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平成29丁酉(2017)年 2月の記録(新しい日付けの順)


平成29年 2月28日(火)

 晴れ。
    最低気温 -2.7℃ (07:03)、最高気温 11.8℃ (15:20)

 見る側の気持ちで変わるのではなくて、実際に今朝あたりの小川の流れを見ていると、やわらかくキラキラして、♪春の小川はサラサラ流る~♪そのままだった。ほんのちょっとした光の加減なのだろうが寒い時期の光り方と微妙に違って見える。今日のようないい陽気、ハチも元気に離発着を繰り返して、盛んに花粉を運んでいた。じっちゃいの宮崎ではそろそろ分蜂の気配があるそうである、さすが南国宮崎、ここより大分季節が進んでいるようだ。

 今日は、入院でお世話になった方の家を何件か回ってお礼のご挨拶をしてきた。e鴨氏は新しいトマトハウスを建てていた。
 
 昼からちょっと薪を作った、寒い時期に比べて作業もあまり熱が入らなくなった。
 
 夏子、午後7時ころ、修学旅行から無事に帰宅した。楽しかったそうだ。お父さんにはサーターアンダギーをお土産に買ってきてくれた。
 
 晩飯。ポトフ。 


平成29年 2月27日(月)

 今日はほとんど熊本市内だったので、気温は高くて途中の車でも窓を開けて走るくらいだった。
     最低気温 -1.9℃ (07:50)、最高気温 11.2℃ (14:28)

 用があって、太郎を保育園に送った後、山を降りた。当初、大津で用が足りるかなと思っていたら、ダメで結局熊本都心の鶴屋百貨店まで行った。昼飯は下通りの浜勝でトンカツを食った。何かというとトンカツだが、小生は昔から外食に慣れておらず、色々と旨いものがあるのだろうが入り方が分からず、結局、勝手知ったるトンカツかチャンポンになってしまうのだ。それに一人で飲食店に入るのは、テーブルを一人で座ることになり、店に対して気を使ってなんとなく落ち着かないのだ。なんだかんだで帰ってきたのが午後4時を過ぎていて、あわててハヤシライスの材料を買って、太郎を迎えに行った。
 
 幸いに今日は風呂屋(アゼリア)が休みなので、その時間を食事を作る時間に回すことが出た。
 
 実は今日は夜7時から村の公民館で滝室坂のトンネル化に伴って県道の位置が変わることになっていて、その道路が村を通る関係で、当局からその話を聞くための寄り合いがあったので、夕食をそれまでに済ませなければならなかったのだ。

 公民館に集まると、豆札の人たちだけでなく、北坂梨の人たちだろうか、も集まっていて、当局(県と市)の担当者も入れると部屋いっぱいになるほどだった、何より、室内に二箇所、大きな測量図面が広げてあってなおのこと部屋を狭くしていた。
 
 当局の概略説明のあと、皆さん測量図を見てはうちの田がかかるなあ、という声や、ここはどうなっているのだろうかなどと言った質問も出されていた。我が家は基本的には関係がないが、それでも、ちょっと離れているとは言え今まで無かったところに道路が走るわけだからちょっと落ち着かなさはある。それに、国道57号線が今の江藤畜舎の向こう側を通るので、ここから見える場所であり、しかも国道だから県道とは違って交通量が多いだろうから、我が家も少なからず騒音の影響を受けるかもしれない。尋ねたところ、まだ実際の確定図面ではないうえに、国道57号線の工事との兼ね合いもあなるが、道路が出来るのは大体5~6年先になるのではという当局の話だった。ということは小生まだなんとか生きているだろうなあ。もう既にだいぶん前から大まかな情報は入っていて皆さん承知のことであり、いよいよ具体化するのかという戸惑いは見られたが、極力人家を避けて道路を作る計画のようなので家屋の立ち退きなどは無いようで、それもあってか、殺気立った寄り合いではなかったというのが個人的な印象である。(写真1写真2写真3

 娘の沖縄修学旅行二日目、小学校の行事の場合は、結構頻繁に保護者に状況報告の一斉メールが入るが、今回、中学校からはからはウンともスンとも全く何も言ってこない、これが小学校と中学校の違いなのだろうか。一度くらい順調に旅行を続けていますという一斉メールくらい出せばいいのに。旅程は二泊三日だったろうか、ということは、今晩泊まって明日には帰ってくるということか。


平成29年 2月26日(日)

 曇り。
    最低気温 -0.9℃ (04:07)、最高気温 7.7℃ (15:40)

 今日は阿蘇山麓の野焼きが実施された、五岳の麓一帯である、視界が悪くて我が家からはあまり炎は見えなかった。来週の日曜日には北外輪山一帯の野焼きが予定されている、毎年、北外輪山の時は不思議と天候不順で順延されることが多いが今年は予定通り実施されるだろうか。小生は来週は西日本ハムフェアに行くつもりだ。(写真1写真2写真3写真4

 夏子は今朝修学旅行に出かけた、インフルエンザが流行っていて全員無事に行くことが出来ただろうか、目的地は「沖縄」だそうで、当然飛行機だ。一度、昨秋だったろうか予定されてた計画が台風で延期になって、改めて今回の実施になった。小生の頃は、まだ小豆色をした車両で硬い座席に座って、中には床にゴザなんかを敷いて通路に寝たりして夜行列車で行ったものである、その後、それが寝台車になり新幹線になり、今や(と言ってももう随分昔からだろうが)飛行機になった。今回の修学旅行で初めて飛行機に乗る子もいるのだろう、良い旅行になるといいが、沖縄の天気予報、あまり良くなさそうだ。

 小生の小学校時代の修学旅行は小倉市(現北九州市)から別府への一泊旅行だった。戦後それほど経っていない時代で米が足りない時代で自分が食べる米を全員、靴下に入れて口を縛ってなどして持っていってそれを泊まる旅館に出したのだった。小生が修学旅行に発つのを見送った母が、妹を連れて、映画「ホワイトクリスマス」と「黒い絨毯」の二本立てを観に行ったという話を後年何かにつけて思い出に話すので今でもそのことをはっきりと覚えている(このことは以前にも書いたことがある)。
 
 中学校は、同じく小倉から長崎だった、と思うがどうも記憶がはっきりしない、いや鹿児島だったかな、そうだ宮崎~鹿児島だった、そうだとするとなんとなく記憶がある。八紘一宇の塔を覚えている、林田温泉に泊まった、鹿児島の城山公園や、磯別邸も覚えている。高校の時は京都だった、「真面目」な学校だったので、神社仏閣ばかり回ったなあ。

 娘の話によると、全員弁当を持って行くそうで、ということは機内食ではないということか、そうか普通でも飲み物のサービスはあっても機内食は無いな。でも飛行機に乗り込むや早々に一斉に弁当を開くシーンを想像するとちょっと壮観で可笑しい。朝8時には学校に集合して、バスで阿蘇くまもと空港に向かって昼前の便で発っていった。flightradarでリアルタイムで便名を探したが離陸してしばらくはANA1867便の軌跡は不完全ながら表示されていたがそのうちに機影が消えてしまった。別にその後連絡がないので無事に着いたのだろう。(写真

 JA1GQV局から「鶴が台ハムクラブ」の新年会の写真が届いた。もう半世紀以上も前の神奈川県は茅ヶ崎市にある鶴が台公団住宅の住民だったOMたちが、以前にも書いたことがあるが、棟と棟の間を下から見えないように迷彩色を施したワイヤーを張って短波をするなど無線をするには極めて環境の悪い場所で工夫をしてQRVをしていた。小生も、当時はまだ集合アンテナではなく各戸が個別に屋上にテレビアンテナを設置してテレビを受信していた時代で、その屋上のテレビアンテナが林立している間に屋根馬を置いて、ローテータでアンテナを回しながら無線をやっては管理人室から撤去するように警告を受けたりした。(小生が15年ほど昔に鶴が台を退去した後、胴元が替わって今では公団住宅と言う名称ではなくなったようだが)、皆さんも小生よりはるかに昔に鶴が台の住民ではなくなっているが今でも昔を懐かしんで毎年集まっている、メンバーには当時鶴が台の住民ではなかったローカル局もいる。今年は体調不良などで参加者が少なかったようだ。小生も一度機会を作って参加したいと思っていながらなかなか実現できないでいる。
 鶴が台ハムクラブ各位

 今日は、1年ぶりに皆様とお会い出来楽しい時を過ごしました。
体調を崩された方が多く、参加者が減り残念でしたが、新しく
小池さん(JR1CFM)に参加いただき、堀田さんの、デジタル通信
(JT-65)の技術解説や、各自の近況報告などで、時の過ぎるのを
忘れ、渡辺さんの一本締めで解散となりました。

 また来年も、皆様とお会いするのを楽しみにしています。
 写真添付します。(写真1写真2写真3

 FB DX DE JA1GQV 廣永宏介    2017-02-25
 「厚生労働省は非喫煙者がたばこの煙を吸い込む「受動喫煙」対策に関し、すべての居酒屋や焼き鳥屋は建物内を禁煙とする方向で最終調整に入った。」そうだ。小生は(大昔にやめて)煙草を吸わないので、「禁煙」は大賛成だが、法令で総て禁煙にするというのは行きすぎだろう。それほど危険というのなら煙草を麻薬並みに禁止すべきだろう。煙草が好きな人だけが集まる店があってもそれはそれでいいじゃないか、そこまで禁止する、大きなお世話だろう。ただし、店の入口に必ず「当店は喫煙可」です、とハッキリ表示させるようにする、煙草が嫌いな人はそれを見て入らなければいいだけのことで、自然と客層が分かれるだろう、喫煙率が下がっている今の時代、多分そうすると喫煙可の店は持たなくなるだろうと思う、タバコを吸う人間も勝手なもので他人の煙草の煙を嫌がる人は多いのだ、もちろん小生もそのような店には絶対入らないが。

 禁煙席と言えば、太郎と時々行くファミレス「ジョイフル」、わりと最近までは、喫煙席のほうが広くて外の景色がよく見えるいい場所にあって、禁煙席は狭い場所にあった、それを小生はいつだったか阿蘇は遅れていると日記に書い記憶があるが、最近は流石に時代には勝てないようで喫煙者優遇はなくなったようで、喫煙席と禁煙席がそっくり入れ替わった(ついでに日記を検索してみた、H28.2.13日の日記にそのことを書いていた)。小生、毎日適当に日記をつけているようだが、結構昔書いたことを覚えている、小生の記憶力もまだ捨てたものではない、まだまだボケないぞ。


平成29年 2月25日(土)

 程よく冷え込んで穏やかに晴れる
      最低気温 -3.4℃ (06:28)、最高気温 6.9℃ (15:30)

 寺さんようやく放免されたようでその旨LINEで知らせてきた。
 「家に帰って来ました。疲れたけどスーパーに行ってノンアルコールビールを買ってくるぞ、御意見無用、少し落ち着いてからレポートを送る。」(以下省略)
 退院おめでとう。

 保育園の保育参観があった、太郎保育園生活最後の保育参観である。各クラスをざっと回って写真を撮った。未満児クラスは保護者の姿を見ると里心がつくので、とりあえずは廊下から気が付かれないように小さな穴を通じて我が子の保育園の生活ぶりを覗いて、後から、部屋に入るようになっている。今日は保育参観と、小生かかりつけの歯科医院の宇治先生の虫歯の話、それから保護者総会、クラス懇談会と続いて、昼過ぎに終了。最初の保育参観の時間はカミさんが出席して、その後、お姉ちゃんの授業参観も今日あったので、カミさんはそちらの方に回って、小生がその後を引き継いだ。保育参観の日はいつもジョイフルで昼食を食べる習慣になっていて、今日も太郎と二人で昼飯を食べてから帰ってきた。
 姉と弟、生後一年からお世話になって二人で都合10年くらいになるだろうか、ほとんど小生が毎日送迎したが、長かったという印象は全く無い、あっという間だった。とにかく海のものとも山のものともつかない子どもを集団生活が出来るまで保育していただいて感謝の言葉もない。

 坂梨保育園 保育参観・保護者総会 連続写真(1/2)
 坂梨保育園 保育参観・保護者総会 連続写真(2/2)

 ジョイフルを出る時に駐車場に入ってきた軽トラックの人が盛んに手を振っている、だれか知り合いだろうかと思って儀礼的に会釈をしてすれ違おうとしたら、MQY局だった。今日福岡から戻ってきてジョイフルまで昼飯を食べにやってきたとのこと。
 
 帰りにお寄りくださいと言って、別れる。その後、DIさんのところで話が弾んで、と、かなりたって御入来、久しぶりの四方山話で過ごす。


平成29年 2月24日(金)

 畑に薄っすらと霜が降りていた。今日一日雲が多かった。
    最低気温 0.7℃ (03:50)、最高気温 6.5℃ (12:39)

 確かに、今日は噴煙が多かった。「確かに」というのは、KK5さんが、今日は噴煙が多いですねと掲示板で感想を述べておいでだったので、その後、小生も気をつけてみていたのだ。噴火警戒レベル1と噴煙の量は関係がないのだろうか。(写真1写真2写真3

 阿蘇市の健康推進員の定例のワークショップがあった。今年度最後の集まりだった、これで二年の任期が終わることになるのだが、小生がまた留年となった。村でオマエが一番ヒマそうだからやれ、ということなのだが、この役は、再任はしなくて毎回新し人間を選んだほうがいい、それも、一番不摂生をしている人間を推進員にするのがいい、少なくとも任期中は自分の健康に気をつけるだろうから。
 
 ハチウトの内検をした。フタを開くとワッと飛び出してくる、元気な様子にホッとする。砂糖水が時々見るけど一向に減らないなあと思っていると、いつの間にか空っぽになっている、今日も新しく作って入れておいたが、もう梅の花は咲き始めているし、これから色々な花が開き始めるので間もなく自然界の花の蜜が集められるだろう。(写真1写真2写真3

 プレミアムフライデー・・・とな?大企業しか実施出来ないのではないだろうか、この周辺の建設土建会社は今でもトラックが休みになって道路が静かなのは日曜日だけだ、土曜日や、祭日も普段通り走っている。この制度は多分、定着しないのではと思う。
 
 晩飯。豚肉のムニエル。カミさんもプレミアムフライデーか?今日は飲み会があると我々が風呂に行っている間に車を置きに帰ってきたらしい、そんなこと言ってたかなあ、まあ小生はあまりカミさんの言うことは真剣に聞いていないので多分言ったのだろう。お陰で一人前残ってしまった。
 
 寺さん、退院が一日二日延びそうだなあ。


平成29年 2月23日(木)

 低気圧が去って、一気に天気が回復するかと思っていたが今日一日雨こそ降らなかったが、どんよりとした暗い一日だった。昨日から今日に日付が変わる頃が一番気温が高くて、その後、どんどん下がってきている、と言っても、ひと頃のような低温ではないが。
     最低気温 4.1℃ (但し18:33現在、更に下がりそう)、最高気温 13.0℃ (00:12)

 昼にプールに行く。@1,000m×1。
 
 今日は何をしたというわけではないが一日バタバタとしていた。
 
 寺さん、回復が予想に反して足踏み状態のようだ、ちょっと心配だ。
 
 晩飯。カレー、大根サラダ。


平成29年 2月22日(水)

 曇りのち、雨方向。低気圧が通過しそう
    最低気温 -1.2℃ (05:25)、最高気温 10.9℃ (16:18)

 寺さん、朝一番で「gm のどカラカラ、腹減った、カテーテルが気色悪い。8時頃朝飯が出るので、その時に酸素マスクは外れる。カテーテルは回診の際、うまくすれば外れるらしい。」とLINEで打ってきた。小生が経験した時と全く同じ状況だ。でも、寺さんの場合は食べ物が入ってから出るまでの回路は今回関係がないから、直ぐにそれら束縛から解放されるだろうが小生の場合はそれが二三日続いたのだから。午後になって、ちょっと痛くて調子が悪い、本日の通信終わりと弱音を吐いてきた、まあ、一日くらい苦しむのも改めて健康の有り難みを確認するのにいいだろう、などと冷たいことを言っておく。。

 また今晩から明日にかけて天気が崩れてひと荒れきそうだから、午前中のうちに畑を鋤いておいた。何年ぶりだろうか。実際は数ヶ月ぶりだが、そんな気分になるくらいトラクターとはご無沙汰だった。この何年ぶりという小生の気持ちが移ったか、トラクターのやつウンともスントも言わない、いやセルは回っているけどエンジンがかからない。バッテリーはとっくに老朽化してかからないのは分かっていたから最初から外付けのバッテリーでかけるけど、ウン、ウンというだけで点火しない、そのうちにバッテリーが上がってしまった。予備バッテリーは非力なやつだから、軽トラックから引いて(これも非力なバッテリーだが)、アクセルに重しを置いてエンジンをふかした状態でかけようとしたけど、ダメである。いよいよ修理屋に電話をするかなと思っているうちにようやく始動した。とりあえず、土を全部ひっくり返しておいた。昼の時報と同時に鋤き終わって、見計らったかのようにポツリポツリ来始めた、予報では夜に入ってのはずだったのに。それでも今日の予定はこれだけだからいいけど。(写真1写真2)
 
 晩飯。炊き込みご飯、ブリの塩焼き、出汁巻き玉子、ホウレンソウ味噌汁


平成29年 2月21日(火)

 穏やかに晴れる。日没時も雲一つない茜色の空が広がっていたが、また明日は天気が崩れるらしい。
     最低気温 1.0℃ (05:36)、最高気温 9.8℃ (16:38)

 確か今日、寺さん手術だったはずだ、もう無事に終わっているだろうが、全身麻酔だと言っていたから小生のように「生きてるぞ」は打ってこないだろうな。

 昼を挟んでプールへ。@1,000m×1。

 ミモザさんお勧めの本を買った。図書館で調べたら無かったので、ネットで検索したら、ネット古本屋でわずか「1円」で出ていた。本体は1円だが、郵送料が257円だった。実店舗があれば1円で買えるのだ。古本と言っても見たところ全く新本である。1円で売って儲けなんか出ないだろう、それどころか足が出るだろうに、本来の価格は1,470円だ。著者が知ったらがっくり来るだろう。せめて100円にすればいいのに、1円で買う人間は100円でも買うと思う(それでも同じか)。

 その本の帯に「57歳で第一子、60歳で第二子・・・」とある、この部分だけだと小生の方が「勝ち」だな、何が勝ちだかわからないけど・・・・
 
 その我が家の第二子、太郎は本当に工作が好きである、姉もそばで見ていつも感心している。このプリンなんか小生は最初本物だと思ったくらいだ。自分で工夫して色々な道具を使っていつも何か作っている。先日ホチキスを貸してやったら、あっという間にタマを使い切る有様である、それからマーカーをよく使う、爪の先に色々な色がついてしまって取れやしない。ただ悪いところは後片付けがなってない、いつもそのままにして保育園に行ってしまう。普通ならテレビを見たりするのだろうが、我が家ではテレビを見る習慣がないので、別にガマンをして見ないのではなく、子供番組を一時間くらい見るとさっさと自分で消してしまう。おそらくそのまま点けているとズルズル見てしまうのだろうが、習慣になっていてさっさと消すのでその先でやっている番組を知らないのである。これは断言できる、「うちでは子どもがテレビばっかり見て・・・」という親の嘆きをよく聞くが、それは100%親の責任である、親が見るから子どもが見るのだ。世の中ほとんど惰性で見ているのだろうがバカ番組ばっかりのテレビなんか全く見る必要はない。見なくなり始めの頃はそれで何か困ることがあるだろうかと思ったがそんなものは全く無い。この世にテレビがあるばかりにバカばかりをやってそれで常識を越える金銭を手にする輩が出てきて、そういった一見華やかな世界に憧れて、若者が安易に稼ごうと額に汗して働くことを厭うようになるのだ。
 
 もう昔の話になるが、これは当然民放の番組の中でのやり取りだったろう、「NHKというのは日本薄謝協会の略でギャラが安いんですよ」、という話をよく聞いた、当時はへえそんなものかと思っていたが、今だったら、「バカ、NHKの相場が常識でオマエ達が間違っているんだ」と言うのだが。その「薄謝協会」のNHKですら職員の給料はもう驚くばかりに高いらしい、民放の職員の給料も常識を越える金額らしい、とにかく、テレビの世界が世の中の賃金体系を壊している元凶のひとつなのだ、ヤッカミで言うのじゃないけど、いやヤッカミで言うのだが、小生はテレビが無くなってテレビに寄生して生きている連中が絶滅するのをいつも願っているのである、諸悪の根源はバカテレビだと思っているのである、そしてそのバカテレビのコストを負担しているはテレビを見ている国民なのだよ。

 閑話休題言帰正伝。いやいや「(さて)」につながるまでちょっと長過ぎたか、その太郎が、これはお父さんに、そして、これはお姉ちゃんにと言って、手作りの雛飾りを作ってくれた(男雛が小生にで、女雛が娘へ、である。ハテ母親には無かったのだろうか)。保育園でも作ったようだが、一部はその記憶に基いていてそれ以外は完全に太郎の創作だそうだ、親バカのようだが、実によく出来ている、感心した。あいつは工作が好きなんだなあ。将来は大工か飾り職人にでもなるか?そう言えば自衛隊になると言っていたなあ。
 
 晩飯。煮込みハンバーグ。小生はデミグラソースは少々飽いているので、素材のまま焼いたものを食べた、この方が小生は好きである。


平成29年 2月20日(月)

 天気が目まぐるしく変わる。昨夜から前線を伴った低気圧が発達しながら本州付近を通過、その影響で今日はちょっとした台風並みの雨と強風が吹いた。前線が通過するとまた気温が下がるようだ。
     最低気温 6.1℃ (00:00)、最高気温 15.5℃ (09:55)
     最大瞬間風速15.6 m/s(09:42)

 昨日行われた阿蘇市長選挙、現市長の佐藤義興氏が再選された、四選になる。投票率は(選挙戦のあった)前々回に比べて15ポイント下がり、田舎にしては低いほうで、なんとも盛り上がりの欠ける選挙だった。この地は昔から(小生が来る前だが)、選挙ともなると異常にフィーバーする所だったようだが、今回は新鮮だからと言って市政の実績未知数の人を入れるより、安全策として不満はあっても市政のことをよく知っている現市長を選んだという、つまるところ消去法の選挙だったような気がする。対抗馬の元県議は立候補表明が唐突過ぎて、あまりにも準備期間が少なすぎた。それに県議選で敗けた時の印象がまだ残っていて、それが不利に働いた面もあったと思う。そしてもうひとりの候補者、已むに已まれぬ憂国の想いで立ったのだろう、一生懸命、立候補の理由を挙げて真面目に頑張っていたようだが、組織無し、金無し、知名度無しではじめから勝負にならなかったようだ。色々理屈をつけるとそうなるが、もっと単純に、我々一般市民には無縁のことだが、旧町長派につながる勢力と現職市長派に連なる勢力との力比べの結果だったと言う気がしないでもない。
 
 余談になるが、小説なんかを読んでいると、市役所内で支持が別れて、その結果、敗けた方が報復人事を受けるらしいが、今回は内部ではそういった分裂選挙ではなかったのではと思うがあったのだろうか、小説なんかによると幹部職員が突然とんでもない閑職に異動するなど、それは今後の人事異動を見ると分かるらしい、いやいや政治の世界も大変だなあ。
  
 とにもかくにも、これからの四年間、市長には、勝てば官軍でなくて、批判票の意味を深く噛みしめて阿蘇の復興に全力を注いで頑張って欲しいものである。と、新聞論評風に書くとこういったところかな、まあピント外れの分析だろうな。(大津・阿蘇間のJR代行バス走らせてくれ~)
    投票率 69.13%
   佐藤義興 10,156.047票
   佐藤雅司 5,044.952票
   久保田一郎  408票

 科学雑誌「Newton」が民事再生手続きを申し立てたようだ。「Newton」というと竹内均さんをすぐに連想する。最近はこういった傾向の雑誌は売れないのかなあ、小生は時々興味のあるテーマがあるとスポットで、それもほとんどバックナンバーだが買っている。

 晩飯。トンカツ、ポテトサラダ。スーパーに鹿児島産の男爵の新物が出ていたので、たっぷりポテトサラダを作った。



平成29年 2月19日(日)

 穏やかに晴れる。
    最低気温 -3.2℃ (07:18)、最高気温 10.4℃ (14:25)
 
 寺さんが「吾も負けてはならじ」とばかりに昨日入院をしたそうだ、期間は一週間くらいだろうか。命に別状がある病気ではないようだが、詳しくは書いてくれるなと言うので、そのあたりは掲示板への本人投稿か退院してきてからの入院記に待とう。

 我が家の三人組は朝食もそこそこに出掛けていった。予定は、先ず、娘のピアノレッスン。それから今日はピアノのあとにもう一つ、娘の英検三級の二次試験があった。どういう経緯があったのか知らないが少し前に英検の試験を受けることになったと言っていたが、英語は好きじゃないらしくて、普段そばで聞いていると、英単語をローマ字読み(たとえば、「お父さん、マケって何ね、それはメイクだろう、ゴネて何ね、それはゴーンだろう」、いや本当に)したり、「どうして英語と日本語は言葉が並ぶ順序が違うとね、日本語で話せば別に英語なんて要らないじゃん」と言ったりしている娘の普段の勉強ぶりや理解度からすると、あんな程度では三級でも(なんか)絶対に受かるわけがないと思っていたが、これが奇跡的というか何かの間違いと言うか一次試験に通ってしまった。娘は要領がいいというのか、ロクに勉強もせずに普段でも試験ではちゃんと点数を取っているようで、こんないい加減さでずっと学年のトップあたりを維持しているようだから、全く嫌になる。言うと支障があるが、これが地域のレベルなのかとも思いたくもなる。

 さあ、今度は二次試験だと付け焼き刃で勉強をしていたが、これは絶対に断言できる、間違っても100%無理だ(これで通るようならこの試験制度自体がインチキだ)。事実、夕方帰ってきて、(発表はまだ先になるが)やっぱり駄目だったあと言っていた。でも、駄目だったにもかかわらず、楽しかったと言っていた。今回のことで結構英語って面白ねと言い始めたから、これが奮起の材料になればいい。

 小生、英検の試験は受けたことはないが、英検は難易度はクラスが上がるにつれて「幾何級数的」に難しくなるらしい。
 
 最近小生は計算尺、数学に親しんでいるのでごく普通に幾何級数(等比数列)、算術級数(等差数列)などという言葉を使うようになった。
 
 閑話休題、言帰正伝。英検とはべつにTOEICというのがあるらしいが(どう違うかは知らないが)、最近の新聞記事・・・「京都府教委が中学校の英語教師を対象に「TOEIC」受験事業を始めた、74人が受験し、730点以上に達していた教師はわずか16人だったという、英検2級レベルに達していない500点以下は14人で、最低点は280点だった」
 
 280点は中学生並だそうだ。まあ日本の英語教育のレベルはこんなもののようだが小生はもともと小学校からの英語教育は全く不要だと思っている、それよりその時間で正しい日本語を教えろと思っている。

 小生は(レベルは別にして)英語で無線電信(モールス通信)をする、えっ、日本語でなくて英語なの?そう英語である。理由は簡単だ、アルファベットは26文字覚えれば済むが、「いろは」、は約50文字覚えなければならないからだ。両方とも流暢に使う人がたくさんいるが、小生の場合は、欧文がやっとこさである。モチロン欧文は万国共通語だからでもある。
 
 電信はト・ツーの短・長の符号の組み合わせで文字を綴るので単語一つでもかなり長くなる、だから、約束事でなるべく短く打つようになっていて、勿論フルスペルで打ってもいいが、youは「U」、see youは「C U」、 good byeは「G B」で済ます。good morningは 「G M」、good eveningは「G E」である。そして、see you againは「C U AGN」となる。無線はアメリカが本家だからこれはアメリカにも通用する、というより、向こうから来たやり方だが、こうやって電信を通して英語に親しむと、英語なんか別に難しいものではないと思うようになる、要は曲りなりにでも単語さえ知っていればなんとか意思の疎通は図れるのである。小生の場合は英語アレルギーは無線をやることで薄まったと思っている。なにより電信が良いのは、ナマの会話をしなくても、ト・ツ-でやりとりをするので発音の心配をしなくて良いと言うことだ。無線電信はある意味では耳による筆談のようなものだろうか。
 
 筆談と言えば、明治期、会話ができなくても筆談で隣国と立派に意思疎通が図れたというが、明治創世期の日本の指導者たちが(江戸期の武士階級の素養だったのだが)漢籍を能くしたのはこれはすごいことだなあと思う。その漢字も今は堕落して今の日本でたとえ漢籍に通じていたしても意思疎通が図れる相手は中華民国だけだろう、いや中華民国でも日本の漢字自体がかなり簡略化しているのでそれも難しくなっているか。最近、「中国」でも繁体字をお稽古ごととして嗜む人が増えているという。理由は簡体字には繁体字に含まれる伝統的な意味が無いからだと言う。例えば、愛という繁体字には「心」があるが、簡体字の「」には、心がない、などである。確かに漢字は表意文字であって表音文字では無いからなあ。またすぐ近くに完全に漢字を捨てた国もある。それじゃあ自分の国の歴史が全く分からなくなるだろう、だから「正しい歴史認識」も出来ずに見当違いの言いがかりをつけてくる原因にもなっている、考えたら不幸である。だいいち、もともと文字体系が違うのだから、表意文字で成り立ってきた自分の国の言語を表音文字だけで書くようにすると、同音異義語だらけになって困るだろう、にわにはにわうらにわにはにわにわとりがいる、もももももすもももももももすももももものうち、「いろは」だけの国語、小生はゴメンだね、日本語バンザイ。
 
 昼前に、一応市長選挙の権利を行使してきた、残念ながら積極的に推す候補者は居なかったが棄権はしないほうが良いと思って。

 畑の野焼きをした。一昨日雨が降ったので、まだ完全に乾いていないかもしれないからもう一日待とうかと思ったら、明日また雨の予報がでているので、昼から燃やした。ここは午前中全く風がなくても午後になると必ず風が出てくる、今日も少し風があったので畑の風下側から火を点けた。風上から燃やすと一気に火が広がるので風下で点けると、じわじわと風上に向かって燃えていくのだ。今日も陽気が良かったのでハチが飛び回っていたから、煙が直接ハチウトの方に行かないように、気をつけて火を点けたが、計画した通りにハチウトを避けるように燃えて、畑全部を上手く焼くことが出来た。あとはトラクターの出番だ。(写真1写真2写真3写真4)


平成29年 2月18日(土)

 晴れ。
     最低気温 2.6℃ (07:25)、最高気温 7.8℃ (14:39)
     
 三月に入るとまもなく行われる阿蘇地方の一斉の焼きに先駆けて、今日、坂梨妻子ヶ鼻の麓(町古閑牧野「春の牧」)の野焼きが行われていた。ここはいつも独自の日程でやっているような印象がある。今日は昨日雨が降ったにも関わらず、風があったからだろうか我が家から眺める限りは威勢よく炎が上がっているのが見えた(ちょっと気がつくのが遅くて、カメラを構えた時には炎のピークを過ぎていた)。(写真1写真2写真3)
 
 阿蘇市長選挙の運動期間は今日までである。この一週間、我が家の前は二三回選挙カーが足早に通り過ぎただけだった。選挙区は市域だけだからもっと頻繁にやって来るのかと思ったが阿蘇市も人口は別にして、結構広いから回りきれないのだろうか。人口が多い街中での選挙カーのウグイス嬢の声は田んぼを越えて度々聞こえてきたが、わずか十数戸の我が村まではわざわざやって来るだけ不効率とばかりに回ってこなかった。ただ、田んぼ越しに聞こえていたそのスピーカーの声もここ二日ほどは全く聞こえなかった、市の中心部を集中的に走っているのだろうか、でも、市の中心部って、何処だろう、あるかなあ。さあ、明日は投票日だ、なんとなく盛り上がりに欠ける選挙だったような気がするが、果たしてどんな審判が下されるのか、なんとなく結果は分かっているような気もするが。さてさて明日は投票に行こうかどうしようか。


平成29年 2月17日(金)

 雨のち曇り。朝から風が強かった、気温も高かった。昨日の北部九州の春一番に続いて四国や関東地方にも春一番が吹いたそうだ、今日は九州南部にも春一番が吹いたという。ここは昨日も今日も風が強かった、ここは九州北部になるのだろうか、南部になるのだろうか、普段は気象庁などは九州北部と言っているが。
     最低気温 6.8℃ (0 0:00)、最高気温 15.8℃ (14:34)

 朝一番で宇治歯科に三ヶ月ごとの歯の定期メンテナンスに行く。

 太郎の小学校入学に際して給食費の支払い方法を昨日までに郵便で届け出なければならなかったのを忘れていて、慌てて書いて、直接小学校まで届けた。小学校の校舎には初めて入ったが、真新しくて広々としていていかにも快適そうな雰囲気だった。

 図書館で三冊、新刊本を借りてきた

 晩飯。チンジャオロース
 チンジャオロースの素は三人から四人分となっていて、普段我が家の人数ではちょうどいい量なのだが、それでもいつもちょっと足りないようなので、今日は二回分の素を使っていつもの倍の量を作って、さあ腹いっぱい食えと出してやった。子どもたちは二人共、夕方になると「お父さん今晩はなに?」と聞いてくるので、張り切らざるを得なくなる。それにしてもチンジャオロースほどピーマンを美味しく食べられる料理は他にはない、これだとたとえピーマン嫌いのこどもたちでも文句無しに食べるのではないだろうか。


平成29年 2月16日(木)

 晴れ。日が昇ると一気に気温が上がる。風もなく穏やかだったので朝のうちからハチはもう活動を開始していた、今の時期でも黄色い花粉を抱えて帰ってくる、なんの花だろうか。昼ころから強い風が吹き出した。ラジオで北部九州は春一番だと言っていたが、ここの風も春一番だったのだろうか。
    最低気温 -4.9℃ (07:15)、最高気温 12.7℃ (13:50)

 太郎の小学校の準備というわけでもないが、今日は登校班の見学をした。ここの村では朝7時20分くらいに出発をするそうなので、少し早めに集合場所に行ってみた(たまたま今日聞いたが、坂梨の町中では6時45分集合だとか、ここより30分も早く出ることになる)。通学が始まると、この時間には朝食を済ませていなければならず、下手をすると今はまだ眠っている時間なので、これから早起きの習慣をつけなければならず大変である。
 
 今日は集合場所の家にあたる一年生がインフルエンザで学級閉鎖中だとかで顔を見せなかったので、一人足りない人数で登校していった。太郎のやつは妙に照れまくっていた。今日の登校班には6年生が一人いるので、新学期には一人減って、太郎が加わって、という態勢になる。この季節は周囲はまだ霜で真っ白である。(写真1写真2写真3写真4

 今日も畑の後始末の作業を続ける。ようやく全部のマルチを剥がした。全部で11列あった。後は綺麗に枯れた雑草類なので、野焼きをしたかったが、風が強かったので、まあ、周囲に飛び火することは無いが用心のためにやめておいた。ただ、明日は雨だそうだから、二三日おいて燃やそうか。(写真1写真2写真3
 
 それから昨日取り込み残してあった薪も明日は雨だから薪小屋に入れておいた、今日も一生懸命に働いたぞ。
 
 晩飯。ひき肉とタマネギを使ってオムレツ、ハクサイと油揚げの煮浸し、ホウレンソウ味噌汁。カミさんがひき肉を買ったけど使うヒマがないので使ってくれと言うので使ってやった。こどもたちこのオムレツ、気に入ったようだ。


平成29年 2月15日(水)

 晴れ、風もなく青空が広がってPM2.5のやつも無く、気持ちのいい一日だった。ハチも穏やかな日差しの中、時騒ぎをしていた、この光景をみるとホッとする。(阿蘇山写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7・・登校する子どもたちが写っている
     最低気温 -4.8℃ (06:53)、最高気温 10.0℃ (14:20)

 テレビを見なくって、巷でごく普通に使われている(だろう)用語がわからないことが結構ある、困ったというのではなくて、逆に嬉しいと思っている。特に芸能人で活字では目に入ってくる名前で実際は全く知らないのが最近ではたくさんいる、これなんかも非常に嬉しい。TPAPだかTPIPだかの芸人の顔は画像では見るが、動画では見たことがない、このままずっと消えるまで知らないでいたい。

 で、今日、芸能人とは関係がないが、「ソロキャンプ」という言葉がネットを見ていて目についた、これも説明がなく文章のなかで使われていて全くわからないので調べてみて、分かった、こんなものが流行っているのだろうか、まあ「ボッチなんとか」と同じようなものだろうが、これなんか非常に気持ちがよく分かる。田舎で一人のんびり薪を割ったり、畑をマイペースでやったりするのと基本同じだろう。これは精神的にいいぞ。一人旅の自然版、あるいは子どもが好きな「秘密基地」のようなものだろう。
 
 ということで、ということでもないが、今日は薪作りをやめて、急に思い立って、春の畑の準備、と言うよりは、去年の畑の片付けを始めた、ようやくである。周囲を見回すともうどこもすっかり春の準備が進んでいるというのに。ソロ・フィールド・ワークである。

 トマトハウスのビニールを外して、支柱を抜いて、マルチを剥いで・・・連作を避けるために移動しようかどうしようか。その他にも畑のマルチを剥いだ。まだ四列ほど残っている。剥がさないでそのままトラクターで鋤くと、分解しないで畑の土に混ざって大変なことになるので面倒でも剥がなければならない。毎年マルチを剥がす度に、どうして生分解マルチは普及しないのだろうかと思う。
 
 全部剥ぎ終わったら、野焼きをして綺麗にしてしまおう。
 
 それと昨日まで切って放りっぱなしにしてあった薪を薪小屋に入れた、今日もよく働いた。
 
 晩飯。牛肉と野菜たっぷりの甘酢あんかけ。(ハクサイ、ニンジン、シイタケ、エリンギ、キヌサヤ、ナス、ピーマン、タケノコ、モヤシ)



平成29年 2月14日(火)

 晴れ。のはずが・・・・・天気がいいはずなのに山が全く見えない、春霞なのかなあと思っていたら、コヤツのせいだった。全く何かにつけて迷惑な国だ。
      最低気温 -1.4℃ (01:54)、最高気温 6.6℃ (16:21)
 
 今日も終日薪を作った。

 晩飯。マーボー豆腐、エビチリ。
 マーボー豆腐の素には甘口があるが、エビチリソースには甘口などの区別が無いようなので、太郎にはちょっと辛いのでお湯を入れた容器を用意しておいてやって、それで洗って食べている、それでも大好物である。


平成29年 2月13日(月)

 午前中は抜けるような青空に山がまばゆいばかりに輝いていた。午後に入って風が出てきて外で作業をしていて寒かった。
     最低気温 -6.4℃ (06:34)、最高気温 6.3℃ (15:54)

 ニホンミツバチの内検、かなり数が減っている、フタを開けると相変わらずワッと飛び出してくる、もう少しで春がくるぞ、ガンバレ。

 午前午後と薪作りをした。追い立てられての薪作りではないので、ビンテージものの太い薪材を時間をかけて切ったり割ったり。久しぶりにアックス(斧)を振り回したが、薪割りは剣術の極意で上手く決まれば太い薪もスパッと切れて気持ちがいい。午前中は風もなく穏やかななかでの薪作りだったが午後からは風が出てきて寒くなったので、少し早めに切り上げようとしているところに、タイミングよくDIさんが御入来。上がっていただいてコーヒーブレークで四方山話。

 太郎がお店に連れて行ってくれと言う、なんだ?お母さんからもらったお金でお買い物をする!何を買うんだ?景品付きのお菓子!ということで、保育園の帰りにテラサワさんに行く、しかし、目指すものが無い。じゃあ、風呂の帰りにミヤハラに行くか?ということになって、アゼリアの帰りにミヤハラに行った。しかし、お金が足りないと言う。いくら持っているんだ?130円!どうして130円なんだ?なんでも自販機で牛乳を買うつもりだったのが何かの都合で買わなかったらしい、それをそのまま貰ったようだ、だから中途半端な金額だったのだ。どうも欲しいものは500円くらいするらしい、足りないか、また次に貰うまで貯めておけ、と言うと、じゃあもういいや、貯金すると言って帰ってきて貯金箱にコインを入れていた。最近貯金箱に貯めることを覚えて、それもやってみたかったようだ。

 晩飯。メンチカツ二種類


 時々きまぐれに転載する(産経新聞 PDF)



平成29年 2月12日(日)

 雲が多かったが青空も見えていた。相変わらず寒い一日だった。夕焼けが美しかった、明日の朝はまた冷え込みそうだ。
     最低気温 -2.3℃ (00:00)、最高気温 4.2℃ (15:35)

 阿蘇市長選が始まった。村の掲示板にも立候補者のポスターが貼られた。無風選挙になるのかなと思っていたら、現職を含めて三人が立候補することになった。今の市長に不満があるからと言って、じゃあ、他の二人がより優れているかなんて情報も無いしわからないからなあ。誰がなったとしても貧乏市の舵取り、大変だろうな、今度の日曜日が投票日だ。早速選挙カーが連呼しながら走り抜けていった、その後を支援者の車だろうか勢力を誇示するかのように何台も連なっていた。

 2/9の風の便りのアクセス数がいつもより多いと書いたが、その後もずっと高い状態が続いてる。故郷を離れている人が大雪の予報を心配してアクセスしたのだろうか、でもそれほど多くないだろう、何故だろうか、わからない。


平成29年 2月11日(土)  建国記念の日(紀元節)

  雲に聳(そび)ゆる 高千穂の
  高根おろしに草も木も
  なびきふしけん 大御世(おおみよ)を
  仰ぐけふこそ たのしけれ

 
 紀元節の歌である、雅楽の旋律のこの歌、小生は親が古い人間だったので子供の頃教えてもらって識っていたが、多分小生の年代でも知らない人が多いだろう。昔から「越天楽」と同じ旋律じゃないのかなあと思っているが違うのだろうか、高千穂とは勿論日向国、宮崎の天孫降臨の高千穂峰である。

 今では神話の世界と片付けられている神武天皇も新唐書には神武天皇の東征のことが書かれているそうである。歴史の考証については分からないが、とにかく今日は日本国誕生の日である、いやさかいやさか。

 鳥取県あたりの日本海側の地方、大雪で大変なようだ、ここでも昨夜のうちに少し降った、今シーズンでは一番の降りだがそれでも少しの量だ。このような場合でもカルデラの上のここより高いところを走る道路は積雪量が多く、あちらこちらで通行止めやチェン規制などが行われるが、57号線の迂回路のミルクロード二重峠越えは阿蘇と外界をつなぐ大事な生命線なので通行の確保は夜を徹して行われていて、今日のような場合でも普通タイヤで走ることが出来る。

 カミさんはその道路を使って熊本市にある高野病院に出かけて行った。小生のことがあって、カミさんも一度診てもらおうと普段は時間が取れないので悪天候にもかかわらず出掛けていったのである。検査なんかどこでもいいだろうと言ったのだが、小生の入院の際にこの病院から受けた印象が良かったようで、私もここで診てもらいとわざわざ出掛けていったのだ。この病院は科目にもよるのだろうが土日にも更には正月休みでも診療をする今時稀有な病院である。今日は予備診察というか、内視鏡検査の予約などをして帰ってきた。

 娘は部活に出かけていって、太郎と小生は留守番をした。太郎も一緒に雪道をボンの散歩に出掛けて、帰ってきてから太郎は小さな雪だるまを作っていた。気温が低いのでスノーパウダーでなかなか丸い玉を作ることが出来ずに苦労していた、お父ちゃんは寒いので手伝わずにさっさと退散。
 
 今日も記録を見ると寒かったのだろう、ただ、散歩の時は日が差して風もなく気持ちが良かったが。そして雲が多かったが広い青空も広がっていた。ここに降った雪は、鳥取地方に降った大雪のオマケのようなものだったのだろう。
    最低気温 -3.5℃ (06:41)、最高気温 1.5℃ (16:01)
    最低体感温度 -8.3℃ (07:11)



平成29年 2月10日(金)

 時々雪が舞う、真冬日の寒い一日だった。昨日から予報では大雪になるかもしれないと言っていたが、大陸からの雪雲を見る限りまばらな雲が時々かかる程度で、雲が多いなりに青空も見えていた。
    最低気温 -3.2℃ (06:22)、最高気温 -1.0℃ (15:06)
    最低体感温度 -9.4℃ (06:51)

 昨日のカウンターがいつもの3倍近くを記録していたが、この時期どうしてだろう、雪が降るぞという予報によるものか、噴火警戒レベルが1に下げられたものによるものなのか、何が原因するのかよくわからない。

 昼を挟んでプールに行く。@1,000m×1。

 今日は太郎の小学校の体験入学の日で昼まで保育園で過ごし、昼から母親が一の宮小学校に連れて行った。在校生との対面や、登校班の説明などがあり、保護者には入学に関してのオリエンテーションがあったようだ。午後3時過ぎに、例年だと、下校時には登校班を組んで上級生と一緒に、保護者はその後にくっついて帰ってくるのだが、今日は大雪の予報も出ていたので、それは中止になって母親が連れて帰ってきた。なんとなく小学校が現実味を帯びてきた。


平成29年 2月 9日(木)

 いやあ今日は寒かった。朝起きたときは家の周りは薄っすらと白くなっていたが(写真1写真2写真3)、時間が経つにつれて、田畑の雪も無くなった、それでも気温が上がらずに風があったのでとにかく寒い一日だった。今朝の雪は低気圧の通過によるもので、今夜から降ると言われている雪は大陸からの寒気団によるものだそうで、降るぞ、降るぞと騒いでいる。
    最低気温 -0.7℃ (但し、19:33現在、なお降下中)、最高気温 3.6℃ (00:00)

 昼を挟んでプールに行く、ノンストップ1,000m、風邪を引いたりで久しぶりだったが楽々泳げた、一連の腸閉塞騒動も今はもう全くその名残はない、あれは一体なんだったのだろう、快調快調すこぶる快調。

 二三日前になるが、図書館の新刊本の棚に浅田次郎の「天子蒙塵」第一巻があったので借りてきた。そして少し読んでから今日一旦返却した。読んでいて、この本はその昔、「蒼穹の昴」という無類に面白い本があってその一連のシリーズの五部にあたる本だということに気がついた。そしてこのシリーズは全部読んだかなと思い返してみたところ、「蒼穹の昴」の次の「珍妃の井戸」までは読んだ記憶があるが、その後を読んでいないのではと思い至った。「珍妃の井戸」にしても家の本棚にあるが、どういった筋だったか完全に忘れている。このシリーズ、西太后治める清朝末期、自ら宦官の道を選んで西太后に仕えることになる少年・春児(チュンル)の物語から始まって・・・そして清王朝が滅びてやがて中華民国になる過程の激動の時代を我々が知っている歴史上の人物が次々に登場する歴史大河小説、面白い小説だが、第三部「中原の虹」、第四部「マンチュリアン・レポート」は読んでいないと思う、そんなところにいきなり第五部を読んでも、面白さが半減するだろうと思って、一旦今日返却して、改めて「珍妃の井戸」から読み返すことにしたのである。いや、いっそ、これも我が家にある「蒼穹の昴」から読み返そう。「天子蒙塵」もこの先、何巻か続くようので、何も慌てることもあるまい思って返却したのである。
 http://kodanshabunko.com/asadajirou/about.html

 晩飯。豚肉のムニエル


平成29年 2月 8日(水)

 ずっと曇っていたような・・・・と思ったら、そうでもなかったか。今夜遅くからもしかしたら雪になるかも、そしてここ阿蘇でも二三日まとまった雪になるかもしれないそうだ。
   最低気温 -2.4℃ (05:51)、最高気温 7.0℃ (13:28)

 雪が積もると融けるまでが大変なので、枯れ枝などを燃やしながら、今日は一日薪作りをした。いやあ、腰が痛いのなんの。

 ここのところカミさんが帰ってきて晩飯を作ることが多くて、それだけ楽をしている。


平成29年 2月 7日(火)

 穏やかに晴れる。
   最低気温 -0.1℃ (07:23)、最高気温 10.3℃ (15:13)

 カミさんに送ってもらって、朝5時40分宮地駅発の直行バスで大津まで行って、そこからf-JR九州に乗って熊本の高野病院に行く。以前乗った時には満員だったが、今朝のバスはガラガラだった。今の時期大学受験などで高校生は受験地に出向いていて居ないのだろうか、あるいはインフルのせいか。
 
 水前寺で降りて、7時半には病院に着いてしまった。受付は8時半からなので随分待ち時間があるなあと思っていたら、8時前には受付をしてくれた。今日は予約ではないので、時間がかかるかもしれませんよとの受付の話だったが、思っていたより早く順番が来て、レントゲンを撮ってから受診した。レントゲンを見る限り、縫合部分にも異常が見られず、腸閉塞の兆候も見られず、便もそれほど溜まっていないし、もしかしたらガスが溜まってそれが通りにくかったのかもしれませんね、特に問題は無いと思います、とりあえず、下剤と便の通りが良くなる漢方薬をだしておきます、ということで、大山鳴動してネズミ一匹も出ず、だった、一体何だったのだろう、腸閉塞というものに非常に恐れを持っていて、なったら大変だという気持ちが心理的に影響してまあよくわからないが想像妊娠的な症状を起こしたのだろうか。もしかしたらと思ったので一晩くらいの入院の準備をしていったが、先生に聞くと、腸を手術した場合、腸閉塞と腸の癒着がセットで起きるようで、そいういう腸閉塞になったら、鼻からチューブを入れたまま一週間くらい入院しなければなりませんよと笑っておいでだった、ちょっと大げさに騒ぎすぎたのだろうか、10時半過ぎには薬を貰って病院を出ることが出来た。
 
 現金なもので、急に腹が減ってきて、バスで熊本市の中心地、通町筋にでて、下通りにある、「浜勝」でトンカツを食って、熊本駅に出て、そこから「やまびこ」に乗って、午後4時過ぎに家に帰り着いた。相も変わらずこのバスの愛想は良くない。
 
 今日もボンの散歩連れていく時間がなかったなあ、ごめんな、ここのところ度々で。
 総務課から阿蘇山の噴火警戒レベルの引き下げについてお知らせします。
 本日午後2時、阿蘇山の噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)から1(活火山であることに留意)に引き下げられましたのでお知らせします
 なお、火口見学の再開については、未定となっておりますので併せてお知らせします。
(阿蘇市総務課)
 それは良かったが、小生はしばらくは遠慮しよう(気象庁を信用していないから。というより、自然は分からないからか)。それに火口見学再開未定とはどういうことだろうか、1になったのだから、見学道路が穴だらけでもそれを承知で勝手に登っていいということなのだろうか。


平成29年 2月 6日(月)

 ラジオを聞いていると今日は全国的に暖かかったというようなことを言っていたが、ここはそういう感じではなかった、風があったし寒いなあと感じたほどだ、でも考えたらあまりストーブの火の管理はしなかったなあ。
    最低気温 1.7℃ (但し、18:4現在、降下中)、最高気温 6.9℃ (14:37)

 午前中、宇治歯科に歯の治療に行く、左上奥歯の神経を抜いて、そこに穴を開けて金属製の土台を作って、それに、冠をかぶせるという結構な工程を経て、数回通って今日終わる。先週、風邪で、万一インフルエンザだと悪いと思ったので一週間延ばしてもらったのだ。

 旅順港閉塞・・でなくて・・・なんとなく腸閉塞の予兆アリ、三四日前から食べたものが順を追って出てこない、腹が重苦しく張った状態。便秘でないことは間違いない、ということは腸閉塞か。経験はないが、便秘症の人は一週間くらい便通が無いというようなことを聞いたことがある、人間の腸はそのくらい貯蔵できる容量があるのだろうが、いよいよ腸閉塞が極まると、食べたものが腸から逆流して大変らしい、最悪、手術らしいが、一般的には鼻から腸までチューブを入れて処置するらしい。逆の方からのほうが近いと思うのだが、どうして下からやらないのだろう、上からだと、食道、胃、十二指腸、小腸などを通すのだろう、小腸なんか数メートルあるという、逆に下からだと数十センチで済むものを。明日訊いてみよう。
 
 あまりギリギリになって騒ぐよりは、早めのほうがいいだろうと高野病院に電話をして相談したところ、これから来られるかとのこと。いえいいえ、まだそんな切羽詰まった状態ではないと思うので、明日で大丈夫だと思いますと返事をして、明日行くことにした。
 今の段階だったらチューブを入れなくても薬で大丈夫だと思いますと看護師さん、腸閉塞なんかなるわけ無いだろうとバカにしていたが、ヤレヤレ。少し前にタケノコと柿を食べたががあれから日数が経っているのでこれとは関係がないだろう、何が原因するかわからないものである。

 晩飯。豆ご飯、鰤の塩焼き、出汁巻き玉子、シジミの味噌汁。・・・・・本当は小生が食べたかったのだが、用心のために食べ物を入れないほうがいいだろうと思って、今晩は食べなかった。


平成29年 2月 5日(日)

 ほとんど雨の一日、気温も高く、もう春の雨である。
    最低気温 5.6℃ (03:06)、最高気温 12.3℃ (11:11)

 我が家の三人組、娘のピアノのレッスン日が今回は日曜日になったそうで、、朝食後泗水に出掛けていって、遊び回って、夕方に戻ってきた。
 
 小生は図書館に本を返しに行って、また新しく借りてきた。それ以外は何もない日曜日だった。


平成29年 2月 4日(土) 立春

 あまり日は射さなかったように思うが、風もなく穏やかな一日だった。
     最低気温 0.8℃ (06:16)、最高気温 11.9℃ (13:01)

 あと二月もすれば太郎は小学校に入学する、そうなると、いままで送迎付きの登園が自分の足で歩かなければならなくなる。前々から少し自宅から学校まで歩いて、徒歩通学に慣れるようにしてくださいと言われていた。そのうちそのうちと思っていながら、なかなかその機会がなかったが、今朝、太郎の方から、お父さん小学校まで歩こうよ、と誘われたので、おお、そうかと、早速付き合った。 片道、約20分かかった。小学校について直ぐに折り返すと疲れるだろうと、小学校前のコンビニでアイスクリームを食べさせて、ワンクッション置いて帰ってきた。往復歩いて、疲れたあ、と言っていた。今日は手ぶらだったので、今度はランドセルを背負って歩くバイと言っておいた。入学前におニューは使いたくないだろうから、姉が使っていたランドセルに本を詰め込んで歩かせるか。小学校の統廃合で、我が家からだと旧坂梨小学校までと比べて、この春から通う一の宮小学校までの距離のほうが少しだけありそうだが、それでも、我が家からだと、坂梨地区の子のなかでは一番距離が短いだろう、遠い子になると、倍くらいの距離があるかもしれない。(写真1写真2写真3写真4写真5

 今日は休養日、本を読んで過ごす。

 夜7時過ぎ、突然停電、すぐには点かず、数分間停電する。
  


平成29年 2月 3日(金) 節分

 グンと冷え込んでグッと晴れる。
    最低気温 -4.8℃ (07:19)、最高気温 10.0℃ (15:40)

 午前中、隣村の鬼塚に薪材積み込みに行き一時過ぎまでかかってようやく終わる、これで予定通り5往復、最後にまだこれが残っている、三つに切れば軽トラックに載るだろうが、切るのが大変だ、ペンディングとしておこうか。
 
 その作業中に坂本棟梁から、先日の現場、木が少し出たから取りにくるようにという連絡があったので、昼から行って貰ってきた。現場は乙姫のH田さんのお宅だ。すぐ近くに乙姫神社がある。大体の場所は知っていたが行ったことがなかったので帰りにちょっと寄ってみた。小生、乙姫と言うと、すぐに浦島伝説を思い出して、こんな山奥で浦島太郎とどのような関係があるのだろうかといつも思っていながら調べたことがなかった。実際は浦島伝説とは無関係の阿蘇開拓神につながる神だったのだが。もっとも山奥だからとだけでは浦島伝説とは無関係とは言えない。木曽川の寝覚の床は山奥ながら浦島伝説の地なのだから。
 
 そして普通に走ればかすめて通る道路も、少し脇道にそれると内牧駅に通じているので、随分と久しぶりに何気なくちょっと寄ってみた。あまり久しぶりなので、いきなり線路脇に出たので、あれ?道間違えたか?と思ったら、駅舎が無くなっていて線路がそのまま見えたのだった、それで、思い出した、少し前に、駅舎を壊すというニュースがあった、あっというまに壊したのだろうか、なんとも寂しい風景が広がっていた、ただ、ここは、現在(そしておそらくこの先も)隣の阿蘇駅から大分方向には走っていても、逆の内牧から熊本方面への鉄道は走っていないはずなのに、鉄道の赤い信号だけは点灯したままになっている、一体誰に対する合図なんだ。

 昔は内牧駅がこの付近の扇の要的な位置だったのだろう、要石がなくなると、こんなに茫漠たる風景になるものだろうか、周辺もやたらと空き地が増えている、人の姿が全く無い、ゴーストタウンのようになっている、阿蘇全体が今こういう状況なのだろう。たしかY氏の家もこのあたりだったのだろうなと思って駅前から眺めたら、すぐ駅前の以前には建物があった頃には見えなかったのだろうが、空地になったその土地の後ろ側の家の表札が丸見えでYとなっていたので、ああ、あそこなのかもしれないと思って帰ってきた。

 太郎は今日、保育園で豆まきのイベントがあり、消防署から鬼に扮した消防士たちがやってきてひと暴れして子どもたちに豆を投げられたそうである。この消防士扮する鬼たち、毎年本格的な扮装で市内の保育園を回ってくれるらしく、非常にリアルで中には怖がって泣く子もいるという、ちょうど東北のナマハゲ的な存在なのだろう。
 
 太郎たちも園で手作りの鬼の面を作ったそうで、今年はかなり力が入って立派なお面が出来たので、家でも是非、豆まきをしてくださいというメッセージがあったので、今年はその力作のお面を小生が被ってオニにされてしまった。(写真1写真2写真3

 晩飯。ジンギスカン。畜産の地でありながら、ここはマトンは食べないので店にも売っていない、いつも北海道から通販で買っている、ここでも売ればいいのにと思うが需要がないのだろう。


 ようやく心得違いに気がついたか。気がついたのではなくて、つかされたのだろうが。熊本地震では日本の各地からまた海外からも多くの助けを貰っていながら、恥ずかしいことをしたと思うだろう。
 
 同じ今日の新聞に、トミー・リー・ジョーンズが宇宙人に扮するCMの記事が載っていた、熊本城復興がテーマである、小生がまだテレビを見ていた頃からこのCMはあり、トミー・リー・ジョーンズのトボけたキャラクターが面白と思っていたがいよいよ熊本が舞台になったようである、youyubeではもうやっているようである。https://www.youtube.com/watch?v=ltY4YNfSGIU



平成29年 2月 2日(木)

 放射冷却で気持ちのいい朝を迎える、日中も天気は良かったが風が強くてあまり暖かくなかった。
    最低気温 -3.7℃ (07:31)、最高気温 7.2℃ (15:32)

 今朝の気温、予報ほどには下がらなかったので太郎の「実験」、全面凍結までは行かずに上の方だけしか凍らなかったが、それでも一応成功、ということで満足げだった、上の方だけ凍ったのが幸いして、スプーンでグサグサにしてシャーベット様にして食べていた。(写真1写真2写真3写真4写真5

 今日も午前と午後の二回、鬼塚に薪材の積み込みに行ってきた。あと一回で終わるだろう。

 晩飯。炊き込みご飯、ブリ刺し身、太郎と小生はクジラの刺し身、出し巻き卵、ホウレンソウの味噌汁

 
 恬として恥じず・・・・・か。これは瑕疵を隠して物を売るのと同じだろう、もう立派な詐欺だろう、県知事さん、あなたはこの記事を読んでどう思う?



 平成29年 2月 1日(水)

 くもりのち晴れ。
     最低気温 -1.2℃ (00:00)、最高気温 6.8℃ (14:32)

 午前中は日も射さず、風もあって寒々としていたので、今日は外作業をやめて家で読書をして過ごした。午後からはいい天気になったが一旦無くした労働意欲を元に戻すのはなかなか・・・結局今日は外には出なかった。
 
 この時期は特に日が当たらないときはハチは全く姿を見せないので、砂糖水の消費具合を確認がてら様子を見るべく下のフタを開けて奥の方に手を差し入れたところ、散発的に飛び出してくるのではなくて、ドサッと塊で上から落ちてきてブンブンと威嚇飛行を始める。分かっているので刺されないように準備をして開けるので大丈夫なのだが、その迫力には驚くばかりである。大分ハチの数が減っている、もうひと踏ん張りだぞ、寒さのピークは過ぎたぞ、春はそこまでやって来ているぞ。
 
 じっちゃいのブログを見るといつも沢山のハチが給餌器に群がっている写真が載っているが、我が家のハチどもはいつ飲んでいるのか、いつ覗いても給餌器の周りには居ない、そしていつの間にか空っぽになっている、一体いつ飲んでいるのだろうか、ハチにも行動に地域差があるのだろうか。
 
 太郎が昨夕、保育園から持ち帰ったプリンか何かの空き容器に水を入れて何かをしようとしてたので、訊いたところ、最近はなかなか難しい言葉を使うようになって、「氷を作る実験をする」と言う。そこで明日、氷ができる気温かどうか分からないからちょっとまっていろと言って、天気予報を確認したところ、氷点下二度くらいの予報がでていたので、まあ、ギリギリできるかなと、どうせなら、甘いほうがいいだろう、と、夏に使ったかき氷用のシロップが残っていたので、それを入れてやって一晩屋外に置いておいたが、真真夜中に氷点下になったようだが夜が明けた時にはもう気温が上がっていて残念ながら「実験」は失敗だった。
 
 そして、今日、また保育園から帰ってきた時、「お父さん明日の朝は氷ができるかな」と聞くので、調べたところ、氷点下6℃の予報になっている。「オイ、明日はガチガチの氷が出来るバイ」と行ってやったところ、「ヨッシャあ」と、今晩は昨日使ったイチゴのシロップが空っぽになったので、メロンのシロップを入れた水を屋外に置いていた。



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