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令和庚子(2020) 2年 3月の記録 (新しい日付けの順)

令和 2年 3月31日(火)

 薄曇り・・・・だったかな、外に出ないのでほとんど印象が無い。
    最低気温 8.4℃ (00:04)、最高気温 13.9℃ (14:20)

 混乱のうちに大方のところは今日が年度末だ。

 かみさん、年度末で、朝も早くから出かけて行ったので、小生が朝飯の支度をした、これじゃあ三食小生がやることになる。
 今朝は「じゅんばり」にした、「じゅんばり」は我が家流の言い方で他所でなんと言うのか知らない、油揚げを表面に焦げ目がつくくらい炙って大根おろしを乗せて醤油をかけて食べる、熱々の油揚げに大根おろしと醤油をかけると、ジュンと音がしてそいつをバリバリ齧るから「じゅんばり」である、小生が子供のころから我が家ではそう言っている、そしていま我が子たちにもその言葉は伝わっている、実際にはそんな音なんかしないが、シンプルで実にウマい。
 昼はどうしようかとなったが、みんなあまりおなかがすいていないようなので、ヨシ昼は抜き!ということにして、菓子パンでも食っておけということになった。晩飯は、豚肉の味噌漬けなど
 
 昨夕、サンマをオーブンレンジで焼いていて、もうちょっと焼きが足りないから延長しようかと思って延長ボタンを押したところ、いつもならそのまま過熱を続けるのだが、スイッチが入らなかった、何かの拍子で終了ボタンを押したのかなとそのまま終わって、今朝、レンジを使おうとしたところ、スイッチが入らない。電源を変えてみたけど同じだ。ということは電子レンジが故障してしまったようだ

 この電子レンジはインバータ式だから、小生が部品(MOT)取りに欲しい種類ではない、これ、直せるかなあ、とにかくそのうちに、調べてみよう、今はとにかく時間が無い。
 
 とりあえず、だいぶん前に、部品取りのために買った電子レンジが動くので動態保存してあったやつがあったので、その電子レンジをしばらく使おう、1000円だったかなあ、そんなものだったろう。でもオーブン機能が無い、マグネトロンの寿命は10年くらいとどこかに書いてあった、もうそれ以上は使っているから寿命なのかもしれない、今は新品でも10,000円くらいで売っているから更新かな。
 
 LINEが厚労省の委託を受けて今回の武漢ウイルスに関連して全国のLINEユーザーの健康調査をするという記事があったが、今夕、その調査があった。LINEユーザーの数は8000万以上いるというから、人口1億2千万からすると相当の数になる、なかなかいいアイデアだと思う、すぐに回答した。
 
 武漢ウイルスのために休館中だった当地の阿蘇市立図書館は明日から貸し出しを再開するそうである、うん、かくあるべし。

今日届いたJARL会報に、「三浦電波監視センター」の記事が載っていた、このセンターは日本で唯一、短波帯の電波監視を行っている施設で、国内に数か所センサー局を置いてあって、電波の出どころなどを探すそうである、そのセンサー局のひとつが阿蘇市の湯浦にあるとあったので、調べてみた。阿蘇市湯浦字端辺1674番2、湯浦でも外輪の上になる、こんな施設が阿蘇にあるとは知らなかった。(写真写真2写真3


令和 2年 3月30日(月)

 終日弱い雨が降っていたような気がする。
   最低気温 7.1℃ (02:09)、最高気温 10.0℃ (13:09)

 子供たちも終日家でおとなしくしていた、時々点呼してどこにいるか確認をしなければならないほどだった。太郎もやりなれない家の手伝いを母親が言い置いてでかけたので不承不承やっていた。
 
 阿蘇文化調査研究会から願いの筋があって西日本新聞阿蘇市局にちょっと仁義を切りに行ってきた。

 晩飯、サンマの塩焼き、イカと里芋の煮物など。昼は焼うどんを作ってやった。

 人の命の重さは等しいというが、有名人の死はやはり反響が大きい、それだけに今回、特に若者たちに対する警鐘になるということだろう。

 武漢ウイルス騒ぎの中で今年は不思議とインフルエンザの流行を聞かない、これを武漢ウイルスとの関連で言う人もいる。ウイルスに対する抵抗力は共通する部分があって、武漢ウイルスで耐性ができてそれでインフルを抑えているというようなものだったと思う、ということは日本人が知らない間に、今の騒ぎの前にとっくに入ってきていて、知らない間に罹って知らない間に治って、その抵抗力がインフルの流行を抑えているということなのだろうか、それに、加えてBCGの免疫力が働いているのだろうか。

 最近は、というよりはもともとなのか、日本人は言葉をすぐに短縮して使う、そもそも「パソコン」がそうだ、「携帯」がそうだし取り上げればきりがない、「ステマ」、「オワコン」なんてネットで出てくるたびに検索して意味を調べている、そんななかで、「新型コロナウイルス肺炎」、字数にすると相当長いのに、これは何処も略さないで使っている、何故だろ、まだ短縮する余裕がないのか、あるいは適当な短縮形がみつからないのか、COVID-19という正式名称があるようだが、誰も使わない、ぴんと来ないからだろう、ものごとは定量的にとらえるべきだ、定性的はだめだというのと同じで、このあとまた新たなコロナウイルスが発生したら何と言うのだ、新新型コロナウイルスか。

 今回のウイルス、小生は「武漢ウイルス」が相応しいと思っている、これを言うとすぐに差別だと騒ぐ人がいるが、すぐに差別差別と騒ぐ人こそ差別主義者だと思う、武漢ウイルスのどこが差別なのだ、だれが見ても今回のウイルスの出どころは武漢だろう。言われて都合が悪いというのは、事実を隠蔽したり情報操作をしたからだろう、そのために世界に蔓延することになったからだろう、世界中がそのことを厳しく非難している(テドロスを除いて)、中国政府は甘んじてこの言葉を受け入れることだ。昔、スペイン風邪だとか香港風邪と名付けられたインフルが流行ったことがあったが、今、それで差別なんか誰もしていない、WHOがいつのころから発生源の名前を付すのをやめたようだが、公正中立であるべきこういった国際機関の信頼性が疑われている今、昔に戻って発生源の名前を付けるのはその時を忘れないようにするために意味があることだ。水俣病に関していつまでも負のイメージが付きまとうから、と別の名前が提唱されたが、この公害を風化させないように水俣病と言い続けようと名前の変更がされなかった、このように発生地の名前を付けることには、それなりに意味があることなのだろう。



令和 2年 3月29日(日)

 穏やかに晴れる。
    最低気温 5.7℃ (07:20)、最高気温 15.7℃ (16:03)

 我が家の桜も今がちょうど見ごろだ、いつもの年だとなんとなく気持ちが浮かれるのだが、今年はなんだか気分が乗らず家族もみんな今日は家の中にいて静かにしていた。(写真1写真2

 ハチウトの内検をした、3/11に見たときと比べると、かなり数が増えてきている、もうこの時期になると蓋を開けてカメラを突っ込んでも戦闘的ではなく、穏やかに飛び回っている。
 
 夕方近くになって、生垣がフジの蔓にがんじがらめになっていたので、いつだったか根付近を一斉に切ったのだが、それが枯れて覆いかぶさったままになっているのを見てふと気まぐれに剪定を始めた。二時間弱で大体片付いたが、まだまだ残っている。

 皆川達夫さんの「音楽の泉」の放送、今日が最後だそうだ、30年以上担当してきたそうだ、いつも日曜日の8時になるとシューベルト「楽興の時第3番」に続いて氏の声が聞こえてきた、「音楽の泉」イコール皆川達夫だった、音質の良くないモノーラルのAM放送なのに不思議と長寿番組で別に熱心に聴いていたわけではないが、なんとなく安心する番組だった、次回から誰が担当するのだろうか。

 日曜日の昼のニュースの後の「NHKのど自慢」が最近流れていない、いつもニュースが終わってこの放送が始まるとそれを機にスイッチを切っているのだが、ここのところ別の放送をやっている、これも武漢ウイルスの感染拡大予防のためなんだろう。

 武漢ウイルス感染拡大予防のため「首都封鎖」的な要請がされているが、これは、とにかく出来るだけ動くなということなのだ、圏外から入ってきて感染しないように、また圏内にいる人が外に移動することで知らずにウイルスを運ぶことになるから、とにかく今いるところでしばらくの間ジッとしていろということなのだ、首都圏内にいてもじっとしてさえいればいいのだから、あわててやみくもに東京から出ようとするなということなのだ、とにかく感染者と接触しなければ基本的には感染しないのだから。それにしても今の日本の法律体系ではあまり強制力が無いので、総理なんかアメリカやほかの国の大統領なんかの権限がうらやましくて仕方がないだろう。今の状況はある種戦争なのだが、これで実際に中国や北朝鮮があるいは韓国(これなんかありうることだ)が攻めてきたときに、日本は一枚岩になれるのだろうか、現状でもマスコミや野党なんか揚げ足取りや不平不満ばかりを言っているが、とにかく今の日本人は「ガマン」ということを知らなさすぎる。
 
 武漢ウイルスに効力がある「薬」について噴飯ものも含めていろいろな記事があるが、これなんか興味深い記事だと思う、そうであってくれるとありがたいという期待も込めて。



令和 2年 3月28日(土)

 終日弱い雨が降り続く。春の雨というにはちょっと冷たい雨だった。我が家の桜、5分咲きくらいだろうか、こんな時だから、しかも冷たい雨も手伝って、なかなか愛でる心境にはならない。
     最低気温 9.4℃ (但し17:49時点)、最高気温 14.9℃ (00:00)

 武漢ウイルスの蔓延、東京を中心に首都圏が大変なことになっている、この先が全く見通せないので田舎に住んでいても非常に不安である。仮に罹患者が2,000人になったとしても120,000,000人の人口比からすれば限りなくゼロに近いのだがそれでも不気味であることには違いない。出歩かずに自宅で静かに過ごしているだけでなく、なかには東京から逃げ出す人も結構いるのかもしれない、その人たちが万一感染していると、と考えるとまた新たな不安が過る。なんとも自己中心的な考えではあるが。

 マスクは何処に。何千万枚だか何億枚だか24時間体制でフル生産していると聞くが、そのマスクは何処へ行っているのだろうか、別にマスクを探し回っているわけでは全くないが、行く先々のスーパーなどの店頭にはマスクは売り切れでありませんと貼り紙がしてある。ずっとないのか時々入荷してすぐに売り切れて、だから今は「ありません」という意味なのだろうか。それで不思議に思うのは、マスクが無い無いと言いながらも、どこに行っても皆さんマスクをしている、どこで入手しているのだろうか、人出が多いところにはいかないので小生は今のところマスクは全く必要としていない、こどもたちも今は学校が休みだからマスクは不要だが、これで学校でも始まれば毎日マスクが必要になる。

 夏子は月一のピアノの個人レッスンで母親と山を下りた、いつもならあちらこちらに寄り道してくるのだが、今日はまっすぐ帰ってきた、いつもくっついて行く太郎も今日はおとなく留守番をしていた。

 小生はPCいじりをして過ごした、いつもの定位置ではもうPCの置き場がなくて、今日は小生が寝ている部屋に臨時に作業場を店開きをしたが、どうやらここも常設の場所になりそうだ。



令和 2年 3月27日(金)

 雨と強い風、雨は予報ほどではなかったが、風が強かった
    最低気温 13.7℃ (00:00)、最高気温 19.4℃ (15:00)
    最高瞬間風速 13.0 m/s(12:05)
 竹をたくさん切って隙々になったので風当たりが強くなるかなと思っていたが、風が竹の間を通り抜けて今までよりもかえって静かだった。

 夏子、先生方の退任式で午前中登校。

 今日はPCの整備をして過ごした。どうしてもメインPCの復旧ができないので、とりあえず、必要なデータだけをコピーして別のPCをメインにすることにして、時間をかけて回復挑戦をすることにした。ただ、ホームページビルダーのソフトが無いので、今度のメインに再インストールをしようと思って、メディアを探したがどうしてもみつからない、最近はソフトが入ったメディアを買わずにダウンロード版を買うことがあるので、もしかして、このソフトもそうだったかな、そうなると、ダウンロード購入した際のキーがメールボックスの中にあって、それを取り出すことが難しい、どうしようか、仕方がないからまた買うかと思案をしていたところ、灯台元暗し、一番近くにパッケージがあるのを発見、ようやく再インストールすることができて、ほっとした。それから動かないPCからHDを取り出して、別のPCにぶら下げて、ネットワーク経由でとりあえず、必要なファイルだけ転送した。

 ネットワークで転送しなくても、外したHDを今度のPCにぶら下げればいいじゃないかと思ったのだが、これが、このPCでは増設したHDを認識しないのだ、これがまたわからない、だからとりあえず、ネットワーク経由でデータ転送をしたというわけである。

 晩飯、チキンカツ。ここのところイチゴが安い。1パック299円である、普段は399円くらいする、わずか100円の差だからどうということないと思うのだが、普段はなかなか手が出ない、いや出さない。この写真の量は2パックである。
 昼はパン


令和 2年 3月26日(木

 曇り、のち夕方から雨。
    最低気温 7.3℃ (01:08)、最高気温 15.7℃ (13:50)

 竹の焼却が昨日で一段落して今日はのんびりして過ごす。

 武漢ウイルスの蔓延、九州の山の中にいても首都圏を中心に大都市でここにきて急に、騒然としてきている雰囲気がなんとなく伝わってくる、ウイルスの姿が見えないだけにその地に住む人達は不安でいっぱいなんだろうなと思う。
 
 それに関連してだが、当地の公立図書館の臨時休館が更に延長された、これなんか、完全に便乗休館だと小生は思っている。図書館自体の閉館は感染予防のため仕方がないが、それと本の貸し出しは別だろう、ネットで予約して貸し出せばいいのだから、と思って調べてみたら、そういう便宜を図っている図書館はたくさんある、これは「姿勢」の問題だ、こういった時こそ、図書館の存在意義が問われる、バカテレビばかり見ていないで静かに読書する、繁華街に出かけたり大勢の人と接触する必要がないのだから最高の感染予防策だろう、一体何を考えているのやら、本にウイルスが付着してそれが貸出先に付いて回るとでも考えているのだろうか、毎日の生活で各店舗などで直接手を触れたたくさんの現金がたくさんの人を経て回っているぞ。
 
 ジジイは怒っている、だから、市の窓口に実名で、ほぼ同文のメールを出しておいた。バカテレビともしっかり書いた、今回の武漢ウイルスの買い占めなんかもまさにバカテレビが煽ってバカが買いに走った結果だ。世の中テレビなんかあるものだからバカが大勢で押しかけるのだ、テレビなんかやめてしまえ、百害あって一利無しだ。

 晩飯、豆ごはん、ブリの塩焼き、揚げ出し豆腐、だし巻き玉子など。昼は皿うどん(パリパリ麺)。


令和 2年 3月25日(水)

 晴れ。朝起きてカーテンを引くと久しぶりに真っ黒な噴煙が上っていた、ここのところ落ち着いていると思ったのだが。(写真1写真2写真3
 我が家のソメイヨシノが開花した、結構な輪数で文句なしの開花だった。
   最低気温 0.2℃ (06:19)、最高気温 19.2℃ (13:08)

 小学校(多分中学校も)、今日は三学期の終業式で登校、ということは明日から春休みということで、だから、ずっと休みが続く中での登校日のようなものだ。そういえば夏子は昨日が登校日だった。太郎の終業式は教室でやったそうで、放送で校長先生の話しがあったそうだ、今日は同時に異動する先生方の退任式も一緒にあったそうだ。
 
 こどもたちにとって久しぶりの登校日で、小生にとっても久しぶりの旗振りだった、6年生はもう卒業して5年生以下の登校だった。
 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 
 夏子は中学校の先生の退任式にでかけていった、なんでも、吹奏楽部時代にお世話になった先生が転出されるということで、中学時代にお世話になったみんなと出席したということだった。吹部だけでなくて他の先生達の異動もあったので夏子たちの中学時代の仲間が大勢あつまってクラス会のようだったと言っていた。

 巷では、いろいろなことが起きている、テレビを見ないからだろうかあまり出来事に対する印象が薄くなって今頃思い出して書いている。この前の日曜日は県知事選挙があったのだった、予想通りというか分かりきった結果で蒲島県知事の四選で終わった、対立候補の幸山さんが立候補した意味がよくわからない、勝てると思っていたのだろうか。小生は投票に行ったが、投票率はあまり高くなかったようだ。それから、東京オリンピックが武漢肺炎のせいで延期になった。世界中でパンデミックが起きているなかで、予定通りに開催なんて絶対出来っこない、中止か延期しか無いだろうと思っていたが、延期で落ち着いたようだ、延期も一年か二年か四年か色々あるが、どれをとっても色々問題があって、どうやら一年くらの延期で落ち着いたようだ、あまり長いと選手選考からやりなおさなければならないが、一年くらいだと出場がきまっている選手はそのまま出られるのだろうか、とにかくオオゴトなんだろうが、小生には関係が無い話だ。
 
 今日も竹の焼却をした、今日は非常に能率が上がって、もう一日くらいかかるかなと思っていたが、夕方早い時間にすべて、焼却し終わった、昨日と今日、何が違ったのだろう、多分、気温だと思う、今日は昨日に比べて気温が少し低かったと思う、ちょっとの差なんろうがその差が大きくものを言った感じだ。と思って改めて数字を確認したら、なんだ今日のほうが気温が高かった、どういうことだろう。
  これで第一期計画は終わった、もう少し竹林が残っているが、またそのうちにやろう。(写真1・写真2写真3

 晩飯。チキン南蛮



令和 2年 3月24日(火)

 晴れ。今日も気温が上がった。
   最低気温 0.4℃ (05:38)、最高気温 18.2℃ (15:10)

 熊本市は昨日ソメイヨシノの開花宣言をしたそうだが、今日はあまりにも天気が良くて暖かいので、我が家の桜はどうだろう、そろそろかなと思って、夕方桜の木の下に行ってみたら、もう咲いていた、2.5輪というところか、無理すれば三輪になる、開花の基準は三輪だったか、まあ、明日になれば文句なしの開花だ。(写真1写真2写真3

 今日も竹の焼却をした、作業服も脱いで半袖下着一枚になって作業をした。竹を燃やす作業はもう暖かいを通り越して暑いという感じである。この火の向こう側に、切った竹を積んである大きな山がある、そこから少しずつ運び出して燃やしているが、いっそのこと、この竹の山の方に火を点けようかという誘惑に駆られる、ものすごく高い炎が上がることは間違いないが、周囲に延焼するという恐れはない、一気に燃えるのは笹の葉だけで竹そのものはまだ青いので簡単には燃えない、ただ、笹の塊が燃えるとものすごい炎になるだろう。やるかどうかはただ度胸の問題だ。早く終わりたいのだ、連日天気がいいので、雨よ降ってくれと祈っているがこんな時に限ってなかなか降らない、降ると作業は休止できるんだが。
 
 風呂から帰って、火の様子を見に行った時にちょうど太陽が沈むところだった、午後6時半ころだったろうか、春分の日が過ぎたばかりだから、ちょうど太陽は赤道上にあるということだ(で良かったかな)。竹は水をかけないでそのままにして燃やしきっている、朝になっても熾としてまだ残っている。高気圧圏内にあって天気が安定していて強風が吹かないだろうから、水をかけて消すことはしない。 
 
 晩飯。ひき肉と玉ねぎのミジンを炒めたもののオムレツ、ジャーマンポテト、おからサラダ、豆腐と油揚げの味噌汁。
 
 架空請求メールが届いた、いかにも尤もらしいので一瞬ドキッとする、慣れない人はこれに騙されるのだろう。
 



令和 2年 3月23日(月

 晴れ。もう少しで20℃を超えそうな気温だった。
   最低気温 8.9℃ (05:33)、最高気温 19.1℃ (15:13)

 一気に春がやってきた、先日の野焼で山は真っ黒だ(写真1写真2写真3)、畑の野草の小さな花が咲き乱れている、ソメイヨシノももうピンク色の蕾を膨らませている。未だに名前がわからない、コブシだろうかハクモクレンだろうか、庭先の木に花が咲き始めた(写真1写真2写真3)、フジの蔓にがんじがらめに締め上げられていたのをいつだったかキレイに取り除いてやったが今年はたくさんの花をつけるだろうか。

 今日も場所を移して竹を燃やした、ここ数日でたくさんの二酸化炭素を大気中に放出した、グレタちゃん、知ったら怒ることだろう、でも、大気中の二酸化炭素の量、知ってるかい、0.04%しか無いんだぞ、それを更になんPPM増えたの減ったのと騒ぐのはおかしいと思わないか。
 
 連日の肉体作業、流石に疲労が溜まっていると見えて、もうあまり体が動かず、焼却量もガタッと減った、それにもう焚き火を楽しむ気温ではない。まだまだあるなあ、(写真1写真2写真3

 太郎も退屈していると見えて、家庭学習の時間が終わって一生懸命「遊び」を考えている、現在は一切ゲームやっていないようだ、約束を守らずゲーム機を取り上げられているのかどうか知らないが。
 今日はスケートボードをやっていた。(写真1写真2
 
 晩飯、餃子。くたびれ果ててそれだけで済まそうと思ったが、ほうれん草とベーコンなどが入ったバター炒め、それから豚汁を作った。と言っても最近は具材だけセットになって冷凍食品売り場にあるから下ごしらえの手間が省ける時代になっている、ただ、味付けは自分でやらないといけないが、材料だけでも一式揃っているというのは労働する主夫としてはありがたい。昼は先日のトンカツの残りを取っておいたやつでカツ丼を作ってやった。


令和 2年 3月22日(日)

 曇り。
    最低気温 11.8℃ (03:07)、最高気温 18.3℃ (16:37)

 今日は曇りや雨の予報だったと思う、だから外作業はやめておいたところ、曇りには違いなかったが雨は降らず穏やかな天気の一日だった。そんなことなら外でもう一働きするところだったのに。

 終日PCの前に座っていた。回復ドライブを作って何度もやってみたがどうしても回復できない、ドライブは別に壊れていない、なんとかなりそうでならない。

 ホームページの更新ネタが今日は無いので、作業が楽でいい、なんとかせにゃあかん。



令和 2年 3月21日(土)

 快晴、文句なしの野焼き日和、延期延期で待った甲斐があった、阿蘇谷で一斉野焼きが行われた。
     最低気温 0.5℃ (03:34)、最高気温 18.5℃ (14:27)

 朝、メインのPCが起動しない、Windows10だが、自己修復のプロセスが働かず、お手上げの状態だ、またネットで調べて回復できるものなのかどうか調べなければならない。
 
 小生のメインのPCと言っているが、何台もあるPCのどれもが古いマシンの貰い物でそれを今の環境に合わせて使っているだけだ、一台も新しいPCは無い、だから別に早くもなければ高機能でもない、昔なら高機能のPCを持ちたくて金を注ぎ込んだものだが、今はもう動けばいいという位置づけだ、だから今メインとして使っているやつが動かなくなるなりした場合は別のPCを使えばいいだけのことだ、そういう意味では普通に使えるPCは何台もある。今はネットを見るかメールのやり取りをするかくらいしかPCの使いみちはない、今の若い人が会社に入って、PCが使えないということを聞く、今はスマホでなんでもやるらしい、文章までスマホでやるのでPCを使う必要もない、だからPCの使い方を知らない、という。言われてみれば、たしかにそうだな。昔は仕事で使う関係で、Microsoft Officeは必需品だったが、今はもう殆ど出番がないので別に無くてもい、どうしても必要ならフリーソフトのOfficeを使えばいい、ただ困るのは、ホームページ作成ソフトが無いと困る、小生ハイパーテキストを扱えないのでどうしてもホームページ作成ソフトが必要になる、昔からホームページ・ビルダーを使っているので、これがないと困る、今晩はそんなわけで、以前使っていたWindows7のPCにホームページビルダーが入っていたので、これを使って今晩の日記を書いている。もし動かなくなったPCが、回復不能ならば、このWindow7をWindoews10にアップグレードしなければならない、また無駄な時間を使うことになる。
 
 今日は阿蘇谷の一斉野焼きに合わせて我が家でも野焼きをやった、我が家の野焼きに集中して阿蘇谷の野焼きの写真を撮り残った、ただ野焼きの煙で阿蘇谷全体が煙に包まれていた、そして何回も飛び火で消防車が出動していた。
 
 我が家の野焼き、竹林の整備で倒した竹を山程燃やした、最初にやったときに切り倒した竹はまだ手つかずだが、その後で切った竹や、家の周囲に切り倒したままにしてある竹なども一日かけて全部燃やした。竹をどかしたあとにスミレが咲いていた。
 
 太郎が、竹を間引いたので中で動けるようになって、立っている竹と1メートル前後切り残した竹をうまく使って物置の屋根に登ることを覚えてそれが嬉しいようで、屋根に積もった笹や杉の枝が堆積して層になっている落ち葉を道具を使ってキレイにしていた。10年以上、落ち葉が積もったままにしてあったので、屋根は錆びて腐っているのではと思ったら、ほとんど傷んでいなかった、さすが100人載っても大丈夫の、イナバの物置のことはある、作りがしっかりしている。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10


令和 2年 3月20日(金) 春分の日(春季皇霊祭) 
 ここのところ強風が続いていたので国旗を降ろしたままだった、今日の祭日に掲揚するのを忘れていた。

 晴れ
   最低気温 3.3℃ (03:00)、最高気温 13.2℃ (15:01)

 太郎と八千場霊園にお彼岸のお墓参りに行ってきた。ここは分家の墓だが、我が家の墓は山の上なので、ここで一族の先祖をまとめて供養してきた。帰りに後藤万十店でおはぎを買ってきた。(写真1写真2)最近、太郎は自分でカメラを扱う。

 風が少しあったが絶好の作業日より、竹林の整備作業をした。今回は家の裏側にある竹林(写真1写真2)で、この場所は気を使わなくて済む場所なので、どんどん切り倒した、大分スッキリしてきた(写真1写真2)、明日にでも燃やそう。

 カミさん昨夜牡蠣を食べて起こすアナフィラキシーと同じように嘔吐下痢をして苦しんだそうだ、昨夜は仕事から帰ってきて、小生が作ったトンカツとポテトサラダしか食べていないという。トンカツでアナフィラキシーが起きるか?それ以外に職場で何かを食ったに違いない。だいぶん前にカキフライを揚げた油はとっくに入れ替えてあるはずだが。


令和 2年 3月19日(木)

 晴れ、午後から一時雨になる、その後上がるも。夕方あたりから風が強くなって、夜に入って10m以上の風が吹いている。
     最低気温 5.5℃ (06:31)、最高気温 16.0℃ (11:39)

 明日の一斉野焼きは天候不良のために、また、また、また(いくつ付ければいいだろう)延期で明後日の土曜日になった、今日の新聞にも載っていたがあまり延期すると草原の若芽が出てき始めるので、主催者はやきもきしているそうである。

 明日はお彼岸だから、ご先祖様の墓掃除に行ってくる、と言ったところ、太郎がボクも行く!と言ってついてきた、余程退屈していたのだろう。坂梨の八千場霊園に墓所があるが、この墓所は分家の墓で、数年前にその存在を知って、節目節目に掃除をするようになった。おかしな話だが、我が家(本家)の墓所は山の中にあって、この地の風習なのか、お彼岸にお墓参りをするのを見たことがないので、我が家でも掃除をするのはお盆のときだけである。そういうこともあって、本家も分家も同じ一族だからとお彼岸のときには代表として八千場霊園の墓地の墓掃除だけをしている。
 
 太郎はここは初めてのようで、太郎に分家の説明をするのだが、ピンとこないようなので、説明をやめた。小生も分家の詳細については分からないが、残念ながらもう系譜は途絶えているというようなことを聞いたことがある。
 
 春のお彼岸は冬を越して迎えるのであまり雑草は生えていなかったが、どこかからか、種が風で飛んできたのだろう、墓標の周囲の舗装の割れ目から菜の花が数本生えていて花を付けていたので、それらは残して、その他の草だけ刈っておいた。
 (写真1写真2写真3写真4
 
 勤め人をやめて20年近く経って、曜日の感覚はとうに無くなっているが、それに輪をかけて、ここのところ子どもたたちが臨時休校でずっと家にいるのでますます曜日の感覚がなくなっていて、はて、今日はお役所やっていたかなと、思わずカレンダーを見てしまう。

 昼前に、マイナンバーカードの、というより、確定申告などの電子申請でマイナンバーカードと抱合せで使う電子証明の期限が切れるので更新手続きに市役所に行ってきた。マイナンバーカードのほうは若年者を除いて有効期限が10年だが、電子証明の期限は5年毎に更新期間が来る。今回はその電子証明の期間更新である。マイナンバーカードの期限は2025年の誕生日までだそうで、ということは、まだ5年ある、ということはマイナンバーカードが始まってもう5年経ったということか。住基カードのときはいい加減だったが、マイナンバーカードになってしっかり使われると思っていたがが、これもあまり有効に機能しているようには見えない。
 
 更新手続きは市役所の窓口でパスワードを打ち込むだけで終了して、改めて証明書が発行されるわけでもなく、マイナンバーカードに電子証明の有効期限が手書きで記入されて、はい、終わりました、といかにも消化不良な手続きだった。この手書きの電子証明の有効期限が、以前のやつはすぐに消えてしまってずっと空白のままだった、かなりいい加減な方法である。次回の電子証明書の更新の時にはマイナンバーカードの有効期限も同時に切れるので、マイナンバーカードは一から作り直しになるらしい。そうなのか、また写真を揃えたりしなければならないし面倒だなあと思ったが、考えてみたら、5年後に生きているかどうかもわからないそんな先の話だった。

 午後から竹林整備の続きをするつもりでいたが、昼ころから雨が降り始めて外の作業ができなくなったので、じゃあ、トンカツを揚げてポテトサラダを作るかというと、子どもたちがやったあ!と歓声を上げていた。
 

 というわけで、晩飯はトンカツとポテトサラダ


令和 2年 3月18日(水)

 晴れ。
    最低気温 7.2℃ (05:03)、最高気温 16.9℃ (15:10)

 書くのを忘れていた、昨日、外で作業をしているとホーホケキョとウグイスの啼声が聞こえたので、オイ太郎!ウグイスが鳴いているぞ!と叫んで教えてやったところ、昨日からもう啼いとったバイと言う。そういえば一昨日は小生、熊本に行っていたので、知らなかった。一昨日がここでのウグイスの初音だったということだ。

 今日はバカ陽気というのか、非常に暖かさを越して暑いくらいだった、午後から薪作りをしたが、冬物のヒートテックなんか脱ぎ捨てて、作業着の下は下着一枚で十分だった、
 
 まず、細い系の薪を作って、そのあとで、昨日、玉切してあった太い木のなかで斧でエイ!ヤッ!と裂帛の気合で割ることが出来たやつだけを、薪小屋に運び込んでおいた。この陽気なら必要に迫られて作る薪作りは今日が最後になりそうである

 太郎、水泳教室、期待していたようだが、今年度最後の進級テストは合格しなかったそうで、ちょっとがっかりしていた、それよりも6年生のはるのちゃん、1級に合格したそうだ、この1級というのは、4種目を一人で100mずつ計400m、つまり個人メドレーであるが、泳げないと取れない資格だ、素晴らしい。

 晩飯、カレー。昼は焼きうどんを作ってやった。


令和 2年 3月17日(火)

 晴れ。
     最低気温 -1.8℃ (03:26)、最高気温 13.2℃ (13:24)

 午前中、薪作りをする。

 昼から阿蘇自動車学校に運転免許の高齢者講習に行く。75歳以上になると認知症検査(750円)が加わって以前よりもちょと厳しくなった。受講生は5名で、中川竹久さんの顔も見えた。氏は今回で二度目の講習になるそうである。
 
 試験内容は今日の年月日や指定する時間を示す時計の絵を書かせるものなど、それから記憶力テストがありこれが結構大変なテストなのだが、なんとか全員を合格させてあげようという教習所側の規則すれすれの好意で全員が合格できた。この合格にもレベルがあって、一定の点数以上だと講習時間が2時間でそれより低い合格点だと講習時間が2時間半に延びて、受講料も3,000円くらい跳ね上がる。認知症テストのあと受講生を2時間講習のグループと2時間半講習のグループが出来たら、その後に続く実車講習はどうなるのだろうと気になっていたが、全員が2時間講習(5,100円)のグループになった、余程のことが無い限り、全員が2時間講習の点数が取れるのだろう。
 実はこの認知症テストは警察庁で試験内容が公開されている https://www.npa.go.jp/policies/application/license_renewal/ninchi.html
 また高齢運転者支援サイト http://www.zensiren.or.jp/kourei/what/what.html
 というところでも、公開されている。
 
 記憶力テスト(手がかり再生と言う)の問題まで全部公開されているのである。この試験は16種類のイラストを記憶するテストで、事前に暗記しておけば良いわけであるが、ただ、この16種類のイラストは4パターンあって、試験でどのパターンが出るかわからないので、もし事前に暗記するのであれば、16×4の64種類のイラストをグループ別に全部覚えなければ間違うので、そのつもりで覚えないと、ぶっつけ本番より大変なことになりかねない。世の中の試験で努力しても100点が取れない試験もあるが、ちょっと頑張れば100点が取れる試験もある。この試験は後者である。だから、小生は二三日前から集中して64種類のイラストを全部覚えた。だから、100点満点だった。だからどうということは全く無い、講習が免除されるわけでも、成績が発表されることもなければ、誉められることも無い(ちょっと誉められたけど)、要は規定の点数以上を取ればいいだけのテストで、全員が取れたので、点数配分がどうなっているのかわからないが、何も前もって勉強するほどのことも全くないのであるが、目の前に取れそうな点数があれば、これが性(さが)とでも言うのか、しなくても良い努力をしてしまった。また試験問題が公開されているのはインチキだろうと思う人もいるかも知れないが、考えてみたら、それだけ事前に覚えようと努力する人はその時点でもう認知症ではないということがわかるから、それでもいいということなのだろう。ところで、この試験問題は発足当時から全く変わっていなのだろか、ということはまた次回の更新時に同じ試験問題が出るということなのだろうか。

 講習の中で視野角度や動体視力の検査もやってくれたが、小生は、高齢者としては優秀な方で、一般人のなかでも中位のレベルだった。2時間講習のあと、教習所のコースで実車の講習があった。小生は普段は一時停止は、目的でなくて、手段だと思っているので、ただ止まることよりも、安全を確認することが目的だと思っていて、ぴっちり止まることを重視しておらず、前回の講習でもその部分を注意されたので、今回は原則に則ってちゃんと一時停止をした、また、高齢者の事故の中で一時停止をしないための起きる事故が非常に多いので最近はその点を厳しく取り締まっているということも聞いたのでやはりちゃんと停まらんといかんなあと思った次第である。

 昼過ぎから3時過ぎまでみっちり講習を受けて帰ってきた。もう何かをする時間もないので、夏子のリクエストで、筑前煮(博多ではがめ煮と言う)、きんぴらゴボウ、ナスの味噌炒めなどをつくってやった。


令和 2年 3月16日(月

 昨夜少し雪が降ったようで、朝起きると薄っすらと白くなっていた。(写真1写真2写真3
 ここのところ静かだなあと思っていた阿蘇中岳、夕方に少し噴煙が昇っていた
     最低気温 0.2℃ (06:06)、最高気温 9.2℃ (14:11)

 武漢肺炎で学校の臨時休校が結局ずっと続くことになって、今日は太郎たちの臨時登校日だった。ところが今日は小生の大腸がんリンパ節郭清の三ヶ月ごとの経過観察通院の日で、予約時間が子どもたちを見送ると間に合わないかもしれないので、久しぶりの登校日だが小生が立つのは無理だなと思っていたが、計算をしてなんとか間に合いそうなのでいつもの場所に立って子どもたちを見送った。最後のグループが通過して急いで熊本の高野病院に向けて出発した。我が倅は、登校日を勘違いをしていたそうで、宿題が間に合わず、昨日遅くまでやって、今朝になった母親にダメ出しをされて、登校前に計算などをやり直していたようで、小生が立っている時間には間に合わなかった(せっかくやったのに今日の登校日にはその宿題は必要なかったようだ)。
 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5

 病院には予約時間(9:30)の30分前に着くことが出来た。病院では全員がマスク着用を義務付けられているかもしれないと念の為にマスクを持っていったが、特にそういうこともなく、小生はマスクをしなかった、院内のマスクの自動販売機にも「売り切れ」という大きな紙が貼ってった。日本各地でクラスターが発生しているようだが、熊本はその後、安全なような気がする。

 今日の受診内容は胸部と腹部のCT検査と採血だった。CT検査でも異常は認められず、血液検査も、いままでは誤差の範囲だが基準値を超えている検査項目がいくつかあったが、今回はパーフェクト、全ての値が基準値内だった。小生はこの歳になって有り難いことに血圧の薬にも糖尿の薬にも凡そ薬というものには一切お世話になっていない。最近は血液検査で相当のことが分かる時代になっているようだが、血液からいろいろなことがわかるのだなあと感心する。
 
 採血などでアルコール消毒は大丈夫ですかとどこでも訊かれる、いままで、大丈夫です、でずっと来た。そして今日もそう答えた。ところが看護婦さんが点滴の針を刺したりしている時に、お酒飲みますかと訊くので、いえほとんど飲みません、飲むとすぐ赤くなりますと答えたところ、ははあ、だからですね、アルコールで拭いたところがほんのり赤くなっていますよと言う。いままでそんなこと無かったと思うが、確かに赤くなっている、皮膚からアルコールを吸収して皮膚が酔っ払ったようだ、こんなこと初めてだ。

 昼過ぎに診療はすべて終わって、帰る途中、浜勝でランチを食べて、途中で晩飯の買い出しをして帰ってきたが結局病院通いは一日仕事になる。次回は6月で、大量の下剤を飲んでやる胃と全腸の内視鏡検査をしてくれるそうだ。

 晩飯。豚肉の味噌漬け、アサリの味噌汁(皿に余白がある、時間の都合でここの部分を埋められなかった)。


令和 2年 3月15日(日)

 曇り。風がとにかく強い一日だった。強風注意報が出されたため、一斉野焼きはまたまた延期になった。
    最低気温 -0.9℃ (02:05)、最高気温 10.2℃ (14:21)
    最高瞬間風速 10.7 m/s (14:31)

 作業場の防水対策がうまくいっていなくて、降り込んだ雨が、中途半端にやったために、逆に水が出ていかずにいつまで経っても引かない、根本的対策は別にやるとして、とりあえず排水しなければならないので、古新聞を沢山敷いてみたが、焼け石に水(という表現はこの場合相応しくないが)、そこで、高分子ポリマーと言ったか、使い捨てオムツなどに使われている猛烈に大量の水を吸収するやつ、この素材を撒いて水を吸収すると一発で片がつくなと思って、ホームセンターで探したが、無い。で、結局、介護や子供のオネショ対策につかう、使い捨てのシーツを買ってきた。10枚入って600円くらいだった。これを全部で6枚敷いて水を全部吸い取ることが出来た。ネットなんかで調べると、素材だけの顆粒状の高分子ポリマーが瓶に入って売っている、これがあると、またの時に役立つな。

 今日は竹林の整備(主に焼却)の続きがコンディション不良で出来ないので、チェンソーの整備などをした


令和 2年 3月14日(土)

 昨夜また山に雪が降ったようで白くなっていた(写真1写真2)。朝のうちは雲が多く今にも降り出しそうだったが、時間が経つにつれて天気が回復してきた、さて明日は晴れだと思うが、明日の一斉野焼きは行われるだろうか、微妙なところだなあ。
 
 東京都心(靖国神社)でソメイヨシノが開花したそうだ、日本で一番乗りだったらしい。ソメイヨシノより開花が早い我が家のサクランボの花ももう既に開花しているがソメイヨシノが開花するのはいつだろう。

 いつも小生が一番早く起きるが、朝コーヒーを淹れに台所にいったところ、流しの下がビショビショである、カミさん何かこぼしたなと思っていたら、後から起きてきたカミさんが、小生がこぼしたと思ったらしい。ということは何だろうということになったが、流しの水道を出したところ、すぐに床面が濡れ始めたのでわかった、シンクの下の鍋などの収納物を全部出して、パイプなどの隠し板を外してみてわかった、下水溝につながるパイプが「コレステロール」で塞がって、シンクの排水が下水溝まで流れずに戻ってきてシンクの下の普段隠れているパイプの継ぎ目から溢れたようである。確か半年前くらいに、掃除したばかりだと思ったが、午後半日かけてパイプをキレイにして、排水機能を回復させた


令和 2年 3月13日(金)

 うす曇り、ほとんど太陽を見なかった気がするが穏やかな一日だった
     最低気温 1.2℃ (03:29)、最高気温 13.8℃ (13:51)

 ハチウトのそばの、この種類の水仙が満開だ、何年か前に、職住接近でハチが喜ぶだろうと思って移植したのだが、ハチは見向きもしない、不思議と近くの花には寄らない、かえって迷惑に思っていることだろう。
 
 お隣の田んぼに置いてあった、アンテナの支柱にするかもしれない、竹を、自領に移して畑の隅に置いておいた。それから、竹林の中に乱雑に散らばっている竹の切れ端などを集めて燃やした。風も無く焚き火日和だった。今日一日で竹林内の竹はあらかた燃やすことが出来た。焚き火は、まだ今の季節は楽しいものである、一日のんびりと時々竹が爆ぜる音を聞きなら過ごした。( 写真1写真2写真3写真4写真5

 太郎は今日も隣家の祖父の家に遊びに来たクラスメートと野球などをして遊んでいた。
 
 晩飯。野菜たっぷりの牛肉甘酢あんかけ。昼は本格的にちゃんぽんを作ってやった。


令和 2年 3月12日(木)

今朝も冷え込んで日中は晴れた、ただ今日も風が強かった。中岳噴煙はずっと向こう方向に流れていたようだが、夕方にはこちら側の山肌をゆっくり下っているのが見えた
    最低気温 -2.7℃ (06:29)、最高気温 14.2℃ (14:58)

 今日も体を動かす意欲が湧かなくて、午前中はブラブラしていたが、昼から、竹林の整理を少しした。竹林の中は大分竹が疎らになったが、整理した竹は切る時に根本から切らずに1mほど残して切ったので、なかで整理作業をするのに杭のようになって邪魔なので根元から切り取った。あちらこちらに倒れている竹を移動させるのに竹の杭が障害になるからである。予定ではもっと沢山整理するつもりだったがチェンソーの調子が悪くて、そのご機嫌取りにかかる時間のほうが長かったようだ。
 ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7 )
  
 晩飯は八宝菜を作った。昼は、コンビニからサンドイッチなどを適当にみつくろって買ってきた。子どもたちがどのくらい食べるのか分からなかったので、結果、ちょっと買いすぎたようだ。小生はコンビニには年に5回と入らないだろう、それくらい縁がない店である。ああ、そうだ昨日の昼はチャーハンを作ったのだった。これからまだ延々と休みが続くのだなあ。


令和 2年 3月11日(水)

 晴れ。ただ今日は一日中、風が強くて(最大瞬間風速 9.4 m/s(08:45))、冷たかった(体感最低気温 0.6℃ (08:20))。
     最低気温 3.9℃ (07:26)、最高気温 9.4℃ (14:55)

 久しぶりにハチウトの内検をした。越冬隊は活動を開始したばかりのようで、まだハチの数は増えていなかった。
 
 武漢ウイルスに関して、いろんなメディアだとか特定野党だとかが、PCR検査をもっと受けさせるべきだとか全員検査を受けさせろと言ってウルサイ。それについて、非常に参考になる映像があった。
    https://www.youtube.com/watch?v=cmI_6UGHXRI&feature=youtu.be

 小中高、とりあえず15日までの臨時休校だったが、今日、メールが入って、16日以降も春休みに入るまでずっと臨時休校期間がのびることになった、やむを得ないことだろう。太郎なんか退屈しているので、学校に行きたかったようで、がっかりしていたが、お父さんもがっかりしているのだ、また飯を食わせなければならない。今休んだ分は夏休みでツケを払わなければならないのだろう。 

 春のセンバツ高校野球、ようやく中止の決定がされたようだ。無観客試合か中止か迷っていたようだが、そもそも迷うほうがおかしかったのだ、高校野球は特別だと高野連も新聞社も思っていたのだろう、それと世論の後押しを期待していたのだろうが世間は決して好意的ではなかった。一生懸命練習してきた球児のために迷ったと言いたいのだろうが、結果、選手たちを一時的にぬか喜び、淡い期待を持たせたに過ぎない、自分たちは分からなかったのだろうが、周囲の状況から当然中止とすぐに決めるべきだったのだ。一体、無観客試合か中止かというときに、新聞やNHKはどのように報じたのだろうか、読んでいないので分からないがそれでもネットのニュースなんかで何かしらの新聞の意思というものは伝わってくるものである、おそらく何も言わなかったのでは思う。普段だと、韓国などに、わざわざことを荒立てるように日本を批判する報道を頼みもしないのに積極的にしてきた新聞は一体今回はどうだったのだ。今回のこと一番悪いのは権威主義と商業主義の高野連と新聞とそしてNHKだろう。選手たちには、長い人生、色々山あり谷ありで、悔しいだろうけど、何十年も経って、あのときは・・・と懐かしく話せる時が必ず来る、優勝校は一校だが、中止を味わった高校は数十校もあるんだから、全校がもしかしたら自分たちが優勝したかもしれないと慰めるしかない。それにセンバツは一ニ年生だけだろう、夏があるじゃないか、センバツに出るくらいの力があるのならまた夏に勝ち上がってくれば良いのだ。と野球に思い入れの無い人間は言うのだ。
 
 太郎、水泳教室、いろいろな活動が武漢ウイルスで中止になっているなかで、水泳教室だけは感心にやっている。
 晩飯。カレー



令和 2年 3月10日(火)

 今日は3月10日か・・・終日、重い雲の下、時々細かな雨が降っていた。明日は雪になるかもしれないと言っているが。
      最低気温 8.1℃ (但し19:43時点)、最高気温 15.2℃ (09:30)

 今日は完全休養日、な~んにもしなかった。
 
 子どもたちにいつも昼に何を食べたい?と訊いているが、よくお好み焼きが食べたいと言っている。そんな面倒なことができるかといつも却下しているが、今日は時間があったので、じゃあ作ってみるかと、小生にとってお好み焼きの初挑戦をした。
 
 一人見当100グラムくらいかなと思って300グラムのお好み焼きの粉に、キャベツや豚肉や小エビやネギを刻んだり、適当に具を入れて、ホットプレートで焼いた、三人分焼くスペースが無かったので一つはコンロで焼いた。
 
 初めての挑戦としては上出来で、子どもたちも危なっかしい手付きでひっくり返したりしていた。ところが、一人100グラムの粉で作ると、いろいろな具が入って、相当の分量になり、みんな半分しか食べられなかった。次回からは一人分50グラムだな。 (写真1写真2写真3写真4
 
 こどもたち、美味しいから夜もこれでいい、というので残りの分は夕食に回した


令和 2年 3月 9日(月)

 晴れ、曇り、のち、夕方から予報通り雨になる。朝のうち噴煙がこちら方向に流れていたがすぐに西向きに変わって、ここにはほとんど灰は降らなかった。
      最低気温 2.2℃ (04:46)、最高気温 14.1℃ (13:56)

 レンゲの種を播いた前の畑、いまナズナやホトケノザやヒメオドリコソウなどが咲き乱れている、そのうちにレンゲが咲き始めるだろう。

 今日も雨雲レーダーの雲の動きと競争しながら竹の整理をした。四時ころ、ようやく作業が終わった、無秩序に積み重なっている竹を一本一本引っ張り出して、並べて、チェンソーで数箇所切り分けて、集積場所まで運ぶ、この作業を延々とやって、他人様の田んぼに倒してあった竹の移動がようやく終わった。うち十本ほど裁断せずに置いておいた、無線のアンテナを張る支柱にするためである、全部支柱にするというのではないが、適当に選んでいたら十本ほどになった、そのうち余分なやつはまた切り分けることにする。もう体力の限界である、ちょうど雨になったので、次の区画に取り掛かるまでしばらく休憩である。今回切ったやつは折を見て燃やさなければならない、周りが広ければ「どんどや」のように一気に燃やしてしまうのだが。
  ( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8)

 伐採した竹を積んである上に更に積み重ねようと、投げ槍のように何本も何十本も投擲していたので、上腕部、いわゆる二の腕が痛くなった、一過性のものであればいいが。
 
 昨夜はあまり寒くなかったので朝はストーブの火がほとんど残っておらず熾火程度になっていた、どうしようかと思っているうちになんとなくウヤムヤになって、改めて火を熾すこともなく、作業のために外に出ようとしたら、煙突内部でパラパラと音がしたので、娘たちが、お父さん!変な音が・・・というので、煙突が冷えてきて内部に付いてたタール分が剥がれて落ちる音だろう、とそのまま外に出た。その後も娘たちはパラパラ音がしよる、鳥が落ちたのではないかと小生が作業をしているところまで言ってきた。まさか今はまだストーブを焚いている季節なので鳥なんか落ちてこないよと取り合わなかった。そして、夕方作業が終わって、部屋に戻って、ストーブが完全に消えているから、どうしようか焚こうかと子どもたちに話したら、でも鳥がいるかもよ、とまだ言っている。居るわけ無いだろうと、ストーブの扉を開けて、煙突やストーブをガチャガチャ叩いていると突然、ストーブの中から鳥が飛び出して部屋のなかを飛び回り始めた。こどもたちは臆病だからキャーキャー言って逃げ惑っている。
 
 毎年、春先になると何度もスズメが煙突の中を滑ってストーブの中に落ちて、それを逃がすのに苦労する。今日は部屋の電気を消して、窓を開けていたら、部屋が薄暗くなって、まだ外が明るかったので迷うこと無く外に飛んで行った。娘たちは雀より大きかったという、なんだろう、ヒヨドリほどは大きくなかったと思うが。それにしても7~8時間ストーブのなかにいたことになる、一酸化中毒や焼き鳥にならなくてヨカッタ。 

 晩飯。ひき肉と玉ねぎのミジンでオムレツを作ってやった。竹の整理でもう飯を作る時間も体力も無くなっていた。昼は納豆巻や助六などを買ってきて食べさせた。太郎はずっと食が細かったが、最近になって急に沢山食べるようになってきた。


令和 2年 3月 8日(日)

 快晴、風がちょっとあった、北東の風で、噴煙が向こう側に流れていた
      最低気温 7.2℃ (04:47)、最高気温 16.3℃ (15:18)

 今日は非常に暖かい日で、語呂合わせでミツバチの日なんだそうだ、それを知っていたからではなくて、たまたまだが、久しぶりハチウトのところに行ってみると、写真ではあまり写っていないがハチ共の動きが非常に活発で、花粉をたくさんつけて帰ってきていた、そのはずだ、もう周囲はいろいろな花が咲き乱れ始めている。あと一月もすると分蜂が始まるだろう、休んでいるハチウトの掃除もそろそろしなければならない。
 
 今日も、倒した竹の整理に明け暮れた。あともう少し、あと一日くらいで、とりあえずは他人様の田んぼに倒してある竹の移動が終わりそうだ。
 
 今回のスマホの入れ替えで、一つだけ、大事なアプリがAndroidのバージョンの関係で、インストールをハネられた。今回カミさんからもらったスマホのAndroidのバージョンは5*である、ところが入れたかったアプリは6*以上でなければ入らないという。
 
 このアプリはLife360という位置情報アプリである。娘が暗くなってから田圃道を帰ってきたりする場合など現在位置を確認しながら安全を見守っている、場合によっては田んぼの中まで車で行ってライトで照らしたりしなければならない場合もある、その他にもお互いの位置情報がリアルタイムで分かるのがなにかと都合がいいので、家族間で入れている、みんなの活動は公明正大なのでそれで別に行動を縛ることも縛られることもない、(カミさんと小生は遮断してあるが)。
 
 それでそのアプリが無いと困るなあと思って、色々調べたら、蛇の道はヘビで、正規の方法でなくて、古いバージョンを入れる方法があることがわかった。まともな方法では胴元は古いバージョンは提供しないので、古いバージョンをストックしてある場所があるのである。お陰で、バリアを一時的に解除してインストールをすることが出来た。

 夕方風呂に行った時にロビーで大相撲を無観客で中継していたが、ちょっと俯瞰した映像を見ていた人が、まるで紙相撲のようだと言っていたが、言い得て妙だった。やはり大相撲は大観衆と声援で成り立つものだと感じた。今あちらこちらでいろいろなゲームの無観客試合が行われているのだろう。


令和 2年 3月 7日(土)

 晴れのち、午後に入って弱い雨が降っているのかいないのか状態が続いていた。それでも明日の野焼きは延期になった。
    最低気温 0.8℃ (02:37)、最高気温 11.8℃ (11:55)

 今日は昼ころから雨になると言う予報だったので、山間部は例によってそれより早く雨になるだろう、一時間でも二時間でもできるうちに切った竹を整理しておこうかと思って、作業を始めたところ、珍しく、ずっと降らず、結局昼までたっぷり作業をすることができた。それでもビフォー、アフターの写真を撮ってもほとんど変化がない
 
 今回の竹林の外れに、常緑樹の小さな木があって、まあ、邪魔になるものでもないからとずっとそのままにしてあったのだが、今日みると、小さなスズランのようは花が沢山付いているのに気がついが、今まで年に一度か二度くらいしかそこには行かなかったので、しかも花の時期ではなかったので、まさか花が咲く木だとは思わなかった。なんの木だろうと思って調べたら、アセビのようだが、でもアセビのように房のように花が付いていないので、違うなあ、と思って調べたところ、多分「ネジキ」という木の花のような気がする、違うだろうか。(写真1写真2写真3

 小生は携帯電話はDOCOMOのガラケーとスマホの二台持ちである。スマホの方はCHAINA製の格安スマホで、それに格安SIM(OCNモバイルONE)を入れて使っている。ところがこのスマホが最近、もう大分になるが、WiFiでは問題がないのであるが、家から離れると極端に受信が悪くなり、ほとんど役に立たない状態が続いていた。それでも、ガラケーがあるから、まあ、無ければ無くてもいいやと少しばかり不便のままやってきたが、やはり、この不便を解消することにした。
 
 スマホが悪いのか、SIMのほうが悪いのか(この場合もあるそうだ)わからない、そこでカミさんが昔使っていたスマホがホコリをかぶっていたので、オイ、使わせろ、と言って分捕ってきた。そして今使っているSIMをそのスマホに入れてみたが、つながらない、これはやはりSIMに問題があるんだなと結論づけて、SIMを買い換えることにした。今まで使っているSIMはデータ通信専用のSIMなのだが、音声付きSIMと比べて、それほど価格差がないので、今回、音声付きSIMに買い換えることにして、それが今日届いた。
 
 その設定に半日かかってしまった(それでも今までのデータを移し方分からなかった、最小限、LINEだけは引き継いだ)。そして、小生は勘違いをしていたようで、カミさんのお古はSIMフリーの機種だから、SIMを入れるだけで自動的に使えるようになると思っていたら、いろいろな設定をしなければならなかったのだ。だから、スマホに原因があるのかSIMに原因があるのか、でSIMに原因があると結論づけていたのだが、今度来たSIMでも今までCHAINA製のスマホで動かない事がわかって、結局スマホが壊れているという結論になった。

 ということで、カミさんが使っていたスマホを使ってやることにしてその環境設定をした。カミさんは娘と二人で現在はiPhoneを使っているようだが、小生が使うことにしたスマホはちょっと古いが小生が今まで使っていたスマホよりも遥かにスペックが高い、どうして買い替えたのかさっぱり分からん。
 
 それで新しいSIMを入れたカミさんのお下がりのスマホ、家を離れて試してみたら、これほど「バリ3(古いね言い方が)」で入るとは思わなかったというほど快調である、家の周辺、電波状態が悪いのかと思っていた。


令和 2年 3月 6日(金)

 快晴、この時期にちょっと珍しく朝冷え込んで、日中は暖かくなった。
    最低気温 -3.8℃ (06:32)、最高気温 12.4℃ (15:33)

 坂梨の春の牧(町古閑牧野)で野焼きをやっていた、夕方、風呂で会った中川さんにお聞きしたら、町古閑牧野では二回に分けて野焼きをするそうで、今日焼いたところは役員だけでやったそうで、次回は全員でやるそうである。ここでは一斉野焼きのスケジュールとは別建てでやっているようだ。今日は乾燥してよく燃えたそうだ。一斉野焼きは明後日に予定されているが明日が雨だそうだから、また延期になるのだろう。美しい夕焼け空だったが、明日は雨なんだなあ、飛行機雲が出ているので天気が下り坂なんだろう。
 
 坂梨の卯の鼻の上空(北坂梨あたりかも)、ハングライダーが遊弋していた、最近、時々やっている。昔は人気スポットだったこともある(小さすぎてほとんど写っていないなあ)。
  
 今日も竹林の整備をした、黙々と一日動いた、さすがに連日だと疲れる。ようやく大雑把ながら伐採の目処がついた。もう少し切りたいが、それは追い追いということで、早速、隣地に倒してある竹の、整理移動に移らなければならない。(写真1写真2

 晩飯はくたびれ果てていたところにカミさんが珍しく早く帰ってきたので、餃子のつもりで用意していたので炊事を引き継いだ。昼は・・昼は何だったかなあ、あ、そうだった、親子丼が食べたいとリクエストがあったのだった、お安い御用、作ってやったのだった。



令和 2年 3月 5日(木)

 晴れ、午前中ちょっと風が冷たかったが、午後から暖かくなった。また高岳頂上付近が白くなっている
     最低気温 0.3℃ (05:28)、最高気温 10.0℃ (14:51)

 終日、竹林の整備をして過ごした、この作業、全身を使ってやる作業である、バランス良く全身を使うので体には非常にいい作業だ、夕方にはヘトヘトになった。この区画はもう少しで終わりそうだ、終わると言っても切り倒すのが終わるだけで、このあとまだ倒した竹の処理が残っている。ほとんど他所様の田んぼに倒したので、一応は仁義を切ってあるが、なるべく早く自領に運んで、燃やさなければならない。数十本切っただろうか、孟宗なので、もすごく重たい。(写真1写真2写真3写真4

 太郎の担任の先生、臨時休校期間中の子どもたちの様子を見るために家庭訪問をしているそうで、我が家よりカミさんの職場と学校が目と鼻の先にある関係で、カミさんのところに様子を聞きに見えたそうである。その太郎、今日はクラスメートが隣家の孫にあたる関係で、普段は太郎は学童があるので、なかなか機会がないところ、たまたま遊びに来たところをつかまえて、クラスメートの兄君と一緒に三人で野球をして遊んでもらっていた、普段、仲間が近所にいれば一緒に遊ぶことができるのだが、近くには全くいないので、今日は貴重な時間を持つことが出来たというわけである。(写真1写真2)

 晩飯。マーボー豆腐、豆腐を買うとタダのオカラも貰ってくることが多いので、オカラの炒り煮、オカラのサラダと豆腐づくしの夕食になった、キンピラも作った。昼は、ピザを食べた、同じ冷凍ものでもチンだけで食べるやつはフニャフニャして美味しくないが、ちゃんとオーブンで焼いて食べるほうが同じ冷凍ものでも美味しい。
 
 熊本県知事選の告示があったそうだ。まさに「そうだ」である、その程度の関心である。それからイレブンチンピンの訪日が延期になったそうだ、延期でなくて来なくていい、訪日反対の声は自民党内から出ているが、野党はシンパだから何も言わない、武漢肺炎のことも、香港問題もチベットやウイグルのこと、尖閣諸島侵犯などについても何も言わない、一体どこの国の政党だ。


令和 2年 3月 4日(水)

 昨夜から降っていたのだろうか、午前中も雨が残って、午後に入ってようやく上がりそうだったが、結局一日中はっきりしない天気だった。
    最低気温 5.4℃ (但し19:37時点)、最高気温 10.5℃ (13:02)

 今日、日本で武漢肺炎の罹患者が1,000人を超えたそうだ、これはクルーズ船での感染者も含めてだそうだが、クルーズ船は日本では無いだろう、 たまたま日本に寄港しただけだろう、数の中に入れるな。
 
 東京では武漢肺炎予防のために一部満員電車で窓を開けて運転をしているという記事があった、密集閉鎖空間での感染の恐れが高いそうだから、少しでもその危険性を無くすための措置だろうが、東京は大変だなあ、ここではそういった心配が全く無い、そもそも電車(列車)が走っていない、ゼロということは無いが、一日数本で一両編成で乗客も数名だ、小生は去年だったか一昨年だったか親戚の葬式で上京した時に電車に乗って以来電車なんかに乗ったことがない、電車の乗り方、キップの買い方も忘れてしまったくらいだ、最近ではキップの買い方も昔とは違うようだから。

 春のセンバツ高校野球、無観客でやるようだ、どうしてもやりたいのだろう、高校野球だけは神聖かつ侵すべからざるもののようだ。
 
 夏子と太郎、今日も穏やかに静かに過ごしていた、小学校のホームページ、数年前に出来て、「ある」という程度の使われ方しかしてこなかったが、今回の武漢肺炎をきっかけとして活発に活用され始めた

 小生、普段は聴かないのだが、二三日前に、NHKラジオの午前中の帯番組「すっぴん!」で「あと残り何回で・・・」という音声が聞こえていたので、この番組はメイン司会は同じだが、芸能人や”文化人”などのパーソナリティというのか、それが曜日ごとに担当が替わる番組なのだが、その中のひとりがこの年度末で交代になるのかと思っていたら、今日、娘が、番組自体が終わるようよ、というので、調べてみたところ、確かに番組そのものが終了になるらしい。今の司会者になってから聴かなくなっていたので、知らなかった、小生はパーソナリティーも司会者も日替わりで替わるのであればともかくも毎日同じアクの強い司会者が出ずっぱりというのが気に食わなくて番組が始まるとスイッチを切っていた、ヨカッタ。午後からやっている竹内陶子の「ごごラジ!」は続くらしい、この番組は司会の声が柔らかくて押し付けがましくなくて聴いていて邪魔にならないからいい。
 
 「すっぴん!」のあと、4月から「らじるラボ」という番組が始まるらしい、「ラジオで育ったオトナ世代に「聴く楽しみ」をもう一度。「気になるヒト・コト・モノ」を「音だから面白い・音だから伝わる」にこだわって探究、デジタル時代の新たな音世界を提案する実験室らじるラボ。(以下略)」とある、これは小生が日頃言っていることだ、でもあまり期待しないで待っていようか。

 いつだったか、Windows10タブレット ARROWS Tab Q506/ME の放出品を安価で入手したが、今日はそれにWSLを使ってubuntuをインストールして、update、upgrade、日本語言語パッケージをインストールして、ロケールを日本語に設定して、タイムゾーンをJSTにして日本語マニュアルをインストールする一連の作業をやったが結構時間がかかった、いつまで経っても初心者だ。

 太郎、水泳教室。武漢肺炎で次々にいろいろな活動や催しが中止になるなか、水泳教室はしっかりあった。

 晩飯、クリームシチュー。昼は焼きそば、太郎はお湯を入れて作るカップ麺の焼きそばが好きなようだが、駄目だ、と言って、ちゃんと肉と野菜を入れた焼きそばを作ってやった、給食爺さんはウルサイのだ。


令和 2年 3月 3日(火) 五節句の上巳、雛まつり

 穏やかに晴れる。一月ころ、芽を出したばかりだったフキノトウ、いつのまにかもう立派な花をつけている、入り口の沈丁花も満開で悩ましい香りを漂わせている。
    最低気温 -0.5℃ (04:44)、最高気温 13.8℃ (13:59)

 今日も姉弟穏やかに一日を過ごしていた。太郎は一人で壁にぶつけてテニスの練習をしていた。(写真1写真2
 
 竹林の整備、昨日の続きをした。相当な本数で、まだまだである。竹を切るときには地面スレスレに切らないと切り株に蹴躓いて危ないので丁寧にやると能率が落ちる。隣の田んぼを借りてやっているのであまりいつまでも時間をかけるわけにいかないので、とりあえず、主だった部分を倒すことを優先して、二重手間になるが、地面から1mくらい残して倒しておいて、田んぼに迷惑か掛からにようにしておいて、後から時間を見て残りの部分を倒す予定にしている。
( 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8)

 昼飯は「にゅうめん」を食べさせた、太郎は冷たい素麺が良いというので、太郎だけ夏スタイルの素麺だった。
 夕食は、今日は雛まつりだから、チラシ寿司を作ってやった。確か毎年、作っているような気がするが、雛まつりのちらし寿司にはハマグリのお吸い物だろうと思うのだが子どもたちは通な味はわからないようで、いつも残すので今日は、ハマグリのお吸い物の素に豆腐とワカメをいれてお吸い物を作った。
 
 臨時休校、まだようやく二日終わったばかりだ。


令和 2年 3月 2日(月)

 あまりスッキリというほどでは無かったが、まあ、晴れだったろう。
    最低気温 6.1℃ (但し19:38時点)、最高気温 12.8℃ (16:20)

 さあ、いよいよ今日からこどもたちの臨時休校が始まった、たっぷり宿題が出ているようだが、それでも太郎にとっては長い一日が始まった、小生の管理下にある間は絶対にゲームは駄目だと言ってあるので、本人もそれは承知しているようで、宿題をやったり、通信教育で使うタブレットで電子書籍的な使い方が出来るようで、めずらしく、活字の本を結構長時間読んでいた、それから、外で一人でテニスの練習をしたり、珍しく食事のあと片付けなんかを積極的手伝っていた。それでもようやく一日が終わったというところである。近所に仲間がいないので結局一人で一日を過ごさなければいけない。
 
 小生、今日から昼と夜の食事の面倒を見なければならなくなった、昼も夜も飯作りに根を詰めるわけにはいかないので、昼は、ほか弁で、唐揚げ弁当買ってきて食わせた。夜は、酢豚を作った。

 武漢肺炎騒ぎでトイレットペーパーやティッシュまで買い占めが起きているが、この騒ぎを逆手にとってコメが無くなるぞとデマを飛ばしたら、コメ余りの解消になるぞと冗談に言ったら、本当にコメまで店の棚から無くなっているそうだ。
 
 阿蘇市の図書館も、で今日から16日まで休館になってしまった。これなんか便乗ナントカだろう、図書館の読書室に多くの人が集まると濃厚接触の恐れがあるから休館にする、は、分かるが、ネットで申し込んで、それを窓口に取りに行くのは別に構わないだろう、そんなことなら市役所の窓口だって全部閉鎖しなければならなくなるだろう。
 
 と思ったので、日比谷図書館 https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/hibiya/ を調べてみたら、やはり一部サービスを除いて休館になっていたが「除いた一部サービス」のひとつに、
 ○予約した資料の受け取り(資料の予約方法:ホームページ、電話、来館)とあった、それ見ろ。

 最近格安スマホの調子が悪い、スマホのほうなのか格安SIMの方かよくわからない、そこでカミさんが昔使っていた、スマホを引っ張り出してきて、試しにそれにSIMを入れ替えてテストしてみようとしたら、ロックがかかっていてカミさんも覚えていないという、ネットで調べて、強制初期化をして、SIMを入れてみたが、SIMロックがかかっているのかどうかよくわからない、あーでもない、こーでもないといじくり回しているうちに、LINEがオカシクなって、データが全部消えてしまった。PCの方のLINEには残っているようだが、スマホの方には全く残っていない。そんなわけで、今までつながっていた人とつながらないかもしれない。

 我が家の竹林がジャングル化して、なんとかしようと思っていたが、急遽思い立って、徹底的に間引くことにした、聞くところによると、傘を差して歩けるくらい竹と竹の間隔を空けるのが良いと聞いたことがある。今日は試し切りで数本倒してみたが、大仕事になるだろう。
 
 作業小屋、ここのところ降り続いた雨で、先日、せっかく、雨の侵入を防ぐための防御策を立てたのに全く効果が無かった、水浸しになっていた、もっと根本的に原発並みの防潮堤をつくらんといかんなあ。
 
 
令和 2年 3月 1日(日)

 今日も降ったりやんだりで日照時間ゼロの暗い一日だった。
    最低気温 6.6℃ (05:51)、最高気温 9.1℃ (12:23)

 さあ、三月に入った。三月に入ると冬の間静まり返っていた自然界も田も畑も人の営みもいろいろなものがそろそろ動き始める月だ。

 今日予定されていた野焼きが天候不良のために延期になった、毎年、予定通りに実施された試しはない。

 太郎たち、日曜日はテニススクールの日で、連中は行くつもりでいたらしいが、スクールの方から二週間休校にするという連絡があったようだ、小中高だけでなくても休校だそうだ。静岡だったか、今日スポーツクラブで感染者が出たというニュースがあったので、誰がどういうルートでやってくるかわからないので、休んで正解なのだろう。
 
 夏子の高校、今日は卒業式だった。武漢肺炎で在校生、来賓のいない卒業式になった。二年生では送辞を述べる生徒、吹奏楽部、それから校歌や仰げば尊しのピアノ伴奏をする夏子たちだけの参列になった。夏子、少し前の練習の時にみんなの前で弾いたときは緊張したが、今日の本番は余裕だったそうだ。
 
 思い起こせば、夏子は小学校と中学校でも卒業式でピアノ伴奏をした、そんなに身を入れてピアノに向かい合っているわけではないが、もう十年以上続けているので、まあ、それなりに弾けるようになっている。受験もあるのでそろそろピアノも卒業かというところだったが、せっかくここまでやってきたのだから、今以上に上達する必要はないが、現状を維持する程度には弾けたほうが良いだろうということで、練習のペースは落ちているがいまでも習いに行っている。我々全く無縁の人間からみると、ピアノが弾けるということはこれほど羨ましいことはない、マスターしたい「死ぬまでもうひとつ」に加えることが出来るなら小生も今からでもピアノの練習をしたいくらいである。夏子はそんなに熱心に練習をしてきたわけではないが、それであの程度になれるのなら、熱心に練習する小生なんかもっと短時間で上達するのではないかと内心思っている、音楽のセンスは小生のほうがある(とも思っている)、問題は反射神経だな。
 
 今日は古いノートPCにLINUXを入れたりした。少し前に入れたノートはメモリーが最大1GBしか入らずにあまりに非力でいかなLINUXといえどもほとんど実用的ではなかったので、今日はもう一台の古いノートに入れてみたところ、CPUは前のノートより少し遅いやつだが、メモリーが2GBはいっているので、これはスンナリとインストールできて動きも実用性がある。ubuntu系のPeppermint10である。

 
   

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