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平成30戊戌(2018)年 6月の記録(新しい日付けの順)

平成30年 6月30 (土)

 時々、特に昼過ぎころまでは雨が降ったりやんだりだったが(本日雨量、約10ミリ)、熊本から精々数十キロしか離れていないのに北部の福岡や大分方面では線状降水帯で大雨が降り続いて、大変だったようだ。
     最低気温 22.0℃ (04:54)、最高気温 26.2℃ (13:41)

 昨日書き忘れた、夕方セミが鳴いていた。あれはアブラゼミだな。

 小学校は今日は土曜授業の日で、通常通りの登校で、旗振りに出た。今日は高校も中学校も登校日のようであった。途中雨に加えて遠くで雷が鳴り始めたので、急げ!と言ったら普段ノンビリ歩く子も早足で登校していった。
 写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 旗振りが終わって、いつものように、木村豆腐店からオカラを貰ってオープンセサミに餌やりに行ってきた、途中、結構雨が降っていたが、餌をやる時間には雨はやんで山がきれいに姿を現わしていた。

 今日は一年の折り返し点、一年の半分が終わったところで、半年分の穢を祓う神事「夏越の大祓」の日である。だいたい「茅の輪」くぐりとセットになっているが、夕方、阿蘇神社にその茅の輪くぐりに行ってきた。
 
 参拝者は人形代(ひとかたしろ)という人の形に切った白い紙を体の悪い箇所にあてたあと息を吹きかけて体の邪気をその人形代に移して神社に納めてお祓いをしてもらったあと、茅の輪をくぐって無病息災を祈る。(我々はここに住んでいて当然の如く氏子になっているようで、事前に家族の名前と年齢を書いた人形代を初穂料と一緒に納めてある)。
 
 熊本地震で楼門が倒壊したために、それまでは楼門のところに設けられた茅の輪も、震災後は別の場所に作られていたが、再建工事で場所が狭いのでだろう、おそらくあまり積極的に事前広報をしないのだろうか、参拝者の数も少なかった、小生が知っている顔は一人もいなかった。

 それから、一年の大祓である大晦日に年越しそばを食べるほどは知られてはいないが、夏越の大祓の時には「水無月」という和菓子を食べる風習がある。阿蘇ではどうだろうと、神社近くの老舗の和菓子屋さんを訪ねたところ、売っていなかった。というより、応対に出たお店の人、阿蘇神社そばに店を構えていながら「夏越の大祓」(なごしのおおはらえ)という言葉すら通じなかった、今はもうそんな時代なのだろう。
 
 阿蘇には他にも和菓子を扱っている店は何軒かあるが、恐らく、多分、いや間違いなくどこにも売っていないだろう。恵方巻きやチョコレートもいいけど、桜餅、柏餅、おはぎなどといった季節を味わう日本の伝統食文化も伝わってほしいものである。
 
 因みに熊本で売っているところはあるだろうかと思ってネットで調べたら、さすが「誉の陣太鼓」の「お菓子の紅梅」にはこの日「水無月」を売っているようだったので、太郎の耳鼻科受診で山を下りるカミさんについでに買ってこいといっておいたところ、寄るヒマがなかったので明日また熊本に行くからその時に買ってくるだと、これは今日しか売っていないのだ、今日食べるから意味があるのだ、明日はもう文月だ、六日のアヤメだ、バカモノ。
 
 夏子は朝のうちは行くと言っていたが、あまり気が進まなようなので一人で行ってきた。カミさんと太郎は、神事に間に合わずに、茅の輪だけは置いてあるので神社に寄ってくぐってきたそうである。

 茅の輪くぐり 連続写真
 
 台風7号のこと書かなかったなあ、スルーしてしまったな。

 アマチュア無線の雑誌、CQ誌(正式には、CQham radio)の定期購読が今月で終わった、もう更新することはやめにする。だんだん興味が無くなってきているのだろう。
平成30年 6月29 (金)

 今日関東甲信が梅雨明けしたそうだ、気象庁も最近は謙虚になって、「した」とは言わずに、「したとみられる」と言う、まあ謙虚というより自信がないのだろう。この東西に伸びる梅雨前線の東西にあって同じようにその前線が北の方に位置していて、それでいて関東甲信地方が梅雨明けをして、どうしてこちらはまだなのだろうか。今日も九州北部に東西に非常に強い雨の帯があって、その帯が少しずつ南下してきて、昼前になっていよいよ来そうだなと思っているところに雨が降り始めて、ああいよいよ来たかと思っていたらすぐに止んでしまった。あれ?と思ってレーダーを見ると、南下してきた雨雲が消えている。宮崎方面には雨雲がある。なんだ、なんだ降らないのか、それなら、ついでにこのまま梅雨明けにしてしまったらどうなんだろうと思うが、そうはいかないのだろう。今日は蒸し暑かった。
     最低気温 22.7℃ (03:28)、最高気温 27.8℃ (16:38)

 台風7号が発生した、また九州を目指して進んでいる。見た所あまり大きな台風でもなさそうだ、それに、コースも外れてるからこのまま真っ直ぐに突き進んで欲しいところである。日朝交渉と同じだ、ブレるなよ。でも、また期待を裏切って途中で右旋回するのだろう。

 本日の登校風景 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 大雨が近づいている、雨が振り始めるまでに30分くらいだろうか、1時間くらいは大丈夫だろうかと、それまで少し草を刈ってておくことにした。今日は草に埋もれてしまった車の救出をした。何かの時用に普段はほとんど乗らない車なので、知らないうちに草に隠れて見えなくなりつつあった。それから、家周りを少し刈ったが、食堂脇の竹林があるあたり、ここも刈りたいのだが、最近よくキジの鳴き声がする。以前も時々山から降りてきてはこのあたりをウロウロすることがあったが、今回はなんとなく竹林の中に巣をつくっているようで、頻繁にケンケンと鳴いているし、それにどうも幼鳥らしい鳴き声も聞こえる。そんなところにすぐ近くで刈払機を回すとどういう結果になるだろうか、できればそっとしておきたいが、草だけでなくて竹がもうジャングル化しつつある、如何に普段管理をしていないかということである、なんとも悩ましいところだ。

 ニッポンサッカー、昨夜、コロンビアだったか、ああポーランドだったか、に敗けたようだが、それでも決勝トーナメント進出が決まったようだ。良かったね。
 
 小生、試合は見なかったが、今朝、ラジオを聞いていると、いろいろと聞かなくても情報が入ってきて、なんとなく試合の雰囲気が伝わってくる。どの番組でもサッカーの話題で、その感想や解説や街の声などを聞いていると、一生懸命に日本の試合運びを正当化しようとしていたように聞こえたが、みんな心から喜んでいるのか、決して後味の良い試合ではなかったのだろう、要は「正々堂々」の試合では無かったということだろう、それがワールドカップ、それがサッカーなのだろうけど。

 たかがサッカー、目くじらを立てることも無いと思うが、実際には痛くもないのに大げさに倒れて相手に蹴られたかのようにアピールする風景などを見ても、全く個人的な考えだが、やはりこれは「日本」のスポーツでは無いと改めて思う、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義の武士道はどこへ行った。「正々堂々と戦うことを誓います」という選手宣誓、これ、もともとの発祥はどこなんだろうか。

 晩飯。餃子など


平成30年 6月28 (木)

 曇り。時々パラパラと雨が落ちて、不安定な空だった。梅雨前線は朝鮮半島から東北地方に東西に伸びている。
   最低気温 22.9℃ (00:00)、最高気温 27.2℃ (14:10)

  本日の登校風景  写真1写真2写真3写真4

 秘密基地工事、小休止、ただコーキング(変成シリコーン)とプライマーとガンと塗装用の刷毛などを買ってきた。
 
 秘密基地工事小休止の代わりに、午前中、草刈りをした。今日は庭先周辺を刈った、ボンのやつ老化であまり運動が激しくないので、以前ならワイヤーの半径の範囲は走り回って草が生えなかったが最近はあまり動かないので草に負けてどんどん動ける範囲が狭まっていた。やはり刈ると気持ちがいいのは確かだ(before  after)。それに近々、賓客を迎える予定があるので、少しは綺麗にしておかないとな。 

 昨日だったか、娘が二階の洗面所で大きな蜘蛛が出たと騒いでいた、みると最近あまり見かけなかったアシダカグモが壁面にいた。娘が駆除してくれ!と叫ぶのに、益虫だからそっとしておけと、取り合わなかった。小生も成長したものである、以前は鳥肌が立つほど蜘蛛は嫌いだったが、嫌いで逃げ回るよりは好きになったほうが楽だと思って、最近は蜘蛛とも友好関係を構築しようと努めている。昔に比べて大分嫌いさが減ってきている。その蜘蛛、今日の昼間、階下の洗面所に移動していた(汚い洗面所だ)。我が家の蜘蛛も可哀想である、餌になるゴキブリが居ないので、餌探しに苦労していることだろう。それでも先日、我が家にゴキブリが出たと娘が騒いでいた、娘いわく、家でゴキブリを初めて見たそうである。居ることは居るのだろうか。

 夏子は今、定期試験中である、だから昼には帰ってくるので昼飯を食べさせなければならない。昨日はそのことを忘れていて小生が済ませた後に帰ってきたので、インスタントラーメンをそのまま食べさせた。今日は、冷やし中華を作ってやった。明日まで昼飯の面倒を見ななければならない。
 
 晩飯。豚肉の味噌漬けなど。JAの農産物即売所「四季彩」でアスパラガスの折れて商品にならないやつが1/5ほどの値段で売っていたので、買ってきてたらふく食べた、それに今の時期のトマトが美味しくなった、こどもたちも冬に食べるトマトと全然味が違うねという、味がわかるようだ。


平成30年 6月27 (水)

 梅雨前線は日本海側にあるはずだと思っていたら、午後から、結構、通り雨的に間欠的に強い雨が降っていた。レーダーをみると、しつこく阿蘇もこの上空にだけ雨雲がある。へんな天気である。それに今日は風が非常に強かった。
     最低気温 22.2℃ (04:13)、最高気温 26.6℃ (12:25)

 本日の登校風景  写真1写真2写真3写真4

 秘密基地工事。まだやるところは山ほどあるがちょっと気が抜けた状態、それでも、少しずつ、外観からは顕著にはわからない部分の仕上げを進める。

 太郎、水泳教室。
 
  カミさんと娘はお通夜に出かけた。夏子のクラスメートの父君が急逝されたそうだ、この方は市役所職員だったそうで、まさに働き盛り、あまりにも突然の出来事で言葉も無い。それで思い出されるのはよく覚えているが、十年くらい前に(実際はもっと前だったかもしれないが)同じ市役所(当時はまだ一宮町だったろうか)の職員が同じように脳卒中で若くして亡くなられたことがあった、今回の訃報を聞いてすぐにそのことを思い出したが、夏子にこの話をしたところ、そのHさんの娘さんも今私のクラスメートばい、とのことであった。めぐり合わせとでも言うのか、不思議さを感じた、合掌。

 晩飯。麻婆豆腐など。


平成30年 6月26 (火)

 天気図を見ると、梅雨前線が消えている、ということは夏空が・・・と思ったら、そうはいかないようで、蒸し暑くて時々雨がパラついて、と典型的な梅雨空の一日だった。 
     最低気温 18.4℃ (04:30)、最高気温 26.4℃ (13:43)

 本日の登校風景。 写真1写真2写真3写真4写真5写真6

 秘密基地。これで一応全部壁を張り終わった。ただ、あちらこちら隙間だらけだから、少しずつ穴埋めをしていかなければならない。


 政府が30年以内に震度6以上の地震が発生する地域の予想を発表した(PDFファイル)、30年以内だから、明日かもしれないが、30年先かもしれない、そうかその頃には小生はもうこの世にいないのだった。

 この数日間に新聞に阿蘇の大きな工事の記事が載っていたので、まとめて。写真1写真2写真3

 太郎が今日から、当分の間、毎火曜日、郷土芸能「虎舞」の練習が始まる、8月に東京で演舞するそうである。練習開始時間が夜の7時だそうで、それまでに夕食を済ませておかなければならないので、普段の夕食の時間より一時間近く早く食べさせなければならない。ゆっくり作っている時間がない無いので、今晩はカレーにした。それからコールスロー、そしてデザートは「すもも」である。「もももももすももももももももすももももものうち」のすももである、と言ってもももとすももは種が違うそうである(属が違うのか、ようワカランが)。このあたりや福岡あたりではイクリと言ったりする、プラムやプルーンやアンズなどとの関係はネットで読んでもあまりよくわからない。先日ご近所さんから、同じ地元の親戚の庭になっているものだといって頂戴した、これが非常に美味しかったので、今日たまたま「みやはら」で大分産が売っていたので買ってきた。苗木があれば植えてみたいものである、もし植えたら桃と同じように三年くらいで実が生るだろうか、それなら間に合うが。


平成30年 6月25 (月)

 晴れ。朝のうち霧が出る。今日は全国的に暑く、真夏日を記録した地点、今日、一気に今までの倍以上の数に増えたそうだ、ここ坂梨も真夏日だった、ただ、思ったほどの暑さは感じなかった。日陰にいたからだろうか。
    最低気温 14.7℃ (04:43)、最高気温 31.1℃ (15:22)

 本日の登校風景 小生が立つ場所からひとつ学校寄りの交差点にパトカーが停まっていた、別に事件があったわけでは無いだろう、学童の見守りだろう。今朝は霧で見通しが悪くて最後尾がわからない、かなり遅れてやってきた2年生のSちゃんとMちゃん二人に、最後かな?と尋ねたらウンと言っていたので、念のためにもうしばらく立った後、旗を畳んだ。 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 
 秘密基地。間口を広げた部分のセメント打ちをした、インスタントセメント20キロ入り(特価で620円だったか)を4袋買ってきた。一袋使ってこの範囲しか塗れない(全部で二袋半つかった)。それから最後まで残っていて、ちょっと面倒な部分の壁、切込みだけ済ませておいて今日の作業は終了。 

 晩飯 ジンギスカンの残り、ジャーマンポテト、コールスロー、冷ややっこ、きんぴらゴボウ、トマト、ジャガイモとタマネギ味噌汁。金曜日のジンギスカンの使い残りが少しあるので、それになんか他のオカズをと作ったところ、ジンギスカンがまだたっぷり残っていてこれだけで良かったなと思ったがもう作ってしまったので結構品数が多くなった、まあ、明日朝食べればいい。
 
 そうだ、サッカーワールドカップ、深夜に日本とセネガルの試合が行われ、引き分けたそうだ。引き分けで上々だそうだ、あともう少しで決勝トーナメントに進める可能性が高くなったとか、朝登校時の中学校のサッカー部員に昨夜観たか?と問うたら、見ました!とのこと、今日一日さぞ眠たかろう。ラジオを聞いているといろいろな番組で次(ポーランドだったろうか)の試合の「捕らぬタヌキの皮算用」を盛んにやっている。


平成30年 6月24 (日)

 晴れ。梅雨前線がずっと南に下っていて、二三日は天気が良いようだ。梅雨があけると「夏」、というのは間違いで、もう太陽の位置はとっくに夏の位置であって、ただ梅雨前線のせいで天気が悪いということだ。だから、前線が一時的にせよ南に下がると本来の暑い夏空になるのである。
     最低気温 16.1℃ (05:58)、最高気温 25.8℃ (14:20)

 今日はおさんどんをしなくていいので時間を気にすることなく大工仕事に没頭できた。一旦取り付けた正面の壁の角の突き合わせ部分が気に入らずに一部張り替えた。今日はこの部分をやった

 太郎も、端材でなにか作っていた、まだ金槌を満足に打てずに、ここを打ってくれというリクエストに従って、何を作っているのかはわからないが、手伝ってやった。
 
 晴天の下で合板に線を引いたりしていると太陽の反射が強よすぎて目がくらんでくる、また、立ったり座ったりすると、暑さのために立ちくらみを起こしそうになる。
 
 さて、行き当たりばったり工法、まもなく壁を全部張り終わる。合板の壁、もう更にこの上にサイディングなんか張り付ける気は無いない、合板に防水塗装をしてヨシとしようと思っている、板と板の突合せ部分にはコーキングか防水テープでも貼ろうか、壁の角(出隅というのか)はどうしようか、だんだんと面倒くさくなってきた。


平成30年 6月23 (土)

 雨。
    最低気温 16.6℃ (05:38)、最高気温 20.5℃ (11:48)

 梅雨前線はゆっくりと鹿児島宮崎付近までゆっくりと南下して今日はこのあたりは天気が回復するかと思っていたが、熊本上空にだけ雲が切れずに午後からもずっと雨が降っていた。 沖縄地方、今日梅雨が開けたそうだ、となると、このあたりはいつ頃になるのだろうか。

 雨のなか、南阿蘇余生馬牧場オープンセサミにオカラを持って餌やりに出かける。ルナの分の餌がないので訝しく思っていたら、今週の始めころ突然死んだそうだ。午前中まで元気で餌を食べていたそうだが急に悪くなって死んだということである、このルナは時々疝痛をおこしていたが、内臓が丈夫でなかったようで、大腸が急に破れたということであった、ユウザンに続いてルナ、サラブレットが二頭続けて死んでしまった(尤もユウザンは別格だが)。サラブレットは繊細な馬で他の馬種に比べると弱いということである。余生馬の面倒を見る牧場なので、こういったシーンは他の牧場に比べたら多いのかもしれないがこの半年あまりで三頭が逝ってしまった、どんどん寂しくなる。

 秘密基地建設、少しだけやる。前面の上部分を張る。太郎は自分も秘密基地の隊員だと思っている、じちゃいのところの男部屋のようなものだ、許す。

 カミさんは少々時期遅れだが職場の歓送迎会があるとかで、熊本方面に出かけていった、地元でやればいいだろうに、と言ったところ地元だと知った顔ばかりでみんな飲んでいても落ち着かないらしい、それで、わざわざ遠いところに出かけたようだ。もちろんアルコールが入るので、泊りがけで出かけていった。
 
 晩飯。ジンギスカン。子どもたちはジンギスカンが大好きだ、畜産の盛んな阿蘇にいながらわざわざ北の方から取り寄せなければなならないのは如何にもコスト高だ、阿蘇ではジンギスカンの食文化は広がらないのだろうか、食べる機会が無いので知らないのだろうか、誰かやろうとする人間はいないのか。


平成30年 6月22 (金)

 晴れ。今日は暑くなった。全国的にも熊本市が一番だったようだ
    最低気温 17.3℃ (00:45)、最高気温 27.7℃ (15:20)

 本日の登校風景 こどもたちが登校する時には靄(もや)がかかっていた、それともあれは霧だったか。靄と霧の定義は知らないが、気分的には霧というよりは靄の気分だった。
     写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 秘密基地建設工事。正面の壁、一番上を残すのみになった。それから、もう一箇所、防潮堤のセメントを打つ
 今日、またドシをした。電動丸ノコ、うっかりコードを切ってしまった、オウンゴールだ、シマッタと思ってすぐに止めたが、首の皮一枚を残すのみ状態になっていた。それに線が殆ど接触しそうなってたので、これ以上使うのは危ないのでやめた。幸いにもう一台あったので、交換して作業を中断せずに済んだ。

 晩飯。かき揚げ丼


平成30年 6月21日 (木) 夏至

 雨のち晴れ。朝のうちはまだ雨が残っていた、昼前になってようやく青空が見え始めた。今日は夏至である、昨日までの天気の様子だと今日の日没は見られないだろうと思っていたが、昼前に上がって、夕方、かろうじて日が沈むのを見ることが出来た、ただ雲が多くて、山の端に沈むところまでは見られなかった。珍しくこの時間に噴煙を上げていた中岳に残照が映えていた
      最低気温 18.4℃ (04:28)、最高気温 24.3℃ (16:23)

 今日の登校風景 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 小生が立っている門の町橋の下を流れる黒川、一日経ってあっという間に水が引いてほぼ普段の流れに戻る。(写真1写真2写真3

 秘密基地建築記録。クランプの出っ張りがどうしても邪魔をして面合わせが出来ない部分があり、その出っ張り部分が当たる部分の木を削って面が合うようにしたりするのが非常に時間がかかる。今日はこの部分の壁だけ。ドアのラッチ受けの穴を彫って取り付ける。

 晩飯。鰹たたき、イカ刺し(小生と太郎、お姉ちゃんは好まない)、冷ややっこ、里芋とイカと大根と人参の煮物、豆腐とニラの味噌汁、デザートにメロン。 節分の時に、間違って、だったか、生の大豆を買ってそのままになっているのに気がついて、少し水で戻してごま油で炒めて味噌と砂糖と醤油で炒り大豆を作ってみた。


平成30年 6月20日 (水)

   最低気温 21.1℃ (00:00)、最高気温 23.5℃ (02:50)ちょっと変な動きだな、装置、エラーかな・・・

 昨夜は結構大雨が続いていたようだ、阿蘇地方の気象情報、観測情報は各市町村別に出されるが、電話網などが一波だと見えて、寝ていて阿蘇市ではない町村の警報が頻繁に入って、そのたびに目が覚める、なんとも騒々しい一夜だった。

 明け方近く、滝室坂が連続雨量が140mmを越えたから、と交通止めになった。国造神社脇から外輪に抜けるグリーン道路も同様である。57号線を坂梨交差点まできた車が、大分方面に行くには、右折して箱石峠を登って波野村を経由して抜けるか、少し戻ってやまなみ道路で外輪を登って、そこから大分方面に迂回するかだろうが、数年前の豪雨災害(いつだったかと思って調べたら平成24年だった)で、立派な洞門も出来て、この程度の雨量で交通止めにする必要はあるのかと思ってしまう、やまなみ道路のくねくね道のほうがよっぽど危ないと思うのは小生だけか。
 
 その交通止めも、午前11時前には解除になった。普通「連続雨量」の切れ目(リセット)の定義はどうなっているのだろうか、一般国道の場合、「降雨量2mm/h以下が3時間継続」とあったような気がするが(高速道路なんかまた違うようだ)。たかだか3時間でリセットしても、今日なんかまたその後で結構降っていた、それでもまたゼロからカウントして140mmまではOKということか、どうもちょっとインチキ臭いなあ。

 夜が明けても線状降水帯がかかり雨が降り続いて、流石に今朝は徒歩通学児童は皆無だった。普段水のない黒川も結構な水量の濁流が流れていた(写真1写真2)。

 太郎を軽トラに乗せて待たせて、もう誰も来ないなという時間になって旗振りを終えて太郎を学校まで送っていった。その雨も、子どもたちが登校し終えた頃には上がって、レーダーを見ると梅雨前線は南下していた。ああこれで晴れ間が見られるなと思っていたらまた雨が降り始めた???と思ってレーダーで確認をすると南下した前線とは別にまた新たな雨雲がかかっていて、雨を降らせている、なんだ上がるのではなかったのか。結局、夕方近くまで降り続いていた。

 まだ壁も張り残してあり雨仕舞も全く出来ていない秘密基地、昨夜の大雨で、床が結構濡れていた、それに、一箇所、雨漏りがあるなあ、でも無線機などがおいてある奥の方は全く無傷だった。今日の基地づくり、雨が残っていたので何もせず、完全休養日。

 久しぶりに松岡理容室に行って頭をサッパリさせてきた、床屋に行くの何ヶ月ぶりだろう、普通の雨のときは農作業をやめて床屋にでも行くかで行ってみるとそんな人とカチ合わせすることが結構あるが、大雨のときは外に出るのが億劫で誰も来ないから床屋はヒマだそうで、たまたま今日はそんな日にあたって先客はいなかった。
 
 太郎は本日の水泳教室を休む、別に体調不良ということではない。坂梨の郷土芸能の「虎舞」がどういう経緯があったのか知らないが、夏に東京で行われる大会に出ることが決まったそうで、なんでも全国から8チームだけの参加だそうだ。今晩はその打合せで水泳教室と被るので休んだ次第。
 
 晩飯。カレー。せっかくすぐ食べられるように作っておいたのに、かみさんたち食べないで打合せに出かけたので写真は料理だけになった。


平成30年 6月19日 (火)

 夜中に目が覚めてスッキリしていたのでそろそろ夜明けかと思ったらまだ一時を過ぎたばかりだった、トイレに行って寝なおそうかと思ったら隣の部屋から灯りが漏れているので覗いてみると、太郎が母親からネブライザーをやってもらっていた。夜中に呼吸が苦しくなったようだ。一夜明けて、学校を休むかと思ったら、発作は収まっていたが、用心のために、また半分はズルなのだろうが、母親が車で送っていった。その後は完調したようで、小児喘息の症状は極めてメリハリが効いてる、この喘息も成長に連れてだんだん無くなってくるのだが。

 朝から、雨が降っていた。そして日中もあまり強くはなかったがほとんど降り続いていた。そして、夕方になって結構強い雨と風になり、このくらいになると以前ならすぐに大雨警報が出されていたが、今の所まだ出されていない、あまり出しすぎて住民から抗議があって、少し控えるように控えるようになったのだろうか、そんなことはあるまいが・・・・と書いている所に出た出た、午後8時前にジェイアラートが音程の狂ったチャイムとおどろおどろしい声で洪水警報が出たと放送している。
      最低気温 19.2℃ (08:23)、最高気温 21.2℃ (13:55)

 本日の登校風景。今日は車での送りが多かったが、それでも雨を物ともせずに歩いていく子どもたち。 写真1写真2写真3写真4写真5 

 この写真(サンケイから無断拝借)はすごいなあ、あの程度の地震で(と言っては悪いけど、)この有様、食料品もあっという間に売り切れだという。ライフラインが正常に機能して初めて多くの人口が生活できる大都市、特に交通機関が動かなくなると致命的だ。帰宅難民・・・・大阪は都市の規模が東京ほど大きくなくて、東京ほどの遠距離通勤者はいないだろうが。東京首都圏を想像した時・・・外部からの救援、ちょっとやそっとの時間では・・・・地震の発生時刻がそういった被害の程度を大きく左右することになるのだろうが災害がやって来るのは忘れた頃ではないぞ、ただ単に東京がいいからと憧れだけで住んでいる人たちよ、今のうちに田舎に帰ったほうがいいと思うよ。

 秘密基地、全部の壁を張り終わらないうちにとうとう本格的な梅雨空になってしまったようだ。正面の窓の下の腰板、ちょっとの雨の止み間を縫って張ったが、だんだん雨が強くなったので、途中でやめた。というのはちょうど屋根から雨が落ちてくる場所で、とても仕事にならないからである。それに、この部分の路面には、雨水侵入防波堤のセメントを打っていなかったので、これを先になんとしないといけないと、まずここにセメントを打つことにした。短時間の雨の止み間に固まらないといけないのだが、あまり雨が上がる時間が無い。そこで、短時間で固まるセメントを、と思って、ホームセンターの棚を見ると、30分で硬化するインスタントセメントがある。ところが、これは少量でしかも驚くほどの値がする。袋が小さいのは、すぐに固まるから、小分けして使うように袋詰してあるのだろうが、それにしてもびっくりするほど高い。そこでワンランク下げて、二時間で固まるインスタントセメントを買ってきた。でも、二時間も雨が止むことはあるまい。そこでようやく気がついた、この屋根の軒先からシートをテント状に張って、その下でやれば良いのだ。そういうことなら、なにもこんな時にセメント打ちをしなくても、しばらくシートを掛けておけば雨の降り込みもなくてよかったのだ。ということでとにかく、防潮堤のセメントを打っておいた。セメントを打つ範囲は非常に狭いのだが、それでも10キロ入りの袋をあっというまにほぼ使い切った、セメントは本当に思った以上に要るものである。

 晩飯。ブリの塩焼き、里芋と大根と人参と油揚げの煮浸し、なめこおろし、ポテトサラダの残り、味噌汁


平成30年 6月18日 (月)

 曇り、時々弱い雨
    最低気温 18.4℃ (05:10)、最高気温 23.6℃ (11:41)

 本日の登校風景  写真1写真2写真3写真4写真5 太郎のやつ、軽い喘息が出ているので、母親に送ってもらって行った。

 ボンの散歩から帰って今日はどの作業をやろうかと考えながら秘密基地においてあるのラジオのスイッチを入れたところ、大阪で震度6弱の地震が発生して大阪の各地から中継で地震の様子を伝えていた、大都市圏での大きな地震、これまでもいくつかの「他山の石」がある、東京首都圏、喉元過ぎて暑さを忘れていないだろうか。最近、ここと思えばまたあちら的に各地で地震が起きている、なんとなく不気味である。でも熊本は大丈夫だ、先年の大きな地震でガス抜きは終わっているので、この先数十年は日本で一番安全だろうと思っている。
 
 今日の地震、以前であればすぐに家に入ってテレビに飛びつくところだろうが今や完全に「テレビ離れ」が出来ているので、テレビを見て情報を得ようという発想が全く無く、そのままラジオから伝わってくる情報を聞いていた。テレビなんてそんなものなのだ。ラジオの放送もテレビ音声をそのまま流しているので分かるけど、時間枠を消化するために、どうでもも良いような小さな被害を何度も何度も終日繰り返していた。関係者への電話インタビューでも被害が無いのがまるで不満かのような聞き方をしている、こうしてみると放送局が一番ヒステリックだ。決して小さな地震ではないが、かと言って一日中、流し続けるような地震だったのだろうか。

 今日の秘密基地工事、作業を始めよとすると雨が降りだして、やんだかなと思って準備をしているとまた降りだして・・・場所がちょうど軒先で降った雨が頭の上に落ちてくる場所なので、ということで、今日は目で見て顕著な作業は出来なかった。

 古野まほろ著の文庫本「命に三つの鐘が鳴る」、図書館の新刊本の棚にあったので何気なく借りてきて読んだ。これは実に面白かった。警察小説であり、推理小説である。時代は今かと思って読んでいたら、今からざっと35年ほど前、東京ディズニーランドが開業した頃の東京、いや埼玉県が舞台で、しかも、日本でなくて日本帝国、帝国憲法、内務省、特高警察などの言葉が普通に登場する、しかし、その他は全く現在の日本であり、当時の地名やJR(当時はまだ国鉄だったか?)、キャリア、ノンキャリア警察官が普通に登場する普通の警察小説である、読み始めて、一体いつの時代だろうと訝しく思ったが、これが古野まほろのパラレルワールドらしい。古野まほろという小説家、小生、全く知らなかった、これを機会にいくつか著作を読んでみることにした。

 晩飯。チキンカツ、ポテトサラダ


平成30年 6月17日 (日)

 晴れ。夕方になって少し雨が落ち、風も出てきた(でもすぐに収まったようだ)。
      最低気温 17.1℃ (02:17)、最高気温 25.2℃ (13:26)
 
 散歩の時に、コースの途中にある、トマトハウスの長田青年から、トマト植えていますかと訊かれて、管理が大変だから今年は植えなかったと言ったら、持っていってくださいと、袋に入れてくれた。尋ねると、数日前から今年の出荷が始まっているとのことだった、立派なトマトを貰った。彼は、毎朝、西原村から豆札の伯母さんのところにやってきてトマトを作っている。最近は伯母さんが、腰や足が痛くて、と殆ど彼ひとりでやっているようなので、西原村は阿蘇郡になるが、外輪山の外の熊本空港近くの村で、ご両親が向こうで農業をやっておいでなので、通うのが大変でしょう、こちらに住んでトマトやればと言ったところ、皆からそう言われますと言って笑っていた、好青年である。

 終日、秘密基地作り。こればっかりやっているので、屋敷内は草ぼうぼう、竹ぼうぼう。
 今日はドアの取付で完全に一日かかってしまった。まず、最初の頃に増築に際して打ち込み間違った柱、何かの使いみちがあるかと思ってそのままにしていたが、ドア工事にまた、壁張りのときにもじゃまになるので、グラインダーで切り取った。
 取り付けようとしているドア、枠がないので、ドアを取り付ける柱に直付けをしなければならない、これがなかなか大変で、支柱兼枠つくりに時間がかかった。直角に作っているつもりでも微妙に曲がっていたり、あまりガバガバというのもみっともないのでと思ってきっちり作ったら、タイトすぎて、また作り直したり。そして、最後の最後、ヒンジの取り付けで、ネジ止めとドアの取り付けで難儀して、6時近くなって雨が降り始めたので、店開きしてあった道具類を急いで片付けて、最後のヒンジの取り付けをして、ようやくとりあえず完成。まだドアノブのラッチ受けがまだなので、柱にラッチ受けのほぞ穴を掘らなければならない、それに、水切りや、パッキンなども工夫しないと。
 
 これで、玄関先から秘密基地を通して、表通りを見通す事ができるようになった。が、ウーンと縦長のドアではないので、少ししゃがまなければ、完全に向こうまでは見ることが出来ない。まあ、これは仕方がない。
 
 いやあ、くたびれた、毎日こうやって体を動かして、過食しないから、どんどん体重が減ってくる。今日風呂で量ったら、働いた後で、空腹時だったのでジャスト63キロになっていた、4月から始めて7キロ減った。こうなったらもうある種快感である。皆ダイエットに苦労しているようだが、ダイエットなんか考え方一つだ。空腹を覚えたら、それを喜ばなくてはいけないのだ。体はエネルギーを取り込もうと空腹感でそれを人に教える。そこですぐに食べるから良くないのだ、そこでちょっと食べるのを控えたら、肉体は、仕方がない、じゃあ備蓄を取り崩すとするか、ということで体内脂肪からエネルギーを供給するのだ、だから、腹が減ったら、今、体は脂肪を消費しているのだと喜ばなければならないのだ。住民健診は7月30日という連絡が来た、あと一月以上ある、62キロは行けそうだ。 

 太郎は今日は漢検を受けるのだと言って母親と二人で熊本市まで出かけていった、出来はどうだったのだろう。その太郎が夜、お父さんハイッと言って、カーネーションを持ってきた、姉と二人で作ったそうだ、母の日に赤いカーネションを作った時に、ついでに黄色のカーネションを作っておいたそうだ。母の日はカーネーションだが父の日もカーネーションなのか、まあ、ありがたく頂戴しておいた。


平成30年 6月16日 (土)

 小さな台風なのに、この台風6号の影響で、沖縄や奄美大島では50年に一度と言われるような記録的な大雨が降っているようだ。ここではそんなことが信じられないような良い天気だった。
     最低気温 15.1℃ (04:55)、最高記録 26.1℃ (15:19)

 午前中、オープンセサミに馬の餌やりのためにオカラを貰って出かける。オカラはすぐにやるわけではない、また全頭にやるわけでもなさそうだ、以前は超長老馬のユウザン専用だったが、今はどの馬だろうパンナコッタだろうか、小分けして数日分の補助食として与えられているようだ。(写真1写真2写真3) 

 餌やりが終わって、長陽のリサイクルショップに回った。途中、南阿蘇のアマチュア無線局の大きなアンテナの工事をしていた。このアンテナは落雷などのトラブルがあったのだろうか、随分長い間降ろしてあったが、今日またクレーンを使って揚げられていた。

 リサイクルショップでようやくアルミのドアを手に入れることができた、ただ、ドアの枠のサッシが無いので、自作するか、無しで、この枠だけで取り付けるかだ、とりあえず木枠に取り付けることを優先しようと思っている。枠はないが立派なドアだ、8Kだった。
 
 午後から、秘密基地の工事を続けた。ドアを取り付ける場所にもう一本、パイプを打ったほうがいいので、穴を開けて、パイプを打ち込んで、セメントを流し込んでおいた。(写真1写真2写真3写真4


平成30年 6月15日 (金)

 昨夜、日記を書いた後になって結構盛大に雨音が聞こえていたが、今朝には綺麗に上がって、素晴らしい晴天が広がった。東日本ではあまり天気が良くなかったようだが、このあたりは気持ちのいい一日だった。ただ、台風6号が発生して日本に向かっているようだが、それでもこの台風も、前の5号同様台風のうちに入らないような規模のようである。こんな台風ばかりでこんなコースばかりだと有り難いのだが。
      最低気温 16.6℃ (05:31)、最高気温 25.6℃ (15:39)

 本日の登校風景 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8

 もうこのことがあって、まる二年が経っていた。1984昭和59年に、阿蘇国立公園指定50周年を記念して「阿蘇いこいの村」で開催された「阿蘇国際彫刻シンポジウム」で制作され、忘れ去られた彫刻群のことである。そもそもの経緯はH28.6.24の日記に書いてあるが、その後も、つまり二年前にこれではイカンと(阿蘇文化調査研究会のメンバーでもある)川添氏の奔走が始まってからであるが、この貴重な芸術作品、文化財が今もずっと人々に知られること無く草に埋もれている。その間に熊本地震などがあり、また、いこいの村の運営に関わる訴訟問題などが起きていて、いろいろな事情で関係機関の保存や整備の機運がちょっと停滞しており、川添氏ご自身も、「もう私はこの二年で(ことが動かないので)燃え尽きました」と弱音の言葉も聞かれるようになった今回、阿蘇文化調査委員会で、継続してこの問題を提起し続けようということで、改めて本日午前中、現状調査と鑑賞会を行った。
 
 今日は元美術の先生で彫刻がご専門だった(と思う)メンバーの川口さんの芸術家から見た作品の解説も加わって非常に有意義な見学会になった。本当に貴重な作品群をこのまま朽ち果てさせるのは惜しい、まさに今の阿蘇の停滞を象徴するような状況をなんとか打破出来なかと思う。
 
 この場所は、何かと言うと、ほとんど再開不能なほど損傷している(らしい)「いこいの村」の宿泊施設だけが注目されているが、それ以上にこの広大な敷地の存在価値のほうが大きいと思う。杉ばかりの阿蘇谷のなかにあって、いろいろな種類の樹木や草花が植わった森林公園で、まさに「いこいの村」という名前は宿泊施設としての名前よりは、こちらの公園にふさわしい名前である。阿蘇は緑が多いと言っても、山岳地帯や牧野には一般の人は簡単に立ち入りできない、こここそ自由に多くの人が憩うことができる場所だと思う、こんな素晴らしい場所があるにもかかわらず行政はこの財産を使い切れていない、住民に広く知らせようともしない、実に勿体無い話だ。
 
 いこいの村彫刻群の調査と見学会 連続写真 (1/6)
 いこいの村彫刻群の調査と見学会 連続写真 (2/6)
 いこいの村彫刻群の調査と見学会 連続写真 (3/6)
 いこいの村彫刻群の調査と見学会 連続写真 (4/6)
 いこいの村彫刻群の調査と見学会 連続写真 (5/6)
 いこいの村彫刻群の調査と見学会 連続写真 (6/6)
 
 午後から、秘密基地の制作。今日は自転車置き場の屋根の上部の空間を塞いだ、今日はこれだけである。(写真1写真2写真3

 なごみ野のオヤジがタマネギや大根を届けてくれた、感謝。


平成30年 6月14日 (木)

 曇りがち。予報より少し早く天気が下降気味だ。少し肌寒いくらいだった、今日も東寄りの風が吹いていた。夏に東の風が吹くときは冷害や凶作になるという言い伝えがあるとか、オホーツク方面の高気圧の勢力が強いと東寄りの風になり、北の冷たい風が吹いてくるからだそうだ、天気図を見ると確かに北に高気圧がある。
      最低気温 14.6℃ (05:02)、最高気温 22.1℃ (11:10)

 また台風が発生しそうだ、これも日本列島の南を掠めてくれそうだ。
 
 今日の登校風景 連続写真
 
 JF1JTQ@YOKOHAMAの庭のシジュウカラ、いつもだと巣立ちの季節になっているのに今頃になってようやく営巣を始めたそうだ(もう抱卵しているのか)。 http://polluelo.dip.jp:86/live.html?src=1

 今日の作業。倉庫と自転車の車庫の境界の壁張り、ようやく一応の格好がついた、なかなか捗らない。周りを囲む壁がまだだ。

 晩飯。牛肉と野菜たっぷりの甘酢あんかけ。手当たり次第これだけ野菜を使った


平成30年 6月13日 (水)

 梅雨の最中とは思えないような青空が広がった、空気もヒンヤリとして気持ちがいい一日だった。
     最低気温 11.9℃ (05:25)、最高気温 26.5℃ (15:32)

 本日の登校風景 写真1写真2写真3写真4
小生が新しく立っている場所に川が流れている、黒川という、流れていると書いたが、ほとんど流れておらず、雨が降った時には流れる川である。この黒川はもう少し下るとあちらこちらの川を集めてちゃんとした川の流れになる、この黒川が先年、氾濫をして阿蘇谷の内牧一帯が水に浸かった。我が家のすぐ側を流れる豆札川も黒川になる。この黒川が立野で南阿蘇を流れてきた白川と合流して白川として熊本の海にそそいでいる。
  
 県浄化槽協会というのがあって、年一回の浄化槽法定検査があった(浄化槽法第11条検査)。浄化槽の水を汲み取って持ち帰って分析をしてその結果を後日報告してくる、検査手数料3,800円也。
 
 今日の作業。自転車の車庫に波板を張って、ケラバも張った。それから自転車の車庫が連なる、いい加減に作った倉庫の壁を取っ払って、ちゃんとした壁を作る作業をした。数年前にいい加減に作ったものを今回またいい加減に作ったものと連結するのだから、これはもう難事業、結局今日は終わらずに途中までで終了。今のところ天気が比較的に安定していて急ぐ旅でも無いので、楽しみながら、そして数学を実地で勉強しながらやっている。(写真1写真2

 太郎、水泳教室 今日から背泳ぎを習い始めたそうだ。

 連日昼日中ずっと「工作」をして、その後、夜になってまた「工作」をするというのは本当に疲れる、メシを作るのも一種の工作なのだ。夜まで「モチベーション」が持続できないのだ。ギリギリまで大工仕事をして、さて今晩は何にしようかという考えるのが面倒で、ここのところいつも悩んでいる。そんな風だから、とにかく手がかからないもをと、時間切れ寸前になって決める。以前、小生が過去に作ったものを日記を見てリストアップして、表にしたのだが、それを見て、結構いろいろ作っているなあ、これを順繰りにやっても相当日数ローテーションが組めるなと思っていながら、何かの拍子にその表を使う前に紛失してしまった、改めてリストアップするのも面倒で、こうして毎日悩んでいるのだ。

 で、今晩は、キジ焼き丼、コールスロー、冷ややっこ、ほうれん草の味噌汁、スイカ。さて明日は何にするかなあ・・・・


平成30年 6月12日 (火)

 朝のうちはどんよりとして雨が残っているような気分の天気だったがそのご青空が覗いて少しヒンヤリとした晴天になった。
    最低気温 16.6℃ (06:39)、最高気温 22.6℃ (16:09)

 本日の登校風景。今日から見守りの立ち場所を変えた。というのは、先日(小生は出なかったが)、保護者会で坂梨地区の登校班などの話し合いがあった際に、今立っている場所よりもうすこし先にある(黒川の)橋のたもとのほうが、安全確認のためには適しているのではないかという意見が出て、出来たらそうしようかということになったのだが、そうなると、旗振りのあとに仕事に出る人もいて、今立っている場所より先になると、子どもたちの通過時間がその分遅くなって出勤時間に支障が出て都合が悪いという人もいた。そんななかで、考えてみたらヒマ人の小生がその場所に立てば一番問題は無いということに今更ながら気がついたという次第である。
 
 新しい場所は、道がカーブしていて徒歩通学には見通しが良くない、また何本かの道が交差していて黒川が流れていて、安全上、こちらのほうが危険性は高い。その一方で、この場所は周囲より高い場所にあるので、ここに立つと今までの場所も、学校方向も非常によく見通せて、見守りポイントとしては条件が良いということがわかった。先頭の子どもたちが学校に到着したのに、最後尾の子はようやく坂梨の町から田んぼに入ってきたばかりというほど全部が見通せる。また宮地地区の登校班の姿も一部遠望できる。もし監視塔を作るならばここがベストだ。ということで、小生は向後、この橋の袂で子どもたちの登校を見守ることにしたのである。
 
 本日の登校風景 連続写真 (1/2)
 本日の登校風景 連続写真 (2/2) 

 今日の作業。本チャンの方をちょっと小休止して、自転車の車庫作りをした。波板を置くところまではいかなかったが、屋根を乗せた。あとは周囲の壁を、ここは部屋ではないので、波板で囲んでみようと考えている。(写真1写真2

 JARLの新年QSOパーティの十二支達成の記念盾が送られてきた(有償だが)。関東にいた時に以前のコールサインで一度達成したが、その後数年のブランクを経て今のコールサインで再挑戦、そしてこの正月で完成した。正月の二日三日のいずれかに12年連続というのがなかなか大変で、一度でもその日を逃すとその年の干支は次の12年先を待たなければならない。小生、「アワード」はあまり興味がないが、これだけは続けてきたた。と言いながら以前のコールサインで貰った盾、どこにやったかなあ、どこかに行ったなあ、まあ終わってしまえばそんなものだろう。次の十二支に挑戦すると、終わるのは87歳か、悩むところだ。これも生活のリズムだからこれからも淡々と続けて途中で終わったらそれで良いのかもしれない、文字通り「斃れて後已む」だ。

 CHINAと北朝鮮をしっかり監視する情報収集衛星レーダー6号機を積んだH2Aロケット39号機が12日午後1時20分、鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられた。もう成功して当たり前なのであまりニュースにもならない。

 そして、米朝首脳会談が行われた。正直言ってリアリティが感じられないのはどうしてなんだろう。

 晩飯。チキン南蛮。


平成30年 6月11日 (月)

 雨、朝のうちは降っていなかったが、子どもたちを見送った足で熊本の病院に「定期点検」に行った際に、向こうで雨雲レーダーを見ると熊本から阿蘇方向に相当強い雨雲が連なっていたので、おそらく日中は強雨が降っていたのだろう。その雨も夕方近くには収まっていた。
   最低気温 19.6℃ (01:43)、最高気温 22.4℃ (15:20)

 本日の登校風景 写真1写真2写真3

 熊本市の高野病院に三月ごとの大腸癌手術後の「定期点検」に行った。三月ごとの点検で、三ケ月目は血液検査のみ、六ヶ月ごとにCTを撮って診てもらう。今日はそのCT検査だったが、もちろん全く異常なし。で、次回9月はその定期点検でなくて手術後二年になる(正確には12月なのだが)ので「車検」をすることになって、胃から大腸までの内視鏡検査をしてもらう、例の下剤を2リットル近く飲んで腹の中を空っぽにしてやるやつである。定期的にチェックをしてもらえるので有り難い。
 
 今日は朝食を抜いていったので、検査が終わって、昼食には浜勝のトンカツを食べた。食べながら考えた。食べ物の摂取量と肥満の関係を、である。食事をした直後は間違いなく、食べたものの重さだけは間違いなく体重が増える。しかし、一昼夜も経つと大部分は排泄されることになるが、ではその食べたもののうち、どのくらいの量が体内に蓄積されるのだろうか。排出され残った何割かがエネルギーになって消費されるだろう。そして消費されなかった、つまり余った分が体に蓄積されてそれが体重の増加になるのだろう。ということを考えると、時々腹いっぱい好きなものを食べても、殆ど体重には影響しないということになるのではないだろうか。食べた量以上に体重が増えるとなるとエネルギー保存の法則に反するのではないだろうかと思うのである。

 晩飯。そうは言っても、昼に肉、夜も肉、というのはちょっと宜しく無かろうということで、同じ肉でも魚肉にした。
 ブリの照り焼き、出汁巻玉子、冷やヤッコ、しらすのおろしあえ、きんぴらゴボウ、豆腐とネギの味噌汁


平成30年 6月10日 (日)

 今日も日中なんとかもった天気、夕方近くになって細かい雨になった。
     最低気温 19.0℃ (18:41)、最高気温 23.5℃ (08:53)

 今回の秘密基地増床の工事で支柱になるパイプを打ち込むに際して、出来ることなら中継ぎをしないで、一度に長いパイプを打ち込むほうが強度的に良いのだが、打ち込む前の一本棒は相当の長さが有るので、それを打ち込むにはさらにそれより高い位置からハンマーを振るわなければならず、足場の確保が難しくまた危ないのでやむを得ず、短いパイプを打ち込んでそれに別のパイプをジョイントで繋いが、これに引き続いて始めた自転車用の車庫の支柱は、高さが今回増築した下屋の高さよりもかなり低いので、一本棒を打ち込むことにした。それでも地中に打ち込む前の長さは3mあるので、脚立の上に立って、5キロくらいある重たいハンマーを振りかぶって打ち込むことになる。今回は幸いに全く狂いなく真っ直ぐに打ち込むことが出来た。そのあとで、周囲を削ってセメントを流し込んで固めた。モルタルにセメント、コンクリート、似たようなものだが、それぞれ定義が違うようで、今日はセメントである。(写真1写真2写真3写真4
 
 この部分に雨の降り込みを防ぐために波板に面戸(めんど)をはめた。この面戸とは隙間を埋めるための部材で、この場合は波板用の面戸である、スポンジというかウレタンというかそういった材質だ。この面戸という名称、ネットで調べて知った。あるところでは波板用のパッキンともあった。そのほうが通じやすいかなと思ってホームワイドの売り場をあちらこちら探したけど見つからなかったので係の人に波板用のパッキンありますかと尋ねたら、面戸ですか?と訊き直されたので、そうです、そうです、面戸です、と応えたら、その担当者、Yさんとおっしゃるベテランだが、嬉しそうに、お客さんお詳しいですね、面戸、ご存知なんですねえと返ってきた。いや小生はネットで調べて知ったのですよ、と答えると、いや私も以前お客さんにこういった部材ありませんかと尋ねられた時に、知らなかったので、調べて覚えたのですよとのことだった。そしてその面戸、隅の方の全く目立たたないところにあったので買ってきた。

 太郎がスケボーを買ってもらった。7月の誕生日プレゼントだそうだ。それまであれがいい、これにしようといろいろ貰うプランがあったようで、最終的にゲーム機のスイッチ(だったかな)に決まっていたのだが、土壇場で変更して、スケートボードになったようだ。買い物の都合で早くなってしまったようだが、誕生日まで待てなくて、今日出してもらったらしい。

 なんで今頃スケートボードなんだ?別に周囲で流行っているわけでもないのに、と思ったら、どうもアニメの「名探偵コナン」に重要な小道具として登場するらしい。この「名探偵コナン」、娘が大好きで、それに影響されて太郎もファンになったらしい。スケートボードといえば昔「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という映画があってそれにも登場するよと話したら、娘たちは????、子どもたちにとってはもう大昔の映画になるのだ。太郎の周辺では流行っていなくても、巷ではそうでもないようで、今回のスケートボードの購入にあたって母親がスケートボードの講習会に申し込んだところ、もう定員一杯で来月にならないと予約が取れないということで、今日は太郎は「独習」で板に乗っていた。さてさていつまで続くやら、である。
写真1写真2写真3

 あ、そうだそうだ、台風5号のことを書かなくては・・・こちらに来ないとなると扱いが急に冷淡になる。


平成30年 6月 9日 (土)

 梅雨の晴れ間。青空が覗いてたが、蒸し暑かった。
    最低気温 19.8℃ (05:09)、最高気温 26.2℃ (15:13)

 毎週土曜日のルーチンワーク。南阿蘇余生馬牧場オープンセサミに木村豆腐店提供のオカラを届けがてら、餌と水やりに出かけた。写真1写真2写真3
 
 帰る途中、長陽に回ってリサイクル品のドアを探したが、今日も無かった。
 
 小生が帰るのと、入れ替わるように我が家の三人組は予てから予定していた映画を観にでかけた(そして遊び回って夜9時半ころ帰ってきた)。映画は「羊と鋼の森」、本屋大賞を受賞した作品の映画化だそうだが、小生は日本の映画は期待に反することが多いので観ない。
 
 従兄の滉兄が(多分リハビリ関係の)集中講義で熊本まで来たからと言って終わってから寄ってくれた。二人並んで写真を撮ると、満八十歳の従兄、むさ苦しい小生より若く見える。まだバリバリの現役の医師で、今日は講師として福岡から久しぶりに熊本に来たと言って寄ってくれたのだ(もともとは熊本の人間である)。

 今日の小生の作業。秘密基地の前からある扉の上の壁を張る。この扉も最初は拡張に合わせて前面に移動しようかと思ったが面倒なのと、この扉の右がわに、自転車の車庫を作ろうと思っていて、そうなると、いちいち扉を開けて自転車を出し入れしなければならなくなるので、風除室的にこの一角はそのままにしてしておいて、車庫を作ることにして位置決めをした。この部分は今回増築した下屋と鍵の手につながっている屋根の低い棟の延長として作る予定。この棟は家の階段脇の窓から外を見た場合、見通せるように窓の高さに合わせて低く作ってある。


平成30年 6月 8日 (金)

 登校路の旗振りに出る前に少し時間があったので、張り残していたケラバを打ち付けて、時間が来たので戻ってから片付けようと道具類をそのままにして旗振りに出かけたところ、ちょうど子どもたちが歩いてくるころに雨が少し降り始めて、終わって戻ってきた時には屋根の上で道具類は雨に濡れていた。その雨もすぐに上がったが、その後また本格的に降りだして、昼前には強い雨と雷が鳴った、近くに一発落ちた音がした。その雨も、午後には上がって、少し陽が差すようになった。今日は蒸し暑かった。
      最低気温 20.4℃ (02:21)、最高気温 25.6℃ (16:21)

 フィリピン東方沖の低気圧が台風5号になった、時差の関係だろうが、いつも遅い気象庁にしてはJTWCよりも早い発表だった。この台風はまかり間違っても日本本土には来ないだろう。
 
 本日の登校風景。サギがカエルやカブトエビを狙って田に降りていた。 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 小生の大工仕事の真っ最中にJA6DI.otが自作の送信機を持って御入来。ちょっと前から、小生が作業中に時々おいでになっては、小生が寸刻も惜しんで作業をしているのを見て、ようやく送信機を作ったのだけど忙しそうだね、また来るから、と二三度そういうことがあって、今日はとうとう待ちきれずに送信機を持ってご登場。御本人も見せたくて見せたくてとうとう持ってきたとのことであった。苦労して作り上げた作品、人に見せたくなるのは人情で、特に、この作品は、戦時中の真空管や米軍放出の部品や今では手に入りにくいバリコンなど、自分の手持ちの部品を組み合わせて、無い部品は自作して作り上げた、5W出力の7MHz電信専用の魂心のHF送信機である(送信周波数 7.000から7.010くらい)。これが自分のこの世での最後の作品だなあと笑っておいでだった、(いやまだまだ)。(写真1写真2写真3

DIさんとほぼ同じ時に、なごみ野のオヤジが大根を持ってきてくれた。このお二人は桜町の同じ組で昵懇の間柄でもある。

 雨のなか、秘密基地内で作業を続行。昨日作った防潮堤、立派に機能して、外からの雨の流入をシャットアウト、安心して板を切ったりすることが出来た・・・・・・のハズだったが、雨が強くなると、この程度の防潮堤では役に立たず、そのうちにどこか別の所から入り込んだ雨で床の低い部分はまた雨に濡れてしまった。
 
 今日の作業は、屋根の傾斜を変えたために、東側の矢切部分に大きな隙間ができたので、この部分を新しく作り直した。あちらこちら出っ張りがあるので、苦労して、ようやく夕方に格好を付けた
 
 晩飯。炊き込みご飯、刺し身、出汁巻玉子、冷や奴、大根ホタテ・カニ缶入サラダ、豆腐とニラ味噌汁、スイカ


平成30年 6月 7日 (木)

 今日はなんとか天気はもった。気温が高くて湿度があってちょっとムシムシした。
       最低気温 17.8℃ (04:53)、最高気温 25.4℃ (14:19)

 本日の登校風景 写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 
 これ、薪材である。福原の田んぼの脇に積んである。小生のものである。まだ春も始めの頃、欅の枝払いをして田んぼに積んであった。そのうちに、田植えが始まるので田んぼの脇に移動していた。木の、そして田の持ちぬ主の慎雄さんに行き先は決まっているのか、と尋ねたら、いや、決まっていない、欲しかったらやるぞ。なんだ、それなら田植え前に言ってくれたら積んで帰ったのにと言ったのだが、もう稲が植わっているので、このまま放っておいて、秋になって稲刈りが終わったら、田んぼに乗り入れて積んで帰ってくることで話が決まった。どうせ薪がいるのはその頃からだから、乾燥もしてちょうどいい。 

 いやあ、忙しい忙しい、脇目も振らず朝から秘密基地の制作をしてヘトヘトになった。各所がいい加減なので、それぞれのパーツを組み合わせて一つのものにする場合に、本来であればしなくていい摺合せをしなければならず、それがあちらこちらで起きるので時間ばかりかかって、疲労困憊した。
 
 ようやく、西側の壁を張った(写真1写真2)、西側全部を張ったと言いたいところだが、下の方の数十センチはまだ手付かずである、基礎打ちとの関係でペンディング。いずれしても張っただけでシールなんか全くしていない状態である。そしてもう一箇所の東側の壁面も上の方だけようやく張り終えた。明日からまた天気が怪しくなるので、屋根から落ちた雨が、地面に落ちて低きに流れて建物の部分に侵入しないように、セメントを細く防波堤状に打っておいた。早く扉を入手して取り付けたいのだが、なかなか手配できない。ここが開きっぱなしだと洒落ではないがどうも閉まらない。

 晩飯。カツ丼。へとへとで且つ時間が無くなったので窮余の一策、他には何も無し。晩メシに「丼もの」、小生の主義にちょっと反するが、こどもたちは大喜びだ。


平成30年 6月 6日 (水)

 強くはなかったが、終日断続的に雨が降ったりやんだり。夕方近くなってようやく上がる方向。

 本日の登校風景 朝のうち、降りみ降らずみ。 写真1写真2写真3
 
 内牧の松野動物病院からボンのフィラリア予防薬を貰ってくる。10月までの五ヶ月間、月一回投与する。

 今日の作業。朝から雨だとどうも作業意欲がわかず結局今日は殆ど何もしなかった。雨樋がまだついていないので屋根から落ちた雨が直接路面を叩き、しかも路面の傾斜が少し中側に傾いているので、下屋内部に雨が流れ込んでくる。従来の床の部分はコンクリーが打ってあるので高くなっていて大丈夫なのだが、増築した部分は路面と同じ高さななので少しでも傾斜が有ると水は低きに流れる原理のとおり、内側に流れ込むのである。さて、どうしようか、先にコンクリートを打つか、それも大変だ、そう思ってとりあえず土嚢の袋を買ってきたが、今の所そこまでやることもないだろう、と、応急仮設ながら雨が直接地面を叩かないように、雨樋を軒下にくくりつけておいた。ほんの僅かだから、雨が上がったら薄く堤防様にインスタントセメントでも塗ってみるか。
 
 まだ、工事完成までしばらくかかりそうなので、久しぶりにJTWCを覗いてみた、デザインが変わっていてちょっと戸惑った。フィリピン沖の低気圧が台風になりそうな気配だ、これが台風になると大体日本に向けて進みだして九州あたりにやってくる、そうでなくても大雨を降らせるのだろう。
 
 それからやったことといえば、中継用同軸ケーブルにコネクターを付けた。秘密基地内に這わせる無線の同軸ケーブルが、壁面が出来上がるにつれてだんだんと通す場所が無くなてきており、遠回りさせたりする関係で長さがなり無くなったのだ。
 
 太郎、水泳教室。
 
 晩飯。カレー、コールスロー


平成30年 6月 5日 (火)

 朝のうち曇り、やがて雨になり、その後ずっと降っていた、ようやく梅雨空が戻ってきた。数字上はどうでもないが、今日はちょっと肌寒いくらいだった。
      最低気温 16.4℃ (但し20:14現在))、最高気温 20.3℃ (08:35)

 本日の登校風景 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 
 今日は雨になるという予報だったが、朝のうちはまだ雨雲がずっと西の方にあったので、やれるところまでやってしまおうと、秘密基地の制作を始めた。西側の雨が一番降り込みやすい上部がまだ一部残っていたので、大急ぎでその部分の壁を張った。今日の切り込みは狂いなくピシャリと収まった。作業開始からちょうど一時間、10時を過ぎた頃から雨が落ち始めた、ギリギリセーフだった。(写真1写真2

 娘が、数学などを勉強している時に、こんな難しい数学なんてやって実生活に役に立つのかとよく訊いてくる、今小生がやっている造作の屋根の傾斜に合わせて妻壁(矢切と言うのか)の板を切り出す時に、いろいろなものが障害となって、全部の寸法を測れない時などに、傾斜の一部だけを測って、全体の大きさを計算する際に、三角関数が非常に役に立つ、これなんか実生活に大いに寄与する数学だが、机の上で学問としてだけやっていてもそういった面白さはまだわからないのだろう。娘が早く対数を習わないかと小生はその時を楽しみにしている、娘が対数を習い始めたら、計算尺を教えて、その面白さを娘のクラスに先生も含めて広めたいと密かに思っているのである、先生も今や計算尺なんて全く知らない世代だろうから。

 晩飯。ブタ大根、出汁巻玉子、シュウマイ、コールスロー、大根と油揚げの味噌汁。なごみ野のおやじに大根をもらったので、ここのところ大根ばかり使っている。


平成30年 6月 4日 (月)

 晴れ。ちょっと湿気を含んでいたような暑さだった。この好天続きもどうやら今日までのようだ。珍しく中岳の噴煙が多かった(風向きのせいかもしれないが)
    最低気温 15.5℃ (05:06)、最高気温 26.9℃ (14:34)

本日の登校風景 写真1写真2写真3写真4写真5

 連日、秘密基地建設で一日が終わっている。部材調達で午前中ホームセンターに出かけたのでかなり出足が遅くなった。今日はようやく合板で西側の壁板を張った。明日には雨になるとのことなので、ざっとだが、雨風を受ける面の上部だけはとりあえずかなり応急的だが張っておいた。(写真1写真2写真3
 
 ちょっと計算違いで、深く切り込みすぎたが、まあ、これは愛嬌だ。
 
 ラジオで言っていたが、南シナ海で台風が発生しそうだが、(それはあまり日本には関係がなさそうだが)それとは別に台風になりそうな低気圧がフィリピン沖にあって、それがもし台風になったらいつものコースで大きく右回りにカーブして九州方面にやてくるパターンの台風になるかもしれないということだった。そろそろ台風をしんぱいしなければならないシーズンになってきた。
 
 そうなると作りかけの秘密基地はかなり「ヤバイ」。いまのところ、映画のセットのように西側だけは壁を張ったが、反対側の東側は普段は雨風が吹き込まないので今の所まだ全くスッポンポンだ、下手に一部だけ開放している建物は風をもろに受けると危ないのだ、そうならば、急いですっぽりと覆ってしまわないと。

 5時ころまでかかって、とにかく一応の格好をつけてそれから太郎の学童の迎えに行ったので、晩飯を作る時間も無くなった。

 晩飯。ひき肉とタマネギのオムレツ、大根サラダ、ジュンバリ、味噌汁
 
 食事時、太郎が皆んなと同じ椅子が良いと言って幼児用の椅子を卒業した、まだちょっと無理のようだが、太郎はこれで良いと言い張っているが、雪舟する必要があるような気がするが。


平成30年 6月 3日 (日)

 晴れ。
    最低気温 13.1℃ (05:18)、最高気温 24.3℃ (13:14)

 娘は英検の試験があるとかで、朝食を済ませるとあたふたと出かけていった。3級の時は地元で試験があったが、次なるステップは地元では試験が無いようで、熊本市内まで出かけていった。と言ってもfJR九州のせいで、独りで行くことが出来ないのでカミさんと太郎と三人で出かけていった。
 
 小生は、今日も秘密基地作り。これが「仕事」だったらとても採算に合わない、一体この程度の工作に何日かかっているのだ。まあ、作ること自体が楽しみでもあるので、ゆっくりゆっくり、である。
 
 今日も一日かけて、一番面倒な場所の雨仕舞で終わった、これでどうにかまとまったので、出っ張り無しで合板を張るのに同じ面で張ることが出来るのではないだろうか。明日辺りまではなんとか天気が持ちそうなので、とりあえずの段階まで終わってしまいたいところである。


平成30年 6月 2日 (土)

 昨日と言い、今日と言い、梅雨とは思えないようないい天気が続いている。梅雨に入った途端にいい天気になるのはよくあることである。気温も高かったが数字ほどの暑さは感じなかった、湿度が低かったせいだろう。
     最低気温 11.5℃ (05:52)、最高気温 27.6℃ (13:53)

 本日の登校風景。今日は土曜授業の日で通常通りの登校になった。
  写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7
 
 太郎、土曜授業で授業参観があったそうだ、そして、午前中で一旦下校して、午後から今度は青少年交流の家で二年生の親子リクレーションがあり、ゲームなんかで楽しんだそうだ、母親が一緒に参加した。
 
 小生はいつもの土曜日の行事、午前中、オープンセサミに木村豆腐店からもらったオカラを持って馬の餌やりに出かけた。小生が囲いの中に入っていくと餌をもらえるということが分かるので、後ろからゾロゾロとついてくる。そして、餌やりのあと、長陽村のいつものアルミサッシのリサイクルショップに寄って(出物はなかった)、ついでに他にも探しているものが二三点あったので、山を下りて、空港周辺のリサイクルショップを二軒ほど回って帰ってきた。結局探しているものは無かった。
 
 午後から、秘密基地の工事の続きをしたが、今日はずっと脳みそを絞ることに終始した。行き当たりばったり工法なので、さてさて、この部分の雨仕舞をどうするかで悩んだ。強い雨風の時にはこの面に一番影響が出る場所で、複雑というか不規則な構造をしているのでこれをどう解決するかである。大体の方向は決まったので明日実際にやってみよう。

 アゼリアの通年会員の更新をした。通年23,000円也。最近は水泳をサボっているが、風呂だけで考えた場合でも、毎日行くので、一回あたり数十円だ、家の風呂に入るよりはいろいろな点で良い、常連さんも家に風呂があるにもかかわらずやってくるのはそうだからだろう。もういつのまにか十年以上会員である。


平成30年 6月 1日 (金)

 快晴。梅雨前線が南下して、大陸の高気圧が張り出して湿度も低くて爽やかな気持ちのいい青空が広がった。空気が澄んでいて明るい太陽に植わったばかりの見渡す限りの稲の苗も青々と輝きを増してきており、まだ田植えが終わっていない水を張った田にも山の緑と青空とが一緒に映り込んでいて今最高に美しい世界が広がっている。今日は珍しく東よりの風がそれも少し強めに吹いていた
    最低気温 11.7℃ (05:30)、最高気温 23.9℃ (16:12)

 本日の登校風景 写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7

 今日は秘密基地の二枚の屋根の隙間を調整して、更に隙間部分を覆うように波板を張った。そして、二枚の屋根の間に挟まっていた古い屋根の方のケラバを剥いで、もう片側の長く延した所に継ぎ足しをした。反対側はホームセンターで買ってこよう。それから工事中、仮止めにしてあった垂木のクランプのネジ止めをした。今回は両端だけ垂木クランプで固定したが、中間部分を留める必要があるかどうかちょっと思案中である、必要ないと思うが。
 
 下屋の屋根に登って作業をしていると、配達の帰りに我が家の前を通りかかった新店(しんみせ)の主(AJY)が何事かと立ち寄って、しばらく二人で道楽話に花が咲いた。AJYは空を飛ばなくなってやはり手持ち無沙汰で・・・・と言っていた。

 JLZが先日やってきたときに、小生が造作中の屋根を見て、大雨なんかが降った場合、屋根の勾配は最低確か6°は必要だというようなことを言っていたように記憶している。小生は玄関先から表通りを「秘密基地」の前後に取り付ける計画の素通しガラス窓を通し見通せるように、と勾配を適当に決めたのだが、今日JLZの言葉を思い出してどのくらいあるのだろうかと屋根の勾配の一部を切り取って測ったところ、底辺245mm 高さ30mmだった、ということはアークタンジェントは6.981・・・・ほぼ7°あることになる。ギリギリセーフということだろうか。 

 ミモザさんの小生の行き当たりばったり工法について掲示板にいくつか疑問を呈しておいでだったので、その返事を書いておいたが(写真1写真2写真3)、直接の疑問にはなかったと思うが、パイプを土中に埋め込む工法、小生のオリジナルである。普通は最初に基礎を打つ時に予め建物の支柱のアンカーなんかを埋めて始めるが、そうすると、設計にものすごく時間がかかり(そもそもそんな事できない)、更に、そうやって基礎を先に打つと、もうそのデザインに縛られてしまって途中で変更なんかが難しくなると思うので、小生は先に地中にパイプを打ち込んで、相手は土だから気に入らなければ抜いてまた打ち直せば済むのでそうやって、作りながら自分の思う形に少しずつ作り上げていって、つまり、行き当たりばったりで作っていって、出来上がったところで、地中に埋めたパイプも含めてセメントを打ってしまうのである。地中に埋め込んだ単管パイプは多分数年で錆びて腐ってしまうと思うが、あまり厚くなくてもセメントを打った部分はしっかりとある程度長い期間固定されると思っているのである。柱を地中に埋め込んで作る建物、言うなれば「竪穴住居」なのである。

 夕方風呂に行って量ったら64.5キロ。ちょっと低すぎるなあ、と家に帰って量ったら64.8キロ、いずれにしても65キロを切ったことは間違いないだろう。2ヶ月で5キロ減、最近、「減らす喜び」のようなものがあって、苦痛ではないがちょっとだけ無理をしている部分もある。健康診断は7月だろうから、あと最低一ヶ月はこの状態を続ける必要がある(内心ちょっと早まりすぎたかな?)

 晩飯。昨日の残りのジンギスカン、冷や奴、豆腐と油揚げの味噌汁。おからのサラダ、名前は知らないがガンモのようなもの、木村豆腐店ではいつも豆腐か油揚げしか買わないが今日は更にお惣菜を二種類買った。