風師庵日記目次へ

令和庚子(2020) 2年 4月の記録 (新しい日付けの順)

令和 2年 4月30日(木)

 安定した天気が続く、気温もどんどん上がっている。風がないので噴煙が山肌をゆっくり下っている、このあたりはミヤマキリシマの群生地で毎年たくさんの人が訪れるところだが、熊本地震で道が崩れて行けなくなって、ようやくまた鑑賞できるようになったばかりでまた今回の武漢ウイルス、それに降灰も重なって、今の開花状況はどうなんだろう、ここも観光客が来ないように交通止めになっているのだろうか。
    最低気温 4.2C℃ (05:14)、最高気温 23.4℃ (14:47) (一応今日のところは今年の最高気温だったそうだ)

 午前中、ほんの僅かだが、軽トラックで本屋さんから頼まれて高校に納める教科書の運搬の手伝いをした。全くのボランティアのつもりでいたのにお心遣いをいただいてしまった。

 午後から、北坂梨の坂梨増実さんのところに、クヌギのほだ木をもらいに行く、これで最後である。来冬の薪はもう十分に備蓄できたのではと思う、まだこの先、入ってくる予定がある。

 夏子は、ずっと机に向かっているが太郎はいろいろと興味の対象を広げて一日を過ごしている、最近は、電池で動かすモーターに興味を持ち始めているようで、壊れたオモチャからモーターを取り出して、ほかの車のついたオモチャに工夫してつなげて、動く動くと言って遊んでいる。まだ歯車の役割のひとつである、ギア比の持つ意味が分からないようでモーターはこんなに早く回っているのに、車はどうして早く走らないのだろうと頭をひねっていた。また敷地内にある木に登って、ここをツリーハウスにして秘密基地にするなどと言っている、まあ、これは無理だろう。
 
 もう保護者も連休に入っているのだろう、今日あたりは、家の前を、三~四人の学校友達が(別々に)父親なんかと自転車で通りかかって声を掛け合っていた。田舎だから、家族とのんびりと田んぼ道をサイクリングできる。

 晩飯。カレー

 なんだかあっという間に4月が終わってしまった、このままずるずると学校の休みが続くと、一学期無しになって、下手をすると9月が新学期にという声も出始めている。


令和 2年 4月29日(水) 昭和の日

 今日も穏やかでいい天気になった、普段でもただでさえ静かな田舎がここのところ一層静かである。
      最低気温 2.2℃ (06:11)、最高気温 22.3℃ (14:58 暑かったわけだ)

 シジュウカラ@横浜、雛がどんどん大きくなっている、あっという間に大きくなっている。

 午前中、参勤交代道に木を積み込みに行ってい来た、あらかた、切り倒しは終わっていた、あと残るところ一本か、小生は杉はスルーして欅だけもらってきた、この太い欅も枝部分だから、幹の太さが分かろうというものだ。

 行きは良いよい、帰りは恐し、重機で積んでもらったので楽だったが、そのかわり下すのが大変だった。(写真1写真2
木が長いので、後ろの「あおり」を倒して両サイドの「あおり」と鎖でつないで、床面を広くしてその上に載せてもらった。これが下すときに大変なことになったのだ。
 
 積んだ木を下すとき、大体幹が丸いのであまり力をかけずにゴロゴロと転がして荷台の横側から落とすと割と簡単に下すことができる。その場合、横のあおりを倒しておかなければ転がり落ちない。ところが今日は、木が長かったので、荷台を広げるために、後ろのあおりを倒して両サイドのあおりと鎖でつないでいる(あとから再現)ので、鎖がめいっぱい引っ張っているので横の「あおり」を倒すことができない、倒すには後ろのあおりを戻して、鎖に余裕を作ってから外さなければならない。しかし、太い木材の重量がその後ろの「あおり」にかかっていて、びくともしないので、ピーンと張った鎖を外すことができない、これには進退窮まってしまった。
 
 時間をかけて工夫をして、何とかして後ろのあおりをもとに戻して鎖を外して、横のあおりを倒すことができた(車載クレーンを使えばよかったのだが、意地でも人力で下ろそうとしてしまった)。

 昼からは、のんびりとハチの観察をして過ごした、もう、直射日光が暑く感じるほどだ。ハチたちは元気に離発着を繰り返していた、ようやく、レンゲにハチの姿を見るようになった、レンゲも今が盛りだ

 武漢ウイルス騒動でいろいろなものが買い占められて店頭から無くなっているが、最近は、ホットケーキミックスが無いそうである。昨日スーパーに行ったときに棚を覗いてみたら確かに無かった。ホットケーキミックスと同様にお好み焼きの粉まで品薄になっているということだったが、こちらの方はまだ棚に残っていた。
 
 最近は臨時休校が続いていてそれらは子供たちの昼ご飯やオヤツに使われるということらしい、一人の行動はわずかでもこれが大勢になるとなると一気に品不足につながるのだな。
 
 そういえば全国の子供たちの給食で賄われていた昼食が今は各家庭で作られるわけだから、全国的にはものすごい量になるのだ、反面、給食業者が納める原材料はその分減るわけだからトータルでは変わらないことになるが、立場立場では大きく変わってくる、学校給食で飲まれていた牛乳が消費されなくて大きな問題になっていると聞く。生もので簡単に生産調整が効くものではないだけに酪農業者も大変だろう、学校で毎日飲んでいた牛乳がそのまま家庭にいる子供たちの手元に届くといいのだが、そのシステムがまた大変だ。
 ラジオを聴いていたら突然国会中継が始まった、えっ?今日は祭日だろうと耳を疑った、なんと祭日でも国会審議をやっていた、やることになっていてもしょっちゅうズル休みをする国会にしては珍しいこともあるもんだと思ってスイッチを切った、あまりに野党の質問が酷いので精神衛生上良くないからだ。



令和 2年 4月28日(火)

 今日も穏やかに晴れる
     最低気温 4.1℃ (05:53)、最高気温 18.1℃ (15:28)

 太郎、久しぶりの登校日だった。そして、やはり、5月31日まで臨時休校が延長された。
 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 昨日、日記に阿蘇市の隣の高森町の小中学校のオンライン授業のことを書いたが、今日、その高森町は国の支給を待たずに立て替えで武漢ウイルスの給付金の10万円を5月1にから町民に払うことにしたそうだ、また明日にはこれも阿蘇市の隣の産山村でも同様に申請受付を開始するということだ・・・・・・行政が活発に機能している。

 ハチウトの二基を周辺の草刈りをして整備する。一基はデッキにおいてあったウトで、昨年(R1.10.28)スズメバチが巣を作り始めたので封じ込めて退治をしたウトで、その名残の小さなハニカムが残っていた(蓋を取って逆さまにして撮ったので、実際は上下が反対である)
  (写真1写真2写真3
 
 久しぶりに竹林に入ったところ、多分30本以上また生えてきている、今年は相当掘ったつもりだったがエンドレスである、竹の繁殖力は実にスゴイ。今のうちに切り倒せば楽なのに、そのうちそのうちで、あとで倒すのに苦労することになる。二三年前まで田だったところ、田植えをやめたので、竹の勢力「前線」が一斉に田があったところに広がりつつある。 (写真1写真2写真3写真4写真5

 溶接に使う防塵マスクの残りが出てきた、10枚以上残っていた。小生は今回の武漢ウイルス騒動ではまだ一枚もマスクをしたことがない、皆さん実に真面目にマスクをしている、田の中を走る軽トラの運転席でもちゃんとマスクをしている。

 晩飯、メンチカツを揚げた


令和 2年 4月27日(月)

 気温も上がり穏やかに晴れる、今日は昨日までのように強い風は吹かなかったようだ。
     最低気温 8.6℃ (05:01)、最高気温 18.7℃ (13:14)

 武漢ウイルスで変わったこと、スパムメールが激減した、新聞の折り込み広告がほとんど無くなった。折り込み広告はわかるが、どうしてスパムメールまで減るのだろうか、盆正月など休みが続くときもそうである、ということはスパムメールを出すやつは個人でなく会社組織でやっていて、休暇や自主休業で発信が減っているのだろうか。

 今日も国道沿いの空き地でどこからやってきたのか知らないが、軽トラックが店を出してマスクを売っていた。50枚入り、3,850円也、特に人が集まっている風でもなかった。そろそろマスクも出回り始めているようなので、何も今、こんな高いマスクを買う必要はない、この販売車の段階で大きな儲けがでているのか、あるいはもっと前段階で大儲けをしているやつがいるのかわからないが、みんな買わずに人の弱みにつけこんでこのようなアコギな商売をやる転売屋に天誅だ。最近カミさんは毎日夏子が作ったマスクをして仕事に行っている、阿蘇はそれでいいのだ。

 いろいろな修理に手を出して、時間が無かったり、部品が無かったり、技量がついていかなかったり(これが一番なのだが)でやりかけのものがたくさんある。今日はひとつ、箸休め、ということで、China製のラジオの改造(というほどのものではないが)をした。このラジオは送料込みで3.4Kのラジオで、AM.FM.短波放送も入って、SDカードをメディアにして、ICレコーダーになったり、音楽ファイルを再生したりすることができる、USBポートからバッテリーに充電して使う、筐体がとても安物とは思えないほどの高級感にあふれていて、なかなかのラジオである。ただFMの受信周波数の範囲が、87~108MHzで日本の放送はこれより下なので受信できない。AM(MW)放送は 522~1710KHzだから全く問題はない。短波放送は 4.75~21.85Mhzである。そこで日本でもFM放送を聴けるように、受信周波数を拡張できるように、ラジオを買うと箱に1KΩの抵抗が貼り付けてある、その抵抗を基板の指定個所にハンダ付けすると周波数が拡張できるのである。
 
 ところがこのチップ抵抗が非常に小さくて、拡大鏡を使ってもよく見えないほど小さい、米粒と比べてもこの小ささである。箱には2個分のチップ抵抗が張り付けてあったが、最初の一個め、うっかりして飛ばしてしまった、はいつくばってはいつくばって探したけれど見つからず、残りの一個を緊張して取り付けた。こういうドジなやつがいるから予備に二個ついていたのだ。
 
 それに小生はチップ抵抗は今回生まれて初めて付けた。この抵抗を付けるランドにはすでにハンダが盛ってあったけど、これはかえって邪魔である。せめて片側だけにしてほしいところである。そうでないと、両方のハンダを一度に溶かして乗せなければならないからである、このような場合は片方だけにしてくれると、片方だけ溶かしてチップの片方をつけて、改めて、ゆっくりと残りの方をつければ浮かずにすむのだ。とにかく実にカッコ悪い付け方だが、つけることができて、70~108MHzと拡張することができた
 
 寺さんに教えてあげたら、近くの量販店でも3Kくらいで売っているよとのこと、そうなんだ、最近はラジオはワンチップでできるので安いのだ。でも工作する喜びがあるからな。さて、短波が入るとなると、アマチュア無線のSSBを聴きたいと思うが、このままでは聞くことができない、455KHzを作って入れてやらなければならない(秋月にオシレーターのモジュールが売っているなあ・・・)。
 
 まもなく分蜂が始まることを期待して、今日はハチウトは分蜂に備えて最低限一基は整備しておかなければと、清掃整備をしておいた。これから逐次いくつかのハチウトの整備をするつもりである。ただ、周りを見渡してもあまりハチの姿が見られない、レンゲ畑もよそからやってくるハチの姿が全くない。もう少し先だろうか。
 
 夕方、夏子の高校からメールが入り、連休明けの5月6日までの休校が5月31日まで延長されることになったということだ、受験生だから一人で家庭で勉強するのにも限界がある、さすがに焦ってきているようだ、太郎の小学校は市立だから、県の教育委員会とは別だが、どうなるのだろう、多分右に倣えだと思うが、太郎は明日、登校日だから、何らかの発表があるかもしれない。
 
 阿蘇市とは阿蘇五岳を挟んで反対側の南郷谷にある高森町では、小中学校で長引く休校対策として、タブレットによるオンライン授業が始まったそうである(NHKwebニュース)、高森町では数年前から教育におけるICT環境の整備に力を入れ、児童生徒に一台ずつタブレットを支給して、オンラインによる双方向通信の訓練が進められていたから今回のようなオンライン授業が可能になったのだろう、小生はこのことは知らなかったが常々言ってることではないか、それが隣町で行われていたのか、しかも、阿蘇市を飛び越して南小国町とも結んで遠隔授業までやっているようだ。このニュース、どこかで忸怩たる思いで受け止めている面々もいることだろう。
  http://www.chieru-magazine.net/magazine/2019-junior-magazine/entry-30018.html

 晩飯、カツオたたき、冷ややっこ、出汁巻きたまご、きんぴらごぼう、豆腐とニラの味噌汁、今日は和風でまとめた。
 
 
令和 2年 4月26日(日)

 薄曇り、今日は気温が上がったが、今日も日中は風が強かった、連日である、どうしてなんだろう。
      最低気温 11.0℃ (00:02)、最高気温 18.0℃ (12:50)
      最大瞬間風速 12.1 m/s (12:43)

 日曜日で普段よりも遅めの朝食が終わって一服つけていると(別にタバコを吸うという意味でなくてね)、ペンディングになっていた木を切っているよという中川竹久さんからの電話。下町の芝生の広場奥のAさん宅の木を円通寺和尚が倒していた。行ったときにはもう細かく切ってあったので、積んでもらってきた。(写真1写真2
 
 帰って木を下ろしているところにまた電話、今度は上村さんから、参勤交代道入り口のケヤキを切るからという、行ってみると大きな欅の木を切る準備中だった。ここはこれから切るから、邪魔になるところではないからそのうちに取りにおいでということだったので、今日のところは現場確認だけで帰ってきた、次から次に木が入ってくる、実に恵まれた環境にいてありがたい。薪を買うとホンの一束で数百円もする、しかも燃やしても30分ともたない量だ、短期滞在のお金持ちの別荘の住人にはそれでもいいだろうけど、日常的にストーブに使うとなれば薪代だけで破産してしまう。

 今日は不思議とみんな家の中にいる時間が多くて屋外にはほとんど出なかった、不思議である、バイオリズムがそうだったのか(特に根拠も意味もない、昔、バイオリズムという言葉がはやったことがあったというだけである)

 ナフコに部品を買いに行ったとき、入り口に常設看板で「マスクはありません」とあったが、店内に入るとワゴンにマスクが10箱ばかり売れ残っていた(客もまばらのせいもあるが)、不織布50枚入り2,680円とある(布製も一枚370円くらいだったかな)、とりあえずカゴに入れてカミさんに電話をして買うか?と問うたところ、ちょっと高い気がする、という、小生もそう思ったので、ワゴンにまた戻しておいた。猖獗地なら買っただろうが、阿蘇市はまだ感染者ゼロである、それに、自作すればとりあえず用が足りるので、わざわざ買うことも無いだろうと思ったのだ、また、一時全く姿を消していたマスクが最近だいぶん出回り始めていると何かで言っていた。それもこんなに大量に?というほどの量が売り出されているらしい。これなんかアベノマスクなどと揶揄されているが、国民全部にマスクを配布するという政策の効果で、買いだめしていた業者なんかが、慌てて売り急ぎで市中に出回り始めたとも聞いている。世界的にマスクが不足しているときにとにかく緊急に国民にマスクを配布するのだから、当然、なかには輸入品で怪しげなものも混じることもあるだろう、それを、まるで鬼の首でも取ったかのように揚げ足をとって囃し立てる左翼政党、「文化人」、そしてマスコミなどなど、全くこれが日本人かと聞いていて嫌になる。(孫子は本当にはこうはいっていないのだが)今回のことは「拙速は巧遅に勝る」なのだ。
 
 ホームワイドに行くときに駅近くの(旧一の宮町ではただ一軒の)パチンコ屋の前を通ったら完全に閉まっていた、阿蘇のパチンコ屋も自粛休業をしているのだろうか。先週末大渋滞を起こした湘南海岸も、新宿も渋谷も銀座も、そして新幹線、空港、今日はひっそりとしていたようだ、とにかく徹底して動かなければ短期間で収まるのに、ダラダラやっているから、いつまでたっても終息の兆しが出てこないのだ、とにかく動かないことが唯一無二の方法なのだから。


令和 2年 4月25日(土)

 晴れ、今日も風が強かった、ただ気温が昨日より上がったので寒さは感じなかった。周囲の田んぼで畔切りをしたり肥料を散布したりと田植えの本格的な準備が始まっている。
     最低気温 0.4℃ (05:20)、最高気温 16.6℃ (15:03)
    最大瞬間風速 12.5 m/s(13:45)

 スターリンクの銀河鉄道を観たいなと思っているがどうもその情報がネットで探してもはっきりしない、すでにすべて打ちあがったのか、近いうちにまた打ちあがるのかがよくわからない、そこで、とりあえず、ISSでも観ようかと今朝早く起きた(4時ころ)、「早く」といっても普段とあまり違いはないが。

 今朝はほぼ氷点、きりりと冷え込んで、空がよく晴れていて星がいっぱいで絶好のコンディションだった、ところが、基本的な知識がない、それに、アプリのSpaceStationが「問題が発生したため終了します」というエラーメッセージが出て機能しない。接近、通過中の時間表示は出るのだが、どちら方向で、仰角がどのくらいなのか、わからない。あとからプリントアウトした紙を見て、見当違いの方向を見ていてようだが、それでも、全天をぐるぐる見渡したので、移動していれば分かったと思うのだが、とうとう見つけられなかった、残念。また挑戦しよう。

 今日は小生、フルタイムで自由時間なので、いろいろやった。
 
 まず、蜂球板を設置した。ハチが分蜂する際に、いったん巣の外の適当な場所に集まって蜂球といわれる大きな塊をつくる、いきなり巣をでて一斉に新しい巣に飛んでいくことはない。いったん集合してから、おもむろに新しい巣に向かって大移動するのだが、次の巣が決まっているときにはそんなに長時間とどまらないが、巣が決まっていない時には、(詳しくは知らないが)、一日でも二日でも蜂球を作ってじっとしている。その状態のときに、用意したハチウトに誘導して、自分のハチの群れを増やすのである。誘導というと聞こえがいいが、結構腕力で用意した巣に移すのである。だからその作業のために、作業しやすいところに蜂球を作ってくれるとありがたい。というわけで、ここに止まってほしいなと思うような場所に、いわば止まり木を置いておくのである。大体、止まってくれるが、とんでもない木の上のほうに蜂球を作ることもある、そうなると、取り込む作業が大変になる。
 
 今日は古い孟宗を並べた蜂球版と大きな桜の木の厚い皮があったので、それを利用して二か所に作っておいた
 
 写真ではあまりよくわからないが、よくしたもので、ぺんぺん草(ナズナ)が枯れてきており、レンゲが勢いを増している。(写真1写真2

 次なる、作業。APRSのI-Gate局のアンテナを作った。折れたアンテナのブームと全く同じ材料があったので、エレメントを止める穴を開けて、折れる前と全く同じ、2mの3エレを再生して、阿蘇山固定ビームにして久しぶりに基地局を再開した。試しに家の周囲を走って、ちゃんと移動局の電波を受信してインターネットに送っているのを確認した。本当は基地局の設備一式、もっと省電力タイプに変更したいのだが、なかなか手をつける時間がない。

 次に、PC用のスピーカー、PCのline-out、ステレオミニプラグを通じてスピーカーユニットにつながっている、そのラインの右側が途中で断線しているようなので、今日、そのケーブルを交換して、さあ、これで大丈夫だろうと思って、SWを入れたのだが、やはり右側が聞こえない。スピーカーは壊れていないし断線もしていない、ヘッドホン端子からはちゃんと左右両方とも聴こえる、なんだろう、アンプICだろうか、とりあえず、保留。
 
 それから、メインPCにするつもりの、古いPCのカードリーダーがWin7から10にしたところ、どうしてもSDカードを読まないので、ネットで買って、交換した、これで、ちゃんと読めるようになった、このカードリーダーは送料無料の1K也。

 ああ、今日はよく働いた。

 太郎は飽きもせずにテニスの練習をしている、今スクールが武漢ウイルスで休みなので、庭でラケットを振り回しては、とんでもないところに飛ばしていつも球探しばかりやっている、時々ボンの縄張りにボールを飛ばして、それを取り返すのに苦労している。我が家ではボンに遠慮なく近づけるのは小生だけである。


令和 2年 4月24日(金)

 晴れ。今日も風が強かった、どうして毎日こんなに冷たい風が吹くのだろうか。
     最低気温 2.4℃ (00:30)、最高気温 13.2℃ (14:51)

 ハチウトの内検をした、床にかなり雄バチの蓋が落ちていた、そろそろ分蜂の準備もしなければならないのだが、どうもここのところ労働意欲というか活動意欲というか、行動意欲というか、なかなか湧かなくて今日も何もしなかった。今日はちょっと腰が重かった、用心しなければ。

 太郎がゴミ出しに一輪車で行くというので、一輪車操作は表通りではまだ危なっかしいので用心のために後ろからついていった。(写真1写真2写真3

 武漢ウイルス、大型連休で、都市部を離れて郊外に田舎に、地方に大移動が起きそうだというので、地方の自治体ではそれを心配し始めている。そういうことでは、今度の大型連休で阿蘇なんか大勢の観光客が押しかけてくる可能性が大きい。どうして、今の日本人は堪え性が無くなったのだろう、自分だけが行っても大自然の中、大丈夫だろうと思うのだろうが、大勢の人がそう思えば大混雑になるだろうとは思わないのだろうか。もっとも、普段の行楽シーズンでも阿蘇は広いから、首都圏の人間が押し寄せてくるのでなければ、九州周辺の観光客がやってきてもどうということはないだろうとは思うが。
 
 日本人は常々、秩序正しい、と言われてきたが、今回の武漢ウイルス騒動で、なんとなく今の日本人というものが分かってきたような気がする、今回の騒動が収まっても、いずれやってくる首都圏直下大地震や南海トラフ地震なんかが起きた時に人々はどういう行動をとるのだろうか。すべては首都圏に人間が多すぎるということから来るのだろう。買い出しは三日に一度にしようというと、もう翌日にはスーパーが大混雑、一人一人のちょとした行動×1千万の行動になってしまう、先日の江の島、鎌倉方面での大渋滞もそういうことだ。それでも懲りずに人々は首都圏に住み続けるのだろう。

 晩飯、豆ごはん、サンマ塩焼き、揚げ出し豆腐、みそ汁。サンマはホットプレートで焼いた、ホットプレートは万能である。



令和 2年 4月23日(木)

 晴れ、だったが、今日も寒々とした晴れだった。
     最低気温 4.1℃ (05:55)、最高気温 10.0℃ (13:56)

 もう冬ほどの寒さはないのだが、今の季節の寒さはどうも体の備えができていなくて、寒くて仕方がない、今日も風が強かった、それに武漢ウイルスのせいで町全体が沈んでいるようで外で作業をする気にもなれず家の中で過ごした。

 ニュースでは都会ではスーパーの混雑が問題になっているようだが、この地は時間帯にもよるのだろうがガラガラで、やはり人出が少なくなっているのだろう。

 一台のPCの整備をした。圓林寺の和尚の遺品をWindows10にアップグレードしたPCで、CPU的には我が家ではこれが一番いいやつだ。このPCはオンボードのグラフィックでグラフィックボードはついていなかったので、少しでもCPUの負担が減らせるかと思って、中古のボードを買って入れた、薄型PCなのでロープロファイルのボードを買った、もう古いPCだから、古い革袋には古い酒を、で、2Kもしない値段で買った。

 こどもたちも、ニュースなんかで聞くような不安定な心理状態ではなく一日を外出することもなくちゃんとまともに過ごしている。

 晩飯、麻婆豆腐、エビチリ



令和 2年 4月22日(水)

 晴れ。ただ気温が低くて風が非常に強かった、そのせいで体感温度も低くて寒かった。もう焚くこともないだろうと思っていたがとうとう夕方からストーブを焚いたほどだった。
    最低気温 4.2℃ (05:59)、最高気温 11.2℃ (14:35)
    最高風速 12.5 m/s(14:36)

 上村さんから木があるよと電話があったので積み込みに行ってきた、軽トラック二台分あった。来シーズンは既にもう余裕というほど木がある。(写真1写真2写真3
 
 皆川達夫さんが亡くなったそうだ、享年92、音楽の泉の解説を先月後継の解説者(まだ名前が頭に刻まれていない、奥田なんとかさんだったかな)に引き継いだばかりだった、肩の荷が下りたのだろうか。

 昼飯、またお好み焼き、夕飯は、水曜日でカレーの日だが、ハヤシライスにした、ハヤシもあるでよ、だ。


令和 2年 4月21日(火)

 雲りのち晴れ。
    最低気温 10.5℃ (06:07)、最高気温 14.6℃ (14:42)

 菊陽町にある熊本県の運転免許センターに免許証の更新に行ってきた。今日から当分の間運転免許の更新手続きは休止になったので、駐車場も閑散としていた。センター入り口には数人の係員が待ち受けていて今日から手続き更新が休止になった旨を告げていた、そのままUターンして帰る人もいれば、更新期限延長を申請のために入館する人もいた。小生は高齢者講習を受けているので、更新ができるのでそのまま入館した。
 
 高齢者の免許更新者はざっと50人位いたが、センターの係員も含めてほとんど全員がマスクをしていて、していないのは小生の他二三名だった、念のためにマスクを持って行ったが、全員がしているのなら小生ひとりしなくても大丈夫だろうと、結局マスクをしなかった。なるべく話をしないようにという自己規制で話し声も聞こえず、シーンとしていた。
 
 10時の開始に合わせて10人ずつ間隔をあけて並んで手続き、小生は24番目だった。やることは自分は運転に支障はないという自己申告の項目チェックと視力検査だけ、あとは手数料を払って、実質30分ほどで三年間有効な新しい免許証を交付してもらって帰ってきた。

 昔の普通免許、いつのころからか中型免許になっていて、中型8トンに限る、と但し書きがある、4トン車はいいのはわかっているが、細かなところはわからない。中型免許も幅が広くて、そのなかの一番下のクラスだと思っていれば間違いないのだろう。「限定」か「限定解除」の違いだろう。

 帰る途中、ちょっとハンズマンに寄った。折れたアンテナのブームと同じアルミの角パイプを買ってきた、全く同じ規格の15mm×15mm×1.5mm×1000mmのもので、折れたのをくっつけるのでなくて、新しいパイプに穴を開けて同じものを作ればいいのだ。
 
 阿蘇~熊本の道路は往きも帰りも随分と空いていた、経済活動や人の動きが減っているのだということがよく分かる。
 物の消費も落ちているのだろう、ガソリンがいつの間にか126円になっていた、ずいぶんの値下がりだ、少し前まで10円くらい高かったのに。それからイチゴも安い、ワンパック299円、新鮮なイチゴでここのところずっと価格が安定している、おかげで毎日イチゴを食べられる。
 
 昼を少し過ぎて帰ってきて子供たちに約束していたお好み焼きを作ってやった、最近お好み焼きをよくする、昔はお好み焼きなんて、と馬鹿にしていたが、結構合理的な食べ物で、それに日本の食べ物だ、何を入れてもいいし、なかなか美味しい。

 晩飯、オムライス



令和 2年 4月20日(月)

 曇り。昨夜は暴風は無かった。
    最低気温 12.2℃ (05:54)、最高気温 16.8℃ (01:02)

 明日免許証の更新に行こうと思っていたら、武漢ウイルス感染拡大予防のために、明日21日から運転免許の更新手続きを休止すると言う。更新手続きは誕生日前一月からできるので、今の状況が続くといずれ、更新手続きも休止になるかもしれないから、明日が誕生日のちょうど一月前になるので早いとこ行っておこうとしたところだった。ちょっと間に合わなかったかと思って、県警の掲示を読み進めていくうちに、高齢者講習受講済みの人については受け付けるとある、ああ、よかった、とにかく明日行ってこよう、またこの先どう変わるかわからないから。更新休止になっても、期限延長されるということだが、自動的にはされず申請をしなければならないようで、これだけでも面倒だ、高齢者講習そのものも当分休止になるらしい、ギリギリセーフで助かった。

 少し前から我が家のシャワーヘッドの付け根あたりからお湯が噴き出すからなんとかしてくれと言われていたが、小生は家の風呂に入らないから、そのうちね、と聞き流していた。ところがアゼリアが武漢ウイルス感染拡大防止のために休みになったので、小生も家の風呂に入るようになった、入るようになって、確かに、結構な勢いで噴き出しているなあ、ちょっと使い勝手が悪いなあ、というところで、修理をすることにした。
 
 どうせ、パッキンが減るかどうかしているのだろうと思って、外してみたが、パッキン(オーリング)は何ともない、それでよく見たところ、オーリングより前にあるニップルにはまっているホースが数ミル切断しかかっていたので、そこを切断して、改めて、ニップルに差し込んで、修理をした。ホースが硬くてニップルが入らないので、ドライヤーで熱してホースを柔らかくしてはめた。(写真1写真2

 国旗掲揚のロープがポールの上のほうで引っかかって上げ下げができなくなったので、上がって直すついでに、APRS用の基地局の無線のアンテナの修理にかかった。とりあえず、折れたブームをポールから外したところまで今日はやった。単にブームが折れているだけだから何かでつないでやればいいだけだ、利得には影響のない場所だから適当でいいのだが、どうせならきれいに溶接で付けようかと思ったが、アルミの溶接は、すぐに溶けて穴が開いて難しいだろう、それに手棒ではやらないだろう、何か適当なもので添え木をして済まそう、今日のところは外すだけ。最近は修理ばかりをやっている。
 
 晩飯。ひき肉のナスのはさみ揚げ、ナスがちょっと足りなかったので、ピーマンの肉詰め、それからピーマンも足りなかったから、メンチカツにして揚げた。



令和 2年 4月19日(日)

 曇り、午後から弱い雨、今晩は予報によると大荒れになるというが。
     最低気温 4.6℃ (04:17)、最高気温 15.0℃ (15:21)

 最近はアゼリアの風呂も休みになって、今日なんか、ボンの散歩で家の外に数十メートルでただけ、家族は一歩も敷地外にはでなかった、こうやって普段でも人がいない田舎の人間でも外出を控えている。都会では相変わらず危機感の乏しい若者や年寄りが結構いるのだろう。

 今日も本を読んだり、PCのお守りをしたりで過ごす。おかげで日記ネタが少なくて助かる。
 
 今日は、以上、終わり。


令和 2年 4月18日(土)

 曇りのち晴れ。
   最低気温 10.3℃ (05:04)、最高気温 16.3℃ (15:06)

 一台のPCのスピーカーが片側しか聞こえない状態が長く続いていて、まあ、聞こえるからいいやと、放っておいたが、今日、解体してチェックをした。こういった道具類は、大体、スイッチだとか、抜き差しするプラグだとかがやられる頻度が高いので、まず、手順通りPCからのLINE出力につなぐミニプラグから調べてみたところ、そのLINE出力ケーブルが基盤に半田付けしてあるところと、ステレオミニプラグの頭の間が、片側だけ反応しない。こういった時は、プラグの根本あたりが、断線していることが多いのだが、一体成型のプラグだから、中をチェックすることができない、そこで、ステレオミニプラグからケーブルがでたあたりで切断して、その切断部分とプラグの頭との導通を調べてみたところ、ちゃんと生きている。ということは、基盤からプラグまでの1m(も無いか)のケーブルのどこかで断線しているということだろう、見たところしっかりしたケーブルで見当がつかない、こうなると、どこだか調べようが無いのでケーブルの交換か。ケーブルを屋根裏に登って探さなければならない、ということで一時作業中断。
 
 もうひとつ、最近、移動用のAPRSの無線機の電源ケーブルのこれもプラグが壊れて移動運用が出来ない状態が続いていたので、電源ケーブルを修理した。これで移動用は復旧したが、基地局のアンテナが壊れたままで、ローカルの電波の受信が出来ない、今日の移動局の修理の後の我が家周辺のテスト走行も、軌跡の一部が切れている。そろそろ重い腰を上げてアンテナの修理でもするか。

 今日は平日の休校日と違って土曜の休校日だから、なんとなくいつもと違って、子供たちも休日モードで過ごしていた、やはり同じ休みでも違うのだろう。


令和 2年 4月17日(金)

 朝から雲がかかっていて太陽が薄っすらみえる程度だった、そして、午後に入って時々弱い雨が降り始めた、風が強かった。
    最低気温 4.1℃(04:03)、最高気温 18.3℃(14:12)
    最大瞬間風速 9.8 m/s (11:27)

 小学校は今日は登校日だった(中学生の姿は見なかった、いつも小中は同じように活動をしているようだが、今日は違ったのか)、太郎は今日から安全ベストに代わってタスキに「昇格」した、というのはこういう事情である。一年生は黄色い安全帽子と安全ベスト、二年生になると帽子は自由になる、三年生まで安全ベスト着用、そして四年生になると安全ベストに代わって反射タスキになるのだ。それから、太郎たちが入学した時から標準服が採用されたので、四年生以上でも太郎たち四年生だけが標準服を着ている。だから、遠くから見ていても大体何年生か見当がつくのである。太郎は急に大人になった気分のようでタスキをかけて登校していった。臨時休校中の登校日はあともう一日ある。

 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10
 
 レンゲが咲いた、ところが大誤算、ぺんぺん草に隠れてあまりよく見えない、どうしてこうなったのだろうか、田んぼに播かないで畑地に播いたからだろうか、コメを作っている田だと水田なのでほかの草が生えるほど種が残らないが、畑地の場合(特にロクに耕していない畑地)はいろいろな種が土中に残ってそれが、ぺんぺん草の種だったのだろうか。一面のレンゲ畑を期待していたのに。まあ、全部レンゲでなくても美しいことは美しいのだが。

 昨日やり残した薪割りをした。気温昨日より低かったせいもあって、快調に作業が進んで、11時過ぎには終わった。二三個残しておいたが、玄関先に置いておいて椅子にでもしようと思っている。
 
 今晩は何にするか、手近なところで材料調達、タケノコごはんにした。またたくさん生えてきているが、もうギブアップである。今晩食べる分だけ掘ってきた。タケノコご飯ももう終わりだな、夏子はまだだと言っているが。
  タケノコご飯、土佐煮、刺身、若竹汁。


令和 2年 4月16日(木)

 昨夜は雨になるようなことを言っていたと思うが、降らずに今日も晴れの一日だった、それでも少し下り坂か。
     最低気温 4.1℃ (06:05)、最高気温 21.5℃ (15:38)

 4年前の今日、前々日の熊本地震の第一波に続いて、第二波、こちらのほうが本震だったのだが激震で熊本が、阿蘇が揺れた日だ。これももう小生には遠い昔のような気がする、日記を読み返しては、ああ、そうだったあと思い出している。改めて日記に残すことの意義が分かる、日記をつけていない人はあまり鮮明に記憶に残っていないだろう、それはそれでいいのかもしれないが。

 午前10時ころだったか市の防災無線で、熊本地震犠牲者追悼のサイレンが鳴らされて、小生はちょうど玄関で靴を履いているところだったのでその場で黙とうをした、子供たちも今日のことは知っていたので、黙とうをしただろうと、終わってから奥に向かって、(黙とうを)したかあ?と確認の声をかけたところ、夏子は勉強机に向かっていて、「したあ」と返事が返ってきた。「太郎はしたかあ?」・・・「いや上・・」???下を階下と聞き間違えたようで、二階にいると答えたようだ。時々、安否確認のために居場所を知りたくて声をかけてるので、その安否確認と思ったらしい。太郎も二階でちゃんと黙とうをしたそうである。

 武漢ウイルス、感染者の増加が止まらずに、緊急事態宣言が全国に広げられるようだ。ただ、増えているが、欧米での増加のような爆発的、指数関数的な増え方ではないようにみえる。相変わらず通勤電車の混雑具合はそれほど減っていないようだが、これは会社の経営者の危機感の無さなんだろう、被用者は自分から休むとは言えないからだ。

 放送界にも武漢ウイルスの感染が広がっているようだが、日本中営業自粛しろと言いながら放送界の営業自粛は形ばかりで全くその気配が無い、自分たちは別だ、報道の使命がある、と思っているのだろうが、そう思っているのは自分たちだけだ、昔、新しい民放局なんかが出来るときに本放送が始まるまでずいぶんと長期間試験放送と言うのをやっていたが、その時は、一切「語り」は入らずにただひたすら終日音楽が流れていてまるで「有線」のようで、小生はこの試験放送が好きだったが、今、その時のようにしばらく一切の番組を休みにして、時々ニュースを入れる以外はひたすら音楽を流し続けたらどうなんだろう、絶対にやらないだろうが、とにかく人の移動を止めるしか感染拡大を止める方法はないのだから。

 今日はもう一か所に置きっぱなしになっている薪材を割る作業をした。すでにかなり草に埋まり始めている、このまま放っておくとインカ遺跡のように草に完全に埋もれて分からなくなる。この場所の薪材も太くて硬い木ばかりで、斧でエイ!ヤ!と切ることができないので、チェンソーで切れ目を入れて、そこに楔を打ち込んでハンマで叩き割る。
 
 今日の気温は20℃を越して今年最高だった、もう薪つくりの季節では無くなっているので、暑くて、少しやっては息が切れて、まるで無酸素で高い山に登っているようで、能率が非常に悪かった。木自体も節が多くて割りにくいものが多くて、結局今日はかなり残して作業を終了した

 太郎が珍しく、食器を洗っていたので、お、感心だねえ、お父さんの手伝いか?と訊くと、いやお母さんがガラスを割った弁償のお金の足りない分を出してくれるからその分のお手伝い・・・と言っていた、全部出してくれるのか不足分の補填なのかまでは訊かなかった。

 晩飯。いつもは水曜日がカレーの日だったが、水泳教室も休みで、忘れていて、今日カレーにした


令和 2年 4月15日(水)

 薄い雲がかかっているような、それでも今日は穏やかな晴れ、天気は下り坂。
     最低気温 4.3℃ (04:03)、最高気温 17.1℃ (14:16)

  ハチウトの内検をした、群れはまだ分蜂をするほどの大きさになってはいないと思うが、底板の掃除をした中に雄ハチの蓋が幾つか混ざっていた、ということはこの程度の群れでも遠からず分蜂があるのだろうか。

 午前中、切って放ってある薪を草に埋もれる前に薪小屋に運び込もうかと思っているところに北坂梨の坂梨増実さんから「ほだ木」用のクヌギがあるよ、と電話を頂戴したので、予定変更で、クヌギの積み込みに行く、タップリ二台分の木をもらってきた。ちょうど正午の時報と共に作業完了。(写真1写真2
 
 午後から、最初予定してた薪の取り込みにかかる。この木は青少年交流の家から貰ってきた非常に太い桜の幹を割ったもので、今日の作業で二年越し(三年越し?)の作業がようやくすべて終わった、今シーズンはもう燃やさないから次のシーズン用だ。薪小屋がいっぱいになるかと思ったが、まだまだゼンゼン余裕、もう一か所、切残している薪を入れても大丈夫そうだ。今日は午前午後と思いっきり肉体労働をした。(写真1・写真2写真3

 今日から太郎も臨時休校が始まった。当地の小中学校のホームページ、学校によって取り組み方の違いがあるがいずれもあまり有効に使っている風ではない、そのなかで阿蘇市ではないが隣の村立産山学園(小中一貫教育)が、そして同じ阿蘇市でも旧波野村が意欲的だ。先生も児童生徒も普段からもっと学校のホームページに慣れ親しんでいたら、今回のような突然の休校になっても上手い活用法が見つかっただろうに。市民に無料で貸与されている光回線を使ったお知らせ端末、市からの広報にだけ使うのでなく、この回線を使って学校の教育用に端末が使えないのだろうか。小生はジジイだが、同じジジイ仲間たちと遠隔地に居て会うこともないのに日常的にネットでコミュニケーションをとって情報交換をしているのでお互いに遠隔地にいるという実感はない、そのくらいネットが生活に入っている、この年齢としては異端かもしれないが。今の若い人たちも自在にSNSを操っている、ネットのマイナス面ばかりが強調されるからか、学校教育でのネット環境は非常に遅れている。

 太郎は、マスク作りに精を出していた。耳にかけるヒモが色つきの毛糸しかないので、ナフコに裁縫用の細いゴム紐を買いに行ったら、そういったマスクの材料になりそうなものも全部売り切れでなかった、店内をぐるぐる回って適当なものはないかなと探したところ、農業資材の売り場に軟らかな麻紐が売っていたので買ってきた。都市部ではイナゴの大群が通った後のように、こういったような材料は根こそぎ無いということだ。それでもいろいろなもので代用すればマスクなんか作ることができる。溶接の際、ヒュームを吸わないように防塵マスクがあるが、これなんかも全く無いそうで、本来の溶接作業に使えないという困ったことになっているとも言う。家庭で使うマスクは自作程度でいいのだから、みんなが自作すれば本当に必要なところにマスクが届くようになるのに。
 
 白い紐ではないけど、これはもうプロ仕様だ、太郎に、今度の登校日に、自分で作ったマスクを持って行って、自分で作れるよとみんなに言ってあげたら?でも無菌室で作ったわけではないから、みんなに上げられないね、と言っておいた。 

 晩飯。消費期限ギリギリの豆腐があったので、今日はマーボー豆腐だな、他に何がいい?いつもだとエビチリがセットだが、今日はチンジャオロースが食べたいという、お安い御用だ、まるで中華飯店だ。チンジャオロースだとタケノコが要るなあ、冷凍庫の底の方にストックしたタケノコがあると思うけど、次々に積み重なった冷凍食品をかき分けて探すのも面倒だ、ヨシ、裏に行って掘ってこよう。ちょっと行って裏からタケノコを掘ってくる、なんと贅沢な環境か。
 
 すぐに目についたものすごく太いタケノコを掘って茹でた。ほかにもなんとなく何本も出ていそうな雰囲気だったが、なるべく見ないようにして、一本だけ掘ってきた。
 というわけで、今晩は、マーボー豆腐とチンジャオロース。

 最後のアゼリアの風呂に行ってきた、武漢ウイルス感染拡大防止のためにしばらく休館になる。今時風呂の無い家なんて無いだろうが、公共の温泉がみんな休みだと困る人もいるだろうが、仕方がない。

令和 2年 4月14日(火)

 素晴らしい夜明けだった、阿蘇山、いままでもこんな景色はあったのだろうが、今朝はことのほか神々しいまでに黄金色に輝いていた。(写真1写真2写真3写真4写真5)
     最低気温 1.3℃ (05:47)、最高気温 18.3℃ (15:39)

 定点撮影
 登校風景 今日を最後にまたしばらくこの様子は見られなくなる。
     (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11

 今日は「トンカツ忌」、母の命日である、母はトンカツが好きで、生前私が死んだらトンカツを供えてくれと冗談によく言っていた。だから命日にはトンカツを揚げるようにしている
 
 買ってきた生花のほかに、敷地内に咲いている花を手向けた。桜はギリギリ残っていた。それからシャクナゲが豪華である、そのほかに菜の花、花大根、グミの花・・・だったかな。カミさんの両親からも丁重にお供物が届いた。
 今年で丸10年、まあ、去る者、日々に疎し・・・・これでいいのだ。

 四年前の今日が最初の熊本地震が起きた日だったのだ、母の七回忌の日だったのだがあまり記憶が残っておらず日記を読み返した、その後もいろいろなことが起きて時間がどんどん過ぎてゆき、もうずいぶん昔のような気がする。いろいろな災害が出来して、運よくそれらに遭わずに済んでいる、すべてこれは「たまたま」でしかないのだ、そして今、また、武漢ウイルス禍に襲われつつある。

 一周忌の時に、ミツバチの分蜂があり、法事どころではなかったことを思い出す(平成23年4月14日(木))。
 だからここのところ、そろそろ我が家のハチ、分蜂があるかなと気が気ではなかったが、考えてみたらそれは無いことに気がついた。今家に居る蜂は昨秋(2019.10.9)、逃亡してきた小集団のハチだからまだ分蜂するまで増えていない、だからすぐには分蜂は無い(と思っているが、正しいだろうか)
 
 ボンの小屋、遷宮をした。躊躇することもなくさっそく気持ちよさそうに眠っていた、そりゃあそうだろう、木の香も新しい新築戸建てだ。(写真1写真2

 「しゅうきんぺい」対策で、最近ラジオの出演者が実際に集まらずに各自電話でスタジオ参加するケースが増えている、ラジオを聴いている分には、音質がちょっと落ちるが、集まってやろうが、離れてやっていようがあまり関係が無い、テレビなんかもそういう手法をとって、いるのだろうか、いないのだろうか、これで放送局は「しゅうきんぺい」やってますよ、とアピールをしているのだろうが、果たしてそうだろうか、確かに聴いたり見たりしている側からみると、そう見えるが、それは一番視聴者に近いスタジオだけで、番組制作にかかわるスタッフ数というのは一か所に集めてやる場合と分けてやる場合とどちらが多くなるだろうか、電話出演の場合は、慣れた人なら本人だけでいいが、そうでない場合は、介助をするスタッフが付いているはずだ、これがもし、テレビの場合、遠隔地から離れて番組参加するのであれば明らかにそのためのスタッフが複数人必要になる、だからこういった手法は見せかけの手法だと思っている。一番いいのは、放送時間を大胆に削ることだと思う、昔は、テレビ放送も朝の日の丸から番組終了の日の丸まで放送時間は限られていた、今はあまりにも無駄で有害な放送ばかりだから、率先して営業自粛、放送時短をするといい、決してしないだろうが。

 緊急事態宣言が出されて以来、中古のWindowsマシンが前年比300%の伸びで売れているそうである、特にwebカメラとWiFiを内臓したノート型が多いそうだ、笑ってはいけないけど、思わず笑ってしまった、テレワークの需要だな。

 夏子は今日から5月6日まで臨時休校、太郎は明日から5月6日まで臨時休校、太郎のヤツは昼までで帰ってきて、外でテニスの練習をしていて、また小生の作業場のガラスを割りやがった、一枚5,000円だ、前回の時は今回は勘弁してやるが今度やったら弁償だからなと宣告してあったので、さてどうするか、お前の貯金から払ってもいいし、お母さんと相談してみ、と言っておいた。ガラスに当たらないようにコンパネを立てていたが、丁寧にやらないものだから、硬式テニスボールを力を入れて打てば割れるに決まっているのに何度注意してもやめなかったので今度は落とし前をちゃんと付けさせる。
 
 とうとうアゼリアも16日から、図書館は20日から5月の連休明け(6日)まで臨時休館に決まった、熊本県は緊急事態宣言が出されていないが隣の福岡県が出されていて、熊本県でも感染者が少しずつ増えているので、先手を打っての措置だろう、まあ、これは仕方がない、とにかくみんな動かずにしばらくじっとしていようということだ。
 
 夏子がキチンペーパータオルを使ってマスクを作った、鼻の形に折り曲げる金具(ラッピングタイ)もちゃんと入っている。ヒモに使うゴムさえもう売っていないそうで、毛糸を使って作っていた、白い毛糸があればもう完璧だ、見ていた太郎も姉に教えてもらって作っていた。こんなに簡単に作ることができるのに世の中どうして自分で作ろうという風潮は起きないのだろう。
 
 晩飯、トンカツを揚げてポテトサラダを作った
 


令和 2年 4月13日(月)

 終日ほとんど雨。気温もこの時期としては寒い一日だった。
    最低気温 4.3℃ (17:42)、最高気温 7.5℃ (14:59)

 昨夕の雨上がりで天気が回復するのかと思っていたら、どうもそうではなかったようで、今朝になっても雨風が強かった。そして予報によると午後には突風が吹いてところによって雪になるかもと言っていた。ところが午後になっても風は強まらず、天気が回復方向に向かっている。というようなことで・・

 今日、気象庁の「警報注意報」のページを見ていて気がついたことがある。あそ熊本空港に隣接して西原村というところがある、村の中心部は外輪山を下りた平野部で、ここから見ると「山向こう」になる、そしてこの西原村はそういう位置関係にあるが阿蘇郡である、最近出た武漢ウイルスの感染者は阿蘇保健所管轄のどこからしいが、この阿蘇保健所は阿蘇郡市を管轄するから、この西原村も阿蘇保健所管内ということになる、別に西原村で今回の感染者が出たというのではない、西原村が阿蘇郡に間違いないと思い込んでいたところ、気象庁の警報注意報を示す表には上益城の西原村となっているので、え?いつ変わったのだろう、そういえば平成の大合併の時だったか、阿蘇郡蘇陽町が阿蘇郡から上益城郡になったので、西原村もそうだったのかと、改めてネットで確認をしたところ、今でも西原村は阿蘇郡である。ということであれば、気象庁の上益城郡いう区分けはどういうことだろう、多分気候的には「阿蘇地方」よりは上益城郡の気候だからだろうな。
 
 結局、熊本県は武漢ウイルスの感染予防のために全県で小中高とも5月の連休明けの6日まで臨時休校になった(高校は明日から、小中は明後日から)。

 定点撮影 登校時には横殴りの雨風で傘がひっくり返るので傘を閉じて登校していた。
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 夕方近く、一時的に雲の切れ間ができて山の上のほうが雪で白くなっていた。敷地内にあるシャクナゲが一気に花開いていた、花が開いて初めて気が付いた、それまで蕾であったのだろうが全く気が付かなかった。カラタチの白い花も咲いていた

 ものすごく立派な青首大根をもらった、この大根はどうしようか。よし、全部一度に使うことにしよう。
 ということで、晩飯は、豚大根、大根サラダ(カニとホタテのほぐし身入り)、厚揚げと大根の煮物、大根と里芋の味噌汁
 少し大根が余ったので明朝はじゅんバリにしよう。

 相変わらずマスクがどこにも売っていない、別に買うためではないが、ホームセンターなどに行くと、入り口に「マスクはありません」という貼り紙でなくて立派な看板が立てられるほど恒常的になっているようだ。話によると、時々入荷をするらしくて、それを求めて年寄りが早朝から並んで開店を待っているという、小生もジジイだから遠慮なく言わせてもらう、並んでマスクを買うくらいの体力があるのなら、マスクくらい自分で作ったらどうだ、たかが布切れ(あるいは紙)をちょっと折って紐をつけるくらいだろう、ネット検索すればいくらでも作り方が載っているぞと。別に電子工作をしろと言っているのではないのだ。そうやってみんながマスクくらい自分で作れば、高い金をかけてアベノマスクなどと馬鹿にされてまで国民に配る必要も無いのだ。

 武漢ウイルスのせいで「はちみつ」がバカ売れなんだそうだ、どこだか知らないが某民放局が「はちみつ」が武漢ウイルス撃退に効果があるという趣旨の放送をしたとたんに売り場からはちみつが消えたそうだ、テレビ、まさに○○が作って○○が観るの典型だ、そこまではまあ〇〇同士だから良いとして、困るのは○○でなくても○○になる、からだ。



令和 2年 4月12日(日)

 九州南岸を低気圧が東に移動しているそうで朝から(昨夜から?)雨が降っていたが夕方には上がる方向にある。風は思ったほどではなかった。今日は一日平坦な気温変化だった。
    最低気温 6.9℃ (05:03)、最高気温 8.9℃ (00:00)

 今日は外に出るわけにいかず、一日本を読んだり、PCのお守りをしたりして過ごした。

 連日の武漢ウイルス報道をみていると、どうも何かちょっと違うのではという気がしてならない、例えば報道で、営業自粛要請外出自粛要請で「さびれた街」「閑散とした街」という自粛要請を否定的に捉える写真や記事ばかりだ、街頭録音(と今でも言うかどうか知らないが)でも、迷惑だという被害者的な声ばかりを集めて流している、休んでやるから代わりに補償しろという報道ばかりだ、まるで他人事だ、突き詰めると自分のためだろう、家族のためだろう。武漢ウイルスを抑えるのは、「しゅうきんぺい」しか方法は無いのだ、だから、さびれた街でなくて外出を控えた効果が表れているという言うべきなのだ。本来補償するような対象でもない業種までもがこの際とばかりに補償補償と叫んでいる、原則、どんなビジネスにもリスクはある(ビジネスリスク)、たまたま今回それが武漢ウイルスなのだ。もしかしたら欧米のように「阿鼻叫喚」になるかもしれない(ならないかもしれない、それは誰にもわからない)、その時になって後悔しても遅い、しばらくのガマンがどうしてできない日本になったのか。戦後の「民主主義教育」と〇〇新聞、〇〇テレビのせいだろう、なにより〇〇野党のせいだろう。記事転載PDF日本はまだコロナを侮っている

 国は人の動きを減らすために企業に盛んにテレワークをしろと呼びかけているが、果たして今日本の企業でテレワークなんかできる会社はどのくらいあるだろうか、その普及を遅らせている原因は、何よりも省庁を頂点とした「お役所」にあると思う、規制、規則でネットで簡単に済む手続きですら窓口に出向かなければ、また、様式に則った書類を作らなければ受け付けてくれないことがあまりにも多すぎる、わざとネットで処理できないようにすらしているのではとさえ思ってしまう。銀行様だってそうだ、海外ではとっくにネットバンキングで処理しているのにわが国では最近ようやく仕方なく導入したようなものだ。結局日本は役所がやらなければそれにつながる企業もできないのだから。小生が昔働いていた会社、今はどうだろうか、テレワークやっているだろうか・・・大体想像がつくが。

 お役所などの公共機関は武漢ウイルスだからと言って閉じるわけにはいかない、個人が市役所に出向くような用件、かなりの部分がネットで済むはずだ、そのIT化、当市ではどうなんだ、やっているのだろうか、やろうとしているのだろうか、やる気はあるのだろうか、市だけでもやろうと思えばたくさんあるはずだ、災い転じてなんとやら、この際真剣に取り組んだらどうなんだろう、市民の利便性向上と何よりもコストダウンになる、(もしかしたらもう着々と準備中なのかもしれない)。

 省庁が率先してIT化を進めていれば、日本の企業もどんどんIT化が進んでいたはずだ、そして学校もそうだ、そうしたら、たとえ学校に行けなくてもネットで授業はできたはずだ。諸悪の根源は日本の省庁にあるのではと思う。
 
 熊本県では今夕のニュースで、蒲島知事が県立の学校を、折角新学期が始まったばかりなのに、5月の連休明けまで休校にするようにと教育長に指示をだしたそうだ、夏子なんかさすがに、そんなに学校が休みになるのは困ると言っている、そうなると、各地の市立小中学校はどうなるのだろうか、多分右に倣えになるのだろう。
 
 ラジオなんか聞いていると、さかんに顔を触るな、目をこするなと言っている、小生はあまり気にせずに聞き流していたが、目からもウイルスは侵入するらしい、ということはインフルのウイルスだってそうだろう、いままでそんなこと聞いたことが無かった(ような気がする)。

 LINEと厚労省との武漢ウイルス調査の3回目があった。


令和 2年 4月11日(土)

 晴れ。高岳の麓のところどころ、淡くピンク色に染まっているようにみえる、あれは桜ではないだろうか、多分山桜なんだろう、どうやって生えたのだろうか、自生なんだろうか(写真1写真2写真3
    最低気温 2.6℃ (04:48)、最高気温 15.7℃ (13:47)

 ボンの小屋の製作の続き、屋根を取り付けて、塗装をして、完成した。今夜遅くか明日には雨になるそうだから、ギリギリセーフで間に合った。「遷宮」は天気の良い日に改めてするとして、とりあえず入りたければ入れるようにしておいた、新しいほうが雨漏りはしないし居住性は良いに決まっているが塗料のに臭いがするから入らないかも。

 ナフコに工作の部材を買いに行ったところ、レジのところに2mくらいの間隔で足のマークのシールがずっと向こうまで床に貼ってあった、間隔を取って並べということである、武漢ウイルス予防の「しゅうきんぺい」の一つなんだろう、レジの係の人はビニールの手袋をしていた、接客業は誰が来るかわからないから緊張の毎日だろう。日本の、東京の感染者数が前日に比べて確実に増えている、ただ、増えてはいるが、欧米のような指数関数的な急激な増え方ではない、やはりそこに何かあるのだろうな。

 もう大昔になる、サトウコウジンと音読みで読まれていたが、佐藤弘人という随筆家がいた、一橋大学の教授だったと思うが、その人に「はだか随筆」という著作があった。小生が中学か高校生のころに家にあって読んだ本だ。もちろん子供用の本ではない、大学教授という固い職業でありながら、内容は聖談、性談があふれていた。
 
 武漢ウイルの緊急事態宣言で茅ケ崎では図書館のWeb借り出しもできなくなったという寺さんからのLINEで、本を安く入手する方法として、Amazonで読みたい本を検索すると、その下の方に、中古の紹介もあって、本によっては1円で売っているよといった遣り取りをしているうちに、先日の「天皇さんの涙」から、昔読んだ面白い随筆のことを思い出してサトウコウジンを思い出したのだ、そして、確か家にあったなあと思って書棚を探しみたところ、奥の方に残っていた、別に古書としても価値なんかまったくないのだが、何度も転居したのに、青春時代の思い出と共に捨てがたく残してあったのだ。(写真1写真2
 
 この本なんかもAmazonで今でも売っている。新刊に近い本は古書サイトでも安くはないが、ちょっと古い本で、希少の学術書希や稀覯本でもなければ安価で入手できる、ブックオフでも通販をやっているし、古書検索のサイトもある。

 今日行ったら坂梨唯一のスーパー「テラサワ」が閉まっていた、貼り紙に「かかる事情で」とあるが、そのかかる事情の説明が無いので詳しくはわからないが、地域に根差した商店が無くなるのは寂しいし、車が使えないお年寄りなんか、困るだろうなあ、いずれスタイルを変えて再開することは無いのだろうか。


令和 2年 4月10日(金)

 本日も穏やかに晴れる。
     最低気温 2.7℃ (06:06)、最高気温 16.3℃ (12:20)

 今日から新学期の全学年の登校が始まった。新一年生も登校班に加わって登校していった、一年生は、入学式が終わって今日が初めての登校日になる、黄色い交通安全帽子を被っているから遠くから見てもわかる。今年の坂梨地区の一年生は3名か4名だったと思うが、全員マスクをして登校するようになっているので、残念ながら顔がわからなかった、つい最近まで6年生として登校班にいた子供たちも、新中学一年生になって数名が自転車で一団になって登校していったがこれも皆マスクをしていて誰が誰だかわからなかった。
 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 朝、皆が出かけた後、タケノコを二三本掘って(そのくらいしか生えていないだろう)約束していたご近所に届けようかとちょと竹林を覗いたらまたたくさん生えていた、生えている以上仕方がない、掘らなければ、とまたタケノコ掘りで一汗かいて、何軒かの知り合いを訪ねて配って回った。そして少し残ったので、我が家の晩飯の材料にした。

 ボンの犬小屋、大体できた、あとは屋根部分の取り付けにもう一工夫必要だが、最後に塗装が残っている。ボンがどんな反応をしめすだろうかと、今の小屋の近くに置いておいたところ、チャッカリ新しいほうに入っていた。

 ここのところ、小生が行く夕方、アゼリアの風呂が空いている、やはり武漢ウイルスを警戒して風呂に行かなくなった人が多いのだろう、一つには、なるべく早い時間に済ませる人が増えたということもあるらしい、昼間の空いている時間に、という「しゅうきんぺい」なんだろう。

 小生はここにはまだ武漢ウイルスは入っていないので、いっさいマスクなんかしないで出歩いて顔見知りとは気にすることなく話を交わしているが、内心、親しい人だから、よく知った人だから大丈夫だと思っているからだが、考えてみたらこれは大間違いなんだなあと今頃になって気が付いた。相手が信頼できる人間かどうかは全く関係が無かったのだ、その人がどこで誰に会っているのかわからないしその人でさえ知らないうちに感染しているかもしれないのだから。これは家族間に関してもいえることで、こういったことから、出来るだけ出歩くなということなんだなあと、改めて思っている次第である。しゅうきんぺい!
 
 晩飯、タケノコご飯にした。土佐煮、若竹汁、刺身、ご近所からアスパラを頂戴した。
 
 


令和 2年 4月 9日(木)

 穏やかに晴れる。
   最低気温 2.0℃ (06:13)、最高気温 17.9℃ (14:28)

 武漢ウイルス、依然として全国的に感染者が増えているようである、やれ自粛だやれ休みだ、で家に居て時間を持て余しているという声がラジオを聞いているとたくさん聞こえてくる。小生なんかこれが信じられん、いくらでも家にいてやることはあるだろうに。世の中には時間の使い方を知らない人が大勢いるらしい。家にいてやることが無いから街に出かけて感染広げる原因にもなる、小生なんか何日でも何か月でも街に出なくても誰にも会わなくても暮らしていけるぞ。

 ボンの小屋の製作の続きをする、別にボンにとってはどちらでもいいことだろが、製作者のこだわり、出入口の上部をアーチ型に切りたいのだが、小さな電動ジグソーがあったのだが、歯がどこかに行ってない、どこの製品だかわからないような代物なので、替え刃もタイプがわからない、仕方がない糸鋸でも買ってくるかとナフコに行ったところ、これが、一瞬目を疑うような値段で売っていた、桁が間違いでないかと思って何度も確かめて、間違いない2,000円で、ヨシ即決だと買ってきた、この電動ノコは曲線は出来ないので糸鋸も300円くらいで買ってきた。電動ノコは展示品の処分かなにかだろうか、未使用には違いは無いようだが、なんとなくそんな風のものだ、それで別に構わない。
 
 でさっそく使ってみた、電動丸鋸と違って普通の鋸の電動って必要なものか、これは如何にも不器用なアメリカ人が考えそうな道具だな、やはり手で引く日本の鋸のほうが勝っているだろうと、使いながら考えた。
 
 ところが、しばらく使って要領を掴んでくるとこれは非常に便利なものだということがわかってきた、これはいい買い物をした、儲けものだった。
 
 一方で、糸鋸の方は、小ぶりな工作ものならいいが、挽く距離が長いと実に効率が悪くて時間がかかって仕方がない、そもそも糸鋸の懐が狭いので広い板を糸鋸で引くことができない、とうとう糸鋸で切るのは諦めて、太いドリルで連続して大まかに穴をあけて切り離して、そのあとを細引きのノコを使って仕上げた。

 夕方までかかって屋根を残して大体組みあがった。
    (写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 
 小生、マルチタスクで、いろいろなことを並行してやっているので一つのことに時間をかけることができない、ハチのことも気になり始めている、そろそろ分蜂に備えて、蜂球板も用意しなければならないが、蜂群が止まりやすい古い孟宗が先日全部燃やして無い、困ったなあと思っていたら、以前作ったやつが出てきた、これが使える、ほっとした。手の届きやすいところで蜂球を作ってくれると手ですくって取り込むことができるので大騒ぎしないで済む、人によっては素手ですくうが、小生はそこまでの度胸は無い、ゴム手袋をしてすくう、これだと蜂を傷めずにそっと移すことができるのだ。
 
 晩飯、カツカレー。当初の予定では昼飯にするつもりだったが、夜また献立を考えなければならないので、子供たちに夜にしようかと言うと、うんいいよ、と言うので、昼はお好み焼きを食わせた。と言うわけで、トンカツを揚げて昨日の残りのカレーでカツカレーを食べた。

令和 2年 4月 8日(水)

 晴れ。
     最低気温 2.2℃ (06:14)、最高気温 18.5℃ (13:02)

 今日から小中高の学校が始まった、久しぶりに旗振りに出た、すっかり景色が変わっていた。今日が在校生の始業式で、明日が入学式である。入学式には今年は在校生は参加しないので、姉弟とも明日はまた休みである。姉も弟もクラス替えも担任の先生も変わらず、太郎は始業式は運動場でしたそうで、午前中で二人とも帰ってきた。
 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 
 コメをご近所から分けていただいてコイン精米所で精米をした
 そのあとで、タケノコ数本を処理して、さあ、大工仕事をしようかと思ったが、昨日操作ミスで丸鋸のケーブルを断線しかけてしまったのだった、以前にも、丸鋸で自らケーブルを切断したことがあった、とにかくドジである。
 
 なんとなくケーブルを補修するのが面倒なので、もう一台の丸鋸を引っ張り出してきた。ところがこの丸鋸も実は動かないのだ。何年か前に、カーボンブラシが減るほど使っていないのに動かなくなって原因がわからなかったので、その後、現在使っている丸鋸を買ったのだった。
 
 今日はその動かない丸鋸の方を見てみようと、あちらこちらいじった、と言っても小生レベルでは故障の原因はわからない。無駄だとは思ったが、カーボンブラシを外してみた、やはり、全く減っていない、ところがもう一方のカーボンブラシを取り出したところ、中で割れていた、これが動かなかった原因のようである。
 
 ナフコで新しいカーボンブラシを買ってきて、入れてみたところ、正常に動きだした。(写真の左端のブラシは外そうとして引っ張って切れたもので、ブラシは減っていない、右端のブラシが割れていたブラシである、真ん中の二本が交換用に買ってきたブラシである)。
 ついでに昨日ケーブルが切れかかったほうの丸鋸のほうも補修した。完全に切って、繋ぎなおそうかと思ったが、よく見ると被覆は削れているが芯線はちょっと毛羽立っている程度で、わざわざ繋ぎなおすほどのことでもないな、ということで、接着剤を盛って、芯線を覆って、それで修理完了とした。二台丸鋸が揃った。
 
 ということで、今日は大工仕事は出来なかった。

 アゼリアは武漢ウイルスの感染予防のために阿蘇市民でない者の利用が全面的に出来なくなったが、阿蘇市民であっても18歳未満の者は風呂を除いて同様に利用禁止になった、それに伴って週一の太郎の水泳教室も今日から当分の間中止になった。

 晩飯、太郎の水泳教室がある水曜日は時間の関係でいつもカレーが多い、今日はそんなわけで水泳教室が休みだったが、いつものようにカレーを作った

 先日、登士男さんの奉仕の手伝いで国造神社の乱木の剪定をしたのだが、これは奉仕でギャラ無しだよとのことだったが、今夕、ケーキを届けてくださった、気を遣っていただいたようでありがたく頂戴した。


令和 2年 4月 7日(火)

 晴れ。
   最低気温 6.2℃ (00:35)、最高気温 17.6℃ (14:35)

 太郎と夏子、明日から新学期が始まる、熊本市は武漢ウイルス感染者が続いて出ているので休校延長のようだが、当地は当初予定通りに学校が始まる、ただ、学校では感染予防のために窓を開けて授業をするとか、給食は全員前を向いて静かに食べるとかいろいろ頭を悩ませているようである。
 
 ここは火曜日と金曜日が生ごみ出しの日、いつもはカミさんが朝出がけにゴミ出しをしながら仕事に行くが、今朝は「太郎!ゴミ出しお願い!」と言って出かけたので、太郎、初めてのゴミ出しをした。一輪車に載せて行けば、と言ったのだが、大丈夫!と言って、手でぶら下げて行った、ちょっと持った分にはあまり重さを感じないが、生ごみが入っていて結構重たい、途中何度か持ち替えて、無事ゴミ出しを終わって帰ってきた。(写真1写真2写真3写真4)  

 ボンの小屋の制作の続きをしようかと外に出て、念のために竹林を覗いてみた、なんとなんとまた何本も顔をだしている、このまま放っておくと竹になるので、次々に掘り起こして、数が多いので、一度に処理するには、とまた急いで箱詰めにして親戚に送った。この仕事で午前中はつぶれて、昼から、工作を開始したが、今日は各部材の切断までして終わった。ちょっと計算違いをして、コンパネを半分無駄にした。切り分けた部材をみて、ちょっと全体的に大きすぎる気がする、少し小さくするか。

 横浜のjtqの庭のシジュウカラの巣で今年も抱卵が始まった、「風の便り」のタイトルの上に、巣立ちまでライブ動画カメラのボタンを貼っておいた。

 今回の武漢ウイルスで「ザ・ラストシップ」「ウォーキングデッド」などといった観たことは無いのだがアメリカのドラマを思い出した、これまでこういったドラマは絵空事だと思っていたが。映画では「バイオハザード」というのもあった。

 とうとう武漢ウイルスで緊急事態宣言が東京を始めとして主要都市に出された、「非常事態宣言」と言うと思い込んでいたが「緊急事態宣言」と言うらしい、あまり強制力は無いようだが、それでもかなり心理的な効果はあると思う。

 当地のような山奥でも、アゼリアに入場制限がかかったり、市の地域医療センターの入院患者の面会が家族も含めて原則全面禁止になったり、ただでさえ本数が少ない「やまびこ号」が減便になった、などジワリジワリと影響が出始めている。

 最も効果的で唯一のそして簡単な防衛策、それはとにかく「動かないこと」に尽きるのだ、そして「しゅうきんぺい」だ。不要不急で「集近閉」というと、テレビのワイドショーやお笑い番組なんかがその代表的なものだが、見ていないのでわからないが今まで通りやっているのだろうか。この際テレビ局そのものが自粛休業すればいいのに。

 また阿蘇郡市に感染者が出た、先日感染がわかった人の母親(だったかな)だそうだ、あの町だ、この村だといろいろなうわわが飛び交っている、どうして、もっと町村名まで発表しないのだろうか、たまたま保健所の管轄が広範囲なだけで、自治体としては別なのに、差別やいわれのない非難を受けないようにという配慮なんだろうけど、実際に発生したところでは防護服を着た白装束の一団が消毒しまくるのだからどこの人(だれかまで)かわかるのだから、ちゃんと自治体名まで発表したほうがいいだろう、そのほうが、そのほかの自治体に住む人は無駄で不必要な緊張をしなくて済むし、該当自治体に住む人は改めて注意を払うことができるのだから、なんだか実に無駄なエネルギーを使わせられている気がしてならない、誰もどこの誰かを知りたいのではない、自分の住んでいるところからどのくらい離れているのかを知りたいだけなのだ。例えば熊本市だったら、東区の某だとか北区の某だとか、区名まで言うのに、どうして阿蘇郡市の場合は、市町村名まで明かさないのか、このことに対して誰も何も言わないのか、そもそも何のために発表をするのだ、住民の注意喚起のためだろう、それで今の方法が目的に適っているのか?合理的な説明を求める。

 晩飯、久しぶりに豚肉のムニエルを作った。
 
 なぜ若者はコロナ感染に“無関心”?・・記事転載(PDF)


令和 2年 4月 6日(月)

 穏やかに晴れる。久しぶりに氷点下2度以下に下がった、それでもまったく冷え込んだという体感はなかった。
     最低気温 -2.1℃ (06:28)、最高気温 16.3℃ (15:09)

 ボンの小屋が腐ってあまりにもみすぼらしくなっているので、気持ちよく全うさせてやろうと小屋を新築してやることにしてコンパネを買ってきて制作にとりかかった。が、今日もあれもこれもいろいろなことを同時平行でやるので作業の進捗がはかばかしく無い、今日はちょっとコンパネに切り線を引いただけで終わった

 ここのところ探索バチが周囲を飛び回っている、これも気になる、はやくウトの整備もしなくては。

 いろろな仕事と並行しながらPC再生作業を続けた。昨夕Windows7のライセンス認証、「無効」だとハネられた、やっぱりか、いささか後ろめたさがあったのは否めない、次は電話認証でやれというメッセージ、電話認証は先方のオペレーターとプロダクトキーの無効の原因究明のやりとりをしなければならないのだろう、と思っていたら、録音音声自動応答でやるらしい、それでもダメなときはオペレーターと直接交渉をするようになっているようだ。そこで自動応答ならやってみようと思って、手続きを進めた。これが結構面倒で、自動音声に従って、延々とスマホ(だけでなくプッシュホン、ガラケーでもピポパのDTMFがある電話)のキーボタンで向こうの音声に合わせて数十桁の数字を入力して、さらに、また、次のステップでさらに延々と自動音声に従って今度はPCのキーボードから同様に数十桁の数字を打ち込む。そうしたら、ライセンス認証できましたと、返してきた、これはいったいどういう仕組みなのだ、これで晴れてWindows7のライセンス認証は通過した。
 
 次にこのWindows7にWindows10を無償でアップグレードする、Windows7でライセンス認証が済んでいるので、改めてWindows10でのライセンス認証はしなくていい。

 これでRAID1構成のWindows10マシンが完成した。RAID1とは、全く同じHDが2台入っていて、自動的に2台のHDに全く同じ内容が書き込まれる、だからRaid1をミラーリングとも言う。もし1台のHDが壊れてももう1台のHDが生きているので、データーが無くなることが無い、壊れたHDを新しいHDと入れ替えれば、また2台で動く、2台同時には壊れないだろうというものである。ところが、今回のように、システムが壊れると、もう一台のHDも全く同じだから同様に壊れてしまう、つまり万能ではないということだ、あくまで、HDが何かの原因で物理的に壊れた時に、もう一台でカバーできるというくらいのものだ。
 
 一日かかって、インストール作業が終わった。今回再生させたPCはDell Vostr420で当時はかなりのスペックだったのだが、今やWindows10がまあ普通に使える、という程度のPCになってしまった、これをまた小生のメインPCに使うことにしようか。
 
 昨日のニュースで阿蘇保健所管内で武漢ウイルス感染者が出たと言っていたが、阿蘇保健所管内とは阿蘇市と阿蘇郡になる、かなり広い範囲であるがそれ以上の発表はなかった、であるのに、今朝になって、市の広報(お知らせ端末)で、それは阿蘇市ではありませんと放送していた、なんだこれは、ということは、該当者がいない阿蘇市以外の町村でも同じように放送しているだろう、で、結局放送が無いどこかの町だか村が発生地だということがわかる、結局そういうことになるのだから初めから、地域を絞って発表したほうが疑心暗鬼、風評被害を産まずに済むだろうに、全くの無駄なコストだ、誰の指示なんだ、どこの指示なんだ、本当に役所のやることは。

 アゼリアもとうとう入場制限がかかった、夕方行ってみるとさっき決まったばかりだと掲示がしてあった、当分間、阿蘇市外の利用者は会員、非会員を問わず全面利用禁止、阿蘇市内の18歳未満の子は風呂以外利用禁止。産山村もほとんど阿蘇市と同じような生活環境だが、それでも阿蘇市外ということになり利用ができなくなる。どうして阿蘇市以外はダメなんだ、差別だろう、とレンポウ的に騒ぐ人間が必ず出てくるだろうが、これは仕方がない、差別ではない、武漢ウイルスの侵入を防ぐための阿蘇市の必死な対策だ、どこかで線を引かなければならない。こういった決定を見るといよいよ風雲急を告げてきたという不安な気になる。

 二拠点居住で阿蘇と東京を年の半分ずつ住み分けているYさん、ちょうど今回の武漢ウイルス騒動に重なって阿蘇に帰ってくることになっていた、折しも東京では非常事態宣言が出されようとしていて、別に交通封鎖されることはないのだろうが、危うく東京を脱出してきて今日帰ってきた。ただ、本人は全く自覚症状もなく感染していることも知らずに帰郷して、地元で感染者を出す事例が結構あるので、今日から最低二週間は自宅に籠って外部との接触を断って自主隔離をするそうである。もし人物が特定されて東京から帰って来たぞと焼き討ちにでも遭うといけないので「忌明け」までイニシアル表記にしておこうか。

 武漢ウイルスの影響で医療機関は大混雑しているのだろうか、想像するに、逆に訪れる人は減っているのではと小生なんか思ってしまう、というのは普段は、病院の待合室で、あれ、あの人は?ああ、なにか今日は調子が悪くて来られないようよ、という冗談が出るほど、あまり重症でもない人が病院に来すぎる、と言われている、病院も年寄りたちの社交場になっていると聞いたことがある、こういった老人たちは今は病院には近寄らないだろう、昨今の病院は年寄りばかりだから、だから病院は逆に空いていると思うのである、小生なんかやっぱりよほど悪くでもなければ行かないな。

 熊本市はまた武漢ウイルスの感染患者を取り違えて発表したらしい、「済生会熊本病院に入院していた同市南区の40代女性が新型コロナウイルスに感染したという4日の発表は「誤りだった」と謝罪した。」そうだ、熊本市はたるんでる。

 こんばんは何にするかなあと考えるがいい案が浮かばない、じゃあ、タケノコご飯にでもするかと竹林に入ったが昨日全部掘りつくして新しいタケノコがまだ生えていない、昨日今シーズン分を一度に全部掘ったわけではないだろうが、どうもすぐには出てきそうにない、かろうじて小さなやつが三本あったので、掘って夕食の材料にするために茹でた。茹でた段階での味見、掘ってすぐに茹でたのに今年のタケノコはかなりエグイ、たまたまなのか、全部なのかわからない。後から親戚筋に訊いてみようと思っていたが、調理をしたらエグミは全くなかった。

 タケノコご飯、土佐煮、若竹汁、それから刺身。鯖アレルギーの夏子、先日、しめ鯖を一切れ食べたけどなんともなかったので、今日は二切れに挑戦していた。
 
  昼は、お好み焼きを焼いてやった。当地は子供たちの学校は8日から予定通り始まるようで、あまりにも休みが長すぎたせいで、こどもたちは逆に憂鬱そうだった。
 
 それから、これ、白いイチゴ、夏子が通っている阿蘇中央高校で開発された「あその小雪」、紅白セットで使われたりする高級イチゴである、それがスーパーに売っていた、勝手な想像だが、武漢ウイルスでレストランだとか洋菓子店での需要が減って普通の店に並んだのではないだろうか、このイチゴのことを知らない人からみると、イチゴは赤いものだと思っているので、真っ白で手を出すのをなんとなく躊躇するような気がするイチゴだが、なかなか食べる機会がないので買ってきた、夏子も初めて食べるそうだ、普通のイチゴより少し高い値段だったが美味しかった 
https://sh.higo.ed.jp/asochuohs/%E7%99%BD%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4%E3%80%8E%E3%81%82%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%B0%8F%E9%9B%AA%E3%80%8F/
https://k-staff.blogspot.com/2014/01/blog-post_27.html


令和 2年 4月 5日(日)

 穏やかに晴れる。
    最低気温 5.5℃ (05:29)、最高気温 15.1℃ (15:29)

 一夜明けて、ボンの様子をみたら、生きていた、そして元気を取り戻してた、結局、ある程度の距離を歩くことができないのだろう、今日は家の入口まで30mくらいだろか、往復して散歩を済ませた、カミさんが心配して犬用の缶詰を買ってきて与えたら、パクパクと平らげて、食欲は旺盛だった。まだしばらくは大丈夫だろう。
 
 太郎はカミさん相手にキャッチボールをやっていた、カミさんは珍しくプランターに花の苗などを植えていた、田舎は平和である。と書いていたら、階下からカミさんの声、阿蘇保健所管内に住む50代の女性が武漢ウイルス感染したそうよ。それ以上のことはまだわからない、阿蘇保健所管内と言うと、阿蘇郡市になるので広い、ただ、こういった場合は、白衣の防護服に身を包んだ一団が消毒して回るだろうから、近所の人にはわかるな、とりあえずこの近くでは無いだろう、いったいどういう経路で感染したのだろうか、追跡できればいいのだが。

 jtq@yokohamaのシジュウカラが今年もまた営巣、抱卵を開始したそうだ。
     polluelo.f5.si:50001/CgiStart?page=Single&Language=1

 今日から「音楽の泉」、皆川達夫さんに替わって新しい解説者が登場した、そのうちに意識しなくても自然に名前を覚えるだろう。

 午前中、タケノコ堀りをした。今年は竹林を間引きしたせいか、一度にワッとタケノコが生えてきたので、例年だと二軒の親戚に日を置いて送っていたのに、今年は一度に掘って送ることができて、これで最低限やることを済ませることができた、我が家はまだ初物を食べていない、そのうちにゆっくり掘って食べることにしよう。(写真1写真2写真3

 昼食、カミさんが急に外で食べようと言い出して、外ってどこだ?と訊くと玄関先!ということで、玄関先でみんなで昼食を摂った(夏子は顔を晒すなというので苦労した)。

 武漢ウイルス、東京の感染者がとうとう1,000人を超えたそうだ、指数関数的に増えている、と言うものの、東京都の人口は1,000万人だろう、ということは1,000/10,000,000だから、0.01%・・・・・か、10,000人に一人になるのか、もっと低いと思っていたが、結構な数字なんだな、Yさん明日帰る予定だと前から言っていたが無事に脱出できるだろうか、まあ、戒厳令じゃないから帰ることはできるだろう、帰ったら自主隔離で2週間は家に籠ると言っていた、単身だから万一の場合でも同居人が感染することはないからその点は安心だ、ただひたすらじっとしていることだ。

 この先どう展開するのかまったく予想ができない、万一消費物資不足が起きていよいよとなって配給制度などが敷かれることにでもなればこればマイナンバーの普及なんかにもつながる、昔、と言ってもそんなに昔ではない、小生もその時代に生きている、米穀通帳がなければコメは買えなかった、配給制度が無くなっても、ずっと米屋で保管してくれていた(その後、返してもらって、家のどこかにあるはずだ)。買い占めを防ぐためマスクなんかマイナンバーカードが無ければ買えない、たしか台湾あたりではそうしていたのではなかったろうか。今回のことで国はいろいろな制度を一気に押し広める機会でもある。一方で武漢言ウイルスを政治利用するなと言う向きもあるが、みんな無責任に好き勝手なことを言う今の時代、こう言った政治利用も必要である、これは政権利用でなくて政治利用だ。

 武漢ウイルス感染予防のため企業や教育現場で広くテレワークが行われているそうだが、それに伴ってPCなどのIT機器の売り上げが急増しているそうだ、皮肉なもので今回のことがあまり関心が無かった層のITの普及に寄与することになるとは。(もしPCの在庫切れが起きるようなことにでもなれば我が家には何台もあるぞ、別にそれで足元なんか見ないぞ)。学校なんかイザとなったらオンラインで授業ができる、でもそのために阿蘇の光は脆弱だ。それに加えて阿蘇のインターネットの光回線の利用率はどのくらいなのだろう、防災無線機能だけでなくて、この際、インターネット回線も市民に一気に開放したらどうなんだろう。いずれウイルスは入ってくる、その日に備えて、早めに手を打っておいたほうが。

 今日も又LINEと厚労省のその後の健康調査があった。

 今日も時間の合間にPCの整備をした、小生にとってはメインのPCだったが、データは残っているがどうしても起動できない、そこで、とりあえず、このHDを避けておいて、新たにHDを入れ替えて、新規にOSをインストールすることにした。
 ただ、Windows10のシステムディスクを新たに買うのはもったいないので、一旦Windows7を入れて、それを無料でWindows10にアップグレードすることにした。Windows7のシステムディスクはなんとかした。
 
 それで、Windows7をインストールしようとしたら、このPCは確か、RAIDシステムが入ったPCだったはずだが(だからHDを最初から二台いれておいた)、普通にインストールを始めそうな雰囲気になっている、つまり、HDを二台入れているのに、ドライブを二台として認識していて、RAID1、つまりミラーリンク構成になっていない、どうだったかな、と一旦インストールを中止して、改めて、RAIDの設定をしてWindows7をインストールして、ようやく、インストール完了、と思ったら、なんとプロダクトキーが無効で、電話認証しろとメッセージが出た、あちゃー、今日はここまでにして作業を終了した。
 (memo. BIOSのStandard CMOS FeaturesのSATA ModeをRAIDに設定したあと、Ctrl+IでRaid設定画面を出して、Raid1を設定してからOSをインストールする)(写真1写真2写真3

 ああ、今日も忙しい一日だった、とても齢を取っているヒマが無い。


令和 2年 4月 4日(土)

 穏やかに晴れる。周り中、春の花だらけだが、心から楽しむ気になれない。
    最低気温 6.3℃ (06:01)、最高気温 16.9℃ (14:25)

 今日は朝から薪つくりをしようかと思っているところに登士男さんから電話。国造神社の整備をやっているけど、ちょっとチェンソーで手伝ってはいよ、ただし、今日はご奉仕だからギャラは出らんばい。それはもう、先日の助っ人で貰いすぎだったから構いませんよ、と午前中、雑木の伐採に行く。登士男さんは何十年も奉仕で国造神社の整備をしているそうである。(カメラを忘れた)
 
 その前に、ボンの散歩を済ませようと、出かけたが、途中で、ボンが倒れて動けなくなった、最近は小生の膝のこととボンの老化もあって以前歩いていた我が家周辺の約1キロの散歩はやめて、家を出て200mくらいでUターンして帰ってきていた、今日はその200mくらい行ったUターン個所でへたり込んで苦しそうにゼーゼーやってとうとう動けなくなって完全に横たわってしまった、目も焦点が合わないようにボーっと開けているだけでそのうちに目を閉じてあまり動かなくなった、ああ、ここでこと切れるのかな、とカミさんに電話をして軽トラックを持ってこさせて、抱きかかえて荷台にそっと横たえた。普段だと抱くだけで暴れて荷台に乗せるとまた暴れるくらいなのに、今日は全くなされるがまま、念のためにカミさんを荷台に一緒に乗せて家に戻って、犬小屋のところにそっと横たえた。
 しばらく様子をみていると、何とか元気を取り戻し、ドッグフードでなくてジャーキーをやると喜んで食べていた、少しずつ、いつもの老犬に戻ったが、やはりもうそろそろ限界のような気がする。ジャーキーを目の前に投げてやっても、目があまり見えないのだろか、鼻が利かないのだろうか、目の前にあるのに見当違いの場所を探している。なんとも言えない気持ちである(写真を撮る余裕が無かった)。

 昼から昨日の薪つくりの続きをした、昨日切残した分を切って、さらにあまり大きな奴は少し割った。
 
 そろそろ夕方近くになったので、店じまいをしようかと思って、ちょっと竹藪のほうに目をやると、二三本タケノコが顔を出している、急に出てこられても、当方にも都合がある、心の準備ができていない、でも放っておくと伸びすぎる、ということで、掘って知り合いのところに届けてきた。今日はこの程度かな、と思っていたら、竹林にはいった太郎が、お父さん、たくさん出て来とるばい、という、言われて竹林の中に入ってみると、ざっと見ただけで10本以上が一斉に顔をだしている、竹林の整備間引きからそんなに経っていないので、いくらなんでもその影響がすぐには表れないだろうと思っていたが、やはり間引きをしたせいだろう、びっくりするほど顔をだしていた、さっそく親戚向けに掘って送らなければならない。今年は木の芽もまだ若芽の段階だ。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 4日5日に行われるはずだったアマチュア無線技士の1アマ、2アマの国家試験が前日になって中止になったそうだ、まあ、命にかかわる問題だから中止も已む無しかもしれないが、それにしても前日というのはなあ、連絡するヒマもなく受験生は会場に行ってそのことを知るそうだ。試験は年に三回しか行われない。試験会場は全国十数か所で行われるが九州では熊本だけで、受験生は九州各地から熊本までやってくる、中には泊りがけで来る受験生も当然いる、だから前日になってとはなあ。今や九州の中心は福岡に移ってしまったが、西南戦争の鎮台が熊本(城)にあったからだろう、昔は九州の中心は熊本だった、その名残で現在もかろうじて「逓信省」は熊本だ、ほかはみんな福岡に行ってしまった、「逓信省」もやがて、だろう。

 C・W・ニコルさんが亡くなったそうだ、もう79歳だったのか、小生ももうそろそろそんな年になるのだからなあ。日本の捕鯨文化を擁護する小説「勇魚(いさな)」の作者だった。


令和 2年 4月 3日(金)

 くもり。
   最低気温 3.0℃ (01:54)、最高気温 15.8℃ (13:53)

 今日はひとつ久しぶりに外で労働をしようかと、午前中、薪つくりの準備をしているところに電話、ほだ木用のクヌギが、使わなくなったか余ったかで、在るけどと北坂梨の増実さん。太郎を連れて早速頂戴にあがる。ここに住み始めたころは面白くてシイタケ栽培をやったが、採れすぎて、それがかえってストレスになるので、作るのはやめた。
 (写真1写真2写真3写真4)

 太郎に太い木を指してこれ持ちあげたら一万円、これは絶対に持ち上げられない重量のもの、お父さん、片側だけ持ち上げられたら?うーん、それでも一万円・・・待てよ、万一のことがある、じゃあ、千円、ほんと?と言って太郎のヤツ片方だけ地面から浮かすことができて、千円取られてしまった。以前だったら絶対に持ち上げられなかったのが最近急に体が大きくなって、まさか、持ち上げるとは・・・・・
 
 昼前に昼飯の材料の買い出しに行くときに太郎も一緒に連れて、学童保育所に寄って、退所のあいさつをさせた。武漢ウイルス騒ぎで、学童の終わりが曖昧になったので、ちゃんと締めくくりのご挨拶と三年間のお礼を言ってきた、太郎は学童は三年生で終わりということになった。
 
 太郎、臨時休校と春休みの宿題全部やったそうだ、かなり量があったが。それに休みが長く続いたおかげで太郎は最近活字の読書の面白さを覚えたようだ、読書と言っても実際の本ではなくて電子書籍で、である、通信学習の道具に最近はタブレットを使うようになってそのタブレットに電子ブックがダウンロードできるらしい、たとえタブレットでも活字本を読むことを覚えることは素晴らしいことだと思う。世の中本を読む喜びを知らない大人が沢山いる、そういう大人にならないように。

 午後から当初の予定の薪つくり。少し前、斧で割ることができなかった桜の木、今日はチェンソーで少し溝を作ってそこに楔を打ち込んで、この場所に置いてあった桜の木、ほとんど半割しておいた。これは、以前、青少年交流の家からもらってきたやつだ、一昨年になるだろうか。今の時期、もうかなり草が生えてきているので、このままにしておくとまた草のなかに埋もれてしまう、その前に、薪にして運んでしまわなければ今度のストーブシーズンまで草に埋もれてグサグサになってしまう。

 もうストーブシーズンもそろそろ終わりだが、まだもらいに行っていないところがあった、たづ子さんのところだ、忘れているわけではありませんよ。

 晩飯。豆ごはん、煮込みハンバーグと塩コショウハンバーグ。昼は焼そばを作った。

 もうこれは戦争だろう、武漢ウイルス対策に関して無責任に好き勝手なことを言っている世間を見ていると、国家総動員法や治安維持法が必要だなと思うようになる。一億一心、欲しがりません勝つまでは、だ。

 武漢ウイルス感染予防のために、と最近「三密」という言葉が言われている、もともとこれは仏教用語だったと思うが、今回の三密、その三つを思い出そうとしてもすぐには出てこない、そこにある人が言った、習近平、いや「集近閉」で覚えるといいと、これはクリーンヒットだ、すぐに覚えられる。



令和 2年 4月 2日(木)

 久しぶりにいい天気になった。(写真1写真2
     最低気温 2.8℃ (00:53)、最高気温 16.8℃ (15:37)

 夏子は最近、学校が休みで机にばかり(かどうかわからないが)座っていると体が鈍ると言って、太郎を誘って家の近くを散歩している。
 今日も昼近くになって散歩に行ったがなかなか帰ってこない、ははあ、妙法寺まで足を延ばしたなあと推測した。散歩でぐるりと家の周囲を一周すると嫌でも妙法寺の桜の花などが目に入ってくる、だから今日は足を延ばしてお寺の花でも見にいったのだろうと思っていた。
 
 それにしてもいつまで経っても帰ってこないので、スマホの位置情報で位置を確認したら、間違いなく、妙法寺の本堂のところにいる、小生は昼飯の材料を買いに出たついでに、お寺の下から電話をすると、庵主さんと一緒にメダカの世話をしているという、ちょっと階段のところまで出てごらんと言って、遠くから三人の写真を撮って「みやはら」に買い物に行った。
 
 子供たちが帰ってから話を聞くと、水槽のメダカが卵を産んだら、親が食べてしまうのだろか、水槽のタニシが卵を食べてしまわないだろうか、と庵主さんが心配しよったばい、庵主さんがお父さんに聞いておいてと言いよったばい、ということだったので、昼から太郎を連れてお寺に行ってみると、まだ卵を産むところまではいっていないそうだ、卵の段階では食べないけど孵化した幼魚は食べるようですよ、だから卵のうちに別の水槽に移しておいたほうがいいですよ、タニシは卵は食べないと思いますと答えておいた。春爛漫である。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7)(夏子が撮った写真と小生のヤツと混ざっている)

 宮崎のじっちゃいのところ、日本ミツバチがやってきたそうだ、自宅で飼っているハチの今年の分蜂は期待薄だと言っていたが、よかった。そうか、自分のところの分蜂だけしか頭に無かった、よその分蜂が飛んでくるかもしれないのだ、そろそろハチウトの掃除にかからなければ、春爛漫だ。(写真1写真2写真3)

 ここのところ天気が悪くてずっと家に籠りっぱなしでなかなか外に出る気になれなかった、今日も、豆腐屋から引き揚げてきたWindows7にwindows10をクリーンインストールをした、good job!だ、これ、モニター無しで10K円(保証なし)だな。

 昼はカツカレーを作ることにした、カツは揚げて売っているが、小生は自分で揚げる、全く苦にならない、昨日作ったカレーと揚げたてのトンカツでつくるカツカレーだ。夜は炊き込みご飯と刺身、あっさり系でいった。刺身のなかにしめ鯖があった、夏子は鯖アレルギーだ、でも大丈夫なような気がするというので、じゃあ一切れだけ食ってみろと言って食べさせた、心から、ああ美味しい!と言っていた、好きなものに限ってアレルギーがあるものである、明朝どうなっているだろう。


令和 2年 4月 1日(水)

 今日も一日はっきりしない天気だった、雨がいつまでもショボショボ降っていた。
     最低気温 7.7℃ (但し19:16時点)、最高気温 13.5℃(10:25)

 新年度が始まった、武漢ウイルスのせいで重苦しい年度はじまりだ、それに加えて天気がすぐれないのでなおのことである。ここは山のなか、都市部に比べたらはるかに安全なのだが、それでもなんとなく息が詰まりそうな毎日である。いつ当地で感染が確認されてクラスターが発生するか敵が見えないだけに不安である。
 
 寺さんが阿川弘之の「天皇さんの涙」面白かったよ、とLINEがきたので、小生も阿川弘之は好きだから、読もうと思ったが、これは随筆集(文芸春秋に長年に渡って掲載された巻頭随筆)なので、図書館で借りるより、手元に置いておいて時々読むほうがいいなと思ったので古書検索をかけたら、わずか2円で売っていたので取り寄せた、郵送料が350円だった、帯のついたほぼ新品だった、1円で出展されたものもあったが、なんとなく1円じゃ気が引けるの、全く理屈に合わないが2円のものにした。

 受動喫煙を防ぐための改正健康増進法により今日から喫煙がますます厳しくなった、折しも今回の武漢ウイルスでは感染者のなかで喫煙者のほうが重症化しやすいというデータが出ているらしい、ヤメロヤメロと言ってもなかなか耳を貸さなかったヘビースモーカーたち、こうはっきりデータに表れてくるとやはり命が惜しいのだろう、これを機にやめる人が増えるのではないかと思っている。タバコなんかまったく無駄な嗜好品だ、昔吸っていてやめた人間が言うのだから間違いない、やめようと思えば簡単にやめられる、そしてやめてよかったと必ず思う、たばこほど無駄なものはない。酒だって・・・酒のことはやめておこう。
 
 太郎の水泳教室も今日から新年度だ。
 
 晩飯、カレー、昼は親子丼。
 

 
   

このページ先頭へ  風師庵日記目次へ