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平成28丙申(2016)年10月の記録(新しい日付けの順)


平成28年10月31日(月)

 晴れのち、夕方晩飯の仕込みをしながらふと外を見るといつの間にか霧のような雨が降っていた。
    最低気温 8.9℃ (04:02)、最高気温 16.4℃ (12:58)
 
 NHKのラジオ第一放送の朝のローカル番組で、JR九州の運行状況を毎日放送している。だいぶん前からなんとなくオカシイなあ、でも放送しているのだから間違いないのだろうと思って、気にしつつ毎日聞いていた、その内容は、JR豊肥線は宮地駅と豊後荻駅間が代行バスを運転しているという内容である。確かこの区間は7月から復旧してJRが走っているはずなのに、並行してバスも走っているのだろうか。よし!調べてみようという気になってネットで調べたり、今朝、念のために宮地駅に問い合わせたりした。結果、JR復旧に伴って代行バスはもう運転していないということであった。実に7月9日から今まで訂正されることもなく、ずっと放送され続けていたということである。
 また、この番組内で、肥後大津駅と阿蘇駅間の長期運休も例の「運転見合わせ」という言葉で放送されているので、併せて今朝NHK福岡局宛にメールで、小生としては穏やかに且つ紳士的に回答を求めておいた。
 (以下送信文面)
以下二点についてご照会申し上げます。
1.ラジオ第一で午前7時40から50分の間に放送されている番組は「おはよう九州沖縄」でしょうか、そのなかでJR九州の運行状況が毎日放送されておりますが、熊本地震により一部鉄道が不通になりました豊肥線の宮地駅と豊後荻駅間は既に7月9日に復旧しているにもかかわらず、今だに毎日「代行バス」運行と放送されています。

2.また肥後大津駅と阿蘇駅間は山腹崩落により長期運休が続いておりますが、放送では「運転見合わせ」という言い方で放送されています、「見合わせ」という言葉の使い方は、誰が聞いても(おそらく放送現場でもそうだと思います)不適切な表現で、長期「運休」といった用語が使われるべきでしょう、NHK放送文化研究所 https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/114.html でもそう言っているにもかかわらず、どうしてNHKは、と言うより民放もそうですが、「運転見合わせ」と言い続けるのでしょうか、何か基準でもあるのでしょうか。このことは以前にも疑問を呈しましたが回答無く無視されました。

以上、二点、メールにてご回答いただきたく。
 多分NHKからは前回(前回はNHK熊本宛だったと思う)同様今回も回答は無いだろうと思っていたところ、夕方、メールで回答が届いた。
 誠意のある回答だったので、相手は公共放送でもあるし、別に秘する内容でもないと思うので転載することにした。
 □□ 風□さま(□部分は伏せた)

いつもNHKラジオをお聴き頂き、誠にありがとうございます。
またこのたびはご指摘ありがとうございます。

ご指摘を受け、担当部署が調査及び検討を行いましたのでその旨お伝えさせていただきます。

1:まず、「代行バス運行」について
豊肥線の宮地〜豊後荻の間は、ご指摘の通り、7月9日より列車の運転が再開されていました。
大変失礼いたしました。
NHKでは、毎朝JR九州から届くFAXの情報を元に放送していましたが、このJRの情報自体が間違っていました。
JR九州の広報に確認したところ間違いが判明しました。
明日の「おはよう九州沖縄」では、この区間で列車の運転が再開されていることを伝える予定です。

2:続いて「運転見合わせ」という表現について
「運転見合わせ」という表現についてですが、これもJRの情報を元に放送していました。
JRでは「見合わせ」や「運休」という表現の規定が決まっているとのことです。
しかし、□□様のように違和感を感じる方もいらっしゃいます。
NHKでは、ご指摘を受けて内部で検討した結果、肥後大津〜阿蘇は線路の土台が崩れて物理的に運転できないため「不通」と表現することにいたしました。
簡単ですが、ご理解いただければ幸いです。
 
以上となります。
今回は貴重なご意見をありがとうございました。
こうしたご指摘が放送の質の向上に役立ちます。
今後ともNHKへのご理解、ご支援をよろしくお願いいたします。

NHK福岡 広報
 結局両方共fJRに原因があったようだ。情報の出処がfJRだから民放を聞いていても「運転見合わせ」と言っているのだと納得した。少々こどもじみているが、最近、小生はJRの頭にはfを付けることにしている。九州電力にもfを付けている、NHKにも付ける事が多いが、今日は無しである。

 でも、数ヶ月間も誰も何も言わなかったということは、JRの運行状況なんか誰も聞いていないということだろうか・・・・・

 退院後の静養期間が終わったので、今日郵便局まで米袋4袋を運んで親戚筋に送った。また、我が家最後の昨年産米の精米に米袋を運んで行った。連日の力仕事、腸がミリミリ言っていた、わけない。
 
 晩飯。我が家風薩摩汁、サトイモ、ジャガイモ、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、ネギ、白菜、シイタケ、マイタケ、牛肉。


平成28年10月30日(日)

 最低気温が一気に下がった、それでも不思議と寒さは感じなかった、まだ全体的に冷え切っていないからだろう。こんな気温が状態化するとストーブの出番になるのだろうがまだまだ必要は無さそうである、今年は特に温かいのだろう、例年だと朝晩にはもうストーブを焚いていたと思うが。
      最低気温 8.1℃ (03:04)、最高気温 19.8℃ (14:27)
      
 穏やかに晴れ渡って稲刈りもほとんど終わった休日は静かな一日だった。

 今日も昨日の続きの薪材の積み込みに二往復する、その間に、e鴨氏が極太の杉の木を持ってきた、これは玉切りが大変だ。


平成28年10月29日(土)

 爽やかに晴れる。
   最低気温 13.1℃ (但し18:38現在、朝よりも下がっていて更に下がりそうだ)、最高気温 19.6℃ (13:14)

 我が家の三人組は、夕方からピアノだろうと思うが、その他に日中、中学校の行事かなにかが熊本であるので、朝食もそこそこに出掛けていった。
 
 小生は、「お医者様」の言いつけをこれ幸いとばかりに、今週はひたすら「静養」にあてようと、本を読んだりしてゆったりしていたところ、上村さんから、薪材を取りに来いという電話があった。先日その電話をもらっていたのだが、かくかくしかじかでしばらくあまり重たいものが持てないのでもうすこ先にして欲しいと言っていたのだが、重機で積んでやるからということだったので、小生の今回の静養はこれでということにして、昼から薪材を積みに行ってきた。
 
 今シーズン、本格的にチェンソーを動かすのは初めてだったので、減りに減ったソーチェーン(刃)を新品に取り替えた
 
 現場は上町の空き家で家の取り壊しと併せて立木も伐採するということであった。夕方までかかって三往復した。積むのは重機でも、下ろすのは人力なので(しかも、重機で積むほうが太いまま積むので)、久しぶりに体を動かしたこともあってくたびれた。(写真1写真2


平成28年10月28日(金)

 ほぼ終日強めの雨が降る。気温がそんなに低いというわけではないがこの時期になると暗い空を見ていると寒々と感じる。
     最低気温 16.1℃ (00:00)、最高気温 21.6℃ (17:25)

 F気象庁がホームページで阿蘇山(中岳)の毎日の火山観測データの公開を始めた
http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/fukuoka/503_Asosan/503_data.html

 入院で短期レンタルしたモバイルWiFiを返却投函する

 今日はずっと本を読んで過ごした。

 晩飯。豚肉ムニエル(人参グラッセ、ホウレンソウのバター炒め、コーン、フライドポテト)、ホウレンソウのポタージュ


平成28年10月27日(木)

 曇から晴れヘ。
   最低気温 13.7℃ (06:44)、最高気温 19.4℃ (13:26)

 太郎は写っていないが(先生の話によると、左の隅にクツ先がちょっと写っているが、あれが太郎だとのこと、そう言えばクツの模様がそうだなあ)、今日の新聞のこの記事は一昨日のことである。このキウイ狩りに引き続き、昨日はリンゴ狩りの予定だったが雨で中止になった。そして、天気が回復して今日そのリンゴ狩りがあった。少し前になるが保育園のこどもたちはブルーベリー狩りも楽しんだ。いずれも果樹園のご招待である。ここは自然の宝庫だちょっと歩くだけで事足りる、都会からだと一日がかりになるところだがこれが田舎の強みである。
 
 今日、保育園から帰ってくると太郎は一昨日のキウイの袋に今日持ち帰ったリンゴを入れて袋の口を縛っていた、リンゴから出るエチレンガスがキウイの熟成を促すことを教えてやったのだ。
 
 今年はキウイは豊作のようだが、リンゴはあまり出来が良くなかったということである、火山灰の被害もあるかもしれない、火山灰と言えば近くの河原の土手、例年であれがススキやセイダカアワダチソウが土手沿いに綺麗な花を咲かせてるのだが今年は火山灰で一面に枯れている。セイタカアワダチソウは何かと目の敵にされるが土手一面に群生して咲いているとなかなか美しいものである、それがちょうど火山灰が降った一帯が真っ黒に枯れてる。

 コロッケのモノマネなんか皆テレビで見慣れていると思うがこれを市電のアナウンスに使う、小生でもちょっと乗ってみたくなる、このニュース、話題性もあって多分そのうちに全国にもいろいろなメディアを通じて流れるだろう、集客効果間違い無しだ、ちょっとしたことだが三方一両得のグッドアイデアだな。
 
 晩飯。ハヤシライス。大根サラダ(ホタテ、りんご、バナナ)


平成28年10月26日(水)

 終日、小雨が降ったり止んだり。
    最低気温 18.3℃ (01:10)、最高気温 20.9℃ (14:14)

 終日、静養。
 入院中の日記の写真を整理したが、日記はその日のうちに勢いで書くものであって日が経つとなんだか億劫になってきてなかなか進まない。

 晩飯。炊き込みご飯、ホウレンソウの味噌汁、刺し身、出汁巻き玉子、卵豆腐を少しずつ。炊き込み御飯のときはオカズは要らんと言うが、そうもいかないので少しだけ付けた。
 
 「車内で化粧はみっともない」、 そんなことあたりまえだ、問答無用、性差別とは全く関係がない、ただ男は化粧しないだけだ、どうしていけないの?と本気で不思議がっている、怖い世の中になったものだ。


平成28年10月25日(火)

 晴れのち・・・・雨、と言っても、弱い雨が時々降ったりやんだり(午後8時近く現在、総雨量1.3mm)。
   最低気温 10.3℃ (01:55)、最高気温 24.0℃ (12:07)

 おじいちゃんが刈っておいてくれた草を燃やしたがまだ乾ききっておらず、さらに予報より少し早く昼ころからポツリポツリと来はじめて、ほとんど燃えなかった。

 ハチウトの掃除をする。前回からわずか一週間くらいしか経っていないのにもうしっかりとスムシが這っている。まだ床に落ちた巣のクズの中にいるのでいいが、これが上のほうに上がってくると厄介である。
 
 ついでにスズメバチ捕獲器を少し改良をした。実際にまだスズメバチがやってこないので、改良も何も無いのだが、スズメバチが下の方から侵入して入る箱の部分の前面の全部に金網が張ってあるが、その金網部分の広い範囲を塞いで内側の空間を暗くした。いろいろネットなどで読んでいると、スズメバチは上の方に逃げる習性があるようで、そうなると、限られた空間に入ったスズメバチを周囲が暗いほうが、天井部分の捕獲器に通じる明るい穴の方に導きやすいだろうという理由である。ミツバチにとってもやたらと広い範囲に金網が張ってあるより、集中しやすいのではと思うのである、もともと下のほうにかなりゆったりとってある隙間から出入りをすれば済むのだが、前方に飛んでどうしても金網から出入りしたいハチ用に少し金網部分を残してある、と言うより、本当は全部塞いだほうがいいと思うがそうするとライブカメラ用による見せ場が無くなる、というところが本音である。

 晩飯。キジ焼き丼(今日は焼きネギを付けた、子どもたちは大人の味が分からなから、焼いたネギをあまり喜ばない)、スープ餃子。


平成28年10月24日(月)

 爽やかに秋空が広がる。
    最低気温 10.9℃ (06:25)、最高気温 20.9℃ (14:43)

 夕暮れ時、噴煙が上がっていた。光の具合で煙が黒く見えるが、実際は白くて大人しい噴煙である。
 さらに時が過ぎて、残照に宵の明星(だろう、多分)と噴煙が・・・・

 カミさんの両親、任務終了とばかりに今朝千葉に帰っていった。夏子が昨日曜の文化祭の振替休日で休みだったので、太郎を保育園に送りがてら、三人でバス停まで送っていった、カミさんは仕事があるので出勤時に両親に別れを告げて出ていった。
 
 太郎は小生が留守中、毎日おじいちゃんと一緒に寝たらしい、おじちゃんは向うで日本の伝統遊びの施設か何かにボランティア的に通っているらしくて、今回も太郎にけん玉を一生懸命に教えてくれていた。(写真1写真2写真3写真4写真5
 
 小生が留守中、義父が家周りのことをいろいろとやってくれていた。もう半年近くになろうか、地震の時に掘り起こして埋め戻しもしないで放っておいた水道管を綺麗に埋めておいてくれた。そのほか雨樋の火山灰の処理、雑草の処理などなど。義母は我が家にやって来たときはいつも家中をピカピカに掃除してくれる。小生が帰ってくる前日にカミさんが送っていって両親を黒川温泉に一泊してもらったくらいで、今回はずっと家のことをやってくれた、本当にありがたかった。
 
 一晩経って、昨日までの入院がもう遠い過去のように感じる。何もしないでただ寝ていただけだったからだろうか。今日は予後の指示どおり何もしないでゴロゴロして過ごした。
 
 デジカメのレンズキャップをすぐに落とすので、予備を含めて2個アマゾンで注文した、それが今朝の5時である、そして夕方にはもう届いた、発送元は一応千葉とはなっているが、熊本近辺に基地があってそこにストックがあったのだろうが、それにしても、こんな山奥にその日のうちに届くのだから驚きである。配達業者は日本郵便、相手がアマゾンともなると翌日まわしにすることが出来ないのだろう。
 
 晩飯。豚肉の生姜焼き、白湯スープ餃子


平成28年10月23日(日)
 (退院日)

 熊本市も阿蘇も細かな雨の一日だった

 昨夜はひと騒動あったようだ、小生が仮泊している処置室には運ばれてこなかったが、看護婦さんがあわただしく出入りして、ああ、これじゃあ今夜は眠れないかなと思っていたら、いつの間にか寝てしまっていた、そして、つらつら考えた、イビキをかいてこんなところで寝させられるのが小生で良かった、これが場合によっては問題になるぞ、というのは、イビキをかく人間だって正当な入院患者で、ちゃんと自分のベッドで寝る権利はあるはずだ、それも治療のうちだろう、イビキがウルサイという人の権利を擁護するはいいが、じゃあこちらの権利はどうなる、ということになる。

 入院調書のイビキをかきますかという問いに、「かく」とはっきり回答してある。であるなら、初めっから、そういう患者に対応した病室を用意すべきだろう、入院全期間を処置室の硬くて狭くて騒々しいベッドで寝かせるのはこれもうはっきり言って権利の侵害だろう、人によっては訴訟もんだ、小生のように温厚で周りになるべく波風を立てまいという生き方をしてきたのでこれで済んでいるのであって、そもそも大部屋でイビキがうるさいという人は最初っから大部屋に入院すべきじゃない、そういうワガママな人こそ隔離をすべきで、個室に入院すべきなのだ。

 己のイビキは聞こえないが、過去団体で眠った経験はたくさんある、そんな場合、イビキがウルサイ人はたくさんいた、ウルサイなあ、眠れないなあと言いながらも結局は眠っていた。ウルサイからと言ってよそに行けとは誰も言わなかった、それで眠られなかったら寝なきゃあいいのだ、人間、眠たくなったらかならず寝る、眠られないというのは寝る必要がないからだ、という開き直りが必要なのだ、同室の患者さんは皆さん重篤な人ばかりで普段より神経がたっているのだろう、それにくらべたら小生なんか手術のうちにはいらないから、小生が我慢をすればいいと思ったが考えるとちょっと今回の病院の措置はオカシイなあと今頃になって思ってきた。

 その入院料の確定額、小生の場合は1割負担で済むのだが、24,048円也、概算で27,000円と聞いていたが、それよりもウンと安くて済んだ、日本の健康保険制度は本当に有り難い。
 
 起床後、快便あり、まだ不安を持ちながら観察したが立派なヒネリモノだった。
 
 朝食の前、七時半ころに最後の診察があった、これは儀式のようなものであっという間に終わる、これにて釈放許可がおりる、昨日「満期釈放」とは書いたが、正確には仮釈放だろう、一月後の病理検査の結果によって精密検査を受けなければならない、体内のことだからまた検査入院があるのだろう、切除したポリープ2センチ大の方に目視で癌の疑いがあるということだから間違いないのだろうが、その場合でもステージ1だろうとのことだったので、それほど、いや面倒なだけで、ほとんど深刻には受け止めていない。昔は「癌ノロ」という言葉があったが、当時なら食事も喉を通らず眠れないほど心配したが、今は、加齢のせいか、あるいは現代医学の進歩を信じているせいか深刻さは全く無い。

 朝食 全粥 320g、みそ汁、がめ煮、ひき割り納豆、ふりかけ、牛乳。最後になって全粥になったが、粥に納豆やふりかけをかけてもちっとも美味くない、スキムミルクがようやく牛乳に昇格した。
 
 会計が済んで直ぐに退院となったが時間がまだ9時を少し過ぎたばかり、これから昼にトンカツなりステーキを食うために時間つぶしをするのもアホくさいのでさっさと帰ることにした。

 「クソJR」(これを英語でかくと、多分fuckJRと書くのだろう)が使えないので、熊本から大分まで「やまびこ号」というバスで帰ることにした、始発駅がJR熊本駅である、久しぶりだから熊本駅まで行ってそこでバスに乗ろうかと思ったがタクシーが全く来ない、そのうちにタクシーで行っても間に合わない時間になったので、やまびこ号が通る一番近い停留所まで歩くことにした。一番近い停留所となると、「県庁前」である。高野病院がある帯山から県庁までは車で走るとひとっ走りだが歩くと、それも重い荷物を小雨の中、傘もささずに歩くと結構距離があった、帰って測ると2キロだったが体感はそれ以上に感じた。雨は霧雨だったが体が湿ってきたので、途中コンビニで傘を買ってさして歩いたので余計に歩きにくかった。
 
 熊本県庁前で「やまびこ号」に乗る、県庁前のイチョウ並木が雨に煙って綺麗だった(これ、県庁の入り口にある)。この「やまびこ号」は熊本と大分のバス会社が共同運行している高速バスである、JRが「運転見合わせ」なら、阿蘇観光路線の最前線だろう、このやまびこ号のサービスの悪さを今まで何度もMQYから聞いていて、全部が全部そうでもないだろう、MQYはたまたまウンの悪い運転手に遭遇したのかもしれないと思っていたが、今日小生が乗ったバスもそういった運転手だった、基本的には会社の問題なんだろう。
 
 重い荷物を持って車内を移動してまだ座っていないのに、発進するものだから倒れそうになった、なんだ、と思ってずっとその後観察していたが、乗客に対する応対が良くない。本人は悪気は無いのかもしれないがボソボソと小さな声で、かつ話すのが勿体無いとでも思っているのか話す言葉が少なくて要領を得ない、それに親切さに欠ける。
 
 そして、MQYもかって目にした外国人旅行者に対するバス会社の不親切さ、今日も外国人旅行者が赤水だったか、乗り込んできた、男性二人女性二人の中年の四人組、英語を話していたがイントネーションからするとドイツ系の旅行者だろう、運転手にASO?ASO?と阿蘇駅に行くかと聞いている、まあ、何とか受け答えして、一番後ろの座席に座った。小生は中ほどに座っていて「阿蘇」という言葉が聞こえたので、カドリー前を過ぎて、次は阿蘇駅というテープによる車内アナウンスが流れたので、後ろを振り向いて、連中に天井の「次停まります」のボタンを指差して押せ、押せと合図した、連中それに気がついて次に降りるボタンを押して、双方で親指を立ててウインクをし合った、そして、阿蘇駅に着いて降りる時に小生の脇を通りながら「アリガトゴザイマス」と言って降りていった。
 
 その外国人観光客が赤水駅から乗り込む前、二重峠を越えて赤水駅にずいぶん早く到着して乗客が降りて、直ぐに発車した、ずいぶん早く発車するなと思っていたら、進行方向が宮地方向とは逆方向、立野方向に理由も言わずにどんどん走っている、ちょっと方向転換する場所まで行ってUターンするのかと思っていたらどんどん走っていく、地元の小生も流石に少し慌てた、間違った便に乗ったか(そんなには走っていないのだが)とさえ一瞬思った、そのうちに下野のドンドコ湯の敷地内に入って停まった、小さな声で「時間調整します」、そのうちにここは何処ですかという素っ頓狂な声が聞こえてきた、それに対する応答なし、また別の席のご婦人が、ここはどこですかと隣の人に尋ねている、その人は事情を知っていると見えて時間調整で停まっているんですよ、と言うが変なところに停まっているのでいまひとつ納得していない模様、だから、小生が、赤水駅前の国道に停まりっぱなしというわけに行かないので、ここまで来て停まっているのだと思いますよと補足して納得してもらった。(外国人観光客が乗ってきたのは時間調整が終わって改めて乗客を乗せるために赤水駅に戻ってからである。)
 
 そして、その前の、素っ頓狂の声の主、それ以前にも途中、時々、なんとなく場にそぐわない問を発していた、小生のところから見えなかったが降りる段になって白い杖も持っていたから視覚障害者だということがわかった、その人も阿蘇駅で外国人たちにつづいて降りていった、小生は次に降りるので一番前に座席を移して、その視覚障害者を見ていると、方向がわからないらしくて、降りたところで杖を周囲に振りながらどう行けば良いのか途方にくれている、小生は、ドアが開いていたので、運転手にちょっと待って!と断って、降りて方向を教えてあげようとしたところに、ちょうどJR駅員が通りかかったので、大きな声で、その杖の人を助けてあげて!と声を掛けて、座席に戻った、そのあと直ぐにバスは出発したのでその後のことは分からないが、JR職員が近寄っていったのは見えたので何とかなっただろう。
 
 小生は、昔から白い杖の人と出会って方向が同じで急いでいなければ必ず、お手伝いしましょうかと言って、肘を貸す、慣れない人は障害者の手を引いて誘導しようとするが、肘を貸してあげたほうがいいのである、「肘を貸す」、とは片方の腕の肘を曲げてその角付近を障害者に軽く捕まってもらう、そうするだけ障害者は方向が分かって、自分の意志でいつでもその手を離すことが出来るので、歩くスピードはことさらゆっくりでなくて、普通のスピードで、歩けば良いのだ、そしてその先に何か注意すべき点があれば前もって言ってあげれば良いのだ、こういったことに、決した嫌なのではないだろうが一般の人は本当に躊躇するなあ。
 
 それにしてもこのバス会社とこの運転手、まず、外国人観光客がもっと安心して乗れるようにどうして気を配らないのか、それに、運転手、白い杖を持った人が乗ってきたのは当然分かっているだろう、走っていたのが突然停まってろくな案内も無いのに長い時間動かない、事情を知っていたご婦人もこんなに長く停まっているは初めてだと言っていた、目が見えないのだか不安になって当たり前だろう、どうして、もっと心の通ったアナウンスや乗客応対ができないのか、観光の最前線を俺たちは担っているのだという矜持は無いのか、「観光阿蘇」?聞いて呆れるぞ、県知事や市長、上の方で偉そうなことを言っていないでもっと現場に目を配れよ、こんなこと数え上げればキリがないほどあるぞ、「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ」というセリフがどこにあったな。
 
 昼頃、バスが宮地駅前に着いた。宮地駅前の街路樹の葉っぱが真っ黒になって落ちていた、先日の火山灰の影響だろうか。途中でカミさんにLINEで到着時刻を送っておいたが迎えに来ていない、ままよ、向うでも歩いたのだから、此方でもまた歩こうかとやはり小雨降る中、家に向けて歩き始めた、普通だと裏道を通って20分くらいだ、でも今日は重い荷物を持っているのでペースが遅い、そのうちにLINEに気がついたカミさんが、迎えに来てくれて家に帰った。
 
 今日は夏子の中学校の文化祭「りんどう祭」で、じいちゃんばあちゃんも一緒に行っていて、昼休みで一旦家に帰ってきて、午後のプログラムのためにまた出掛けていった。そして夜は打ち上げだとかで我が家の三人組はまた出掛けていった、だから、カミさんの両親と小生、変な取り合わせの三人の夕食になった。

 ポリープの切除で入院中は入浴禁止だそうで、その代わり、毎日熱い蒸しタオルが数枚出てそれで体を拭いていたが、頭は蒸しタオルは役に立たない、ずっと頭を洗わなかったので、久しぶりにアゼリに行って湯船につかった、気持ちが良かった。
 
 そんなこんなで約一週間の旅は終わった。向う一週間ほど、力仕事や基本的には何を食べても良いのだが食い物に注意をしなければならないとのこと。新米が届いて親戚筋に送らなければならないが、しばらくは担げないので少し猶予をもらおう。


平成28年10月22日(土)
 (入院五日目)

 午前5時半起床。

 起き抜けに催してトイレへ。いつからだろう、ずっと便通が無かった、固形物を食べていなかったから当然のことであるが。それが、「おもゆ」から始まって固形物を摂りだしてようやく今日便通があったのだ、あまりずっと無いと、便秘になって出なくなるのではと逆に心配になっていた。その前の段階で食べていなくても体の老廃物を排泄するためだろう形にならない液状のものが出ていてそれには血液が少し混ざったりしていた、そしてそれも腸の活動が正常に戻るにつれて液体は尿として出るようになったのだろうか、液状に近い便通も全くなくなっていたのだ、それが久々に形のあるウンチとして出た、少し不安があったが、全く血は混ざっていなかった、さっそく看護婦さんを呼び鈴で来てもらってチェックを受けた。腹痛などの自覚症状は全くなかったので大丈夫だという自信があったが、やはり実際に見ないことには安心ができなかった。

 今ではラジオ放送がインターネットで聴取できる。NHKの「らじるらじる」や民法放送は「radiko」で聞くことができる、ほかにもたくさんある。

 そのradikoを起動すると常に表示される放送局に「ラジオNIKKEI」というのがある、小生、ああ、これは日経の株などの情報を流す番組なんだろうな、小生は株は全く興味がないので今まで一度も聴いたことがなかった、そして今回入院中に初めて聴いてみたところ、音楽がずっと流れっぱなしでアナウンスがほとんどと言っていいほど入らない、まるで「有線放送」なのである。

 じゃあ一体ラジオNIKKEIのNIKKEIとは何なんだろう、日経新聞とは関係がないのかと思ってネットで調べてみたところ、やっぱりNIKKEIは日経新聞のNIKKEIだった、この放送局の筆頭株主のようで、昔はラジオ短波と言ってそうだ、ラジオ短波なら知っている、だから中波では馴染みがなかったのだ。

 この「ラジオNIKKEI」は今でも競馬放送や株式市況の放送が基本のようだが、競馬は平日にはやっていないのだろう、かと言って、普通の民放局のような番組編成はできないのだろう、だから手っ取り早く音楽を流しっぱなしにしているのだろう。最近のラジオはパーソナリティとかなんとか称して、程度の低い「文化人」や「お笑い芸人」が愚にもつかない話や、したり顔でエラそうに説教じみた話をする番組ばかりなので小生なんかは逆に音楽ばかりのこのほうがいい、昔、新しいFM局ができるときに試験放送中にただひたすら音楽を流していた時代があった、あれと同じようなものである。「ラジオNJKKEI」には1と2の2チャンネルあるが、土曜日の午前中にこれを書いていているが、この時間は2チャンネルとも中央競馬の中継をやっていたので、土日は音楽は無理のようだ。入院をしたおかげで、知らなかった音楽ソースを知ることができた。

 朝食 5分粥 220g、みそ汁、キャベツの玉子とじ、煮奴、スキムミルク
 昼食 5分粥 220g、鶏ササミの梅蒸し、豆腐の和風サラダ、蒸し茄子、蒸しパン、ヨーク
 夕食 5分粥 220g、白身魚の照焼き、ささみの野菜サラダ、里芋のみそかけ、ピーチゼリー

 明日、診察のあと朝食を食べて満期釈放の運び。退院後は刺激の強いもの、繊維のたくさんあるものは避けるようにすれば肉魚なんでも食べてていいそうである。であるなら、今日の食事なんてもう5分粥でなくて、おかずも普通のものを出してくれればいいのに。明日は昼にトンカツでも食ってから帰るとするか。

 豊肥線の「運転見合わせ区間」のJR代行バス、通学生のためにあるということだが、だからと言って、日祭日には全く運行していないとまでは思ってもいなかった、日祭日は車のない人はJRを使って移動できないということか、よく「阿蘇市」は平気でいられるな、JRという会社はロクでもない会社だ。

 ただ、熊本〜大分を「やまびこ号」という都市間バスが走っているので、これで帰ることにしよう、改めて「JRのばかやろー」である。


平成28年10月21日(金)
 (入院四日目)

 午前5時起床、昨夜はあまり処置室の稼働が無かったようで部屋も消灯してあってタップリ睡眠をとることができた。

 朝食(午前8時) 五分粥220g、今日から膳に箸が付いた、今まではスプーンだけだった、五分だが飯粒が見える。みそ汁、菜焼き、ちりめん佃煮、スキムミルク。菜焼きの青菜も豆腐も、そしてちりめんも素材の原型を留めている。

 昼食(午後0時) 五分粥220g、牛肉の薬味おろしあん、トマトサラダ、すまし汁、蒸しパン、りんごジュース
 夕食(午後6時) 五分粥220g、白身魚と野菜ソース、ほうれん草ささみカテージ和え、豆腐と野菜の味噌煮、フルーツポンチ

 こうして献立を見ると、もうなんでも食べていいようである。そんなに食べたいわけではないが、自己テストの意味もあって、袋菓子などを買ってきて食べた。(写真1写真2

 点滴ももう無いんだしただ寝ているだけだからここにいる必要な無いんでしょうね、と看護婦さんに言ったら、いえ、安静も治療ですと当たり前の答えが返ってきた、自宅でも安静治療は出来ますけどねと腹の中で言った。(入院計画書)。

 今日しみじみ眺めたら、わが病室は6人部屋でなくて8人部屋だった、全部カーテンが閉まっているので良くわからなかった、病室の入り口に貼ってある入院患者の名札を見ると、えっ6人にしては多いなあと数えると7名の名前がある、ベッドが一つ空いていてそこはカーテンが明けてあるので、あそうか、ここは8人部屋だったのだと初めて気がついた。小生のベッドは入り口入ってすぐなので奥のほうまで見ていなかったのだ。

 鳥取で震度6弱の地震が発生した、そしてまた広範囲が停電した。日本は地震国で特に近いうちに巨大地震が予想されている、この程度の地震で一部地域ならわかるが広範囲が地震するということは基本的にその対策がとられいないということだろう。住宅は地震のたびに耐震設計基準が厳しくなっているんだ、電力会社に耐震設計意識はないのか、どんな時にでも電気だけはという電力会社として矜持はないのか、火山灰による停電、ケーブル劣化による停電、地震による停電、電力各社もっとしっかりせい。だから原発の安全性に皆不安を持つのだぞ。


平成28年10月20日(木) 
 (入院三日目)

 一晩、処置室のベッドで寝た、結構いろいろな音で眠れないかなと思ったがいつのまにか眠ったようで、我が家での起床時間と同じように3時ころには目が覚めてしまった。

 予定では今朝から食事が出ることになっていたが、一向に連絡がない。この病院では、動けない患者を除いて、入院患者は食堂で食事を摂る、その案内放送があったが、小生は一応予定にはなっていたが、決定ではないので、行かないでいたら、しばらくたってインタホンで、食べに行くようにという連絡があったので、売店などがある3階にある食堂に降りた、ちなみに病室は最上階の6階(613号室)にある。

 おもゆ220g、みそ汁(麩)、白菜の煮びたし(の裏ごししたもの)、スクランブルエッグ、スキムミルク。おもゆにかける塩は0.5グラム、0.5gって結構あるもんだ、足りないけど、(知らないが)覚醒剤のパケくらいか。二日間食べないうちに胃袋が小さくなったか、それで十分な量だった、まったく動いていないからな。

 朝食後、点滴1本、午後1時過ぎまでかかって終わる、これにて入院中の点滴完了、ようやく自由の身になる。

 昼食時が点滴中だったので、ベッドまで運んでくれる

 おもゆ220g、白身魚みぞれ煮、南瓜マッシュサラダ風、里芋マッシュ煮、ピーチジュース。マッシュという文字が付いているのは裏ごしということで、その文字がなくても、白身魚も裏ごし、ジュースも全部裏ごしがしてあって固形物は全くなし。

 晩飯、おもゆ220g、豆腐煮、野菜の甘酢漬け、かき玉汁、カルピスゼリー・・・・・三食どれもこれも素晴らしいメニューだが全部裏ごししてあるので、どれもこれも同じに見える、それぞれ味は確かに違うがはやり料理は見て味わう要素が大きいということを改めて知る。

 我が家のICTは素晴らしい、病室に居ながらにして家族の様子がかなりリアルタイムでわかり安心できる。夏子が自転車に乗って登校するときにおばあちゃん、太郎が送りに出ていた、おじいちゃんがボンの散歩に連れ行ってくれた、おじいちゃんが外で何か作業をしている、かみさんが軽トラックを職場に乗って行って近くの産廃の会社に何かを運んで行ったのだろうAPRSに軌跡が出ている、ミツバチも元気だ、みんなリアルタイムで様子が分かる。病室に持ち込んでいるPCにはwebカメラが付いているのでここから生中継をしようと思えばできるが、まあやめておこう。

 おじいちゃんの特訓?太郎がけん玉を練習しているようで、カミさんがLINEでその動画を送ってくれた(mp4ファイル約2MB)

 概算入院費用を知らせてきた、27,000円くらいだそうだ、ということは27,000円未満ということだろう、なぜもう今の段階で届いたかというと、今日の点滴で薬剤投与は終わり、あとは退院までは三泊して、その間食事をする以外費用が発生しないからである。国保の70才以上だったかは、個人負担は特例措置で一割負担である(最近70才になった人は二割負担だったか)、ということは医療費の総額で270,000円ということになる、小生の今まで納めている国保料から比べても医療財政には決して迷惑をかけていないだろう。世界一の社会主義国である。


平成28年10月19日(水) 
 (入院二日目)

 痛みも全くなし、ただ、ポリープ摘除で腸内を傷つけているので、昨日に引き続いて今日一日絶食、栄養補給などの為に点滴3本、(昨日は2本)長いチューブにつながれて鬱陶しくて動くのに不便、飴玉やポカリは構わないというので、それで空腹を満たしている、と言うほど腹は減らない。夕方ようやく3本目が終わりチューブから解放される、これで点滴は終わりですね、と訊ねると、いえ、明日も1本ありますとのこと、ウヘ。

 大腸の内壁を切り取ったので当然のことながら出血がある、食べていないのに催す、トイレに行くと、固形物は当然なく、赤ワインを薄めたような液体が出る。排泄される体液に血液が混ざったものだろう、トイレのたびに看護婦さんに連絡するようにといわれているので呼び鈴で来てもらってチェックを受ける。この病院は大腸肛門の専門病院なのでここの看護婦さんは四六時中患者のウンチを見ているわけだ、なんとなく気の毒になる。このトイレ通いも二度三度と回を重ねるにつれて赤みが薄まっていく、出血が収まりつつあるのだ、それでも、思い出したように、また少し赤みが増したりする、それでも確実に快方に向かっているのは体感できる。予定では明日から食事が出ることになっているが・・・

 昨夜(入院当日、手術をした日)、就寝中に看護婦さんに二度起こされて、イビキが大きいので横向きに寝ましょうと言われた、そして、明けてから看護婦さんに、売店でイビキを抑えるテープを売っていますからそれを使って一晩様子を見ましょう、それで駄目なら明日から、一人で寝る部屋を用意しましょうとのことだったので、売店で買ってきたが、このテープは鼻づまり用で、小生は鼻が悪いわけでなく、これは効果がないと思ったので、今晩から隔離をしてくれと申し出た、看護婦さんが夜間巡回で小生のイビキが気になったのか、あるいは同室の患者さんからクレームが行ったのかは知らないが(多分後者だと思う)、看護婦さんがイビキに関する注意書きを持ってきてくれたが、小生のイビキの原因はそのどれにも当てはまらないと思う、小生のイビキそんなに大きいかなあ、かみさんやこどもたちはお父さんイビキ大きいとは普段言われているが、それほどでもないと思っていたのに、病室には結構重篤な患者さんもおいでなのでナーバスになっているのカナ・・・・・・

 というわけで今夜は、一人で寝た、と言っても個室ではない、処置室という部屋があって、ガーゼを替えたり傷口のケアをする部屋で二床ベッドが置いてある、もっぱら日中使用するのだろうが、夜間も患者の状態で使うことがあるそうで、ナースセンターの前にあって、それ以外にも看護婦さんたちがいろいろな物を取りに出入りする、うるさいかもしれませんが、とのことだったが、医療現場の最前線で寝るなどという経験は貴重なので喜んでそこで一晩寝ることにした。こんなこと前代未聞ですかと尋ねたら、いえ結構いらっしゃいますと笑っていた。イビキをかく人間だけあつめた病室が必要だな。

 風呂はまだ駄目だから、昼間、うら若き看護婦さんが蒸しタオルを持ってきて、点滴チューブにつながれているので拭いてくれるというのだが、手術で尻を出すのはどうといことはないのにこういう場合は妙に恥ずかしくて、いや自分でやりますと、遠慮して、一人で拭いた、オレもまだ若いなあ。

 小生の日常のモバイル環境は格安スマホで一番安い月額のSIMを使っており、普段はWi-Fiで使うのでそれで全く不便は感じないが、入院となると、自宅のWi-Fiで使えないので、レンタルでモバイルWi-Fiを短期レンタルをした。これでPCもスマホも思う存分使うことができる。前回(副鼻腔炎)できなかった自宅サーバーのリモート操作もできるのでFTPサーバー停止の復旧も病室のベッドからできる。


平成28年10月18日(火) 

 大腸ポリープ切除の為に熊本市内にある大腸肛門専門病院の高野病院に入院する。

 朝6時45分宮地発のJR代行バスにて阿蘇駅などを経由して肥後大津まで二重峠越で行く。今日はカミさんが休みを取っていて、病院まで送ってくれるつもりでいたらしい、この程度の入院で同道無用と一人で出かけた。それでは手術が終わったころを見計らって病院に来ると言ったが、こんなもの手術のうちに入らないからそれも無用!と今回の入院は完全に一人旅にした。確かに前回の副鼻腔炎の手術の際は、全身麻酔をかけるので病院が家族の付き添いを条件にしたが、今回は全くそのような手術ではないので病院も家族の付き添いは求めていなかった、ずいぶん一人旅をしていないので、せめてこの機会に一人旅を楽しみたかったのだ。

 JR代行バスは基本的に学生の為に運行していて日中は本数が極めて少ないらしい、小生が乗った時間だと大津に着くのが8時でそれからJRに乗り換えて熊本方面に行くと、始業時間に間に合わないだろうからもう乗客は少ないだろうと思っていたが、出発時こそ10名程度だったが、途中、次々に高校生たちが乗ってきて、赤水を出るころには補助席を使うほど満員になった。

 山道は相変わらずの数珠つなぎだったが、それでも熊本方面は比較的流れがよく、反対側、阿蘇に向かう車は大渋滞していた。大津駅にはほぼ定刻の8時について、ここからJR豊肥線に乗り換えた。ここで降りた子供たちは大津にある高校に通う子供たちのようだった。

 さて熊本駅まで行ってしまおうかとも思ったが、かなり行き過ぎになるので新水前寺駅で降りることにして、そこからタクシーで病院に向かった。9時半ころ来いとのことだったが9時には到着、3階にある入院受付で手続きを済ませてから病室に案内してもらう。

 最上階、6階の6人部屋の入り口入ってすぐ右側、ちょっと狭い、各ベッド全部ーテンが閉じられている。普通大部屋の場合、昼間はカーテンが開いているが、それぞれ事情があるのだろう、したがって狭いながらも個室状態での滞在になる。

 ベッドに落ち着くないなや認識票を付けられ、看護婦さんが、下剤がたっぷり入ったポリ袋を持ってきて、さっそく始めてくださいと言う、ああ、これはポカリのような味なのでたくさん飲めますよと言うと、それとはまたちょっと違う下剤だとのこと、2リットルの下剤のうち先ず1リットルを少しずつ飲んで、そのあとで水を500CC飲むのだそうだ、確かに依然飲んだタイプと違う、そして続けて500CCの下剤を飲んでから更に水を250CC飲むのだそうだ。そうすると、まだ下剤が500CC残る、これは?それは予備で効かない場合に飲みます。

 で、飲み始めた、まあ決して不味い味ではないが、イオン飲料ほどの飲み易さはない、最初の1リットルを飲み終わらないうちに催してきてトイレに。三度目には見せてくださいとのことだったので、トイレ内に設置してあるベルを押して来てもらってチェックを受ける、まだまだですね、と、4度目のチェック、何も混じりっ気がない透明状態になってそれで「合格」になった、そのあと更に二度ほど通って準備完了。予備の下剤500CCは使わずじまい。

 手術は何時ころになりますか?分かりません、順々にやっていきますからベッドで待機していてください。これは副鼻腔炎の時にも経験しているので納得、結局、4時半をすぎたころ、さあ、やりましょう、ということになって術着と術パンツに着替えて二階の手術室へ。術パンツというのは、要はパンツの後ろ側が割れているやつ。この病院の手術室は三階にあり、小生が行ったのは二階、内視鏡室とある、手術室のような無影灯などといった本格的なものでなく、内視鏡手術はその程度のものなのだろう。

 手術の段取りは古閑医院で経験しているので、迷うことなく術台に上って、血中酸素濃度を測るクリップを指にはめて、血圧測定のベルトも装着、さらに点滴用の針も刺す、これは、ここから睡眠剤などを入れるためである。

 じゃあ薬を入れます、すぐに眠くなりますというので、ハイと返事をして、深い眠りの間にすべて済むのかと思っていたが、一向に眠くならない。このあとのやりとり、記憶がちょっとあやふやだが、効かないかあ、でもやっちゃおう、ではなかったと思うが、はっきりした意識下、横を向いて尻を医師に向けた状態で目の前のモニターを見ていると、内視鏡が己の腹の中にどんどん入って行って、件のポリープに到着、そのポリープの周辺に何とか法とかいうやりかたで水を注入してポリープ全体を浮かせて根元を縊り取る、切った後、これなんですか、ホチキスのようなもので止血するため、このポリープ変な色ですね、ああこれは色素を掛けて周囲と区別するためだよ、とかなんとかやり取りをしながら、あっという間に切り取る、さっと僅かに出血があったが、きれいに取れたとのこと。実はこの2センチ大のポリープの出来方、古閑医院で撮った写真で見たところ、素直じゃないのでもしかしたら内視鏡で取れないかもしれない、その時は、今回の内視鏡切除は即中止して、すべてリセット、改めて外科手術などの方法を検討することになる(ということは入院も中止ということになる)、という代物だったのだ。だから他にもある小さめのポリープは一度にはできないので今回はこの大きなポリープだけということになっていたが、あまりにうまく運んだので、ついでに残りの二つのポリープも今日一度に全部切除した、所要時間、一時間もかかっていないだろう、ゴッドハンドかな。

 まるで他人の手術をモニターで見ているように、切除は全くの痛みがなかった、これはこの部分は痛み止めの薬が効いたいたのか、でも切除が終わって最後にカメラを抜くときには肛門を少し大きなカメラが抜けるある種の快感はハッキリあった、快感と言っても小生別にあっち方面の趣味はない、例えて言うならば、ちょっと便秘気味の時に排便の時に太くて硬いヤツが苦労の末に通過した時のあの感覚のようなものである。

 このあたりのこと、退院時の診察時に聞いてみよう。実に興味深い手術だった、手術のナマをかぶりつきで見られるなんてなんと素晴らしい、眠らなくて良かった。

 で結果だが、おおきなポリープは癌化している疑いがある、万一その場合でもステージは1でしょう、とのこと、まあ、その時はその時だ。病理検査の結果は一月くらい先になるそうである。

 ということで、手術自体は入院早々に終わってしまった、あとは退院までひたすら予後になる、傷口が塞がるのを静かに待つだけである。まあ二日間は絶食で栄養などの点滴があるが、あとは自宅療養でも良さそうなものである。


平成28年10月17日(月)


 朝のうちは今にも降りそうな空模様だったが、時間が立つにつれ天気が回復して青空が広がる。
 予報でも言っていたが、また暑さが戻ってきたようだ。
     最低気温 19.1℃ (02:08)、最高気温 26.3℃ (12:51)

 今日から検査食に入った。前のときは朝昼晩の三食とも検査食だったが、今回は昼晩の二食だけで朝食は消化の良いものを自宅で食べろとのこと、要は、三食とも消化の良いものを食べればわざわざ検査食でなくてもいいようだ、自宅でそれを用意するのが面倒だろうということで、それ用の食事がパッキングされて用意されているということだ。量が少ないのでハラが減る。

 免田(共有田)のコメが届いた。今年は台風も来なくて、噴火の直前に稲刈りをしたので噴煙の被害もなく、ここ数年では一番の出来だった。食事制限で腹が減っているところに12袋を運び込むのはこたえた。まだ去年のコメが残っているの新米にありつけるのは一月以上先になるだろう。

 明日から入院をするが、留守中、カミさんだけだとちょっと子どもたちのケアに手が足りないかもしれないと思ってカミさんの両親に遊びがてら来てもらうことにした、小生がその間は居ないので親娘(それに孫たち)水入らず気も楽だろうと思う。その両親が夕方飛行機で到着した


平成28年10月16日(日)

 終日、小雨模様の天気だった。
   最低気温 14.8℃ (00:00)、最高気温 20.7℃ (13:13)

 一晩寝て、太郎のやつ今朝にはもうケロッとしていた。

 娘のピアノのレッスンは日程変更で今日の午前中だとか、母娘して朝のうちに出掛けていった。太郎は用心のために小生と留守番。娘達は、レッスンの後で、熊本市現代美術館で開催中のジブリの立体建造物展を見に行ったらしい、日がとっぷり暮れてから帰ってきた。


平成28年10月15日(土)

 穏やかに晴れる。
    最低気温 9.6℃ (01:30)、最高気温 21.3℃ (12:46)

 ボンにフィラリアの予防薬投与、これにて今年最終。

 ハチウトの掃除をした、床の隅の方にだが、スムシがたくさんいた、上には登っていないようだった。今日はハチウトを半分倒して内検をした、巣板が7枚か、以前カメラを下から突っ込んで手探りで写真を撮ったときはもっと巣板は大きいと思ったが、今日、中を覗きながら撮った写真ではそれほどでもなかった、日中だったので、かなりの数のハチが蜜集めに出動中とみえて、ハチの数もそれほど多くなかった。これから冬に向かってどんどん溜めろよ。

 太郎、昼前頃から頭がかなり痛いという、熱もある、そのうちに気持ちが悪いと言って洗面器が間に合わなくて床に嘔吐した。今日は古閑医院は土曜半日診療なので、滑り込みで母親が連れて行った。そして帰ってから一寝入りしたところ、夕方になって熱が下がってきておりそれに応じて元気になってきたのでこのまま快方に向かうかなと思っていたら夜に向かってまた少し熱が上がり始めたようだ、いったいなんなのだろう。

 今日は太郎が調子が悪くてアゼリアには一人でいったが、帰ってから気がついた、スマホが無い!車だから途中で落とすわけ無いから、脱衣場しか考えられない。受付に電話をしたところ、その脱衣カゴは今他のお客さんが使っていて探るわけにはいかないと言うので、とにかく行ってみたところ、ちょうどそのお客さんが出たばかりで、空いたカゴの中を見るとあった!四段になった一番上の棚のカゴなので、その気になって探さないとわからないのだ、そのお客さんも気が付かなかったようだ。脱衣の時に腰に下げているホルダーから滑り出たようである。アゼリアでは今まで何度も落としたり忘れたりしているが総て無事に出てきているので、今回も見つかるという安心感はあった。
 
 このスマホは格安スマホで、携帯との二台持ちなので重要なデータが入っているわけでもなし、万一紛失したとしても、それほどの痛手は無いのだが、また手に入れる手間、それから、近々の入院でその時に手元に無いと困るので出てきてホッとした。

 こういうニュースを見ると本当に腹が立つ、気象庁、今までもずっと噴火警戒レベルを上げるのはいつも噴火してからだったろう、それが気象庁の仕事なのか、何年もずっとそうやってきたのか、そんなものは素人でもできるぞ、何を今頃になって寝ぼけたことを言っているのだ。


平成28年10月14日(金)

 晴れ。豆札川の土手から馬場方面を望む。 日没前の西の空
   最低気温 13.5℃ (05:22)、最高気温 19.7℃ (13:55)

 熊本地震から今日でちょうど半年、「まだ」という気持ちと、「もう」という気持ちと・・・・

 今日は一日外で作業をした。
 
 我家は現在、草に埋もれているが、流石にみっともないと思うのでせめて入口付近だけでもと取付道路を中心に草を刈った。

 草刈りのあと、カボスを収穫しようと行ってみると、今回の噴火による被害がカボスにもろに及んでいた。灰か噴石かカボスに着いてその成分が皮の表面を痛めつけてほとんど全部、無残にも剥げている。カボスは自宅で果汁を使うだけなら問題はないが、これがもし生産農家で商品だとしたらとても出荷できないだろう。カボスの皮は厚いのでまさか火山灰でやられていると思っていなかった。出荷するならば全滅ということになる。

 ユウガオの実を収穫した、収穫したからと言ってこれをどうかしようというのではない、とにかくデカくて重たい、これだけで大量のカンピョウが出来るだろう。調べたところ冬瓜のような食べ方をしてもいいらしいが、こんな大きなもの食べきれないし、以前やったようにこのまま乾燥させて飾り物にでもしようか。瓢箪なんか中身を抜くようだが、以前のユウガオの実はそのままにしておいたら外側も中身もカラカラに乾燥して腐りはしなかった。写真右側のやつが以前のものだが、この表面に油でも塗って磨けば置物にでもなるだろう。

 蜜蝋を採る作業をした。採蜜をした後、時間がなくて、巣板を腐らないように桶に入れて水を常時流していたが、桶の底までは綺麗な水が回らなかったとみえて、桶を開けると鼻が曲がるほどの悪臭を放っていた。我慢しながら鍋にお湯を沸かして巣板を溶かして、と手順を踏んでいったが、思っていたほど量が少なくなっているようなので蜜蝋は水溶性で流れてしまったのだろうかと考えながら、作業をしていて、そんな余計なことを考えていたこともあって、致命的なミスを犯してしまった。
 
 お湯で溶かして浮いた不純物を捨てて、をやっているうちに、何を勘違いしたのか、もうかなり温度も下がっているので、蝋は上の方に集まって、下の方の液体はもう花粉などの不純物で濁ったものだろうと思って、うっかり捨ててしまった。
 
 ところが、完全に巣板が溶けたお湯が冷えると液体部分は透明になって、不純物も含んだ蝋は全部上に集まるのだった(確か、それをまた溶かして更に不純物を取り除く、を数度繰り返すのだ)。液体が透明になって捨てなければならないのに、まだ黄色く濁っている間に捨ててしまった。つまり蜜蝋部分をそっくり捨ててしまったということだ、文字通り、「覆水盆に帰らず」である、とんだ大馬鹿者である。ん?液体が透明になったのならその液体は捨てなくてもいいなあ、ハテどうだったろう。いずれにしても、大失敗だった。

 ハルキストと呼ばれている人たち、今年もまた無念の・・・・小生はヘソが曲がっているので、たまたまきっかけが無くて読まないでいるうちに、テレビなどに映るハルキストと呼ばれている人たちを見て、ああ、こういった人たちが支持する小説なんだと勝手に思い込んでしまってそのまま今まで一冊も読んだことがない。読まないとなると一切読まない、読んでみるとまた違った印象を持つのだろうが徹底して読まない、「読まず嫌い」かもしれない。そもそも自分たちでそう言っているのかどうかは知らないがハルキストなどという呼び方が気に入らない、ご本人だってそんな言い方を喜んではいないのではと思うが、そういった連中が騒げば騒ぐほど受賞が遠のいて行くような気がする。ボブ・ディラン、まだ現役だったんだ・・・「風に吹かれて」・・・懐かしい、フォークソング全盛の小生の青春時代と重なる。尤も彼の作品は「風に吹かれて」しか知らないので小生の「好み」とはちょっと違っていたかも。

 晩飯。ハヤシライス、ダイコンサラダ(ホタテ、カニ缶入り)、杏仁豆腐


平成28年10月13日(木)

 曇り。今日は薄い雲だが終日空を覆っていて日照が少なかった。
    最低気温 10.4℃ (01:06)、最高気温 18.6℃ (12:16)

 先日の阿蘇中岳の爆発的噴火の際に「風の便り」のアクセス数が爆発的に伸びたが、一日二日で落ち着いた

 村の街路灯が2箇所点滅をしているので修理をしなければならないが、電気屋さんに頼むと結構費用が掛かる、というほどでもないが、蛍光灯自体は安価なものなので、自前で交換したほうが、経済的で且つ手っ取り早いので、小生がホームセンターで買ってきて、ハシゴを掛けてボランティアで交換した。明りセンサーを手で塞いでも点灯しないので、大丈夫だろうかと思っていたが、日が暮れて風呂帰りに見ると二箇所ともちゃんと点灯していた。
 
 今日はその他に、村の会計帳簿の整理もした。
 
 晩飯。メンチカツ、ワンカップグラタン


平成28年10月12日(水)

 晴れ。少し雲があったかも。
   最低気温 13.2℃ (19:41)、最高気温 19.9℃ (12:51)

 太郎を保育園に送って帰ってきて、先日のコインランドリーの桜の木の積み残しを取りに行った

 今日はこれといったことはしなかった。

 ここのところ、ローカルで、つまり自分の生活圏で、広域停電が発生して、そのことで「風の便り」でもちょっと話題になっているが、そんなところに、今日、東京でも大規模停電が発生したらしい。停電の原因などは詳しく知らないが、地下埋設の送電ケーブルが燃えたようだ、田舎と違って停電の規模が大きく35万世帯だったかが停電したらしい。これがもし事故でなくて事件であるなら、電力会社のウイークポイントの一つが露呈したことになる。小生がここに住むことにした時に、「コジェネ」の導入が少し頭にあったが、家庭用に普及するには少し早い頃で断念したが、今はどうなんだろう、小生にカネがあるなら電力会社に一切頼らずに済むコジェネを導入したいところである。

 晩飯。キジ焼き丼


平成28年10月11日(火)

 晴れ。
   最低気温 11.0℃ (00:57)、最高気温 23.1℃ (14:16)

 夕方風呂に行く時に山を見ると、少し噴煙が上がっていた。ラジオで、今回の噴火は水蒸気爆発でなくて、分析の結果マグマが含まれていることがわかったので、マグマ水蒸気爆発のようである、と言っていた。あっそう、である。

 そろそろストーブの季節がやってくる、小生が不在の時にストーブを焚く気温になるかもしれないので煙突掃除をしておいた。シーズンが終わって次のシーズンに備えて煙突掃除をして一年を締めくくるのが普通だと思うが、小生はシーズンが終わってもそのままにして、次のシーズンが始まる前に前の汚れを落として新たなストーブシーズンを迎える。何か尤もらしい理由でもあるかというと、ただ単に面倒でそのままにして次のシーズンに追い立てられて掃除をしているだけである。
 
 屋根の傾斜が急で、以前は四つん這いで何と登れたのだが、コロニアル(スレート)の屋根の凸凹が摩耗して摩擦抵抗が無くなってどうやっても登ることが出来なので、ここ数年は、ロープを投げて煙突にまわしてそのロープに捕まりながら煙突まで達する。
 
 結構道具立て、準備が大変で、それだけ時間を食ってしまう。それに今年は先日の噴火の噴石が屋根の勾配が低い方にまだ相当量残っているので、さらに滑りやすく登るのに苦労した。
 
 煙突の中を見ると、思ったほどタールが付いていなかった、準備に時間がかかった割に煙突掃除は直ぐに終わって、一段高い場所から周囲の風景を楽しんだ。(写真1写真2写真3
 
 煙突掃除が早く終わったので、ついでに、傾斜の低い方の屋根に残った噴石を掃き落とそうかと、二階の屋根に目をやると、蜂の巣がある!、大きなハチだ、スズメバチ?と思ってよく見るとアシナガバチのようである、そう言えば煙突掃除をしている時も結構大きなハチが飛んでいるなあという意識はあったが、まさかすぐ近くに巣があるとは気が付かなかった。(写真1写真2写真3写真4
 
 アシナガバチはスズメバチほどの攻撃性は無さそうだが、それでも、近くでなんとなくザワザワしているのを見ると、君子危うきに、で二階部分の掃除は見送ることにして、玄関スペースにかかる屋根の噴石だけを掃除した
 
 それから、雨樋を見ると噴石でいっぱいで、正確に言うと、普段全く掃除をしないので泥がいっぱい溜まった上に今回の噴石が重なったわけだが、ちょっと移植ゴテで掬ってみると想像以上に重い、これはヤバイなと思ったので昼食時間を飛ばして、雨樋に溜まった噴石を取り除いた。二階部分の屋根の雨樋掃除はアシナガバチの活動期間が終わってからにすることにした。
 
 昼前にやってしまおう思っていたが、雨樋の噴石除去までやったので結構かかってしまった。屋根部分、数年前に一度ペンキを塗ったが結構腐っているなあ。

 晩飯。我が家では昔から薩摩汁と言っている、薩摩汁は豚肉を使うようだがが我が家は昔から牛肉を使う、薩摩汁は豚汁のことかもしれない。牛肉にサトイモ、ジャガイモ、ゴボウ、ネギ、コンニャク、ダイコン、ニンジン、シイタケ、マイタケ、今日使った野菜はこれだけ、味噌仕立てである。多分、東北地方のイモ煮と同じようなものだろう。味噌の他に、醤油、砂糖も入れるが、コクが出てこれからの寒い季節にはピッタリである。
 
 e鴨氏がこれでもかこれでもかというくらいトマトを持ってきてくれる、そろそろシーズンが終わり近くにあるようでトマトは小ぶりのものが山ほどできて、引き取り手がないので無料でいいからとあちらこちらに配って回っているようである。
 
 今日はそのトマトの他にイチジクを買ってきた。けっこう癖がある果物で嫌いな人もいるが我が家の子供達は二人共とも大好きである。我が家の庭にも数年前に買ってきた苗が成長して、今年数個の小さな実をつけているが、阿蘇のイチジクのシーズンはいつなんだろう、今頃小さな実をつけても、そろそろ寒くなるので間に合わないような気がするが。
 
 そのイチジク、日本のイチジクは海外のものと品種が違うようだが、もともとある種のハエがイチジクの実の成長には欠かせないとかで必ずイチジクの中にハエがいるというようなことを聞いた気がする、確かではないが。


平成28年10月10日(月)  体育の日

 さすが「晴れの特異日」だ、素晴らしい秋空が広がった。今の人はもう知らないかもしれないが、昔(昭和39年)、オリンピックが東京で開催された時に、開会式をいつにするかで、晴れの特異日の10月10日に決まった経緯がある、そして、その日を記念して「体育の日」が定められた。その後、ハッピーマンデーの導入で、必ずしも10月10日とは限らなくなったが、それが今年はたまたま10月10日が体育の日にあたって、見事に空は晴れ渡った。 「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような素晴らしい秋日和・・・」と実況放送でアナウンスが流れたのだった、あのときは阿蘇の空ではなかったが、今日、阿蘇も気持ちよく晴れたぞ

 一気に朝の気温が下がった、夜中に寝床近くのカーテンを開けたところ窓に露を結んでいた、もうすぐしばらく家を留守にするのでそれまでにストーブの準備はしておかなくてはな。
     最低気温 10.8℃ (05:18)、最高気温 21.8℃ (15:37)

 そのストーブに使う薪材、今日、コインランドリーの桜の木を切るからと上村さんから連絡を受けて貰いに行ってきた、二往復、まだあるがそれは後日ということで。

 空気がやはり汚れているのだろう、太郎、軽いが少し喘息気味だ、自宅で母親にネブライザーをやってもらっていた。

 数年前に植えたクリの木(クリだから三年前か?)、全く世話をしなかったが、ようやく今年、実が生った、はじめ二個イガがあったが、途中で一個腐って、残りの一個が見事に生った、クリは普通ひとつのイガの中に二三個の実が入っているが、このクリは大きなやつが一個だけデンと入っていた。来年が楽しみである。

 カミさんが家のガラクタなどを捨てに阿蘇地域の焼却施設がある「未来館」に軽トラックで出かけて行った、本人は知らないだろうが、自動的にAPRSが起動するので軌跡が残っている、だから帰る途中、ちょっと寄り道をして帰るとLINEで言ってきたが、そんなこと言われなくても分かる。しかしカミさんがAPRSを運用しながら走るのは実は電波法違反になるのだが・・・

 今回の中岳の噴火、水蒸気爆発だかマグマ水蒸気爆発だか知らないが、改めて火山のエネルギーの大きさに驚かされる、一体どれだけの力が地中に潜んでいるのやら。

 今回は実に運が悪く(被害を受けた地域にとってであって、他の地域は逆に運が良かったことになるが)、風向きの関係で阿蘇一番の中心部に(とわざわざ言うほどの繁華街は阿蘇カルデラ内には無いが)集中的に灰が降った。この地域は昔から阿蘇全域の中心的存在で、裁判所、税務署、法務局(は近年大津に移って今は無いが)などの国の機関、電力会社(も今は窓口だけ)、電話局(も今はもうほとんど機能していない)、警察署、阿蘇地域振興局という阿蘇地域を統括する県の事務所などがある地域である。これらは阿蘇中岳(阿蘇山)を円の中心にして外輪山方向に北方向に真っ直ぐ線を引いた線上にある、阿蘇神社もこの線の上にある。そしてまっすぐのこの線が外輪を登って延びる道路がやまなみ道路(県道11号)で九重や別府方面に続いている。
 
 K5さんの情報で、今回の噴火の主に降灰に関しての毎日新聞の写真特集を知った。新聞の記録は次々に更新されてリンク切れになるのが早いので、長期保存のために無許可であるが転載する、個人が営利目的でしていることではないので構わないと思うが、その時はその時ということで。
 
 阿蘇中岳噴火 主に降灰の記録連続写真(1/2) 毎日新聞より転載
 阿蘇中岳噴火 主に降灰の記録連続写真(2/2) 毎日新聞より転載

 また今日の新聞に、我が家があるここ豆札にも噴石が飛来した記事が載っていた

 更に新聞記事、「碍子に火山灰付着による絶縁不良防止は洗浄しか無い?」そんなことを言っているのか、じゃあ、火山の噴火による原発事故の危険性が問われていて、近辺の火山の距離から判断して小生は川内原発は火山にも地震にも大丈夫だろうと容認する立場にいるが、灰は遠くまで飛ぶ、そうなると相変わらず電源喪失の危険性があるわけだな、そんなに危なっかしいのなら宗旨変えをしなくてはならないな。そのあたりの見解を九州電力は何と言っているのか、是非とも聞いてみたいものだ。
 
 また、今日あたりのNHKニュースなどを見ていると、まるで他人事のように地元の旅館や飲食店のみなさんの風評被害を心配する様子を伝えている、一体その風評は誰が発しているのか、意識的であれ無意識であれ、それはNHKよ、おまえが発信しているのだぞ。いいか心して聞け。こういった自然災害を伝える時には、まず、視聴者に阿蘇カルデラをうんと高い、例えば衛星写真で撮った画像を流してその大きさ広さを視聴者に十分に理解させ、次に”阿蘇山"と周辺の人々が住む一帯の位置関係や距離を示して、それから、今回の噴火の被害がカルデラのどのあたりに起きているかを流してから、最後に流したくて仕方がない被害の大きなところの映像を流すようにしろ、特にテレビ放映で、沢山の人から見舞いの電話が来て、皆さん阿蘇中が大変なことになっているというふうにしか伝わっていないのだ、これは先年の噴火の時や先の熊本地震の時もそうだった、もっと前の風水害被災のときもそうだ、真実と事実の違い、正確な報道、それがNHKの使命だろうが、NHKはセンセーショナルが命の芸能ワイドショウーじゃないんだぞ。それから自治体の長!風評被害、困った困ったとばっかり言っていないで、こういったことは毅然たる態度で具体的に公式に報道機関に申し入れをしているのか。記者会見を開いたらどうだ。こんな時こそお得意のパフォーマンスの出番だろう。
 
 その風評被害にもかかわらず三連休の最終日、草千里の駐車場はまあまあ車が停まっていた、阿蘇神社前の門前町も賑わっていたようだ、でも、福岡に帰る途中のMQY局からのレポートによると、(時間帯のせいもあるかもしれないが)バスも鉄道も観光客の姿は全くと言っていいほど見られないとのこと、JRの観光客に対する不親切さとイザという時の自家用車の持つ機動力の差だろうか。

 さあ、今日の日記はこのくらいかな、ひと風呂浴びに行ってからアップしようかと、アゼリアに行った所、アゼリアの入り口付近で電柱の碍子洗浄をしていた、新聞による予備知識が無ければ何をしているんだろうと思ったことだろう。アゼリアの周辺は今回の降灰の激しい場所で、今日は灰が乾燥して風が吹くとそれが舞って息ができないほどだった、洗浄の優先度が高いのだろう。でも本当にこういう原始的な方法しかないのだろうか、場所によっては特別仕様の漏電防止部材があって使っているということは無いのだろうか、電気はとにかく何よりも一番重要なライフラインなのだ、どんなときでも電気だけは来ていて欲しいのだ、だから、これほど脆弱なライフラインだと困るのだ。


平成28年10月 9日(日)

 穏やかに晴れる、山も静かだった。少し気温が下がってきたか。
      最低気温 15.6℃ (07:57)、最高気温 22.1℃ (00:00)
      
 昨夜結構雨が降って屋根の火山灰を相当流してくれた、それでも今日も一日窓を開けると温泉街のような臭がしており娘は嫌だと言って閉めていた。

 昨日の日記に噴火を昼間に見たかったと周辺の事情も分からずに自分中心に感じたことを書いていたが、日が改まってニュースを見ると、昼間に今回の噴火が起きたら大惨事になっていたかもしれないとある、警戒レベル3だからその程度だろうと思っていたが、あまり不用意に書くものではないなと少々反省する。それに警戒レベルというのもあまりアテにはならないということか。

 さらに、同じく、昨日の日記に宿場通りにはそれほどの降灰が無かったと書いたが、「豊後街道・坂梨宿」の主宰者はその宿場通りの住人であるが、「今日の坂梨」によると結構噴石が降ったようだ、それも我が家のよりもはるかに大きい。スレート屋根に穴が開いたそうだ。小生が通ったときには道が綺麗だったのでそう思ったがその時にはご町内の皆さんがもう綺麗に掃き清めた後だったのだろう。やはり重いものはより火口に近いところに落ちるということだ。我が家の玄関先に落ちていた噴石
 
 同じく、今日の新聞を見て知った、馬場の柚上棟梁のコメントが載っていた、馬場も結構大きな噴石が飛んできたようだ、ちょっと走っただけではわからないということか。
 
 我が家の降灰被害は大したことないが、灰の後始末が大変なようで、防災無線で引き取りの案内をしていたが、自然の猛威、その量たるや半端じゃ無いだろう、どこに集積するのだろう、土だからとそのまま撒き散らすことも出来ないのだろう、厄介なことである。

 新聞に灰を被った阿蘇神社の写真が載っていた、最近の災害を象徴するような写真である。
 
 隣の節子さんの菜園の野菜がヨナの被害で縮れていると嘆いておいでだった。言われてみると周辺の草も縮れている、我が家のイチジクの葉っぱも黒く縮れている、どうしてなんだろう、ヨナが降ってきた時にはまだ高い熱を持っていてそれで縮れたのだろうか、でもそんなに熱くはないだろう、それではヨナに含まれる化学成分によるものだろうか、こうして考えると、露地栽培の野菜農家の被害も大きいな、トマトハウスも穴が開いたところがあるようだが、穴があかなくても灰がビニールに付着して日光を遮るために成長を阻害することになり、灰落としが大変である、色々と農業被害がありそうである。長い間桃源郷と思っていた阿蘇も近年、次から次に厄災が降りかかるなあ。

 「無許可転載」の「無許可転載」・・・・じっちゃいがブログに小生のライブ・カメラの写真を載せていた。カミさんがスマホで上を向いて写真を撮っている、何を撮っていたのか、噴煙か、もう噴火はしていなかったはずだが、小生は捕虫網を抱えて階段を駆け下りている、モニターにスズメバチが見えたので捕獲に行ったのだ、このときはまだ捕獲器取り付け前だった、何度か行ったり来たり、結局その度に逃げたあとで捕まえられなかった。軽トラックの火山灰を水で洗い落としてカミの車と交代するために駐車位置を動かした後だったな。カメラが生きていたということは、あの時間は一旦停電が復旧していたのか、まだ昼の部が停電する前だったのか、いつ何回停電したのかもう記憶が怪しくなっている。じっちゃいのブログ

 いつもならかなり薄暗くなってもまだ少しは出入りしているハチの姿がモニターを見ていても全くその姿が無い。まさかとは思うが変な装置を前に付けたので嫌気がさして・・・・急に不安になってハチウとのところに行って箱の外側をコツコツと叩いた所、ゾロゾロと出てきた、少し気温が下がってきているので早仕舞をしたのだろう、ホッとした。

 今日は昨日の日記の軌道修正ばかりの日記になってしまった。


平成28年10月 8日(土)

 深夜の火山噴火から、忘れないようにその時時にメモ書き的に思いついたまま断片的に書き連ねてそれを後からまとめようと思っていたが、その後長時間の停電が発生したりして、一つの文章にまとめるのが面倒になったので、かなりいい加減な推敲になってしまった。

 深夜2時前ころだったろうか、Jアラートが鳴り始めたので、確か雨の予報が出ていたのでまた大雨警報かと思って夢うつつで聞いていると「噴火」という声が聞こえる、飛び起きて外を見ると曇ってよく見えない、そのうちに、停電をした、そして、驚くほど大きな小生の一世代前の人だと焼夷弾のようなパラパラ音がするので、なんだ噴火と雹かこれは天変地変だな、太郎が雹を見たことが無いから、見たいと言っていたので起こして見せてやろうかと懐中電灯で外を照らすとなんとヨナである、音がするくらいなので灰よりも大きな噴石がどんどん降っていて臭いがある、多分風向きが此方方向だろう。そう言えば昨日の夕方噴煙が少し多いなあと思っていたが、前兆だったのか。昨日からその兆候があったらしい、噴火後にそのことを言っていたようだ。オイ、ちょっとした雨でもすぐに警報を出すくらいなら、噴火後に言うのでなくてその前に「もしかしたら」という情報くらい流せよ。と言ったところで、現在の噴火予知能力はそこまで行っていないのだろう。
 
 放送を聞いていると爆発的噴火という言葉が頻繁に聞かれる、爆発的噴火と言っても警戒レベルの引き上げが、たかだか「2から3」へ、だろう、阿蘇中岳から市街地までは数キロあるので住民には危険性は全くと言っていいほど無い、火口近くには基本的には人は住んでいない、いたずらに不安を煽るような放送はするなといつも言っている。「爆発的噴火」。には違いないのだろうが、発表、放送する側とその情報を受け取る側との感じ方に相当の開きがある。風評被害の元凶はマスコミである、NHKである。
 
 Jアラートで噴火をしたことはわかった、Jアラートが噴火情報を流すのは多分今回が初めてだろう、それだけ大きな噴火だったのだろう、でもJアラートでは詳しい内容までは伝えない、だから追ってそれをフォローする放送が市の防災無線が流れるだろうと思っていたが何も言わない、Jアラートと市の防災無線との役割分担がわからない。
 
 そして市の防災無線が次に流した情報は全市12箇所の避難所を開設したという放送である(外輪上の波野も含めてだ)。
 
 果たして今回の噴火、全市の避難所を開設しなければならないほどの大噴火なのか、そういった情報も伝えないままで避難所開設か、でもこの避難場所は風水害の時の避難所で、火山噴火の避難所としてはちょっとおかしいのではないか。
 
 詳しい情報がないところに市内全部の避難所が開設されると言うと、よほど大きな噴火で家に居ると危険かもしれないということなんだろうか、そのあたりの説明が無い、慌てて避難した人もいるようだ。火口からそう遠くない地域は用心のために避難の必要性があるかもしれないが、市全部の避難所を開設しなければならないのか、もしそのような状況なら大雨と違って、避難所なんか全然役に立たないだろう、体育館なんかでは火砕流なんか防げないぞ、これは今後の大きな検討課題だな。

 細かな説明がないので逆にこのことで非常に大きな不安を覚えることになる。阿蘇市安心安全なんとか、の「安全のため」にということでは分かるが「安心のために」という配慮がまるでない。市としてその時に流す情報がまだ無いにしても、今は情報がない、今収集中だからと放送するのも立派な情報である、「巧遅は拙速に如かず」、だんまりが一番良くない。
 
 それからいつも言っているが光回線の「お知らせ端末」の有効活用が全く出来ていない、停電の場合は役に立たないが、せっかくの光回線、過去のイベント映像を流すだけでなくリアルタイムでスタジオから生情報を送ることはしないのか、これが本来の目的だろう、市長室から、あるいは市の災害対策本部からリアルタイムで情報を送れ、本来のお知らせ端末のそして光回線の意味が全く無いぞ、もっとICTの勉強をした方がいいな。

 「風の便り」のアクセスカウンター、一度カウントしたら同じ人間が再アクセスしてもその日は二度とカウントしないシビアな仕組みでありながら、本日噴火して二時間足らずでアクセス数が6千件に上った、そして一日で16,000件以上(その日の最大数字を100として棒グラフを自動的に目盛るのでそれ以前の普段のアクセス実績が少なくて棒になっていない)こういった場合は一人の人が何度もアクセスするから実際はこの数倍のアクセスがあったのだろう。
 
 だから、いつも言っていることだが、NHKで最近放送している台風時のライブ動画情報だ、阿蘇市は火山を抱えているのだから、気象庁の火口カメラに頼ることなく、せっかく素晴らしいロケーションにあるのだから市庁舎の屋上に同じようなカメラを設置して遠景でいいのだ災害時に限らず阿蘇市独自に常時ライブ・カメラを運用したらどうなんだ、小生のような素人がやっているのだから、別に難しいものでもあるまい。何より市は立派な自前の光回線も持っているじゃないか。
 
 それから、もうひとつ、市役所を映すライブ・カメラも常時24時間運用するといい、特にこのような場合、人の動き、市の動きが分かるから。防災無線で送る情報が無い、情報が入手できない、だったら、そう放送すればいい、情報がないという情報も、それだって立派な情報だ、だからライブ・カメラをしろと言うのだ、映像だけで解説は要らない、百駄放送、一見に如かずだ。
 
 小生の周囲にもたくさんの市職員の友人知人がいる、失礼な言い方かも知れないが彼らは実に一生懸命にやっている、地震や風水害時の避難所なんかでの寝食を忘れた献身的なその対応ぶりには頭が下がった、感謝こそすれ非難しようなどとは思ってもいない、皆さん立派な公僕ばかりだ、結局のところ強力なリーダーシップの問題なのだろう。市の職員でこの日記を読む人がいたら、是非上層部、意思決定部門に具申して欲しいものである。

 どうせ噴火するのなら昼間の晴れたときだと良かったのにと思った(どうせ噴火するのならという前提だから、これは不謹慎ではあるまい、最近は本筋と無関係の言葉尻を捕まえて、掲示板が炎上するケースが多いので一言断っておかなくては・・・・)。MQY局は乙姫の住人である、ちょうど中岳を真正面に眺める場所である、深夜の噴火、火柱が見えたそうである、火山雷も見えたそうだ、火山雷のことは他の人も言っていた。そういことであれば夜でも良かった、見たかった。

 夜が明けてから、太郎と一緒にちょっと走ってみた、今日の噴火はちょうど風向きの関係で坂梨も滝室坂に寄ったあたりは殆ど降っていなかった、ちょっと見た目では馬場にもそれほどの降灰は見られなかったが、豆札の我が家には結構降った、車が真っ黒になっていた、そのあたりに置いてあるものも真っ白になっていた、屋根が別の家のように色が変わっていた、一日中ガスが噴出して流れ込んでいたということではなく、最初の噴火で積もった灰から立ち上る臭いで終日温泉街にいるような空気に包まれていた。
 
 R265から西側に入った途端に降灰がひどくなって、宮地の仙酔峡入り口交差点付近から山に向かう道路一帯が結構の降灰だった。 坂梨保育園には我が家よりは少しだけ火口に近いだけ重いものから近くに降ったようで、我が家に降った噴石より大きな親指大の噴石が駐車場の一面に降っていた。アゼリアの付近もヘドロ状の細かな粒子の火山灰がびっしりと降っていた。仙酔峡に通じる道が火山灰の被害が大きく、ヘドロのように道路に堆積していた。仙酔峡の登り口、青少年交流の家付近は思ったほどではなかったが、牛の背中に灰が積もっていた、牛ども、どいう一夜を過ごしたのだろう。 

 古神付近の降灰状況連続写真

 青少年交流の家から少し下にあるダイワハウスの別荘地に二三知り合いがいるので寄って見たが、皆さん灰の始末に追われておいででだった。  

 細かな灰であったり、親指大の噴石だったり、ドロドロのヘドロ状のものであったりと場所によって噴出物の形状が少しずつ異なっているのが特徴だった。
 
 今回の噴火による降灰、結構遠方まで飛んだようだが、山麓一帯に限って言えば降灰の幅はそれほど広くないようで、刈り入れ前の稲にどれだけの被害があったろうか、ちょっと見た限り、このあたりだけに限ってみればそう酷い被害があったという風には見えなかった。

 以上は自然災害、ある意味人力では如何ともしがたい部分かも知れないが、これから書くことは「人災」である。
 
 深夜の噴火に合わせるように停電した、全市にわたっての停電のようである、原因はわからないという。日中一度復旧してまた停電した(さらに日没後にまた長時間停電することになるのだが)。

 午前三時になって防災無線、NHKのニュースでもまだ停電していると伝えている、停電回復は我が家周辺だけで市街地はまだ停電しているのか、阿蘇市では僻地になるこのあたりだけが停電復旧というのも珍しいことだと思っていたが後から分かったが2時20分には全部の停電は復旧したそうだ、ニュースでは何時現在の情報ですと言った方がいい、ずっと停電中だと誤って伝わる。

 火山灰付着による絶縁不良、つまり電線に火山灰が付着すると碍子などが絶縁不良を起こしていわゆるショートするらしい。今回の停電はどうもそれが原因のようだ。
 
 だから停電したのか?じゃあ鹿児島なんてしょっちゅう停電していることになるだろう、そんなに停電しているか?していないだろう、要は整備不良ということだろう。そもそも火山の麓にあって日頃からその対策が取られていないということなんだろう。

 火山噴火による降灰は自然現象である意味仕方がない、でも今回の災害、停電だけは余計だろう、これは天災でなくて人災だろう、夜になってまた停電、降灰は絶縁不良を起こすことがわかっているのなら、停電の可能性があるのなら前もって広報しろ、停電してから言うな、オイ、九州電力しっかりしろ。小生は大きな役所や企業に対しては厳しいんだからな。

 まさか暗くなってからまた停電するとは思ってもいなかったので発電機を動かすのに全くその準備ができていなかったから、真っ暗で雨の中、発電までどれだけ苦労したと思うのだ。お向かいのおばあちゃん真っ暗闇で震えていたぞ。

 でも自慢することが一つ、それは、市が停電の原因、復旧見込みに関する情報を九州電力から情報をとって防災無線で流してくれたことだ。それが自慢になるのか?そう自慢である。

 実は4月の熊本地震だったか、あるいはもっと前の風水害の時だったかもう忘れてしまったが、災害時に停電が発生してその復旧の見通しなどについて全く情報がなかったので、小生は市に電話をして、個人がバラバラに九州電力に電話をしても繋がりにくいし、向うでもいちいちたくさんの照会に応対するのも大変だろうから、市という権威で九州電力に照会して、その結果を防災無線で放送したらどうかという提案をしたことがある。その時電話を受けた市の職員の、そうですね、という返事の後、それほどの時間を措かず、九州電力からの停電情報が防災無線で流れた、実際のところはそうでなかったのかもしれないが、小生自身は今でもそう思っている。

 今回もその学習が生きていて、ちゃんと九州電力からの情報を市の防災無線で停電の原因や復旧見通しを放送してくれたことである。これで無用の不安を感じないですんだ。
 
 停電が長時間にわたり、大変ご迷惑をおかけしております。
阿蘇地区へ電気を送っております鉄塔が火山灰の影響を受け電気を送れない状態となっております。
現在、復旧見込みを本日23時目途とし全力を挙げて取組んでおります。
なお、送電後におきましても変圧器や電線に付着した火山灰の影響等により、断続的に停電が発生する恐れがあります。
大変ご迷惑をおかけしますが、今しばらくお待ちいただきますようお願いいたします。

(阿蘇市総務課)

 停電した時に、ああ、また水道も出なくなってトイレが使えなくなるなあと思ったが、熊本地震の時は停電と村に来ている水道本管が同時に折れたからであって、ここの水道は都市部の水道と違って配水をポンプに頼っていないので、停電しても水道には影響がないのを思い出してホッとした。
 
 ようやく非常電源をセットし終わって、カセットコンロでお湯を沸かして淹れて飲んだコーヒーが美味かったなあ。
 
 今日は我が家の三人組は停電直前にピアノのレッスンに出掛けていって、ちょうど停電が復旧した11時ちょっと過ぎに帰ってきた。
 小生は夕食は停電のためにIH調理器やチンが使えないので、缶詰を開けて冷や飯でも食うかと思って、電気釜を見ると、カミさんは保温のスイッチを切り忘れていて朝炊いたメシがずっと保温状態にしてあったので停電した後もまだアツアツのご飯を食べる事ができた。昔は電子レンジがなかったので炊いたご飯は保温していたが、現在は食べる時にチンをすればいいのだから勿体無いから保温スイッチは入れるなといつも言っていたのに忘れやがって、今回はそれが役に立った、怪我の功名というやつだ。

 小生一人、風呂から帰って来た時に家が真っ暗で、全部家の電気を消していったとばかり思っていたが、玄関先のセンサーライトも点かない、周りを見回すと、普段から周囲はそんなに明るくないからなのだが、よく見るとどの家にも電気が点いていない、それで停電したのだと気がついた。風呂から帰る時にはアゼリアでは電気は点いていた(全市停電だとアゼリアも真っ暗になるのだろうか、真っ暗闇を利用して女風呂に入っても分からないなあ、今日明日行った時に訊いてみよう)、車に乗っている間に、途中の町筋は電気は点いていたと思う、だから、家に帰り着く直前に停電したのだろう。
 
 DIさんの知識から得たというMQY局から電話で、市の放送より前に火山灰で絶縁不要で停電することがあるということを聞いていたので、そうなんだろな、広範囲の停電だから基幹装置で起きたトラブルなんだろうなと思った。復旧にかなりの時間がかかるということなので、エンジン発電機を引っ張り出して苦労して屋内に電気を引いた(普段でも常時すぐ使えるように整備しておかなくてはな)。
 
 今回の停電、阿蘇市と大分に入った一部地域の27,000戸が停電したそうである。再度言う、自然災害は仕方がないが、これは人災だろう、本当に腹が立つ、近くでは大雨警報だって出ていたんだぞ、このような時に簡単に長時間停電するなんて一体何をやっているんだ、九州電力、もっとちゃんとやれ!

 今回の噴火、36年ぶりの噴火と言う、何が36年ぶりなのだろう、先年の一連の噴火はあれはなんだったのだろう、あれも大きな噴火だったと思うが、調べるのも面倒だ。

 一夜明けて、空には報道機関のヘリコプターが何機も、煩くて仕方ない、連中、また噴火を期待して飛んでいるのだろうが、そうはいくかい、大きな噴火なんてものは便秘時の屁のようなもので、溜まりに溜まった大きなやつがイッパツでたら、もうそのあとは当分出ないんだよ、お気の毒様、だ。
 
 その煩いヘリの音を聞きながら、完成したスズメバチ捕獲器の取付けをして、カメラの位置を少し移動した。
 
 以上、一市民のあくまで一視点からの今日一日だ、いやはや長い一日だった。

57号線迂回道路ライブ・カメラ

  投稿者:  投稿日:2016年10月 8日(土)08時11分6秒
 ようやくやる気になったか、こんなことまず最初にやることだろう、小生がこのことを日記に書いたのは8月10日だぞ、だからだということじゃないことは分かっているけど、とにかく取り組みが遅いよ、しかも計画中?


平成28年10月 7日(金)

 晴れ。夜に入って雨の予報が出ているが日中はいい天気だった。
     最低気温 17.2℃ (05:38)、最高気温 25.9℃ (13:20)

 今日は土曜日のような錯覚の日だった。というのは、太郎が遠足で、遠足だと平日だから勘違いはしないはずなのに、カミさんが仕事を休んで太郎の遠足に引率していったからだろか。遠足は近くのカドリーだった。
 
 小生は昨日のスズメバチ捕獲器の制作の続きをした。昼食を挟んでだが、半日くらいで終わった。日陰で作業をすれば良いものを、直射日光がもろにあたる玄関先でやったものだから、いやあ、今日は暑かった。暑い暑いと言いながら場所を変えずに結局同じ場所でやり続けた、いやあ、暑かった。数字的には大したことないのに直射日光下というのは暑いものである。

 あとは、下のユニットと上のユニットを連結する金具を適当に見繕って取り付けたら完成である。今回はめずらしく丁寧な仕事をした。今日行ったホームセンターには6mmメッシュの金網があったのでそれを買ってきた。それから、スズメバチを誘い込む螺旋バネは自作しなければならないが、巻きつけるのに何か良いものはないかと家中をキョロキョロして探したところ、ビーチパラソルの先の方、石づきとでも言うのだろうか、先端がテーパー状に尖っていてちょうどよい形状をしていたので、それに針金を巻きつけて作った。広い部分が直径3センチ、小さな方の穴の径が1センチ、広い方からスズメバチが入ると、逆方向には出ないのだそうだ、別に逆茂木になっていないのに信じられないが、とりあえず、そうなんだそうだ。

 仕組みとしては、箱の下の方に隙間が空いていて、そこからスズメバチが囲いの中に入って、ミツバチを咥えたりすると、入ってきた方向に、つまり下方向には戻らないで、上方向に飛ぶらしい、前面をネットで覆っているので天井に空いた穴から上のユニットに入るという寸法である。作っていながらどうも信じられん。金網はミツバチが通り抜けられるので心配はいらない、どうも信じられん。まあいざという時に使えばいい。(写真1写真2写真3)
 
 ネットでヘッドラインニュースを読んでいたら、佐賀県の自動車教習所で「痛車」を導入とあった。「痛車?」全く初めて聞く言葉だ。調べて分かったがその記事では痛車の説明も無かったので皆知っている言葉なんだろう、そんな言葉があったのか。
 
 

平成28年10月 6日(木)

 晴れ。今日も気温が高かった。久しぶりに晴れたという感じ、その空の下、子どもたちも元気に登校していった(写真1写真2)。
     最低気温 19.8℃ (06:29)、最高気温 28.6℃ (14:43)
 
 庭先を撮っているライブ・カメラがユウガオの葉が邪魔をして視界が悪くなったので、見ると現在でもツルがどんどん伸びて疲れることを知らない(写真1写真2)。カメラのところの茎を指でちぎろうとしたが、とても指の力では切れないほど丈夫である。とにかくハサミで切り落としたが、前から育ているユウガオの実ももう数キロくらいの大きさになっている、どのくらい大きくなるのかわからないほどである。

 じっちゃいのブログを読むと、山に置いてあったハチウトがスズメバチに襲われて全滅してたようだ。山の中という里よりも「自然」の場所でスズメバチが生き延びるのは大変なことなんだあ、よく自然界のニホンミツバチ全部が絶滅しないものだ、これで、バランスは取れているのだろうな。我が家のハチウトには今のところ、過去にミツバチが居たときもそうだが、大群に襲われた経験はない、山の中に比べると里山は少しは安全なのだろうか。ネットで調べるとスズメバチの大群の襲撃はけっこうあるようだ、我が家もホイホイだけでは不安なので捕獲器を作ろかとも思いながらネットで見ると、螺旋状に針金を巻いた捕獲口を作ってそのトラップにかかって捕まるようだが、穴の径が結構あるのに入ったスズメバチは戻らないのだろうか、いまひとつ理屈がわからない。
 
 などと思っているうちに、スズメバチが大襲来してきてからあわてて「縄を綯(な)って」も間に合わないので、用心に越したことはない、よし、作っておこうと、突然午後から材料集めを始めて、とにかく試作品というか作りながら考えることにした。基本的な考え方としては、ハチウトの巣門付近をミツバチを捕まえようと遊弋しているスズメバチをうまくトラップに誘い込めば良いわけで、とりあえずは、トラップの下にあたるスズメバチを誘い込む箱を作った。昔と違って電動工具があるので、あっという間に第一段階は出来た。これにニホンミツバチは通ることが出来るがスズメバチは通ることが出来ない6mmの金網を張って、箱の下の方からスズメバチを誘い込んで、次にスズメバチが上の方に飛ぶ習性(があるそうだがよくわからないが)を利用して箱の上に開けた穴(これからあける)からトラップ(これもこれから作る)に入るようにするわけだが、果たして上手く出来るかどうか。
 
 家周りの草を刈ったり、ストーブの準備をしたり、薪を作ったりとやることはいろいろあるのに、そういったことには尻が重いのに、こういったことはすぐにやる。
 
 晩飯。麻婆豆腐、エビチリ


平成28年10月 5日(水)

 夜になって台風18号はまだ日本海にあるが、ここではもう完全に過去のものである。ここから距離があるにも関わらず、日中結構強い風が吹いていた。当初の予想コースからかなり大回りをしてくれて朝鮮半島の南端をかすめてようだ。心から来なくてよかったと思っている。今年はあと何回心配しなければならないのだろう。
     最低気温 21.8℃ 但し、19:22現在、夜になって更新している)、最高気温 27.2℃ (11:05)
     最高瞬間風速 14.8 m/s at 10:38
     本日の雨量  17.3 mm(20:00現在)

 台風の時に最近NHKが台風のコースに合わせて現地のライブ映像を流してくれる、普段見る機会がない各地の鮮明なナマの風景を見ることが出来て興味深い、日常的に日本各地の様子を流してくれると有り難いのだが。

 朝、夏子、通学用の自転車がパンクしていたので、時間がギリギリだった上に、雨が強かったので母親が送っていった。日中小生が直そうかと思ったが台風の余波で外作業ができなかったので、自転車屋に持っていって、修理が終わって中学校に届けておいた。自転車のパンクなんか精々500円くらいのものだろうと思っていたら、三ヶ所穴が開いていたとかで、穴の数でその分代金が上がったのかどうか分からないが2,000円(税抜き)も取られた。自動車のパンク修理だって確か1,500円くらいだったろう、ひゃーである。もっとも500円なんて昔の小生が自転車に乗っていた時代から推量して見当をつけた金額で、もうそれだけ長い年月自転車屋とは縁が切れていたということである。昔と違って今は店先の空気を入れを借りるのも有料らしい。
 
 と、これで一件落着と思っていたら、下校時に電話が来て、ヘルメットがないから乗って帰れん、(時間がもう7時で真っ暗らだから)そんなものイイからノーヘルで乗って帰ってこいと言ったが、娘は実に真面目というか融通がきかないというか、それは出来ん、と言う。仕方がないからヘルメットを持って学校に行ったが、面倒なので、軽トラックに自転車を積んで、娘を乗せて帰ってきた。


 晩飯。太郎のたってのリクエストで炊き込み御飯。炊き込み御飯にこってりしたオカズは合わないと思ったので、揚げ出し豆腐でも作ろうかと豆腐を買いにいったところ、まりさんがオマケにおぼろ豆腐をたくさんくれたので、そんなに豆腐は要らないからオマケだけもらってこようかと思ったがそうはいかないので、今日はおぼろ豆腐を食べることにして、揚げ出しは明日だ。
 
 おぼろ豆腐とは、にがりを入れて固まる前段階の豆腐で、醤油をかけて食べるのが一番美味しいのではと思う。今晩はそれに、出汁巻き玉子とホウレンソウの味噌汁。


平成28年10月 4日(火)

 曇り。
    最低気温 20.7℃ (02:41)、最高気温 25.7℃ (12:13)

 台風18号、少しずつ九州を大回りしてくれそうである、どう通るかはもう神仏の領域だ、ただ僥倖と言う他無い、これが直撃だったろ思うとゾッとする、強い台風だけになるべく遠くを通って欲しい、それでも強い風が吹くだろう、このままいくと対馬はガンバレになる。
 
  また糖度計を買った。前回はハチミツの糖度を測るために高糖度計だったが、そうなると、今度は果物などの低糖度も測りたくなる、こんどのやつはBrixが0〜32%である。送料無料で1,565円、これならダメ元だろう。サイズは同じかと思ったら低糖度計のほうがシリンダー(胴部分)が長い。さっそく早生のミカンの糖度を測ってみた。糖度計はそのうちに娘が自由研究に使おうと思えば役に立つが、何かテーマは見つかるだろうか。
 
 今日のニホンミツバチ。またスズメバチが来た、一旦網に捕ったが、隙間から逃げられた。それとは別の昨日のスズメバチをねずみホイホイに貼って置いておいた、ここではまだ時々しかスズメバチはやってこない。午後、「時騒ぎ」があった。 

 今朝の「今日」の新聞に、つまり朝刊ではない。なぜなら、ここには夕刊がないからである、統合版というやつである、だから今日の新聞なのである。ここより少し市街地、ほんの少しだが、坂梨の街筋には夕刊が配達される。どれだけ違うのかと思うが、カルデラ内にありながら、しかも新聞販売店から直線で2キロくらいなのにとにかく夕刊配達区域外である。もっとも最近は世間一般、都市部でも世の中の出来事はネットでいち早く知ることが出来るので夕刊不要論もあるくらいだから、無くてもいいのだが、ここに住み始めた頃にはなんだかとんでもない田舎に来たものであるとちょっと寂しささえも覚えたものである。
 
 閑話休題。その今日の新聞に熊本地震による観光被害の記事が載った。見ると、「熊日、大分合同 共同企画」とある。またまたちょっと横道にそれる。熊本の地方紙は熊本日日新聞、宮崎の新聞は宮崎日日新聞、だから大分の地方紙は大分日日新聞とばかり思っていたので、大分合同共同企画?へえ、大分日々新聞と合同共同(ちょっと変な表現だが)?熊日と大分日日が共同するんだと思ってよく見たら、熊日 大分合同 共同とある。大分日日ではなく、ここの新聞は大分合同新聞と言うのだそうだ、初めて知った、因みに、鹿児島日日新聞というのもなく、南日本新聞と言うそうである。
 
 今まで熊日は藩鎖国をしていて他県のニュースなどは流さないとばかり思っていた、事実、今回の地震でも、風呂やスーパーなどの生活情報、熊本で休業状態なのにここからだと直ぐに県境を越えると普通に営業しているのにそういった情報は一切流さなかった。だから、今日の共同企画の文字をみて少し驚いた、へえ、タイアップをすることもあるんだ。
 
 で、本題だが。JRの阿蘇大橋付近の山崩れでJRの「運転見合わせ」が続いていて、竹田市に観光客が来ないという記事である。(新聞には「不通」と書いてあるが、ラジオは相変わらず「運転見合わせ」と言っている、本当に頭が悪い。)
 
 これを読むと、観光客は熊本からしか来ないと決め込んでいる。随分と受け身、消極的な姿勢だなあ、たしかに今まではそうだったかもしれないが、観光客は行政が決めた県という境界線に従って観光するのではない、阿蘇は確かに熊本県かも知れないが、だから、大分県側から何も出来ないというのではない、阿蘇くじゅう国立公園と言うではないか、よし、今こそ、熊本地震を奇貨として、大分側から阿蘇方面への観光ルートを開拓PRしようという気持ちが起きないのだろうか、JRなんか頼むに足らずだ。別府方面から阿蘇に通じるやまなみ道路、この道路は全国屈指の景観ではないか、阿蘇観光は熊本空港でなくて大分空港からにしたらいい、大分空港からやまなみ道路を通って阿蘇に来て、それから竹田に回ってというようなルートを積極的に開拓PRしたらいいではないか、そんな努力はやっているのだろうか、あまリ伝わってこないなあ、竹田は古い城下町、情緒があって素晴らしいところだ、兵庫県の竹田城に負けない天空の城「岡城址」もあるぞ。小生なんか、個人的に客を呼ぶとするなら、大分空港からやまなみ道路を通って雄大な阿蘇のカルデラを外輪から見下ろすコースを案内する。別府大分、由布院、九重、黒川温泉、竹田城址、磨崖仏・・・いくらでも観光ポイントはある、熊本空港から阿蘇に入るよりはるかに良いと思っている。観光旅行業者にはそういった発想は無いのかなあ、やる気のないJRなんかもうアテにしないほうがいい、そのかわり将来運転見合わせ区間が通れるようになっても、ななつ星なんかで一切協力するな。
 
 晩飯。豚肉の味噌漬け、ダイコンサラダ、豆腐、油揚げ、ネギの味噌汁


平成28年10月 3日(月)

 晴れ、夕方近くになって一時弱い雨が降った。
      最低気温 22.3℃ (05:53)、最高気温 27.4℃ (12:59)

 台風18号、午後7時過ぎに「沖縄本島地方に大雨などの特別警報」が出された、それだけ猛烈な台風のようだ(中心気圧がこの時点で905hPa)、夜に向かって怖いだろうなあ、不安だろうなあ。今回の台風、予想コースがどんどん熊本マッポスになった時には、さすがに今回は駄目かなあと諦めていたが、ここにきて急にというか、進路が北方向にどんどん変わってきていて、思わずあともう一息だ、ガンバレと言いたくなったが、どうやらこのあたりが限界か、下手するとまた右に揺り戻しがあるかもしれない。さすがにもう、熊本マッポスは無いだろうが、今回に限らず今まで台風の予想進路をみていると、最初のうちは必ず熊本にロックオンする。だからしなくてもいい心配をしなければならなくなる、何か恨みでもあるのかと言いたくもなる、いつもボロクソに言っているからでもないだろうが気象庁の予想にその傾向が強い。コースが少し外れたからと言っても、勢力が非常に強いので、九州に近づいた時にどれだけ弱まってくれるかである。 気象庁JTWC

 10月1日は暦では「更衣」の日だ、と言ってもとてもそんな気候ではないが、日本の伝統行事にウルサイ小生としては、一応の節目として月曜日の今日、太郎に冬服を着させて登園させた、あわてて用意したので小さくなった方を着せてしまったようだ。夕方訊いてみるとどうやらこの暑い時期に冬服で来たのは太郎だけだったらしい。まあ、夏服でも、昼間はそれさえ脱いで遊んでいるので、冬服だって同じである。

 小生のミツバチのライブ動画、どれだけの人に見ていただいているかわからないが、スズメバチを生け捕りしてニホンミツバチとの大きさ比較のためにビンに入れて置いておいた。しかし、半日もしない間に動かなくなったので撤去した。
 
 ハチウとの底板の掃除をした。底板をはめる溝部分の隙間に粘着質の巣なんだろうか、たくさんできていて、中に、スムシがそんなに多くはなかったが動いていた。ただ、巣の勢いがあるので、スムシはウトの壁を伝って上に上がりきれずに、底板の部分でうごめいていた。じっちゃいが巣の勢いが弱いとスムシが入りやすいというようなことを言っていたがその通りで、巣の中を覗いてみたら、余すところなくハチで一杯だった、数千匹の数だろう。巣板も端の方から作っているのだろう、全くまだ作っていない部分もあるが、反対側は相当長く成長しているようだ。そうだ、必死で逃さないようにしたあの女王蜂が次々に産んでいるんだなあ、ある種感動すら覚える。

 晩飯。昨日の夜は鍋だった、それがまだたくさん残っていたので、具をちょっと足して連チャンである。


平成28年10月 2日(日)

 概ね晴れ。なんと真夏日。
    最低気温 20.0℃ (06:06)、最高気温 30.1℃ (13:20)
    アメダスポイント阿蘇乙姫では31.1℃、 10月の観測史上最高だったそうだ。

 台風18号、フラフラしないでピシッと決めろ。 気象庁 ・ JTWC
 
 最近じっちゃいのブログに近隣諸国の台風予想図が載っているが、それとは違うが同じようなサイトがありhttp://www.typhoon2000.ph/multi/(胴元はどこなんだろう)、近隣各国の予想図が載っていた。時系列で変化する予想図を見ると当初の予想から少しずつ左方向にずれてきているのがわかる。どうせならもう少し左にずれろ。近隣各国と言っても独自の観測網は持っているのだろうか。
 
 今日も労働は何にもしなかったなあ、本を読んで、座り道楽をして・・・・・遊びのネタには困らない。


平成28年10月 1日(土) あと三月でもう「お正月」かあ。

 穏やかな秋晴れ、気温も上がった。昨夜のJアラートは深夜に解除、寝ていて分からなかったが降ったのか?
    最低気温 22.2℃ (02:48)、最高気温 28.9℃ (15:24)

 台風18号の予想コース、 気象庁 ・ JTWC 大体固まったか・・・「ござんなれ」。

 8時半ころだったろうか、お向かいのおばあちゃんが訪ねてきて、乙姫の方に送ってほしいという、どうもデイケアの乙姫荘のようである。訊いてみると、迎えが来なかったとか、置いていかれたとか言っている。小生はそもそも今日は通所日ではないのではとも思ったが、特に用がなかったので、とにかく送っていくことにして、向うに着いて先方の窓口で事情を話した所、やはり今日は通所日ではなかったようだ、施設の方でケアマネージャーさんと調整をしてもらった結果、せっかくだから今日は一日ゆっくりしていってください、ということで話がついたので置いて帰ってきた。小生は我が母の自宅介護も全く苦ではなかったし(尤も重度ではなかったこともあるが)、高齢者の相手でも特に腹を立てることもあまりない、「いずれ、小生も(それもそう遠くないうちに)行く道」だとも思っているからだろうか、若い人ほどの介護ストレスは無いだろう、だから、こういった介護の現場でアルバイトができるな、でもそうなると、老老介護になるか、資格がいるんだろうな、などと、待っている間に頂戴したお茶を喫しながらそのようなことを思ったりした。母亡きあと久しぶりにデイケアセンターに足を踏み入れたが、ここ「乙姫荘」も非常に明るいところで、職員も皆さん笑顔ばかりでなかなか温かそうな施設である。小生はたまたま時間が空いていたのでお送りしただけで端から見返りなどを期待す気は毛頭無かったのだが、夕方、デイケアから戻ってお礼を持っておいでたが、断ると怒るのでそれじゃあと気持ちばかりの金額を示すとそれで承知しなくて、過分のお礼を出されるしなあ・・・・・本当に困った、困った。軌跡
 
 今日は終日本を読んだり・・・・

 夕方から我が家の三人組は泗水にピアノのレッスンに出掛けていった。



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