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平成31己亥(2019)年 4月の記録 (新しい日付けの順)

平成31年 4月30日 (火) 今上天皇退位の日(でよかったろうか)

 昨日の夕方で、なんとなく雨は通り過ぎたという感じがしていたが、結局今日も一日降ったりやんだりを繰り返していた。
  最低気温 15.5℃ (01:36)、最高気温 18.6℃ (12:59)

 10連休と言っても日本中全部が休むわけではない、休むとラインが止まって困る業種もある、じっちゃいも仕事だそうだ、サービス業なんかも稼ぎ時だろう、図書館はどうなんだろう、ここでは図書館は「お役所」だから休みになる、ずっと休みである、休みの日くらい本を読もうかと思っても休みである、文化施設でなくてお役所なのである。4月26、27の土日はやっていたようだが、それ以降はずっと休みである、オマケに10連休が終わった翌日まで休みである、10連休の最終日が本来の図書館の休館日で、10連休のためにその休館日が潰れたから、翌日がその振替休館日なんだろう。念のためにいくつか主だった他の図書館を調べてみたが、どこも連休中も開館している。以前からそうだ、阿蘇市の図書館はどちらを向いて仕事をしているのだろうか、阿蘇の人間は本を読まないから別に問題にならないのか。

 昼は家族全員でピザを焼いて食べた、どうしても生地を延ばすのがうまくいかない、発酵した空気を抜くために指先を使って延ばしたほうが良いと書いてあるが、うまくいかないので、途中から得意?のそば打ちの要領で延ばした。ちょっと失敗したものもあるが、こちらのほうがスムースに延びる。後はどうしても具をたくさん載せすぎる嫌いがある。これも少なめの方が良いのがわかっているが、具の種類が多いので少しずつと思っていても結果的に山盛りになってしまう。(写真1写真2写真3

 夏子は友達と、午後からカミさんに送ってもらってカラオケに行った。阿蘇には若者が集う場所が無い、あとはジョイフルくらいか。
 
 今日はおそらく何処もかしこも退位特番で「文化人」や「タレント」「評論家」たち、ミソもクソも入り乱れてお祭り騒ぎをしていることだろう、テレビは一切見ないからそんな世の中の様子が分からないが想像はつく、ラジオもそんな雰囲気だったのでスイッチを入れなかった。少し前から、何かというと平成最後の、平成最後のという言葉が途切れること無く聞こえていた、改めて言わなくてもどんなときでもその一瞬一瞬はその時だけなのだ、子どもたちまでラジオからその枕詞が流れてくるたびに、また言ってる、と言って笑っていたが、本当にうるさくてしょうがないと思っていた、ようやくその言葉も今日で終わる。
 
 さて平成最後の眠りにつくとしようか、そして令和に改まった朝にはいつものように目が覚めるつもりでいるのだが・・・・・


平成31年 4月29日 (月) 昭和の日

 雨、終日雨・・・・気温も低くめで、ストーブがあればホッとするかなという気温だった、が、焚かなかった。
     最低気温 12.2℃ (00:00)、最高気温 15.6℃ (12:47)

 久しぶりに熟睡した。昨夜は多分9時前には眠りに落ちたはずだ、今朝は5時まで夜中に一度も起きること無くぐっすりと夢も見ないで(多分)眠ることが出来た、珍しいことだ。

 上高地だとか角館だとかちょっとライブカメラを覗いてみたが、朝からもうたくさんの人で溢れていた、人が出るところには出ているんだ。ここは天気が悪かったので、おそらく人出は少なかったのではないだろうか、阿蘇は景色以外何も無いところだ。夕方行ったアゼリアも入浴客は少なかった。我が家は今日は全員家で過ごした。


平成31年 4月28日 (日)

 今朝は5℃以下まで気温が下がった。晴れ、のち、くもり、夜には雨になるという。
      最低気温 4.6℃ (03:29)、最高気温 18.0℃ (11:56)

 十連休の内、今日で二日終わったぞ、十分の二は20%だ、もう二割終わったぞ、労働者学生諸君。

 阿蘇山上付近の風、一日になんども風向きが変わることもある、それに従って中岳の噴煙、東に流れていたかと思うと、今度は反対側に流れる、また北から南に向かって流れる、不思議とこちら方面にはあまり流れることはないが、それでも、時々、仙酔峡の斜面を這うようにして噴煙が流れ下ってくる。距離があるからここまではやってこないが、最近は噴出する煙の量が多いから、結構な降灰があるのだろう。今日も、午後からこちら方面に向かって噴煙が流れていた。ちょうどミヤマキリシマの開花の頃だ、仙酔峡道路も開通して見物客がやってきているのだろうかと、望遠カメラで見るがあまりその姿は無い。
 (写真1写真2写真3写真4写真5

 外に出ないし、ニュースも見ないので分からないが、世間様の連休の様子はどうなんだろう、どこもあまり混雑は無いような感じもするが。それでも今日は国道を県外車がたくさん走っていた、そしてアゼリアも帰省してきたお孫さんたちなどでいっぱいだった。
 
 今日は太郎とカミさん、テニスレッスン日で朝早くから出かけていった。

 夏子は終日机に向かっていた、向かってはいたが何をしていたかは知らない。小生は昼から外でちょっと農作業、というほどではないが、ヒゴタイの種を蒔いた。まだ寒い時期に、湯浅さんから例会の場で頂戴した種である。桜の咲く時期に播くと良いですよと言われていてずっと気になっていた。とっくにさ桜の季節は終わったがまだ許容範囲だろうと思って、明日はまた雨のようだから、今日のうちに蒔いておこうと作業した。
 
 去年だったか一昨年だったか、家にあったヒゴタイの種をいい加減に蒔いたが、雑草だらけのところに蒔いたせいか、雑草の勢いに負けたのか、全く芽が出なかったので、今回は先ず、先日切った茶の木の枯れたやつを積んで火をかけて、焼畑農業風に土を綺麗にした。それから、管理機でざっと耕して、と思ったら、管理機がウンともスンとも言わない。もう一年以上動かしていないだろう。
 
 以前の小生ならすぐに農機具屋に電話して来てもらっていたが、今の小生はそんなことでは驚かなくなっている。エアフィルターを外して、キャブに魔法の液体を注いで、始動して、で、動くようになったが、どうも本調子でない、やはりちゃんと分解して見なければ駄目だろう、エンジンをかけて途中まで押していったところで止まってしまって、動かなくなった、エンジンを吹かすと止まる、まあ、大体見当はつくが今日のところは時間がないので、人力で鍬で耕した。その程度の畝なのだが最初からそれで良かったのだと思ったが、なんとなく綺麗ではない。
 
 そこで、雀を撃つのに大砲を持ってくるようなもので、ほんの短い一畝のために、トラクターを出動させた。最近は農業をすっかりやめているのでトラクターの出番が全く無い、まあ、整備運転のつもりだと思えばいい。
 
 そんなわけであっという間に耕して、種を蒔いておいた。擱座して途中で置き去りにしてあった管理機、重たいので元のところに押していくのが大変だと思っていたら、エンジンが掛かった、その後、しばらく運転していたが安定して動いていた、まあ、大体そんなものだ。


 イチジクが順調に育っている、まだ小さな枝にもうたくさんの実がついているが、この程度の枝に生る実はどのくらいの大きさになるのだろう、食べられるくらい大きくなるのだろうか、放っておいてもいいのかな、摘果はせんといかんのかな、やはり肥料もやらないと駄目なんだろうな。


平成31年 4月27日 (土)

 晴れ。朝のうち雲が多かったがその後はいい天気になった、気温が少し低めだったが爽やかで気持ちが良かった。
       最低気温 7.7℃ (05:56)、最高気温 16.6℃ (15:06)

 10連休初日、各地の混雑具合はどうだったのだろう、ここ阿蘇では、感じとして全くの混雑渋滞はなかったようだ、ミルクロードのライブカメラを時々見たが朝も、昼も、夕方も全く渋滞はなかた、いつもの仕事の車が無い分、道路は空いていて、それを埋める行楽の車も無かった。国道も車の姿はあまりなく、夕方行ったアゼリアも、いつもは帰省客の子供などが加わって混雑するところ、今日はいつもよりも入浴客は少なかった。
 
 太郎はカミさんと大分にある水族館、「うみたまご」に出かけたが、途中の道路も、水族館も空いていて、水族館の舞台裏を見学するバックヤードツアーもまったく混雑無く参加できたそうだ。全国の水族館人気ランキングで上位を占めるこの水族館も混雑は無かったそうだ。ことほど左様に連休初日は静かなものだった。まだ、みんな休みのエンジンが掛かっていないようだ。

 小生は週例の馬の世話に出かけたが、夏子も一緒に行きたいと行ってついてきた、「うみたまご」はいいのかと訊くと、馬のほうが良いということだった。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 今日の山の風景、一週間前と較べたらそれまで黒基調の山肌だったものが、一気に緑に覆われてきた。 (写真1写真2写真3写真4

 午後から、外で作業をした。もう少し先かなと思っていたら、隣の田んぼの畦切りが始まったので、先日、茶の木を切って、枝類をそのまま放置してあったのを片付けて畦道の確保をした。ついでに田んぼに覆いかぶさって日差しを遮る竹や木の枝を切って日陰を無くす作業もした、ほぼ午後いっぱいかかった。 (写真1写真2


平成31年 4月26日 (金)

 朝の内小雨が残っていた、今日も午後辺りから天気が回復してきた、ここ二三日ちょっとはっきりしない天気が続く。今日は気温も低めの一日で、最近では気温が高くてそのせいで風呂が熱いと感じていたが、今日入った風呂の温かさが気持ちが良かった。
     最低気温 11.7℃ (但し18:56時点)、最高気温 18.2℃ (13:39)

 いよいよ明日から10連休だ、連休を享受する人たちにとって今晩が一番開放感を味わう時だろう、残念ながら小生はそんな喜びとはとうの昔に無縁になっている。

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 今日は夏子が学校が午前中で、昼飯を家で食べると言うので、先日のカレーが残っているから、カツカレーにでもするか?うん! スーパーのトンカツは冷えているので近くにその場で揚げてくれる店があるからそこから買ってこようと思ったが、店まで出かけて揚がるのを待っているくらいなら小生が家で揚げたほうが美味いな、と行き先変更、豚肉を買ってきてトンカツを揚げて、それでカツカレーにした。こと食うことにかけては労を厭わないのだ。

晩飯。カツオのたたき、など



平成31年 4月25日 (木)

 朝のうち少しだけ雨が残ったがその後回復に向かう。
     最低気温 16.7℃ (04:22)、最高気温 22.3℃ (14:22)

 登校風景 今日は5,6年生が自転車を押して登校していった。学校では学年によって放課後自転車に乗っていい範囲が決められていて3,4年生は旧校区内、5,6年生は校区内(だったかどうかは正しくは知らないが)でしか自転車に乗ることが出来ない、そのために、学校で、自転車の安全点検を受けて、校内で実際に乗ってみて技量判定を受ける必要がある。1,2年生は自宅の敷地外に出てはいけない、これは太郎がそうだったので間違いがない。それで今日は5,6年生の安全点検日だということで、自転車を押して登校していったというわけである。どうせなら学校まで乗っっていけばいいのにと思うが、通学では自転車は駄目なのである、しかも認定までだから尚の事駄目だということになる。
 
 時々旧坂梨校区と旧宮地校区の境界に、小生が毎朝立つ橋のたもとであるが、昼間、子供用自転車が二三台、放置してある、最初の頃、なんだろうと思っていたが、旧校区を越境して遊びに行く子が、乗って良い場所まで自転車で行って、それから先は徒歩で行くために置いてあったことを知った。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 今日は、何かあったかなあ、あるにはあったが、改めて書くほどのことでもないので、今日は何もなし。にしておこう。

 インターネットにラジオの「聞き逃しサービス」というのがあるが、テレビにもあるんだ、たまたまネットを検索していて見つけた、映画に限らず今はいろいろなサービスがあるんだなあ、もっとも、最初から見る気は無いのだから、テレビに関するサービスは特に用もないが、人間の一日の持ち時間は決まっているので、ますます大変な時代になったが、外に出ることの少ない視聴・鑑賞が趣味の人にはいい時代なんだろう。
 
 晩飯。酢豚を作った


平成31年 4月24日 (水)

 雨、のち、上がる。予報では午後もかなりまとまった雨になると言っていたが、主な雨雲は早々と九州から離れ、午後からはほとんど上がって、時々思い出したように細かな雨が降る程度だった、これは予報のハズレだ。
     最低気温 15.5℃ (01:05)、最高気温 20.6℃ (15:31)

 今日の雨で、冬眠していたカエルの「啓蟄」とでも言おうか、元気よく鳴き始めた(今まで気が付かなかっただけかもしれないが)。

 昨夜からの雨、べったり雨雲が、というのではなくて、まだらに小さな雨雲が沢山、次々動いてきて、たまたまその雨雲にかかると結構強い雨が降り、通り過ぎるとすぐに止む、この繰り返しのようだった。朝の通学時間帯もその状況が続き、ほとんどのこどもたちは車で登校していったが、三名プラスうちの太郎の四名だけが、強い雨の中、濡れながらも登校していった、雨ニモマケズ風ニモマケズ・・・・
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5

 昨日映画からの帰りの車の中で聴いたNHKの「ごごらじ」の司会が変わっているのを知った。あの一人で馬鹿騒ぎをして内輪だけで楽しんでいた「かんどこうたろう」とか言った民放にいるようなアナウンサーが居なくなっていた。少しはもとの静かなNHKに戻ったかな。今度の「たけうちとうこ」さんはNHKの正統派のアナウンサー、小生も昔から知っている。昨日ちょっと聴いていただけだが、話しっぷり、今の軽佻浮薄の世の中になんとか合わせようとかなり無理をしているように感じた、何も迎合する必要はない、自然体で、自然体で。それにしても午前中の担当、なんで代わらなかったのだろう・・・・・

 太郎、水泳教室。
 
 晩飯、カレー。

 この一週間のアクセス数の記録(最初の日は小噴火の翌日だったか、その前の日はカウントを再開していなかった)


平成31年 4月23日 (火)

 時々あめ。予報では午後辺りからと言っていたが、朝のうちから時々細かな霧のような雨が降っていた。
     最低気温 12.7℃ (03:12)、最高気温 19.8℃ (12:51) 
 
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11写真12

 今日は太郎の「家庭訪問」、最初はカミさんの仕事の都合で、小生が応接する予定だったが、カミさん午後から休みが取れたからということで、わざわざ両親雁首並べて応接することも無かろうと、先日に続いて小生は映画鑑賞に出かけた。小生は先日の授業参観で既にK谷先生にはお目にかかっている。
 
 映画は、紀元前の統一王朝「秦」誕生の前日譚的娯楽劇映画「キングダム」、超大作だそうで世間の評判がかなり良いようなので、たまには日本映画でも見るかと出かけたが、「期待に違わぬ」ツマラネエ映画だった。なんでもコミックが原作だそうだが、結局の所その程度の映画だった、どうしてカネをかけても日本は安手のテレビドラマのようなこんな幼稚な映画しか作れないのだろう、どこが評判がいいのかサッパリ分からん、ああ損した損した。中で山岳を映すカットに噴煙を上げる火山がちょっと出てきたが、あれ、阿蘇山だろう。

 帰りにズボンを一本買ってきた。数本あるジーパンまた全部穴が空いたので、補修しようと解体したままでまだ全然縫っていない。ジーパンの他に昔穿いていた綿パン(チノパンとも言うのか、あるいは全く別のものなのかわからないが)が三本あったので、一本を穿いていたが、これもかなり汚れたので、洗濯してその間、残りのズボンを穿こうとしたら二本ともサイズが合わない、前が止まらない。うーん、困った、で、やむなく買うことにした。しかし、小生は衣装にカネをかけることに全く興味がない、ズボン一本が数千円?高い!ということで一番キリの1,880円(税別)のチノパンが、イオンに売っていたので、それを買ってきた。久しぶりに洋服売り場を歩いたが、いやいやものすごい種類のものが売っている、小生的には全く無駄なものが沢山作られていてそれをまた沢山の人がカネを払って買っているのだなあと改めて思った。そんなに着飾ったって中身は変わらないだろうに、気分がいいのだろうな。

 家庭訪問が午後4時半ころ終わったようで、先生が帰られた後、菊陽の耳鼻科まで太郎の薬をもらいにカミさんと二人で出かけていったが、今日は虎舞の練習日、間に合わずに時間に遅れて参加したようだ。



平成31年 4月22日 (月)

 晴れ。昨日以上に気温が上がった、それでも体が慣れてきたのだろうかあまり暑さは感じなかった
       最低気温 11.3℃ (05:27)、最高気温 26.2℃ (15:06)

 登校風景  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 APRSのI-Gateを復旧させた。少し前にサーバーのACアダプターご故障して、代わりのものを手配する間、休止していた、そしてACアダプターはすぐに入手できたが、なんだか最近面倒になってきて、復旧しないままずっと来ていた。消費電力が馬鹿にできないと思うのでなるべく早くRaspberryPiで受信専用のI-Gateに切り替えたいと思っていながらそれもやる気が起きない。気力減退は「終わり」のサインだぞ。

 庭先の一部だけ草刈りをした。これで今年はあと一回くらいやれば終わりかな、というのは冗談だが、基本的には秋には枯れるというスタンスだから、やっても二回くらい・・・・かな。今日はしっかり草に埋まっているケーブルに注意をして刈った、今までも毎回、気をつけているつもりだが、必ずライブカメラ類のケーブルを切っている。

 冬中止めてあった泉水?の水を出して散水用のホースを繋げた。ほんの少し、チョロチョロでも出して水の流れを作っておかなないとすぐにボウフラが湧く。冬にはうっかり水が入ったままだと散水用のノズルやホースは割れてしまう、今まで何本も無駄にしている。

 今の季節、早春の野草の盛りが終わって、春から初夏の花に移りつつある、シャクナゲが大きく開いている、カラタチの花も咲いている、今のシーズン雑草もあまり伸びておらず、タンポポやマメ科の小さな花で、まるで浄土のようだ、草共もこのくらいにしておいてくれると素晴らしいのだが、だんだんと伸びてボウボウになってくる。
 
 二年ほど厳冬の低温にやられて伸び始めては毎年枯れていたイチジク、去年、地中に残っていた部分から芽が出てきてかなり成長した段階で冬になり葉が全部落ちていた、ところが、この冬の寒さが弱かったからか、今年は枯れた枝先からようやく芽が出て、葉が開いて、すでに小さな実が沢山付いている。木の幹と言うにはあまりに細い幹、これで台風などの強い風に絶えられるか心配になってくる。 

 晩飯。豚肉のムニエルなどなど・・・先日あまり沢山土佐煮を作ったので流石にちょっと敬遠気味なので、今日はタケノコご飯だけ炊いた。
 
 
平成31年 4月21日 (日)

 晴れ。とうとう阿蘇も夏日になった、外で作業をしていると暑くてたまらんようになった。
    最低気温 6.3℃ (06:27)、最高気温 25.1℃ (13:41)

 太郎とカミさん、朝早く日曜週例のテニススクールへでかけて夕方帰ってきた。
 
 コイン精米機で玄米30キロを精米した。去年辺りから米の消費が早くなった、こどもたちの成長と夏子が給食でなくて弁当を持っていくからだ、それに引き替えジジイの食べる量は一向に減らないなあ。
 
 精米所の筋向かいにある、バックパッカーなどを相手のゲストハウスが取り壊わされている、確かこのあたりに新しい国道の出口が出来るはずだ。 

 我が家の敷地と隣の田んぼとの境界あたりに我が家の茶の木があって、もう何年も剪定していないために、田んぼ側へ枝を伸ばしていて、五月に入ったら田に水を入れるので、茶の木が邪魔になって畦を歩けないから、切ってくださいと今朝遠慮がちに申し出があった。それはもう当然のことで申し訳ありませんと早速今日剪定をした。
 
 普通、茶の木というのは膝辺りまでの背丈だが我が家の茶の木は人間の背丈以上に伸びている、もう茶摘みもしないので、生け垣代わりになっている、数年前に、今年亡くなられた昭久さんから言われて切って以来だからもう大分経つ、昭久さんがお元気なら今年あたりまた言われるだろうなあと思っていたところだった。小生はトリマーをもっていないので刈払機でタイガーカットで思い切って刈り上げておいた。しばらくして枯れたら燃やそう。
 
 それから今日はもうひとつ、肉体労働。ワイヤーアンテナもポールを立てた。一人ではどうしても立てられず、滑車をつかって立てようとしたが、それも無理で、数日間放置してあった。軽トラのクレーンを持ってきてやろうかとも思ったが、そんな大掛かりなことをしないでも人の力を借りたらできるからと、散歩の時に、和子さんの甥の西原村から来てトマトハウスをやっている永田青年に頼んで、立ち上げた。二人で立ち上げたがそれでもようやく立つくらいの重たい孟宗だった。夏子に二人で起こしているところを写真に撮っておいてくれと頼んでいたのに忘れて、肝心の二人でヨイコラショと起こしているところは撮りそこねた。

 今日はこの暑い日に目一杯働いてヘトヘトになった。




平成31年 4月20日 (土)

 晴れ。いや暑かった、二三日前から冬の下着などとおさらばして薄着になっていたがそれでも暑いくらいだ、家の窓を開けて過ごした。
     最低気温 10.4℃ (06:26)、最高気温 24.8℃ (14:23)

 箱石峠を越えて毎土曜週例の南阿蘇の馬の世話に行く。(写真1写真2

 我が家の三人組は朝早くから光の森に映画を見に行く、「名探偵コナン」だそうだ、娘がこのアニメの大ファンだ、これをいつ卒業するだろう、それが大人の境目だろう(と思っているが、今は大人でもアニメが好きだからそうとばかりも言えないかもしれない)、ついでに、娘のピアノレッスンにも行ってきたそうだ。今までは地元にピアノ教室があったが、多分少子化の影響だろう、閉鎖されてその会社の運営する教室が無くなって、今月から週一から月一回、山を下りて、今までの講師が開いている別の教室に習いに行くことになった。ただでさえあまり練習をしなかったから、月イチともなるとますます練習をしなくなるだろう、それでも続けるそうだから、やらないよりマシ程度か。

 今日も阿蘇中岳の噴煙が終日、こちら阿蘇谷側に流れていた(写真1写真2)。みると、山肌を下って麓の人の住む方へ向かっている。ここからはかなり距離があるから影響はないが、大変だろうなと思って、夕方風呂に行く時に、横から噴煙の流れを見た所、山を下ってきて、下まで到達する前に上の方に流れが変わって(か途中から横に流れるとそうなるのか)かなり上空を北の方に向かって流れている。我が家の上空は青空だから、少し宮地寄りの空を流れているようだ、結構黒い煙だから細かな噴出物も混じっているのだろう。


平成31年 4月19日 (金)

 晴れ。気温が上がる、高地だからこの程度だったが、下界では夏日のところが多っかたろう。
     最低気温 8.1℃ (05:48)、最高気温 23.6℃ (15:06)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10


 午前中、残る親戚の一軒にタケノコを掘って送った。これで最低限やらなければならないタケノコ送りは終わった。ものすごく大きくなったやつが一本残ったので、土佐煮をつくっておいた

 今朝また阿蘇中岳が噴火したというニュースが流れた。爆発音が聞こえるでもなし、火炎が上がるわけでもない、ニュースで知るまでは地元では誰も体感しない。この「噴火」という定義が調べたわけではないので分からないが、一般的にイメージする噴火と気象学的な噴火と大分違うような気がする。この「噴火」という言葉が使われることで、地元観光業者はえらい迷惑をすることになるのではと思う。今日も風向きのせいで噴煙はこちら側に下りていた。

 晩飯・・・・・・煮込みハンバーグ、ジャガイモの素揚げ、人参グラッセ、ブロッコリーなどなど




平成31年 4月18日 (木)

 晴れ。今日も(山を下りたこともあり)暑いくらいに気温が上がった、ようやくストーブの心配は全く無くなったようだ。
      最低気温 4.6℃ (05:39)、最高気温 21.5℃ (15:04)

 今日も阿蘇中岳の噴煙の量が多かった、昨日までと違って風向きが西から東方向だったので、山肌に沿ってこちら側に噴煙が這うように下っていた。さすがにここまではやってこないが山麓一帯はガスの匂いが酷かったのではないだろうか。(写真1写真2

 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 光の森に映画を観に行ってきた、昨日の予定が太郎の授業参観が入ったので、今日になった。「ハンターキラー」、ハリウッドの潜水艦ものだ、潜水艦映画は面白いが、これはまた格別に面白かった。https://gaga.ne.jp/hunterkiller/

 映画を観て同じ施設の中にあるスーパーで晩飯の材料を買った際、レジ係が、金額を打ち込んで、×××円です、そこの先でお支払いくださいと言って次のお客の応対に移った、えっ?支払い窓口がまた別にあるの?と思ってそのまま右に曲がると、精算機が置いてあって自分でカネを入れて精算する。へえ、こんなシステムになっているのか、そのまますっと通り過ぎても人がいるわけでなし、わからないかもなと思った。同じ店で以前買ったときには、従来どおりレジでそのまま支払いをしてたので、つい最近変わったのだろう、これでどのくらい省力化になるのか知らないけど、ちょっと見ない間に世の中、どんどん変わっていく。

 晩飯・・・・。味噌豚、もずく、揚げ出し豆腐、ワカメとネギの味噌汁など


平成31年 4月17日 (水)

 晴れ、ときどき曇り、昼間少しだけパラついた。
    最低気温 11.9℃ (04:42)、最高気温 17.5℃ (11:40)

 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11写真12

 今日は太郎の授業参観日。そのほかに保護者総会や懇談会、役員決めがあった、カミさんが仕事の都合で授業参観に出られなかったのでその部分だけ小生が出た。太郎のやつ、去年も感じたが、見ていて注意散漫、注意力欠如だ。
  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 今日も阿蘇中岳、盛んに噴煙が上がっていた。それでも噴火と定義づけるのは昨日の夕方のやつだけなんだろうか、今日のほうが噴煙は多かったような気がする。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6) (赤いのは夕日に映えてであり、火炎ではない)

 一般的に火山の噴火というと、大きな火柱が立って溶岩がどんどん流れ出して山の頂上付近が吹っ飛ぶようなイメージを持つ。過去の大噴火の映像や報道が大体そうだ、だから地元に住んでいる人間はここで起きている、あるいは過去に起きた噴火というものがどういうものかということが大体分かるが、遠隔地から旅行で訪れようとする人たちにはそのあたりの事がわからない、だから、噴火という報道が流れと途端に観光客の足が止まる。まあ、小生が逆の立場なら同じように旅行を見合わせるかもしれないが。せっかくこれから十連休が始まろうかという時にこの噴火騒動、自然が相手だとは言え、実にタイミングが悪い。
 
 阿蘇からの情報発信は、噴火と言っても、火口が覗けないだけで、1キロしか離れていないがロープウェイの発着所(もう壊されて無い)までは普通に行ける、もっと手前の3キロ地点の草千里の展望台なら更に全く問題なく行ける、そこからの展望でも十分に阿蘇の雄大な景色や火山の迫力を堪能できるということをPRするしか無いだろう。人は怖いもの見たさの心理が働くが、今の阿蘇ほどその欲求を満たしてくれる所はないぞ、すぐ近くで生で火山活動を見ることが出来るのだ、これほどの機会は無いだろう。100%保証は出来ないが、絶対に大丈夫だどんどん阿蘇に来るといい。
 
 「風の便り」のアクセスカウンターが動かなくなってからもう多分一年以上経っているだろう、以前ほど関心が無くなっていたので原因もわからなかったこともあってそのままにしてあった、それに、どうやって設定したかも忘れていた。過去、阿蘇山噴火や熊本地震の際には一日に数千件のアクセスがあり回線がパンクしたこともあった。そして、ここにきてまた噴火騒動が始まったので、アクセス状況を見るために、今日不具合を直して午前9時頃から再稼働させた、停止する前にはそろそろ100万に達しようとしていたが、その後のカウントはゼロが続いて、今日からまた以前の数字に加算する形でカウントを開始した。夜8時ころ記録を見ると一日で300カウントを超えている。このシステムは一日に同じ人間のアクセスは一度しかカウントしないので、延べで言うともっとアクセスがあったはずだ。今回の噴火前の記録が無いのでわからないが、多分噴火の影響だろう。

 太郎、水泳教室

 晩飯。キジ焼き丼


平成31年 4月16日 (火)

 晴れ。今日は暑いくらいに気温が上がった、南風だった。我が家のサクラもいよいよ最後だ、南風に花びらが舞っていた
 
 今朝?は12時半ころもう目が覚めた、夏子たちは12時ころ寝たと言うから、彼女たちが寝てからすぐ小生は目が覚めたことになる。一旦目が覚めるともう寝られないので、そのまま起きてしまう、昼間眠くなるかなあと思ったがならなかったので三四時間寝るともう十分なのだろうか。
     最低気温 2.3℃ (05:57)、最高気温 22.3℃ (15:46)

 登校風景 いつもは最初に通過してから最後のこどもが通過するまでの登校の線が非常に長いが、今日は全部の登校班がある程度まとまって通過していったので見守りがスムースに終わることができた。
  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 毎年タケノコを楽しみにしてくれていてどうしても送らなければならない親戚が二軒あって、今日はその一軒、横浜あてに午前中、掘って送る作業をした。昼前に送る手配をすると午後の便に乗って明日中に到着するが、これが夕方発送になると、明後日になってしまう、鮮度が命なので無駄な時間が無いように午前中に掘り出してすぐ梱包して扱い店まで持っていく、これが結構重労働でくたびれる。今年はタケノコの生え方が今ひとつで、残る一軒用に、うまい具合に雁首を並べて出てくれるといいが、数日後だろう。

 少し前に壊れた国旗掲揚のポールを修理して取り付けた。国旗が翻る方向を見るといつもと風向きがちょっと違う、南西の風だ、中岳の噴煙もいつもと違う方向に流れている、しかも山肌を下るように山麓方向に流れている、宮地から西町方面だろうか、あの辺りの住民は臭うだろうなと思っていたら、夏子が学校から帰って今日はちょっと火山ガス臭かったと言って言っていた。
 
 ここのところちょっと噴煙の量が多いなと昨日だったかの日記に書いたが、今晩6時半近くに小規模な噴火があったとニュースで流れた。ここからは火口まで約8キロあるので、たとえ大規模な噴火があったとしても直接的な被害は起きない、これで起きたら、ここだけの問題ではなくて、日本全土に影響が及ぶような被害になるだろう。今の噴火警戒レベルは2だが、それでも火口一キロまでは行けるのだからどうということはない、3でも人が住んでいる場所とは距離があるので火砕流など直接的に影響は無い。4くらいになったらちょっと避難の準備くらいしなければならないかもしれない。だから、今日の小規模噴火は全く影響はない、誰も気にしない。実際に住んでいる場所だから様子が分かるからである、これが遠隔地でニュースを聞くと、想像でしか感じられないので大事だと思ってしまうのである。

 坂梨の宿場通りに、親御さんの残された家があり、厳冬期を除く期間東京から帰っておいでのYさん、昼間通りかかった折、玄関先で花壇の手入れをされてる姿が目に止まったので車を停めてご挨拶したところ、「また帰ってきました、秋までおります」とのことであった、彼女は日本画家で涼しい阿蘇で創作活動をされるそうである。

 ノートルダム寺院が火災で焼けたそうだ。多くの画家がモチーフに使う寺院(写真1写真2)、小生はもちろん行ったことはないが非常に馴染みのある寺院だ。どのくらい由緒がある寺院なんだろうか、比較は出来ないのだろうが、法隆寺と較べてどうなんだろうか、本当に残念で惜しいことをした、ヨーロッパの建築物は全部石で出来ていると思ったが燃えたということは木造だったのだろうか。

 f-JR九州は今度の10連休には大津~宮地間の豊肥線代替バスを運休するそうな。おーい阿蘇市、市長さ~ん、完全にナメられているぞ。オイ!新聞、こんなベタ記事だけか、左巻きの共同通信の記事を買ってきて政権批判をするのが地方紙の使命では無いだろう、人の形をしたダイコンが出来ました、を写真入りで報道するのが仕事では無いだろう、こんな時に何か言うこと無いのか、社説で書いたらどうだ。
 「おい!f-JR九州、大津~阿蘇間の代替バスを走らせろ、公共交通機関としての自覚を持て、社会的な責任を果たせ!」

 晩飯。目には青葉、山ホトトギス、初(かどうかはわからないが)カツオのたたき。今日は気温が高かったので冷ヤッコ、だし巻き卵、豆腐とニラの味噌汁などなど・・・



平成31年 4月15日 (月)

 晴れ。今日は暖かかった。
    最低気温 5.3℃ (04:44)、最高気温 18.7℃ (16:23) 

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 ここに来てようやくタケノコが生えてき始めた。それでもまだ親戚に送るには数が揃わないので、とりあえず知りあいに届けた。タケノコばかりは数が揃うまで、掘って取り置きができないので一気に数が揃うような生え方をするまで様子見だ、それに今年は木の芽の成長が遅い、我が家だけではなさそうだ、気候とどうい関係があるのだろうか。

 昨日また、阿蘇中岳の噴火警戒レベルが2に引き上げられたようだ。少し前に2に上がって最近1に下がったと思ったらまた2に上がった、ここから見ていても、ここのところずっと噴煙が多いような気がするが、観光業者の圧力?で何とか1にしたのだろうが危うきに近寄らずだ。それよりも今、白頭山がかなり「ヤバイ」状態にあるらしい。

 カミさんが先日の健康診断で便の潜血陽性反応が出たからと言って、今日改めて内視鏡検査に出かけた。両方共同じ高野病院だ、高野病院でやるのならなぜ最初から便の潜血検査でなくて内視鏡検査をしなかったのだと言ったがなにかブツブツ言っていた。で、結果だが、夕方病院からメールで、今終わった、小さなポリープが一個あるけど取る必要がない、ということだったそうだ、カミさんは確か小生の時の後に内視鏡検査を受けたはずで、小生は最初からわずか二三年で何かあるはずがないと思っていたが、やっぱり、何もなかったようだ。大山鳴動ネズミ一匹も出ず。


平成31年 4月14日 (日)

 晴れ、のち、午後から雨になる。
      最低気温 7.3℃ (03:21)、最高気温 16.3℃ (09:38)

 今日は婆様の命日である、いつも婆様婆様と小生は書いているが母である。今年で丸9年、強いて言えば10回忌となる。ようやく穏やかな気持でこの日を迎えることが出来るようになった。
 
 夏子が新聞を見ながら、今日は熊本地震からまる三年目なのね、と言うので、えっそうか、婆様の命日の日に地震があったのかとあまり記憶がないのでちょっと驚いて、日記を調べた所、確かにそうだった、それほど命日と地震があまり結びつかなかった。

 人によって感じ方が違うが、まだ三年しか経っていないのか、もっと前だったという気もする。

 三年前の命日はちょうど七回忌にあたるので、その日が平日なので、次の日曜日にすることにしていて、地震に遭ったのだった、そして、その後、もっと大きな本震がやってきて、法事どころではなくなって、かなり延期して七回忌の法要をしたのだった、だから、あまり、命日と地震が結びつかなかったのだ。婆様の命日と言うと、一周忌の日に初めて経験するミツバチの分蜂があって大騒ぎしたことがある、そのことはよく覚えている。婆様の命日にはなにか起きそうな日である。 
 
 今日は普段汚くしている仏壇を綺麗にして、親戚から届いたお供物と鉢植えの花を飾って、小生は我が家の内に咲いている草木の花を切って供えた。毎年この時期はサクラがちょうど咲いている頃だが、今年は少し早くて、今日あたりはもうかなり散っていた、枝を折ろうとすると触れなば落ちんという按配でハラハラ散っていく、それでもどうにか仏壇に桜の枝を飾ることができた。我が家の内なる花々は、サクラの他に、木瓜、椿、ハナズオウ、それから菜花、花ダイコンあたりをブッコミで活けた。

 それから、婆様が生前、私が死んだら仏前にトンカツを供えてくれといつも冗談交じりに言っていたので、去年も供えたが、今年もまたトンカツを揚げてポテトサラダを作ってお供えした。ついでに夏子と小生の昼飯もトンカツにした。
 
 太郎と母親は、今日は週例のテニスレッスン日で二人して朝早くでかけて夕方に帰ってきた。


平成31年 4月13日 (土)

 晴れ。朝気温が評点近くまで下がって車のウインドーはガチガチに凍っていた。
     最低気温 0.6℃ (05:59)、最高気温 16.8℃ (14:39)

 南阿蘇に週例の馬の世話に出かける。太郎は母親と出かける予定があり、また、夏子も今日はやめたというので小生一人で出かけた。
 家の周辺の木々も一気に若葉に変わってきている
 
 箱石峠、ちょっと前に野焼きをやったばかりなのにもう山肌は薄っすらと緑に変わってきている。それでもまだ野焼きが済んでいないところもある。手が足りなくてやらないのかなと思っていたら、南阿蘇から帰る時に火が入っていた

 いつもように馬どもの餌やりをして帰ってきた。
 
 阿蘇は今、春爛漫である。(写真1写真2

 太郎はカミさんの仕事絡みのイベントに動員されて?九重山麓(写真の奥の山々)方面に出かけて行き日が落ちてから帰ってきた<https://callingmountain.com/>。夏子は家で勉強をするフリをしてずっと居眠りをしていた。

 家の前の公共工事の現場事務所が撤収に入ったのだろうか、かなり片付けてあった、思ったより早い終了だ、ここから奥の北坂梨方面にある工事現場、作業が終わったのだろう。この事務所にAEDが置いてあったのでイザという時に使えるなと思っていたが、それも無くなる、尤もそんな機会は無いだろうが。


平成31年 4月12日 (金)

 今日はずっと曇っていてちょっと寒かった。
     最低気温 6.5℃ (02:59)、最高気温 14.1℃ (15:57)

 登校風景 
 今日は新入生歓迎遠足で皆んなリュックサックをかろう(背負っ)て登校していった。ここ二年は年替わりで統合前の旧小学校まで歩いていったので今年は残る一校かなと思ったら、今年はすぐ近くの農産物販売所「四季彩いちのみや」横の広場だそうだ。ここは学校から極めて近くて、この春休みに「学童」で二度もお弁当を持って出かけた場所だ、あまりに近くて子どもたちも不満げでもっと遠いほうが良いと言っていた。学校もいろいろ事情があるだろうがちょっと安易い過ぎる気もする。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10
 
 今朝の新聞に豊肥線の復旧見込みの記事が載っていた。二年ほど先には大津から阿蘇まで鉄道が復旧しそうだ。
 「おい!f-JR九州、大津~阿蘇間の代替バスを走らせろ、公共交通機関としての自覚を持て、社会的な責任を果たせ!」

 日常の買い物は始めとして、今やなんでもかんでもインターネット手続き、決済の時代だ、ネットバンキング、確定申告、アマチュア無線の電子申請・・・それから小生が利用しているもの他にもあったかなあ、そうだマイナンバーカードの申請もネットでやった、というわけで、本日宝くじのネット販売で「ジャンボ宝くじ」を購入した。小生はギャンブルはやらないが、宝くじのなかで年に数回やっている何とかジャンボだけは昔から買っている。ところがここには販売しているところが極めて少なくて、また買い忘れることもあるので、今回(から)ネットで購入することにした。小生は全く、験担ぎはしないので、どこで買ってもいいのだ、どこで買っても絶対に当たらないのだから。同じ「絶対に当たらない」にしても、買うのと買わないのとでは、「絶対に当たらない」にも10,000,000分の1くらいの差はあるので、ちょっとは夢を持つことにして当たらないのは承知で買っている。
 
 でもネットで簡単に買えることになると、なんとか依存症の人なんか大変だろう、有り金全部つぎ込んで、カネがなくなると借金してまでのめり込むことになるだろう、ワンクリックで簡単に買えることになるとこれがコワイ。幸いに小生は身の程をわきまえているので、そんなことはないが。

 この宝くじのネット販売、わざわざ買いに行かなくてもいい上に、当選番号のチェックも自動的にやってくれて、10枚に一枚の最低当たり額の300円も自動的に口座に振り込んでくれる、窓口で買う際のこういった面倒が全く無いので、それが良くて申し込んだのだ。初めてなので加入手続きがちょっと面倒だった。ところで一等が当たった場合、メールで知らせてくれるだろうか。ゆうちょ銀行の場合、最高預け入れ額が決まっているので、億単位の当選金は口座に自動的に振り込まれるのだろうか、それがちょっと心配だなあ。
 晩飯。カレー


平成31年 4月11日 (木)

 晴れ。昨日はちょっと寒かったが山は雪だったようで雲が切れた頂上付近が薄っすらと白くなっていた。日が落ちて宵の口ころから霧のような雨が降りだした。(写真1写真2写真3
     最低気温 5.4℃ (06:13)、最高気温 13.3℃ (14:22)

 登校風景 今日から全員が揃っての登校になった。つい最近まで小学生で登校班で歩いていた新中学年生が、なんとなくまだ身についていない制服姿で自転車通学になった。「ヨッ中学生!」と声を掛けると、嬉しそうな気恥ずかしそうな素振りで登校班の子どもたちの脇を走り抜けていった。
  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10

 昼過ぎ、JA6DIotが御入来、「終活」で色々なものを処分しておいでで今日は小生が好きそうな本を数冊もってきてくださった。
 
 今日からまた太郎の虎舞の練習が始まる。原則、第二第四の火曜日が練習日にあたっていて、今日だけ特別に練習日になった、六年生がゴソっと抜けたあと、新メンバーでの新たな練習が始まる。練習が終わった頃を見計らって迎えに行ったときにはもう終わって片付け最中だった

 晩飯。太郎のたってのリクエストでトロロ汁を作った。お姉ちゃんも大好きというわけではないが嫌いではないということで、今まではお姉ちゃんがいない時を狙って作っていたが、今日は晴れて正式な晩飯として登場した。



平成31年 4月10日 (水)

 今日はちょっと寒かった、我慢をすることもないと思ってストーブに火を点けた。関東甲信地方は冬のような天気で、東京八王子では雪が降ったそうだ。我が家のサクラ、まだ散らずに頑張っている
      最低気温 9.4℃ (但し19:24時点)、最高気温 15.8℃ (06:39)

 昨夜来の雨、朝にはなんとか上がりそうだったが、風もあり、今日の登校はみんな車だなと思って太郎を乗せていって途中から歩いて行かせて、今日はもう誰も来ないだろうと思って田んぼの向こうを見晴かすと、数名の子どもたちが・・・
 
 太郎が坂梨地区では一番学校に近いところに住んでいるが、次に近い地域の登校班の子たちが、時折吹き付ける雨と風の中、歩いてやってきた、なかに新一年生が二人混じっていた。登校初日にいきなり雨の洗礼、雨ニモマケズ風ニモマケズで元気に登校していった。
登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 先日、国旗掲揚のポールの滑車が壊れて降ろしたままになっているが、支柱だけでなく国旗もかなり破れてくたびれているので、「代替り」に合わせて謹んで新しい国旗を掲揚することにして、ネットショップで取り寄せた国旗にワンタッチで取り外しができる金具の取り付けをした。ミシン加工をするつもりでミシンを用意したが、今日の作業にミシンは使わないで済んだので、ミシンを出したついでに、破れて穴の空いたジーンズ数枚の補修をするべく準備作業をした。

 太郎、水泳教室。
 
 晩飯 豚大根。


平成31年 4月 9日 (火)

 晴れ。しばらく続いた天気もそろそろ終わりで今夜あたりから雨になりそうだ。
     最低気温 6.8℃ (06:05)、最高気温 18.1℃ (15:41)

 今日は小中高ともに入学式だった、太郎たち小学校は在校生も入学式に参列したが、夏子の高校では新入生だけで在学生の参列は無いのだそうだ、ということで夏子は今日は休みだった。

 従って、朝の登校時にはまだ新一年生の姿はない。
 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10
 
 その他記録すること特になし。
 
 晩飯。麻婆豆腐、エビチリ、モヤシの中華サラダなど


平成31年 4月 8日 (月)

 昨夜少し降ったようで、路面が濡れていたが今日も晴れの一日になった。いまだに冬の服装をしていて合服に着替えようと思いながらも面倒なので冬着のままでいる。今日も風が結構あったが、まだ殆どの桜の花はしっかり付いていて桜吹雪にはなっていない。
 最低気温 9.8℃ (06:18)、最高気温 19.2℃ (15:05)

 久しぶりの旗振りだ、今日から新学期が始まった。太郎は三年生になった(夏子も二年生だ)。入学式は明日だから今朝の登校班にはまだ新一年生はいない、今朝は新しい班長のもと新ニ年生から新六年生が登校していった。
 
 春休みでしばらく休んでいる間に、季節が進んで、枯れて茶色だった田の畦が緑色に変わっていた。太陽の上がる位置もずいぶんと北に寄って、昇る時間も早くなったので子どもたちが登校する時間には完全に逆光になって写真を上手く撮ることができない。
 登校風景  (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 夕方学童に迎えに行って一緒に帰るときに太郎に訊いたら、二年生の時は三クラスあったのに転出転出で児童数が減って、進級した三年生は二クラスになったそうだ、そして太郎は二組だそうだ、一二年生までは別々だった坂梨保育園時代の仲間たちが今年はほとんど同じクラスになったと言っていた。

 朝、PCの前に座って作業をしていたら、NHK「すっぴん」の時間だからスイッチを切ろうとしたら8時を大分過ぎているのにまだ前の朝の情報番組をやっている、調べたら、4月から開始時間が8時半からに繰り下がったようだ、以前はいつも座った途端にこの番組が始まる時間だったので、少しは「良かった」。

 晩飯。酢豚など



平成31年 4月 7日 (日)

 晴れ。今日も暖かい一日だった。
     最低気温 7.8℃ (00:09)、最高気温 21.7℃ (14:23)

 太郎とカミさん、朝早くからテニスのレッスンに熊本まで出かけた。夏子は春休みの宿題の追い込みをやっていた。
 
 小生は外が暖かくなったので久しぶりに工作室で過ごす、工作室とってもほとんど物置小屋状態だ。
 
 小さなノートパソコンをWindows10にアップグレードした。性能は最低クラスのノートだが、基本性能が条件に合っていれば、時間がかかるが間違いなくアップできる。今日もほとんど一日がかりの作業だったが、何のエラーもなく作業が終わった、とにかく時間がかかるので、別にPCのそばに付いている必要はなく、放っておけばいいので、急ぐ作業でもなし別に困ることもない。今現在、2台が途中で引っかかっている、だいたい引っかかるのはビデオカードのドライバーだ、そのうちにドライバーを探そう。あとデスクトップが二台残っている、これは、大事はPCだから慎重にやらねば。

 昼ころ、JA6DIotが久しぶりに御入来。なんでも発発の調子が悪くて整備しているがオマエは最近エンジンをいじっているそうだから、参考意見を聞かせてくれとの用件だった。あまり役には立たないと思ったが不調の症状から判断して小生の考えをお伝えしておいた。


平成31年 4月 6日 (土)

 本当にいい天気が続く、最高気温が20℃を超えた、春爛漫だ、一気に春が進む。
     最低気温 4.3℃ (04:53)、最高気温 21.6℃ (15:05)

 今日は週例の馬の世話に行く日。夏子は月曜日から学校が始まり、宿題がちょっと残っているから今日は行かないと言っていながら、小生が出かける準備をしていると、やっぱり行く!と言って支度を始めた、そうすると太郎も「ボクも!」、というわけで、今週もまた三人で出かけた。今日は本当にうららかで気持ちの良い朝だった。向こうに着いて作業を始めるといつものスタイルでは汗が出てきたので途中でセーターを脱いで馬の世話をした。
 
 夏子はあそこで飼っているミニブタが気に入っていて、面白いことに、お腹を擦っていると気持ちがいいのだろ、ドテッと横に倒れて寝そべって眠ってしまう。太郎は馬に大分慣れたようで、腰があまり引けなくなった、そして囲いの中に入る時間も増えてきた。
 
 帰る途中、月巡り公園でちょっと遊んでから帰った。
 
 オープンセサミ 連続写真 (1/2)
 オープンセサミ 連続写真 (2/2)
 
 

 午後から、庭の手入れと言おうか、表通りに面した方にもう一本あるハクモクレン(だと思う、コブシかもしれない)が、木の大きさの割には花があまり付いていない。よく見ると竹やらブッシュやら、特に、フジの蔓が巻き付いていて樹勢を弱めている感じがするので、今年はもう無理かもしれないが、近くにある同じ花の木のように沢山花を咲かせたいので、木の廻りの整備をした。フジは非常に繁殖力が強くて、どこにでも蔓延ってくる、木の幹をみると大蛇に搦め捕られたように締め上げられて木の幹がくびれるほどだ、これでは養分が回らないだろう。フジの根本を切っておいて、幹に絡まっている蔓も取れるだけとってやったが上の方には手が届かない、まあ、養分が上がらなくなったら自然に枯れるだろう。(写真1写真2)


平成31年 4月 5日 (金)

 晴れ、今日は穏やかで暖かな一日だった。入口の桜、ちょうと満開だろうか、気温が低いのでまだ全く散っていない。このままだと来週の火曜日に小学校の入学式があるが、桜が咲いていて絵になる入学式になるだろう、と思ったら、今の小学校には桜の木どころか樹木は一本も植わっていない、なにか植えない理由でもあるのだろうか、なんとも殺風景な風景である。 
      最低気温 6.5℃ (00:47)、最高気温 16.8℃ (13:07)

 最近炊事場の流しの水が流れにくくなっていたので、朝一番でパイプの掃除をした。排水トラップは洗面所なんか流しのすぐ下にS字状のパイプが付いたタイプだが、炊事場のトラップははは排水口のつながる部分にある、「起点トラップ」というタイプである。前回、詰まりが取れなくて大騒動でやったのはいつだったかと思って調べたら去年の3月11日にやっていた、あれからちょうど一年である。去年の経験を活かして今回はスムーズに掃除をすることができた。去年の掃除は家を建築してから十数年後の初めての掃除だったが、今回はわずか一年で詰まり気味になったのだから、どういうわけだろう、最近の食生活が排水管の動脈硬化を起こしやすい油系が多いということだろうか。

 それから、無線のロングワイヤーの支柱が倒れているので、それを復旧すべくやりかけてそのままにしてあったが、今日は孟宗の支柱を立てかけるパイプを打ち込んだ、今日はここまでである。その他、草刈りをちょっとだけやった。 

 晩飯。なすの挽肉はさみ揚げ


平成31年 4月 4日 (木)

 晴れ。朝気温が氷点下になったが日中は気温が上がって暖かい一日になった、そろそろ寒の戻りも終わりに近づいているのだろう、新しく薪を切るのが面倒なので、あちらこちらから掻き集めて火を炊いているが、そろそろ終わりかな、まだもう一回くらいは切っておいたほうが良いかな。
     最低気温 -1.9℃ (06:15)、最高気温 15.6℃ (15:13)

 阿蘇文化調査研究会の30年度最後の例会があって、都合で4月にずれ込んだが、今日は年度総会で一年のまとめと新年度の計画について話し合った。今までは旧役犬原小学校が会場だったが、今年から、一の宮就業改善センターに会場を変更して今日がその最初の日になった。
 今日の例会では役員決めもあったが、新年度は今の役員で進めていただくことになって、一年先になるが来年度(32年度)の基本的役員を決めておきたいということになって、結論から書くと小生がお引き受けすることになった、小生に会をまとめる能力など全く無いのだが、まだ一年先のことでもあるし、その間に事情が変わって別の方にお願いすることも十分にありうるのでとりあえずお引き受けしておいた。

 今日は夏子が宇治歯科に行くことになっているそうで、最初は自転車でいくつもりだったが、診療時間が10時からだそうで、小生も同じく10時からで、宇治歯科と小生の研究会の会場とは目と鼻の先になるので、グッドタイミング、小生が送っていって、歯科が終わって同じ敷地内にある市立図書館で待っている夏子を研究会が終わった小生が拾って一緒に帰ってきた。

 晩飯。昨日掘ったタケノコを使って、タケノコご飯、土佐煮、若竹汁を作って食べた、春の香りいっぱいだった、ただ、色と香りのアクセントになる木の芽が今年は間に合わなかった、敷地内に三箇所くらい山椒の木があるが、どれもみな未だだった、もっとも、生えたタケノコはまだ一本だけで、もう暫くするとタケノコと木の芽とが歩調を合わせてくれるだろう。


平成31年 4月 3日 (水)

 晴れ。今日もちょっと寒かった。
     最低気温 -1.2℃ (06:05)、最高気温 11.8℃ (14:13)

 新年度、ラジオのパーソナリティーと言われているメンバーも異動があって小生が比較的ラジオを点けている夕方や早朝の番組でも沢山の交替が見られる、でも、朝8時台からはじまる平日一週間の番組の出演者には変更が無いようだ、だから、8時になるとサッサと消す、それだけ人々には支持されているということなんだろうが、小生にとっては朝から延々とあの声が聞かされるのはたまらん、だから聞きたくなければ消せばいいだけだ。

 夕方近く、ミヤハラに夕食材を買いに行った際に駐車場に停まっていた軽トラックの荷台に立派なタケノコが五六本転がしてあった。ああ、そうかもうタケノコの季節だなあ、これどこで掘ったやつだろう、山を下りたあたりの竹林だろう、と思いながら家に帰って念の為に毎年一番最初に生えてくる場所に行ってみたところ、オッ、生えている!立派なやつが一本だけ、阿蘇谷でももう生えていたのだ。駐車場でみたタケノコもこの近くの多分タケノコを採るために管理してある竹林のやつだろう、でないとこうも沢山形が揃ったやつは出ないだろう。我が家のタケノコは勝手に生えてくるやつで、管理も何もしていないので、たまたま条件が良かった場所のやつが一本出てきただけだろう、第一、タケノコとセットになる木の芽がまだほとんど芽状態で葉が出ていない。今晩はもう献立は決めてあるので、とりあえず、茹でてだけはしておこうと、掘り出した。もうかなり成長しているが、掘ってすぐに茹でるので、アクは大丈夫だ。明日早速タケノコごはんと土佐煮を作ろう。茹でた後、皮を剥いて人間が食べるにはちょっと硬いかなという部分をボンにやったら、喜んで食っていた。我が家で今年最初のタケノコはボンが食べた。去年はどうだったろうと思って日記を見ると、去年は4月2日だった、今日掘ったタケノコも昨日あたり顔を出していたはずだ、ということは、暖冬などはあまり関係がないみたいだ。
 
 桜ばかりに気を取られていたが、食堂脇のハクモクレンも咲いていた、いつもコブシだかハクモクレンだかわからないが、ネットで調べてもこれだという見分け方は書いていない、ほとんど同種の花のようだからどちらでも良いようなののだが。花びらが全部上を向いていてチュリップのような開き方をするのはハクモクレンだという説明があるから、我が家のやつはハクモクレンだろう、表の道路側にも一本咲いているが、あれはどちらだろう。(写真1写真2)
 
 太郎、新年度最初の水泳教室、小生、迎えがてら風呂に入って、一緒に帰ってきた。

 晩飯。カレー



平成31年 4月 2日 (火)

 晴れ。今日も寒かった。朝起きたら、山が薄っすらと白くなっている。へえ、山は降ったんだと思っていたら、昨夜カミさんが仕事から帰ってくるときに雪が降っていたと言っていたので、ここ「平地」でも雪が降ったようだ。今日外輪の上を走った時、路肩にところどろまだ雪が残っていた。(写真1写真2
     最低気温 -0.6℃ (04:34)、最高気温 11.3℃ (14:00)

 今朝の新聞に再掲だと断りがあって、昨日の号外がそっくり入っていた。熊本の中心では号外が配られて、その他の地域には配られないので、多分、「記念用」として、新聞社は気を利かせたのだろう。

 県道11号、やまなみ道路を走って、荻の草あたりから県道40号線に入って満願寺温泉(写真1写真2)を通って小国にある坂本善三美術館へ絵の鑑賞に行ってきた。街道の途中、あちらこちら開き始めた桜が咲いていた。昨日行くつもりだったが休館日だったので、今日に延ばした。どいうわけか急に絵が見たくなったのだ。小生は善三のマチエールが好きである。具象画から抽象画への移行期?の絵が好きだ。ちょっと厚めに塗った絵の具、白やグレーや茶系統の言わば壁のような色調が好きなのである、これはもう大昔、小生が学生の頃からの好みだ。時々こういった雰囲気に浸ると無性に絵を描きたくなる(でも結局描くところまではいかない)。いい時間だった。
 
 それに坂本善三美術館は古民家を改修して作られた美術館で、建物とその周囲の風景自体が美術品のようで隣接する鉾納社(ほこのみや)(写真1写真2)と一体になって実に気持ちがいい。

 以前、いつ来たかなあ、確か欅グループの同人のみなさんを案内してきたなあ、数年前だったなあ、と言う程度に書いておこうかと思ったが気になって結局日記を調べた、H23.3.15の日記にあった、あれからもう丸八年も経っているのか。

 美術館を出る頃には昼飯時になるだろうと思っていたので、同じく小国にある「黒豚屋」というメンチカツが美味しい店があるで、そこで昼飯を食おうと思って行ったところ、以前あった場所ではなくて、道を挟んで筋向かいに店が移っていた、そして、中にはいってみると食堂の風景ではない、ただの肉屋の構えだ。食堂はやっていないのですかと尋ねたところ、今はもう肉の販売だけで、食堂のほうは手が足りないのでやめました、とのことであった。
 
 がっかりして、じゃあ家で揚げる分、持ち帰り用に生のメンチカツを包んでくださいと注文したところ、メンチカツだけだったら今揚げますから、食べられますよ、とのことだったので、一個揚げてもらって、かじりながら、帰ってきた。
 
 そうか以前来てからもう八年になるのか、ここの通りも、ご多分に漏れず人の姿が全く見えない寂れようだった、坂梨もそうだが今や全国、どこにいっても中小都市はこんな有様なんだろう、昔と変わらずにいつまでもそこにあると考えるのが間違いなのだろう。坂本善三美術館も来館者は小生一人、このような文化施設を維持していくのも大変だろう。
 
 帰りはR212を走ってきた。もうほとんど阿蘇市に近いそば街道の阿蘇口からちょっと入ったところにあるアンティークショップ「ギャラリー青雲」http://galleryseiun.web.fc2.com/i/home.htmlに立ち寄って、主殿とちょっと立ち話をして帰ってきた。この店は、小生の道楽のクルタ計算機やカーバイドランプなどをネット検索していて、たまたま知った店で、以前から一度、どんなところか気になっていた店だ。
 
 晩飯。メンチカツ。そして小生は昼も夜もメンチカツ、旨いのだ。



平成31年 4月 1日 (月)

 ここ一日二日、冬に戻ったような寒さで、またしっかりとストーブが働いている。桜が開花したばかりなので、寒い日が続くと花もちがしていいだろう。
      最低気温 1.9℃ (06:41)、最高気温 9.7℃ (14:52)

 「令和」・・・・か、馴染むのにちょっと時間がかるかもしれないが、なかなか良い元号だ、あちらこちらでああだこうだと予想をしていたようだが、そんななかで当ったのはあったろうか、無かったろう、あんな「あるぞう、なしぞう」どもの考えるような安っぽいものでなくてよかった。反日左翼どもはどんな元号でも必ずケチを付けるだろうが、まともな日本人なら、素直に歓迎受け入れるはずだ。小生も昭和・平成・令和の三代に渡って生きることになるのか(まだ一月ある、わからないな)。早速日本語変換辞書登録をしておいたが、そうかまだ今月いっぱいは平成だった、令和元年 5月 1日・・・いいじゃないか、いい響きだ。
 
 「令和」は万葉集の梅の花の歌三十二首の序文にある『初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす』から引用したといことだ、うん、いい、実にいい、日本の文字文化はすばらしい。

 太郎は今朝、学童に行きたくないと言ってぐずっていたので、そんなに行きたくなければ行くな!ただし、家では絶対にゲームはさせないぞ!と言ったら、カミさんの出勤車に乗って学童に行ったようだ、出かけるときに、二階に上がってきて、「学童に行かないと言ってごめんなさい」とあやまって出かけていった、多分、母親から言われたのだろう。後から娘に訊いたところ、なにか学童で面白くないことがあったようだが、そんなことでいちいち「登校拒否休」するな、と言いたかったがもう御本尊は出かけたあとだった。

 今日は夏子がまた(昨日とは別の)高校の友人と光の森に行くといって「やまびこ号」で、出かけたので、小生も、南小国にちょっと行ってこようと思ったが、あいにくの休館日だったので、日を改めることにした。

 晩飯。豚の味噌漬け。ご近所から小ネギを頂戴したので小生がエシャロット代わりに味噌を付けて食べていたところ、子どもたちも美味しい美味しいと言って食べていた。普通は酒の肴だろうが、ご飯にも合うのだ。



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