝、まだ暗い時に、新聞を取りに外に出たところ、センサーライトに照らされて薄く積もつた雪がところどころキラキラ光つてゐた。これが、太陽が出てゐる時に降つて来る雪がキラキラ輝くダイヤモンドダストと同じやうなものだらう、今朝の気温が氷点下8度を下回つてゐたがこのくらい外気温がさがるとダイヤモンドダストが見られる。低温と太陽とチラチラ降る雪と三拍子揃わないと見られない。低温であつても、太陽が出てゐて雪がチラチラ降ると云ふ二律背反的な条件がなかなか難しい。

 昨夜は雪はほとんど降らなかつたが、今朝は昨日以上に冷え込んだ。しかし、風がなくキリリとした冷え込みだつたので寒さは感じなかつた。日中も0℃を越えず、真冬日だつた。今夜また大雪が降ると云つてゐるが、熊本には警報は出てゐない、熊本より北の方が大雪になるらしい。
    最低気温 -8.3℃ (07:33)、最高気温 -1.6℃ (14:36)
 
 定点観測 昨日と同じやうに太郎の他に一つの班が、それから、別の班のU太君がいつも自転車の中学生の姉と歩いて登校して行つた。(その他写真

 昨夕、夏子がちよつと熱つぽいと云つて検温したところ37℃くらいあつたので、すぐに寝させて、一眠りしてから測つたところ、平熱に戻つてゐて、なんだ、寝たいからだつたのだろうと笑い話で済んだ。その後も全く平常どおりで今朝も平熱だつたので、一安心をした、共通テストを控えて昨日はちよつとヒヤリとした。

 然う云へば、今年は「どんどや」はやるのかなあ、坂梨の新春駅伝大会はどうなんだろう、初寄りなどが中止なつてそのあたりの情報が全く入つて来ない。今は中共ウイルスでなんでも中止だから、多分、それらも、今年は中止なのだろう。

 中共ウイルス、熊本県での一日の感染者が90人になつたさうだ、今までで一番多いさうだ、いつも夕方には詳細が発表されるが、7時時点ではまだ詳細が発表されてゐない、阿蘇市がどうかも分からない、まとめきれないのだらう。

 気温が低い日が続いてゐるのでハチの様子を見てみたところ、床にたくさんのハチが死んでゐる。ミツバチは越冬する時は、総数を減らす(或は減る)と云ふことを聞いているのでそのせいだと思う、エサのミツの備蓄無くなつて餓え死にしたのだらうかと思つたが、今回の採蜜は上の方を一段削つただけだから、無くなることは無いと思ふが、もしそうなら申し訳が無いので、今日、砂糖水を入れてをいた。箱を叩くと一号基からは数匹飛び出して来たので、居ることは確認できたが、ニ号基からは出てこなかつた、叩き方が短かつたのかもしれない、数日前までは双方とも天気の良い日には元気に出入りをしてゐた、こんど外で日向ボッコをする天気のいい日にでもまた確かめてみやう。
 
 一号基(娘) 写真1写真2写真3
 二号基(母) 写真1写真2写真3

 昼過ぎに、晩飯の材料を買いに出たところ、小生が毎朝立つてゐる橋のところから少し学校よりの農道に数台の軽トラックが停まつてゐる、へえ、この季節に区役(草刈り)かあ、と思つて、人が集まってゐるところを見やると、足元になにか獣のやうなものが橫たわつてゐる、ずんぐりしてゐて、クマではないか、イヤ、九州にはクマは居ない(ことになつてゐる)、どうも、イノシシらしい、イノシシにしては随分と大きくてズングリしてゐたが、イノシシだつた、駆除されたのだ。(写真1写真2写真3

 然う云えば、数日前に小学校からのメールで、丁度同じ付近で、イノシシの目撃情報があつたので気をつけるやうにという連絡が入つてゐた、そのイノシシだろうか、山(外輪)から往復するにはちよつ距離がある、通い慣れた道と云ふよりは、先日目撃された時からずつとこの付近に潜んでいたのかも知れない。我が家の庭先にも、また、カミさんが仕事から帰つて来るちよつと遅い時間でも我が家付近にはイノシシは現れる、今回のイノシシ、なんと要領の悪いイノシシであることか、「イノシシもノコノコ出ずば撃たれまいに」、である。

 晩飯。ハヤシライス。深みのある味とは云へないのでどちらかと云ふと小生はあまり積極的には作らないが、夏子が食べたいと云ふし、一番簡単に作れるので最近作りたいものが思いつかないのでそれにした。
 今日もくまもとのイチゴ「ゆうべに」が安かつたのでデザートにした、一箱299円である。


令和 3年 1月 7日(木) 人日

 気象庁がまた、大雪の警戒をさかんに呼びかけてゐるが、同じ嵐でも、夏の台風の時と違つて、日本海で発生する冬場の低気圧は、こちらには少しは雪が降るものの、全くと云つて良いほど影響を受けないので心安らかでゐられる。北国は風の強さは台風並みで、それに雪が加わるから大変だらう。
 
 朝起きると屋外は雪で薄つすらと白くなつてゐた、子供たちが登校するころに結構降ってゐたが、それもまもなくやんで、思つたとおりであつた。
    最低気温 -5.7℃ (但し18:21現在、驚くほど降下中)、最高気温 0.1℃ (06:50)、
 
 定点撮影
 今日は雪が横殴りに降ってゐたので、子供たちは歩いて来ないだらうと思つてゐたら、太郎の他に、もう一班が雪のなかを登校してゐった。(写真1写真2写真3) 

 中共ウイルスの東京の感染者数が一気に2,000人を超えたさうだ、予想したやうに指数関数的に増えてゐる、東京にゐないから実感できないが、こう急増してくると流石に東京圏に住む人間も恐怖心が増してくるのでは無いだらうか。今日阿蘇市でもまた二人新たに発生した、また、県のレポートを見てゐると大都市圏からの帰省客から感染してゐる例がいくつかある。

 そんななか、東京圏で政府の中共ウイルスに対する二度目の非常事態宣言が出された、小生自身は渦中に住んでおらず、夜遊びもしないし、飲食を伴う会合に出ることも、外出も旅行もしないし、己自身にはあまり関係が無いことなので、宣言の内容の前回と今回の違いはよく知らない、ただ、今回は学校教育現場などには適用せずに一斉休校はしない、また来週に迫つてゐるセンター試験から名を変えた大学共通テストなども予定通り実施されるやうである、イベントなど一度中止したらそれで終わるものと、仮に一度中止しても、その先どこかで必ずその穴埋めをいつかやらなければならないものとの違いでは無いだらうか、それに何より、繁華街の人出を減らすことが主眼だろう。夏子は来週共通テストを受けるので気にはなつてゐることだろう。
 
 でもどうして人間と云ふものは、強制されなければやらないのかね、もっと自発的に行動出来ないものなのかねえ。

 姉の夏子の方、昨日今日の二日連続で模試だったのだが、昨日の予報で明日は(つまり今日は)大雪になるかも知れないと云ふので二日かけて行う試験を昨日時間延長して一日で終わらせたのだが、結果大雪が降らず無駄な配慮に終わつた、オマケに、明日が三学期の始業式の予定だつたのだが、それまでも週明けに延期になつてしまつた、成人の日と続くので四連休ではないか、高校ともなると義務教育では無いからかかなり鷹揚なものである。

 晩飯、七草がゆに因んで野菜たくさん入れて味噌仕立ての餅雑炊、毎年我が家のこの日はこれだ。
 
 今日の我が家の七草は、サトイモ、ニンジン、ネギ、ダイコン、マイタケ、ゴボウ、ハクサイの七種類。
 せり、なずな、ごぎよう、はこべら・・・・・・の春の七草のうち、合致するのはスズシロ、即ち大根だけだ。因みに、スズシロは「蘿蔔」と書く、坂梨村是にも大根と云ふ漢字は使わずに「蘿蔔」で載つてゐる、これを漢読みすると「ラフ」と云ふ(平成31年1月7日日記参)。


令和 3年 1月 6日(水)

 終日どんよりとした曇り空、風もあつて気温は低くなかつたが寒い一日だつた、今晩から明日にかけて日本海側、大雪になると予報が出てゐて、九州にも降ると云つてゐるが、これはまあ。
    最低気温 -0.6℃ (但し17:54時点、明朝に向けて降下中)、最高気温 2.4℃ (14:55)

 太郎は今日から三学期が始まつた、短い冬休みだつた。夏子はまだ冬休みだが、今日も模試だと云つて登校して行つたので日中小生独りと云ふのは久しぶりである。まだ松の内だが、最近は全くそのやうな気分にはならない。

 久しぶりに今日から見守り隊出場。
 定点撮影。  その他写真

 今日は気温は低くないのに、風があつていかにも寒そうで外作業を躊躇させる雰囲気だつたので、今日は何もしなかつた。

 太郎、久しぶりに水泳教室
 晩飯、水曜日はカレーの日。これも久しぶりだつたのでなんだか新鮮に感じた。
 くまもとの「ゆうべに」と云ふイチゴの品種、とにかくデカイ、それに甘い。

 中共ウイルス、全国的には今日一日の感染者数が5,000人を越えたと云つてゐる、大都市圏ほどでは無いが熊本県も毎日たくさんの感染者が出てゐる、その中にあつて阿蘇市はここのところずつと感染者は出てゐなかつたが、今日の発表で二人陽性が確認されたさうだ、ただ、熊本県と熊本市との縄張りの関係があつてのことだらう、その内訳が非常に分かりにくい。


令和 3年 1月 5日(火)

 曇り
    最低気温 1.2℃ (00:13)、最高気温 6.9℃ (14:34)

 今日は姉も弟も休みで家にゐた。太郎は明日から学校が始まるさうだ。と云ふことは小生の見守り隊も始動か。

 小生が持つてゐる大型のチェンソーはCHINA製のHAIGE社のHG-K5200と云ふチェンソーである。通常は22Kくらいするが、何かの安売りで一年ほど前に17Kくらいで買つた。これがいはゆるメーカー製ともなるとこの何倍もする、最初は不安だつたし、ちよつと不具合などもあつたが、全くメーカー品と遜色ない働きをしてゐる。

 エンジンが50cc以上あつて、バーの長さが20インチ(50cm)ある、非常に力強く太い木が気持ちよく切れる、小生は大満足である。

 最近、丸太から板を作ることをやつてゐるが、チエンソーにアタツチメントを取り付けて簡易製材機を作るにあたつて、出来るならばバーの長さがもう少し欲しいと思つてゐる。
 
 普通、チェンソーには取り付けられる標準(推奨)バー(この周りにチェーンタイプの刃が連なつてエンジンの力でぐるぐる回りながら木を切つて行く)があつて、標準バーより短いものや、もつと長いものなどがある。
 
 小生が持つてゐるHG-K5200には、20インチのバーしか用意されておらず、もつと長いバーを使いたいが無い。

 で、では駄目かと云ふと、チェンソーに使う刃(ソーチェン)は、メーカーが数社あつて、同じ形状のものであれば、互換性がある。
 
 HG-K5200の20インチバーでは、OREGONの21**-78*と云ふタイプのソーチェンを使つてゐる。もし長いバーにしたいのであれば、21と云ふリンクタイプ(ナンバー)のもので、78(駒数)より大きいバーとソーチェンであれば、このチェンソーで使える。

 重要なのは21と云ふリンクナンバーが同じでなければ、このチェンソーでは使えない。エンジンの回転をソーチエンに伝えるスプロケツトの形状が、このリンクナンバーごとに違うからである、このリンクナンバーが結構たくさん種類がある、どうしてこんなにあるのかは知らないが。
 
 リンクナンバーが合えばどんなに長いバー(ソーチエンのコマ数が多いもの)でも良いかと云ふと、エンジンの出力との兼ね合いがあつて然うも行かない。しかし、少しくらい長くても、標準より長いと云ふことを念頭に入れて使へば、それはそれで大丈夫ではないかと思つて、標準装備の78駒より多いコマ数でリンクナンバーが21のものを探したところ、21BP-86Eと云ふ、ソーチエンとガイドバーがあることを知つて、注文したものが、今日届いた。
 
 今日届いたバーもソーチェンもメーカー品ではない、バーは多分CHINA製だらう、ソーチェンもOREGON製ではないが、驚くほど安価なので最近良く使つてゐて、別にトラブルは起きてゐない、そういうことからすると、逆にメーカー製のものが高すぎるのではないだろうかと思うくらいである。
 
 早速、製材アタッチメントに装着して板をわいてみたところ、40センチ幅の板でも行ける。それだけ幅に余裕があると、かなりスムースに挽くことが出来た
 
 ただ、やはり、途中で腐食していて完全な板は取れないことがわかつた。今回の練習をもとに、改めて太い木材で板をつくることにした。
 
 今日は朝、先ず、焚き火をしながら、チエンソーの目立てをして、また、作業の終わり頃には薪を少し作つてをいた、大きなチエンソーは本当に楽である。けふも終日外で過ごした。


令和 3年 1月 4日(月)

 晴れ。
    最低気温 -3.3℃ (06:29)、最高気温 10.3℃ (14:36)

 今日から大体仕事初めのところが多いのだらう。我が家もカミさんは今日から仕事だ、夏子はまだ冬休み中だが模試で登校して行つた、太郎はも少し冬休みだ、小生はこの先もずつと死ぬまで休みだ、太郎がお父さんはいいな毎日休みで、早く定年になりたいなと云つてゐた。

 小生も三が日が終わつてやうやく外で動けるやうになつた、小生の日常が戻つた。太い方の材木をチェンブロックで吊つて少し動かした。久しぶりにチェンソーを振り回して、製材を始めた。小さな方の材木で板を取ろうとしてゐるがかなり腐つてをりちよつと無理かも知れない。
(写真1写真2写真3写真4


令和 3年 1月 3日(日)

 (写真1写真2写真3写真4
 今日は抜けるやうな青空が広がつた、元旦だつたら見事な初日の出が見られたらうに。
   最低気温 -3.9℃ (07:47)、最高気温 6.8℃ (14:31)

 やうやく三が日が終わる、勤め人や学徒諸君にとつては憂鬱だらうが、小生はホツとしてゐる。正月早々、外で騒音を立てるわけにも行かず、家で逼塞してゐたのでこの三が日は長かつた。世の趣味も道楽も持たない年寄が感じる一日の長さを味わつた。

 今日も箱根駅伝の復路を楽しんだ。今年は特に「ドラマ」は無かつたな、淡々と終わるかなと思つてゐたら最後の最後でどんでん返し、駒沢大が総合優勝した、理由は敢えて書かないが気分は良い。
 
 明治大学に関しては今日の駅伝では来年のシード権を取れず、昨日のラグビーでは準決勝での敗退、気分の良い新年のスタートは切れなかつただらう、「二位じゃだめなんです」レンポーさん、だな。

 アマチュア無線の新年QSOパーティ、小生、もう二度、十二支を達成したので、次の十二支達成まで生きてゐないだろうと思つて去年から参戦してゐないが、以前は正月二日三日の二日間だけの開催だつたが、今年は正月七日まで開催すると云ふことだ(去年はどうだつたらうか)。最近は参加者が減つてをり、少しでも参加者が増えるやうにと云ふ配慮だからだらうが、日中、無線機のスイツチが入れてあつても、故障してゐるのではと思ふほど静かだつた。参加する局はさつさと済ませてしまつて、開催期間を伸ばしたからと云つて参加者数が増えるかどうか甚だ疑問である。


令和 3年 1月 2日(土)

 くもり
   最低気温 -0.2℃ (00:11)、最高気温 4.0℃ (13:26)

 静かな正月だ。小生には関係がないから関心が無かつたが、新しいカレンダー、よく見ると今年の正月休み、勤め人なんかにとつては最悪な日程だ。正月三が日が金・土・日で間髪を入れずに月曜日がいきなり仕事始めになるのか、ワンクッションを置くこともなく一週間ベタで仕事になるのか、気の毒だ。

 今日は朝から箱根駅伝を観て、昼からは大学ラグビーの準決勝二試合をたつぷり観た。近年は地上波でラクビーを放送することがほとんど無く、大学ラグビーの一二試合しか流さない。早稲田と天理の決勝戦が11日に国立競技場であると思うふが、この試合も地上波で観ることが出来さうだ、昔は15日の成人の日が決勝戦だつたが、今は成人式の日が動くので今年は11日なんだらう。昔は振り袖姿のお嬢さんたちの観戦も風物詩になつてゐたが、武漢ウイルス蔓延の今年はどうなるだらう。


令和 3年 1月 1日(金) 元旦
 今年は令和辛丑歳である。

 曇り、昨夜から全く降雪無し。日中も気温が上がらず寒い一日だつた。(写真1写真2
  最低気温 -1.4℃ (00:00)、最高気温 2.1℃ (15:08)

 以前は毎年、元日の朝には村の人達、集会場に相集い、軽くお神酒を交わして賀詞交換をして、その後で夫ぞれの家庭に戻つて正月の祝い膳につくのがこの村の習わしだつた、その元旦の賀詞交換会も昨年からだつたと思ふが無くなつた、朝一番で集まるのが大変なこと、それから日を余りおかずに、すぐ村のその年の集まり「初寄り」があるからでもある。その「初寄り」も今年は武漢ウイルスのせいで、開かれないことになつた。

 隣家との距離もあり、人と会うこともなく、車も通らず静かな正月だ。加えて、我が家では誰もテレビを点けないので、それも静かな正月を作つてゐる、如何に人は惰性でテレビを見てゐるかと云ふことである。昨日は紅白で少し点けてゐたが、今日はテレビのスイッチが入ることは全く無かつた、時々ラジオを点けたが、正月番組は聴くほどのものもないので、ラジオすら鳴らない一日だつた。
 
 明日は箱根駅伝と大学ラグビーがあるので久しぶりにテレビを観るとするか。

 家族で村の産土神、天神さんに初詣に行つた、今年はここだけだ。

 年が改まつた、今年はどんな年になるのだらうか。加齢に伴つて時が過ぎるのが早くなつたとずっと感じてゐたが、最近になつて、また少し遅くなつたやうな気もしてゐる。今の年齢付近でなんだかモタモタしてゐる感じがする、なかなか80歳が見えてこない、エネルギーが落ちてきてゐるのかも知れない。

 先日、NHKラジオ武内陶子の「ごごカフエ」と云ふ番組で、脳科学者・医師の加藤俊徳と云ふ人が話してゐた。
(要約、以下のとおり)
 人間の脳には生まれた時から使われてゐない未熟な細胞が一生使い切れないほど沢山ある。
脳細胞はどんどん死んでいつてゐるが、一方で、その使われていない細胞使えば何歳になつても人間の脳は成長する。
人の記憶などを司る海馬は怠け者で、新しい刺激が入ってこないとどんどんと衰えていく。耄碌すると云ふことは然う云ふことなんだらう。

 たとえば、学識や物事の経験値が高い人、役職の高かつた人ほど、定年や引退で仕事を辞めた後に脳が衰えやすい傾向にある、自分は知識があると思い込んでいるので、何かをやる前から分かつた気になり他の事に興味が持てない、前向きになれない、その結果、新しい情報や刺激を受けて脳を活性化するチャンスを逃してしまいがちである。
 さういつた人たちに認知症になるケースが結構あるが、これだつたのだ。

 海馬に脳を老化させる異常タンパク質のアミロイドベータと云う老廃物が溜まり、これが正常な脳細胞を死なせ、認知症を引き起こす原因になつてゐると云われてゐるが、脳を、つまり海馬を刺激することで、脳を活性化することが出来て、このアミロドベータの蓄積を抑えることができる。

 たとえば読書で云えば、読みやすい本ばかり読むのではなくて、時々は難しい本を読む。読みやすい本は今使つてゐる脳細胞を使つて読んでゐて、難しい本は理解しやうという気持ちが今まで使つてゐない脳細胞刺激することになり脳細胞を活性化させることになるのださうだ。

 知らないことを識ろうとする気持ちが、脳細胞の活性化には非常に需要である。新しい言葉を識ろうとする気持ちが脳の活性化に非常に大事である。
 
 さういふことからすると、小生なんか、肉体的には最近とみにガタが来てゐるが、好奇心旺盛で次々に新しいことを知りたいと思つてゐるので、未熟な脳細胞を次々に活性化させてゐるということになるな、特に、今やつてゐる和文モールスなんか、最高の脳の活性化になつてゐると思ふ。
 ひとことでまとめるならば、「人間の脳は何歳になつても成長する」。