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平成30戊戌(2018)年12月の記録 (新しい日付けの順)

平成30年12月31日 (月) 大晦日

 晴れ。少し雲があったか。気温は少し緩んだ。
     最低気温 -1.1℃ (02:15)、最高気温 7.4℃ (14:03)

 今日は日中、ストーブの火がずっと消えていたが特に寒さは感じなかった、夜に入って、火を入れたが、これからの寒さに備えての準備で、まだ宵の口も寒くなかった。
 
 今日も日中、カミさんは掃除をしていた。小生は、神棚と仏壇の掃除をして、それで仕事は終わり。

 AmazonPrimeで無料の劇映画を見た、2016・イギリス「奇蹟がくれた数式」、インド人の天才数学者の話である。地味な映画で数学の内容は全く分からなかったがそれでもとても面白かった。この小生が数学を題材にした映画を面白かったなどと思うなんて、映画もたまにはいいね。

 三時ころからソバを打った。500gだからすぐに打ち終わった。確か今年最初で最後だと思う、もしかしたら一度くらい打ったかもしれないが忘れた。もうそば打ちは身についているので、ごく平常心で打つことが出来る。(写真1写真2写真3
 
 太郎は今頃になって年賀状を書いていた。夏子は今晩から阿蘇神社の巫女さんになるので、明け方まで仕事だから、いや、神社では仕事とは言わないそうだ、奉仕?だったかな、寝るのがなにより好きな夏子だから深夜ご奉仕はつらいだろう、寝だめをするために午後から夕食まで寝ていた。確か今日は夜9時ころから明け方の3時頃までの奉仕だとか言っていた(いったん帰ってまた朝から出仕だとか)。母親が送り、迎えも母親が行くのだろう。
 
 夕食は、大みそか恒例の、すき焼き。そばで小さなテレビが点いていて紅白をやっていた、太郎はUSA、USAと言っていた。

 除夜の鐘を聞きながら、と言いたいところだが、ここでは除夜の鐘の音は聞こえない、太郎は毎年食べる前に沈没するので、今年は10時前に年越しそばを食べた、天ぷらそばを作った。太郎、そろそろ眠たそうだったが、「初めて食べた、おいしい!」と言っていた、夏子は明朝帰ってきて「年越した蕎麦」を食べると言って出かけて行った。 

 かくして今年も我が家はおかげさまで平穏に一年を過ごすことが出来た。さて新しい年はどんな年になるのやら。


平成30年12月30日 (日)

 晴れ。(写真1写真2写真3
    最低気温 -3.8℃ (06:21)、最高気温 4.4℃ (15:50)

 今年も残るところあと一日、カミさんは大掃除をしていたなあ、小生はな〜んにもせずにPCの前に座っていた。子供たちもいろいろやっていた。松前漬け、もうできた、たっぷり作った、味見味見でどんどん食べている。

 Linuxの録画サーバー構築をちょっとやった。完全に最初からやり直そうと思ったが、これは非常にエネルギーを使うので、前回途中でやりかけて途中でやめた作業の続きをやって、それで上手くいったらヨシ、ダメだったら最初からやり直すことにした。前回、途中でエラーが起きて進まなかった作業、あれから少し進歩して、なぜダメだったかが分かってきて、今のところは順調に進んでいる。ワンステップワンステップ意味を吟味しながら作業を進めている。
 
 Windowsをやっていると、何か不都合な、あるいは不要になったプログラムなどをアンインストールした場合でも、レジストリにゴミが残る場合があるが、Linuxの場合、インストール失敗したファイルなんか、削除すると、ファイル自体は無くなっても、そんな削除の仕方をするとレジストリが残って後々面倒なことが起きないだろうかと心配だったが、どうもLinuxの場合はレジストリという考えは無いようだ、逆に言うとWindowsのほうにレジストリというものがあるということのようだ。正確かどうかわからないが少し安心した。

 本当にあのバカな国には腹が立つ、どうしてお付き合いしなければならないのだ。


平成30年12月29日 (土)

 晴れ。予報通りに冷え込む。このくらい冷え込むと氷の張り方も尋常じゃなくなる。でも寒くない。(写真1写真2
    最低気温 -6.4℃ (03:44)、最高気温 3.3℃ (14:32)
    アメダスPT 阿蘇乙姫 -7.6℃ (04:16)ここは特に気温が下がる場所、人もあまり住んでおらず観測地点として相応しい場所か疑問。

 最近、と言ってももう大分経つが、阿蘇山を撮っているライブカメラが時々映らなくなる。カメラとビデオキャプチャーユニットをつないでいるRCAケーブルコネクターの接触が悪いか、カメラがもう十年以上外に雨ざらしでケーブルも屋外用のものではないので、傷んでいて特に今日のような厳寒の時にはそのためにエラーが起きているのかと思っていた。そのたびに、コネクターをグリグリすると直っていたので、まあ、これでいいかと、ずっと放ってあった。それが今朝、何度グリグリしても回復しないので、やはりカメラ側かなと思って、モニターを持ってきてつないだところカメラからの映像は生きている。ということはビデオキャプチャーに問題があるのかと思って、今度は少しグリグリの場所を変えてやってみたところ、どうもビデオキャプーのほうのコネクターに異常があるようだ。このコネクターはSケーブル普通のオーディオ・ビデオケーブルがDIN型に一体成型してあって簡単にバラせない。ほかに探せばビデオキャプチャーはあると思うが最近は探す気力がなくなっている。不具合の場所が特定できただけ良しとして、そのたびにグリグリやって様子を見ることにした。だんだんやる気が失せてきているなあ。というより未知のことには好奇心が旺盛だが、もう分かりきっていることは面倒になっているのだ。

 県外の高校に行っている夏子の友達が帰省して二人で熊本市まで遊びに行くことになったようで、ところが阿蘇のソンから熊本市は大都会、特に、中学まではあまり自由に遠出が出来なかったので、全くの地理不案内、それに、ここからだと結構交通費がかかる、どうしようかと思案しているところに母親が「連れてってあげる」、ということで、そうなると、太郎も一緒だ、となるとお父さんは家でノンビリできる、八方うまく収まるということで、朝食もそこそこに出かけて行った。

 熊本市の中心部の「上通り」、「下通り」あたりをウロウロしたいらしい、それに、なんでも「幸せのパンケーキ」というところに行きたいのだそうだ。どうやらここは行列のできる店なんだそうで、カミさんも以前から大いに興味があったようで、一日の販売数が限定だから早く行かないと食べられないわよと、率先して出かけて行った。そして、さっそく、太郎がパクついている写真をLineで送ってきた。試みにネットで引くと、全国展開の今流行の店のようだ、ふーん全然知らん。。
 
 正月と言っても、日付が一日変わるだけだし、お客が来るわけでもなし、普段通りでいいのだ、大騒ぎして準備もいらないだろうゆっくり年末を過ごしてくればいい。そしてそのように、日が落ちてから帰ってきた。

 小生も正月はどうでもいいのだが、酒を飲まないのに松前漬けだけは毎年作っていて、これさえあれば他には要らないと思っているので、皆が出かけた後、「えびすぱーな」にカズノコやスルメなどを買いに行った。店内は正月用品一式で、開店早々なのにすでに満員状態、単に、日付が変わるだけだとわかっていても、皆さん一生懸命、おせちの材料を買い込んでいる。普段よりもうんと高い商品を皆さん黙々と買い込んでいる、これが日本の正月なんだなあ。

 年末休暇に入り無線機に火を入れる局が増えたようで、7MHz、終日電信の音がよく聞こえていた。


平成30年12月28日 (金)

 曇り、初雪が舞う。明朝もかなり冷え込むそうだ。
    最低気温 -3.9℃ (但し19:23時点、さらに降下中)、最高気温 0.3℃ (14:55)

 今朝は氷点下で夜が明けて、ボンの散歩の道ではちょっと強い風に時折風花が舞っていた、体感的に寒かった。古閑の滝もかなり白く凍っている。10時ころふと外を見やると雪が斜めに降っている・・・ここでの初雪・・・・か

 世間では今日が一般的な仕事納め、多くの人が一年の勤めが終わりホッとしていることだろう。うちのカミさんも今日が納め。太郎の学童も夏子の課外授業も今日で終わりだ。そういったことに関係がないのは小生だけだ。

 滑り込みセーフかタッチアウトか分からないが、午前中、年賀状を投函してきた、同じように「節句働き」の顔見知りに会ってお互い苦笑の交換。郵便局の帰り道、通り過ぎてから、オッととUターンして、滝室窯に寄って薪をもらってくる。先日、庭の木を切ったからと連絡をもらっていたのだ、ストーブの長さにきれいに切ってあった、ありがたい。昔なら窯元が薪を必要としただろうが現代はガス窯の時代だ。
 午後から寒風吹きすさぶ中、一時間ほど薪を作る。
 
 午後3時頃、買い物帰りに夏子を学校前で拾って帰る。小生は、いつも夕方近く買い出しと太郎の学童の迎えに二度車を出す、夏子は朝、母親に送ってもらって学校に行った日は帰りはうまいこと小生の車に狙いをつけて電話をしてくる。小生の家事運行、午後に二便、地元のバス会社よりはるかに利便性が高い。

 晩飯。面倒なので冷凍のハンバーグを買ってきて、少し手を加える。最近の冷凍食品売り場、いろいろとバラエティーに富んだ食品が並んでいる。冷凍技術も進んで昔に比べたらおいしくなっている。今日のハンバーグもなかなかなものだった、これだったらわざわざ作らなくてもという気になる。


平成30年12月27日 (木)

 晴れ。明日の朝は少し冷え込みそうだ。
  最低気温 0.5℃ (ただし19:41現在、なお降下中)、最高気温 9.6℃ (12:41)

 年末にかけて寒波で日本海側は大雪になるという予報が出されているが、ここではあまりピンとこない。きょう雨雲レーダーを見てみると日本海側の北日本に雨雲がかかっているので、これがいずれ雪になるのかなと思って、現地のライブカメラをみると、もう雪が降っていて大分積もっている、レーダの雨雲は雪雲だったのか、今降っている雪は根雪になるのだろうか、これから先、特に年末の帰省ラッシュに重なる、故郷に帰るのも大変だな。

 今日は年賀状を仕上げた。心をこめて、あっという間に仕上げた、明日にでも郵便局にもっていこう。

 晩飯。正月用に冷蔵庫冷凍庫を少し空けないといけないと思って、残り物、不良在庫の整理をした。カミさんが大分前に刺身用の鯨肉を買っておいたが、冷凍庫の整理で出てきた、かなり時間が経っているので刺身にはちょっと向かないのでIWC脱退表明を祝して鯨の大和煮を作った。昔は鯨というと刺身か大和煮か塩くじらだった。学校給食にクジラの磯辺揚げがよく出たようだが、小生のころは学校給食なんかなかったので、ずっと後年のことだろう。

 太郎、「お年玉」をもらう条件に「正しい箸使い」をお姉ちゃんから課題として出されていて、一生懸命に練習している、今はどんな条件を出しても無条件で従うようだ、とにかく、スイッチが欲しいらしい。太郎の教室で、正しい箸使いができるのは何人か?と問うと、ゆいかちゃんともうひとりくらいだと言う、太郎が言っているだけだから本当のところは分からないが、もうそろそろちゃんと持てないとこのままずるずる行っていまいそうだ。


平成30年12月26日 (水)

 曇り時々雨、雨時々曇り・・・どっちだったろう、そんな天気だった。
    最低気温 3.2℃ (00:00)、最高気温 7.7℃ (14:36)

 「IWCから脱退表明 商業捕鯨再開へ」ヨシ!よくぞ決心した。この先外国からいろいろな圧力がかかると思うけどぶれるなよ。「朝日」はどういうスタンスをとるだろ。

 今日は年賀状リストの調製をした、それだけ、その先の作業までは気が乗らなかった。

 晩飯。豚大根
 
 以上


平成30年12月25日 (火)

 今朝は冷え込んだ、気持ちのいい朝だった。寒いのはそんなに気温が低くなくても日が射さずに風がある時だ、今朝のような放射冷却、無風で太陽が上がる朝は本当に気持ちがいい。透明な氷が張っていて、そばにあった石をおいてみたがビクともしなかった
      最低気温 -4.7℃ (07:29)、最高気温 13.1℃ (15:27)

 カミさんが冷凍庫の壁に氷が付きすぎて物があまり入らなくなったから、中のものを全部出してキレイにしたいのだけどと言っていたが、その間、中の物はどうするんだと言うと、外に出しておくという。まあ、そんなに時間がかかるものでもないから、それでもいいけど、どうせなら今度の寒い朝に、中のものを外の日陰に避難させてその間にそうすればいいだろうと言ってあったが、結局平日だから、その仕事は小生がやる羽目になった。
 
 もっと早く思い出せば良かったが朝も大分過ぎて、それを思い出して慌てて、冷凍庫の中の物を裏に移動させて冷凍庫の中を空っぽにした、結構分厚い氷が張り付いていた。今朝は氷点下5℃近くまで下がったのでコンディションはよかったのだが、気が付いたのが9時過ぎで太陽も出てだんだん気温が上がり始めていた。それでも、まだ0℃くらいあった
 
 冷凍庫というものは「押入れ」と同じように魔法の箱で、箱の容量の何倍も中身が入っているものである、実に不思議である。一番下のものなんかいつ入れたのか分からないほど昔のものだ。結局本当に必要なスペースなんてそんなに要らないということがよく分かる。
 
 冷凍庫の壁面の材質は何だろう、たぶん熱伝導率が高いアルミ系の板なんだろう、冷えるのが早い代わりに温かくなるのも早いだろう思っていたがその通りで、結構短時間で分厚い氷の壁を剥ぐことが出来た。

 イブから一夜明けて、太郎、クリスマスプレゼントがどこかにぶら下がっているかと探すもパッとは分からなかったようで、ようやく袋を見つけて、中身のチェック・・・どうも浮かない顔をして釈然としない様子。どうしたの?・・・・・・うん、ソフトだけ入っとった・・・・ゲーム機本体は?・・・入っとらん・・・。サンタさん間違ったのかな、ちゃんとお願いしたか?手紙は書いたか?・・・・お願いした!書いた!・・・とサンタあてに書いた手紙を見せてくれた
 
 太郎は、今(というよりはもうかなり前からなのだが)、大人気のニンテンドーのスイッチとかいうゲーム機とスプラトゥーンというソフトが欲しかったらしい。
 
 どこかにあるのかもしれないと、あきらめきれずに、あちらこちら探している。陰でカミさんサンタにどういうことか?と尋ねると、どうも手配が遅れたかなにかで、用意できなかったらしい。
 
 様子を見ていて、カミさん、サンタさん間違ったか忘れたんだね、じゃあ、ちゃんと約束守って、家のお手伝いもちゃんとしたら、お正月に、お年玉で買ってあげるからと、納得させていた。太郎はフィンランドでサンタクロースが世界の子供たちに向けてプレゼントを携えて出発するテレビのニュースを見たりしているせいもあった、まだサンタクロースの存在を信じている。
 
 カミさんは、サンタに頼めばなんでも手に入るという安易な考え方はよくないから、サンタさんがくれるのは頑張ってもせいぜいゲームソフトくらいだろうだから、ゲームソフトだけプレゼントにした。そして、ゲーム機は結構の値段がするので、結局それを親が一生懸命に働いて買ってやるのだから、しっかりそのあたりのことを理解してほしいから改めてお年玉で買ってやることにしたということらしい(なるほど)。
 
 一方、娘は何も欲しいものはないそうだ、彼女は全く物欲がない、で、クリスマスと関係なしに、何か欲しいものができたらその時に、ということにした。

 昼前に圓通寺さんに年末のご挨拶に行ってきた、波野でお葬式が出たと、和尚お二人、ちょうどお出かけになるところだった。

 明日また雨のようだから、昼からちょっと薪を作っておいた、なかなか晴れが続かない。

 夕方太郎を学童に迎えに行って、そのまま太郎を連れて、先日、小生が「みやはら」で、車をガリガリやったお宅に、そろそろすべて処理が終わっただろうと、最後のお詫びのご挨拶に行ってきた。太郎を連れて行ったのは、この時代にすぐ近くに、小さな子で太郎という名前の子が二人もいるということが嬉しくて、先方の太郎君と歴史的顔合わせが出来たらと思ったのだが、あいにくとお昼寝中だった、またの機会を待とう。

 晩飯。冷凍庫掃除で、いろいろなものが出てきたし、昨日の残り物もある、「残飯整理」だ、たくさんのオカズを並べた、選り取り見取りだった。


平成30年12月24日 (月) 振替休日
 
 快晴。朝、久しぶりに霜が降りていた。夜は満月かと見まごうような見事な月が出ていた、満月は昨日だったようだが天気が悪くて見えなかった。ライブカメラに自動露出が働かないくらの明るさで映っていた。
    最低気温 0.9℃ (08:01)、最高気温 9.3℃ (14:33)

 休日なので、家族全員家にいて、本当にあわただしくなるにはまだ少し間があるので、なんとなく皆のんびりしていた。小生も、まだ年賀状にも手を付けていないが今年はなんとなく気持ちに余裕があって、まだ一週間もあるではないかと、ほとんど終日PCの前で過ごした。放置してあった録画サーバーの途中まで構築したファイルを点検して、このまま途中から整備を続けても良いような気もしたが、CentOS7も少しアップデートしていて、ほかのパッケージも少し古くなっているかもしれないので、この際、心機一転、最初からやり直すことにした。
 
 インストールディスクを作るところから始めるわけだが、ネットでisoファイルをダウンロードするのに、ADSL回線でダウンロードすると、4GB強のファイルに5時間くらいかかる。普段、映画などを見てもストレスは特に感じないが、このような大きなファイルを落とす時には回線の遅さが本当にこたえる。昼過ぎに始めて、夕方になってようやくDVDに焼き付けた。いろいろな条件で変わるのだろうが光回線だとどのくらいだろう、10分程度だろうか、もう少しかかるのだろか。

 16GBのUSBメモリが突然壊れた、修復しても4MBしか認識しない。廃棄かなと思ってとりあえず調べてみたら、「ディスク管理」でボリュームの削除をしてから改めてフォーマットしなおせば直ることがわかた、元に戻った、捨てなくてよかった。
 
 今日は、全国的にクリスマスイブだ、どこの家庭でも、特別な晩餐会をやったのだろうか。坂梨のお寺さん一家も今日はおそらくクリスマスイブだろう。我が家もカミさんが今日は休みだったので、バタバタせずに普段よりはちょっと特別バージョンの夕食になった、ハレルヤ、ハレルヤ。


平成30年12月23日 (日) 天皇誕生日

 曇りのち、雨。
    最低気温 7.7℃ (07:18)、最高気温 12.2℃ (10:30)

 朝、ボンの散歩を日が昇るころに合わせて家をでた。いつも子供たちを見送る場所よりは数百メートル山に近いのでその分、日の出は遅くなる。雲があり、見られるかどうかちょっと怪しかったが、待つこと久し、午前8時に山の頂上を昇ってきたご来光が坂梨一帯をサッと照らした。昨日の冬至が過ぎて今日からまた少しずつ日の出の時間が早くなるのだが、定点観測ではなかったので、実際にどうだったかは分からない。それに、冬至を一陽来復というが、気分的には新しい夜明けは今日だから、一陽来復という言葉は今日のほうが相応しいと思うのだが。

 そして今日も、日の出の一瞬だけ太陽が顔を見せたが、そのあとすぐに雲に隠れて、その後どんどん天気が悪くなっていった、神の御業だな。

 太郎とカミさんは朝早く定例のテニスレッスンで朝早くでかけて、これまたいつものように日が落ちてから帰ってきた。夏子は、昼から阿蘇神社に行った。正月に巫女さんになるのだそうだ、つまりはアルバイトである。彼女は前々から巫女さんの袴が着てみたかったのだそうだ。今日はその説明会があり、出かけて行ったというわけである。多分、大みそかは徹夜だろう、そのあと、元日二日はどいうローテーションなんだろう、寒いぞお〜。

 Windows10になってから、あまりよく分からないなりに、それまでのWindowsのバージョンから大きく進化しているということがなんとなく分かる気がする。Pythonも使える(なにもWindows10でなくても、Windows7でも使えるし、XPでも使おうと思えば使えるようだ。ただWindows10でLinuxが普通に使えることが分かって、Ubuntuを入れたりしているなかで知っただけだが)。

 ということで、Windows10にPython3をインストールした(写真1写真2)。でありながら直接WindowsからPython3を起動しないで、一旦Ubuntuを起動して、そのなかでPythonを動かしてみた(写真1写真2)。このPythonは今日入れたPythonでなくて、Ubuntuに入っていたPythonなんだろうか。Windowsから直接起動するPythonでなくてUbuntuに入っているPythonなんだろうか、同じものなのだろうか、別物なのだろうか。

 せっかくLinuxが分かりかけてきたので実用的な使い方を・・・うん、Raspberry Piがあった、でも、これは急ぐこともないだろう。そうだそうだ、意味が分からずにやって途中で放り投げているやつがある。Linuxで録画サーバーを作ることだった。我が家にはカセットビデオデッキが息も絶え絶えに動いていて、もしこれが壊れたら、そのあと、どうしようか考えていない、小生は全然困らないが、子供たちが全く無いというのも困るだろう。

 だから、優先順位から言うと、HP ProLiant MicroServerで録画サーバーを組み立てるのが先だろう。もうどくらい経つだろうか、二年か三年か、そのくらい昔になるのだろう。分からない上に更に当時どうやったか全く忘れてしまったので、とにかく箱を開けてみた

 それで大分思い出した、PT3というPCI Express x1対応のデジタル放送チューナーカードが挿してある。テレビ音痴の小生には意味があまり分からないが、なんでも、地デジ/BS/CSの放送波を各2TS(計4TS)同時受信できるそうだ、これにはB-CASカードや録画/視聴ソフトは付属しておらず、ソフトは自分で組まなければならない。ただ、B-CASカードは無くても、別のところからB-CASカードを借りてきて?ICカードリーダーでインストールすればOKだそうだ。裏番組を録画しながら放送を受信できるということだったと思う。確か、よく知らないが、コピー制限というのがないので10回以上コピーできるようなことだったと思う、別にこのシステムでは違法ではないようなことだったと思う。

 そこで調べたところ、小生は、昔(2015.6)にAmazonで当時11,780円で買ったという購入履歴がある。それが今では37,800円もする、この会社ではもう生産をしていないにも関わらず、需要があるので(と言っても量産するほどの需要はないので)、需給関係で在庫の値段が上がっているらしい。

 それからPCのケースの中を見るとハードディスクが入っていない・・・だんだん思い出してきた、ハードディスクは録画専門に使い、システムはUSBメモリーに入れて、そこから起動するのだった、だからシステムを組むときに間違ってHDにデータがいかないように意識的に外したのだった。見ると、確かに、ボードにUSBメモリが挿してあった。このUSBメモリに中途半端に組んだプログラムが入っているはずだが、改めてフォーマットしなおして最初からやることにしよう。昔ちんぷんかんぷんだったが、今は、制作マニュアルを読んでも、Linuxのことが、大体わかるので、迷うことはないだろうと思う。この放送受信や予約ソフトはWindowsでも組むことができるが、わざわざそのためにOSを買うのもばかばかしい、こういう時にこそ無料のLinuxでやりたいのである、これはCentOS7でやる。

 風呂から帰り道、坂梨交差点から帰ってきたところ、馬場のトンネル工事現場の施設に美しいイルミネーションが光っていた。普段は夜中まで作業をしているが、今日は日曜で休み、真っ暗ななかに、特にこのあたりは真っ暗なのでひときわ美しく輝いていた、なかなかイキな計らいである。豆札は今年はクリスマスイルミネーション、飾らなかったなあ・・・・心のゆとり、情緒の問題だな・・・・



平成30年12月22日 (土)  冬至(一陽来復)

 曇り。日の出は山さえも完全に雲に隠れて全く見えず。日没もちょっと期待させたが、結局雲の向こうに沈んでいった。今日はバカ暖かった、昼間など窓を開けっぱなしで掃除をしていたが全然寒くなかった。
 ・・・・
       最低気温 11.1℃ (03:41)、最高気温 16.8℃ (14:32)

 今日から子供たちは冬の休み、世間でも三連休のところが多い。珍しく家族全員家にいて、カミさんは大掃除らしきものをやっていた、子供たちも手伝っていたのか邪魔をしていたのか。
 
 小生は、分散して別の部屋でもやっていたパソコンの調整を、大体済んだので、本来の場所に移動させて、作業環境の整理をしたが、タコ足、イカ足配線で往生した。まだ整理途中であるがこれでWindowsでもLinuxでもなんでもござれ、である。

 ゆず湯を立てて久しぶりに太郎と入る、随分と久しぶりのゆず湯だった。夏子がゆずアレルギーでゆず湯に入ると体が痛くなるというのでここの所やめてたが、ゆずを切らずにそのまま浮かべるのならほかに香りが漂って大丈夫だからということで、いくつか浮かべて入った。以前はいくつかを半分に割って、布の袋に入れて、なかで揉んでゆずの成分をたっぷりお湯に溶かして入っていたが、それがいけなかったようで、浮かべるだけであれば大丈夫だったようだ。


平成30年12月21日 (金)

 雨のち曇り。朝のうち雨が残っていて、やがて上がって、このまま上がるのかなと思っていたら午後からまた雨になるという予報、だったのだが、どうもそれは外れたようで、時々薄日さえ射していたた、レーダーをみると九州をぐるりと取り巻いて雨雲らしきものがあったが、ずっと九州部分のみちょうど雲がかからない空模様だった
      最低気温 7.7℃ (02:19)、最高気温 15.0℃ (15:04)

 登校風景 日が昇らず、雲が重く垂れこめていて光が弱くて小生の暗いレンズでは光を集められず撮った写真はたくさんピンボケでようやく数枚なんとか掲載に耐える程度だった。
(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 今日は姉弟とも第二学期の終業式だった。太郎は終業式後、子供会のお楽しみ会で学校に迎えに来たバスで青少年交流の家に出かけた。太郎の話によるとお昼はバイキングなんだそうで、そのあと遊戯なんかして夕方近く世話役の母親と一緒に帰ってきた。姉は学校から帰る途中、クラスメートとジョイフルでお茶をして帰ってきた。中学時代は絶対にだめだったが、高校に入ってお茶をするくらい少しは自由ができたらしい。もっともこの辺はファミレスのジョイフルくらいしか入るところは無いのだろう。
 
 肝心の二人の学業成績、小生は全く通信簿は見ないので、どうだったか全く知らない。

 Microsoftアカウント?・・・・なにそれ、さっぱりわからん、腹が立つなあ、別に欲しくなんかないのだから、面倒くさいことをやらせるなよ、PIN?なんだそれは、余計なお世話だ。

 昔の「電管」、今はなんと言ったか、熊本駅前にある総合庁舎から電話があり、先日再免許の申請をしていたアマチュア無線の移動局の免許が下りたので都合のいいときに免許状を取りに来るようにとのことであった。郵送依頼もできるが、普段あまり下界に下りる機会がないのでたまには下りてもいいかなと思って窓口受取りを希望しておいたのだ。電子申請で手続きをしたので、電子メールで連絡があるかと思っていたと言ったら先方の係官、電話のほうが手っ取り早いから、とのこと、でもそれ、ちょっとヘンじゃない?電子申請で手続きをしたのなら電子メールで完結すべきでしょう、でないと記録が残らないでしょう。


平成30年12月20日 (木)

 ずっと降りそうで降らないどんよりとした薄暗い一日だった。夕方近くになってようやく弱いながらも雨になった。
      最低気温 4.8℃ (01:14)、最高気温 13.1℃ (15:00)

 随分と長ったらしい名称だが、「第22回 熊本県高文連吹奏楽専門部新人コンクール」が熊本県立劇場で催され、夏子は朝まだ暗いうちに出かけて行った。彼女は高校ではもう吹奏楽はやっていないが、今回のコンクールではピアノのパートがあるそうで、特別にピアノ演奏で参加した。大分前から練習をしていて今日がその本番だった。終わって帰ってくるのが夜の9時過ぎだとかで日記を書いている時分にはまだ帰ってきていない。

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 朝一番で床屋に行ってきた。
 
 予報では今日は雨だろうということだったので、薪材の積み込みには行かないつもりだったが、雨が降り始める兆候が見えなかったので、午前中一回だけ、青少年交流の家まで薪材の積み込みに行ってきた。
(写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 晩飯 オムライス


平成30年12月19日 (水)

 晴れ。(写真1写真2写真3写真(7:51)
     最低気温 -2.1℃ (07:33)、最高気温 10.9℃ (13:40)

 
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 今日は忙しくて、夜日記を書くときになってようやくPCのスイッチを入れることが出来た。今日も交流の家に、桜の幹を積み込みに、午前二回、午後二回行ってきた、たくさんもらってきた。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 
 最後の運搬で、過積載なので、なるべく街中は通りたくなかったのだが、晩飯の支度が間に合わなくなるので、薪材を積んだまま汚い作業服のまま、みやはらに寄って、晩飯の食材を買い求めて、帰り着いて、積んできた薪材を下ろして、昨日作って放りっぱなしにしてあった薪を山ほど小屋に運び入れて、軽トラックの掃除も後回しにして、太郎を汚い作業服のまま学童に迎えに行って、それから、飯の支度にとりかかって・・・と今日はコーヒーを飲む時間さえ無かったほどだった。

 運んだ薪材はどれも太くて重たいやつばかりで、今回ほどクレーンの威力を感じたことは無かった。

 最近、時々、右の瞼がひくひくするけど、これなんなのだろうか。ネットで調べると眼瞼ミオキニアと言うらしい、これと言った正確な理由はわからないようだが、自然と治るらしい。

 太郎、水泳教室。二月に一度の認定試験日だったが進級しなかったそうだ、またライバルに水を開けれられた、悔しかったらもっと真剣にやれ。

 晩飯。ハヤシライス、コールスロー。



平成30年12月18日 (火)

 今日も雲が多い日一日だった、ここは日本海側の気候だから冬場はカラっと晴れる日があまりない。
      最低気温 2.4℃ (08:00)、最高気温8.1℃ (14:07)

 登校風景。日に日に日が昇るのが遅くなって、子供たちが通過した後20分くらいして太陽が山の上に顔を出す、さっさと引き揚げればいいものを、頑張って居残って日の出を撮る。今日は雲が多くて、太陽は見えないままかなと思って帰ろうとした瞬間、稜線を越えて太陽が昇ってきた(7:50)、そして瞬く間に雲の向こうに隠れてしまった。ほんの一瞬の光だった、まさに僥倖である。この僥倖という漢字、全く光とは関係がない漢字だがなんとなくこの場の雰囲気に合う。この日の出は冬至を境にまた少しずつ早くなるのだが、冬至の日の日の出を、と思ったが、もう冬休みに入っていて、小生がこの場所に立つ予定はない。 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9

 貴重な晴れ間を縫って、薪作りをした、きれいで乾燥した木もたくさんあるが、ビンテージものを使ってしまわないと腐ってしまうし、せっかく持ってきた木だ、こちらから先に燃やしてやらなければと、古い木を玉切って、半割にした。柿の木は相当太くても、パカッと割れて気持ちがいい。
 
 昼からも続きをやっていると、交流の家のS賀さんがひょっこり御入来、しばし、コーヒーブレーク、二階に上がっていただいて、改めて自己紹介やらお互いの生活環境などについて歓談。

 横浜のJTQが浅田次郎の「天子蒙塵」の三、四巻を送ってくれた、これは非常に嬉しい。一巻二巻も以前(29.9.4)送ってもらってあって、全巻揃ったらと読まずに置いてある。これで浅田次郎の「蒼穹の昴」シリーズが完結する。全部書棚から出してみた。「蒼穹の昴」、「珍妃の井戸」、「中原の虹」、「マンチュリアン・レポート」、そして「天子蒙塵」、もう20年ほど前に「蒼穹の昴」を読んだときに、その先こんなに続くとは思ってもみなかった。「蒼穹の昴」が評判が良かったので、勢いで後日談的に「珍妃の井戸」が出されたのだろうくらいに思っていた。作者は最初からこの長編の構想はあったのだろうか。
 
 延々と続くことが分かって、改めて「蒼穹の昴」を読み返して、その続篇を読み継いできた。最近は本は買わずに図書館で借りることにしているが、このシリーズはじっくりそしてこの後も複数回読むことになるだろうと「中原の虹」は文庫本を買って、「マンチュリアンレポート」は中古を買った、そして「天子蒙塵」jtqが送ってくれた。これで全シリーズがそろった。この、「天子蒙塵」を読んだ後、しばらく経ってまた最初に戻って読み返すかもしれない。
 
 ただ、今は吉川英治の「私本太平記」のあと、「新平家物語」を読んでいる、こればまた大長編で非常に面白い、歴史的事項を確認しながらじっくり読んでいるので、「天子蒙塵」はもう少し先になるだろう。本を読む喜びがあるので幸せである。
 
 夏子は今日は学校が引けた後(午後7時ころ)友人と、ジョイフルで一緒に食事をして帰るから、こんばんは太郎の好きなトロロ汁でいいわよ(夏子はあまり好きではない)、と言って出かけて行った。ということで、晩飯は太郎と二人でとろろ汁。夏子が食事をするファミレスのジョイフルはカミさんの職場の道を挟んではす向かいにある。朝、食事が終わったらお母さんに電話をして迎えに来てもらってついでに勘定も持ってもらえと言ったら、エへへ、そうね、と言っていた。



平成30年12月17日 (月)

 曇り。気温は低くなかったが風があったので体感的には寒い朝だった。
      最低気温 4.6℃ (但し18:39現在、夜になって下がってきている)、最高気温 7.6℃ (12:21)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 登校見守りが終わって、三月ごとの検診で熊本高野病院へ行く。三月ごとに採血のみだったり、CTが入ったり、また、内視鏡検査があったりといくつかの組み合わせがあるが、今日は採血とCT撮影だった。朝食欠食で行って、造影剤を打って撮影、この造影剤は体がカッと(暑くなるより)熱くなるが、どんな薬剤が入っているのだろうか、これを打つと寒いときには一気に体が温まるだろうな。結果はもちろん異状無し、次回は三月だ。
 
 不思議と小生が病院から解放されるのは昼も大分過ぎてだ、だから、朝食抜きもあって、だいたい浜勝でとんかつを食って帰ってくる。店も昼食時間の混雑が過ぎていて、一人で入っても気兼ねなく座れる。一人用の座席なりカウンターがあれば気が楽なのだが、混んでいるときに一人で行くのはどうも気が引けていけない。小生は別に相席でもかまわないのだが、向こうにいるときはそれが結構普通だったような気がするが、こちらに来てからは一度もそんな経験がないが、これは文化なのだろうか。

 ご近所から玄米30キロ入手してコイン精米機でゴリゴリしてきた、どうも最近コメの消費のピッチが少し早いなあ。

 太郎のやつに、先日、余った刺身で翌朝、「まぐ茶」を作ってやったら、これがいたく気に入ったようで、まぐ茶が食べたい、まぐ茶が食べたいという、僕は一番好きなのはウナギで、二番目はまぐ茶だ、とトロロ汁を追い越してしまった。それで、こんばんは刺身にして、なるべく余るようにして明日の朝はまぐ茶だ。


平成30年12月16日 (日)

 曇りのち雨。
    最低気温 -2.3℃ (02:35)、最高気温 7.2℃ (但し17:56現在、夜になって上がってきている)

 昨夜は丁度丑三つ時が一番気温が低かったようだ、朝にはかなり上がっていた、氷点下だったか0℃を上回っていたかは記憶に無い。車のウインドウはガチガチだったような気がする。
 
 朝早く、太郎と母親はテニスのレッスンに出かけた(そして遊びまわって夕方に帰ってきた。よくもなあ毎日行くところがあるものである)。夏子は今日も部活で出かけることになっていて、ちょうど出かけるころになって雨になったので、仕方なく、送っていった(そして昼頃また迎えに行った)。
 
 小生は、昼頃から雨になるという予報だったので、午前中に一回くらい薪材を運べるかなと思って、準備をしていたら、8時過ぎにはもうポツリポツリ雨が落ち始めたので、今日の出動は取りやめて、終日PCの前に座っていた。
 
 昼頃、夏子を迎えに行って帰ってくる途中、家の近くの道路が冠水しているのを見て、いつも、雨が降ると歩いて渡れないほど水たまりができて、太郎(ともう一人、ここを通る登校班はR君の二人だけだが)たちが、渡るのに難渋しているので、今度水はけをよくしてやろうと思いながらいつも家に帰ると忘れていたのだが、今日は、昼食後、夏子が、水たまりの工事に行くのでしょう?と思い出させてくれたので、スコップを持って出かけて行った。
 
 もともと低くなっているところに、道路の両側が泥で盛り上がって水の逃げ場が無くなっておりちょっとした池のようになっている。両側の土を少し削って水の通り道を作ってやって用水路に排水した(写真1写真2)。橋のほうが高くなっていて雨が降っている間は常時、橋のあたりに降った雨が下ってくるので、完全に水が無くなることは無いが、
 一休さんではないが、ハシを渡らずに真ん中を通れば、長靴でなくても渡ることが出来るようになった


平成30年12月15日 (土)

 朝、見守りに出ないと今朝の天気はどうだったろうかと考えてしまう、記憶がすぐに飛んでしまう。
 そうだ、そうだった、放射冷却で今朝は結構冷え込んだのだった。もうかなり冷え込むことが常態化してきたので、特にどうという感想は無いが、これが氷点下10℃くらいまで下がると、下がった下がったと騒ぐことだろう。
   最低気温 -4.3℃ (07:38)、最高気温 10.5℃ (14:48)


 朝早いうちに太郎はカミさんと一緒に南小国に出かけていった。なんでも、カミさんの仕事絡みのイベントがあって太郎はそれに動員されたのだろう。カミさんの仕事は直接間接に地域興しや観光事業に関連しているので結構イベントで休日なんか仕事半分で出かけることがある。夏子は学校に部活ででかけた、自分の部活でなくて吹部の応援奏者としてでかけたようだ。カミさんが朝慌ててでかけて夏子の弁当を作るヒマが無かったので、小生が昼ころ、コンビニで適当に見繕って届けた。
 
 小生もついでにコンビニで昼食を買ってそのまま、青少年交流の家に薪材の積み込みに行って、大自然の中で昼飯を食いながら、薪材を積み込んできた。
 
 今日の一回目は、先日積んだ木よりも少し大きな木だったが、前回の経験を生かして、今日は一発で無事に載せることが出来た、100点である。二回目は、これがまた大きな木で、バッテリーの電流容量が足りなくてどうしても揚げきれず、少し切って軽くしてようやく積むことが出来た。今日は交流の家のS賀さんも、作業中だったので、抱えられる程に切った木を応援を得て載せる事ができた。夕方もきれいに晴れていたが、明日はまた天気が下り坂だという、薪材積みに行けるかどうか。
 
 それにつけても、エンジンの力というものはすごいものだと改めて感じた。たかだか排気量660CCの小さなエンジンがあんなに重いものを積んで坂道を物ともせずに走るのだから。

 晩飯、到来物の「うなぎ」、である。太郎、美味しいねえ、とろろより好きだよ(そりゃあそうだろう)、また食べたいねえ、お母さんに言いなさい。カミさんはこども会の寄り合いがあると言ってでかけていった。


平成30年12月13日 (木)

 曇りの一日、夜になって、透き通るような星空が広がっている、今晩はふたご座流星群が最大だと言っていたなあ・・・・
       最低気温  -0.8℃ (但し21:32現在 3現在、夜になって下がっている)、最高気温 7.2℃ (13:29)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 今日の外作業は、先日切った薪を小屋に投げ込むくらいだった。そのほかこれと言ったことはしなかったのにあっという間に一日が終わってしまった、PC作業はやったけど。
 
 国道57号線滝室坂トンネルの本工事に向けて着々と準備が進んでいる。反対側の波野口はもうトンネルの掘削が始まっていると思うが、西側のここはこれからである。全体が収まるように写真を撮ると正面奥の白い所にトンネルを穿つ、そこからまっすぐに写真の撮影場所方向に向かって道路が出来る、そのための地質調査のボーリングをやっている。ズームでみてみると白い壁面にアーチ型の線が見えるが、このラインに添ってトンネルを掘っていくのだろうか。もう既に真夜中までライトが煌々と照っている。 

 3月期決算の株主総会の日時が全国的に集中するように、今日は全国的な忘年会の集中日なんだとかラジオで言っていた。来週は家庭優先のクリスマスと近接しているからだそうで、そういうことから今晩なのだそうだ。そう言えばカミさんも今晩は忘年会だと言って出勤して行った、小生は全く忘年会とは縁が無くなった。ということで、カミさんがいなので、それ、今晩はカキフライだと我ら三人は張り切っていたが、どうしたことか今日に限ってカキがどこにも売っていなかった、海が荒れるとかそんなこととは関係がないだろうが、残念ながら今日はカキフライを食べそこなった。急遽予定変更である
 
 冒頭に流星群のことを書いたが、9時過ぎから外に出てみたが、20分ほどの間に4個流れるのが見えた、いつも期待はずれの事が多いが、今夜は見えたほうだろう。小生が先に見ていて3個見たところで、夏子に言った所、彼女も外にでてきて、すぐに一個見えたので二人して満足して家に入った、とにかく今夜は冷え込んでいる。


平成30年12月13日 (木)

 久しぶりにキリリと空気が引き締まって気持ちのいい朝だった(ん?ちょっと表現がオカシイか?引き締まるのは「身」だったかな)。
    最低気温 -2.1℃ (07:45)、最高気温 6.3℃ (12:49)

 登校風景 日の出がかなり遅くなって、最後の子どもたち(今日も太郎だったが)が通過してしばらくたってからようやく山の端に太陽が顔を出した、冬至まであと少しだ。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 
 毎朝立っていると、旧坂梨小学校校歌 ♪阿蘇の山なみ赤々と 照らして今日も滝室の 峠に朝の日はのぼる・・・♪ この歌詞がシミジミと実感できる、幸せである。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 ここのところ、台所のシンクの排水がスムースでない。又、詰まってきている。この3月に大騒ぎしてきれいにしたばかりだ、それまで家を建てて十数年間詰まらなかったのに、わずか10ヶ月にもならないのに今回また詰まってきている。今度はトラップが排水口のところにあるのが前回でわかったので、裏に回って、排水口の蓋を探そうとしたところ、草に埋もれて何処だったか全くわからない。ようやく探し当てて蓋を取って見たところ、コレステロールで塞がり気味になっていた、その部分にパイプ洗浄剤をかけて、ついでに、流しの口のところにもかけて排水の流れが戻った。

 午前中はその他にPC作業。昼から一時間ほど薪を作っているところに予告どおりJLZ御入来、阿蘇に残してある畑の草刈りなどで下から上がってきたそうである。明日明後日は天気がいいようだから、切った薪はそのまま放置して、家に上がる。
 
 JLZは道楽の作品持参。ここのところSDRを使った電子工作などに夢中なようで、どうだ!とばかりに披露。前回はHF無線機だったが、今回は広帯域ラジオ受信機(でいいのかな)、小さなディスプレーに受信周波数が美しいグラフで表示される、素晴らしい、今や真空管などの時代と完全に違う再生方式、もはやSDR抜きでは高周波は語れなくなっている。それから自作のアンテナアナライザー、これもアンテナの同調具合がグラフで表示されて中心周波数が何処で、今、このアンテナがどのあたりの周波数にマッチングしているか、などがひと目で分かる。これらの電子工作に使うプログラムはLinuxで組む、ということで、しばしLinuxの話に花が咲く。(写真1写真2写真3
 
 小生は、今日は、ホームページを作るソフト、「ホームページ・ビルダー」のインストール。今まで使っていたバージョン(V12)が、Windows10では、使えないので、やむなくアップグレード版(V21)のホームページビルダーを買って、インストール。

 しようと思ったが、入らない。アップグレード版だから今使っているインストールCDを挿入してバージョンを自動的にチェックして、アップグレードが進むのかと思ったら、このアップグレードは(今使っている)バージョンのユーザーIDを入れるように要求してくる。面倒なので当時ユーザー登録などしないで使ってきた。そこで(JustSystem)サポートセンター電話をしてかくかくしかじかと説明したところ、親切に応対してくれて、正規ユーザーということがわかったので、電話で、ユーザーIDを発行してくれた。
 
 それでこの後は順調にインストールが進むのかと思ったら、ソフトの基本設計が長い間にすっかり変更になったようで、今入っている過去のデータを全部今風にデータ変換しないと駄目だようで、又この作業で暫く無駄な時間を費やすことになる。
 
 HTML文書が書けたらこんなソフトは使わないで済むのに、もう十数年も前にワープロ感覚でホームページが出来る、このソフトを使い始めたのがかえって仇になってとうとう自分で覚える機会を逸して今日に至っている。これもプログラム言語(正確には違うが)だから、覚えようと思えば覚えられるのだろうが、他に覚えたいプログラムが色々ある。

 晩飯。炊き込みご飯。


平成30年12月12日 (水)

 今日は一日中雲がかかって薄暗い一日だった、明日の朝は気温が下がるそうである。
    最低気温 2.0℃ (但し19:44現在、なお降下中)、最高気温 7.7℃ (00:50)

 登校風景。もう日の出が遅くなっており、天気が悪いと登校時はまだ薄暗くて、街路灯の自動センサースイッチがまだ消灯Fにならずに点灯したままだ。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 今日も一日PC作業で明け暮れた。
 
 太郎、水泳教室。
 
 カレー


平成30年12月11日 (火)

 ほとんど弱い雨が降る一日だった、それでも朝のうちは雨も上がってたのだが。
    最低気温 3.1℃ (01:18)、最高気温 8.6℃ (16:05)

 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6) 

 雨で外作業は休み。

 今のメーラーはMicrosoft Outlook2007(サポートは終わっている)であるが、新しい旗艦にメールのデーターを移動させようと思って、いろいろチェックをしてみると、昨日削除済みのメールBOXにあるメールを更に完全に全部削除したはずなのに、またたくさんのメールが入っていて、しかも、数年前から雄本来削除すべきでない受信メールや送信済みメールが混在してゴマンと表示されている、しかも拾い読みをしてみると、読んだ記憶がない(忘れたのかも知れないが)メールがたくさんある。最近もこのOutlookときどき変だなあと思うことがある、もしかしたら、受信したのに気が付かないままのメール、送信したつもりの返信メールが実際には送信されいなかったと言うようなメールがあるのではないだろうかと心配になってきた。どなたか、この日記を読んで、そう言えばメールを出したのに、ナシのつぶてだぞ、というお心あたりの方はおいでにならないだろうか。このあたりが電子情報とは心もとないところがある。

 興味のない人には全く関係がないが、今話題のRaspberry Pi 3 model B+ が届いた。通称ラズパイというワンボードマイコンというより、りっぱなパソコンである。Linux仕様である。もともとはイギリスで教育用に開発されたパソコンであるが、今や、これを使って、色々な事が出来て、大いに賑やかになっている。
スペックも、
  CPU:クアッドコア1.4GHz
  GPU:1GB 250MHz
  通信IF:2.4GHz、 5GHz IEEE 802.11.b/g/n/ac WIFI1Gbsイーサネット PoE対応、Bluetooth 4.2

で、下手をすると小生の持っているパソコンよりも高機能である。この手のひらに乗るほど小さなPCの価格、本体部分だけで、6千円弱である。これにキーボードやマウスやモニターを付けるとちゃんとしたパソコンになる、ハードディクスの代わりにSDカードを使うが、精々1万円ちょっとでパソコンの環境を作ろうと思えば出来るのであるが、これを使って色々な装置を動かしたりするこれから注目のIOTに大いに力を発揮する。

 さて、先ず最初に小生は何をしようか。当初はこれを使ってAlexaをしたかったが、当初はこれ単体でAIが出来るのかと思ったら、最近流行りのハンディの翻訳機と一緒で、インターネットの向こうにある大きなシステムにつないで言葉をやりとりするクラウドベースの音声認識サービスだということが分かって、ちょっとがっかりしている。で、それじゃあ何をしたいのかと言うと、APRSのI-Gate局をこれで作りたいと思っている。今もなるべく省電力でと思っていても、小型のノートパソコンと、アマチュア無線機とTNCを使ってやっていて、24時間運用だから結構電気代が掛かっているのだろうと思うが、このラズパイでやるとSDR(ソフトウェアラジオ)ドングルだけで、送信はできないが、受信専門のI-Gte局としてインターネットに流してサービをすることが出来る。このシステム構成だと劇的に電気代が安くなるのではと期待している。

 でも今やることが詰まっているので、ラズパイを触りだすのはもう少し先になるだろう。これもLinux(raspbian)だぞ〜い。

 太郎は夕方から母親に連れられて山の下の耳鼻科に定期通院して8時ころ帰ってきて、くたびれ果てて風呂にも入らないで寝てしまった。宿題をしていないだろう、明日の朝が大変だ。


平成30年12月10日 (月)

 雲が多かった。(写真1写真2
    最低気温 -1.4℃ (00:00)、最高気温 7.0℃ (12:46)
 

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5

 午前中、PC作業をしていたら、「先日話をした桜の木、要らんと?」と仁美さんから電話が入った。実は少し前に、交流の家で桜の木を切るから欲しければどうぞ、という案内をもらっていたのだが、その時に、他にも何人かに声がけがしてあるということだったので、競争をして取り合いになるのも嫌なので、今回は辞退しようかと思ってそのままにしておいた。今日の電話では、まだたくさんあるから一度見に来ればとのことだったので、昼まで少し時間があるので、現地調査に出かけた。
 
 場所は青少年交流の家の施設のいちばん奥で、もう阿蘇山の直下くらいの場所にたくさんの桜の木が切り倒してある。勿体無いですねと言うと、担当の人が、全部テングス病にやられて切らざるをえなくなったとのこと、それで、見ると、太い幹ばかりが、あちらこちらに倒れていて、一般に薪にする太さの木はもう皆んなが持っていって、残っている木は、簡単には運べないし、運んでも普通燃やす大きなの薪にするのは、大変なので、もうほとんど誰も来ないのではという風であった。

 小生の場合は、太い木は大歓迎であるし、太い木を吊り上げる道具もあるので、喜んで頂戴しますと言って帰ってきた。そして、昼食後、とりあえず、試しに少し運んでみて、その具合で今後の予定を立てようかと準備をして出かけた。
 
 場所は、もう山に入り込んでいるようなアップダウンの激しい場所で、空車は登れるけど、重い木を積んで登れるかなあというような坂もある。また木が倒してある場所は傾斜地ばかりで、トラックをどう停めて、どういう段取りでクレーンで吊り上げるか考えた。
 
 考えながら、横道に逸れて、こういった場所は、馬に乗るのに最高の場所だ、ここで馬を飼って、来場者に馬に親しんでもらえばいいのに、全国に何か所か青少年交流の家があるが、地域の特色を活かして他では真似の出来ないことをやればいいのに、それには馬だろう、もし馬の世話が大変なら小生が牧童として買って出るのに、ここで馬を乗り回す、気持ちがいいだろうなあ、などと妄想を膨らませた。
 
 閑話休題言帰正伝。とりあえず、実際に太い木を一本積んでみることにした。傾斜の下側で吊ると、ただでさえ、傾いている所に荷重がかかると、横転する確率が高くなるので、当然、反対側の傾斜が高い方で吊って載せるのが正しい方法だろうと、そちら側にアウトリガーを出して、吊り上げた。
 
 そこまでは良かった。小生のクレーン、クレーンとは名ばかりのジブクレーンのようなもので、首を振る部分は、機械動作で回るのではなくて、フリーになっていて自由に扇形に旋回する(手でさせる)、回しながら止めたり、停めてま又回すと言ったことは出来ない、だから、水平のところで吊る分については、吊った状態で手で押すと押した分だけ重いけどブームを旋回させることができる。 

 ところが、今日の場所は傾斜地なので、吊り上げて荷台の上に木がきたなと思った途端に、ブームが低きに流れて、木を吊ったまま反対側にぐるりと回って、荷台を外れて向こう側に行って吊ったまま空中静止状態になってしまった。
 
 一応はそういうことも予想していたので、ブームは最初から一番短い状態で吊っていたので、もし、ブームを長くしておいたら、ブームが反対側に回った時に、重さに耐えかねて車は恐らく横転していたのではとヒヤリとした。とにかく吊ったままだと、かなり危ない感じだったので、木を荷台に戻そうとしたが、木が車の何処かに引っかかっているようで、上がらない、で、とにかく重心を下げなければと、急いで木を地面に降ろして、重力から開放してやった。
 
 そして、改めて、車の位置を調整して、慎重に荷台の上に木を吊り上げてなんとか載せる事ができた、いやいや危なかった。
 
 昔、工場で起きた事故で、倒れてくる鋼材を絶対無理なのに体で抑えようとして下敷きになった話を聞いたことがあるが、その気持がわかるような気がする、このような場合、車の横転を手で抑えようとする気になるものである、万一の場合は、離れて、横転するに任せるしか無いのだ。そう言えば、地元の知りあいで、坂道に停めてあった軽トラックのサイドブレーキが外れたか甘かったかで、車が坂道を後退するのを体で止めようとして、停めきれずに轢かれて入院した人がいた。 
 
 なんとか一本載せたのでもう一本載せようかと思ったが、急坂を登らなければならないので、とりあえず今日は「試し」だと思って一本でやめて帰ってきた、坂道は楽勝だった。この作業で往復ちょうど一時間だった。いろいろと今後の安全作業の参考になった。
 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 今日午前中にやったPC作業。今使っているメールソフトはOutlook2007で、大量のメールが保存してある。WIndouws10のメールソフトはOutlookComだったか、これはわかりにくい、評判を聞いてもやなりあまり良くない、それに、今使っているOutlook2007のデータをそっくり移動させなければならない。で、調べたところオープンソースのThunderBirdというメーラーがある、これはMicrosoftのOutlookとほとんど同じようなスタイルで、Linuxにも同じソフトがある。これにしようと決めて、準備を始めている。ただ、最新のバージョンではOutlook2007を直接インポートできないので、敢えてちょっと古いThunderBirdに一旦インポートしてからアップグレーで最新バージョンに持ってくるという手順を踏まないと行けないようだ。というようなことをやっている所に、木は要らんと?という電話が入ったのである。
 
 晩飯。野菜たっぷりの味噌仕立てのいわゆる「芋煮」というやつか、我が家では牛肉を使った「さつま汁」と言っている。大量に作った(出来たしまった)。



平成30年12月 9日 (日)

 今日も冬景色が広がる、古閑の滝も昨日よりは氷結が進んでいる、明日までは気温が低いようなので凍っているだろうが、明後日は気温が上がるそうだ。今日は日中の気温が低いままだった。
      最低気温 -1.6℃ (06:53)、最高気温 3.8℃ (14:53)

 太郎と母親は、朝早くからテニススクールに出かけて、夕方帰ってきた。夏子は階下で一日勉強をしていた(が、しょっちゅう居眠りをしていた)。

 最近旗艦PCの調子が悪くて、時々突然落ちる。だから、こまめに保存しながら作業を続けている、でないと、それまでの作業が水の泡になるからである。今日、メモリチェックをしてみたがメモリには異常が見られなかった。まあ近々旗艦を変えるからいいようなものだけど。
 
 旗艦の交替を少しずつ進めながら、今日は、Windows10でLinuxを使う環境、WSLを入れて、LinuxのUbuntu18.04LTSをインストールした。
 
 普段の作業場所が手狭で足の踏み場もないくらいなので別の部屋で新たに店開きをして急場をしのぎながらPC作業をしている。

 Linuxが起動したターミナルの画面を見ると嬉しくなる。少し前の小生にはおよそ考えられないことである。

 最初に sudo apt update と sudo apt upgrade というコマンド処理やらなければならないのに、その前に嬉しさの余りちょっと打ってみたが、update upgrade は、それらとはとりあえず関係が無い部分なので、改めて、update と upgrade をしておいた。
 
 Linuxでは新しくソフト(パッケージ)をインストールする場合には、インストールするソフトは既にインストール済みの他のソフトと色々な形で関連しあっているので、それを依存関係というのだが、その依存関係を正常に保つために、必ずやることは、先ず、今既に入っているソフトのバージョンが仮に古くても、古いなりに、そのバージョンの最新の状態にupdateして、その後で、もしバージョンが新しくなっているのなら、それから新しいバージョンにアップ(upgrade)して常に新しいLinux環境を維持するようになっている。

 この様に、常にチェックをするようになっているから多分、ウイルスセキュリティーソフトは要らないのだろう。これら一連の作業は、コマンドを打ち込むことでネットを介して自動でやってくれて、処理はWindowsの更新よりはるかに早い。

 又、Linuxの操作は管理権限者とユーザーを厳格に分けられていて、コマンド操作も、ユーザーレベルで出来ることと管理権原者でないと出来ないことがある。だから管理権限者であっても安易に操作できないように、普段はユーザーとしてログインして、必要に応じて管理権限者としてのコマンド操作をするのだが、一時的に(そのコマンドだけ)操作する場合に、sudo というコマンドを使うのだが、このsudoを使うと必ずパスワードを問われるので、普通、個人が一人で操作をする環境では管理権限者=ユーザーだから、上で操作した、sudo apt update sudo apt upgrade の時にも使用したユーザーのパスワードを使えば実行できる。
 
 だから、root(管理権原者)のパスワードも当然そうなっているのだろうと思って、rootに移動してコマンド操作をしようとしても、管理権限者として登録していないので受け付けてくれず、改めて、rootのパスワードを登録しなければならないようだ。
 
 確かに、WSLでLinuxをインストールした際にはユーザーのIDとパスワードは登録したけど、rootのそれは登録していない。でも、sudoはユーザーのパスワードで実行できるのだから、オカシイといえばオカシイ。それでも、改めて、rootのパスワードを登録しておいた。
 
 小生がこのような能書きを言うようになったのだから、素晴らしいではないか、見よ、小生のいきなりのLinuxのこの進歩ぶり、誰も褒めてくれないので自分で自分を褒めておこうか。

 ubuntuをインストールしたら、続けて日本語化を忘れずにするようにと、どれを読んでも日本語化の手順が書いてあるが、うっかりして忘れたところ、それでも日本語がちゃんと使えているようである、これ、どうしてなんだろう。ロケールを見ると、c.utf-8 とある。このCはC言語のCなのだろうか、ようわからん、これでも日本語が使えるのだろうか。どこかにLinuxを最初にインストールするとデフォルトは「en_US.UTF8」なので「ja_JP.UTF8」にするというようなことも書いてある。じゃあこのC.UTF-8は何なのだろう。


平成30年12月 8日 (土)     

   最低気温 -0.7℃ (05:15)、最高気温 4.9℃ (13:28)

 雲の合間から山の頂上付近が白くなっているのが見えた、これは初冠雪か、いやいや樹氷(霜)か、昨夜はここ平地でも少しの降雨記録があるから雪だと思うのだが、初冠雪の現認は気象台や測候所から職員が見て判断するそうで、一般人が見てもダメなんだそうだ、それに気象台などの無い、たとえばこの地の場合は、市役所の職員が現認しなければならい、のだったかな、今日は土曜日で公務員は休みだ、そうなるとどうなるのだ。
 
 と思っていたところ、阿蘇山に初冠雪があったという熊日のニュース速報が流れた。そして、夕方風呂で市職員のIさんに会ったのでそのことを話したところ、なんでも総務課の職掌になるようで、課員の一人が朝起きて自宅から冠雪を確認して、課員が出勤して、意見をまとめて報道に流したということであった。(写真1写真2写真3写真4

 それに今朝はそれほどの冷え込みでも無かったが風があったのだろう、古閑の滝も縁のほうが少し白く凍っているのが遠くからでもわかった。ようやく阿蘇も冬景色になった。

 高森町の体育館(って何処にあるのだろう、あちらこちら走っているけど目についたことないが)で大相撲の地方巡業があり我が家の三人組は朝食もそこそこに出かけていった。それに先立ってカミさんが切符を取るけど小生にも一緒に行かないかと打診してきたが、謹んで辞退した。相撲が好きなら向こうにいた時に本場所を観ようと思えばいくらでも観られた環境にあったが興味がなかったから一度も行ったことはなかった、それが、ここにきていくら大相撲と言ってもいわば、顔見世興行、オープン戦だ、小生が行くわけがない。しかし、オープン戦であっても、相撲の好きな人で本場所に行けない人たちにとっては又とない相撲観戦の機会だろう、皆さん楽しみしていただろう、それなのに、なんだ、いわゆる花形力士軒並み欠場、加えて暴行事件で引退力士まで出る始末、それで入場料は同じなのか、ユルフン相撲協会よ、イナカを舐めるな、お詫びの印に半分くらい返金したらどうなんだ。
 
 と腹のなかで思いながら連中を送り出したが、夕方、帰ってきて、こどもたちの第一声、「白鵬きたよ!ちゃんと相撲とったよ!勝ったよ!」だった、そうか、それは良かった、せめてそのくらいはしないとな、顔見世興行なんだから。怪我で欠場してる力士も高い入場料を払っているだから、マワシを締められなくてもせめて顔を出して、欠場してゴメンナサイと謝ることくらいやったらどうなんだ、それでお客さんは満足するのだ、これは、ほれ、誰だったか、それ、そうだ、稀勢の里、アンタに言っているのだ。名前を忘れるくらい土俵から遠ざかっているから思い出すのに時間がかかったぞ、会場でもそういう声をたくさん聞いたと言っていた、心せよ。
 
 面白かったか?ウン、面白かった、握手もした。それは良かった、良かった。弁当と湯呑をお土産に買ってきてくれた。顔見知りも何人か見えたそうだ。
 
 小生は、ゆっくりのんびりパソコン作業。vostro420はRAID(ミラーリング)を組んだPCだったのを忘れていた。全く気にすること無くアップデート作業をしたけど、ちゃんと問題なくRAIDは機能している。これはRAIDの設定はOS以前のBIOSレベルだから、OSには関係がないのだろう。それから、ケースを開くと、TVチューナーカード(GV-MVP/VS)がB-CASカードが入ったまま見つかった、WindowsXP時代に一時入れて使っていたのをテレビを観ないので忘れて、そのままになっていて、今回のアップグレードにはこのカードは対応していなかったようで、無視されてただ挿さっていただけのようだ、取り外しておいた。

 お隣さんの家、午前中にはここから見る限りもう屋根の野地板が張ってあった。トントントンという軽快な音が聞こえてくるが、昔だったらトン一回が金槌の一振りの音だが、今は機関銃のような釘打ち機があるのでトン一発で釘一本が打ち終わる、昔に比べたらものすごいスピードだ。夕方には防水シートも貼り終わっていた

 警察無線の交信内容の録音がyoutubeに流れたそうだ(もう削除されたらしいが)、警察無線は昔はPチャンと言ってアナログ時代には警察で使われている周波数を受信する機械さえあれば自由に聞くことが出来た、アマチュア無線の周波数のちょっと上だった、小生がアマチュア無線を始めたのは、このワッチがきっかけだったかも知れない。それが警察無線が高度にデジタル化された今は全く出来なくなった・・・事になっている。それが流れたのだからこれはもう驚きだ。小生が思うに、多分、現役かOBのお巡りさんが録っておいた音声データを匿名で流したのではないかと想像する、多分解読機は無い。
 
 アメリカでは今でもそんなものは秘密にしていない、ここ日本ででもネットを通じてリアルタイムでそのアメリカの警察無線を聞くことだって出来るのだ。可能な限りオープンに、できるだけ秘密に、両国の「官」の違いがよく分かろうと言うものだ。盛んにテン・フォーという声が聞こえてくる。ご丁寧にもこのサイトには10コードの解説まである。そう言えば昔、テレビ草創期にアメリカのハイウェイパトロールという面白い連続テレビ映画があって、熱中して観たものである、この中で主人公のダン隊長がよくテン・フォー(10-4)と言っていたが、日本ではまだ無い文化で、この言葉の意味がわからないらしくて、怪しげな解説をしたものもあった。日本でも傍受できた時代には、201、だとか301などのコードを使って交信していた。

 キーボードで文字を打つので全然疲れないから、相変わらず駄文をダラダラ延々と書くなあ・・・・・・いくらでも書けるなあ・・・

 ニイタカヤマノボレ トラ・トラ・トラ の日だった、すっかり忘れていた、どんどん風化していく・・・

平成30年12月 7日 (金)

 曇り空の一日、夜に向かって気温がどんどん下がってきている、予報では明日あたり雪になるかもしれないそうだ。今日も阿蘇山は上の方は雲に隠れて見えなかったが、もしかしたらもう雪になっているかも知れない。今日は珍しく北寄りの風が吹いていた
    最低気温 1.9℃ (ただし20:18現在、尚降下中)、最高気温 10.1℃ (00:00)

 日が昇るのが遅くなって、その上に天気が悪いと小生の暗いレンズではなかなか光を集められずカメラのピントがだんだんと合いづらくなりつつある。寒冷地ではこの季節になると道路の要所要所に凍結防止剤の塩カリの袋が置かれる。明日は雪の心配があるので、早速登校路の橋のたもとに置いてあった
 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9・写真10)

 昨日エラーが出たVostro420のWindows10 1803へのアップグレード作業、今朝になって、もう一度やってみたところ、同じ様にやったのに、時間はかかったけれど今回はすんなりとインストールが終わった(写真1写真2写真3)、なんなんだこれは。それからWindowsのバージョン管理には調べてみたところ、どうも二種類の管理方法があるようだ。いずれにしてもデスクトップ二台とも1803バージョンにアップデート出来たので、とりあえず良かった。これからWSLを入れてLinux(Ubuntu)をインストールしよう。

 五年ごとのアマチュア無線局の免許状、いわゆる局免の更新の申請をした、更新を再免許と言うが、電子申請だと短時間で済ませることが出来る。手数料も窓口申請だと3,050円だが1,950円で済む。今回は移動局の局免だが、時季が違うが去年だったか、固定局の再免許の時は期限までの申請を忘れて、結局新規開局の手順を踏まなければならず懲りたので、今回は期限が31.2.15なので、忘れないうちに申請した(期限1ヶ月前までに申請しなければならない)。アマチュア無線の電子申請は、電子申請Liteという申請方法で、非常に簡単である。これが所得税の確定申告の電子申請(e-Tax)だと、マイナンバーカードだとか、カードリーダだとかの道具立てが大変だが、Liteの場合は事前にパスワードなどの申請はしなければならないが、それらが不要になるので簡単である。窓口申請用の場合には記入書類はネットで様式がダウンロードが出来るが、書類のダウンロード形式に「Word」と「一太郎」が併記されている、一太郎はまだ生きていたのか、いまの人たちは一太郎と言っても意味がわからないだろう。

 ネット申請だからお役所の「営業時間」とは無関係に起き抜けに送って、昼前には申請内容を確認したから手数料を納付するようにメールがきたので、早速ネットバンキング(ペイジー)で納付した。

 米軍機の事故が起きると、マスコミは真っ先に日本上空での訓練をやめろと騒ぐ声を報道するが(とりもなおさず、それはその実マスコミの声なのだが)、それよりも前に先ず、亡くなった将兵の死を悼め、不明者の安否を気遣え、故国には恋人もいれば家族も居るのだ、敵兵では無いのだ、共に日本の安全保障を担っているのだぞ、バカマスコミにバカ左翼ども。

 晩飯。トンカツを揚げてポテトサラダを作った。


平成30年12月 6日 (木)

 時々降っていたようないなかったような・・・・
     最低気温 8.8℃ (00:00)、最高気温 12.4℃ (14:37)

 登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 
 現役を退いて、田舎に引っ込んで、予定表に縛られことなく勝手放題に毎日を送れると思っていたが、何かと用件があってカレンダーの予定表と縁が切れないが、ここ一週間ほどは特に何も公的な予定が無いのでマイペースで毎日が送られそうだ。

 昨夜Windows10のアップグレードをかけて寝たが、明け方近く、三時半頃、トイレに行くついでに、PCの画面を見ると、エラーがでていて、自動再起動で回復をするとなっていたので、そのままにしておいたが、朝になって見ても全く進行していない、おそらくそこで停まったままなのだろうと思ったが、それでも尚、暫くはそのままにしておいたが、結局、強制的に再起動を掛けた。

 PCのバージョン1511は西暦の末尾二文字と月を表示する数字なんだろうが、1803まではどうしてもアップグレードしないと、Linuxが入らない。ネットで検索すると、アップグレードエラーに関する記事が山程載っている、オイ!Microsoftよ、もっとまともな製品を出せよ。
 
 そう言えばもう一台、Windows10のPCがあった、これは阿蘇坊主どのの遺品で小生が貰い受けたエプソンのエンデバーシリーズ(だろう)。これがもしかしたら我が家(の小生の)で一番新型のPCだ、これにもWindows10が入っている、惜しむらくはHOMEだ。これだとWSLは入らないかなと思ったら、大丈夫なようだ。とりあえずこちらの方を先に、最新バージョンの1803にアップしておこうと今日はその作業をしたが、とにかく我が家のネット回線が遅い!朝からダンロードしていながら、夕方になっってもようやく半分を越えたくらいだろうか、全く嫌になる。阿蘇市のネット環境、もっと真剣に改善してくれ〜、神山町を見習ってくれ〜
 
 それでわからないのが、バージョンアップのソフトが二通り動いていて、並べて表示すると、その進捗の割合が違う、それに今のPCのバージョンは1703なのにこれには15063と出ている、そして最新バージョは16299となっているが1803じゃ無いのか?一体これはなんなんだ。そして延々と一日中やっていて、更新アシスタントの方は、進行が早いぶん、早々と失敗したという表示が出てオシマイ。そしてWindouwsUpgradeの方も、とにかく遅くて、こちらも恐らくストップするだろう、と思っていたら、8時ころになって、ようやく、この画面がでた。このあとどうなるのかわからないが、とにかく次のステップに進んだが、果たして鬼が出るか蛇が出るかである。

 そして9時前、日記を書いている間に、思った以上にトントン進んで無事にアップグレードは終わったようだ。いみじくも、なにかに書いてあった、Windowsは更新作業をするためにPCをやっているようなものだと、それだけ時間がかかるということだ。

 晩飯


平成30年12月 5日 (水)

 まだ本調子では無いがようやく天気が回復してきた。
   最低気温 9.4℃ (但し21:13現在)、最高気温 16.9℃ (13:17)

 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 11時からの故・嘉悦渉先生の告別式に参列した。先生とご縁の深かった坂梨宿場会の志賀聡雄会長と南阿蘇のやはり郷土史のお弟子さんのような関係だろか今村さんとおっしゃるお二人の心のこもった弔事がシミジミと心にしみわたった、こんな場にふさわしい言葉ではないかも知れないが良い式だった。
 
 最近少しずつこの地の葬儀の風習が変わりつつあるのか、先日もそうだったが、告別式後の出棺だった。参列者のほとんどの皆さんが式後もそのまま居残って火葬場に向かう車を見送った。葬儀というもは改めて人の死というものを見つめ直して普段の浮ついた気持ちを一時的ではあるが静めてくれるものである。

 故・嘉悦渉先生 葬送 連続写真

 余談だが、曹洞宗の葬儀、今回は阿蘇神社裏の極楽寺が勤められたが、馬場の圓通寺とは同じ曹洞宗で普段でも緊密に行き来があると思うのだが、式の運び方に相当の違いがある、同じ宗派でも、こんなに違うものかと、認識を新たにした。
 
 お隣の新築工事、今日から本格的に組み上げ工事が始まった、そして、夕方にはあらかた屋根の骨組みまで終わっていた、プレカットと言うのか、工場で全部切り込みを済ませて持ってくるので、あっという間である。他人様の家ながら、建築が進んでいくのを見るのはワクワクするものである。

 今朝PCを起動したら、いきなりこのようなメッセージが表示された。調べてみると正規品でも表示される場合があるという、小生のスネの傷がちょっと疼いた。再起動を掛けたら正常に起動した、何だったのだ。
 
 最近、それだけはなく、メインに使っているPCの具合がオカシイ、ちょうどLinuxに移ろうとしているときで、タイミング的にはいいのだが、今回Linuxを入れたPCがもうひとつ非力で、他は全く困らないのだが、動画になると途端に極端にギクシャクしてくる、恐らくビデオボードせいだと思うのだが、だから、どうせLinuxを入れるのならもう少しマシがPCがあったなと、今使っているメインのPCの横にに置いてあって、ずっと使っていないPCに、どうせこれはXPが入ったから放置してあったのだろうと、引っ張り出して起動してみたら、なんとなんと、Windows10が入っている、どうして入っているのかサッパリ記憶が無いので、型番をキーワードに日記を検索して、去年、無料でWindows7からWindows10Cにアップグレード出来る時期があって、H28.7.24頃にPCがそれに対応できる我が家のPCを何台かアップグレードをしたやつの一台、DellのVostro420だった。
 
 今では非力なPCだが、それでも我が家では一番早いPCだ、どうしてこれがメインPCの横でホコリをかぶっていたのだろうと不思議だが、多分今メインとして使っているPCは寄せ集めの部品で組み立てて、ちゃんと動くのでしばらくこれを使っていようとしているあいだに、なんとなくメインPC的な存在になったようだ。

 それで、調べてみると、今のWindows10は仮想でなくてもネイティブでLinuxも使うことができるらしい、これは嬉しい、願ってもないことだ。このPCをメインに置き換えることにして、その整備を始めた。WSL(Windows Subsystem for Linux)が使えるようにするには、バージョン1803以降だそうだ。1511までのアップデートをほぼ半日かけて終わったところで、エラーが起きてストップしたので改めて1803へのアップ作業を開始したが、これがまた遅い、明日の朝まで勝手に動かしておくが、ADSL回線だ、普段はあまり困ることは無いが、このような大きなファイルを落とす時はてきめんに速度が遅いのがひびく、明日の朝までに終わっているかどうかわからんぞ。

 夕方太郎を学童に迎えに行く時、田圃のなかの交差路で外國の若い女性が立ち止まってスマホの画面を覗いていたので、道がわからないのかなと思ってゆっくり車を停めて、例のごとくお節介にも What can I do for you ? と声を掛けたら、ニッコリ微笑んで「ダイジョーブで〜す」、流暢な日本語で返ってきた。今日は警戒心を持たせることが無かったようだ。

 太郎、水泳教室。晩飯はカレー


平成30年12月 4日 (火)

 今日も終日雨だった。そして、大気が不安定なために周辺地域で竜巻注意情報がでていたが、ここも昼前に、それまで静かだったのに急に強風が吹き始めた、何なんだろうと思っていたら、やはりそういった注意情報と関係があったのだろう。馬鹿陽気とでも言うのだろう、この時期にしては気温が非常に高かった、ただ雨風が強くて、あまり実感としては無かった。
      最低気温   13.3℃ (00:35)、  最高気温 21.5℃ (11:19)
      最大瞬間風速 13.9 m/s(12:27)

 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 朝一番で宇治歯科に歯の治療に行ってきた。三ヶ月ごとに歯のメンテをしているが、先日のメンテの時に歯の噛み合わせが加齢によって少し狂ってきているので、今日、少し削ってもらった。本人は全く自覚が無いがどうもそいういことらしい。

 郷土史家の嘉悦渉先生が亡くなられた。阿蘇の、特に一の宮、坂梨地区の郷土史の恐らく第一人者だったのではないだろうか、そして多分先生の死と共に一緒に埋もれてしまう歴史がたくさんあるのだろう、小生も坂梨宿場会や他の歴史の会などでたくさんの阿蘇の歴史を学んだ。今日新聞の訃報欄で年齢を知って驚いた、97歳とあった。今までずっと80歳台後半くらいのお歳だろうと思っていたが、まさか100歳近いご年齢だったとは想像もしていなかった、それだけ心身ともにお元気で、温厚でモッコスの先生だった。今夕、市民斎場で通夜式が営まれ、参列してきた。斎場では普通、式が始まるまで静かなBGMが流れているが、今夕は、ラベルの「ボレロ」が流れていたので、参列していた宿場会の連中とちょっと話題になったが、後から、先生のお好きな音楽だったそうで、それで御遺族のご希望で流したという場内説明があった。
また近くの先達が逝ってしまわれた・・・・(写真1写真2写真3
 
 今日は終日雨だと言うことだったので、夏子は朝、自転車をやめて母親の車で登校していった。ただ、カミさんは今晩は会議かなにかがあるので、帰りは乗せて帰れないよ、と言っていたので、じゃあ、小生が太郎を学童に迎えにいった足で高校に回って拾ってやると言ってあったのだが、お通夜の時間と重なるために、どうするかと、LINEで訊いたら、じゃあ、歩いて帰るからいい、ということだったが、お通夜が終わってから彼女の部活が7時までかかるからという連絡が入っているのが分かって、お通夜の帰りに高校に寄って乗せて帰ってきた。全く待つこと無くドンピシャリのタイミングで拾うことが出来た。

 そんなこんなで夕食を作る時間がなかったので、帰ってから取り急ぎ餃子を焼いて、味噌汁を作ってやった。夕方5時ころから7時半ころまで、太郎はその間、ずっとひとりで留守番をしていたわけだが、夏子は暗くなってからの一人の留守番は怖がるが太郎は全く平気なようである、ケロッとしている。


平成30年12月 3日 (月)

 強い降りでは無かったが、終日、雨、雨また雨、ほとんど降り止むことがなかった。こんな日は数字的には全く低い気温ではなかったが気分的に寒々とした一日だった。
     最低気温 13.3℃ (06:30)、最高気温 16.6℃ (14:35)

 登校風景・・・一晩中雨音が聞こえていて、朝になって少し止む気配も見せたが、今日は恐らく全員車登校だろうと思ったがそれでも決まった時間は立っていようと思っていつもの場所に出かけた。そうなると、こんな日は太郎一人の徒歩登校ということになる。まあ、今日は特別の温情をもって、小生が立つ場所まで一緒に車で行って、そこから学校まで歩かせた。そして、今日は誰も歩いてこなかった・・・・ 
 (写真1写真2写真3写真4写真5

 雨のため、誰に気兼ねをすることもなく終日PCの前で過ごす、一日はあっという間に過ぎる。

 昨日のスキヤキが結構残っていたのでもう一晩と思ったがそれにはちょっと肉が足りないことが分かって結局買い足して二晩続きのスキヤキになってしまった。


平成30年12月 2日 (日)
 
 曇のち雨、午後三時ころから雨がポツリポツリ降り始めた、暖かい一日だった。
       最低気温 7.0℃ (05:37)、最高気温 16.4℃ (12:16)

 太郎と母親はテニススクールに朝早く出かけていった。夏子は、国立阿蘇青少年交流の家で催される「交流の家はみんなの広場 in ASO」 〜科学とものづくりの体験フェスティバル〜、に彼女も属している高校の科学部からも参加するそうで、母親が出かけているので送っていった。送りだけで、行事が始まってからは行くつもりは無かったが、その後、ちょうど時分時になったので、模擬店でもでていれば飯でも食ってついでに様子をみてくるかと出かけた。今日は他にも高専の生徒たちが参加していてあちらこちらで実験だとか工作だとかをやっていて、小さな子どもたちがたくさん参加していた。目指すフードコートは別のところにあったようで分からなかったので、会場をさっと回って帰ってきた。PDFファイル
 交流の家はみんなの広場 連続写真

 今日の予報では、夜になって雨になるということだったが、どうせ早く降り始めるだろうと午前中のうちに切って天日で乾かすべく放ってあった薪を、小屋に運んで、残りはシートを掛けて雨対策を済ませておいた。

 それから今日もLinux三昧で、一日過ごした。ようやくオールドマシンの Dell Optiplex 755に最新バージョンのUbuntu18.04LTSのインストールが無事に終わって日本語環境もうまくいって、色々とソフトを入れたりしてtuneupを始めた、何度もつまずくのは、それが経験になって非常に有意義だった。このOSは思った以上に素晴らしい、ほとんど違和感なくMicrosoftWindowsのデスクトップマシンと同じ様に使える。
 
 まもなくMicrosoftとは縁が切れそうだ、ただ、今の所はどうしてもMicrosoftWindowsでなければならない部分もあり、またMicrosoftWindowsも使えないとボランティアなど周囲との関わりで困るので、並行して使うことになるだろうが、Microsoftの比重が激減することは間違いない。CentOSをやっていたはずがいつのまにかUbunntuに移ってしまっている、さらにRaspbianもやろうというのだから、われながらこの変化に驚いている、尤も、色々なLinuxのディストリビューションの違いは超初心者にはあまり関係がない、ほとんど共通しているし、わからないところはマニュアルを見るとどういうことかわかるからである、小生が理解できるのはその程度のレベルだ。だが、わからないところがわかるようになったということは長足の進歩なのだ。Linuxは昔、MS-DOS時代にやった手作りの楽しさがある、コマンドでPCを操作する楽しみがある。LinuxはOSに始まって、「Office」も何でも、総て無料なのだ、それに、軽い、そして不思議とウイルスセキュリティソフトは要らないのだ。

 今日は、小生が、この地阿蘇に移住してきて丸17年目の移住記念日である。2001年12月2日に神奈川県茅ヶ崎市から一家して引っ越しをしてきた、引っ越しというよりは正に「移住」の心境であった。普通、遠隔地に家を建てて移住するというのは結構時間をかけて慎重に計画をしてから実行するものだと思うが、小生の場合はほとんど思いつきに近い移住だった、逆に、だからこそ移住できたのでは、と思う。これがじっくり計画を練って・・・などとやっていたら、もしかしたら考えすぎて実行していなかったかも知れない。その時の勢いと言うやつだ。ほとんど突然思いついて一年もかからないうちに、よし!田舎に行こう、家を建てて引っ越そうと、トントントンとなったのである。
 
 あれから17年経ったのか、「ようやく」か、「もう」か、「もう」の方だ、あっという間の17年だった。2001年と言うと、21世紀の始まりの年で、家が出来るまで何度かここと茅ヶ崎の間を行ったり来たりして落ち着かない時を過ごしていた時に9.11アメリカの同時多発テロもあった、ちょうど茅ヶ崎に帰って一晩寝て起きた朝に事件を知って驚いた。それから17年の間に夏子が生まれ(2002.8.20)、母が逝き(2010.4.16)、ほんど入れ替わるようにして太郎が生まれてきて(2010.7.6)子どもたち二人はどんどん成長している(その分、小生はジジイになった)、あっと言う間の17年だったが結構変化のあった17年だった、まあ、この後何年、この状態が続くかだな。
 
 そんなわけで、最初の夜にすき焼きパーティをしたので、それ以降、この日はスキ焼き、そして今晩もスキ焼きだ。今どきスキ焼きは特別な食べ物では無くなったが、恒例というやつだ。

 昨日あたりから4Kだの8Kだのという高画質のテレビ放送が始まっているらしい、昔の小さなアナログテレビにチューナーをつけて時々見ている我が家から見ると異次元の話だ。時々外で見る今のデジタルテレビだって解像度の高さに驚いているのに、さらに高画質だというのはまったく想像ができないことだ(今はもうアナログだとかデジタルだとか頭につけることはないのか、「電気」冷蔵庫とは言わないように)。そのうちにテレビ屋の店頭で実際の画面を見てみよう。でも、こんなに高品質のテレビで一体何を見ようというの?相も変わらずの「バカ」お笑い芸人が仕切る番組だとか、「バカ」コメンテーターが出ている情報ワイドショーだとか、学芸会もどきの歌番組を見るのか?ハードの進歩は素晴らしいけど、中身とどんどん乖離していっている。まるで現代の人間だ。どんどん寿命がのびて長生きはいいことだけど、肉体と精神のバランスが取れなくなって認知症だとか深刻な社会現象になっている、テレビもそれと同じようなものだろう。


平成30年12月 1日 (土)

 晴れ。もう師走に入ったというのに、今年は暖かい日が続く。
    最低気温 2.4℃ (03:09)、最高気温 15.8℃ (14:38)

 さあ、一年最後の月に入った。今日は土曜日だ、本来なら馬の世話に行く日だが、12月から2月いっぱい、小生に関してだが冬季休業をすることにした、常に、というわけではないが、逆にそのほうが少ないかも知れないが、冬の間、箱石峠超えが道路の凍結で結構厳しい時があるから、用心のために休むことにしたのだ(昨冬も心からヒヤリとしたことがあった)。天候の具合で行ったり行かなかったりすると、そのたびにオカラの手配の変更をしなければならず、木村豆腐店に迷惑をかけることにもなるからである。
 
 それから、もっと根本的な問題として、「馬を飼う」ことの実現性がちょっと、いや、かなり、いやほとんど、怪しくなってきたからである。その一番は資金の問題だが、まあ、馬を購入して飼うことに関してはそれほど問題ではない、毎日の世話も全く問題はない、問題は、馬を放す囲いの用意が容易ならざることだということが分かってきたからである。
 
 我が家の敷地に杭を打って囲いを作る、馬にとっては充分に満足がいく広さはなくても、それでもそこに杭を打ち込んで囲いを作る、これは想像以上の大事業になる。物置を作るためにパイプを打ち込む、の何十倍もの作業になる。いくら杉の間伐材が安価に手に入ると言っても、たくさんの杉を切り倒して、運んで、数百本の杭を作って打ち込む、これはとてもではないがいい加減な考えでは出来ない。電柵という手も無いではないが、やはりしっかりとした杭を打ち込まなければならないだろう。そんなこんなで、ちょっと、熱意が冷めかけているのも正直なところである、残念だが、自宅で飼う代わりに、時々出かけていって、馬の世話をする・・・くらいになるのかな。

 登校風景(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10) 
今日は土曜授業の日で、通常通りの登校になった、ただ、今日は授業参観があった。母親は始発便で出張から帰ってきたが、授業参観には間に合わなかったようだ。父親は、一年生のときは行ったことがあるが、その後はもういかない。娘は今日はなんと言ったか、Gテックだったか?そんなような名前の英語の試験があり、学校に行った。小生は今日もずっとPCをやっていた。
 Ubuntu18.04LTSの環境設定で一日かじりついていたが、それでも、うまく行かず、結局クリーンインストールのし直しをやっている、わからないけど、面白い、非常に面白い。



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