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平成29丁酉(2017)年12月の記録(新しい日付けの順)

平成29年12月31日 (日) 大晦日

 くもり。
    最低気温 1.7℃ (但し18:47時点、夜に入って下がり気味)、最高気温 7.1℃ (13:45)

 もう年越しと言って大騒ぎはしない、だまっていても新しい年は来る、もうそういうふうに思うようになって随分になる。昨年は家族は千葉に行っていたが、今年は、家族皆揃って自宅で年を越す、子どもたちも風呂お掃除をしたりあちこちの掃除を手伝っていた、カミさんも忙しそうに立ち振る舞っていた。そういうわけで小生は最低限の仕事として、神棚と仏壇の掃除だけをする。(写真1写真2
 
 それから、夕方近く、蕎麦を打った(写真1写真2)。考えてみたら、もしかしたら、今年最初のそば打ちかもしれない。太郎が小生が捏ねた時に残ったほんの少しのそば粉で小生の真似をしてママゴトのような蕎麦を打っていた。(写真1写真2
 
 昨日作った松前漬け、一日で漬かって美味く出来上がった、正月を待たずにもう早速食べている。

 大晦日の夕飯は恒例のすき焼き、そして、食べるのもそこそこに子どもたちは紅白歌合戦をみるために「ゴチソウサマ」、小生は二階に上がって日記を書いている。
 
 これから先は、多分、そうなるだろうという、予定稿である。
 
 今年は夏子が紅白が終わったら友達と阿蘇神社に初詣に行きたいと言っていた、この時間の初詣は初めてのことである、昨夜は少し雨が降ったが、明けて今日は天気が回復している、寒さもそれほど厳しくなく穏やかな初詣になるだろう、ただ校則で子どもたちだけで出かける事ができないので、年越しそばを手繰ったあと母親が引率して出かけていった、太郎は年が変わるまで絶対に起きていると言っていたが早々と沈没、そして小生も。小生は今まで深夜の初詣に行ったことはない、これを恒例としている人も大勢いるようだ、そういう人たちは年頭の意気込みからして小生と違うようだ。
 
 今年も、家族全員、健康に過ごすことが出来た、これが何よりである、来年もかくありたい。
 


平成29年12月30日 (土)

 穏やかに晴れる、晴れていたが終日薄いモヤがかかっているようで阿蘇山がぼんやりしていた、PM2.5かなと思ったが、別にそうでもなさそうだった、暖かい一日だった。
       最低気温 -1.4℃ (05:07)、最高気温 10.2℃ (15:25)

 昨日オープンセサミに行った際にニンジンをたくさんもらってきた。なんでも、市場に出せない規格外のニンジンがなんと数トン届いたそうで、さすがにこれだけ多いととてもこの牧場の馬たちでも食べきれないので、小生に好きなだけ持って帰れと言われた、我が家で食べる分を少しもらって帰るつもりだったが、もっとたくさん持っていって、近くに馬がいるでしょう、なんだったら大袋を軽トラックのクレーで積んで持って帰ってもいいわよと言われたが、流石にそれは遠慮して、とりあえず(みかんなどを入れる黄色い色をした)コンテナ一箱分だけ積んで帰ってきた。
 
 頭のなかに、九州男さんのところの馬にやろうかと思っていたからである。九州男さんは町古閑牧野に通年で馬を放牧している、先月だったか、馬の品評会で一等賞をもらっている。昨日オープンセサミに通う際に箱石峠に向かう坂梨のはずれの牧野で見かけたので、今朝、時間を見計らって出かけてみた。
 
 ここには、牛が60頭あまり、それに馬が七頭放牧してある。馬は九州男さんの馬で、牛は波野のT井さんの牛である。馬は飼い主が現れるのを遠くから見ていて、九州男さんが餌をやりにやってくると一斉に駆けてくる(食べ終わると水を飲んでまた群れの中に戻っていく)。九州男さんに、こうこうこう言うわけでニンジンを持ってきたけど、馬、ニンジン食べるどか、と尋ねたら、そうか、でも、食べないと思うけどやってみるかと、投げ与えたところ、九州男さんが言ったとおり、どの馬も全く食べない。牡丹に唐獅子、竹に虎、という風に、馬とニンジンはセットで考えていたが、これがどうも違うようで、馬も食べ慣れていないと食べないそうで、無条件で馬はニンジンが好きだというのは違うようである、これは意外であった。(写真1写真2写真3写真4
 
 さて、このニンジンどうしようか、近くに馬を飼っているところは何箇所かあるが、そうだ、「阿蘇うま牧場」に行ってみよう。この牧場はオープンセサミの牧場主どのに言わせると阿蘇地域で一番乗馬を教えるのが上手いということであった。小生の馬を飼う遠大な計画のなかで、いずれ馬に乗る練習をしなければならない、その際には、ここに行ってみようと思っていたので、良い機会だと、町古閑牧野から永草にある「阿蘇うま牧場」 < http://aso-uma.com/ >に向かった。
 
 牧場に着くなり、そこに居た女性に、ここのウマ、人参食べますか?・・・・前置きもなくいきなりの問いかけに、その女性、胡散臭げに、食べますけど・・・・。 じゃあ、ニンジンがコンテナにいっぱいあるから貰ってください。ハア?・・・・・、そこでようやく事情を話したところに、男性登場、ここの主、ダン氏である。くだんの女性はダン夫人だった。
 
 改めて詳しく事情を説明して、ニンジンを受け取ってもらった。もしご希望でしたらいくらでもありますが・・・
 ウチはウマは五頭なのでそんなにたくさんもらっても食べきれないので、これだけで十分です、それにあまり食べさせると腹をこわすので・・・・やはりここでもウマとニンジンの無条件の相性を否定する言葉が聞かれた。
 
 この「阿蘇うま牧場」、昔ホームセンターの「ロッキー」があった近くで、内牧駅と市ノ川駅の真ん中あたりの57号線沿いにある。馬を見せてもらったところ、4頭はサラブレットだった。サラブレットは暴走するのでしょう?と尋ねたところ、自分は暴走されたことがないので、何とも言えないが、調教しだいだと思うとの話であった。
 
 この冬の時期、お客さんは来ないのだろうなと思っていたら、立て続けに何組かのお客さんがやってきて乗馬を楽しんでいた。 ああ、いいな、こんな風に自由に馬を乗りこなしたい。(写真1写真2写真3写真4写真5写真6
 
 午後から、ちょっと遅くなったが、松前漬けを作った、小生、酒は飲まないのに正月にはこれだけは欠かせないので必ず作る。それから波野の道の駅「神楽苑」に打ち粉を買いに行ってきた。それから村の新年賀詞交換のお神酒やみかんなども買ってきた。
 
 国道57号線の滝室坂トンネル工事の波野側、神楽苑のすぐ横からもう工事用の道路工事が始まっていて(写真1写真2)、トンネルの反対側のここ、馬場のもう一方の出入り口より遥かに工事が進んでいた。

 夕方、I田J子さんとお嬢さんのK子さんが立ち寄られた、K子さんは近々、「華燭の典」を挙げられるご予定だそうで、彼女のことはここに来た時から知っているので、いや実にお目出度い話である。

 いよいよ今年も明日一日になったが昔と違って、年の瀬と言ってももう全く慌ただしさも焦りも感じない、ただ淡々と粛々と時間が過ぎていくだけである。ここにいると世間の帰省ラッシュなど全く無縁である、帰省客で国道はいつもよりも少し通行量が多かった、また、風呂に行ったところ、普段見かけない小さな子どもたちがたくさん入っていた。多分、帰省の息子が連れてきた子どもたち、つまりお孫さんたちなんだろう、これがここの年末の風景だ。


平成29年12月29日 (金)

 どちらかと言えば、曇り・・・だったかな。
    最低気温 -2.3℃ (03:14)、最高気温 7.9℃ (13:19)

 今日からカミさんも年末年始の休みに入った。小生は今年最後のオープンセサミに仕事納めに行く。

 太郎に、一緒に行くか?と聞いた所、行かん!と言う。どうしてだ? だって怖いから・・・。 何が? 馬に追いかけられから・・・。(小生としては好きになってくれないと困るんだがな)
 
 年末で他のボランティアの姿も無く、今日も引き上げるまで完全に一人だった。今日の寒さは大したことがなくて飲水の氷結も大したことがなかった。長老馬のユーザンの小屋出し、ボロ拾いなど一通りの仕事をして、いつもより少し早く引き上げる旨牧場主どのにSMSを送った所、駆けつけて来てくれて年末の挨拶を交わして帰ってきた。(写真1写真2

 日本の周辺は本当にろくでもない国ばかりだ・・・・


平成29年12月28日 (木)

 晴れ。また一段と朝の気温が下がる、今年の冬はちょっと異常であると言うべきか、いや、異常気象でなくて気候変動か、それも地球温暖化でなくて、向かうべくして向かっているのか地球寒冷期に。
     最低気温 -5.9℃ (06:39)、最高気温 5.7℃ (14:21)

 午前中いっぱいかけて年賀状を書いて、郵便局に持っていった。やり始めると早いのだ、ちゃんと心を込めて書いたぞ。

 昼から、今日も薪を作った。今日は薄くモヤがかかったような空だったが、風がないので日が昇ってからは寒さはそれほど感じなかった。
 
 晩飯。とろろ汁。太郎は本当に好きである、普段は飯を食うのが遅くて、いつも家族の中で一番最後になるが、今晩は一番だった、お姉ちゃんはとろろ汁はあまり好まない、太郎が食べたいと言っているしお父さんも食べたいけど、夏子は嫌いなのかと問うと、嫌いじゃないけど、好きでもないと言うので、じゃあ付き合えと言って作った。


平成29年12月27日 (水)

 晴れ。青空が広がる、久しぶりのような気がする。北日本は相変わらず暴風雪が続いているようだ、ここは高気圧圏内にあるが、等圧線の間隔が狭いから北からの冷たい風が吹いていて、外で作業をしていてとても寒く感じた。
     最低気温 -1.0℃ (但し19:20時点、さらに降下中)、最高気温 4.1℃ (14:30)

 午前中いっぱい、薪作りをする、作業をしていた場所が風の通り道だったので、非常に寒くて、鼻水を垂らしながらやっていた。
 
 少しだけ年賀状作りの準備をする。

 晩飯。キジ焼き丼
 
 
平成29年12月26日 (火)

 曇り。
 北日本が台風並みの低気圧で吹雪と暴風で大変なようだ、ここ阿蘇は終日雪国のように重たい雲が垂れ込めて冷たい風が吹いていた、同じ寒さでもこんな天気が一番イヤである。
     最低気温 -2.2℃ (00:00)、最高気温 3.7℃ (14:44)

 冬休みで朝の登校見守りも無し、天気がハッキリしないので薪作りも無し、牧場行きも無し、ということでメリハリが無いので記録写真も撮らず、ハテ、今日はどんな一日だったろうと思い出そうとするが記憶が飛んでいる。
 
 そうだそうだ、図書館に本を返しに行って、ついでに寺さんご推奨の時代小説のシリーズ物の第一巻だけ借りてきた、面白ければまた借りよう。
 
 それから、いまだ機熟さず。なんの機か、年賀状書き、いや、作りである。もう今年も残り少なくなっているのに、この期に及んでも大作家先生のようでなかなか創作意欲が湧かないのだ。

 夕方、太郎を歯医者に連れていく。虫歯が出来そうなのでと申し込んであったのだが、この時間はまだカミさんが仕事が終わらないので、小生が学童に迎えに行った足で宇治歯科に連れて行って順番を待っていたところ、カミさんが仕事が終わったと言って駆けつけてきたので、ワンポイントリリーフで引き継いで帰ってきた。そう言えばカミさんの職場は交差点を挟んで歯医者から数十メートルの距離なのだ。

 晩飯。炊き込みご飯、ハマチの刺し身、出汁巻き玉子、味噌汁など


平成29年12月25日 (月)

 曇り。
     最低気温 0.6℃ (但し19:57、夜に向けて降下中)、最高気温 5.8℃ (00:00)

 太郎のやつ、普段よりうんと早く起きてきてクリスマスプレゼントをみつけて、早速開いていた。だいぶん前にサンタさんあてにクリスマスイブの日は二階に寝ますと書いて階段のところに貼っていたが昨夜は下で寝た、オイ!太郎、昨日は二階に寝るとサンタさんに言ってあったのじゃないか、サンタさん迷ったかもしれないぞと言うと、ウン、ちゃんと貼り紙剥がしておいた、だそうだ、まだサンタの存在を信じているようだ。リクエストしてあったゲームソフト(ポケモンなんとか)が入っていたようだ。因みに我が家のサンタは母親で、父親は関知せず、である。

 昨日の雨でグランドコンディションが不良につき外作業は全く無し、冬休みに入ったので登校の立番も無し、従って外の寒さを実感することも無し。
 
 特に何をしたということもなく一日終わる。今日から夏子が冬休みで家にいるので昼飯を食わせる。夜はトンカツを揚げる、今日は外で体力を使うこともなかったので、ポテトサラダも作る。

 先日借りてきた本、一冊読み終わり、続いて次の本に移る。本のキャプションは是非読みたたいと思わせるように実に上手く書いてあるものである。(写真1写真2


平成29年12月24日 (日)

 晴れのち雨、そして夜には上がる。今日は昨日までと違って気温が高かった。
     最低気温 0.5℃ (04:51)、最高気温 13.9℃ (11:28)

 今日は予報で天気が崩れるということが分かっていたので外には出ずに読書をしたりして過ごした。そうそう、それから、国旗を加工したのだった。
 
 折に触れて掲揚する我が家の国旗、どうしても「白地に赤く日の丸染めて」の白地部分が破れてしまう、それも変な破れ方で別にそのように織ってあるわけではないのに、日の丸に形に白地部分が少しずつなくなって行く。遠くから見ていても日の丸さえ見えていれば、ああ国旗が揚がっているなあとわかるが、どうも気分が良くないので、新しい年を迎えるにあたって新調した
 
 ただ、国旗をロープに取り付ける方法が、掲揚の度に国旗についているヒモをロープに結びつける方式だと面倒なので、ワンタッチで取り外しが出来るタイプのものを使っていた。そのためには特注になって、納期に時間がかかって値段も倍以上するので、今回は時間もないこともあって、ヒモ式の国旗を買ってそれをワンタッチ式に作り変えた。我が家では何年もこのワンタッチ式を使っていて、旗部分は破れてしまって部品だけが分かっているだけで三組はあるので、今日はそれを使って加工する作業をした、これで新年を新しい国旗で迎えられる。
 
 今晩はクリスマスイブである。太郎は、クリスマスと言ってもあまりワクワクもしないね、と言っていたが、それだからというわけでもないが、だんだんとクリスマスイブの晩餐も簡素化して、わざわざ写真に残すほどのこともしなかったので、カミさんが買ってきたケーキだけを記録に残すことにした、メリークリスマス。
(写真1写真2写真3

カネを失う(新聞記事PDFファイル
オイ!f-JR九州!大津〜阿蘇の代替バスを走らせろ!公共交通機関として社会的責任を果たせ!


平成29年12月23日 (土) 天皇誕生日
 
 晴れ。風もなく終日穏やかに晴れる。
      最低気温 -4.8℃ (07:45)、最高気温 11.3℃ (15:16)

 南阿蘇余生馬牧場オープンセサミに太郎と出かけた。今日は牧場行きは予定していなかったのだが太郎が二三日前に連れて行けと言うので、じゃあ、天気が良くて寒くなければ行くかと言ってあったのだ。カミさんに二人分の握り飯を作ってもらって午前9時半ころ出発した。
 
 朝はいつものように冷え込んだが、日が昇ると気温も上がり風もなく実に気持ちのいい冬晴れになった。
 
 牧場に着くなり、うわっ臭さ!と太郎が言った。小生、馬糞のニオイを臭いと思ったことがないので、この一声にちょっと驚いた。初めて嗅ぐとはやりクサイと感じるのだろうか。それでも太郎もすぐに慣れて臭わなくなったと言っていたが、そんなものなのか。

 馬も見慣れない人間が珍しいのだろうか、あるいは何かもらえると思ったのだろうか、観光牧場的要素もある牧場なので多分後者だろうが、囲いに近づくと馬が一斉に近づいてきて柵越しに顔を太郎の方に寄せてくる、初めての経験なのでもともと臆病者の太郎、及び腰で柵の外から、それも大分離れて見ている。
 
 太郎にお父さんと一緒に柵の中に入れと言ったが、最初に一斉に馬が寄ってきたのに臆して中に入らない。じゃあ一番おとなしい馬がいるところに行ってみようとポニーばかり三頭が入っている上から二番目の囲いに連れて行って、絶対大丈夫だからと半ば強引に柵の中に入れて、馬糞拾いをやらせた、このころにはもう馬糞のニオイは全く気にならなくなったようだ。この囲いの中の三頭はおとなしいポニーで、向こうからあまり積極的に寄ってくるようなことはしない。それでようやく落ち着いて、それでもキョロキョロしながら馬糞拾いを体験した。
 
 一番上の囲いには一頭が非常に積極的に寄ってくる馬がいるので、太郎には柵の外から見学させて小生一人でボロ拾いや水やりをした。
 
 次に三番目の囲いに降りていって、そこで長老馬のユーザンを小屋から出してやりながら、太郎にも中に入れと言って囲いの中に入れた。上のおとなしいポニーがいる囲いでちょっと馬との接近を経験したので、恐る恐るながら、中にはいって、キョロキョロしていたが、この囲いにはサラブレットやポニーなど全部で6頭いる囲いで、そのうちにそのなかの一頭が太郎に興味を示して、近寄ってきた。太郎は少し怖くなったようで、後退りを始めたら、その馬は益々近づいてくる、根が臆病の太郎はますます怖くなって走って逃げ出したところ、馬の方も太郎の速度に合わせて追いかけてきた、別に襲おうというのではないが、興味を示して近づいていったところ、相手が離れていくので、離れまいと速度をあげたのが、多分襲われるというふうに映ったのだろう。太郎は必死で逃げてようやく柵の下の隙間から外に転げ出るようにして「危機」を脱したが、小生は少し離れた所から眺めていたが、太郎のいるところに行ってみると、顔が引きっつっていて顔面蒼白、顔が紙のように白くなって今にも泣き出しそうな顔をしていた。馬にもいろいろ個性があって、大人しい馬、活発な馬、イタズラな馬といろいろいる。太郎のやつ、この馬は絶対に許さんと言ってしっかりとその馬のことを頭に刻み込んだようだ。
 
 太郎、馬糞拾いは今日一日で結構経験したが、考えてみたらまだ馬に全く触れていない。太郎!牧場に来て馬に全く触らないで帰るのはカッコ悪いだろう?触れ!いやボクいい、いいから触れ!太郎が近づいて触ろうとすると馬は少し動く、それがまた襲われるのではと思って、離れる。小生が馬に触って気をひきつけている間に、触れと言ってようやく触った。おい、手袋越しでは感触がわからないだろう、手袋を取って触れ、と言って、ようやく素手で触らせた、気持ちがいいねえと言っていた。
 
 昼飯を挟んで、午後からちょうど出てきた牧場主どのからバケツいっぱいのニンジンをもらって、上の囲いから下の囲いまで順繰りにニンジンをやった。このニンジンやりも、直接口元に持っていって食べさせようとせずにコワイから投げて与えていた。馬の口に直接咥えさせるのはちょっとしたコツのようなものが必要で慣れないとガブリとやられてしまう。太郎のやつは、家のボンにさえ直接餌を手渡しで与えられない、以前、与え方が下手で結果的に噛まれるかたちになったので懲りてそれ以来やらなくなった。
 
 そんなふうにして今日一日の牧場経験が終わった。とにかく万事臆病な太郎、どうだった?と訊くと、楽しかったあ、また、来たい、大分慣れてきたから今度は大丈夫だよと言っていた。考えてみたら小生も最初の頃は腰が引けていた。まあ、馬には「添って」みよ、ということである。 

 太郎、オープンセサミ 初見参 連続写真 (1/2)
 太郎、オープンセサミ 初見参 連続写真 (2/2)

 H2Aロケット37号機打ち上げ成功、今回は一度の発射で異なる軌道に2衛星の投入に成功したそうだ。ちょうどオープンセサミに着いたばかりのころで、南の空を眺めてみたが、流石にここからは煙も見えなかった。


平成29年12月22日 (金) 一陽来復

 晴れ。(写真1写真2写真3)、子どもたちの登校の時、短時間だが霧が出た。日中は数字以上に暖かい一日だった。
     最低気温 -5.8℃ (07:46)、最高気温 8.3℃ (14:35)

 今日の登校風景 連続写真 本日終業式、明日から冬休み、小生の自主勝手立番もしばらく休みになる。
  
 今日も薪を作る。

 毎年、冬至のころは天気があまり良くなく、日没の写真を撮る機会がなかなか無い。ような記憶がある、あるいは記憶違いかもしれない。今年は南回帰線に向かって落ちていく美しい日没が見られた。本当は太陽が昇ったり沈んだりするのではないが、言葉としては天動説が堂々と生きている。昨日の南阿蘇での日没の時間と比べたところ、今日は米塚の左に沈んだのが4時57分くらいだったから、阿蘇谷では二三分往生岳の稜線が早めに太陽を遮るということだろう。

 我が家では毎年この日は柚子湯を立てて定点撮影をして子どもたちの成長の記録をとっていたが、今年はやめた、多分、今年だけでなくずっとになるだろう。一つには、夏子が柚子アレルギーだということが昨年だか一昨年だったかに分かったからである。柚子にもアレルギーがあるということを知らない間は、柚子湯に入ると体がチクチクピリピリすると言っていたので、気のせいだろうで済ませていた。ネットで調べると、世間にはそういう人が結構いる。それで、夏子はそれ以来柚子には入らなくなった。それから、小生も太郎もアゼリアの風呂に入りにいくのでわざわざ家の風呂に入ることがあまりなくなったこともある。ニュースなんかで今日なんか公衆浴場でゆず湯のサービスをする映像が流れる、アゼリアでもやってくれるといいのだが、温泉だからだろうか、そういったサービスはない。夏子の話をすると太郎も、そう言えばボクもゆず湯に入ると体がチクチクすると言い出した。カミさんはなんともないだろうが、カミさんは風流心が無いので、ゆず湯がなくても全く困らないだろう、というわけで、今年からゆず湯は無くなったのである、残念である。
 
 晩飯。鍋


平成29年12月21日 (木)

 晴れ。本日も冷え込む。(写真1写真2
    最低気温 -4.2℃ (07:39)、最高気温 8.1℃ (14:15)

 本日の登校風景 (写真1写真2写真3

 南阿蘇余生馬牧場オープンセサミに出かける。午前中は風もなく穏やかに晴れる。寒いと思って着込んでいったが作業をしていると汗ばんでくるほどだったので途中一枚脱いだほどだった。それが午後になると風が吹き始めて空は晴れているのに寒くなったので脱いだものを再び着た。
 
 今日は小生のいつもの退出時間以降、少年K君が一人になるので安全のために少年のお母さんが迎えに来る5時まで残って一緒に居た。小生も家に帰って馬ならぬ子どもたちにメシを食わせる必要があるので、5時がギリギリの時間になる。、

 午後5時ころに南阿蘇での今の時期の日没を見たが、この時間のどのくらい前だろうか、これが阿蘇山の反対側、阿蘇谷の我が家から見る米塚付近に沈む太陽なのだ。明日は冬至だ。

 帰ってメシを作る時間がないので、今晩は餃子にした。冷凍餃子だが外はパリパリ中はもっちり焼く小生の餃子、焼き方が上手いといつも子どもたちに誉められのだ。


平成29年12月20日 (水)

 晴れ。今朝もしっかりと冷え込んだ、風が無く気持ちが良かった。
     最低気温 -5.4℃ (04:34)、最高気温 6.8℃ (14:23)

 本日の登校風景 写真1写真2写真3

 今日も、薪を作る。
 
 太郎、水泳教室、本日技量認定日(二月に一度)、16級に上がる。今回はスムーズに上がったが、仲間の泰増とは相変わらず一段階遅れている。(写真1写真2

 晩飯。チキン南蛮


平成29年12月19日 (火)

 ”穏やかな”曇りの一日、夕方になって青空へ、今日も噴煙が活発に上がっていた
 今朝は氷点下の予報に比べて氷点より随分と高い気温で明けた、人間の感覚とは面白もので、暖かくさえ感じるほどだった。「氷点下」という言葉はあっても「氷点上」という言葉は無いのだろうな。
      最低気温 -0.3℃ (但し20:01時点、明朝に向けて降下中)、最高気温 8.1℃ (12:52)

 本日の登校風景 写真1写真2写真3写真4
 
 今日も薪作りをした、今日は薪割りだった、いま作っている薪は、いかな我が家のストーブでも入りきれないほどの太さなので、斧で二枚におろした、それでも太いやつは更に三枚というわけに行かないので四枚におろした、大体のものは斧でエイッ!で割るが、どうしても斧で割れない癖のある木は鉄矢を打ち込んでハンマーで割る。
 
 晩飯。クリームシチュー。薪作りなどをしているとどうしても時間が無くなり、手っ取り早くというとこんなものになる。

 上野動物園で生まれたパンダのなんとかが一般公開されたそうで大騒ぎのようだ。でもね、小学生くらいまでは「可愛いね」でいいかもしれないけど、国民にはちゃんとその背景まで教えてやらないとね(PDFファイル)。新聞・テレビでは決して報道しないね、これもNHKや朝日新聞を始めとして今流行のマスコミの「報道しない自由」なんだろうね。小生は自慢ではないが、何十年も首都圏に住んでいながら一度もパンダを見に行っていない、見たいと思ったこともない、単なる好き嫌いの問題だけど。


平成29年12月18日 (月)

 晴れ、のちすぐに、くもり。いやいや冷え込んだ、今年は寒いなあ。地球温暖化の原因とされる大気中の二酸化炭素(CO2)の割合知ってるか?大気の8割近くが窒素で、酸素が2割ちょっと、おい、それじゃあその二つで10割になってしまうだろう。そうだよ、CO2は0.04%なんだよ、0.4%でなくて、0.04%だぞ、それが少し増えたからと言って地球温暖化の原因になるか?ちょっと考えたら分かることだろう。マスコミよ政治よ、まさに押し並べて「ルイセンコ」だな。(参考記事 PDF)
      最低気温 -6.3℃ (07:40)、最高気温 4.2℃ (14:17)

 朝の風景 (写真1写真2写真3写真4写真5

 本日の登校風景。 (写真1写真2写真3写真4

 気温が上がったら薪割りをしようかと思っていたが、結局午前中はずっと氷点下だった。ようやく昼ころから少し気温が上がり始めたので薪作りをした。風がなかったので別に氷点下でも構わなかったのに、気分的に、氷点下では作業をする環境ではないと思い込んでいた、結局気温が上がったと言ってもせいぜい2〜3℃程度だったが。

 薪作りの始まりが遅かった分、終わりも少し遅くなって、晩飯を作る時間がなくなってしまった。そういう時は、手っ取り早く豚肉のムニエル


平成29年12月17日 (日)

 朝、起きると、外は薄っすらと白くなっていた。今日も寒かった。寒さというものは最低気温が低かったからではなくて、日中の気温がどうだったかで感じるものである。
       最低気温 -2.9℃ (06:01)、最高気温 1.9℃ (14:54)

 お父さん、うちではイルミネーション飾らんと?と太郎がずっと言っていたので、じゃあ、飾るかと重い腰を上げた。去年は小生は入院中で、お義父さんが飾ってくれた。今年は去年使った二本あったイルミネーションのうち、一本が壊れてしまって一本しか無い。二本でも貧弱なのに今年は一本である。どうしようかと考えて、屋根の勾配に似せて逆V字型に張って見た、インバーテッドVである。それでも周囲が真っ暗なので遠くからでも結構よく見える、なかなかのものである、もっと早く点けてやればよかった。

 今日、金井宣茂さんがソユーズで無事に宇宙に打ち上げられた、先入観というか偏見というか、アメリカのロケットだと安心できるがどうもロシアのロケットだと大丈夫だろうかと思ってしまう。
 
 金井飛行士は先日のスクールコンタクトの記事によるとアマチュア無線の免許を持っていないので彼が無線機を操作してスクールコンタクトは出来ないと書いてあった。たとえば、法曹資格を持っていると、弁護士業以外のたくさんの「士業」をすることが出来るように、宇宙飛行士ともなると、いろいろ高度な「資格」を持っているはずだが、それでもアマチュア無線は出来ないそうだから面白いものである。
 
 太郎は最近、ポケモンのぬり絵ばかりやっている、今日も大きなプラスチック板に絵を描いてそれを電子レンジに入れてチンをすると適当な大きなのキーホルダーのようなアクセサリができる遊びをやっていた。
(後から太郎に訊いたところ、「プラバン」というそうである)


平成29年12月16日 (土)

 最低気温 1.7℃ (但し19:10現在、夜に向かってなお下がっている)
 最高気温 4.9℃ (08:47) 日中も気温が上がらなかった。

 娘の中学校の全学年駅伝大会があった。太郎小学校は持久走だったが、中学校は駅伝である。駅伝と言ってもコースは中学校の周辺を走るだけだが、応援に行くぞ、と言ったところ、娘が絶対に来ないで!というので、やめた。走るのが苦手のようだ。
 
 やめた。つもりだったが、こっそり行ってみた。こっそりのつもりだったが、全然こっそりにならなかった。カミさんはPTA役員で何処かで手伝いでもしていたのだろうか。全校生徒が走り終わるまで二時間以上、今にも雪が降りそうな空模様、寒くて体の芯まで冷えた。狭くて同じ場所を何組ものチームが走るので団子状態、順番なんか全くわからなかった、走るのが苦手な子はそのほうが良かっただろう。持久走は個人競技だが、駅伝はチームプレー、得意な子もいれば不得意な子もいる、多分、だれも文句は言わないだろうが、不得意な子は責任を感じて相当なプレッシャーになるだろう、カメラを構えていても結局昔から知っている坂梨出身の子ばかりを撮っていたが、みんな成長して昔の面影を追うのが大変で、通過してから、シマッタという按配で、結構撮り損なった。娘の学校行事にはこの三年間、多分、全く行かなかったと思うが、今日が最初で最後になるだろう。
 
 一の宮中学校 全校駅伝大会 連続写真 (1/5)
 一の宮中学校 全校駅伝大会 連続写真 (2/5)
 一の宮中学校 全校駅伝大会 連続写真 (3/5)
 一の宮中学校 全校駅伝大会 連続写真 (4/5)
 一の宮中学校 全校駅伝大会 連続写真 (5/5)
 
 駅伝の帰りに図書館に寄って、新刊の単行本を二冊借りてきた
 
 カミさんが年賀状を買ってきた、小生はそんなに多くない、娘が最近は小生より多いかもしれない、三人で200枚か(太郎も二三枚は使うか)、今年は郵便料の値上げで、投函する時期によって年賀状の郵便料金が違うそうだ、知らない人が多いと思う、多分混乱するだろう。

 夕方はやく、三人組はピアノのレッスンで泗水まで出かけていった、終わってすぐに帰ればもっと早く帰ってこられるのに軌跡をみているとあちこちフラフラして9時近くになって帰ってきた(実際にはまだ帰ってないが、そんなもんだろう)。

 f-JR九州のダイヤ改正が発表された、どんどん減便されている、金儲けに血道をあげるまえに公共交通機関としての本来の社会的責任を果たせ、「ななつ星」なんかやめてしまえ、「ななつ星」なんか阿蘇に来なくていいぞ、来たければ大津〜阿蘇間の代替バスを走らせてからにしろ。


平成29年12月15日 (金)

 晴れ。今日は風もなく穏やかに気持ちのいい一日だった(写真1写真2)。
     最低気温 -1.9℃ (07:23)、最高気温 11.2℃ (14:02)

 今朝の登校風景 (写真1写真2写真3写真4写真5
 
 朝のルーチンを済ませてからオープンセサミに出かけた。午前中は牧場主どのも不在で完全に一人だった。いつものように、牧場全囲い(5面・・だったかな)のボロ拾いと水やり、それから長老の油山の小屋出しをした、完全に一人なのでまるで自分の牧場のような気分である。昼からは牧場主どの、いつもの少年たち、それから、家事都合でしばらく休んでいた手伝いの古老も復帰をしていて全員で大きなロールを転がして餌場にセットして、時間も2時近かったので小生は引き揚げてきた。

 太郎がこんどお馬さんのところへ連れて行ってくれと言うので、まあ馬の見物だけでは必要はないが、すこしでも囲いの中に入って世話の真似事でもさせようかと思って昨日ボランティア保険に加入しておいた。市役所にある社会福祉協議会が受付窓口で、補償内容で少し保険料も違うようだが、いちばん安いやつに入れておいた。年間保険料350円だった。この保険、安心料のようなものだが、実際に馬の下敷きになって骨折した関係者もいるので、加入しておいたほうがいい。

 夕方近く、家の近くから外輪を見ると煙が上がっている、方向的には久住山の方角だ、ここより少し南に下がると(豊肥線を越えて阿蘇山麓方向に少し登ると)久住連山が見えるのだがここからは外輪が妨げになって見えない、多分久住の星生山あたりの噴煙だと思う。別に珍しいことではないが、それでも久しぶりのような気もする。

 晩飯。炊き込みご飯、しじみの味噌汁など


平成29年12月14日 (木)

 うす曇り、今朝も気温が低かったが、風がなかったのでそれほどの寒さは感じなかった。
 写真1写真2写真3写真4写真5

   最低気温 -5.6℃ (02:55)、最高気温 6.1℃ (16:09)

 本日の登校風景(写真1写真2写真3)
 
 今日はほぼ薪作りをして過ごした
 
 国道57号線、滝室坂のトンネル化にともない県道の付け替えが行われ、我が家の裏の方を通ることになっている。今日はその工事に伴って地権者の立会が行われた。我が家は直接道路にかかるわけではないが、道路にかかる地権者と我が家の土地が隣接しているので、地権者の土地の確定のために我が家の土地との境界立会が行われた。
 
 そのなかで、小生は全く把握していなかった我が家の土地だという部分があった、これが東京なら大変なことになるが、ここでは土地はタダみたいなものなので、ほんの僅かな土地、へえ、そうなのかという程度の感想である。(写真1写真2写真3

 ご近所の犬がヒモが外れて、道路のあちらこちらを走り回っていたので、なんとか押さえて、日中誰も居ないので、飼い主の家の小屋に連れて行って繋いでおいた。

 夕方になってカミさんから電話があり、予約してあった松見さんから子どもたち二人の二回目のインフルのワクチンが用意できたそうなので、カミさんが仕事が終わって連れて行くと間に合わないので小生が二人を連れて行って、向うでカミさんと落ち合って引き継ぐ事になり、学校が終わった二人を車で松見内科まで送り届けてきた。これで家族全員のインフルの予防接種が終わった、そろそろ下界ではインフルの流行期に入っているようである。


平成29年12月13日 (水)

 晴れ。今日も気温が低かった。
     最低気温 -5.4℃ (07:17)、最高気温 4.4℃ (14:51)

 本日の登校風景。気温が低かったが、この時間帯は風がなくスッキリと晴れ上がって気持ちは良かった。(写真1写真2写真3写真4写真5

 南阿蘇余生馬牧場オープンセサミに行く。素晴らしい青空だったが、南阿蘇は風が強くて非常に寒かった。今日も、老爺馬「油山」の小屋出し、ボロ拾い、水やりをした、寒さで馬の水がゴチゴチに凍っており、石で割って飲めるようにしてやってもまたすぐに凍る、今日はそれだけ低温だった。昼からはいつもの少年たちがやってきて、餌の大きなロールの設置などを皆でやって、小生は2時過ぎには引き上げてきた。
 
 最近つくづく自分が体力的にだが、老いたなあと思う場面が非常に多くなった。外で作業をする場合など、次の動作に移るスピードが昔に比べて緩慢になった、また、足がついていかないことが多く、躓きそうになった場合に足を出すのが間に合わなくなりそうになる、バランスを崩してちょっとした斜面で滑りそうになった場合、昔ならそういうことが無かったのに簡単に転倒してしまう。たとえ倒れる場合でも昔は受け身をしながら倒れたものだが、今はどうと倒れる。ちょっとしたつづら折りの坂を登るときに若い人がショートカットで土手を直線的に登る場合でも、小生はそういうルートを取ろうとせずに、ちゃんと道なりに歩いて登る。また自宅二階への階段の昇り降りも、自然と手すりを掴んで昇り降りをする。今日なんか、太郎を「学童」に迎えに行って、戻るときに、車までの距離を、太郎がお父さん競争しようというので、ヨシ、と走ろうとしたら、お父さん、少し先に行っていいよ、と来た。何を言いやがると内心思いながらも追いつかれないように走ったつもりが、最後は追いつかれてしまった、自分ではまだまだ大丈夫だと思っていても、知らず知らずに老いているのである。年は取りたくないなあと思ってもこれは仕方がない。

 太郎、水泳教室。
 
 晩飯。ハヤシライス、グラタン、コールスロー


平成29年12月12日 (火)

 晴れ。日本海側型の冬空、カラリとはいかない。今日も風があり気温が上がらずに寒かった、また古閑の滝が凍った、寒くて風があると一晩で凍る。(写真1写真2)
     最低気温 -3.4℃ (但し20:31時点)、最高気温 1.3℃ (14:01)

 本日の登校風景 写真1写真2

 朝一番で宇治歯科に行く。歯ぎしりで欠けたという歯の一部を埋めてもらった、本人には歯ぎしりの自覚がないのでいまだに半信半疑である。

 午前中、先日、牧場でロールを運ぶ際に非常に重いので小生の軽トラックのクレーで運ぼうかということになったが、クレーンをイザ動かそうとしてもウンともスンとも言わない。結局その時は人力で運んだが、今日、点検をしたところ、ガラスのヒューズ管にハンダの余分な出っ張りがあって、それが邪魔をしてヒューズホルダーの中をヒューズがスムースに動かなかったために導通していなかったことが分かった。ヒューズのハンダの余分な出っ張りをとってやって、無事に運転できることが分かった。今度はロール運びが出来るだろう。

  昼から一時間ほど薪作りをした。チェンソーの刃がよく研げている時は実に気持ちよく効率よく切ることだ出来る、研げていない時と10倍も20倍も効率が違う、チェンソーは偏に刃の研ぎ方次第だ。今日は太い木ばかりを玉切したが、非常に気持ちよく切れた。
 
 昨夜のアマチュア無線のスクールコンタクトのことが今朝の地元の新聞に載ったそうで、JA5ILM局からその写しが届いた。国際宇宙ステーションは地上から約400キロの宇宙空間を回っているわけだが、ざっとここから大阪くらいの距離か、いっぽうで、BS放送などの静止衛星は36,000キロ、そして月は36万キロか、いやいや宇宙は広いなあ。
 
 今晩はトンカツだ。迷った時にはトンカツだ、家族全員好きだし、コストパフォーマンスが一番いいからな、時間があればポテトサラダを作るところだが、今日は無し。こんなに早く帰ってくることが珍しいカミさんがちょうど帰ってきたので、どうしたんだと訊くと、風邪を引いたようだという。そろそろインフルも流行りだしたので、用心のために向うで独りで食べろと隔離した。
 
 

平成29年12月11日 (月)

 今朝は寒かった、気温はそれほど低くなかったが風が強くて非常に寒かった。そして、ずっと阿蘇を留守にしていたがどうも雪が降った形跡がある。夕方帰ってきて、路面を濡れていたが周囲には全く雪が降った形跡は無かった、山も新たに降った様子でもない、ところが、我が家の屋根の隅が真っ白になっていた、局所的に降ったのだろうか。
    最低気温 0.5℃ (但し、21:30、更に降下が予想される)、最高気温 6.1℃ (00:10)

 今朝の登校風景 写真1写真2写真3写真4

 子どもたちの登校を見守ったあと、そのまま高野病院に、手術からちょうど一年目の検査に行ってきた、一年目の検査と言っても、手術後三ヶ月ごとに採血をして六ヶ月ごとにCT検査をしているが、今日はその二回目の六ヶ月ということで、特に特別の検査をしたわけではない、当然全く異常なし、これで異常があったら大変である。この先、半年くらい経ったら今度はまた内視鏡で検査をするそうで、くまなく見てくれるので「大船」である。朝食を抜いていったので、昼は当然浜勝でトンカツを食って帰ってきた。
 
 3時半ころ帰ってきたので、こんな寒い日は、そして、料理をする時間が無いときは、ポトフでしょう

 小生がAPRSで以前お世話になった愛媛県松山市のJA5ILM局から、氏が指導している地元の小学校のアマチュア無線クラブが国際宇宙ステーション(ISS)と無線交信をするという連絡をもらった。
 資料1
 資料2
 
 この制度はスクールコンタクトと言って、ここに説明がある
 
 そして今夜、その愛媛県の小学校のアマチュア無線クラブが国際宇宙ステーション(ISS)と無線交信をした。

 無線交信は普通は同じ周波数を使って送受信をするが、その周波数を公開すると、不心得者が居て、邪魔をする恐れがあるからだろうと思うが、送信と受信の周波数を別にして(スプリット運用)、地球の小学校から送る周波数は非公開にして、宇宙船から届く周波数は公開しているので、我が家から宇宙船からの音声は聞こえるかなと思って、145.80MHzを20:00過ぎから5エレシングルを東に向けてワッチしていたら、信号は弱かったがメリット5で聞こえた(ピークでS3)、ただ相手は地球を回っているので、我が家の受信機では10分程度でフェイドアウトした。現地では多分ビープアンテナで追跡しながら交信をしているはずだからもうちょっと長い時間交信出来たかもしれない。
 
 アマチュア無線は国家資格の免許制で誰でも勝手に出来るわけではない、そのなかでアマチュア無線の普及と教育の目的で、こういった小学校に特別に免許を与えて交信をするのである、今回は50wの免許が降りたらしい。

 今夜の宇宙飛行士は事前情報にあったとおり確かにネイティブは英語ではないなということは分かったが、小生の語学力では早すぎてあまり良くわからなかった、今回のコンタクトは事前に十分に準備をして行ったそうだから、小学生たちは宇宙飛行士の英語、わかったかな。

 アマチュア無線は今や年寄りばかりの道楽になってしまったが、こうして若い人たちがアマチュア無線に興味をもってくれるのは嬉しいものである。



平成29年12月10日 (日)

 曇り後弱い雨。
      最低気温 -1.2℃ (06:12)、最高気温 11.8℃ (12:18)
      
 午前中も早いうちに、MQY局が軽トラックに家で切った木だけど薪にどうだと積んで持ってきてくれた、ありがたく頂戴した。

 午後から雨になるという予報だったので、午前中のうちにと、薪を作った。日中は風が非常に強かったが、気温が高めだったので全く寒さは感じなかった。そして予報通り、午後から雨になった、弱い雨だった。

 今日はそんなところかな(日記ネタが少なくて助かる)。
 
 ああ、日記ネタが一つあった。
 太郎のやつ、そろそろサンタクロースの存在を疑い始めている。二階に上がる階段のところに変な紙を貼っているので訊いてみた。字が汚いのでその解説である。(写真1写真2写真3

 父  「これサンタさんあての手紙か?」
 太郎「そう」
 父  「サンタさんは本当にいるのかどうかをサンタさんに訊いているの?」
 太郎「そう」
 父  「????」
 父  「うえでねてます、って何?」
 太郎「いつもしたでねているけど、クリスマスのときは2かいでねるとサンタさんにつたえるため」
 父  「????」
 父  「右の下の絵、これは何?サンタさんにクイズを出すの?」
 太郎「そう」
 父  「????」
 
 そうかと思うと、「サンタさんは家の細い煙突で火が燃えているところを入ってくるのは、煙突の入り口まで来てテレポーテーションで入ってくるんだよね」、ミョーに科学的である。こんな用語はアニメなんかで仕入れるのだろう。


平成29年12月 9日(土)

 晴れ。(写真1写真2
     最低気温 -4.5℃ (07:46)、最高気温 4.8℃ (12:28)

 午前中、豆札公民館のクリスマスイルミネーションの飾り付けをした。12月もとっくに入っているのに、今年は公民館のイルミネーション、だれも飾らないのかな、我が家からは全く見えないし、小生も知らんぷりしておこうかなと思っていたところ、こどもたちが、お父さん飾ろうよと言うので、じゃあやるかということで、今日作業をした。
 
 朝のうちは非常に気温が低くて作業をするコンディションでは無かったが、やがて日がさし始めて暖かくなったので太郎と二人で作業を開始した、作業を開始した時は暖かかったが、太陽が雲に隠れると寒くなって、ちょっと震えながらやった。
 
 まあ、非常にこじんまりとしたイルミネーションではあるが、暗くなって点灯したところを見ると、やはり、飾ってよかったと思う、豆札なんか夜になると真っ暗になるので、逆に真っ暗だから、ささやかな灯りでも非常に明るく見えるのだ。(写真1写真2写真3写真4

 我が家の三人組、今日は少し早めに午後3時過ぎだったと思うが泗水にピアノレッスンに出かけて、8時ころには帰ってきた。その留守中にMQY局が、何かでたまたま手に入ったからとわざわざ太郎に本格的なサッカーボールを届けにちょと寄ってくれた。帰ってきて太郎は早速ボールを見つけて大喜びだったmni tnx。 
 MQYは昔、小生がここに来る前に住んでいた茅ヶ崎市の鶴が台の少年のサッカーチームのコーチをしていたことがあるということを以前に聞いたことがあるが、縁とは実に面白いものである。
 
 今日は一人でアゼリアに風呂に入りに行ったが、上がって体を拭いている時に、館内放送で、小生の軽トラックのナンバーの持ち主を呼び出しをしている、あれ、ランプ消し忘れたかなあ、いや、今日は間違いなく消した、なぜなら小生が停めた隣の車がライトを消し忘れていたのをみたから、小生は改めて確認したからである。
 
 それで受付に行ってみると、小生の車にこすって傷をつけたので・・・と50代の男性とそのお母さんだろうか、オドオドして立っている。ああ、そうですか、でも、小生の軽トラはボロ車ですから、少々の傷なんてどうってことってないですよ、と言って三人で軽トラックのところにいって見たところ、確かに右前部にすった跡がある。ああ、こんな程度の傷は良いですよと言ってそれ以上のことは無しにして帰ってきた、その母子は非常に恐縮して、申し訳ありませんでした、これから安全運転をしますなどと、ちょと聞くとオカシイ謝罪をしていた。なかにはアテておいて持ち主がいないのをこれ幸いとばかりに知らんぷりして逃げるやつもいるなかで、ちゃっんと申告してくれただけ気持ちがいいではないか。なかには命以上に車を大事にしている人もいるのでまあ、相手が小生でよかったようなものだ。小生なんか車なんて消耗品、下駄だと思っているので、もともと軽トラックに限らず、傷がついても全く気にしない。
 
 そう言えば数年前に初めてイプシロン打ち上げを見に家族で都井岬に行った時も、バックしてきた車にガツンとやられてドア部分がへこんだが、その時も、ああ良いですよで済ませたことを思い出した(日記のどこかにかいてあるはずだ)。ついでに、小生、自慢じゃないが車なんて一度も洗ったことはない(堆肥を買ってきた時には一応、水で洗い流しはするが)。小生みたいな者も極端なほうだろうが、そういう人間から見ると、貴重な休みの一日をただひたすら車磨きに費やす人間を見るとバカじゃんと思ってしまうのだ、他にやること無いのか。

12/7の気味の悪いムシのこと(掲示板より転載)
 虫虫虫 投稿者:じっちゃい 投稿日:2017年12月 8日(金)21時28分22秒

 黒い無数の虫のことですが、今朝出勤前に2号に置手紙をして出かけました。帰ってみると2号は居ませんでしたが返事が書いてあって、クリオオアブラムシだそうです。http://oomurasaki.net/report/3772.html確かに無数にいると普通は鳥肌が立つ感じですね。

 以前の日記にありましたダイコクコガネ。2号はゴホンダイコクコガネの標本は持っているそうですが、ダイコクコガネはまだ採集していないそうです。そのうち御地にお伺いした際に採集したいと申しています。他にも糞の中は2号にとっては宝の山のようなもので、南阿蘇には特に珍しいセンチコガネがいるそうですので、馬糞の中を調べさせて欲しいそうです。


(風)  ありがとうございました。カメムシの仲間かと思っていましたが、クリオオアブラムシと言うんですね、ご紹介いただいたネットの説明を読むと面白い生態ですね、ある時期全部メスなんて蜜蜂のようだ。でも真冬の今の時期に卵を産んでいるようですけどちょっと季節を勘違いしているようです。どこかに書いてありましたが殺虫剤をかけて殺してももし生き残りがいたら、その薬に耐性が出来て殺虫剤が効かなくなるそうで、その人は牛乳をかけて、牛乳の脂分で窒息させるようなことが書いてありました。

 オープンセサミは小生も馬糞をたくさん拾っては捨てているので山ほどあるので、きっとお目当てのコガネムシいるかもしれませんね、暖かくなったら是非お出かけください。そのころまで小生がいるかどうかはわかりませんが、話を通すことは出来ます。
 以下小生の夢想ですが、その頃は、我が家の馬糞の山の中をお探しください・・・・・まあ100%夢ですけど(笑)


平成29年12月 8日(金)

 ニイタカヤマノボレの日だった、忘れていた、寺さんに教えてもらった。

 日中も気温が上がらずに時々雪が舞う寒い一日だった。(写真1写真2
     最低気温 -1.0℃ (但し19:25現在、尚降下中)、最高気温 4.6℃ (01:43)

 本日の登校風景。雲がかかり雨模様で街路灯もずっと点灯したままっだった。今日は徒歩通学児が少なかった(写真1写真2写真3

 床屋に行く。

 寒いときにはナベだが、そのほかにもある、バターたっぷりの餅オジヤ、これも家族皆大好きである。


平成29年12月 7日(木)

 晴れ。午後に入って下り坂、夕方になって少しパラついていた。今朝も冷え込んだがもう珍しくもない、別に誰も何も言わない、低温が日常になったのだ。(写真1写真2
      最低気温 -5.2℃ (06:18)、最高気温 10.3℃ (14:50)

 本日の登校風景 写真1写真2写真3

 昨日に続いて南阿蘇余生馬牧場オープンセサミに出かける。(写真1写真2)

 今日は朝から中岳の噴煙が目立っていたが、反対側からみても当然ながら同じように上がっていた、噴煙が上がらないとわからなかったが、そうか、この方向が中岳火口なんだ。
 
 今日も午前中はボロ拾い、水やり、(朝食の終わった)油山の小屋出し(外に出たい油山と餌の残りを目当てに中に入りたい馬たちが待ち構えていた)

 いつもは午後2時ころには、晩飯の支度などがあるので牧場を引き上げるが、今日は午後の途中から牧場主不在になり、昼から手伝いに来る少年たちだけになるので、夕方まで子どもたちだけにしておくのは心配だから困ったなあという話を聞いていたが、小生も、家のことがあるので、残れないと言ってあったのだが、たまたまカミさんが娘の進学のことで三者面談があり、学校に行ってそのまま仕事には戻らないということだったので、それじゃあ小生が今日は晩飯の支度をする必要がなくなったということで、夕方まで子どもたちの後見を務めることにしたが、子どもたちのお母さんが迎えに来たのが6時近くなって、もうあたりは真っ暗、小生が残っていて良かった。
 
 子どもたちの後見と言っても、今日は小三の少年と中一の少年とその六歳の妹の三人だが、小生より遥かに牧場の仕事を知っていて、小生はただ、見守っていただけだった。
 
 今日の昼の仕事は、大きなロールを二巻、牧場の一番上から下まで降ろしてきて、馬が食べられるようにセットをする作業だったが、これが、重労働で、子どもたちと皆で力を合わせて移動させた、これで今日一日のエネルギーを使い果たしたようなもので、今日もヘトヘトになった。その他に午後の餌やり。これは少年たちが要領を知っていて小生が初めてなので教えてもらった。朝、小屋出しした油山をまた餌をやるために小屋の中に戻して、食事が終わったころを見計らってまた外に出してやる。これは老馬なので他の馬に餌を取られないようにする措置で、食事の時以外は小屋に入るか外にいるか自由にさせている。
 
 佐土原の昆虫博士に教えを請う。いかな2号君でもこれは気持ちが悪いだろう。
 牧場の中のドングリ系の幹に真っ黒にたかっているおぞましいムシ、それも今の時期に、これは一体なんだろうか。 ・・・・・・・・・・・12/9日記に回答あり
写真1写真2写真3写真4



平成29年12月 6日(水)

 今朝はかなり冷え込んだ、にも関わらず、昨日とは逆で数字ほどの寒さは感じなかった。
      最低気温 -4.0℃ (01:18)、最高気温 6.4℃ (13:59)

 子どもたち登校時間帯の風景 写真1写真2写真3

 子どもたちの登校風景 写真1写真2写真3写真4写真5

 オープンセサミに行く。箱石峠越えの阿蘇谷側の山は凍てついて寒々として荒々しく見えるが(写真1写真2)、南阿蘇側に抜けると全くそういった風景は無い、阿蘇という狭い範囲でも、日本海側の天気、太平洋側の天気のように、阿蘇山を境に極端に変化する。いつもではないが今回はそれが顕著に現れていた。いつも見慣れている高岳の反対側から見ると、頂上の天狗の舞台付近に雪が白く見える、頂上を境に降り分けているのだ。また太陽が順光か逆光かで感じる明るさが随分と違う、南阿蘇側は落葉樹が多いことと順光だということで、阿蘇谷の風景とは随分と違って明るく感じる。

 今日も牧場ではボロ拾い、水やり、長老「油山」の小屋出し、餌になるロールの設置などをした。今日は寒いだろうと覚悟して沢山着込んでいったが、南郷谷はそんなことがなかった、たまたまだろうか。

 太郎、水泳教室。

 晩飯。寒いときにはナベに限る、である。もうハッサクが出ていた。ハッサクとは八月朔日のことではないのか、なんだか名前と随分違うなあ。


平成29年12月 5日(火)

 晴れ。いやいや今朝は寒かった。氷点下ギリギリで数字の気温はそれほどでもなかったが風が強かったので体感温度が計算で表示される気温よりはるかに寒かった。放射冷却による低温は気持ちが良いほどであるが、風が吹いて感じる寒さは本当にこたえる。そんな寒い一日だったが、夜になってまた気温が下がり始めている、明日の朝は更に冷え込みそうだ。今日などは典型的な冬の天気で、日本海側は雪で、太平洋側はカラカラの天気になる、熊本は完全に日本海側の天気である、同じ九州でも宮崎県はカラカラ天気なんだろう。
     最低気温 -2.3℃ (但し20:13、更に降下中)、最高気温 5.1℃ (13:57)
 
 冬点景 写真1写真2写真3写真4


 今シーズン初めて遠くから見て分かるほど古閑の滝が凍った、まだほんの僅かだが。はやり気温が下がるのと同時に風が吹かなければ駄目なのである、昨夜は風が強かった。今年は週末の夜間照明はやるのだろうか。

 本日の登校風景 写真1写真2写真3写真4

 何気なく過去の日記を開いたところ、一年前の今日、大腸がん手術のために入院をした日だった。あれからもう一年か、今では完全に過去のものになっている。日記も清書をしなければと思いながらそのままになっている、これはちゃんと残しておかなければな、やらんといけないな。

 晩飯。煮込みハンバーグ。昨日のうちに子どもたちのリクエストを聞いて決めてあったので悩まなくて済んだ。

 誘拐や泥棒はあの国の「国是」だからなあ、ドアの蝶番までも。


平成29年12月 4日(月)

 曇りのち(少し雲が多かったが)晴れ。
     最低気温 0.7℃ (03:35)、最高気温 11.9℃ (13:52)

 昨夜、風呂から帰る時に大きくてまん丸の月が煌々と輝いていてが、今朝になって知ったがスーパームーンだったそうだ、今夜も机の脇のモニターの画面に裏山の上の(言い方が正しいのかどうか知らないが)十六夜のスーパームーンが出ていた。
 
 本日の登校風景 (写真1写真2写真3

 予報では午後から雨か雪になりそうだと言うことだったが朝のうちから空が暗く今にも降り出しそうだったので、ルーチンが終わって雨にならないうちにとここ二三日で作って放りっぱなしにしてあった薪の残りを軽トラック二台分薪小屋に運んで放り込んだ。我が家の薪は太いままの木が多いのでヘトヘトになった。その間に、ちょっとパラっと来たが、その後、天気は回復して予報とは違って雲があるものの日が射す一日になった。

 コイン精米所で玄米30キロを精米した。この袋から今年の米だが、まだ二三食分古い米が残っている、新米が口に入るのはそれからだ。

 晩飯。豚肉の味噌漬け。(うーん、ちょっと青物が足りなかったな)


平成29年12月 3日(日)

 今朝も氷点下になる予報だったが、朝のうち曇っていて気温が高かったので、予報が外れて今日はこんな天気なのかと思っていたら、やがて、目指して登る一朶の雲もないほどの青空が広がる。日中も日だまりでは座っているのが苦痛に感じるほど気温が上がった。
 最低気温 2.3℃ (01:06)、最高気温 16.1℃ (13:54)

 今日は夏子は、熊本県の(だと思うが)模擬試験があり、朝からカミさんと熊本市内の試験場に出かけて行った。ここのところ付け焼き刃で勉強をしているようだが、気がつくのがちょっと遅いだろう、後悔先に立たずだ。結局人生というものはこの繰り返しなのだなあ(己のことだが)。

 ということで、太郎と二人で留守番の一日。二人で薪作りをして過ごした。
 
 昼飯には太郎の希望でカップラーメン、小生のスタイルではないが、付き合って小生も、お湯を入れて作る焼きそば。太郎のやつ「ああ幸せだなあカップラーメンを二個も」。たまにはこんな昼食もいい。

 太郎が薪作りの手伝いをしてくれたが、お終い近くになって、太郎が後ろにいるなんてわからなかったので小ぶりの薪を後ろに軽くだが放ったところ、ダイレクトではないがバウンドした薪が顔にあたって痛かったようで泣いてそのまま家に引っ込んでしまった。ケガも何もなかったが、こういった作業はやはり注意に注意を重ねてやらなければ危ないということを二人して学んだ。結局最後はひとりでやって、今日も疲れた、疲れた。
 
 「晩飯、何にする?」「とろろ!」当然そう来るだろうと思っていたので、とろろ汁を作ってやった、「今日のが今までで一番美味しい!」とお褒めの言葉を頂戴した。

 昨日だったか「流行語大賞」なるものが発表されたが、「忖度」は解るが、「インスタ映え」?、全くワカラン。

 じっちゃいの日記11/30に、「行縢山」という山の話が載っている。ムカバキヤマと読むそうである、「縢」一字でもムカバキと読むようだが、この「縢」って何なんだろうと思って調べたら馬に乗る際の道具とあった、馬と聞いては聞き逃すわけにはいかない、そう思って更に調べたら、昔、テレビの草創期に毎週「ローハイド」という西部劇があった、あの懐かしいローレンローレンローレンである。縢とはこのローハイドのことなんだ。いや、いろいろと勉強になる。
 
 図書館から、坂崎空也の第二巻になるのか、などを借りてきた。



平成29年12月 2日(土)

 快晴、ぐんと冷え込んで気持ちの良い朝だった、日中も数字以上に暖かく感じた。(写真1写真2
    最低気温 -3.1℃ (05:10)、最高気温 11.1℃ (14:40)

 朝早く、まだ真っ暗な時間帯に新聞を取りに外に出ようとしたところ、ボンが狂ったように吠えていた、ああ、イノシシだな、夜でなくて朝やってきたかと思って、明るくなってから調べたら、やはりボンの餌入れがかなり離れたところに落ちていた。イノシシはあの口先で器用に鍋を水平に咥えて餌がこぼれないようにして運ぶんだなあと思って、よく見ると、餌入れが置いてある場所から1mほど離れたところに餌が散乱していた。小生が新聞を取りに出たので慌ててこぼしたのか、もともとそんな器用な真似は出来ないのか、是非とも現場を見てみたいものである。

 本日の登校風景。(土曜授業日で通常通りの登校) (写真1写真2写真3

 少し前までは登校児童の顔に朝日が射していたが今はこの時間はまだ日が昇っていない。(写真1写真2写真3写真4

 太郎、土曜授業を利用して授業参観があった。カミさん仕事で小生が参観する。太郎は日替わり班長で、今日はその当番日、「規律!礼!」をやっていた。
 
 太郎 授業参観 連続写真
 
 昨日のことになるが、寺さんはもう退院したそうだ。今回は内視鏡で大腸のポリープを取ったそうだが、普通は一泊程度の入院だが、彼の場合は普段血液サラサラ薬を飲んでいて、その対応のために少し多めに入院したそうだ。内視鏡で取るポリープの場合、最悪癌化していても部位が粘膜だから、摘除で100%転移はない、小生の場合は粘膜からほんのすこし下の層、粘膜下層に浸潤していたのでリンパ節郭清をしたが、それでも検査の結果、転移がなかったので、寺さんの場合はこれで完結だろう。
 
 数日前から我が家の入り口付近にある街路灯が消えていたので、今日、村で買ってストックしてある蛍光管と点灯管を持ってきて交換しておいた。電気屋さんに頼むと1,500円かかる、それ以上に、忙しくてなかなか来てくれないので、ホームセンターで材料を買っておいて自分でやることにしている、四分の一くらいの費用である、会計としての工夫である。管が駄目なのか、点灯管が駄目なのか、両方共黒くなっていたのでセットで交換しておいた。

 午後から目いっぱい薪作りをする。いつも気をつけてはいるのだが、鳶口を太い材木に打ち込んで引っ張る時に、打ち込んだ鳶口が外れて後ろに転倒する恐れがあるので、必ずそのことを念頭に、後ろに幾分体重を残しながら、片足を後ろに引いて引っ張るのだが、ちょっと油断をしていて、ドッと後ろに倒れてちょうど横たわっていた太い木材に頭をしこたま打ち付けて、シマッタと思った瞬間、ガーンと頭に激痛は走ってしばらく仰向けのまま空を眺めていた。幸いに木材の表面が滑らかな面だったのでよかったが、これがもし枝でも出ていたらグサリとなっていたかもしれない。帽子を被っていた上にぶつかった部位にケがあったのでケが無かったが、というダジャレを言っているが、少しタンコブが出来てしまった。じつはこういった場合に特に高齢者の場合は、表面的にはなんとも無くて、頭蓋内で出血していわゆる硬膜下出血を起こす恐れがある、小生の周辺の知り合いにも何人もそういった人がいる、なかには二三ヶ月たって発症した人もいる、しばらくは用心して、もし、急に調子が悪くなった場合はそのことを申告する必要がある。
 
 カミさんに、もし小生に何か異常があった場合はそういうことを念頭に入れておいてくれと言ったところ、千葉のおじいちゃんも昔自転車で転んで二三ヶ月して変調をきたし、頭蓋骨に穴を開けて手術をしたそうだ。幸いに、小生の場合、時々こういった大事に至る前のイエローカードで気の緩みを正してくれるが、ここのところ太い木ばかりを相手にチェンソーを奮っているので体がもうクタクタで動かなくなっている、しみじみ「年」を感じる。
 
 今日は我が家の移住記念日である。2001年(平成13年)のこの日、はるばる神奈川の地からフェリーで移住してきたのだ、あれから丸16年、カミさんと婆様(母)と三人でやってきて、この間に夏子が生まれて婆様が逝き、そして太郎が生まれた、カミさんと小生はそれだけ歳を取った。あの時もそうだったが、今晩もすき焼きを食べた。今時、すき焼きは「霽れ」(はれ)の食べ物でもなんでもないが、何かの節目にすき焼きを食べる、昔の貧しい時代の名残だ。


平成29年12月 1日(金)

 師走だ、小生が走る月だ、カレンダーが一枚になった。(写真1写真2

 晴れ。今日は風が冷たかった。
       最低気温 1.2℃ (但し、19:53現在、尚降下中・・・・・明朝は氷点下4℃の予報が出ている)
       最高気温 7.7℃ (14:19)

 本日の登校風景。(写真1写真2写真3写真4)毎日使っているカメラの具合が悪いので、その前に使っていたカメラを出してみたところ、ちゃんと動く、どこか具合が悪いから今のカメラに変えたはずなのに何処が悪かったのかどうも分からない、しばらく前のカメラを使うことにした、こちらのほうの色合いのほうが小生は好きである)

 南阿蘇オープンセサミに出かける。今日は牧場主どのは空港近くの県家畜市場で開催の馬の競りに出かけたために入れ違いで不在、午後二時に上がるまで小生ひとりだった。牧場主どのとは帰りも入れ違いで競りの様子を聞かないで帰ってきた。いつものようにボロ拾いと水やりと油山の小屋出しをする。今日はそんな中で、思わぬ人にお会いした。
 
 一通り馬の世話をして上の牧場から降りてきたら、小さな子ども連れの男性から馬を見せてもらっていますと挨拶を受ける。お見かけしたところ遠方からの様子ではないので、お近くですかとお尋ねしたところ、このすぐ裏に住んでいます、「”おか”と申します」とご丁寧な自己紹介。どうぞごゆっくり、と返して、通り過ぎて、ン?あのお顔、何処かで見たなあ、確か「おか」さんとおっしゃっておいでだったなあ。ああ、そうだ!と取って返して、岡先生ですか?・・・・・・ハイ・・・・。この場合の先生には色々ある、ハイの返事が返ってくるのに一瞬間があったのは、この男、今、自分を先生と呼んだなあ、どの時代の先生を指して自分を呼んだのだろうと多分思われたのだろう。この岡さんは経歴を拝見すると、たしかに「先生」だからなあ。< http://www.transnationalasia.com/curators.html >(ネットに公開済みなので、ここに転載しても問題ないだろう)。
 
 で、小生が思わず岡先生とお呼びしたのは、「阿蘇たにびと博物館」で、現役時代のキャリアを活かして、ボランティアで生物関係の学芸員をされていて、阿蘇をさるく会でいつも主宰者どのに同行していろいろな説明をしてくださっていたので、そうお呼びしたのだが、小生はよくお顔を存じ上げているが、先生はそんな男の顔なんか覚えておいででないので・・・・・ハイ・・・・となったのだろう。小生が存じ上げていて、先方が小生の顔に覚えがないことを非常に恐縮されていたが、小生はこういった会ではいつも隅っこのほうに目立たないように居て、存在感が無いので、と逆にこちらの方が恐縮してしまった。温厚篤実という文字をそのまま当てはめたような人物である。世間は広いようで狭い、縁は異なもの、いろいろな人とのつながり、こういう形で改めて自己紹介ができてなんだか今日は気分が良い。連れのちいさなお子さんは「孫のようなものですが友人のお子さん」だということであった。「たに博」は実質休業状態なので、近くなのでまたお会いする機会を楽しみにしている。
 
 11月27日の日記に書いた「国木村」のこと。今日は標識の真下に行ってバッチリと写真を撮ってきた。やはり「国民休暇村」だった。普通光のもとではハッキリしないが、暗くもないのにストロボを焚いて撮ると非常にそのことがよくわかった。どうも人為的に操作したようにも見えない、もしかしたら、塗料がその部分だけ剥げ落ちたのかもしれない。小生がこの標識についてどうも落ち着かなかったのは、普通の看板などが立っている場所ではなくて、国道の速度表示などの正式な標識と同列の場所に立っているからである。現在は国直営ではないが当時は同じ国直営だったので、こんな形で立っているのだろうか。これが安全などに直結する問題であれば、近くに国道事務所があるので、話を持ち込むところだが、どうでもいいことなので、このまま気がつくまで放っておくことにしよう。国道のパトロールは毎日行われているのだろうが、路面ばかりを注意しているのだろう。
 
 牧場から帰ってくる時に、すすきの原が陽の光にキラキラ輝いていた(写真1写真2)。そして、明朝の低温を予感させるような日没だった。 

 晩飯。豚肉のムニエル