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平成29丁酉(2017)年 4月の記録(新しい日付けの順)

平成29年 4月30日(日)

 今日も、いい天気だった。
   最低気温 8.4℃ (05:35)、最高気温 22.9℃ (14:58)

 三月は別れの月、四月は出会いの月と言う、その出会いの月も今日で終わる。おのおの方は別れより多い出会いがあったろうか。太郎なんか沢山の出会いがあったろう、お姉ちゃんは、プラマイゼロだろうか、小生なんかこの歳になると、もう別れはあっても新たな出会いなんて無いな。

 今日もハチの動きは無かった。朝から無風状態で、今日こそはと思っていたが、昼ころになると必ずと言っていいほど風が吹く、阿蘇ではそうなのである、まあ、風だけのせいではないかもしれないが、今日も分蜂はしなかった。
 
 分蜂時の蜂球を作る場所を小生が用意しているが、ここのほうが、自然であるし、風も受けない場所なので、ハチにとっては良いかもしれない。
 
 分蜂した時に備えて用意してあるハチウト、倒して中を見やすいように丁番をつけておいた、準備万端なんだぞ。
 
 今までハチのことが気になって、畑仕事が手につかなかったが、飛ぶ時が来たら飛ぶのだからジタバタするのはやめようと、中断していた畑仕事を一気に片付けた。
 
 トマトの定植をした、苗を寝かせておかないと倒れるほど風が強かった。トマトの茎の支えのロープを今年は斜めに張ってみた、西原村の青年、暁洋さんがここでも伯母さんと一緒にトマトを作っているが、彼のハウスを覗いてみたら、斜めに張っていたので、ちょっと真似をしてみた。何か効用でもあるのだろうか、聞かなかったので、今度聞いてみよう。ようやくトマトの定植が終わった、もう一段目に花が咲いている、あとビニール張りが残っているが、これは別に急ぐこともないだろう。
 
 蔓もの野菜用(と言ってもキウリとニガウリだけだが)のネットを立てた。そして、村で共同購入していて、毎年注文しているナスとピーマンとニガウリ、それぞれ5株、5株、3株も定植した。これでさしあたりの宿題は終わったが、まだ畝立てして植わっていないところがある、ホームセンターで適当に苗を見繕って植えることにする。
 
 MQYがこの連休に50MHzのアンテナ、HB9CVを建てるというので、小生も、降ろしてあるアンテナを揚げようと思って、先日ハシゴタワーのところに行ってみたところ、最近はワイヤーダイポールしか使っておらず、「タワー」は放置状態だったので気が付かなかったがが、ウインチが赤錆でワイヤも切れていて、おまけに、「タワー」を固定している番線も錆びて切れていたので、ネットでウインチを取り寄せていたものが今日届いた。このウインチは本体価格は2Kしないのだから本当に安い。畑仕事が一段落したので、早速ハシゴタワーの整備でもすることにしようか。(写真1写真2写真3

 娘のピアノのレッスン、昨夜、なにかスケジュールを間違ったようで練習日でなかったようで空振りで帰ってきた、なんだか随分早い帰りだなあと思ったが小生はもう半分寝ていたので、今朝になってそのことを知った。その予定が今日だったのだそうで、朝食もそこそこに三人で出かけていった。レッスンの帰りに、スマホの奇跡を見るとあちらこちら寄り道(行楽)をして夕方帰ってきた。


平成29年 4月29日(土)  昭和の日(昭和節)

 晴れ。ただ、今日も風が強くて、ハチの分蜂は見られなかった、明日だな。
    最低気温 8.3℃ (06:09)、最高気温 20.8℃ (15:56)

 大型連休が始まっているが、連休前半の阿蘇はあまり混雑は見られなかった、ミルクロードのライブカメラも渋滞はしていなかった、アゼリアの風呂も、今日あたりは混んでいるかなと思って行ったらいつもと同じような入り具合だった。地震の影響もあるのだろうが、本格的に混むのは後半の3日からなのだろう。

 カミさんは仕事が残っていると行って出かけていった、夏子は部活でこれまた弁当をもって学校に行った。ということで今日も小生と太郎の二人っきり。
 
 昼、太郎にオムライスを作ってやる、小生はパスタ
 
 トマトのハウスは出来たが、まだ定植はしていない、今日は蔓モノやナスなどの畝を二本立てた。風が強くて、マルチが煽られるので太郎も手伝って土をかけてくれた。そして、二人でデッキでコーヒーやジュースを飲みながらのんびりした。
 
 夜は三人組は夏子のピアノのレッスンで泗水に出かけていった。


平成29年 4月28日(金)

 今朝はグンと冷え込んだ、霜は下りたのだろうか、皆さん、もう大丈夫だろうと色々な野菜の苗を植えたばかりだったので、霜に弱い野菜に被害がなかったろうか、我が家ははジャガイモの他にはまだ何も植えていないので大丈夫だったが。
     最低気温 3.0℃ (06:13)、最高気温 17.1℃ (14:58)

 丁度、子どもたちの登校前後に霧が降って、一時視界が悪くなった、小生は、真冬の防寒着を着て見守りに立った。(写真1写真2写真3写真4


 朝寒かった分、日中は気温が上がり空は真っ青に晴れ上がった。トマトのハウス作りをしたが、マルチを張る時に無風状態だったので、普通はマルチを少し被せては風に煽られないように土をかけていくが、今日は全部マルチを被せてから土をかけても全く煽られることはなかった
 
 こんな日こそ分蜂日和だろう、と、トマトハウスを作りながら様子を窺っていたが、そのうちに風が出て、これはちょっと駄目かなという按配になってきた。そう言えば我が家のハチたちのルーツは宮崎だったなあ、おいおいここは宮崎のように気候温暖な地じゃないのだから、ちょっとくらい風があったって飛ばなきゃあ、この先飛ぶ機会はもう無いぞと思わず言いたくもなった。
 
 いつ分蜂しても良いように準備万端、と言っても特に何も準備はしていない、小生が作った蜂球板に蜂球を作ると決めてかかっているし、その場合は手で掬って空のハチウトに入れるつもりでいるからである、ああそうだ、空のハチウトの巣門調整をしておかなければ。泥棒を捕らえてから縄を綯わなくても良いように、気がついて調整をしておいた、さあ、いつでもオーケーだよ。
 
 宮崎ではエゴの花が咲いたそうだ、ここ阿蘇ではまだまだだ、何日くらいのタイムラグがあるのかひとつ記録をしてみよう。我が家のハチウト、人間にとっては素晴らしい環境なのだろうが、おそらくハチにとっては迷惑な環境ではないのかといつも思っている。
 
 ハチウトが置いてある木はぐみの木の根本で、花が沢山咲いている、その隣はエゴの木で間もなく花が咲く、その他にシャクナゲや菜の花やいろいろな花に埋もれるようにしてある。人間にとっては職住接近でこれほど良いことはないと思うが、本来、ハチの巣というものは外敵に見つけられないような場所を選ぶのも重要なポイントだと思うが、ここでは蜜を求めて沢山の虫たちが寄ってくる、肝心のここのハチはそんなものには見向きもせずつ、遠くのほうで一直線に飛んでいく、ハチには職住接近というものは無いのだろうか。
 
 今日のトマトハウス作り、一気に苗の定植までやろうと思えば簡単にできたのだが、別に急ぐ旅ではなし、ハチの様子を眺めながらコーヒーを飲みながらノンビリとやった、別に急ぐ食べではなし。(写真1写真2

 晩飯。煮込みハンバーグと素焼きのハンバーグ、アンチョビポテト、コールスロー、オニオンスープ



平成29年 4月27日(木)

 薄曇り。気温もそれほど上がらなかった。今日もハチの動きなし、こうなると宮崎が先か、阿蘇が先かということになってきた。
    最低気温 10.2℃ (05:42)、最高気温 16.3℃ (16:03)

 登校児童の交通安全見守りをする

 午前十時より阿蘇市の健康推進員の委嘱状の交付式が内牧の阿蘇農村環境改善センターで行われた(写真1写真2写真3)。この健康推進員というのは、近年の医療費高騰によるの市の医療費財政の圧迫を少しでも改善しようと決められた制度で、医療費財政の大きな部分を占める病気が、市民の(というより、国民的なものであるが)生活習慣病を原因とする病気によるもので、それらは普段の生活で気をつければかなりの部分で防ぐことが出来るということで、市民の健康意識を高めるために、市内の各地区から健康推進員という係を選出して、日常的に啓蒙活動を広げようというものである。市内の各地区から約90名が出席して交付式が行われた。任期は二年で、我が村ではオマエが一番ヒマそうだからやれということで、今回で三回目のお役目となった
 
 ジャガイモの芽がボチボチ出始めた、植えてから大体二週間くらいで芽が出る。
 
 晩飯。豚肉のムニエル、アンチョビポテト、コーンポタージュ、コールスロー
 
 そう言えば、e鴨氏が、豚肉のムニエルの作り方を教えろというので、わざわざ作り方を写真入りで説明したと言うのに、先日、どうだ作ったか?と尋ねたら、いや、マダ・・・料理に使うワインは飲んでしまった、と言う。どうせそんなことだろうと思ったので、今度昼飯時に、豚肉を買って持ってこい、実際に手ほどきしてやるから、ただし肉は二枚買ってくるのだぞと言っておいた。


平成29年 4月26日(水)

 終日雨。
   最低気温 12.3℃ (但し20:03現在)、最高気温 15.6℃ (00:00)

 こんな雨の日は、ハチのことは全く気にかけずに家を空けることが出来る。ということで、交通安全見守り終了後、急遽、免許証の更新に出かけることにした。雨の日は保護者が車で送ることが多いので、今日の子どもたちの数は普段より少なかった。(写真1写真2) 
 
 朝8時ころ、これから行って間に合うの?というカミさんの疑問を聞き流して出かける。確かにお役所の仕事開始としてはちょっと遅い、でも通知ハガキにはちゃんと10時からと書いてある
 
 それは行ってから分かったことだが、一般の受付開始はもっと早い時間からやっているが、小生たち高齢者はこの時間でいいようになっているのだ、つまりこの通知ハガキの時間は高齢者向けの時間設定だったのだ。
 
 菊陽町にある運転免許センターは大きな建物で見落とすことはないはずなのに、考え事をしていたのか、当然知っている場所なので、よく見ていなかったのか、いつの間にか通り過ぎて7キロほど先に行って日赤病院のところで気がついてから引き返した。
 
 運転免許センターに入るなり、ロビーのところで係の人が待ち構えていて、高齢者の免許更新の方はここで書類をチェックしますと持参した書類を改められて、10時になったら、ご案内しますからそこの椅子にかけてお休みください、とまるで親切にお年寄り扱い(まあ、そうだけど)、その間に手続きの説明が痒い所に手が届くように細かくあって、時間になったら10名つづ分けて、手続きの場所に案内してくれる(そんなお年寄りじゃないんだけど)。結局、今日やったことと言えば、健康上著しい障害がないか自己申告の書類にチェックマークを入れてサインをして、手数料を納めて(しっかりと交通安全協会分も)、視力検査をして、写真を撮って、それでオシマイ。今日もまた講習を受けなければならないのかと思っていたら、先日の自動車学校での高齢者講習が終わっているので、今日は無し。開始して30分も経たずに新しい免許証をもらって帰ってきた,51年間無事故無違反である。
 
 つまり一般の人に比べて講習を受けなくて済む分、受付開始時間が遅くても良かったのだ。それから、センターのロビーに入った途端に手続きの受付があったのは、何も、高齢者だけでなくて、一般の人も、今まで更新手続きを一手にやっていた二階部分の広大なロビー(写真1写真2)がセンターが昨年の熊本地震でかなり被害を受けていて未だに復旧していないために、一階のロビーで臨時にそういった免許更新事務をしているということがわかった。この二階部分の復旧にはまだ相当の時間がかかるそうである。
 
 今日の免許更新で、3年後の77歳の誕生日までは書き換えがない、ということは、それまで認知症検査も無いということか。高齢者になるとゴールドでも有効期間は5年でなくて3年になるのか。

 早く終わったので、ハンズマンに寄って、山の上では売っていない幾つかの買い物をして、ちょうど時分時になったので大津のリンガーハットでチャンポンと餃子のランチを食べて帰ってきた。今日もトンカツをとも思ったのだが、そうそうトンカツばかりも、と別に誰に文句を言われる筋合いもないのだがなんとなく気が引けて・・・・

 本日の軌跡

 今日は太郎のプール教室の日。太郎と同じ時間で小生も付き合うと、また2,000m泳がないと時間が合わないので、今日は太郎の送迎車を送ったあと時間をずらしてプールに行って、1,000m泳いだところで時間が合うようにして、二人で風呂に入って帰ってきた。

 晩飯はハヤシライス、コールスロー。



平成29年 4月25日(火)

 晴れ。
   最低気温 8.6℃ (05:47)、最高気温 22.0℃ (15:21)

 午前9時の予約で大腸癌リンパ節郭清後の経過観察で高野病院へ。ちょっとした手違いで、予約で行ったのか飛び込みで行ったのわからないほど時間がかかってほぼ昼前に診察終了。今日の検査は、血液検査とレントゲン検査、勿論異常なし、これで異常があったら大変である。次回は術後6ヶ月検診で、6月にCTの検査を受ける。
 
 思っていた以上に時間がかかって、普段病院で時間がかかることに関してはそれほど気にはしないのだが、今日は特別で、昨日と違って穏やかな天気なので、いつハチが分蜂行動を起こすかが気になって気になって、時々スマホのハチライブを見て確認しながら病院で順番を待っていた。
 
 ちょうど時分時だったので、大津の浜勝でトンカツを食ってから帰った、その時もライブカメラで、様子を見ながら食べていた。万一の場合、大津から家まで一時間くらいの距離だから、そのくらいの時間なら仮に分蜂してもまだ蜂球状態のまま待ってくれるだろうと思っていた。
 
 それで、家に帰ってみても、一向に活動を開始しない、結局今日も空振りに終わった、機いまだ熟せずと言ったところなのだろうか、明日にはまた天気が崩れるというのに。(写真1写真2
 
 今日は、姉と弟の家庭訪問があった。小生は病院に行く予定があり時間もはっきりしないので、カミさんが昼から休みを取って、帰ってきた。中学校と小学校が同じ日に家庭訪問をするというのは、おそらく、万一保護者が休暇を取らなければならないとするならなるべく負担をかけないように一日で済ませようという配慮なのかもしれない。一日で総ての家庭を回るわけではないので、訪問日や訪問時間なども重ならないように小中学校で綿密に連携して訪問日を決めたのかもしれない。最近は小中一環教育というものもあるが、ここは、隣接はしているが一貫教育まではしておらず、小中連携教育といったところだろうか。

 先ず、午後2時半ころ、太郎の担任の先生が見えた、午後3時半ころだったろうか、夏子の担任の先生が見えた。太郎の先生の時は写真を撮らせていただいたが、夏子の時は撮影の機会を逸してしまった。(写真1写真2)


平成29年 4月24日(月)

 晴れ。ただ、今日は風がやたらに強かった。
      最低気温 3.2℃ (06:11)、最高気温 19.9℃ (15:44)
      最大瞬間風速 11.2 m/s (13:07)

 登校児童の交通安全見守りに立つ、低学年、高学年に続いて、今日は中学年(三年四年生)の交通安全教室でもあるのだろうか、自転車を押して通学している姿が見られた。阿蘇山を背景の写真に太郎は写らない、太郎の登校班はこの道を通らないからである、向こうから下ってきてカメラ位置で交差するT字路の左方向からやってくる、そして太郎の登校班は人数も少ないこともあってあまり写真映えがしないのである。(写真1写真2写真3
 
 日中はハチの動向が気になって家を空けたくないので、午前中のハチが分蜂活動を開始しないうちにと、朝のルーチンワークを済ませるとすぐに北黒川の薪とり現場に向かう。しかし、現場に通じる道に家屋の建築現場があって車が数台停まっていて通れそうもなく、わざわざ動いてくれと言うのもなんだから、工事が少し落ち着くまで延期しようと決めて戻ってきた。出かける前に、昨日切り出した木材はユンボで処理した分だそうだから、多分、一本一本が軽トラックに載る長さにだけ切ってあるだけで重たい状態だろうと思ったので、クレーで吊ろうと思って、試しにクレーンを動かしてみたが、ウンともスンとも言わない。まあ、今日は積み込みをやめたので良かったが、帰って分解をしてみた。昔の小生なら、やっぱりアチラ製は駄目だね、とまた新しいものを買っていただろうが、今の小生はそんな贅沢ができる身分ではないので、とにかくなんとかならないかと開けてみた。筐体の中は結構汚れていてサビもところどころに見えるので、とりあえず、接点洗浄剤を吹きかけて、また、防錆剤も吹きかけてみたところ、なんのことはない、動き始めた、とにかくやってみることだね。

 肝心のハチのほうだが、天気はすこぶるいいのだが、今日は風が強かった、とにかく強かった、こんな強い風の時は絶対に飛ばないだろうと思ってみていたが、思った通りだった、小生がハチでも今日のような天気の時には飛ばないな。
 
 e鴨氏がトマトの苗を持ってきてくれた、もうハウスの定植は終わったそうだ、今年は豊作であってほしいと願っている。
 
 二時過ぎになってちょっとタケノコを見回りに行ったら、あまり太いやつではないが結構の本数が出ていたので、このまま放って置くとまた竹の処理が困るので掘り出して茹でておいた。タケノコを茹でるのに小一時間かかるので、ネットで調べたら、チンでもできるとかいてあったので、試してみた。細めのやつは4分で、ちょっと太めのやつは10分もあれば、柔らかくなる、ただ、茹でた場合との違いがまだちょっと分からないが、チンだと茹でるよりはるかに短時間で火が通ることがわかった。
 
 それで、今晩は、急遽、二回目のタケノコづくしになった、子どもたちも歓声を上げる、大好きなのである。タケノコご飯、土佐煮、若竹汁、出汁巻き玉子、コールスロー、刺し身(マグロ、カンパチ)、小生と太郎はクジラの刺身。ちょっとオカズが多すぎたか、刺し身が残ってしまった。動物性タンパク質を、と考えたが、刺し身は要らなかったな。
 
 なんだかネットオークションで儲かったような気がする。何点かの事務用品が一括で出品されていてい、小生はそのなかの計算尺に興味があって、見ていたのだが、誰も入札しない、この計算尺だけでもその提示価格より十分に価値があるのになあと思って、誰も入れないのなら小生が入れようかなあと思っていて、うっかりして、期限切れで流れてしまった、ところが今度は更に値を下げて出品してきた、それでも誰も入札しない、どうしてなのかなあと思って、締め切り間際に、その金額を入れたところ、競争相手が現れずにその金額で落ちてしまった。送料込みで3,781円だった。計算尺はHEMMIのNo.250、それから、使い込んではあるがプロ仕様の巻き尺の50mもの、事務所で使うような大きなホチキス、それから穴あけパンチ、シュレッダーハサミと称して、ハサミを二つ重ねたようになっていてダブルで切れるもの。



平成29年 4月23日(日)

 朝は放射冷却で冷え込む、完全に冬モードの服装から春の服装に変わっているので、さすがに朝はちょっと寒くて、久しぶりにストーブを焚いた。一日抜けるような青空が広がる
    最低気温 4.6℃ (06:20)、最高気温 20.6℃ (14:29)

 今朝はもう午前三時過ぎには目が覚めたのでそのまま起き出していたところ、午前4時過ぎだったろうか、いきなりドンと来た、これは直下型だなと思っていたら、ラジオで阿蘇地方が震源だと言っていた、震度は1だったそうだが、静かな時に、直下できたのでもう少しあったかなとという印象だった。
 
 昼前に福岡に帰るというMQY局、御入来、あまり時間がないとのことだったので、ハチウトの前に臨時の席を設けて、ハチの様子を見ながらコーヒーブレイク
 
 穏やかな気候で、色々な花が咲き乱れ、鳥の啼き声やハチの羽音、それからノンビリ田畑を耕すトラクターの音、MQY局は正に桃源郷の気分をしばし味わって喧騒の都会に帰っていった。

 今日も分蜂を期待して、薪取りをやめて、ハチウトの前で過ごした。まあ、今日も多分無いだろうとは思っていたが、それでももしかしたらという気がしていたので少なからず期待はしていた。コンテナーを椅子代わりにするのは流石にくたびれるので、午後になってバーバキュー用の椅子を持ち出して、それに座って観察を続けた。
 
 巣門の奥には沢山のハチが、ゴーサインげ出るのを待っているか、ずっと待機しているように思えたが、実際のところは分からない。明日もいい天気なので、明日こそ期待したい、明後日までは天気が良くて、その後は少し天気が崩れる予報が出ているのだが、小生は明日でなければ困るのだ、明後日は、熊本まで用があって出かけるのだ、なんとか明日分蜂してくれ。
 
 冬の間、凍結破裂を防ぐために、散水用のホースを外してあったが、久しぶりにセットした。今日セットした理由の一つは、分蜂が始まって、空中にハチが乱舞をしてなかなか落ち着かない時に、ホースで空に向けて水を撒くと、ハチが羽が水で濡れるのを嫌うのだろう、直ぐに落ち着いて蜂球をつくるべくまとまりやすいから、それに備える意味もある。
  
 日中、太郎は小生と一緒に外で過ごして、最近、学童保育で覚えたらしいサッカーを一人で一日中やっていた、時々小生も相手をさせられた。

 一昨日もらってきたツツジ、家の入り口付近に植えておいた。(写真1写真2
 
 夕方にはカミさんが旅行から帰ってきた、昼は太郎に昨日の残り物で天丼をつくってやった、お姉ちゃんは部活ではないが一日学校に行っていた。そんな一日だった。



平成29年 4月22日(土)

 ようやく気持ち良い気温に晴れた。
   最低気温 11.4℃ (06:28)、最高気温 20.8℃ (14:12)

 カミさん、職場の一泊旅行で朝から出かける。娘は部活で弁当を持って出かける、よって、日中は太郎と小生の二人。
 
 最近の朝のルーチンのうち、登校児童の見守りは本日は休みなので無し、もう一つのタケノコ見回りをして、数本を掘り起こして昼の便で発送のために大童をする。
 
 JTQがネットワークカメラを三台も送ってくれた。このネットワークカメラは本体だけでwebサーバー機能がついているので、別にPCを要する必要が無いので非常に便利である、それに内二台は無線使用である、これはLANケーブルを宅内に引き込む必要が無いのでこれまた便利なのである。ただ屋内用の仕様のために、屋外に置くには、雨が降っても良いように何かハウジングを工夫しなければならないが、それでも、大助かりである。
 
 今日は太郎が家にいるので、薪材の積み込みは休もうと思ったが、太郎を連れていけば良いのだと思い至って、昼飯を食ってから太郎を連れて一回だけ昨日の現場、北黒川に出かけた。(写真1写真2写真3

昼飯はピザにした

 薪を積み込みに出かけていて、気になることが一つ、それは、お日柄もよく、そろそろ分蜂が始まってもおかしくない雰囲気なので、おちおち家を空けていられないのだ。

 薪材を積んで帰ってから、薪材を裏の方で下ろしながら、太郎にちょっと見てこい!と言って太郎に見にやらせたところ、お父さん、ハチがいっぱい集まっとるバイと走ってきて告げる。お、そうか、と言って、行ってみると、巣門の所に時騒ぎで飛び回っているのではなくて結構沢山のハチが出ている、でも、まだまだである、それに時間も三時を過ぎているので今日の分蜂はあるまいと見切りをつけて、夕食の支度に取り掛かる、食材の買い出しにでかけても、ハチの様子が気にかかる、そして家に戻っても時々様子を見に行く。分蜂が始まる時には何が引き金になるのだろう、何かしら合図が出るのだろう、なんとも不思議である。
 
 晩飯。天ぷら、コールスロー、ナスとタマネギの味噌汁。太郎はようやくコールスローが美味しいと言い出した。今日の天ぷらのタネは、いつものように、ジャガイモ、ナス、タマネギ、エビ。それから、今日は掘りたてのタケノコと庭のタラの芽、ここでは「だらん芽」と言う。このだらん芽、皆さん山の中に入って採ってくる、しかもオレしか知らない秘密の場所がある、と言って結構貴重らしい。ところが、不思議な事に我が家の敷地内はだらん芽の宝庫で、自慢ではないが毎年山のように採れる、いや採ろうと思えが採れるのだが、それほどのものとは思っていないので、いつも採る時期を逸して、育ちすぎてから気がつく、それでも今日はなんとか食べられるくらいのやつを採ってきて天ぷらにした。ホクホクして臭みも苦味も無く、なかなか美味しいものである。適量を揚げれば良いものを、天ぷらというと、結局大量に揚げてしまう、いつも揚げてから反省をしている。
 
 ああ、今日も目一杯動いて疲れたなあ。いつもは小生一人が二階で寝て、三人は階下で寝ているが、今夜は母親がいないので、怖いと言って、こどもたちは二階に上がってきて寝ている。


平成29年 4月21日(金)

 薄曇り。ここに三日、同じような気温が続いてる、これが本来の気温なのかも。朝の登校見守りの時もちょっと肌寒い。今日の阿蘇山
     最低気温 10.9℃ (03:27)、最高気温 18.7℃ (13:26)

 ここしばらくのルーチン、散歩の後、竹林見回り、タケノコがちょうど送るのにいい本数が出ていたので、掘り起こして午前の便で、親戚に送った。

 今日も上村さんから電話をもらって、薪材を積み込みに出かけた。今日の現場は、北黒川地区、運動公園アピカの南である。午前一回、午後一回行ってきた、まだあるが後日ということで。トラッククレーを動かすほど重くはなく、かと言って、人力で抱え上げるにはちょっと重くて、中途半端な重さで、体がミシミシ言っている。ついでに伐採現場から一抱えほどあるツツジの、この場合は何というのだろう、苗でもなし、掘り起こした根付きのツツジをもらってきた、さてどこに植えようか。
 
 シャクナゲが満開になってきた。今、色々は花が咲き乱れ、色々な木々の芽が吹いている。その中で、イチジクの芽だけが出ずにどうも枯れたのではと思っていたが、ホームセンターでたまたまイチジク農園PACAFARMの園主どのに会ったので、訊いたところ、イチジクは6月ころに芽を出すから、大丈夫でしょうとのことであった、以前も冬を越せずに枯らしたことがあったので心配していたが、よく見るとなんとなく芽を出す準備をしているようにも見える
 
 晩飯。煮込みハンバーグ、コールスロー、コーンポタージュ。太郎のやつはどうもコールスローが苦手のようで、作る側としても色々と味を変えたり工夫をしたりしているのだが。それから、小生はデミグラスソースに少々飽きているので、何もソースはかけずに、ただ肉とタマネギ中心の本来の味を塩とコショーで食べた。


平成29年 4月20日(木)

 曇り、だったのだろうな、晴れていると思うと、思い出したように、雨量計に記録が残らないほどちょっとパラパラと雨が降った、変な天気だった。今日も気温は低めだった。野焼きで真っ黒になっていた山肌が薄っすらと緑色に変わりつつある、横浜のJTQの庭の巣箱に今年もシジュウカラが卵を産んだそうだ、そんな季節である。
     最低気温 7.6℃ (03:20)、最高気温 15.8℃ (14:04)

 朝、学童の登校見守りに立つ。太郎のやつ、家をでるのがちょっと遅れたようで、後から一生懸命に登校班に追いつくよう走ってきた。

 夕方、太郎を学童保育の迎えに行った時、すれちがった同じように子どもを迎えに来た人と挨拶を交わした際に、その人が、阿蘇山の噴火警報が出たそうですねと言った。小生もちょっと噴煙が多いなと思っていたので、やっぱりそうですか、と返して、家に戻ってからネットで調べたけど、どこもそのことには触れていない、娘も帰宅後、今日噴火警報が出たから校庭にいないで校舎内に入るよう言われたけど、まもなく解除になったと言っていた、一体なんだったのだろう、サッパリわからん。

 午前中、竹林を見回って、何本か頭を出していたので、掘って知り合いのお宅に届けてきた。これが暫くの間、毎朝の日課になりそうだ。

 朝一番で、なごみ野のオヤジがトラクターを借りに来た、昼前にはもう作業が終わったそうで戻ってきた。

 特に毎日、予定を立てて行動をしているわけではないが、何もない日というものはほとんど無く、有り難いというか何かしら日記ネタになることをしている。

 今日は、上村さんから電話をもらって、午後から松原公園の奥の方にある家に、薪材を貰いに行ってきた。松原公園までは行ったことがあるが、その奥にも民家が何軒あることは知らなかった。ここのところ、体を目いっぱいに動かすことが何度か続いていて、体の節々が痛い。

 晩飯。炊き込みご飯、刺し身、出汁巻き玉子、ブリの卵が売っていたので、煮付けにした、里芋とダイコン味噌汁


平成29年 4月19日(水)

 登校時の交通安全見守り、田んぼの中、風が冷たかったなあ、真冬の防寒具を着ていったけど寒かった、それでも、体感温度は7℃以上はあったようだが。(写真1写真2)
    最低気温 9.4℃ (06:07)、最高気温 17.8℃ (14:53)

 タケノコが生えるあたりの草が茂って、昨日あたり足で探ってみたけど分からなかったので、刈払い機で雑草を刈ったところ、数カ所、タケノコが頭を出していたので、掘り起こして、昼の宅配便の出荷に間に合うように急いで荷造りをして一番待っている親戚に送った。裏作かと心配していたが、どうやらこれから追い追い出てきそうである。(写真1写真2写真3写真4)
 
 今日も気温が低めで風がちょっとあって冷たかったので、こんな日は分蜂は無い。一応覗いてみたが、ひと頃の大騒ぎは全くしなくなって、蓋を開けてもほとんど無関心である。

 太郎の小学校の授業参観日。参観に続いて保護者総会やクラス懇談会があり、カミさんが授業参観の時に出られないので、その部分だけ小生が出て、カミさんとバトンタッチをして帰ってきたが、坂梨時代は赤ん坊の時から保護者との付き合いがあって皆さん気心がしれているが、小学校は他の地域の保護者が、それも坂梨よりはるかに多い人数で、初対面の上、カミさんですら、私より一世代若い保護者ばかりと言うほどだから小生なんか完全に浮いてしまって、これは今後、こういった集まりに小生はとてもではないが出られないなと思った。
 
 それで、太郎のやつだが、あいつの授業を受ける態度、集中力が無い、姿勢が良くない、厳しくシゴかないといかんなあ。最近の学校は電子黒板を多用している。国の方針なのだろうがなんだか無理矢理に電子黒板を使っているようにも見える。昔なら黒板にチョークで書くところ、ほとんど大きなモニターで済ませている。これで先生と子どもたちとの教えて教えられる血の通った関係が築けるのだろうかとちょっと心配である。音楽の時間も、先生がピアノなりオルガンを弾いて歌うのではなくて、音響装置から流れる伴奏と、モニターに映る歌詞で校歌の練習をしていた。多分先生方も戸惑っておいでなのではと思う、ICTもまだ手探り状態なのだろう。

 授業参観 連続写真
 
 今日は太郎の水泳教室。小生も太郎の送迎車を追いかけてプールに行って、太郎のレッスン中、離れたところで泳ぎながらレッスンが終わるのを待って一緒に風呂に入って帰って来る。前回、1,500mで少し時間が余ったので、今日は2,000m泳いで、ちょうど終わる時間が一緒だった。@2,000m×1、最後の50m、ちょっと足がつった、だらしがねえ。
 
 晩飯。ハヤシライス、コールスロー、到来物のアスパラガス


平成29年 4月18日(火)

 昨日の嵐は東日本、北日本に移って、天気が回復した。ただ、ちょっと今日は気温が低くて、薄着になったばかりなので、少し寒さを覚えた程だった。お向かいの家の桜は、なんという品種だろう、多分山桜だろう、ソメイヨシノより少し遅れて咲きだしたので、昨日の嵐で散ることもなく満開である。
    最低気温 13.2℃ (06:14)、最高気温 16.9℃ (13:02)

 哲史さんが毎朝、自発的に子どもたちの登校の交通安全見守りをしているそうで、訊いてみると、まだ立番などの計画が決まっていないようなので、小生も、どうせ、太郎の登校の確認をするので、ここのところ、色々な道をやってくる全坂梨チームが一点に合流するT字路で一緒に毎朝立つようにしている。(写真1写真2写真3

 ひとしきり降った雨のあとだからと思ったが、雨後のタケノコ・・・・というわけにはいかなかった、その後(先日我が家で初物を口にして)、全く頭を出さず、先日の新聞だったか何かにタケノコが今年は裏作だと載っていたような記憶がある、あれはどこの話だったろう。先日我が家で採れたタケノコは何だっのだろう、品種が孟宗とはちょっと違うとは思うけど、肝心の孟宗が全然出てこない・・・・

 敷地内にあるシャクナゲが咲き始めている、それからカラタチの花も。手が回らずに耕していない裏の畑はタンポポやツクシでいっぱいだ、春爛漫だ。

 先日のハチウトの整備で残っていた部分をした。巣門、あえて下の方に出入り口を作らずに、ウトの片側を少し浮かせて石を入れて出入り確保するやり方と、ハチウトをベッタリと置いて、裾部分に小さなトンネルを穿って、そこから出入りさせる方法があるみたいで、その道の達人たちに言わせると、それぞれ、どちらの方が良いというようなことを言っているみたいだと師匠から聞いたことがあるが、浮かせる方法だと、ちょっと不安定で風に対して弱い気がするし、また万一、ハチが入った後、女王蜂の逃亡を防ぐための高さ調整には、浮かせるより、トンネル方式のほうが管理しやすいようなので、今日はそのハチウトの裾部分に幾つかトンネルを作った。作っている間にも、探索蜂が小生の周りにまとわりついていた、去年に比べて今年はハチが多いようなきがする、どうせなら、どこかから一族を案内して入ってくれよ。

 晩飯。八宝菜、ジャーマンポテト、ジャガイモとタマネギ味噌汁、ご近所からの到来物のアスパラガス
 
 渡部昇一さんも逝ってしまったか・・・・・


平成29年 4月17日(月)

 急速に発達した低気圧で、まるで台風並みの風雨に見舞われた。まさに花に嵐、この風で桜の多くは散ってしまっただろう。
     最高風速 17.9 m/s (17:42)
     最低気温 16.6℃ (09:02)、最高気温 21.2℃ (16:28)

 だんだんと強い雨の区域が東に移動してきて、この時がピークだったろうか、そして午後7時ころだったろうか、大雨警報、随分久しぶりのような気がする、不気味なJアラートが大雨警報を流した。そして自主避難所開設の放送もあった。しかし、その頃にはもうレーダーを見る限り雨の峠は越えていたような気がする

 太郎が初めての雨の登校日になった

 今日は雨で外で何も出来ないので家でゴロゴロしていますとお伝えしてあったので、川添さんが訪ねてこられた。

 晩飯。今日は時間はたっぷりあったが、何を作るか思いつかず、先日好評だった餃子にした。コールスロー、ポタージュスープ、杏仁フルーツ、到来物のシュークリーム。



平成29年 4月16日(日)

 今日は阿蘇も夏日になった、今までが寒かったので、一気に夏になった気分だ。
     最低気温 15.2℃ (05:57)、最高気温 25.4℃ (14:46)

「阿蘇たにびと博物館」<http://www.transnationalasia.com/curators.html> <https://www.facebook.com/MountAsoEcomusee/>の館長、梶原さんが主催する、「阿蘇をさるく」というフィールドワークがある、いや、あった。それが今回、六年ぶりに開催すると言う誘いのメールが届いた。小生にとって父祖の地でありながら、生まれ育ったわけではないのでこちらに来て阿蘇のことがあまり分からずに、この「阿蘇をさるく」に何度か参加して、阿蘇のことをたくさん教えてもらった。その会が色々事情があったようで、ずっと休止中だった。懐かしさもあって今日の「阿蘇をさるく」に参加した。昔知った人はいるかなと思ったが主催者以外には残念ながら知った顔はいなかった。それでもおかげさまで今日は非常に意義深い一日になった。次回があるかどうかはちょっと不明だが、またあるようであれば是非参加したいと思っている。

 今日のさるく会は、熊本地震で大きな被害があった南阿蘇の立野地区をさるいた。今日は偶然にも熊本地震の本震のちょうど一年目にあたり地元の区長さんも慰霊祭などの立て込んだスケジュールを縫って短時間だが説明においでいただいた。

 10時に立野駅に集合して、そのあと、近くの休業中の「弁当のヒライ」に移動して、そこから徒歩で、崩落した阿蘇大橋に代わって、下流に新しく掛ける橋の工事現場に向かった。普段は大きな工事車両が行き来して危険な場所であるが、今日は日曜ということもあって、車両も少なく、特別に入れていただいたようだ。
 
 いままで見たことがないアングルで北向山原生林を向こうに見て新しく橋がかかる場所を眺めることが出来た(ワイド画面)。)この下の渓谷は、阿蘇大橋が出来る前に南郷谷に通じる七曲りの道があったところで、昔、さるく会で歩いた場所だ(2003年、H15.2.16)。普段近くで見ると見上げるほどの大きさの重機や工事車両が自然の大きな破壊力の前には気が遠くなるほど無力な小ささにしか見えなかった、大変な工事をやっているのだ。たまたま今日聞いたニュースでは四年で橋を完成させるというようなことを聞いた。f-JR九州、大津から阿蘇まで代替バスを走らせろ。

 そのあと、立野の57号線とその上を走る豊肥線の線路との間を通っている昔の57号線にあたる村内の道路を歴史的文化的背景について説明を受けながらさるいた、かなりの場所が更地になっていて、残っている家もほとんど無人だった、ここに人が戻ってくるのは非常な困難なことのようである。正午を少し回った頃、突然サイレンが鳴り渡ったので、多分、追悼の黙祷を始めるサイレンだろうということで皆さんで人影のない無人の村内の路傍に立ち止まって恐らく一分間くらいあったろうか突然襲った理不尽な運命の犠牲になった人たちに慰霊の黙祷をした。サイレンというものは、同じ音色なのだろうが、本来の「緊急」を知らせる時と違って、なんとももの悲しく山間に響いていた。

 第109回 阿蘇をさるく 連続写真(1/4)
 第109回 阿蘇をさるく 連続写真(2/4)
 第109回 阿蘇をさるく 連続写真(3/4)
 第109回 阿蘇をさるく 連続写真(4/4)


 予定の正午をかなり回って解散になったが、ミルクロードの交差点から、立野まで、不通になってわずか一年しか経っていないのに、距離感を忘れてしまっていて、走りながら、ああ、こんなに距離があったかと驚くほどだった。せっかく四車線化が完成したばかりだったのに、道路が決してホコリが溜まっているわけではないのだが、白っぽく見えて、ああ、寂れているんだなあということが車を走らせていながら伝わってきた。
 
 解散して、本来なら立野から赤水まではあっという間の距離なのに、また、7キロほど戻って、ミルクロード経由で帰ってきた。せっかく7キロも戻ったのだからと、もう少し走って、大津の街中の「浜勝」でトンカツを食べて帰ってきた。
 
 トンカツを待っている間にスマホの軌跡アプリを覗いていると、今日は嘉島町まで映画に出かけた我が家の三人がちょうど前を通過していって少し先の、こちらは大津の「弁当のヒライ」に入るのがわかったから、帰り着くのは大体同じ頃かなと思って、帰宅してまたスマホを見ると、まだ、あの付近の百均などの店で油を売っているようで、小生よりずっと遅れて帰ってきた。
 
 今日はうんと暑かったから、分蜂しなかったろうかと心配だったが、いくらなんでもまだだろう。これから先、天気の良い日はうかうか外出もできない。


平成29年 4月15日(土)

 朝5時ころ、机に向かっていると、頭付近にある天窓に結構大きな「雨音」がする。今日は天気がいいはずなのに、もしかしたらまた火山礫か?と一瞬訝って外に出てみると、雨だった。直ぐに上がったが、今日は天気はいいが大気が不安定なので朝晩ちょっと天気が変わりやすいとは言っていたが。もうジャガイモは植えたので、降ってくれても困らないのだが。
 その後、天気も回復して、今までの低めの気温を取り戻そうとするかのように今日も気温がグング上がった。さすがにモモヒキやジジシャツも脱いだ。
 そして、日が落ちて、ちょっと用があって外に出てみたところ、雨が降っていた、今日は天気予報がピシャリの日だ。
       最低気温 11.3℃ (01:23)、最高気温 22.1℃ (15:38)  

 いやあ、今日も忙しかった。でも今日の忙しさは、「道楽」「風流」がらみの忙しさだった。
 
 桜の花もそろそろ散り始めている、ハチの動きが活発だ、雄蜂も大きくなって出入りを始めたので、いつその時が来ても良いように準備を始めた。ところがその準備で、屋敷内を動いていると、タケノコが顔を出しているの気がついた、毎年、必ずこの場所に最初に顔を出す。浄化槽の脇である。別に浄化槽から栄養分が滲み出ているわけではないが、たまたま、日当たりなどが関係するのだろう、毎年この場所から我が家のタケノコシーズンが始まる、念のために周囲を探ってみたがやはりまだだった。
 
 固まって数本頭を出していた。ハチウトの整備は一旦中断して、タケノコ掘りをして、それから、鍋に入れて湯がいてその間にハチウトの作業に戻った。
 
 まだ小さいというか、そういう品種だろう、小ぶりのタケノコだ。当然のことながら初物は小生の胃の腑に収まるのだ、全部で4本あったが、小さいので、晩の献立で全部使ってしまった。筍ご飯、土佐煮、若竹汁である。なんというタイミングか、まるで申し合わせたたかのように木の芽が出ている、正に自然の妙である。まもなくタケノコも敷地内のアチラコチラに顔をだして、小生とタケノコとの格闘が始まることだろう。
 
 ハチウトの近くに、蜂球板をセットした。小生はここに必ず集まると決めていて、全く迷いがない。それから、空のハチウトを二組、綺麗に掃除をして、蜜蝋を塗って、いつ分蜂しても良いように準備しておいた、どちらを使うかはその時の勢いだ。そんな作業をしていると、周辺をミツバチが結構飛んでいる。ベランダ辺りも飛んでいる、何処かから飛んできた探索ハチなんだろう、ベランダは暖かくて雨も当たらずハチにとってはいい場所なのかもしれない。そう思って、分蜂ように用意したハチウトをその時までベランダに並べて置くことにした、 あわよくば他所から飛んできて入ってくれることを願っているのだ。
 
 ハチウトを横移動しようと一輪車を動かそうとしたら、車輪の根本の一番力がかかる場所が腐食して折れていた、これではもう使いものにならないので、一番安いやつを買ってきた。
 
 今日はカミさんは仕事、夏子は部活で、太郎と二人だったので、昼飯は久しぶりに、随分久しぶりに、「阿蘇の風」に蕎麦を食いに行った http://www.soba-asonokaze.com/ 。太郎も久しぶりに食べる冷たいお蕎麦を美味そうに手繰っていた。(写真1写真2

 夜は、娘のピアノのレッスン日だが、太郎は今晩は留守番をすると言うので、娘とカミさんと二人で出かけていった、そのほうが賢明だろう。


平成29年 4月14日(金)

 晴れ。今日も気温がぐんぐん上がった。
     最低気温 2.4℃ (06:40)、最高気温 19.4℃ (13:27)

 婆様の命日だ。昨年が七回忌だったので、今年は特に法事はしなかった、そのかわり、仏壇にきれいな花を少し多めに飾った。この時期は阿蘇に春がやってきて一斉に色んな花が開く。菜の花、水仙、花大根、椿、それにちょうど桜が見頃なので一枝折って生けておいた。みんな我が家の花だ、妹がいつも綺麗な鉢植えを送ってくれる。カミさんの両親からもお供えが届いた。去年の今日はどうだったろうと日記を遡ってみたところ、平日なので今度の日曜日に法事をしようかと思っているうちに、熊本地震の前震がやってきたのだった、まだ、この時は呑気に構えていて、一日おいてもっと大きな地震が襲ってくるなど誰ひとりとして知らないでいたのだった。婆様が逝ってようやく懐かしく思い出されるくらいの時間が経った。

 ジャガイモの植え付け二日目。午前11時には二列終了。目算で畝の長さを測って、同じ長さだと思っていたが、定規をあてて芋を置いていくと少し違っていた。今日の一列目は、キタアカリを40個、二列目は39個、そして昼からの三列目、残りの20個でジャガイモは全部植えた。残りの部分に里芋を十数個埋めておいた。五列目と六列目の間は、アンテナの支柱を倒したりするかもしれないので少し広く間隔を取っておいた。
 
 これでようやくジャガイモの植え付けが終わった、ずっと頭にあって落ち着かなかった、後は時間を見つけて何列か畝を立てておいて、何か植えればいい。 メイクイーン 112個、キタアカリ 110個

 植え付けが終わってから、過去には一体いつころ植えたのだろうと日記を調べてみたところ、今年は二番目に遅かったことが分かった、いやあ終わってから調べて良かった、植える前だったら大いに焦ったことだろう、今年はいつもよりは少しは早かったのではと思ったたトンデモなかった。
 
 午前中に二列を余裕で終わったところで、マルチが無くなったので、午前中の作業はそこまでとして、マルチを買いにいったついでに、太郎の遠足の様子を遠くからチラッと覗いた(その程度の距離だ)。旧中通小学校のグランドが遠足の目的地だったようだが、どうせなら、どうして浄土寺牧にしなかったのだろう、浄土寺牧が遠足に相応しい理由はいくつでも挙げられるが、浄土寺牧が駄目だという理由は何一つない、今の浄土寺牧は春爛漫、桜が美しくて、グラウンドもあるではないか、新しい小学校は圧倒的に旧宮地小の先生方が多いのだろう、坂梨の情報に疎いのかもしれない、来年は是非浄土寺牧を誰か推薦してほしいものである。

 晩飯。チンジャオロース、中華スープ、コールスロー(今日はカニ缶入り)、杏仁豆腐


平成29年 4月13日(木)

 今朝は、昨日以上に冷え込んだ、朝、よほどストーブを焚こうかとも思ったが、どうせみんな直ぐに出ていくのだからと思ってやめた。そして、その後、日の出とともに気温がどんどん上がっていった。気温が低めで来たので桜が満開になってもまだ全く散っていない、今が一番の見頃だろう
     最低気温 1.7℃ (06:06)、最高気温 17.3℃ (16:30)

 今朝まで子どもたちの登校風景をカメラに収めた。
 太郎 登校二日目 連続写真 (1/2)
 太郎 登校二日目 連続写真 (2/2)

 
 遅れに遅れている、と言ってももっと遅い年もあったと思うが、ようやく天気になったので、ジャガイモの植え付けをした。通販で取り寄せた種芋、もう、相当に芽が出ていて大変なことになっっているかと思って箱を開いてみたところ、思っていたほどでもなくて安心した、これならもっと遅くても良かった。今年の種芋はメイクイーンとキタアカリを5キロずつ取り寄せた。皆小粒で非常に良い。これは北海道の大樹町のJAだ、覚えておいて来年も頼もう。大きいやつだと、キロ数は同じなので、個数を稼ぐには二つだとか三つに切り分けなければならない、それをしなくて済む、種芋の大きさと生育は関係がないそうだから、小粒のほうがいいわけである。数えてみたところ、メイクーンは112個、そしてキタアカリは110個あった。これ全部植えるの?全部で200株以上になるんだよ、とちょっと憂鬱にもなったが、まあ、やりましょうということで、作業を開始した。
 
 毎年のことだから作業を標準化すればいいのに、行き当たりばったりでやるので、これだけのイモを植えるのに何列畝立てをすればいいか分からない、とりあえず、一列立ててみて、何個乗るか実際にやってみた。3メートルの定規に30センチ刻みの目印をつけてあって、その目印ごとに種芋を置いていって、定規を都合4回当てたので、300÷3×4=40・・・うん40個か。イモを置いてから実際に数えてみると41個あるではないか????ああ、「植木算」じゃんと気がついた。

 とにかく段取りが悪い、あれがない、これがない、で、そのたびに道具を取りに行くので時間がかかってしょうがない。一列の植え付けが終わったのが、11時。それから二列目の作業を途中までして、昼食。
 
 作業途中に坂本棟梁が薪材を2トン車で運んできて落としていってくれた、一回目は挨拶をしたので分かったが全部で三回ほど来た形跡がある。(写真1写真2
 
 午後から二列やっつけて今日は三列終わったところで午後三時、本日の作業終了。全部で三日ほどかかるかなと思っていたが明日で終わる。三列目は30個置いたところでメイクイーンは終わったので、後の11個はキタアカリを植えた。 
 
 雨上がりで土が重くて、培土器(畝立て機)がなかなか押せない、腕が「棒のように」なった、疲れた、疲れた。
 
 そろそろ田んぼの準備が始まっている、昭久さんがトラクターで荒起しをしている直ぐ側に、掘り起こされて出て来るカエルを狙って、普段臆病なサギが付いて回っていた。カラスもそうだが、トラクターの後についていくのは危険ではないということをちゃんと知っている。
 
 晩飯、餃子を焼いた、中華スープ、コールスロー、杏仁豆腐


平成29年 4月12日(水)  

 晴れ。花冷え、少し気温が低め。
     最低気温 6.1℃ (02:06)、最高気温 16.3℃ (15:43)

 太郎、初登校。そしてホヤホヤの中学生も・・・・・

  太郎初登校 連続写真 (1/2)
  太郎初登校 連続写真 (2/2)


 いい天気になったが、畑はまだ水分を多く含んでいるので、畑仕事できず。明日からの準備のために管理機などをチェックする、一年近く動かしていなかったが一発でかかった。それから、トラクターのバッテリー、もう寿命が来ているのはわかっているが、とりあえず、取り外して、充電器で充電をしているが、一日かかっても充電ができている風には見えないので、これは買わなければなるまい。

 ミツバチの分蜂に備えて蜂球板の作成をする。ハチがぶら下がりやすいように古い竹を割って作る、これを蜜蝋を塗って脚立の間に設置してハチウトのそばに置いてハチをおびき寄せる。ウトの近く蜂球を作るのに適当な場所がないようであれば、これに、ぶら下がる確率は高い、数年前に初めて分蜂した時には一発でこれにぶら下がってくれたので今回もそのつもりでいる。
 
 新しい製品を作ったのでとパカファームの若いご夫婦が訪ねてこられた。このパカファームというのは、説明するよりサイトを見たほうが早い http://www.pacamon.com/%E3%83%91%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%A0/。関東から農業をやろうと数年前に阿蘇にやってきた若夫婦、ひょんな事で知り合いになった。いちじくがメインの農園だそうだが、ここ数年の度重なる激甚災害で一時は非常にめげておいでだったが、どうやら元気を回復されたようだ。今日届けてくださったのは紫芋を使ったジャム http://www.pacamon.com/2017/04/07/%E3%80%8E%E3%82%84%E3%81%8D%E3%81%84%E3%82%82%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%A0%E3%80%8F%E3%81%AE%E8%B2%A9%E5%A3%B2%E9%96%8B%E5%A7%8B%E3%80%82/ である。フタを開けるのは勿体無いのでしばらく飾ってから頂戴しよう

 夕方、学童保育に行っている太郎を迎えに行った。今日は前回ほどの「孤独」はなかったようだ、それにしても、子ども数が多い、何人くらいいるんですかと尋ねたら、今日は80人くらいですね、とのこと。定員は確か90人くらいだったと思う。大賑わいだった。
 
 太郎は学童保育から戻って、迎えの車に乗ってアゼリアの水泳教室に出かけて行った。小生も、後から、追いかけて、太郎が終わるまで一人で泳いだ。1,000mだと時間が余るので、今日は1,500m泳いだが、あとまだ2〜300mは泳げそうだ、それで太郎の時間が終わるのに合わせられる。その後、風呂に入って帰ってきた。 

 今日はそういうわけで、メシを作るヒマがないので、昼間のうちに作っておいた。こういった場合は大体、カレーかハヤシだが、太郎にとって初めての給食が今日はカレーという。それをそばで聞いていたお姉ちゃんが、私も今日はカレー。同じ給食センターで作るので、阿蘇中の小中学生は今日は全員カレーということになる。昼がカレーで夜またハヤシというのもなんだから、夜はクリームシチューを作っておいた(あまり変わらないか)。
 
 太郎に今日の給食のカレーどうだった?と訊いたら、美味しかったのでお替わりをしたと言っていた。お姉ちゃんが今日のカレー、辛くなかった?と太郎に尋ねたところ、甘かった、という答え。同じカレーでも小学生用と中学生用とは別の調理方法なのだなあ。

 というわけで、今晩はクリームシチュー、コールスロー


平成29年 4月11日(火)

 雨のち曇り。朝になって雨雲の主要な部分は、九州の北部あたりに少し残っている程度でほぼ通過しつつあり、雨もほぼ上がっていたようだったが、山間部なのでその後も時々思い出したように時雨れていた。
    最低気温 11.4℃ (17:58現在、朝より下がりつつある)、最高気温 15.8℃ (11:54)

 昨夜は、寝床で窓を叩く雨の音と強い風の音が聞こえていたが、一夜明けて、まだ桜の花は開ききっていなかったことが幸いしてこの風で散ることは全く無かったようだ。

 今日は太郎の一の宮小学校入学式だ。時々細かな雨が降る中、式典に臨むべく出かけた。体育館に入ったところに受付があり、そこで手続きを済ませて、組分けしてある表に従って、教室に行った。今年の阿蘇市一の宮地区の新一年生は全部で85名、三クラス編成だ。
 
 太郎は一年三組だった、仲良しの「たいぞう」と「だいと」は二人とも隣の組になった。それでも、坂梨の保育園仲間は、ゆいかちゃん、しおんちゃん、ふうまくんが一緒で良かったと言っていた、とにかく坂梨は他の旧校区に比べたら圧倒的に少数派なので、いろいろと心細いようだ。今日も、小学校に足を踏み入れて、あまりにも坂梨とは、そして保育園とは規模が違うので非常に緊張していて、顔が白くなっていたほどだ。

 教室に行ってみると、こどもたちが、机の間の床に座っている????入学式会場で使うために椅子を一時的に体育館に運んであったのでそういった仕儀になったようだ。そう言えば、坂梨小学校時代にも子どもたちが各人体育館に椅子を抱えて出入りしていたシーンがあった。
 
 教室で一呼吸置いてから、体育館で入学式が始まった。相変わらず、室内なので、露出とシャッタースピードが追いつかずに動きのあるシーンはほとんどピンぼけでボツになった。また坂梨時代には勝手知ったるで、自分の判断で被写体を決めて撮っていて、それで特に問題になることも無かったが、大きな校区ともなると個人情報だとか、プライバシーだとか、色々な問題も出て来かねないので、あまり大っぴらに皆さんの写真を撮るまくるわけにもいかないだろうからと、どうしても、今までの坂梨の知った顔を見つけて主にシャッターを押すようになる。

 今日は、小学校と中学校の入学式が行われたが、両方の入学式に該当する家庭もあるし、また来賓も両方に臨席する都合があるだろうから、式典時間が小学校が午前、中学校が午後開催とに分けてある。カミさんは確かPTA役員をやっているかで、午後から始まる中学校の入学式にも出るために、太郎の入学式が終わって、小生、太郎と二人でジョイフルでメシを食ってから帰ってきた。
 
 明日からは登校班でグループ登校をする、教室で沢山の教材などをもらってランドセルに入れて帰ってきたが、早速明日から給食があると説明があった。下校については、小生が外での作業などが結構あったりで子どもから目を離す事が多いので、当分の間は学童保育を申し込んであって、保育園時代と同じような時間に、保護者が、つまり小生が迎えに行くことになる。オヤジ、あまり楽にならないなあ・・・

 あとは連続写真で・・・
 
  太郎入学 一の宮小学校 平成29年度入学式 連続写真 (1/9)
  太郎入学 一の宮小学校 平成29年度入学式 連続写真 (2/9)
  太郎入学 一の宮小学校 平成29年度入学式 連続写真 (3/9)
  
  太郎入学 一の宮小学校 平成29年度入学式 連続写真 (4/9)
  太郎入学 一の宮小学校 平成29年度入学式 連続写真 (5/9)
  太郎入学 一の宮小学校 平成29年度入学式 連続写真 (6/9)
  
  太郎入学 一の宮小学校 平成29年度入学式 連続写真 (7/9)
  太郎入学 一の宮小学校 平成29年度入学式 連続写真 (8/9)
  太郎入学 一の宮小学校 平成29年度入学式 連続写真 (9/9)



 太郎の入学時と小生の入学時の写真を並べてみた、太郎の小学校、今年の入学児童からだと思うが、制服ではないが、標準服という制度が出来たそうで、まあ、大体写真で見るような服装で登校するようである。小生、戦後、ものがない頃に、少しは経済的に恵まれていたのだろう、あれは確か国民服を子供用に仕立て直してくれた洋服を着ている。これでも周囲から浮き上がるほどの贅沢な支度で、皆と同じような服装でないことが非常に恥ずかしかったことを覚えている。ゴム長も当時は皆つや消しのものだったが、小生はエナメルのピカピカ光るゴム長で、これも恥ずかしくて道路の端っこを隠れるようにして歩いて登校したことを今でも覚えている、2017年マイナス1950年、その差、実に67年・・・入学年次の差ということは、年齢差と同じということになるの・・・・・か。


平成29年 4月10日(月)

 終日雨。桜の花を散らすほどの強い雨風ではなく、静かに一日中降っていた。ただ、九州の南の方に低気圧が発生していて北東方向に進むそうで、今晩から明日にかけてちょっと荒れるかもしれない。
      最低気温 8.6℃ (08:15)、最高気温 12.7℃ (19:33)

 今日はメシの写真ばかりになった。
 
 昼食は二部構成。まず正午に太郎と小生が先ず済ませた。太郎はチャンポン、小生はパスタ(ペペロンチーノ)
 今日始業式、午前中で終り、弁当無しで一時間ほど部活をして午後二時ころ帰ってきた娘に、オムライスを作る
 
 そして夜。
 鶏すき、出汁巻き玉子、キャベルサラダ(コールスロー)、豆腐と油揚げの味噌汁
 
 先日やってきた、名古屋圏の親戚連中はオリーブオイルをたくさん使う、甥がイタリアンレストランをしていることもあるのかもしれない。だから、小生も、ここのところ、努めてオリーブオイルを使うようにしている。オリーブオイルは何にでも使えるらしい。体に良いそうだが、小生はそれは全く問題にしていない、要は旨いかどうかだけである。健康食品だとか体にいい食べ物なんていうものは全く信じていないからである。で、手始めに、パスタにオリーブオイルを使っている、だから、最近、ペペロンチーノが多い。それから、キャベツサラダ、小生は以前からそう言っているが、キャベツサラダを普通、コールスローと言うらしい、小生も勿論名前はしっていたがあまり使わなかったので、これから、キャベツサラダのことを世間並にコールスローということにした。そのキャベツ、いや違った、コールスローにもオリーブオイルを使っている、ここのところほぼ毎日作っている。こどもたちも今までと味がちょっと違うねと言いながら別に嫌いとも言わずに普通に食べている。
 
 名古屋圏の親戚と書いたが、一組は愛知県で、もう一組は隣の三重県である、三重県と言っても名古屋に接しているところである。この二つの地域を一言で言うとなんと言うのだろうと考えた。三重県は近畿地方に属するようだが、東海地方でもあるようだ、それに愛知県は東海地方でもあり中部地方でもある、ということだと、三重県と愛知県をまとめて言うなら、東海地方とでも言っておけばいいのか。


平成29年 4月 9日(日)

 晴れのち、曇、天気はまた下り坂。我が家のソメイヨシノ、十分に咲いた、ただ、我が家の桜の木はテングス病にかかっている。(写真1写真2
  最低気温 14.9℃ (06:56)、最高気温 17.7℃ (12:58)

 散歩に出ようと表に出たところ、またボンのワイヤーがちぎれていた、にも関わらず、ボンは小屋のそばにいた(ノミのサーカスの訓練のようなものだな)。これで切れたのは何箇所目だ、何度もやっていると繋ぐのがだんだん上手くなる、そのうちに、総スリーブのフルメタルリードになってしまうな、もう替え時ということだろう。

 ハチウト内検。たくさんオスが生まれた痕跡が落ちていた、数が多いなあ、これ、働き蜂産卵じゃないだろうなあ。一方、じっちゃいの方、キンリョウヘンは流石にハチを集める力が強いなあ、こんなに寄ってくるものなのか?こういうシーンを見せつけられるとハチならずとも惹かれるなあ・・・・・ハチが去った後、キンリョウヘンはぐったり萎れていたとじっちいは書いているけど、調べたら、そうなるから、周囲にネットを張って直接ハチが花に止まらにようにするようにと何処かに書いてあったなあ。確かにあれだけのハチにいっぺんに集られたらさもありなんである。

 午前中、なごみ野の親父からパソコンの具合が悪いから診てくれという要請があったので、行って調整してきた、その時に、昼メシでも食いに来てくれと誘いをもらったので、昼飯を娘と一緒にご馳走になってきた(太郎は母親と前から約束をしていた戦隊ヒーローものの映画を見に行った)。(写真1写真2
 
 午後は時間が空いていたので、一旦帰ってから、また、なごみ野の庭の雑木の枝打ちをしてきた。隣地との境界に植えてある雑木がこれから葉が生い茂って迷惑をかけるからともうだいぶん前から頼まれていたやつだ。なごみ野の親父は小生より数年若いはずだ、どうして年寄りを木に登らせるのかと聞くと高所恐怖症だと言う、じゃあ、仕方がない。かなり高所になるので、安全ベルトを携えて登った。もっとも一本吊りのベルトだから、万一落ちたら、ベルトが腹を切ったあたりを直撃するから腹は裂けるかもしれない。U字吊りも持っているが、動きにくいので今日は絶対に落ちないつもりで、気休めに一本吊りで登った。(写真1写真2


平成29年 4月 8日(土)

 ほとんど終日雨模様の日和だった。ただ、気温は高かった。
    最低気温 16.1℃ (05:25)、最高気温 19.6℃ (14:41)

 坂梨保育園の入園・進級式があった。太郎の卒園後も小生は保育園の「非公式専属カメラマン」である、今年一年、節目節目の行事に時間が許せば撮影に出向くことになっている、非公式に撮った写真を小生のホームページに載せているので公式写真だけでは伝わらない雰囲気がわかるということでそれをご覧になる保護者も多いと伺っている。

 今日はカミさんは仕事なので、そして、お姉ちゃんも部活なので、太郎を連れて保育園に写真を撮りに行った。太郎はつい最近まで現役保育園児だったので、小生もまだまだ新年度に入った在園のこどもたちや保護者の皆さんとはほとんど顔見知りだ。今年新しく入園してきた子どもたちはこの春卒園した太郎たちの年次の子どもたちよりかなり人数が少ないので、園児の総数は前年度に比べて減っていると思われる。これも少子化過疎化の影響だろう。太郎がまだ年中組の時にお世話になり、昨年は他の保育園に行かれていた先生がお二方だったろうか、また、今年、坂梨保育園に戻っておいでだった。太郎は保護者席で、どういう想いで入園式を観ていただろうか。
 平成29年度 坂梨保育園 入園・進級式 連続写真 (1/6)
 平成29年度 坂梨保育園 入園・進級式 連続写真 (2/6)
 平成29年度 坂梨保育園 入園・進級式 連続写真 (3/6)
 平成29年度 坂梨保育園 入園・進級式 連続写真 (4/6)
 平成29年度 坂梨保育園 入園・進級式 連続写真 (5/6)
 平成29年度 坂梨保育園 入園・進級式 連続写真 (6/6)


 保育園の帰り、豆札村にある妙法寺の山が花で賑やかになっていたので雨が降っていたがちょっと寄ってみた。小生が花の寺と名付けているように、色とりどりの春の花が咲いている、桜もかなり開いていた。もう昔になる、娘がまだ小さな頃、婆様も一緒にこれら樹の下で花見をして弁当を食べたことを思い出した。(写真1写真2

 昼飯にオムライスを作ってやった、小生はパスタ(ペペロンチーノ)。
 
 昼過ぎには雲も九州を離れて雨が上がったのでボンの散歩に二人で行ったが、太郎も休みが続いて時間を持て余している。早く学校が始まるといい。ようやくこれで雨も上がったかなと思ったら山間部なのでちょっとした雨雲が湧いてはまた時々降っていた。
 
 夕方から三人組は泗水に娘のピアノレッスンで出かけていった。



平成29年 4月 7日(金)

 昨夜から夜中に目を覚ますとずっと雨音がしていたので一晩中降っていたのだろう。夜が明けてもほとんど一日中降っていた。午前中で一旦上がった素振りを見せて、昼過ぎに濃い霧に包まれたが、そのあともまた細かな雨が降っていた、予報では九州に前線が居座っているのでずっと雨でしょうとは言っていたが。

 気温はずっと高めで、夕方見ると、この暖かい雨でようやく我が家の入り口のソメイヨシノが数輪花を開いた。パッといきたかったが一応開花宣言をしておこうか。(写真1写真2写真3写真4写真5
     最低気温 13.7℃ (00:45)、最高気温 19.0℃ (11:43)
 
 春休みだから子どもたちの昼飯の心配もしなければならない、はやく新学期になって給食が始まってほしい。毎週金曜日、スーパー「みやはら」では、握り寿司のバイキングをやっていて、好きなものを詰めて買ってくるようになっていて、小生も時々利用する。一貫54円という値段なので、安いなと思っていたが、回転寿司が2貫で大体100+税だから同じ値段で決して安いわけではないが、それでも便利なので買っている。今日はその寿司バイキングを子どもたちに食べさせた。子どもたちも回転寿司屋は好きだが普段あまり行く機会が無いので喜んでいた。
 
 夕食は、炊き込みご飯、出汁巻き玉子、シュウマイ、コールスロー、ジャガイモとタマネギの味噌汁、その他残り物


平成29年 4月 6日(木)

 雨量は多くなかったが、降ったり止んだりの一日だった。今日も桜の開花は無かった。
     最低気温 12.8℃ (05:35)、最高気温 16.3℃ (13:13)

 今日は運転免許の高齢者講習の日だった。高齢者講習も二段階に分かれていて、小生は70歳〜74歳が受講する高齢者講習である。75歳以上になると今日の検査に更に認知症の検査が加わるらしい。とにかく受講生が多くて教習所は常に満杯状態、12月に申し込んで今日ようやく受講が出来た。近くの教習所でどうしても受講できなければ、遠隔地の教習所を探して、下手すれば県外まで出かけなければならないほどだそうだ。
 
 受講時間はみっちり三時間。教習所の係員が、長時間で申し訳ないが、(本当かどうか知らないが)警察から三時間以上やるようにというお達しがあるもので、とちょっと恐縮していた。高齢者講習の受講人数は増える一方で、この教習所で確か2,000人くらい引き受けなければならないようなことを言っていた。
 
 受講時間は精々一時間くらいだろう、それだったら、許可を取ったわけではないが、春休み中の太郎を、なんとか受講中、傍に置いておいて面倒見きれるかと思ったら、よく見ると案内書に三時間とあった。これでは、太郎を連れて行くわけにはいかない、カミさんの事務所で預かることが出来るかと訊いたら、今日は駄目だという。しかたない、今日を外すと今度はいつになるか分からないが、今日の受講は見送るかと思っていたところ、そうだ、学童保育があった、我が家は入学以降の学童保育を申し込んであるけど、飛び込みで預かってくれるだろうかと朝のうちに電話で照会したところ、気持ちよく引き受けてくれたので、昼には迎えに行けるのだが、握り飯を持たせて、学童保育にやった。
 
 学童保育所は、中学校脇の、以前、給食センターとして使っていた建物で、ちょうど8時を過ぎた時間だったが子どもたちが集まる時間で、係の人に預けて、高齢者講習の会場である、阿蘇自動車学校に出かけた。講習が終わって迎えに行くと、ちょうど昼食中で、太郎はポツリとほぼ一人状態で握り飯を食べていた、帰ってから聞いたところ、太郎と一緒にもうひとり男の子がいたが、この子もひとりぼっち状態でそのふたりが一つのテーブルで昼食を摂っていたらしい。全部で三四十人子どもたちがいたが、見渡したところ顔見知りがいない。係の人に、坂梨の子はいないのですか?と尋ねたところ、三四人いますが今日はみんな休みのようですね。だから、太郎は知った子がいなかったので、ひとりぼっち状態だったのだ。どうだ楽しかったか?と訊いたら、憮然とした表情で全然楽しくなかった、行かなければよかったと言っていた。坂梨の子は少人数の世界で育ったので、どうも「内弁慶」気味で大勢の所に出ると気後れする傾向があるようだ。まあ、入学して友達ができれば心配することもないだろう。

 それで小生の方だが、受講生は9人くらいだったろうか(クラスの定員がそのようである)。最初の一時間目は高齢者の安全運転に関するビデオ鑑賞、二時間目は、視力検査と運転シミュレーターというのか、それを使っての運転適性検査、そして三時間目が実車で教習所内の走行。ビデオ鑑賞はまあ、おいておいて、視力検査は、動体視力や夜間視力の検査を測定機械使って測る(写真1写真2)。シュミレーターの方はハンドルとアクセルとブレーキのペダルが付いた運転装置のようなもの、モニターに映る色がランダムに変わる信号機もどきの画面を見ながら、アクセルとブレーキを踏んだり離したり。実際の運転とは全く関係のないペダル操作をさせるもので、一体これが何の役に立つのだろうと思う、多分、反射神経を試すのだろうが、なんとなくピンとこない検査である。これは運転適性検査という表題がついているが、二段階の検査があり、まず基本的なペダル操作の検査(1)、次にその基本動作を織り込んだ少し複雑な検査(2)に分かれている。要はやり方を覚えてしまえばどうということはない検査だが、ちょっと練習はするが、いきなりだから、第1段階の方が小生は成績が悪くて、複雑な方が成績は良かった。ただ、後の方の検査の「ハンドル操作」が抜群に悪い。これは、本当の車と違って、ハンドルがあまりに軽すぎたので、片手で軽く持って回していたのが、どうもハンドルにセンサーが付いていらしくて、それで良くないと判断されたようだ、まあ、いい加減な検査である。
 
 所内の実車走行試験。と言ってもこれで合否が決まるわけでなく、指導員の指示通りに走らせて、その走り方や欠点を後から、評価を受けるようになってる。車庫入れ、クランク、S字、スラローム、など一通りのことを、一台の車に三人の受講生が乗って教官が補助席に座って走った。実社会では全く問題にならないような一時停止が小生なんか駄目だと指摘された。昔意地悪な交通取締りで、ほんの僅かでも動いていたらそれは一時停止にならないと捕まった話を聞いたことがあるが、それと同じである、安全の確認が目的で、止ることが目的では無いはずだ、と思っているが。それから、優先道路に出る際に、向こうからやってくる車の距離が十分にあるから、そう判断して、こちらが先に動いたところ、これも駄目だという。実際の社会では当然、双方が了解できる距離であるが、駄目だという、そんなことをしていたら、かえって阿吽の呼吸を乱すことになり、事故の原因になると思う、さらには、ここは田舎だからあまりそういうことはあまりないかもしれないが、車の流れを阻害して渋滞原因にもなると思う。が、まあ、安全のために、それくらい注意をしろということだろうと思って、小生は素直に聴いておいたが。次回の講習では規則どおりに完全に教習所基準で運転してやろうじゃないか。
 
 ということで、三時間の講習の後で、無事?(も何もない、これで落ちる人はいないだろう)終了証明書をもらって帰ってきた、この証明書を持って、こんど運転免許の書き換えに行かなければならない。今日の受講料は5,400円也。(写真1写真2
 
 今日の講習会で、紅葉マークが教壇に貼ってあったので、紅葉マークは何歳から付けるのか訊いたところ、70歳からだそうだ、知らなかった。小生は一度も付けろと言われたことがなかったのでどうしてだろうと思ったが、付ける付けないは任意なんだそうだ、だから、いままで付けずに来たのだ。まだしばらくは付ける必要はないだろう。
 
 午後から、DIさんが、娘の参考書に、と家にあったという懐かしの旺文社の数学事典を持ってきてくださった、お子さんが昔使っていたものらしい、小生のほうが興味がある書籍である、示し合わせたわけではないが前後するようにJLZが久しぶりに阿蘇に登ってきたと行って寄ってくれた。久しぶりの鼎談、と言っても真空管の話には小生はあまりついていけなかったが。
 
 昼飯。チャンポン。娘は部活は午前中で終わるので昼飯を食わせなければならない。
 晩飯。チキン南蛮。キャベツサラダ(コールスロー)、コーンポタージュ。鶏肉の胸肉は料理をするとパサパして美味くないのでどうも敬遠されがちだが、このチキン南蛮という料理はそのパサパサを上手く処理して美味しく食べるために考案された料理のようで、チキン南蛮のレシピには必ずと言っていいほど、胸肉とある。最近のなにかの記事で、欧米では胸肉のほうが人気があるが日本ではなぜかもも肉のほうが人気があって、もも肉ばかり需要があるので鶏肉が値上がりする原因になっている書いてあった、その記事にはまた、旨味成分としては、もも肉よりも胸肉の方に多く含まれているとも書いてあった。料理の過程でその旨味成分が流れ出て、パサパサになるようだ。だから、今日は、いつもはもも肉を使うのだが、胸肉を使って作ってみた、確かにチキン南蛮にすると胸肉は旨い、今後はチキン南蛮の時は常に胸肉でいこう。第一胸肉のほうが安いしな。


平成29年 4月 5日(水)

 曇り。今日は雨になるかもしれないという予報だったが、ギリギリ持ちこたえた、ただ、明日は間違いなく雨のようで、畝立てをしている時間が無いうえに、ちょっと風邪気味で体調が良くなかったので今日は一日ブラブラしていた。ソメイヨシノが開くかなと思っていたが、今日は全くその気配がなかった。
    最低気温 5.3℃ (03:19)、最高気温 16.6℃ (17:09)

 4/2の新聞に、京都大学火山研究所が旧坂梨小学校で仮研究棟として活用する記事が載っていたが、今日の新聞には、3年から5年で元の場所に本格復旧するとあった、確かに小学校跡は国道沿いなので、地震計に影響があるだろう、ただ、仮の研究棟にしては、外から見ただけではあまり変化はないが、沢山の工事業者が入ってかなり大掛かりな改修工事をしているようにみえる、やはり今までの場所がいいに決まっているが、費用もばかにならないだろうが、なんとなくチグハグなような気もする。

 太郎が今日からアゼリの水泳教室に通うことになった。午後5時半過ぎ、迎えの車には既に保育園時代の仲良し仲間の悪ゴロが二人乗っていて、保育園の延長のようなものである。一応規則でプール内での写真撮影は禁止されていたはずだから、今日のところは受付の様子までにしておいた。(写真1写真2写真3
 
 太郎は終わってから認定証をもらってきたが、保育園三人組は同じような技量で最終的に確認はしなかったが、全員19級からのスタートになったのではないだろうか。太郎は朝から緊張する、緊張すると言っていたが、終わってから楽しかったあ、と言っていた。
 
 今日は初日でロッカーでの着替えなどで戸惑うといけないと思ったので、小生も同じ時間、泳ごうと用意をしていった。ただ、体調不良なので今日のところは水着に着替えてプールサイドで様子を見ようと思っていたが、結局、泳いでしまった。1,000m泳いでも時間が余って仕方がないので、今日のところは無理をせずに終わったが次回からはもっと沢山泳げそうだ。
 
 プール教室のあと、二人で風呂に入って帰ってきた。
 
 今日の昼飯は、買い置きの豆腐の消費期限が切れているので、麻婆豆腐にした
 夜は、プールの付き添いなどで作っている時間がないのでカレーを作っておいた


平成29年 4月 4日(火)

 今朝も霜が降りたが、日中はぐんぐん気温が上がった。これで、我が家の入り口にあるソメイヨシノ、明日あたり、数輪綻びそうだ。でもこの天気、また明日の午後辺りから崩れるらしい、夕焼けが美しかったのだけどなあ。。
      最低気温 -0.1℃ (05:58)、最高気温 20.4℃ (14:49)

 完全に曜日の感覚が狂っている、休日だと思っていた、子どもたちが休みで家にいるからだろう。

 薪を作る。もう殆どなくなっていて我慢しようかと思ったが、やっぱり欲しい時があるので、少しだけ作っておいた。(写真
 
 堆肥を鋤き込む。太郎に少しやらせた、緊張してハンドルを握っていた(写真1写真2写真3)。
 
 昼飯は親子丼、夜は、娘が仲間たちと外で会食をする事になったと言って出かけていったので太郎と二人で、餃子ライスにした。


平成29年 4月 3日(月)

 今朝は霜が降りた、芽が出たての野菜、これにやられることがある。そして素晴らしくいい天気になった、ただ、朝のうち結構長い時間深い霧が出た(写真1写真2)。ところで、北外輪山から阿蘇五岳を望むライブカメラはいったいどれだけの期間休止したら復旧するのだ、観光阿蘇市はウソか。東京の桜、もう満開なんだなあ、山奥にいるとまったく想像できない。
    最低気温 -1.6℃ (06:54)、最高気温 14.5℃ (15:08)

 ハチウト内検。やっぱりこれはスムシだ、どうして今の時期、こんなに小さな幼虫がいるのだろう、いつ孵ったのだろう、どこで孵ったのだろう、どうしてここにいるのだろう、分からないだらけだ。

 習慣で、太郎を保育園へ送らなければと思って、そうか、もう今日から必要が無いんだと思った、妙なものでちょっとそれが寂しい気もした。4月に入ると入学式がまだでも、学童保育はやっているようだが、我が家では入学式以降に学童保育を申し込んだようで、それまでは家庭保育になる。今日は娘も休みで家にいる、ということは二人の昼飯の心配をしてやらなければならない、ヤレヤレ。
 昼飯は、パスタにした

 今日も突然思い立って、畜協に堆肥を買いにいって、畑に撒いた。いつもバケット二杯分買うが、今回はトラッククレーンが邪魔になって、バケットが引っかかるので一杯だけにした。500円也。ホームセンターで買うよりははるかに安い。太郎も一緒に行きたいというので連れて行った。バケットで肥料を軽トラックに積み込むシーンに、すげえといって驚いていた。帰ってから畑に撒く段になって、また太郎も撒きたいというので、じゃあ、やってみろといって、やらせた。本当は一人でするほうが早いのだが、まあ、せっかくの好意?なので、交替で撒いた。あとはトラクター作業があるが今日はもう時間が中途半端になるので、ここまでで終わった。太郎の手伝いはタダでは済まない、風呂に行った時に必ず自動販売機のメロンソーダを請求される。普段飲ませないので、こんな日は特別である。(写真1写真2写真3写真4
 
 スーパー「みやはら」でe鴨氏とバッタリ、氏も時々主夫業をするそうで、いつもカレーなんかばかりだとなんなので、小生の日記に時々出ている「ムニ※□△」とやらを作ってみたいが、あれは一体何だ、どうやって作るのかというので、じゃあ、今度レシピを載せておいてあげると約束したので、今晩は考えていたメニューを急遽変更、「豚肉のムニエル」にした、自己流である。
 
 トンカツなどにする豚ロース肉を用意する。肉の筋切りをする、小生はこのような道具を使っているが包丁の先でも構わない。
 筋切りした肉に塩、コショーをする。オカズなので小生は両面にしかり塩コショーをしている。そのまま暫く置く、とかいろいろあるかもしれないけど、小生はあまり関係がないと思っている。
 
 塩コショーした肉の両面に、小麦粉をまぶす、小生は、茶こしに小麦粉を入れてスプーンなどで茶こしの縁を叩いて小麦粉が薄く均等に落ちるようにしている。面倒なら適当に小麦をまぶす。
 
 薄く油を引いて熱したフライパンに、先ず片面を焦げ目がつくように焼く(30秒位だろうか、別に人に教えるつもりでやっているわけではないので、時間なんか計らないけど。(焦げ目は、見た目と、小麦粉が焦げて風味が良いから・・・かな?)
 
 片面を焼いたら、裏返して、もう片面を少し弱火にしてしばらく焼いてから、白ワインをたっぷり掛けて、弱火で、何分だろう、肉が厚いので火がよく通るようにじっくり焼く。このワインが、焦げた小麦粉や肉汁と混ざって、焼きあがって食べる時に肉に掛けるソースになる。焼きあがって皿に載せてから、バターをちょっと載せると見栄えが良い・・・・・かな。白ワインは、400円くらいで売っているやつでいい。子どもたちもいるのでワインのアルコールが残らないように気をつける。

 付け合せに、ブロッコリーだとかコーンだとか、ジャガイモ、ニンジンのグラッセなんかを適当に添える。ブロッコリーは生を茹でる。コーンは冷凍のコーンが売っているので、これをフライパンにバターなどを引いて軽く炒める。ジャガイモは少し茹でてから、フライパンにバターを引いて焼くか素揚げにするといい。ニンジンのグラッセは、大きめに切ったニンジンを砂糖で煮て、後からバターで炒めたもの(今日は無し)。いろいろ野菜をそえると、野菜不足を補うことが出来る、それにちょっとカッコいい。
 
 我が家ではこれにインスタントのコーンポタージュスープを付ける。
 
 ざっとこんなもんだろうか、色々添え物で時間がかかるかもしれないけど、本体の料理は極めて簡単、あくまで自己流の豚肉のムニエルである。e鴨氏のお宅は大人数だ、料理が大変だろう、最初に作ったやつが冷たくなるなあ。でも、食べる時にまとめてチンすればいいな。成功を祈る。タンタラ、ララララ、ランランラン・・・

 上記の写真を連続写真にまとめた

 で、今日の晩飯、豚肉のムニエル


平成29年 4月 2日(日)

 今日も変な天気だった、陽が射すと思ったら雨が降り、アラレが降り、突風が吹いた、気温も今の時期としては低くて、一日中ストーブの火が燃えていた。夕方になってようやく青空が広がり始めたと思ったらまた雲が荒れて冷たい風が吹いていた。夕方行った風呂がしみじみ温かく感じた。
     最低気温 4.1℃ (但し18:53現在、まだ下がるかも)、最高気温 8.3℃ (15:38)

 今日は娘の中学校のブラスバンドの演奏会を熊本県立劇場でやるというので、午前中に我が家の三人組は出かけていった。そして、出演が終わり、夕方、楽器類がトラックで戻ってきて、その搬入のために手伝いに出た。肝心のご本尊たちはどうしたのだろう、戻ってくるのが遅れるのだろうか、自分たちで使った楽器は自分たちで片付けるところまでやるのが基本だと思うが、普段無関心で非協力的親父はそのあたりの事情がわからないので余計なことを言っているのかもしれない。(写真1写真2) やはり事情を知らない親父の間違いだったようだ。娘が帰ってきて聞いたら、楽器を運ぶトラックの都合で、フィナーレまで出演する子どもたちが終わるのを待てなかったようだ、普段はちゃんと自分たちで運ぶそうだ。ゴメンね。

 ヒマにまかせて、また、計算尺ネタである・・・パラパラ・・・パラパラ・・・

 これから時々、忘れ去られた偉大なる発明、「計算尺」の素晴らしさを少しでも知ってもらいたくて日記ネタにしようと思っている、小生も一応は曲りなりにアマチュア無線技士なので、いきなりちょっと難しいというか、オタクというか、マイナーなところから入っていく。これは本来の計算尺の原理からはちょっと外れている(と思う)、特殊な計算尺である、計算尺は非常に便利だぞ、ということを言うためにこれを先ず取り上げた。
 こういった問題(長年にわたって実際にラジオや無線機を制作をしてきた諸兄諸氏にとっては、LとCの組み合わせは大体こんなものだと経験的に体で覚えているのだろうが)。

 この問題の基本形はこれだろう
 ということは
 Lを求める式だから、こう展開するのか?(Wordの数式エディタなんか使ったことが無いから書けない、手書きだ)・・・計算が面倒だな、これ、電卓でも面倒だな、おのおの方は、どうやって計算していたのだろうか、手計算だろうか、「MHz」は「10の6乗」で「μ」は「10のマイナス6乗」だろう、「p」は「10のマイナス12乗」か、メガ、マイクロ、ピコが混ざっていてとにかく位取りが面倒だ・・・・そこで計算尺(HEMMI No.266)の登場だい。
 
 ビバ計算尺 不定期其1 連続写真

  従来、無線従事者国家試験に電卓は駄目だが、計算尺の持ち込みは認められていた、それが、 平成23年4月の試験から、持ち込みが禁止になった、小生が受験したのは平成17年だったから当時はまだ持ち込みが出来たのだ、当時は計算尺に興味がなかったからそんなこと全然知らなかった、今だったら喜んで持ち込んでいただろう。尤も、ダイレクトに計算結果が出せるNo.266などの無線工学用の計算尺の持ち込みは不可で基本的な機能を備えた計算尺しか持ち込めなかったようだが。それと、小生が受けた時の試験問題に計算尺を使って解ける問題はあったかなあ。


平成29年 4月 1日(土)

 カラリとはいかなかったがまずまずの穏やかな天気だった、それでも夕方、雹もどきの霰が降った、大気が不安定なのだろう。
      最低気温 3.5℃ (03:44)、最高気温 11.4℃ (13:24)

 新しい年度が始まった。三月がちょうど平日の最終日の金曜日に終わってキリが良いと思ったら、新年度は当然のことながらいきなり休日から始まった、と言っても土曜日が平常勤務の所も多いだろうが。太郎も入学式はまだだが、理屈から言えば今日からもう一年生なのだろう、オイ!一年生!と呼ぶと、なんとなく居心地が悪そうにしていた。三月が別れの月ならば四月は異動も含めて新しい出会いの月である、さて、皆さんにどんな出会いが待っているのか、小生にはもう全く縁のないことだが。
 
 熊本市で今日桜が開花したそうである、熊本市は過去において国内で一番早く開花したことが何度もあるが、今年はかなり遅かった、更に約500m高地にあるここ阿蘇はいつになるのだろうか、我が家のソメイヨシノの蕾を確認してきたが二三日前と全く変わらず固いままだった。

 娘は部活、カミさんは年度替わりで忙しいのだろう、仕事に行った。ということで昼間は太郎と小生だけ。昼飯は小生の分は自分で作ると言ってあったのでカミさんは娘と太郎の弁当だけ作って出かけていった。で、小生は「とろろ汁」を作って食った
 
 「お父さん、とろろね、いいな、太郎も食べたいなあ」と言うので、弁当のオカズだけ食べさせてオニギリは脇に置いて太郎もとろろメシを美味しい美味しいと言って食べていた。

 夕方にはまた三人で泗水にピアノのレッスンに出かけていったので暫しの間、嬉しい独居老人になった。



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