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令和己亥(2019) 元年 9月の記録 (新しい日付けの順)

令和元年 9月30日(月)

 朝起きたときには少し降った形跡があったがその後晴れた、そして、朝のうち霧が出たがそれもすぐに晴れた。
午後に入って、少し強い通り雨と雷がなったが、すぐに通過していった。
      最低気温 20.1℃ (06:09)、最高気温 26.9℃ (11:40)

 本日の阿蘇中岳 (写真1写真2写真3写真4

 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 しばらくはスケジュールに追われる行事は無いのでのんびり過ごせる。

 明日から消費税が10%になる、小生のような低所得者は主として食品(軽減税率適用)くらいしか買うものが無いので、今までと比べてあまり影響はない。と思いながらも、そうだ、予備ガソリンタンクが空だったと思い出して、20リットル、8%税率のうちに買ってきた。一時、いきなり10%になるかのように印象操作をして騒いでいた勢力があるが、考えたら2%上がるだけだ、もちろん上がらないにこしたことは無いが、仕方がないのだろう、世間的にもあまり今回の増税に関しては買いだめなどで騒いでいないようだ。それに小生はキャッシュレス・ポイント還元が全くわからない、興味がないので調べもしないが。

一昨日、映画を観に行ったついでに山の下にあるスタンドで給油をした時に、普段キーホルダーにぶら下げておいて、給油の時に給油機にタッチするだけで済むというプラスチック片をなんとなくもらってきてあったので、それで給油をした、カードだと、小生のような者でも免許証、診察券、クレジットカード、銀行カード、なんとかカード、なんとかカードと何枚もいろいろなカードを持っていて財布の中から探すのが大変だったので、これは便利でいい。

 今日もテレビ欄をみたらラグビーがある、普段はテレビ欄なんか100%見ない、あのページは不要だと思っている、更に言うなら、不要なページはたくさんある、もっと言えば新聞なんか要らん、のだが、地域の訃報欄をみるだけのために取っているようなものだ。今回のW杯が始まってからテレビ欄をみるようになった、こんな機会でも無ければ普段テレビでラグビーを放送することなんて、年に一回か二回くらいのものだろう。
 
 太郎がこれまた非常にラグビーが好きなようだ、昨日も熊本から帰る途中、カミさんの車の中でずっとラグビーの中継をみていたそうだ。

 今日は7時から放送開始だからそれまでに家事全部を済ませておいた。スコットランド対サモア、大差でスコットランドが完封したが、いくら点差が開いても面白い、太郎も眠いのを我慢しながら最後まで見ていた。
 
 民放の放送枠で中継がある場合、野球だと攻守交代の切れ目があるからCMを入れやすくて民放の中継には適したスポーツなんだろうが、サッカーやラグビー、昔だと、試合途中で下の方にやたらとCMが入った時代があるが、今は、試合の前後やハーフタイム時にこれでもかこれでもかとCMを流すことはあっても試合中にCMが入ることはまったくない、だから、見ていてNHKのように気持ちよく見られる、ただ、タレントだかなんだか知らないが、芸能人っぽいのが進行役に出てくるのがあれが不愉快だ。いくら昔ラグビーをやっていたからと言ってもこんな番組には全く必要がない。

 「ラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会組織委員会は30日、日本に接近している台風18号が試合会場に大きな影響を及ばさないとみて、10月2日に福岡市のレベルファイブスタジアムで行われる1次リーグC組のフランス-米国を予定通りに実施すると発表した。」だそうだが、そうかなあ、ちょっと危ういと思うがなあ、でも予想ではかなり台風の勢力は弱まると見ているようだが。。

 晩メシ。豚肉の味噌漬け、出汁巻き卵など、さっさと作って、さっさと食ってテレビ鑑賞をした。


令和元年 9月29日(日)

 はっきりしない天気だった、午後あたりから時々小雨が降っていた。
     最低気温 18.7℃ (06:10)、最高気温 25.1℃ (12:26)

 今日もしっかり噴煙は出ていた、今日は一日西から東向けの風が噴いていた、ここには関係がない風向きだ。(写真1写真2

 台風18号、コースがあまり曲がらないで進んでくれそうだが、裏切るなよ。下手すると福岡でのW杯ラグビーのフランス対アメリカの試合が中止になるかもしれない、延期はないそうだ、双方引き分けになるそうだが、せっかくみんな楽しみにしているのだからなんとかやってほしいな。

 太郎と母親は朝早くからテニスのレッスンに出かける。
 
 夏子も、遅れて、友人と先日オープンしたばかりの熊本市の再開発商業エリアのサクラマチなんとかに出かけていった。やまびこ号のバス停まで送っていった。このサクラマチなんとかというところは熊本城の入口近くにあって日本で一番大きいと言われるバスターミナルと一体となった施設で、この施設が出来ると、熊本市の中心部のショッピングなどの人の流れが変わるのではと言われているところである。小生は全く関心がないのでそれ以上のことはあまり分からない。夏子たちは帰りは、カミさんたちと合流して一緒に帰ってきた。サクラマチではフランスの選手が来ていてラインアウトなどのパフォーマンスをやってくれていたそうだ。

 小生は、今日は夕方からラグビーがあるので、いつもよりも30分ほど早く風呂に行ってテレビ桟敷でゲームをを楽しんだ、ウェールズ対オーストラリア、いやあ力が入るゲームだったなあ。
 
 浄化槽周りの草を刈っておいた。偶数月はじめに浄化槽の点検がある、別に草茫々でも構わないのだが、どうせなら点検業者に気持ちよくやってもらったほうが良いので、久しぶりに刈払機を動かした。before  after


令和元年 9月28日(土)

 今日の予報は昼ころから雨になり雷の予報もでていたが、良い方に外れて、一日いい天気だった。
    最低気温 21.5℃ (05:19)、最高気温 25.9℃ (11:10)

 台風18号が発生した、17号とほとんど同じコースだが今度のほうが手強そうだ、ちょっと期待をもたせるコース取りもあるが期待はすまい。

 今日の阿蘇山 今日は少し大人しかったような気がする。

 今日は馬場八幡の秋季例大祭、故あって、去年から小生は参加をやめた、太郎と母親は神幸行列と子供みこしで出かけていった。夏子はピアノレッスンがあるので、バスとJRを使って行くつもりでいたが、小生が映画を観に行くのでちょうどレッスンと映画の時間が合ったので近くまで送っていって、終わって帰ってくる時に拾って帰ってきた。

 今日の映画は、「アド・アストラ」、SFだがいい映画だった。

 映画が終わって帰る途中にW杯ラグビーの日本対アイルランド戦が始まりかけていた、車の中でラジオを聞いていたが、今日は多分善戦くらいだろうと思ってあまり期待をしていなかったので運転していて焦ることは無かった。家に帰り着いた時、試合が始まったばかりだった。

 そして、オイオイ勝っちゃたぞ、いやいや決してフロックではない、五分に渡り合って堂々の勝利だ、日本のラグビーも強くなった。

 晩メシ。太郎たちが馬場八幡の打ち上げで出かけたので夏子と二人でステーキを焼いてビールを飲んだ。歴史的勝利を祝って、小生はアルコールの入った本物のビールを飲んだぞ、しかも昔同じ緻密な作戦で歴史的勝利を納めた記念すべきビール(のコピー品だが)だ。


令和元年 9月27日(金)

 晴れ。
     最低気温 20.6℃ (00:00)、最高気温 27.6℃ (12:40)

 オイオイまたかあ。台風18号が発生しそうだ、いろいろな予想があるようだが今は誰にも分からない、神のみぞ知るである。

 阿蘇中岳噴煙 (写真1写真2灰が降っているのがわかる)
 定点観測
 登校風景 時期的にはかなり早い気もするが、アブラムシだろう大量に発生して子どもたちの通学の邪魔をして、交通安全ベストを脱いでそれで口などに飛び込むのを追い払いながら登校していった。
写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 今日は日中時々突風のような風が吹いていた、ところが、夕方近く、風速計をみると、ずっとゼロのままだ。ははあ、と思って行ってみるとまたクモががっちりと糸で抑えていた。ローリング・ストーンの理屈で、動いていれば張らないはずだから、クモが巣を張るくらいの時間、無風時間があったということだろう、それで一旦強い糸で張ってしまえば少々強い風くらいではびくともしなくなるのだ。

 太郎、虎舞の練習、送りのみ小生が受け持つ。明日は馬場八幡の秋季例大祭で、奉納演舞があるのでそのリハーサルだ。ただ、肝心の天気がちょっと心配だ。

 晩メシは栗ご飯、里芋の煮っころがし、油揚げと小松菜の煮浸し、出汁巻き玉子など。だいぶん前から子どもたちから栗ご飯が食べたいというリクエストがあったが、栗は剥くのが大変なので、そのうちそのうちと先延ばしをしていたが、今日は休養日にしたので、ようやく栗ご飯を焚くことが出来た。栗は鬼皮は大変ではないが、渋皮を剥くのがネットなどで色々調べたが結局の所、これだ!という方法が無いことがわかった。根気よく剥く以外に方法は無い、いっそのこと剥いて売ってあるものを買うのが割高だがトータルコストとしては一番かもしれない。小生自身は栗ご飯はあまり好きではない。なんでかというと、栗とご飯の食感が違うからである、片方は硬く、ご飯のほうは栗よりも柔らかいから食べていてどうも違和感があるのだ。豆ごはん、キノコご飯などは硬さが一緒だから良いのだが。


令和元年 9月26日(木)

 曇り
    最低気温 15.7℃ (01:35)、最高気温 23.9℃ (12:40)

 子どもたちを送る場所に立っていると、曇っていて風があって半袖Tシャツだけだと寒いので車に積んであったウインドブレーカーを引っ張り出して羽織った、今朝はそんな天気だった。ここにいると下界の様子が分からないが、どうなんだろう、まだ残暑が続いているのだろうか。噴煙も雲がかかっていてよく見えなかったが今日は噴いていたのだろうか。

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

  阿蘇文化調査研究会 坂梨パート2 連続写真(1/2)
  阿蘇文化調査研究会 坂梨パート2 連続写真(2/2)

 阿蘇文化調査研究会の例会があった。 初参加、飛び入り参加になるのかニューフェースがニ三名おいでになった。
 今月は小生と村山さんの当番で、坂梨探索だった。今回は、坂梨にあった「幻」の大山寺の追跡と造り酒屋の大黒屋さんなどをテーマに取り上げて、発表した。大山寺はそれほど昔ではないのに、坂梨の人たちの記憶に薄い、これは青竜寺だけでなく、このお寺も阿蘇神社の神護寺的なお寺で寺領(資料に五石とある)を持っていたために地域に檀家というものを持っていなかったがゆえに、神仏分離令により、神護寺として神社から切り離されたたことによって立ち行かなくなったのではと考えているが、大山寺と縁が深い九州西国三十三箇所十二番札所にあたる宮地の金剛山青竜寺が大山寺と非常に縁が深いということがわかり、皆さんでお訪ねをした。そしてこの霊場の運営者で、観音堂の保存管理をされている大山寺の末裔でもあられるご当主の田中さんから、いろいろと貴重な文献を見せていただいた。今回は主に二つの訪問先があり、一度ですべてを見せていただく時間がなかったので、本当に短時間で残念だったが、またの機会にということで、次の訪問先に向かった。私事になるが、小生の曽祖父「太邑」と田中さんのご先祖と交流があったようで、書簡などがきれいに表装されて保管されていた。我が家には何も無いが、時々こうして他所様で先祖のことを識る機会がある、有り難いことである。
 
 もう一軒の訪問先は、昔の造り酒屋だった大黒屋さんで、普段は公開していないので、特にお願いをして玄関先だけでも見せていただければと思ってお訪ねした所、大黒屋さんから他家に嫁がれて、今はそこのご隠居さんとそのお嫁さん、またご隠居さんの妹さんまで待っていてくださって、奥座敷にまで上げていただいた。この大黒屋は江戸時代からある造り酒屋で西南戦争時に薩軍の本営になったところで、当時の造りそのままの黒光りする骨太の家の柱類や座敷などが残されており、非常に貴重な文化財だと思う。庭のお堂には加藤神社と同じ造りと言われる古い加藤清正公の像がお祀りしてあった。また、薩軍に占領されている時に、捕らわれてきて拷問を受けたという西巌殿寺の厨亮俊住職が縛られたという庭先も見せていただいた。こちらも時間が無くて、短時間の見学に終わってしまった。今回の調査で知ったのだが、薩軍が退却してもぬけの殻になった大黒屋に入ってきた政府軍が座敷の床の間の一振りの刀を見つけ、調べたら、松平容保から拝領した佐川官兵衛の佩刀だということが分かって、戦後、遺族のもとに返されたとある。佐川官兵衛は会津出身で政府軍の警視隊の指揮官でこれより少し先に南阿蘇の黒川口の激戦で戦死している。その刀がどうして薩軍の本営に飾られていたのだろうか、戦死した際に薩軍によって持ち去られたのかもしれない。

 最後に、大山寺廃寺の際に移されたという仏塔や最後の住職の大山雲平の墓石などが置かれてある八千場霊園をお参りして散会した。とりあえずは役目を果たした。レポーター兼(自分用)カメラマンのために写真を随分と撮りそこなった、大黒屋さんのご隠居さん方、座敷などの写真を撮りそこなってしまった・・・・・

 JA6DIOT御入来。終活で本を沢山。OTはいろいろなジャンルの本を山ほどお持ちで小生が最近郷土史なんかに首を突っ込んでいるのをご存知で、郷土史に関する歴史書などを持って来てくださった。それとは別に、近々これも終活だそうだが、タワーを解体するけど要らないか、要らないならスクラップとして処分するつもりだ、とのこと、小生はクランクアップタワーをまだ建てきれずにいるので・・・とお断りしたが、昔なら直ぐに欲しいという人は大勢いただろうに、いまは無線をやる人間が少なくって、タワーの行き先もなかなか決まらない時代になっている。自分の後のことなんか心配しなくても残った人がやってくれるからそのままにしておいたほうが良いですよ、と言うのだが、なかなかそうも行かないようである。どなたか欲しい局はいないだろうか。

 太郎、虎舞の練習のため、(かみさん仕事で時間がとれないというので)小生が送迎する。今晩は地上波でW杯ラグビーの中継があるので、太郎を送っていって、そのまま風呂に行って帰ってきて、テレビを観て、途中で太郎を迎えに行ってと、中抜きでラグビーを楽しんだ。太郎も虎舞の練習が終わって帰ってきてすぐに風呂に入って寝ないといけないのに、ラグビーが観たいというので、まあ、たまには良いだろうと、残り20分くらいテレビを観てから寝床に行った、その時にはもう10時近かった、太郎、明日の朝起きるの大変だろう。
 
 イングランド対アメリカ.。残り時間が少なくなって、体格的には優劣無さそうだが、技術面で大きな力の差があるんだなあ、大差がついてアメリカが完封されそうになった最後の最後に一矢を報いて、最後は非常に面白い試合だった。イングランドが強いのかアメリが弱いのか、どちらにしても観ている方は直接利害関係がないからゲームそのものを楽しむことができたが、これが日本が出場する試合だったら、おちおち観ていられないのではと今から心配である。
地上波では時々しか中継をしないが、BSでは結構やっている、我が家にもBSは受信できるのだが、アンテナのブースターの電源が途中で切断しているのか、映らない、ハシゴをかけて上がってみるという手もあるが面倒だ。
 
 晩メシ。カレー


令和元年 9月25日(水)

 晴れ。明け方の気温が下ってきた、10℃を切ると、おっ!となるがこのくらいだとまだ、夜記録を見て、そうだったんだと思うくらいだ。
     最低気温 13.1℃ (06:34)、最高気温 25.7℃ (13:02)

 阿蘇中岳(写真1写真2写真3)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 昼前に明日の打ち合わせで村山さん御入来。

 親戚に頼まれていた米の発送をした。我が家では最近晩生の「姫ごのみ」という品種の米が美味してくて、それを出来るのを待っているが、待ちきれないのでコシヒカリを送ってほしいというリクエストがあったので、先日稲刈りが終わったばかりで今日から籾摺りをするからという連絡があったので、ご近所で三袋分けてもらって、そのままコイン精米所に持っていって精米をして、流れ作業のように郵便局に持ち込んで発送をしてきた。30キロを三袋上げ下げしたので、またちょっとヒザが痛くなった。
 
 今年の米の出来はやはり良くないそうで、良い時は反当り8俵くらいとれるが5,6俵くらいだと言っていた(と思う)、出穂の時の台風と日照不足が原因だんだろう。
 
 我が家に隣接する田んぼの稲刈りもようやく今日終わった、例年だとどこよりも早く稲刈りをする田んぼなのだが、今年は手が足りなくて、遅くなったようだ。昔の人海戦術の時代から比べたら、今はあっという間に機械で刈って、刈り取りながら脱穀も終わってしまって、あとは乾燥して籾摺りをしてあっというまにコメになる(乾燥の工程はこれで良かったろうか)。(写真1写真2)
 
 太郎、水泳教室
 
 晩飯、エビチリ、麻婆豆腐、ホタテ、カニの崩し身入りダイコンサラダ、味噌汁



令和元年 9月24日(火)

 晴れ。
    最低気温 17.4℃ (04:51)、最高気温 25.4℃ (15:18)

 台風前後は雲で山があまり見えなかったので噴煙の状況が分からなかったが、実際どうだったのだろう、今日は久しぶりに頂上付近が見えていたが、今日は活発に噴煙が北から南方向に上がっていた
 
 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10) 

 午前中、大黒屋さんご出身の森本金物屋さんの「ご隠居さん」にお話を伺ってきた。先日お訪ねしたときにちょっと訊き漏らしたことなどを。
 坂梨村是によると江戸期には造り酒屋は四軒あったそうだが、明治35年頃には二軒になっていたそうで、一軒は大黒屋で間違いなだろうが、もう一軒はどこだったのだろうと思っていた。90歳間近のご隠居さんの記憶によれば、女学校2年生のころまでは大黒屋でまだ酒を作っていたが、大黒屋の北隣に北大黒屋という造り酒屋があって、もうその頃には廃業していたが、そこではないだろうかということであった、今57号線が通っているあたりだったそうだ。
   本村工業ノ重ナルモノハ酒造業トス維新前後ニ在テハ四戸ノ醸造家アリ其後減シテ貳戸トナリタルト雖トモ其造石高ニ至ッテハ四戸ヲ合シテ五六百石に過キサリシカ今ヤ貳戸ノ醸造石高ハ年ニ隨テ増減アリト雖トモ大抵千石ニ及ヘリ是畢竟自家用料酒製造禁止ノ影響ニシテ其八分ハ他村ニ賣出シニ分ハ自村ノ需用ニ應シツヽアリ・・・・・・。
 晩飯。小アジの南蛮漬け、イカと里芋、ダイコン、ニンジンの煮物など。フルーツ缶詰が安く売っていたので、それにサイダーを入れてフルーツポンチを作った。


令和元年 9月23日(月) 秋分の日(秋季皇霊祭)

 お彼岸だ。台風一過とはいかなかったが雨もふらず、静かな一日だった
 
最低気温 18.0℃ (06:02)、最高気温 24.7℃ (14:40)
最大風速 16.1 m/s (00:13 但し日付が変わってからの風速、その前に17.4mを記録しているのでこれが最大風速になる)
本日雨量 0.0 mm(日付が変わってからは全く降らなかったということ)
最低気圧 994.7 hPa (0:00、但し、日付が変わる前に最低気圧を記録している)

これは昨日のことになる、
 台風17号の進路も、対馬の北を通る予想がだんだん下ってきて、最終的には福岡の沿岸付近を通って日本海方向に進んでいったのでその分暴風域も南にずれて、ここも暴風域にかかった。それでもマクロ的には誤差の範囲だろう。南からの風で気温が上がって前夜は暑いくらいだった。

 小生が寝ている窓辺で風が強いのに目が覚めて起きてしまった。23時前(というと前日になるが)、南西の風が強くて家の二階にいると細かく揺れている、机の上に置いたPCのモニターも細かく揺れている。ところが、観測装置の風速計のメモリの最大風速のメモリが14.8mで止まったままだ。壊れたのかと思ったら、強い風が吹いていても、それ以上の風ではないということが分かった。観測装置が壊れたかなと思って、念の為に、ネットで阿蘇のデーターを調べてみたが、だいたいそんなものだった、ここのほうが田んぼの中なので、かえって強いくらいだ。夜で風が家に吹き当たる音だけが聞こえて外の様子がわからないので、ものすごい風が吹いていると思ったがその程度の風だったようだ。ここは南西の風が強く当たる場所だ。今回の台風は場所によってはものすごい雨だったようだが、ここでは完全な風台風だった。

 普段と風の当り方が違う、それから強い風が吹き続けるのでこれも普段の風の吹き方と違う、これで家が揺れるように感じたのだろうが実際にはそんなに強い風ではなかったようだ、日付が変わる直前に17.4mを記録して、日付が変わって少しずつ風が収まってきた。
 
 朝起きて外に出てみると、風がもろにあたった場所は草などがなぎ倒されていたが、ちょっと外れるとなんとも無かった、刈り入れ前の稲も雨が降らなかったので水に沈むこともなく、倒れたところでも、ちょっと起こしてやれば稲刈りにもあまり影響はなさそうだ。風の狭い通り道があるようで、我が家はちょうどその通り道に当たったのだろう。
 
 家の前の道路は、台風などの時は木の葉が道路いっぱいに散り敷くくらい散乱するが昨夜は全く落ちていなかった。ヒガンバナも倒れてしまった所があれば、少ししか離れいないのに風の影響を受けていない花もあった
イチジクもなんともなかったようだ
 
 ただ一つの被害、ダイポールアンテナの支柱に10mあまりの孟宗を使っているが、そのうちの一本が風で折れていた。折れた方はもうニ三年使っていてだいぶん古くなって台風で折れるかなと思っていたら、やはり折れていた。もう一本の方は今年だったか替えたばかりだったので平気だった。折れた方は7MHz帯のダイポールで、残った方は、ATUをつないだHFオールバンドのダイポールアンテナだ。また竹を切り出して立て直さなければならない。心配していた隣地の田んぼの方でなくて、敷地内に向かって折れていたのでひとまず安心した。もっとも、今の時期は隣地の田んぼの方に倒れても、刈り入れ直前の稲には被害は与えないと思うが。

 ここでは台風17号はもう過去のものだが、日本列島の北の方ではまだ荒れているようだ。

 明日からまた仕事や学校が始まるので我が家の三人組は外出することもなく家でおとなしくしていた。


令和元年 9月22日(日)

 台風17号、当初は対馬の北側を通る予想だったがやはり少しずつ右に曲がってきて南側を通るようだ、ちょうど正午頃の台風の位置はこのあたりだったが、強風域に入っていてもソヨリとも風は吹いていなかった。小生なんかローカル目線で台風の進路を見て、ああ、外れた、ああ逸れたなどと言って文句をつけているが、大まかにみると大体いつも予想コースどおりに進んでいる、やはりいろいろな気象データで事前にコースを割り出す今の予報技術は素晴らしいと思う。

 台風17号、18:00現在、暴風域ギリギリのところを対馬海峡に向かっている、日記を書いている時点では雨も風も大したことはない、雨なんかちょっとした場所の違いで強く降ったりそうでなかったりする、ここは、幸いに今のところは降っていない。多分これから通過後に吹き返しが強くなるのだろう、この後も穏やかに過ぎていってほしいものである。

   最低気温 21.3C (00:00)、最高気温 24.6℃ (14:13)
   本日雨量 27.9 mm (18:38現在)
   最大瞬間風速 10.3 m/s (16:09但し18:38現在)
   最低気圧991.2 hPa (17:44但し18:38現在)

 我が家は平成13年(2001)の12月に今の地に移住してきたが、それより前、数ヶ月間にわたって家を作るための期間があった。今にして思えば、その頃は全く台風のことなど頭の中になかった、ここに台風がやってくるなどということは考えたことも無かった、本当はそのことを頭に入れておかなければならなかったのに考えもしなかったのだ。そして、結果的には全く台風は来なかった。毎年台風がやてくる九州にあってこの事実は奇跡に近いことではないかと思っている。この年よりも数年前に非常に大きな台風がやってきて阿蘇に大被害があった、そして、移住後すぐにまた大きな台風で阿蘇は大きな被害を受けた。

 今日は太郎たちはテニスのレッスンを台風接近でキャンセルした、結果論だがその必要は無かったようだ。
 
 夕方から、アイルランド対スコットランドのラグビーの試合を見た。今日は地上波では一試合だけで良かった、もう見ていてくたびれる。

 本日最終観測データ

令和元年 9月21日(土)

 最低気温 14.6℃ (00:00)、最高気温 20.7℃ (20:15)

 台風17号、どうやらこのコースで落ち着くようだ、直撃ではないのでそれほど強くはないと思うが、台風は来てみなければわからない。

 定点撮影
 登校風景 皆運動会の身支度で登校していった。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 朝6時に小学校の運動会、午前中だけ実施のショートバージョンで実施するというメールが入り、体育委員のカミさんは6時前にテント張りにでかけていった。太郎は、中途半端に半日開催でなくてフルバージョンの方が良いのであまり機嫌が良くなかった。ショートバージョンだと、いくつかのプログラムも中止になり、弁当もなくなるからだ。
 
 天気もどうやら一日持ちそうだなと思っていたら、昼直前になって雨雲が急接近、雨が落ち始めたので、ああ、主催者側の判断は正解だったなと思った。太郎は朝の内は気が乗らない様子だったが、終わって帰ってきて尋ねたら、楽しかったと言っていた。太郎たち青団は優勝したか?と訊いたら、一点差で黄団が優勝したということだった、小生は通りすがりに遠くから一枚だけ写真を撮っただけだった。
 
 昨夜は、ラグビーワールドカップの開幕戦、日本対ロシアの試合をテレビ観戦した。日本は開催国で初戦だったからだろうか相当固くなって細かなミスがあったが非常に面白かった。

 そして、今日も、一日中テレビ観戦で、昼から夜まで三試合を続けて観た、太郎も昨日の日本の戦いからずっと小生がルールを教えてやりながら一緒に見た、お父さん、これノッコンばいね、これラインアウトだね、小生もそれほど細かくは知らないが、そして比較をして申し訳ないが、サッカーよりもずっと面白いと思う、太郎も、サッカーより面白いと言っていた。ラグビーは球技であり、陸上競技であり総合格闘技だ、見ていてとにかく面白い。一般受けしないのは、おそらくルールが複雑だからだろうと思うが、大まかにオフサイドラインを知るだけで、ラグビーの面白さは分かると思う。世界の強豪が日本に集まって毎日何試合もやるのだから、ラグビーファンにとっては堪らないだろう。でも一日に三試合もぶっ続けで観るとテレビ慣れしていないのでさすがに疲れる。
 今日の試合
 オーストラリア、フィジー戦
 フランス、アルゼンチン戦
 ニュージーランド、南アフリカ戦
 
 ラグビーで試合終了を、もう敵味方ではない、と言う意味でノーサイドと言うが、これは今では日本だけで使う言葉のようだ、いい言葉だと思うのだが。


令和元年 9月20日(金)

 朝から雨を含んだ風が吹いていてちょっと肌寒かった。そしていつの間にか雨になっていた、時々降っては止んで、そんな天気で終始した、もう台風17号の遠い影響が出始めているのだろうか、時々強い風も吹いている。。
     最低気温 14.2℃ (02:37)、最高気温 20.3℃ (11:56)

 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10) 

 今度の土曜日、あそうか、明日だった、太郎の小学校の運動会が予定されていたが、台風接近で延期だろうと思っていたら、なんとかできるようならばやろうという学校の方針なんだろう、台風が近づくのは22日なので明日は午前中くらいは天気が持ちそうなので、短縮版で午前中終了でやることになった、もし、午前中の開催も無理なら、土曜授業になり、日曜日も授業で、月曜日は祭日になるので運動会は火曜日になるそうである。運動会が火曜日になった場合はフルバージョンで実施されるが、土曜日の短縮版の場合は昼のお弁当もナシになるのだそうだ。子どもたちは、お弁当のない運動会なんて、と大むくれだ。ただ、火曜日実施の場合は平日なので、保護者は参観できない人が多いだろう、単純に考えて、23日の秋分の日に実施は出来なんだろうかと考えてしまう。
 
 台風17号のせいでいろいろなイベントが中止になった。馬場八幡の秋祭りの前夜祭も中止になった。

 晩飯。チキンカツのつもりで下ごしらえをしてあったがカミさんが帰ってきたのでバトンタッチした。

 さあ、さっさと日記をアップして、ラグビー・ワールドカップを観よう。

令和元年 9月19日(木)

 めっきり涼しくなった、を通り越している、今朝なんか長袖シャツを着て子どもたちの見守りに立った。
      最低気温 13.5℃ (04:32)、最高気温 25.2℃ (14:37)

 阿蘇中岳、今日は静かだなと思っていたら一日中静かなことなんて無いようだ、午後になってまた噴いていた、幸いにこちら方向には流れてこなかった。

 今年の台風はこちらには来ないなあと思っていたら、台風17号が発生して九州を目指している、間違いなくこれより右に曲がるだろう、ここの所ずっと天気が良かったので、農家ももうしばらくはいいだろうと稲刈りを延ばしていたところも多いだろう、急に周辺で稲刈りが進んでいる。それにしても、日本の気象庁はどうして台風になってからしか発表しないのだろう、単に大きさだけの違いだろう、JTWCなんかとっくに熱低段階でコースを示しているのに。 
 週末の太郎の小学校の運動会と重なりそうで、延期は間違いのないところだが、その後も天気がぐずつくと延期延期になりそうで学校も児童も、そして保護者もやきもきしているようだ。
 
 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 中華製の格安スマホのバッテリーを交換した。最近になって、まだ残容量が60%くらいあるのに直ぐに落ちるようになっていた。もともとスマホのバッテリーは交換式ではないので、バッテリーを分解して荒療治で交換するしか無い。日本のちゃんとしたスマホのバッテリ交換システムはどうなっているのだろうか、例えばドコモなどに持ち込むと交換作業をしてくれるのだろうか。小生のスマホは中華製なので当然にそういった交換システムは無いだろう。と思ってネットで調べて、バッテリーだけを買っておいた(1,300円くらいだった)。買ったはいいけど、交換作業が面倒なので、不便なまま交換しないでずっと使っていたがいよいよ駄目になってきたので、今日、仕方が無いので交換作業をした、これでまたしばらく延命した。
 
 交換作業、最終的には上手くいったが、途中、分解で手間取って、また分解の途中で小さな部品を無くしてそれを探すので大騒動。ケースに嵌め込んである小さなスイッチ用のプラスチック片が気が付かずにどこかに無くなってしまって、30分くらい床を這い回ってようやく見つけた、こんな簡単な小さな部品でも見つからなければ、もう、スマホはオシャカになるところだった。それにしても、精密機器、実に、細かなところに部品が押し込めてあるものである。でも現代のいろいろな精密機械の価格、材料的には例えばレアメタルなどの入手しにくいものは別にして、基本的には素材の価格なんて大したこと無いのだ、つまるところ「仕組み」の値段なんだろう、トランジスターなんて人類にとって非常に大きな発明品、ところが今やものによっては10円くらいだ、これも分解したら、高価な素材なんか使わないから値段的にはそんなものになってしまう。仕組みを考えた人なんか、こんな安い値段で取引されるなんてがっかりするだろなといつも思う。

 晩飯。サンマ、油揚げと小松菜の煮浸しなど。サンマは今年は不漁と言う、値段は高くはなかったがスマートなサンマだった。


令和元年 9月18日(水)

 朝晩はめっきり肌寒くなってきた、夕方には窓を閉めないと寒くさえ感じる、そろそろストーブの準備にかからなければ。まだ煙突の掃除も終わっていない、扉のガスケットも貼り替えなければならない。
     最低気温 17.6℃ (02:59)、最高気温 29.2℃ (14:48)

 朝起きて外を見ると、噴煙がまっすぐ昇っていた、かなりの量の噴煙だった。その後、風向きが北よりの風に変わって南郷谷方向に流れていたので今日もここには全くヨナは降らなかった。降っているところは大変だろう。(写真1写真2写真3)

 太郎は今週末に運動会が予定されているので、今日はその振替休日だ、要は疲れを取るための代休ではなくて、一週間の総授業時間数の調整のために休むヤスミだ、変なシステムだ。一日学童にお世話になった。従って、今日の登校見守りは無かった。
 
 今坂梨のことを調べている。坂梨村是に当時(明治35年頃)の人口などが載っている。
 ざっくり書くと、男が1,146人で女が1,081人の計2,227人だった。今はどうなんだろうと市役所に行って調べてきた、今年の7月末時点のデータである。データを知るまでは、日本の人口そのものが当時(明治37年4,613万人)と比べたら多いから、いくら過疎化が進んでいると言っても、それでも、明治の頃よりは人口は多いだろうと漠然と思っていたが、当時と今では坂梨地区の括りが若干違うと思うが、現在は男が543人で女が589人の計1,132人だった、なんと今の坂梨地区の人口はそのくらいしか無いのだ、当時の半分くらいの人口しか今は無いのだ。(参考資料PDF)

 太郎、水泳教室、足の痛いのを押して(あるいは泳げないほどは痛くないのか)、いつものように練習に出かけて、小生が風呂に入りがてら迎えに行った。
 
 晩飯。キジ焼き丼


令和元年 9月17日(火)

 晴れ。(写真1写真2写真3写真4
 こどもたちの見守りでいつものように半袖で立っているとヒンヤリとしてちょっと肌寒く感じた。日中も各地で30℃超えの所が多かったようだが(熊本市では32.3℃)、カルデラ内は下界より5℃くらい低かった、非常に凌ぎやすかった。
     最低気温 15.0℃ (05:22)、最高気温 26.3℃ (13:09)

 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 
 今朝起きると、テーブルにネブライザーを使った形跡がある、カミさんに訊くと昨夜太郎がちょっとゼーゼーが始まったから使ったという。でも朝には治っていた。用心のために母親が学校まで車で送ったそうだ。

 その太郎、先週の虎舞の練習の後、皆で体育館内を走り回って遊んでいた時に、ステージから落ちて、右足の甲を痛めたそうで、その後もずっと、痛がっていた、そのくせに普通どおり走り回って学校生活を送っていたようだが、単なる打身にしては治りが遅いのでもしかしたら、ヒビでも入っているかもしれないと、今日学校が終わってから大阿蘇病院に連れて行った。

 実は今日は運動会の予行演習日で、体調も今ひとつなので、予行演習は見学ということにしてあったが、リレーのメンバーで、バトンタッチの練習が必要なのでちょっとだけ走らせていいだろうかとわざわざ学校から母親に電話が入ったそうで、本人はやる気まんまんだそうなので、希望通り走らせた。後から聞いたら全部走ったよ、とのことであった。
 
 病院ではレントゲンを撮ったが、写真に写るほどのヒビはみられないので、しばらく動かさないでおれば自然に治りますよとのことでテーピングのテープだけもらってきた。今週末に運動会があるのですが、と先生に言った所、それは、やめたほうが良いですね、との診断だったが、本人が走りたいと言っているので、まあ、本人が走れるのなら走ればいいと我が家では思っているところである。
 
 晩飯。チキン南蛮
 我が家のイチジクが少し採れ始めた、肥料をやらないから小粒だが、非常に甘い、中が白い種のイチジクのようだ。


令和元年 9月16日(月) 敬老の日

 今日は朝から雲が多かった、周辺はもういつでも稲刈OKの雰囲気だが、我が家の直近の稲刈りがまだ始まらない、しばらく天気が良さそうなので少しでも実が詰まるようになるべく先延ばしをしているのだろうか、コンバインの音も何もしなくて、実に静かな秋空が続いている。
    最低気温 20.7℃ (00:02)、最高気温 29.1℃ (14:02)

 阿蘇中岳の噴煙、今日も北寄りの風に乗って南郷谷方向に流れていた。

 台風16号が南方海上で発生している、その前に小笠原付近にあって台風になるかもしれないと言われていた熱帯低気圧は台風になりきらずに北に移動しているみたいで、それとは別に、トラック諸島で発生した熱帯低気圧が台風16号となって新たに日本を窺っている。この新たに発生した台風16号、気圧配置からみてまた本州方向に進みそうな気配であるが・・・・と思っていたら、もう勢力が弱くなって熱低に格下げのようだ、台風もこのくらいだらしがないと助かるのだが。

 本日は敬老の日だ、敬老の日というと、小生も敬われる日ということになる、しかし、小生自身、そして家族も小生が老人だとは思っていないので、何も言わない。75歳以上を対象にした村の敬老の集いも、小生はまだ老人としての自覚が足りないので参加を遠慮している、確か先週だったかその前だったかその集いも終わっているはずだ、小生は、もしその時に生きていればの話だが80歳になったら参加を考えることにしている。

 今日は我が家の三人組、どこにも出かけないで、家にいた、今日で三連休は終わりだ。
 
 小生は、阿蘇文化調査研究会の坂梨探訪の担当なのでレポートをまとめて過ごした。


令和元年 9月15日(日)

 実に清々しい秋の空が広がった、吹く風もヒンヤリしていた。
   最低気温 18.7℃ (06:06)、最高気温 29.4℃ (13:57)

 今日は久々に視界が良くて阿蘇全山がくっきり姿を見せていた、そして相変わらず盛大に噴煙が昇っているのが見えた、幸いなことに北寄りの風でこちら側には流れてこなかった。(写真1写真2写真3)
 
 気象庁監視カメラ、今朝はキレイだった、一日に一度くらいは拭いているようだ、どこにあるか知らないが人がやってるのか?ワイパーくらい付けたらどうなんだ。

 太郎は母親と週例のテニススクールに行った、夏子は一日机に座っていた・・・・かな?

 ラジオでマラソンのオリンピックの選考大会を放送していた、スタートしたばかりだったが、先頭をイチアマという選手が走っているという、小生にはどうしても「一アマ」に聴こえるのだ、文字を確認しようと思ってネットで調べたがそんな選手は見当たらない、とうとうテレビを点けて確認した、マラソンは女子のレースだった、そして「一山」だった、一山ということが分かってからも小生には一アマと聞こえたがこのアナウンサーの滑舌が悪いのではと思ってしまう、あるいは小生の耳が悪いのか・・・・・

 何前が確認できたので直ぐに消したが気になって結局またテレビを点けて最後まで見てしまった、小生は気が弱いから一瞬で決まる試合はドキドキして見られないが、長丁場の試合はハラハラドキドキ感がそれほどでもないので、見ていられる。そのハラハラドキドキ感がいいんじゃないかと言うが、だから小生は勝負事には向いていないのだ。
 
 結局最初のころ先頭を走っていた「一アマ」選手は脱落して、前田穂南という選手が優勝した、あんな細い体でよく走れるものだ。無駄な肉を削ぎとすとああなるのだろうか、でもそうとばかりも言えなさそうだ、格闘技の選手のようなランナーもいた、一位の選手も二位の選手も可愛い子だ、でもみんな走っているときが一番美しい。それにしても選手は誰でもゴールの時にはサングラスを外すなあ。まさか本人確認のためにマラソンのルールにあるわけでもないだろう、スポンサーとの取り決めなんだろうか。テレビを観ていてレースのために車の走っていない東京の道路を見た、実に広々として非常に新鮮に映った。男子のレースは女子の後なのかと思っていたら、ほとんど前後してやっていたようで、民放で中継していたようだ。


令和元年 9月14日(土)

 晴れ。この近辺でも稲刈りが始まったようだ。今の時期は早世の阿蘇コシヒカリだ。
     最低気温 20.9℃ (01:05)、最高気温 27.9℃ (14:21)

 この時点では気象庁はまだ発表していないようだが、また関東直撃の台風16号が生まれそうだ。(PDFファイル

 ここのところ雨が降らなくても山がよく、とくに上の方が見えないことが多い、今日も中岳の噴煙はどうなっているだろうと思ったがが日中ずっと見えなかったが、夕方、雲が晴れた時に見ると、相変わらず噴煙が上がっている、ただ、風向きが東から西に吹いているので、ここは全く影響がない。気象庁の火山監視カメラを見ると、ガラスにヨナがべったりと張り付いていて、外がよく見えない、監視カメラ方向に噴煙が流れ入るのだ、カメラにワイパーくらいつけろよ。

 夏子は今日は「模試」で学校へ。太郎は三連休だと言うのにもう初日から退屈していて、母親に宿題も全部終わったから御船町恐竜博物館 http://www.mifunemuseum.jp/index.php へ連れて行ってくれとねだって、願いがかなって、出かけていった。なんでも「白亜紀後期の恐竜化石の産出量日本一を誇る御船町」なんだそうだ。
 
 太郎は恐竜が好きで、以前にも行ったのにまた行った、小生なんか、御船町なんかものすごく遠方に感じるが、カミさんは平気なようで、簡単に出かける。夏子は午後、模試が終わって、学校の帰りに友人とカラオケに行って、博物館から帰ってくる母親の車に拾ってもらって5時ころ帰ってきた。夏子は最近進歩して友達とカラオケなんかに出かけられるようになったようだ、ことほど左様に、ここには繁華街も遊ぶ場所もなく、精々、ファミレスとカラオケくらいしかないので、都会のこのように遊び慣れる機会がない。小生はスマホの位置情報で、どこに居るかわかるので、心配しないで済む。ここの若者は熊本まで出るか、車や高速バスあるいは新幹線を使って熊本から博多まで簡単に遊びに行く、小生はもう都会はマッピラである。
 
 念のために所要時間を調べてみた所、新幹線の早いやつだと熊本から博多まで40分くらいで行ってしまうらしい。もっとも阿蘇から熊本駅まで出るのが大変だが。子供の頃、博多からここまで来るのに、朝早くでて、夕方薄暗くなってヒグラシが鳴く頃、ようやく着いたものだった。おい、f-JR九州!・・・バカバカしいもうやめた。

 中学生から頼まれていた画像ファイルの抽出作業がようやく終わった、大変は大変だったが、おかげで、6年ほど遡って小生の来し方を振り返ることが出来た、写真の点数、数百枚では利かないだろう、千枚以上あるだろう。それでも不思議と写真を見るとどれもこれもその時の状況を覚えている。ただ、思い出せないものも時々ある。例えば、2012(H24).8.2付の写真に、夏子が犬を二匹撫でてる写真があった、そうだった、確か、迷い犬を二匹保護したのだった、でもその顛末は記憶に残っていなかったので、日記を開いてみた所、7/31からストーリーは始まっていて、最終的に保健所に引き取りに来てもらって、その後、無事に飼い主のところに戻ったとあった、そういえばそうだったなあ、いろいろなことを思い出すなあ。


令和元年 9月13日(金)

 晴れ。明け方にわか雨で路面が濡れていたがすぐに止んだ。急に気温が下ってきた。これが本来の気温だろうか、どうなんだろう。
     最低気温 20.3℃ (05:53)、最高気温 25.4℃ (15:18)

 もうそろそり稲刈りが始まりそうだ、今年はどうなんだろう、ある人は、今年は日照不足で良くない、実があまり入っていないと言っていたが、そう言われて見ると、稲穂の頭の垂れ方がちょっと少ないような気もする。

 阿蘇中岳、今日も大人しかったような気がする、気にならなかったということは、そうなんだろう、風もこちら向きではなかった。

 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11
 
 今日は、中学生から依頼のあった小学校時代の写真の抜き出しで一日かかってしまった。別のPCに入っていたりCD、DVD、BDなどなどいろいろなメディアに入っていてどこにあるかわからないので探すだけで時間がかかってしまった。ようやく半分くらい抽出が終わった。作業をしながら昔の写真を見ていると、坂梨の子どもたちの成長の過程が微笑ましいし、色々懐かしい記憶が蘇る。
 
 晩飯、メンチカツ


令和元年 9月12日(木)

 晴れ。今日も夕方近くになると大気が不安定になって、一雨、一雷が来そうな気配だったが、今日もここには来なかった。
      最低気温 23.0℃ (但し19:40時点、夜に入って気温が少し下がっている)、最高気温 28.9℃ (11:33)

 今日の阿蘇中岳は大人しかった、と言うより、風向きが北寄りの風で、噴いても阿蘇谷には来なかった。(写真1写真2

 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8
 
 千葉地方の今度の台風被害、復旧が大幅に遅れているようだ。停電の世帯数に比べて断水世帯数の方が少ない(両方とも該当する世帯もあるのだろうか)と思うが、こんなところで比較するのは極めて不適切だろうが、どちらかと言われればやはり人間は生命維持には電気よりも水だろう、でも、その給水が上手く行っていないような様子がニュースを細かく見ていないので分からないが伝わってくる。千葉なんて言わば東京圏にあって別に陸の孤島でも地震で道路が破壊されたわけでもないだろうに、どうしてロジが機能していないのだろうか。

 またコンビニも停電で閉店していると聞くが、今や全国に5万軒くらいあると言われるコンビニエンスストア、24時間営業する小さな百貨店、よろずや、地域の安全・安心拠点、買い物弱者支援、行政サービスの代行、金融機関窓口、国では災害時の物資調達支援や帰宅困難者支援などの役割まで担ってもらおうとしているが停電で店舗が機能しなくなるというのではなんとも心もとない。

 今のコンビニには肝心の非常電源、自家発電機能なんか無いのではないだろうか。屋根の上にソーラパネルなんか一番最初に取り付ける場所なんだと思うが、小生あまりコンビニとは縁がないので分からないが、道路を走っていて、屋根にソーラーパネルが付いているなと気がついたことが無いような気がする。ついでのことなら井戸を掘って水がある程度自給できるようにして自己完結型の店舗を目指すように公的な支援が必要になってくるのではとさえ思ってしまう。

 思いついたまま書いている。熊本地震で経験した、停電したのでエンジン発電機で電気を作ろうと思ってガソリンを買いに行く、ところが、スタンドの給油機は電気で動くので、停電すると、給油機まで止まってしまう、一部手でハンドルを回して給油をしていたが、そんな程度では全く間に合わない。熊本地震のときの経験、現行のスタンドの給油機に生かされてるだろうか。今の時代、ナニからナニまで電気に依存しているのだ。コンビニもガソリンスタンドも電気が来ていることが前提で動いている。電気が来ない状態での営業は想定していないのだ。

それでもたとえ電気が来なくても、普通、人間は死ぬことはない、灯りはなんとかできる、テレビなんか、これなんか全く無用のもの代表だ(これを機会にテレビなんかやめてしまうといい、気持ちがいいぞ)、昔は電気がなくても人間は生きてきたのだから。しかし、水が無いと人間は生きられない。昔はどこにでも井戸はあった、今は、都市化で埋め立てなどが進んで掘っても水は出ないのだろうか、どこもかしこも出なくていいが、近い将来大きな地震も心配されている、井戸はやはりあったほうがいいな。一極集中、ネットワーク状に電気や水を配給するシステムも、進んでいるようで災害時にはこれがかえってネックになる。

 熊本市は政令指定都市でありながら水道水は全部綺麗な阿蘇山系の地下水で賄っている稀有な都市である。でありながら、熊本地震の時は水道網が破壊されて、地下に豊富な水がありながら、その水が使えなかった、一極集中で配水場から給水をしていたからだ、皮肉な話である。

都市ガスが普及しているところではガスでさえそうだ、その点、プロパンガスのところは意外と災害に強い。プロパンガスの地域が都市化が進むにつれて都市ガス化をするが、これなんか考えものということになる。

 ソーラーパネルについて、ちょっと横道に逸れるが、昔、我が家でも太陽光発電をしようと思って、文字通り、契約書の印鑑を押そうとするところまで行ったが、寸前でやめた。営業マンは怒りを抑えてどうしてやめるのかと訊いてきた。小生は太陽光発電導入の目的の第一に万一停電した時に、我が家の電気をそれで全部賄いと思っていたのだが、太陽光発電で作った電気を電力会社に売る、つまり、売電をする場合、停電が起きると、自宅の太陽光発電の運転も同時に止まってしまって、非常用電源としては、まあ、電球を一ニ個くらい(だったかどうか確かな数字は忘れたが)しか点けられないということを聞いたからだ、それじゃあ自家発電の意味をなさないだろうと思って契約を中止したのだ。もし停電した時に、家庭の太陽光発電が動いていると、どの段階だったろう、停電時か復旧時か(多分理屈から考えて停電時だと思うが)、に電気が逆流?するから、停電時は太陽光発電も同時にシャットダウンするようになっていると言うようなことだった、そんなもの逆流防止装置をつければ済む問題だろうと思ったが、今は知らないが、当時はそうであった、だから我が家では太陽光発電はやめた。今でも変わらなければ、たとえコンビニで太陽光発電をしたとしても停電時に店舗で使う電力をそれで全部賄うことは出来ないということになるな。

話は変わる。
 隣接する集落の中学3年生が三人、卒業アルバムか何かに使うので小学生時代の写真が欲しいとSNSで夏子を通じて言ってきた。小生が周辺の子どもたちの様子を赤ん坊の頃からずっと折に触れて記録しているので小生のところに言ってくればあるだろうと踏んだのだだろう。もちろんある、ただ、整理が悪いので6年間のデータの中から彼・彼女らが写っている写真を選ぶのはけっこう大変なんだ、膨大な量になる。それに、夏子と太郎の記録を撮るのが主だから、いろいろな行事の時に写っている時期が我子たちとラップしていればあるが、学年がずれているので、無い期間も結構あるような気がする。とにかく少しずつ(記録の中から)引っ張り出して見ているが時間がかかりそうだ。

 晩飯、餃子


令和元年 9月11日(水)

 晴れ。朝のうち、ちょっと視界悪し。今日も気温が上がる。ここの所夕方になると周辺で夕立雷雨があるが、幸いにここは外れてくれている、でも一雨欲しいところではある。
   最低気温 23.1℃ (05:44)、最高気温 30.8℃ (14:09)

 定点撮影
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 今日の阿蘇中岳 (写真) (記事)

 この程度の台風で、つまり、近い将来にもっと大きな災害がやってくるだろうということに比べてということだが、千葉県などで広範囲な停電がまた断水が続いているようだが、今日はここ高地でも30℃を超えるくらいだから、現地の人たち、電気も水も無いなかで大変な思いをしていることだろう、全く気の毒な話しである。今回のような厄災、ライフラインが普通に機能しているときは分からないが、一旦、綻びがでると人口が多いだけに被害が大きくなる、まさか今回は自分のところが、なんて誰も考えてもいなかったろう、災害、時も場所も選ばず、思いも寄らない時に思いも寄らない場所で都市の脆弱さが顕れるものである。

太郎水泳教室

晩飯 ビーフシチュー


令和元年 9月10日(火)

 晴れ。朝のうち視界が悪かった、車もそんなに汚れていたなかったし、灰が降ってくる様子も無かったのでこれはヨナのせいでは無いと思うが。
    最低気温 22.7℃ (00:20)、最高気温 29.3℃ (14:06)

 定点観測
 登校風景  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 台風一過で猛烈な暑さが戻っている。今回の台風15号、河川氾濫などのような広い範囲にわたる可視的な被害が無かった反面で、大規模な停電が続いているそうだ。真冬の停電も困るが、このように猛暑の中の停電も困るだろう(断水も配水ポンプが動かないからか?)、小生は停電があるといつも電力会社に対して怒りをぶつけているがそれは安易に起こす停電だからだ、今回のような大きな台風では、これはもう不可抗力・・・かな、仕方がない・・・かなと思っている(と言いながらも高圧送電鉄塔はあれは喝!だと思う)が後はいかに早く復旧させるかだが、いつも災害などで大きな停電が起きると、かならず電線の地中化が話題になるが喉元すぎればでいつの間にかウヤムヤになってしまう。
 
 現代人が如何に電気に依存しているかは停電してみて初めて分かる。我が家にはジャンク品を修理したりで三四台くらいエンジン発電機がある(それもガソリンがあってのことだが)。千葉のおじいちゃんの家は今度の停電世帯に入っているのだろうか、だいぶん前に我が家から一台行っているはずだから、万一停電が起きても大丈夫だろう。熊本地震(だったか、その前の豪雨災害だったろうか)で給電の大本が壊れて阿蘇地方が広範囲に停電したとき、高圧電源車という発電車が全国各地から集められて、地域のポイントポイントの電柱から電気を供給することで、一帯に停電が復旧したことあったが、その仕組に驚いたものだ。

 気象庁は昨日の午後2時過ぎに、中岳火口の噴火が停止したと発表した、確かにその頃、小生は熊本から帰る途中にあって、大津付近で遠く盛大に噴煙を上げる中岳の姿を、このように下界から眺める噴煙はいつも見る噴煙とは大分趣が違うなと、ある意味新鮮な気持ちを抱きながら二重峠に登ってきたところ、豈図らんや、噴煙が全く上がっていなかったので、なにか見間違いではと驚くほどだった。ちょうどそれが噴火停止の時間だったのだろう。

 ところがだ、その後、午後3時ころだったか、外を見るとまた派手に黒い噴煙が上がっていた、昨日の日記の写真がそうだ。気象庁が噴火が停止したと発表した直後これまでも何度もこういう事があった。気象庁は噴火停止をどう定義づけているのか知りたい、調べれば分かるのだろうが、新聞も何の疑いもなく発表記事を載せるのではなくそのあたりの解説をちゃんとしろよ、素人考えだと普通停止したと発表すればもうそのあとは(ずっととは言わないが少なくともしばらくはもう)噴火をしないということじゃないのか。
 
 今日もまた今までと負けず劣らずの黒い噴煙を盛大に上げているじゃないか、これは気象庁は噴火とは言わないのか、オイちゃんと素人にも分かるように解説しろ!(写真1写真2写真3
 
 以前、確か権威のあるところが、黒い噴煙は周囲の壁を削っている時に出るもので、削り終わると白い煙に変わると言っていたが、これなんかまさに「まことしやかな」、というやつだろう、と小生なんか思っている。

 明日内閣改造が予定されていて、外務大臣に茂木経済再生担当大臣、防衛大臣に河野外務大臣が起用されるらしい、うん、これは強力な布陣だ、畏れ入らせろ。

 太郎、夜7時から坂梨体育館にて虎舞練習、カミさんが帰ってきたので送迎を任せる。
  
 晩飯。ハヤシライス。

 ○
令和元年 9月 9日(月)

 晴れ、時々、ものすごい通り雨があった(ようだ)。今日も各地暑かったらしい。
     最低気温 21.2℃ (06:05)、最高気温 29.8℃ (12:00)
 
 台風15号、当地に関係がなかったからあまりフォローしなかったが、首都圏北関東を大暴れして太平に抜けていったようだ。(09日18時の実況 三陸沖にあって、まだ強い台風を維持しており暴風域をもっているようだ)

 今日の登校風景の写真は無し。というのは小生の定期検診で熊本の高野病院に行くために、旗振りに立つと予約してある時間に間に合わなくなるので今日は休んだ。

 小生の大腸がんの術後の定期診断が三ヶ月ごとにあり、三ヶ月に一度血液検査、六ヶ月ごとに、CT検査がある、そして、一年に一回、内視鏡検査がある。今日はその六ヶ月ごとのCTの検査があり、9時に病院に行かなければならず、旗振りをしていたら間に合わなくなるので、今日の旗振りを休んだのだ。

 夕方たまたま、一年生のせいかちゃんに会ったときに、太郎くんのお父さん、今朝、おらんかったねえ、と言うので、おらんで寂しかったろうと言ったら、ゼンゼンと言っていた。
 
 検診の結果は当然のことながら問題ナシだったが、最近はちょっとでも体に変調があると、なんでも「転移」に結びつけて考えがちで、最近、膝の痛いのもそうかなと思って先生に尋ねたら、理論的には全く無いとは言えないけど、骨に来る前に、体中、あちらこちらに転移すると思うので、CTの撮影範囲には入っていないけど、いきなり骨に、それもヒザの骨にくることは無いと思いますけどね、それに、血液のデータもずっと変化は無いし・・・とのことであった。
 
 いつもいい具合に、昼ころ検査が終わるので、朝飯抜きで行くので、昼飯は浜勝でトンカツを食って帰ってきた。
 
 阿蘇に帰ってくると、道路が濡れている、ああ、降ったんだなと思って家に帰ってくると、台風だとか嵐のときぐらいしか降り込まないベランダや玄関のあるヒサシの奥の方までびっしょり濡れている、よほどの強い横風と雨が降ったのだろう、カミさん、一階は全部閉めて出たようだが、二階の窓一箇所、いつも開けっ放しにしてある窓、ここから雨が大量に降り込んだようで、窓際においてあった電話機なんかが水浸しになっていた。壊れたかどうか、乾くまで放っておいたほうがいいので、そのままにしてある、固定電話はほとんど使わないのでだめならだめでいいや。
 
 夕方、小生が風呂に行っている間に、また強いにわか雨があって、太郎が居間で宿題をしていて、雨が降り込むので、居間の窓は締めたようだが、そこがまだ知恵が回らないというか、隣の食堂の窓を確認しに行かなかったので、これまた、かなりの雨が降り込んで、いくつかの電気製品がずぶ濡れになっていた、これも乾くまではそのままだ。
 
 今日は朝起きたときに車がヨナで少し汚れていた、そして、今日は一日こちら方向の風だったので、相当ヨナが降ったと思うのだが、何度かの強い雨が幸いして、うまい具合に洗い流してくれたようだ、中途半端な雨でなく、強い雨でかえって良かった。 
 
 晩飯、今日は疲れたので作るのが面倒で、刺し身を買ってきた、それだけだとなんだから、結局、その他、いろいろ。


令和元年 9月 8日(日)

 雲が多かったが、概ね晴れ、今日は蒸し暑かった、中岳の噴煙は相変わらず出続けている
      最低気温 22.1℃ (05:48)、最高気温 29.4℃ (12:50)

 台風15号、当初の予想を超えて大きくなっているようだ、ここのように内陸部だと上陸した後に勢力がかなり弱まる傾向があるが、今回のように関東直撃の場合だと海から直接に上陸してくるから強いままやってくる、台風の進路を小生のように横から見る立場と、自分の方にまっすぐ向かって刻一刻やてっくるのを待ち受ける側の人たちの立場を比べたら、逃げることが出来ないだけに得も言われぬ胸苦しさを覚えているだろう、それにNHKや気象庁がこれでもかこれでもかとばかりに煽るものだから、ますます息苦しくなる、報道のあり方、用心に越したことはないがいつもそう思うのだ。明日の朝、いやあ、昨夜は痺れたねえ、と言えるくらいで終わってほしいものだ。小生が住んでいた茅ヶ崎の仲間たちのことを心配してたら、横浜の親戚、千葉のかみさんの実家もコースの真っ只中だった、皆さんの無事を祈るばかりだ。

 太郎と母親、テニスレッスンで出かけた、夏子は終日机に向かっていた。

 昨夜、メインのPCの画面が消えた、モニターに何も映らない。一晩寝かせたら戻るかなと思って今朝点けたが当然のことながら、画面が出ない。小生のPCはとにかく奥の方に押し込んで引っ張り出すだけで一仕事、ようやく引っ張り出して、グラフィックボードを差し替えたりしてみたが駄目である。そこで、マザーボードに最初からオンボードでついているグラフィックボードをVGA(しかついていないので)でつないでみたら、映る。ということは、グラフィックボードの故障ということなのだろう(モニターのVGA、HDMI、DVIの切り替え回路の故障ということも考えられるが)。
 
 で、とりあえずVGAでつないで使っているが、だからと言って特に違って見えない、今までのグラフィックボードとどう違うの?という気がしている、じゃあ、ボードを買わなくてもこれでいいのかなと思っている。グラフィックボードって何のために挿れるのだろうか、小生のようなゲームをやるわけでもなし、特に必要ないんじゃないかと思っている次第である。

 以前なら少しでも機能が高いものといろいろ無い知恵を絞ってグレードアップを図ったが、最近何もかももう面倒になってきて、最低映ればいいや、ネットにつながればいいやという気になっている。だから今回のグラフィックボードの故障についても、VGAのままでいいんじゃないとと思っている。

 我が家に三十年以上居続けたテレビ受像機がようやく無くなった。もう入力切替えスイッチが壊れて、近年は地デジチューナーも使えなくなっていた。カミさんが電気屋に申し込んでようやく今日引き取りに来てもらった。だからと言ってこれに代わって新しいテレビを買おうというのではない、テレビは今ある14型のアナログテレビに地デジチューナーをつけて、子どもたちが一週間に一回30分くらいみるくらいだから、小生としては全部無くなって欲しいくらいだ。今回持っていってもらったテレビは大きくて重たくて一人ではとても運べないので、ベランダ側に車を入れてもらって、小生も半分手伝ってようやく運び出した。NHKスクランブル化大賛成だ。

 上村義継さんが薪材を運んでくれた。クリーニング屋さんの裏手の桜の木だ、ヒザと相談して近いうちにもらいに行きますと言ってあったが、いいよ運んでやるよと、今日持ってきてくれた。


令和元年 9月 7日(土)

 雲があったが晴れ。風もなく穏やかな一日だった、台風13号と15号、どうなったのだろうか。
     最低気温 23.0℃ (05:01)、最高気温 29.1℃ (16:00)

 今日も一日中阿蘇中岳の噴煙は西に流れ続けていた、風下の地域は大変だろう、せっかくやってきた観光客も、展望台の位置が風下にあたるので「這々の体(ほうほうのてい)」だろう。(写真1写真2写真3

 今日は自己啓発で時間を過ごす、夏子は昼から友達とカラオケに行った、足がないから母親が連れて行った、そうなると当然太郎も一緒、お父さんも一緒に行こうよと夏子から誘われたが、カンベンしてくれ~、唄の好みが全然違う、そんなところに長時間は針のむしろだ。


令和元年 9月 6日(金)

 晴れ。少し風があったろうか。
     最低気温 22.3℃ (00:06)、最高気温 28.2℃ (14:14)

 今回ほど台風に注意を向けなくていいことは本当に珍しい、13号も15号もこまめにコースを確認することもしていない、何時ころどこを通るのだろう、13号は強風圏にも入っていないようだ、それでも夜に入って時々涼しい風が吹き込んで気持ちがいい。
 
 阿蘇中岳の噴煙、今日も真東から真西方向に流れていた、あまり量は多くなさそうだったが、杵島岳や往生岳はモロに灰をかぶっているのだろう。

 定点撮影
 登校風景  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 今朝で我が家のコメが底をついた。今年は消費量が増えたのか、数を間違えたか、コメが足りなくなって、知り合いのツテで先々月一袋確保したが、その農家もこれでオシマイだということだったので、いよいよスーパーで買わなければならないかなと思っていたところ、昨日風呂で、中川さんに、コメ余っていませんかと尋ねたところ、ウチにはもう無いけどIさんのところにはあるかもしれんと当たってくださって確保できた。今朝、早速分けていただいてそのままコイン精米所に寄ってきた、ギリギリセーフだった。この前の時は膝が痛くて30キロ担ぐのは出来なかったが、今日はなんとか30キロいっぺんに精米できた、膝の具合、大分良くなってきているのだろう。

 こまめに電話をして訊きまくれば今の時期保有米がまだ余っている農家はあるのだろうが、二三あたったところでは無かった、ここは米どころだし周辺は米農家が多いので一年中いくらでもありそうだが、次の収穫期になって前の年の米が最終的に余るのが嫌なので、意外と保有米は自家消費用程度にしか置いていないところが多いようだ。食糧難になるような大きな災害に備えて備蓄をするようなことなんかそうそう無いのだろう。
 
 家の前が騒々しい、何事か思って出てみると、県道の草刈りをしている、なんだ、つい先日小生がやったばかりじゃないか、それならそうと前もって教えてくれ、無駄なことをしてしまった。確か年に二回くらいやるがいつやるか決まっていない。

 11時ころだったろうか、泉区の村山さんから庭の欅の枝打ちをしたけど、たくさんある、お宅は確か薪ストーブだったろう?と電話をもらった。是非頂戴したいが今すぐというのであれば、ここのところちょっと膝が痛くて重たい木が持てない、と断ると。いいよ、手伝ってあげるからというので、そうですか、それじゃあということで貰いに行ってきた。大きなお屋敷なので欅の枝と言っても、普通の木の太さくらいある、専門業者が数名で作業をしていた。(写真1写真2
 
 午前と午後と一回ずつ軽トラックで運んで、最後には業者のユニックで積んで我が家まで運んでもらった。今日、薪を抱えてみたところ思ったほど膝は痛くなかった、これだと、気をつければ、この先も薪の運搬は大丈夫そうだ、今の所、二箇所、まだ運ばずに置きっぱなしにしてあるところがある。(写真1写真2
 
 そろそろ薪のシーズンだから、薪材の集積場の草刈りをせんといかんなあと思っていたところだったが、今日は急で間に合わないので、他所の車が入ってきても大丈夫なように軽トラックで走って、草っ原をラッセルをしておいた。そうしないと草の陰に丸太が転がっているからだ。

 今日はカミさんの誕生日だ。面倒だからもうケーキは無しにするというので、オマエはいいけど子どもたちが楽しみにしていてるだろう、ということで、デコレーションケーキをローソク無し、メッセージ無しで注文をしておいた、従って今日はケーキ入刀セレモニーもなし。晩餐は、小生がつばめグリル風のハンバーグを作ったが、今日は突然薪取りの仕事が一日入ったので、いろいろ作る時間がなくて、ハンバーグだけになった。それでも、お父さんシェフだねえ!と子どもたちは大喜びだった。肝心のカミさん、急に仕事が入ったと言って食事が終わった頃に帰ってきた。アイツ何歳になったのだろう・・・・


令和元年 9月 5日(木)

 雲が多かったが、今日は雨も降らず、雷も鳴らなかった。
        最低気温 21.4℃ (02:44)、最高気温 27.2℃ (10:25)

 今日は阿蘇中岳の噴煙は比較的に大人しかったようだ、風向きも真東から真西に吹いていたから、ここは全く影響がなかった。

 台風13号、これは非常に強いようだ、今回は曲がらんなあ、曲がらなくてよかった、こういうこともあるんだなあ・・・・○風だな。
そして台風15号が発生して日本列島直撃コースだ、これはあまり強い台風ではなさそうだ、ギリギリ直前で面舵いっぱい大回頭しそうな気もする。いずれにしてもこれも九州には来ないだろう。

 定点撮影
 登校風景  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 今日はのんべんだらりと過ごす。
 
 晩飯。ブタ肉の味噌漬け、イカと里芋とダイコン、人参の煮物を作った、など。太郎は宿題が終わっていなかった。終わらないと食べさせないというのではなく、食事が終わって風呂に入ったりしていると急に睡魔が襲ってきて宿題どころでは無くなるから、自ら食事前にしているようである。学童でやればいいものを、最近学童で仲間たちと遊ぶ方に力をいれだしたので、宿題をまず済ませてから遊ぶということをやらなくなったようだ。だんだん慣れてくると、先生の言うことを聞かなくなるようだ。




令和元年 9月 4日(水)

 今日も昨日と同じようなパターンで午後に入って雨になって夜になって上がった、10mmくらい降った記録がある。昨日と同じように阿蘇の西側を大雷雲が北の方に通過していった。
      最低気温 19.8℃ (06:05)、最高気温 28.1℃ (12:15)

 今日はこちら方向には噴煙は流れて来なかった。(写真1写真2

 定点撮影
 登校風景  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 朝一番で宇治歯科に行った。三月ごとの定期メンテでは処置できない部分が出てきたので、しばらくは保険診療でかかることなった。加齢で全体的に歯の土台が沈んでいくとかなんとか、それに歯茎と歯の間にある隙間がだんだん深くなってきてそこが歯周病の原因になるそうで、最近左の奥歯の下のほうが痛いのもそれが影響している可能性があるということで、しばらくじっくり時間をかけて治すことになった。小生は全部自前の歯で、歯の磨き方も良いそうだが、それでも段々と少しずつガタが出てくるのだろう。

 太郎、水泳教室。
 
 晩飯。クリームシチューを作った。(宿題をする暇がなかったと言って食事前ギリギリでやっていた)


令和元年 9月 3日(火)

 久しぶりに気温が上がった、ああ、久しぶりに夏だなあ(もう秋か、残暑だなあ)と思った。
    最低気温 20.6℃ (01:46)、最高気温 29.0℃ (12:10)

 ボンにフィラリア予防薬を飲ませる(4/5回)
 
 朝、旗振りに行くために外に出てみると、車がヨナで黒くなっていた、昨夜降ったのだ、ホースでヨナを洗い流して、子どもたちを見送るいつもの場所に行ったが、その間もウインドウに細かな霧と言うか小さな雨粒が付いて、それに黒いヨナが混じっている。

 定点撮影も山が見えない、雲が山を隠しているのかと思ったら、ヨナだっのだろう、歩いてくる子どもたちもマスクをしている子が多い、太郎が歩いてきたので、ランドセルにマスク入っているだろう?と言うと、入っておらん!と言う。冬の間は入れていたのだろうが出したのだろう。バカタレ!と行って学校に急がせた。細かな水滴にヨナが混じっている分には傘を差せばなんとか吸い込まなくて済むが、霧が晴れるとヨナが空気中を舞うので、傘が役に立たない、眼がチカチカチリチリする。火口からかなり離れた場所でこうだから、山麓はもっと大変だろう。風向きが一日に何度も変わる、昨夜は別にして、今日は我が家方面よりすこし西側を流れて日中は噴煙は流れこなかった。(写真1写真2写真3写真4

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9
 
 午後、ものすごい勢いで雨が振り始めて、この雨、しばらく続いた。この強い雨のおかげで、稲にしても車にしてもヨナをキレイに洗い流してくれたことだろう、まさに恵み雨だった。
 
 夜に入って、少し離れたところで盛んに雷鳴が聞こえる、ネットで見ると阿蘇の西側をギリギリかすめるようにして雷雲が北東に向けて動いていった、おかげで、雷の襲来を避けることが出来た。

 うん確かにそうだなあ、ヒガンバナの咲く場所を整理してやらんとなあ、背丈が高い草だとヒガンバナがせっかく咲いても見えないからなあ。ということで、午前中、小一時間、表の正確には県道の路肩の草を刈っておいた、ヒガンバナとはよく言ったもので、必ずお彼岸の頃に咲くから、いまから刈っておけば、まあまあだろう。刈払機の燃料が余ったので、ついでに畑と田んぼの境界の草も四方の内、一方だけ刈っておいた。先日畑をトラクターで鋤いてあったので、周囲は背丈ほどの草がまるでカルデラの外輪のようにぐるりと残っていた。ヨナが草に付いているので、膝くらいある草むらに分け入るとズボンが真っ黒になった。暑さが戻ってきたので、一方だけ刈ったところでギブアップ。
 
 イチジクがかなり熟れてきており、それを狙ってまた虫どもが集り始めたので、一番ヤバそうなやつを試しに一個もいできた

 APRS用の軽トラックのアンテナ、先日、エレメントがどこかで取れてしまって無くなっていたが、我が家の敷地内で見つかった、そこは畑の方に少し引っ込んでおり、いつも車の方向転換に使うために、地面が掘れて雨が降ると池のようになる、その中に沈んでいた、雨が上がって水たまりが干上がってきて見つかった、ちょうどそのすぐ上に柿の木があって、いつもその柿の枝にぶつかっていた、やっぱりな。

 小生はメンチカツが好きなのだが、スーパーなどを見ても半製品のハンバーグやコロッケはあるが、メンチカツがなかなか無い、どうしてなんだろうと常々思っていたが、今までどうして気が付かなかったのだろうか、なければ自分で作れば良いのにと。
 
 ということで、今晩はメンチカツを揚げた。初体験である。さすがシェフである(うちの子は小生をシェフと呼ぶ、シェフとは美味い料理を作る人間を指すと思っている。いつも美味い料理を作るので、お父さんはシェフだねえと言う、大きな声では言わないが、母親に対しては絶対にこの言葉は使わない)。そして今晩もお父さんシェフだねえと子どもたちは大喜びだった。我ながら上手く出来た。材料はハンバーグと同じだが、子どもたちはハンバーグよりもメンチカツがいいと言っていた。
 
 結果オーライだったので、忘れないように、記録を取っておくことにした。
 小生は今まで、メンチカツと言うと、牛のミンチとばかり思っていたが、ネットで検索すると、豚肉や合い挽きで作ることが多いようだ、もちろん牛がいいのかもしれないが。
 合挽きを約500グラム
 ハンバーグの素を二袋
 玉ねぎ一個半をみじんにする。ハンバーグの時は小生は十分にローストするが、今回は生のままである。
 ハンバーグを作るときにはハンバーグの素に水を加えてふやかして使うが、いつも水っぽくなるので、今日は全く水を加えず、ひき肉と玉ねぎミジンと素を丁寧に混ぜて合わせて、一個100グラム見当の大きさにして、8個出来た。
 バッター液とパン粉、揚げ時間は170℃で8分。割ってみると中がちょどいい色になっていた。

 ○
令和元年 9月 2日(月)

 久しぶりに朝から太陽が覗き、気温が上がって地上からの水蒸気で景色がモヤッていた。(写真1写真2)
      最低気温 20.2℃ (05:45)、最高気温 27.0℃ (15:38)

 台風13号が発生した、一応、こちらには来ないような予想が出ているが、絶対に九州方向に曲がるのは分かりきっている、いままで何度騙されたことか。

 定点撮影
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 今日は朝から、なんとなく天気は大丈夫そうだと言う気がしたので午前中二時間ほど前の畑の草刈りをした。ずっと雨続きでいつのまにか草だらけ、このまま放っておくとそのうちにトラクターでは歯が立たなくなる恐れがあるけど大丈夫だろうかと動かしたが、まだ大丈夫だった。今年はなんとかレンゲの種を蒔きたいと思っている。ちょっと刈払機も使ったので、庭先も丸く刈っておいた
 
 最近通りがかりに道路沿いに植えてあるイチジクの木をみると、結構実がついているのがわかる。それで今朝、木のところにいってみると、大きさが不揃いで熟れ方もバラバラでかなりの実がなっていた。ところが、大きく熟れたイチジクにスズメバチや他の虫がたかっている、スズメバチは二匹もいた、イチジクがスズメバチの給餌場になっていた。熟れたら鳥がやってくるだろうとは思っていたが、スズメバチまでやってきている。熟れたやつを一個ずつ食べ尽くしてくれるのならいいが、あちらこちら食い散らかすと困る。トラップを仕掛けておいたがどうだろうか。ちゃんと育てるにはやはりハウスなんだろうか。昔の記憶では、北九州だったが、そんなことしなくてもちゃんと生っていたが。
 
 朝一番で宮地のM金物店に、あるお願いがあって行ってきた。M金物店のご隠居さんは阿蘇文化調査研究会の坂梨探索で計画している古民家のご縁者にあたるのである。M金物店には小生は初めて伺うが、自己紹介をして坂梨から来た旨をご当主に告げると、ああ、昔奥さんが商工会においでになった・・・奥さんには大変お世話になりました、ということですぐに分かっていただいた、そして立ち話もなんだからと上げていただいて、ご隠居さんにご挨拶をしたところ、我が家のことは先祖を通じてよくご存知で、小生がその末裔だということで好感を持っていただいたようで、いろいろな話を伺ってトントン拍子に訪問の用件をご承諾いただいた。カミさんが真面目に仕事をしてくれたことと先祖が悪行でなく名を残してくれたことで大いに助けられた。

 いつものように、太郎を学童に迎えに行くと、いつもよりたくさんの車が停まってる。?・・・そこですぐに思い出した、今日は運動会を前にして親子美化作業があるので、カミさんが太郎を学童に迎えに行ってそのまま二人で美化作業に参加すると言っていたのだった、そのままUターンして帰ってきた。

 晩飯。炊き込みご飯、ブリの塩焼き、だし巻き玉子、ダイコンと里芋味噌汁などなど。


令和元年 9月 1日(日)

 曇り、昨日ほどでは無かったが時々弱い雨が降っていた。ようやく気温が戻ってきたようだ。
     最低気温 17.3℃ (03:14)、最高気温 26.3℃ (14:33)

 今日も太郎と母親はテニスレッスンに出かけた。夏子は一日机に向かって船を漕いでいた。

 ここニ三日、我が家はネズミ騒動だ。本当のところはもっとかなり前からなのだが、ここにきてワッとネズミが湧いている。あちらこちらに非常に小さな、多分生まれて間もないネズミだろう、チョロチョロしている。我が家は周囲の昔からある家に比べたら気密性は高いはずだが、どこから入ってきたのだろう、だいぶん前にネズミをみたが、そのネズミが子を生んだのだろう、一匹では生まれないからツガイで侵入してきたのだろうか。まだ警戒心が薄いので子どもたちが見ているのにチョロチョロして入れ食い状態で獲れる。カミさんはたくさんのネズミホイホイを仕掛けている。昨夜小生が寝ている部屋で夜中にカリカリ音がするので、電気を点けるとドアの隅のほうを齧っている、外に出ようというのだろうか、手元の文庫本を投げつけたが外してしまった、今晩あたり、小生の部屋にもホイホイを仕掛けよう。
 ネズミやヘビやクモはなにやかや、我が家は最近小動物園になっている。



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