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平成28丙申(2016)年 6月の記録(新しい日付けの順)


平成28年 6月30日(木)

 雨のち曇のち夕方には青空。予報では今日も大雨の予報だったが、幸いなことにハズレた。明日の夕方からはまた雨の予報だが、そろそろ梅雨も終わりに近づいていることが分かる。
      最低気温 20.8℃ (03:20)、最高気温 23.7℃ (15:34)
      本日の雨量 17.8 mm
      連続雨量  204.5 mm

 もう一年の半分が終わった、今日は大祓の日だった、茅の輪くぐりの日だった、残念、すっかり忘れていた、阿蘇神社は熊本地震で楼門が倒壊したが例年通り神事は斎行されたのだろか。
 
 何もしないのにあっと言う間に一日が終わる、今日は少し「お勉強」をした。

 晩飯。キジ焼き丼、モヤシ中華サラダ、トマト、きゅうりの塩もみ、ジャガイモとタマネギの味噌汁


平成28年 6月29日(水)

 昼前後、非常に強い雨が降った、そして、その後ウソのように雨が上がって一時は太陽も出た、大量に雨を降らせる雲の帯が過ぎると雨が上がり、しばらくしてまた雨雲がやってくると雨になる、その繰り返しのような天気が続いている、明朝からまた大雨になるという予報が出ている。それでも週間天気予報を見ると、傘マークが続いていたのに、この先、ずっと曇りマークが続いている、そろそろ梅雨明けの気配がしてきた。
     最低気温 20.8℃ (02:19)、最高気温 24.6℃ (13:53)

     本日の雨量 63.2 mm (19:48)
     連続雨量  186.4 mm

 午前11時頃、サイレンが鳴って避難勧告が発令された、サイレンの音に一瞬緊張する。夜でないだけまだマシだが、町中の人は関係ないと思っているだろうが山付きの人は本当に緊張する。
阿蘇安心安全ネットワーク
2016/06/29 (水) 10:53
避難勧告に発令について
 古城1区、古城2区、古城3の1区、古城3の2区、古城4区、古城5の1区、古城5の2区、古城6区、古城7区、片隅、馬場、豆札、原の口、小池、山田、小倉、西小倉、内牧5区、南宮原、湯浦、西湯浦、西小園、折戸、鷲の石、車帰、狩尾2区、狩尾3区、跡ヶ瀬、的石に避難勧告を発令しました。
避難所を開設していますので、周囲の状況変化に十分注意し、早急に避難されますようお願いします。

(阿蘇市総務課)

 気象庁の土砂災害警戒情報が発令されると連動して市の避難勧告が出されるようだ。南阿蘇の山腹崩壊や先年の豪雨災害で、一体どれだけの雨が降ると危ないかなど誰にも分からないのでこれはやむを得ないことだろうと思う、そのたびに、市役所の職員は避難者の受け入れ態勢をとらなければならず、避難場所も数カ所に渡るので、その人員も半端ではないだろう、地震以来ずっとこの調子だ、そして明日の朝から昼にかけても大雨が予想されており、まだ避難勧告が継続されている、本当に大変だろうと心から同情する。

 スマホの格安データSIMカードでのLINEの運用について、年齢認証が出来ずに非常に苦労をしたが、QRコードをメールに添付して、先方でそれを使ってアクセスするといとも簡単に接続できることが分かってMQY局とのコンタクにようやく成功する。そもそも事の発端は、MQY局とのコンタクトが双方ともデータ専用SIMカードで、どちらも年齢認証が受けられず、コンタクトが整理せずに、いろいろと苦労をしてきたわけであるが、最初からこのQRコードを使えば何も問題がなかったということのようである。これで今回のLINE騒動は一段落ということになる。
 
 晩飯。八宝菜、シューマイ、ナスの味噌油炒め、スープ。それからスイカ
 
 「八宝菜]。という言葉に太郎が間違いなく反応するだろうと思っていたら思った通りだった。太郎が夕方にいつも楽しみに見ているアニメに「忍たま乱太郎」という番組がある。そのなかに「稗田八方斎」という人物が登場する、小生は字が違っても間違いなく「冷えた八宝菜」のもじりだと思っていたが太郎はもちろんそんなことは知らない。お父さん今日のオカズはなんね、と聞くので、八宝菜!というと、にっこり笑って、エッ!ハッポウサイね、と言って、その稗田八方斎は頭が非常に重くて、後ろにそっくり返るとそのまま頭が床についてしまうという仕草を嬉しそうに真似をしていた。 


平成28年 6月28日(火)

 雨、日中は断続的に強い雨が降る、夕方になって上がる、明日の朝辺りからまた大雨になるそうである。
    最低気温 19.9℃ (04:48)、最高気温 23.5℃ (15:38)
    本日の雨量  88.4 mm(19:18現在)
    連続雨量   123.2 mm

 ここのところの雨で普段は水が流れていない外輪の壁のあちらこちらに滝が出来て水が落ちているのが見える。(写真1写真2

 小生のLINEの環境。当初スマホを持っていなかったのでガラ携の番号を使ってPCで加入をした、その後、スマホを入手して二台持ちという形でLINEをスマホでも出来るようになったが、データ通信専用の格安SIMなので、ガラ携の番号のままスマホでもLINEを使っていた、たとえデータ通信専用でもSIMカードには電話番号が割り当ててあるのに、LINEはその番号とは連動しなくても使えるのだ、どうもそのあたりの理屈が今ひとつ分からない、ただ、この場合、LINEで時によって必要になる年齢認証が受けられないので、少し不便な思いをしていた。そこで、その年齢認証をクリアするために、データ専用SIMにSMS機能を付加した、そうすると、スマホでもショートメールを受け取ることができるので、年齢認証を受けられるからである、そして、大いに手こずったが最終的に年齢認証問題はクリア出来た。
 
 ここまでは昨日の話で、そこで、またちょっと欲が出てきた。SMS付きデータ専用SIMカードではショートメールだけで音声の電話はできないが、これにほんの少しだけ割増料金を負担することで、050で始まるIP電話を使うことが出来るのである。ここまで来てショートメール止まりというのも中途半端だなあと、本日その050を使えるようにした。このIP電話はいわゆる携帯電話網とは別で、専用のアプリをインストールして使うようになっている、だからSIMカードに割り当てられている番号とはまた別の050から始まる別の電話番号が付与されるのである、110番など一部のところにはつながらないらしいが、後は普通どおり固定電話にも携帯電話にもかけることが出来るのである、どうもよくワカラン。

 2009年から2011年にかけて放送されNHKドラマスペシャル、「坂の上の雲」の第一回目をDVDで観た、昔テレビで見たが内容はほとんど覚えていなかった、うん、改めて胸が熱くなるドラマだ、これから少しずつヒマをみつけて観ていくつもりだ。

 晩飯。とろろメシと豚大根。お姉ちゃんはとろろはあまり好きでないようだ、豚大根は大好きである。太郎と小生はとろろメシが大好き、あちらを立てればこちらが立たず、で、結局、大した手間ではないので両方作ることにした

 太郎のやつに、トマトの美味しい食べ方はな、と、丸かじりで食べるのが一番美味しいんだぞと教えたところ、これが気に入ったようで、今朝から丸かじりで食べている。梅雨が明けて、太陽の下で畑で完熟したトマトをちぎって丸かじりをするともっと美味しいので、早く梅雨が明けると良が、昔の青くさい、トマトくさいトマトが懐かしいが今の軟弱なトマトではその丸かじりの気分も半分だな。


平成28年 6月27日(月)

 曇のち雨。予報通り雨になった、この雨、また続くようだ、深夜に大雨になるとか、サイレンで叩き起こされなければいいが。          最低気温 15.9℃ (04:43)、最高気温 20.0℃ (10:01)

     本日の雨量 29.2 mm(9:58現在)
     連続雨量   29.2 mm(昨日一日雨がなかったので、連続雨量はリセットされた)

 LINEで他者を検索したりする場合に年齢認証が通っていなければ出来ない、これは以前はそのような制約は無かったようだが、未成年者が桃色遊戯に悪用するようになってその防止策として出来たようである。それが普通のキャリアの契約であれば年齢認証は簡単に行くのだが、格安SIMのそれもデータSIMを使ったスマホの場合にはそれが出来ない。それでも相手が認証を通っていれば相手からつないでもらえば、接続が出来る。ところが双方が格安SIM同士だと、これはもう悲劇である。どちらからもつなぐことが出来ない。ああでもない、こうでもない、を延々と繰り返して、ようやく年齢認証が通ったが、もう一度やれと言われてもどうやったかほとんど記憶が無い、今日一日費やしてようやくこのバカバカしい作業がクリア出来た。

 もう何日も前からジャガイモの男爵の茎が枯れてしまっているのを見て、ああ掘らなければ腐ってしまうなあと思いながらも雨で出来なかったので、今日の午前中、雨が降り始める前にと掘ってみたが幸いにまだ腐ってはいなかった、しかし、今年は特に地震を言い訳にするわけではないが芽掻きや追肥を全くしなかったので、ピンポン球くらいのイモばかりである、それをいつも、後から悔やむ、後の後悔先に立たず、毎年この繰り返しである。少し掘り始めたところで、予定より早く雨になった、この雨、また続くようである。
 不耕起栽培という栽培方法があるが、小生の場合耕すところまではやるが後は放置農業である、つまり「植える」まではとりあえずちゃんとやるが、そのあとの除草、追肥などの管理が全くダメ。こちらに来る前は農業とは植えさえすればあとは収穫するだけと思っていた。管理が如何に大切か。農業は片手間では決してできないものなのだ。
 
 愛知県豊田市の甥っ子夫婦のイタリア料理店、ウマそうな料理が並んでいるなあ、食べに行きたいけどちょっと遠いからなあ、そのうちに何とか。

 晩飯。トンカツを揚げた。


平成28年 6月26日(日)

 曇り後晴れ。久しぶりに雨を全く気にしないで良かった、雲は多かったが青空が覗いて、空気がひんやりして気持ちが良かった、ただ、これも今日だけのようだ。昨夜はタオルケットだけではちょっと寒いくらいの気温だった。
    最低気温 14.6℃ (05:13)、最高気温 23.5℃ (16:09)

    本日の雨量はゼロ、従ってこのまま日付が変わるまで降らなければ連続雨量は今日でリセットされる(はずである)
    18日からの連続雨量 415.3mm (18:47現在)

 久しぶりに雨が上がったので、午前中、坂梨さんと免田(村の共有田)の刈り残してあった土手の草を刈る、一時間程度で終わった。あと、稲刈りまでもう一回だろうか、二回だろうか。(写真1写真2

 免田の近くの祐輔さんの田では今年もアイガモが元気に泳いでいる。(写真1写真2写真3

 本日より省エネモードに入る 68.5



平成28年 6月25日(土)

 大体弱い雨が一日降っていた、レーダーを見ても終日薄い雲がかかり続けていたが、大雨になるような雲ではない、それは昨夜も同じようなものだった、明らかに降らないのは分かっているのにずっと「大雨警報」が出されっぱなしだ、いくら用心のためとは言えこれはちょっとオカシイだろう。
    最低気温 15.8℃ 但し18:17現在、少し肌寒いくらいだ)、最高気温 22.7℃ (00:00)

    本日の雨量 41.4 mm(18:18現在)
    連続雨量 415.0 mm (18:18現在)18日以来、つまり日を置かずにずっと雨が降り続いているということだ。

 南シナ海(どうしてカタカナで書くのだろう、漢字で書いてはイカンのか、自己規制か)に熱帯低気圧が・・・台風1号になるのかならないのか、いずれにしても、日本には来ないだろうが。

 予定では土曜日は娘のピアノレッスンで三人組は夕方には二重峠越えで出かけていくのだが、さすがにこう雨続きでは峠越えは危ないからと中止した、小生は地震後一度も通っていないが、通る人は一様に怖いと言う、中止して当然である。
 
 住民検診の案内が届いた、今年は7/24(日)だそうだ、あとひと月か、そろそろ意識して無理のない減量態勢に入るか、要は食べる量を少し減らせばいいだけだ、不愉快な判定をされたくないものな。

 今日静かに自分の時間を過ごした。


平成28年 6月24日(金)

 今日は久しぶりに日中太陽が顔を出した、そして九州全域を見渡しても雲らしい雲が無いのに、午後4時前、突然雨が降り始めた、レーダーを少し遡って見てみると、この時期の雨は西方から流れてくるのではなくて、突然湧き出すように雨雲が発生している。レーダーを見て、雲がないから安心だということは無いということが分かる。そのまま夜に入って、今までのような大雨雲がやってくるのではなく、切れ切れながら雨雲が発生しては、断続的に強い風とあいまって雨が屋根を叩いている。今夜もまた眠られない夜になりそうである。
      最低気温 22.0℃ (00:00)、最高気温 26.4℃ (15:15)
      気圧が下がってきている
      連続雨量 359.2mm (21:13現在)

 夜間電力でタンクにお湯を貯める、いわゆる給湯器の無料点検に業者がやってきた、もう、設置してからもう15年くらいになるが今のところは異常なしだったが、電気の請求書を見て、夜間電力の使用電力量が非常に多いという指摘を受けた。最近はECO給湯というシステムがあって、電気代が非常に安い、現在月々払っている電気代の範囲内で、ECO給湯器の設置初期投資額と月々の電気金が賄えると思いますよと言って帰っていった。小生は夜間電力を使う給湯器とECO給湯器の差を正確には、というより、全く知らなかった、そもそもECOとはなんぞや、からちょっと調べてみる価値はありそうだ。
 
 晩飯、炊き込み御飯、刺し身、出汁巻き玉子、ほうれん草の味噌汁。刺し身は娘と母親はマグロの刺し身、小生と太郎は鯨の刺身。、娘とカミさんは敬遠するが、太郎は鯨の刺身が好きという、クジラの食文化が直系で継承されるようで安心した。

 少し前(6/4)にも書いたが、1984昭和59年に、阿蘇国立公園指定50周年を記念して「いこいの村」で開催された「阿蘇国際彫刻シンポジウム」のカタログは、CiNii(サイニイ・・国立情報学研究所が運営する学術論文や図書・雑誌からなるデーターベース)で調べると、名古屋造形大学図書館と和光大学付属図書館の二箇所でしか保存されていないそうで、その貴重な一冊を川添さんが名古屋造形大学から期限付きで借りだしてきたと今日興奮気味に持ってこられた。まさか借りられるとは思わなかったそうである。この冊子をみると、当時のシンポジウムにかける主催者や製作者たちの熱気や意気込みが伝わってくる。この彫刻群は大きさや重量から考えると当然ではあるが、現地(いこいの村)で素材の石から各人が彫って作り上げたことになるが、当時の興奮ぶりが伝わってくるようである。
 
 このカタログにはモノクロながら、各出展者の履歴と制作の様子を撮ったもの、開催期日や会場、主催、共催、後援、協賛など全部のデータが載っている、当時の記録が入手しにくいところに、これは貴重は資料である。
 
 この彫刻群、ずっと草に埋もれていたようだが、最近は綺麗に草が刈られており、市の方でも関心を持ってくれているようでそう遠くない時期に改めてまた皆の目に触れるようになるだろう。これも川添茂さんの奔走が少なからず影響していることは間違いがないだろう。

 「阿蘇国際彫刻シンポジウム」1984カタログ抜粋連続写真 名古屋造形大学所蔵


平成28年 6月23日(木)

 昨夜は、概ね、西から東に移動する真っ赤な雨雲の南端がずっと阿蘇に掛かっていた、それで降ったことは降ったが、その雨雲の真っ只中のところよりは多くなかったような気がする。昨夜も、雷雲接近により今朝までシステムを休止した。

 雨域は東に移動して行って、今朝はもう朝からほぼ雨が上がっており、小中学校も平常通りという連絡が入っていた。日中も時々薄日が射すほどの天気になった。つかの間の小康である、明日にはまた雨空が戻ってくるという。今晩も大雨警報が出されっぱなしだが、九州地方に全く雲が無いのにか?
    最低気温 22.3℃ (08:51)、最高気温 24.8℃ (15:36)
    18日からの連続雨量 334.5 mm(20:18現在) 

 昨夜のこと、また、午後11時過ぎに突然サイレンが鳴り響いて・・・
阿蘇安心安全ネットワーク
避難勧告の発令について2016/06/22 (水) 23:17
古城1区、古城2区、古城3の1区、古城3の2区、古城4区、古城5の1区、古城5の2区、古城6区、古城7区、片隅、馬場、豆札、原の口、小池、山田、小倉、西小倉、内牧5区、南宮原、湯浦、西湯浦、西小園、折戸、鷲の石、車帰、狩尾2区、狩尾3区、跡ヶ瀬、的石に避難勧告を発令しました。
避難所を開設していますので、周囲の状況変化に十分注意し、早急に避難されますようお願いします。
(阿蘇市総務課)
 先年の豪雨災害や今回の熊本地震による土砂災害が頭をよぎって、このくらいの雨なんかでは、という気持ちはあったが、サイレンの音に急に落ち着かなくなる、サイレンの音にはそういった気持にさせる何かがある。パトカーも避難をするように、とアナウンスをしながら走り抜けていった。避難勧告対象地域は北外輪山の山付き地帯全域ということになる。

 早速出来たばかりのホヤホヤの豆札集落の非公式情報網でご近所の数世帯の皆さんの間で情報が飛び交って動静が分かった、別に、当方が管理する立場ではないが、それでも不要の心配をしないで済むし皆さんの様子がわかると何故だかホッとするものがある。我が家はカミさんもこの情報網に入っていて、我が家の状況を伝えていたので、年寄りの小生が出ることもないだろうとモニターするだけにしておいた。
 
 我が家は道路の此方側で多分大丈夫だろうと自宅に居続けたが、山側のお宅では用心のために避難所に移られたという情報を得て、また、お独り住まいのおばあちゃんの避難も確認できて安心した。

 万々一の場合、実際に、先年の土砂災害で裏山が崩れて土砂に飲み込まれた家があった、その家のお一人は腰の骨を折る大怪我をされた、その際、ご当主の姿が見えない。後から、その日はたまたま早出でその時間にはもう会社に出勤していたことが分かった。そういった場合に、これは避難とは少しケースが違うが、最初から所在が分かっていれば安否の確認に無駄な時間、無駄な心配をする必要がなくなる、そういった時間を他に振り向けることが出来る、つまり自分のためにでなくて、周囲に対する気配りのようなものだ。南阿蘇の山腹崩壊を見て、いつどこでどんなことが起きるか全く分からないということが分かった。LINEというコミュニケーション手段、始めの頃は「お遊び」程度にしか思っていなかったが、瞬時に全員に情報が伝わる、これはなかなか有効である。こういったコミュニケーション手段、せっかく作ったのに全然使う場面が無いね、本当はそれが一番なのだが、そういうわけで全世帯がこの情報網が使えるようになるといいと思っている。LINEをしない人もちょっとLINEをしているお隣に声をかけてから避難をするようにすれば万全である。これも危機管理の一つである。
 
 昼間、散歩中の組内のKさんに昨夜はどうされましたかとお聞きしたところ、ここは老夫婦の世帯だが、避難指示が出ると近くに嫁いでいる娘が直ぐに迎えに来る、とのことであった、これがルーチン化しているならこれも安心である。
 
 昼前にE鴨氏、御入来。ようやくここに来てトマトの出荷が始まっているそうで、我が家の食卓用にも持ってきてくれた。氏は地震の後始末とこれからの住宅再建に頭を悩ましておいでだった。

 二三日前に軽トラックが走行中に急にエンジンが止まった、エンジンを掛けようとするがバッテリーが上がっていてエンジンが掛からない、なんだろう、エアコンのかけ過ぎでも無し、やむなく、積んであった補助バッテリーをトラックのバッテリーにパラでつなぐとエンジンは掛かる、掛かったからバッテリーを外すとエンジンが切れる、バッテリーの警告ランプが点きっぱなしである。
 
 石田オートに電話して、原因が分かった、恐らくファンベルトが切れていてダイナモが回っていないから充電しないのでしょう。ということで、補助バッテリーで自動車工場まで運転した。補助バッテリーも充電をしないので消耗するだけの使い方である、距離が近いので問題はなかった。そして点検の結果、クランクプーリのダンパーゴムが無くなっており、ベルトが外れた状態になっていた。即入院で代車で二日ほど過ごして、今日クランクプーリーの交換修理が終わって引き取りに行ってきた。この故障、ネットで調べると結構あるようである。

 晩飯。手っ取り早く焼き肉。ここのところ晩飯の支度に時間を掛ける意欲が無くてワンアクションで食べられて子どもたちも喜ぶ献立になった。
 
 沖縄県知事が言っているように米軍が居るから犯罪が多く発生するというのはちょっと違うぞ。米軍であれ、なんであれ、それだけの人が住んでいるから犯罪が起きているのだ。それに、沖縄米軍の犯罪発生率と沖縄の日本人の犯罪発生率を比べたら後者のほうがずっと高いのだ。米軍が居なかったらその犯罪は発生しなかった、これは確かだ、でも、そう言っている人たち、米軍の代わりに難民だったら、あるいは移民だったら良いのか、(米軍駐留反対派は移民受け入れ、難民受け入れに関してはシンパシーを感じる人が多いからあえて言っているのだが)おそらくそちらのほうが犯罪率は高いかも知れない。警察官が時々犯罪を犯す、警察がなければ警察官の犯罪は無くなるという論法と同じだろう。人間がいればその中には必ず一定の割合で不心得者がいるということだ、残念ながらそれが人間社会なのだ、米軍だからではない。沖縄にいる米軍人軍属にも家族がいる、子どもたちがいる、その人たちが謂れもなく白眼視されている、これはもう人種差別だぞ、ヘイトスピーチだぞ。要は反米主義だけのことだろう、「宗主国」が入ってきたらこんなものでは済まないぞ。


平成28年 6月22日(水) 夏至は昨日だったのか。

 雨。午後に入って、少し収まっているが今夜また降るという放送があった。雨が少し小康状態になった反面、風が強くなってきている。風が騒ぐと、これはこれで落ち着かなくなる、そう言えば、今年はまだ台風が発生していないという、これも珍しいらしい、後で帳尻合わせが無いことを願うばかりだ。
     最低気温 22.0℃ (00:00)、最高気温 24.5℃ (14:02)
     連続雨量 278.1 mm(20:08現在)

 今日は朝のうちに雨が強くて、小中学校の登校時間が10時に繰り下がった。昨夜はどうだったろう、緊急放送は無かったと思うが、もう記憶がはっきりしない。

 冬場を除いて瀑布という光景が見られない古閑の滝、連日の雨で水量が増えて滝が落ちているのが見える。

 風雨で戸外が騒々しいとなんとなく落ち着かなくて、結局今日もこれといったことはしなかった。

 じっちゃい日記によると、なんとまたまた分蜂したそうだ、こういうこともあるんだなあ。小生の方、一昨日に、ハチに刺されたことを日記に書いたが、3箇所でなくて、6箇所くらい刺されたようだ。特に手首と軍手の隙間あたりを三箇所くらい刺されて、それが腫れて固くなって痒くて仕方がない、それに、まぶたの上も刺されたようで、腫れ上がっている、アナフラキシーだろう。ニホンミツバチはおとなしいと油断しきっていた、あの日は確かにハチの機嫌が良くないコンディションだった、いい経験をした。これから気をつけなければと反省をしている。

 参議院議員選挙が公示された、7月10日が投票日だ。我が村の候補者の掲示板にも2枚貼られている、立候補は二人だけなのか、熊本県は定員は一名だったな。

 今回の熊本地震で数少ない我が家の被害の一つに電信のマニピュレーターが落下してネジの一本が折れていた、補修部品を注文したところ、地震見舞いで無償で良いと送ってくれた、こういった心遣い、嬉しいものである、しっかりと頭に刻み込まれた、おかげさまで立派に復元なった。。この会社は東北地方の電信のキーのメーカーである、電信がプロの世界から無くなって、アマチュアの世界でもnocode hamが増えてきており、そんななかにあって、日本で電信のキーを作っている会社はもしかしたらここだけかもしれない。株式会社 GHDキー 
 
 晩飯。クリームシチュー

 今晩から明日の朝にかけて大雨になるそうだ、レーダーを見ていても、もうやってきているのがわかる(雨雲  )、システムを落として寝ようか、ゴロゴロ言い始めてから起きて消すか、放送がさかんに自主避難場所に早めに避難しろと言っている。


平成28年 6月21日(火)

 雨のち曇。今日は午後からなんとなく雨が上がり気味で道路が白く乾くほどだった、それでもまた夜には降るらしい、どうして夜になると降るんだろう。
     最低気温 22.1℃ (00:00)、最高気温 23.9℃ (12:29)
     連続雨量は190.2mm (20.06現在)24時間の空白がない雨降りの連続、今回の場合は18日の深夜から。

 大雨に関する情報が何度か続くとはて何時の事だったろうと記憶が怪しくなる、これはまだ、昨夜のことだったのだ。それまでにも何度か大雨に関する情報が出ていて、午後11時前、突然サイレンが鳴って避難勧告の放送が流れた。
2016/06/20 (月) 22:54
古城1区、古城2区、古城3の1区、古城3の2区、古城4区、古城5の1区、古城5の2区、古城6区、古城7区、片隅、馬場、豆札、原の口、小池、山田、小倉、西小倉、内牧5区、南宮原、湯浦、西湯浦、西小園、折戸、鷲の石、車帰、狩尾2区、狩尾3区、跡ヶ瀬、的石に避難勧告を発令しました。
避難所を開設していますので、周囲の状況変化に十分注意し、早急に避難されますようお願いします。
(阿蘇市総務課)

 我が家は道路を隔てたこちら側だから大丈夫だとは思ったが、急に幾つものメディアを通じて、緊急放送が入りはじめ、おまけにJアラートまで流れたので、先年の土砂災害、今回の阿蘇大橋などの山崩落などが頭をよぎって不安になって、もうこうなったら眠ってなんか居られない、村の皆さんはどうしているのだろうかと思いながらも家で様子を見ながら午前一時頃までは起きていた。朝にはほとんど上がっていたような記憶だが、もうそのあたりのことがあやふやになってきている。

 昨夜のように突然避難勧告がでると、ちょっと慌てる、村の皆さんの状況が気になる、こういった時にはLINEだな、と、小生はLINEの仕組みが分からないので、豆札集落の緊急連絡網を麻理子さんに作ってもらった。全員がLINEをやっているわけではないので、あくまで非公式だが少しでも多くの情報共有が出来るといいと思っている。

 免田(村の共有田)の畦切りが雨で遅れていて、かなり草の背丈が伸びているので、雨が上がった昼ころから、とにかく、田に接する草だけは刈っておかないと背丈が伸びた草を田に落とすと稲を傷めるので一番下の部分だけ刈っておいた。結構草が伸びていて一番畦側の稲に被さっていたのでレーキで丁寧に草を土手の方に寄せておいた。土手の上の方の草は、法面の途中に刈り倒して田に落とさなければいいので、慌てることはない。小生が終わった頃、坂梨さんがやってきて、残る三方の畔の方の草を刈ってくださった。

 参議院議員選挙の入場券が届いてた、確か明日が公示だったと思う。

 晩飯。豚肉のムニエル、ほうれん草の味噌汁、トマト


平成28年 6月20日(月)

 今朝も午前三時頃、大雨洪水警報が出されて、それから、携帯、スマホ、お知らせ端末、屋外の防災無線塔といろいろなルートから少しの時間差で次々と情報が流れ、またそれに伴って自主避難所が作られた放送も流れていた。大雨警報が出されると自動的に自主避難所を開設しなければならない決まりでもあるのだろう、市役所の人たちは今の時期、交替で宿直してその備えをしているのだろうか、大変だなあ。
 
 夜が明けて7時ころから急に雷が近づいてきたので、慌ててシステムを止める。それも小一時間で収まる。
 
 終日、特に、午前中を中心に断続的に強い雨が降る。午後には短時間ながらポッカリと雨のやみ間が出来て、静かな風景が広がっていた。今夜また、降るらしい、ずっと大雨警報が出されっぱなしなんだろう、どうして真っ暗な夜に大雨が降るのだろう。

     最低気温 21.1℃ (但し19:28現在)、最高気温24.1℃ (14:55)
     本日の雨量 61.5 mm (19:33現在)
     降り始めらの総雨量 129.3mm (一昨日から19:33まで。一昨日は数ミリだったので、実質昨日からの総雨量になる)

 じっちゃい日記によると、先日分蜂したじっちゃいのニホンミツバチ、また同じウトで分蜂があったらしい。小生が数年前に飼いはじめた頃はこの分蜂が何度もあったので、こんなに簡単なものかと思っていたら、その後、数年入っていない。難しいものである。分蜂とは「両雄並び立たず」という諺があるが、一つの巣の中に女王バチは一匹しか居られない、だから、新たな女王蜂が誕生すると、新しい女王蜂が出て行くのではなく、前からいた母親にあたる女王蜂が家来(働きバチ)を引き連れて出て行くのである、これを分蜂と言うのである。今年はじっちゃいのところ「豊作」のようである。
 
 じっちゃいの日記に刺激を受けて、今朝、ハチウトの床にスムシが居ないかどかチェエクした際に、雨で外に出られないハチが底にワンサカ居たので刷毛でエイヤッとばかりに払ったら怒ったのだろうか、ワンワンと小生の周りを飛び回って三箇所ほど刺された。油断をして軍手をした手と袖口の部分が開いていてそこを刺された、またこれも形ばかりかぶっていたネットの隙間から入ってきて額を刺された。やはりちゃんと防御の装備をしてからやるべきであったな、刺されてもまだ今のところなんとも無いが、そろそろ抗体が出来てきているのだろうか、何度刺されても平気な人もいるのだろうか。
 
 晩飯、白身の魚(タイ)の甘酢あんかけとシイバの南蛮漬け、サトイモと大根味噌汁、トマト
 
 シイバという名前の魚、標準和名をヒイラギというらしい、日本各地でいろいろな呼び方があるようだ、小生が知っているゼンメに似ているなと思ったら、同じ魚だった、このゼンメは関東にいる時に覚えた名前だが、これは愛知県での呼び名らしい、小生にこの魚の名前を教えてくれた人は愛知の人だったのだろうか。、


平成28年 6月19日(日)

 雨。
    最低気温 21.1℃ (02:15)、最高気温 23.0℃ (12:44)
    本日の雨量 44.7 mm (17:58現在)

 いささか旧聞になるが、昨宵、熊本市で震度4の地震があった、かなり広範囲に揺れたようでラジオでも結構時間を使って震度情報を流していた、ここは震度1だということだったが、小生は座っていたが全く揺れは感じなかったので、スマホに地震情報が流れて初めて知ったくらいだ、最近の余震、熊本市方面が多いが、その時でもここは殆ど感じない、震度分布図を見ると斜め方向に地震波が伝わっていることが分かる。
 
 もう今朝早朝と言っていい時間だろうか、三時頃、屋根を打つ雨音と雷の音で目を覚ました、慌てて起きてPCを点けてレーダーを見たところ、真っ赤な雲が接近してきていて、それに合わせるように雷情報画面こも真っ赤な雷マークがびっしりと表示されている、まもなくここに来るかなと思って、システムの電源をみんな落とした。そしてこの時間だから小生にとってはもうそろそろ起きる時間なのでそのまま起きてしまった。前後するように大雨警報が出され、自主避難所開設の放送が流れ、と少し騒然とした時間が経過したが、心配したほどの雨もなく、また雷も上空を逸れて通過ていって夜が明けた。
 
 雨は朝のうちに上がって、今日はもう降らないだろうと思っていたら、その後も時々断続的に強い雨が降って、一日そんな天気だった。この雨空はここ数日続くらしい。
 
 雨が降って外作業が出来ない日は大威張りで好きなことが出来る、いろいろと道楽の資料を読んだりして過ごした。


平成28年 6月18日(土)

 晴れ。ただ、これからの天気を予兆するかのように雲が不安定に動いていた。
     最低気温 14.7℃ (05:00)、最高気温 26.9℃ (14:34)

 小生は聞かなかったが、カミさんたちが、セミが鳴いていたよと言っていたがもうそんな時期なのか、蟪蛄春秋を知らず、か。

 今日は昼から久しぶりにMQY局、御入来。午後の時間、たっぷりと趣味のことやもろもろのことに話が弾んだ。

 夏子は学外での練習があったようでカミさんが太郎と一緒に夏子と楽器の搬送、送迎でほぼ一日外出していた。そして夕方帰ってきて、今度はピアノレッスンでまた三人で出かけていった。


平成28年 6月17日(金)

 晴れ。天気が悪かったのは昨日一日だけだったようだ。
     最低気温 18.0℃ (01:54)、最高気温 22.1℃ (16:45)

 太郎の保育園の給食試食会があった、小生の子供の頃は給食というものがなかったので給食というものに憧れを持っていて、夏子の時以来、保育園のそして小学校の試食会にも可能な限り参加してきた。坂梨保育園は園で調理するから問題が無いのだが、お姉ちゃんの中学校は、給食センターが今回の地震で確か地下の大きな貯水槽が割れたかで、建物そのものを壊さないと修理ができないとかで、長期間給食がストップしている、阿蘇市の中学校の全部をこの給食センターでまかっている関係で阿蘇市の中学校全部が当分給食が作れないからということでパン類ばかりが給食に出てかなり食傷しているようである。この給食センターはつい最近に出来たばかりだった。
 
 そんなわけで、今日は保育園の調理の先生が作ってくださった料理を子どもたちと並んでおいしく食べた。こどもたちも親と一緒だと嬉しいらしくていつもよりはしゃいでいたようである。今日の試食会は、年少、年中、年長の三クラスが対象で、年少組は自分たちの部屋で、年中と年長組は複式クラスで人数が多いので、広い遊戯室を使って行われた。
 
 給食試食会 連続写真(1/5)
 給食試食会 連続写真(2/5)
 給食試食会 連続写真(3/5)
 給食試食会 連続写真(4/5)
 給食試食会 連続写真(5/5)
 
 実は、今日はじっちゃいが熊本での定期検診の後、我が家に寄ってくれる予定になっていたので、一緒に昼飯を食う約束をしていたのだが、給食試食会のことを忘れていて、しまった!と思ったが、なに、昼飯のハシゴをすればいいか、と、約束の時間を少し遅くしてもらうべく連絡をとりなおしたところ、じっちゃいも夕方から予定が入っているということで今回は直帰することになり、約束は次回に持ち越しとなった、申し訳ないことをした。

 晩飯。刺し身、出汁巻き玉子、ほうれん草たっぷり味噌汁、トマト。それに小生はクジラの刺し身。こどもたちは食べるかなと思ったが、子どもたちからするとクジラは愛護ということでなく、ゲテモノに入るようで、尻込みをして食べないので、騙されたと思って食べてみろと言って、一切れずつ食べさせたところ、恐る恐る口に入れて、太郎は「美味しい!もっと欲しい!」、夏子は「うーん、もういい」と評価が分かれた。どちらかと言うと、太郎と小生の食べ物の好みは合う、夏子は母親似だろう。


平成28年 6月16日(木)

 雨。予報では大雨になるぞ、雷が鳴るぞということだったが、今日のこれは空振りだろう。ここのところ気象庁の言うことは火山にしろ、地震にしろ、あまりアテにしないようにしている。
   最低気温 19.1℃ (19:46)、最高気温 23.1℃ (08:59)

 午後2時半ころ、北海道函館付近で震度6弱の地震があった。ここと思えばまたあちらである。ラジオでアナウンサーが現地に電話をして被害状況を深刻ぶって訊いているのだがどこも大したことがないと言う、しかし、そんなはずないでしょう、何かあるでしょうという口吻で執拗に尋ねていた、マスコミはとにかく被害が大きいことを期待しているのがありありと分かる。そうこうしているうちに今度は阿蘇で震度1だったがドンと来た、日本何処にいても逃げ場はないな。
 
 一昨日風速計のカップが壊れているのに気がついて、直ぐにネットで注文したものが、今日もう届いた、輸入物は時間がかかるのが通り相場だが、青電舎に、修理部品の在庫があって直ぐに送ってくれた、助かった、一日休んだだけで元通りになった。たとえ私的であれ、気象観測をしている以上社会的責任を感じているのだ。

 以前は電卓は四則演算でしか使わず、他の機能などかえって邪魔だったが最近は関数電卓に沢山の機能が付いているほど嬉しくなる。今日たまたま見ていたら、前からあったのに興味が無いから目に入らなかったのだが、「周期表」まである。周期表というと例のスイヘイリーベだろう?これが電卓に馴染むのか?と思ってキーを叩いてみたところ、原子番号と元素名がでてくる、この電卓は以前のやつだから原子番号113はウンウントリウムと表示された、これから作られる関数電卓にはちゃんとニホニウムと表示されるのだろう。

 都知事の辞職騒ぎ、身から出た錆、庇う気などさらさら無いが、これなんか典型的なマスコミリンチだね、それもそうだけど、下手な国の国家予算より大きな予算を扱う東京都というところ、ここの都庁というところが、これがまたトンデモナイ伏魔殿らしい、マスコミは、そんなこと知っていながら知らんぷりをしていて何かがきっかけで騒ぎが大きくなると先頭に立って石を投げるのだろう、マスゴミと言われる所以だ。

 「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」ちょっと遅きに失したね、組織の大小にかかわらず、人の出処進退というものは難しい。

 晩飯。鶏すき、豆腐とニラ味噌汁、トマト。


平成28年 6月15日(水)

 晴れ。今日も暑かった。首都圏では雨が少なくて水瓶に黄色信号が出ているらしいが、九州地方はどうなんだろう、梅雨に入ったと言いながら雨があまり降っていない、明日辺りからちょっとまとまった雨になるようだが。
     最低気温 18.9℃ (05:00)、最高気温 27.8℃ (15:52)

 昨日で熊本地震の「前震」からまる2ヶ月経った、被害が殆ど無かったここではまだ2ヶ月しか経っていないのか、というのが正直な感想だ、もう随分前のような気がする、今だに直ぐ近くに震災真っ只中に居る人達が大勢いる。

 そろそろ梅の実が熟し始めている、梅酒を漬けるのであれば青い方がいいが、梅干しは完熟した方がいい、梅の木の下が草ぼうぼうだったので、午前中に草刈りをしておいた

 じっちゃいのところのニホンミツバチが分蜂した、素晴らしい、事前に準備をしていた待ち箱に入ったのだろか、人間の都合に合わてくれるとは限らないからハチルアーの効果だろうか、今の時期でもまだ分蜂するんだなあ。

 よく天網恢恢というが、今回の場合、自ら墓穴を掘ったようなものだ、身から出た錆。セコい、ケチ、卑しい、増長、姑息、浅ましい、潔くない、自己中心、往生際の悪さ、思いつくまま順不同に並べてみたが、ありとあらゆるこんなネガティブな表現が全て当てはまる、こんな人も珍しい、ここまできたらもうこの人の政治生命は終わりだろう、天国から地獄へ、自業自得。

 晩飯。炊き込み御飯、カツオたたき、豆腐と油揚げの味噌汁。


平成28年 6月14日(火)

 晴れ。気温が上がる。
    最低気温 16.6℃ (04:35)、最高気温 27.1℃ (13:02)

 二三日前に、風速計のくるくる回る部分(風速カップ)の一つ無くなっているのに気がついた。いつから無くなていたのか分からない、どこかに飛んで落ちているかなと思って、午前中、周囲の草を刈って見たが、見つからない、たとえ見つかっても軸が割れているのでもう使えないだろう。本来三個あるべきカップが二個しか無い場合は、風速は三分の二になるのだろうか。さっそく補修部品を扱っているサイトに照会したところ、カップ三個で組んである回転体が一式になるそうで、早速注文をしておいた。
 
 今日は修理に縁のある日で、電信のマニピュレータのネジが折れているのに気がついた。先日の地震で無線機の上に置いてあった奴が落ちたのにはちがいないが、折れていたとは今日まで気が付かなかった、この修理部品も早速注文をかけておいた。
 
 マニピュレーターの折損に気がついたのは無線機を移動する必要ができて、その際に気がついたのだ。無線機の移動とは、今使っているHF無線機、もう2年くらいになるだろうか、SSBの受信ができるが送信ができない、CWは問題なくできるので、電信しかやらないからSSBは要らん、とずっとそういう状態で使っていたが、しばらくして無線機のスイッチが入らなくなった。電源部の故障ではなくてスイッチ部分の故障なんだろう、騙し騙しスイッチを入れると点く場合があるので、これも点灯するまで何度かスイッチを入れたり切ったりして使っていた、それから出られるけど出ないと言うのと、出たい時に出られないというのとは全く違って、SSBが使えないということがいつも心に引っかかっていた。そこに最近オークションで極めて美品が出店されたので、入札をかけていたところ次点で逃した。まあ、いいかと思っていたら、数日して、第一位の落札者が辞退したので、次点の小生に、繰り上がって第一位になったけどまだ落とすつもりがるかどうか問うてきたので、それではということで落とした。
 
 今日はその無線機が届いてその入れ替え作業などをして一日修理修理がらみで時間に追われた。今回入手した無線機は、外も中もピカピカだ、筐体にも傷がなくほとんど使っていなかったようだ、CWのフィルターが入っていなかったので、今まで使っていた無線機から取り外して差し替えておいた。それに7MHzがバンド拡張していない、これはなんとかなるだろう。
 
 今までの無線機は、ジャンク品と断ってオークションに出展すれば、かなりの額が回収できるから、リーズナブルな買い物をした事になる。
 
 そんなこんなで一日中バタバタしていたので午後3時頃だったかJLZが阿蘇に登ってきているという電話をくれたが、時間がなくて、誘う余裕もなかった、時間が時間だからあの時間からは氏も来るつもりはなかったろうが、失礼をしてしまった。

 晩飯。時間が押して何を作るか考えるヒマがなかったので、手っ取り早くハヤシライスにした


平成28年 6月13日(月)

 昼ころまで雨が残っていたような、その後は次第に晴れ方向。
     最低気温 19.7℃ (05:34)、最高気温 25.2℃ (15:11)

 震源が概ね熊本南部のために、ここでは感じなかったが、ここのところまた少し強めの地震が続いてる感じがする。
   6月13日 15時54分頃 八代 震度4
   6月12日 22時08分頃 八代 震度5弱

 午前中、内牧の松野動物病院にボンのフィラリアの予防薬をもらいに行ってくる。6月から蚊がいなくなる10月までの間、投与する。

 DIさんが、昭和28年の熊本の水害の時に、冠水した沢山のラジオの再生をアルバイトでやったという話を聞いたことがある、泥水に浸かったラジオを水道の水をじゃぶじゃぶかけて洗ってから天日で干して修理したとのことであった、今回、真空管ラジオを組み立てたり、レストアすべくラジオを眺めてみると、確かに、昔の部品で組んだラジオは現在のようなデリケートな部品はあまりないようだ、石鹸水にでも浸けて油汚れなんか落としても良さそうだなあという気がしてくる、各部品のシールドがしっかりしていれば構わないわけだから(冗談である、もちろんそんなことはしない、そう断っておかないと、そんなことをしちゃあダメだよ、とどこからまた声が掛かりそうだから)。
 
 真空管を全部はずしてみて、たとえば6ピン真空管、等間隔でピンが生えている、ソケットも皆等間隔で穴が開いている(7ピンも然り)、これだとどの方向にも挿せそうである。この前組み立てたラジオのmt管ではソケットの穴の位置が等間隔ではなかったので、挿し間違えることは無かったが、この6ピンの真空管、挿し間違えないのかなあと思って調べたら、他のピンよりちょっと太いピンが2本あって、それがヒーターで、その間に矢印のマークが打ってある、(BottomViewで)右側のピンから時計回りに1番2番と数えていくそうである、なるほど、こんな初歩的な質問、ネットで検索しても今時、真空管を初歩からやろうとする人は少ないと見えて出てこない、ようやく一件だけみつかって分かった、と言うわけで6ピンの真空管の場合は1番6番がヒーターになるのだ、先日組み立てたmt管の場合は3番4番ピンがヒーターだった。これでようやくどのピンにどのラインがつながっているのか、相互関係が分かって追うことが出来る。

 晩飯。キジ焼き丼、ジャガイモとタマネギの味噌汁


平成28年 6月12日(日)

 終日、細かな雨が降ったりやんだり。気温が高くなかったので蒸し暑さは全く無かった。
    最低気温 20.1℃ (05:40)、最高気温 21.8℃ (16:10)

 村の区役、用水路の草切があった、住民の高齢化「など」で参加者が減ってきており、この作業もそろそろできなくなりつつある、小生なんか農家でも何でもないのに出席率はトップクラスだろう、自分でもどうして参加しているのだろうと不思議に思う、そろそろ、参加辞退の潮時だ、もう次回から出ないぞ、と宣言してきた。現在は、昔のような農村イコール農家の時代ではなくなっている、日本の農業問題の一つがここにある。(写真1写真2


平成28年 6月11日(土)

 晴れ、今日も暑かった、天気が下り坂で、明日は雨になるらしい、考えたら今は梅雨だもんな、明日は区役の草切があるなあ。
     最低気温 19.3℃ (05:18)、最高気温 27.9℃ (14:28)

 昨日、南阿蘇に行った際に訪問先に帽子を忘れたので、今日の午前中、太郎を連れて、今度は箱石峠越えで昨日とは逆周りに回って受け取ってきた、いつも正面から見ているので気が付かなかったが、箱石峠から眺める高岳鷲ヶ峰虎ヶ峰の側面がひどく崩れていた、こんなに大きい地震だったのか(写真1写真2)。また長陽地区では少し道を外れて栃木温泉方面にちょっと下りてみたが、通行可ではあるが随所で道路の片側車線が谷側にずれ落ちかかっておりヒヤヒヤして通り抜けたが、小山温泉旅館方面には通行止めでいくことが出来なかった。川の直ぐ向かい側は北向山の自然林だがここも激しく崩れていた。下野を通るときに、TWE局の家の近くを通ってみたが、話には聞いていたとおりご無事だったようだ、アポ無しだったので、お声がけはしないで素通りしてきた。APRS軌跡1APRS軌跡2

 今日は午後からネットでレストアの参考になりそうな記事を見つけ出して次々にプリントアウトしては、ラジオとニラメッコをして過ごした。
 
 最近、夜、ラジオを聞いているとNHKも一局しか聞こえない民放局もナイターをやっていることが多い、関東にいた時代、昔はシーズン中は全部の局がナイターをやっていて、それも全部が巨人の中継だった、こんなバカバカしいことをやっていた時代があった、野球に興味のない人間、巨人ファンでない人間にとっては実に腹立たしい時代だった、驕れる者は久しからず、巨人の凋落、そして野球ブームが廃れて、テレビでも中継をやらなくなって、ラジオでもあまり聞かなくなったなあと思っていたら、最近また復活したのだろうか、小生が聞いていなかっただけだろうか、ナイター中継をやっている。せっかく作った真空管ラジオで野球中継を聞いても仕方が無い。

 我が家の三人組は昼間は部活の懇親会、そして夕方にはピアノレッスンで泗水に出かけていった。


平成28年 6月10日(金)

 晴れ。今日は午後もかなり遅くなってボンの散歩に行ったが歩いているとジリジリするほど暑かった、部屋にいるとひんやりした風が入ってくるのだが。
     最低気温 17.8℃ (05:07)、最高気温 28.9℃ (15:47)

 随分久しぶりに松岡さんのところに散髪に行った、床屋で地震の時の経験談が出たので、地震の前に行ったっきり、もう2ヶ月も行っていなかったことは確かだが、と思って調べると2月の末近くに行って以来・・・・エッ!そうだったか?勤め人でもなし、床屋に行かないで死ぬこともないのでついつい先延ばしになって、まるで児雷也のような頭になっていた。

 先日草刈りをしたした時に、最近はダニで死ぬらしいから気をつけていたが、ダニだかなんだか知らないが体の何箇所か虫に食われて痒い、たぶんそうだと思うが、同じ日に太郎も体が何箇所か刺されている、なんだろう、家ダニだろうか、ということで、急遽、小生と太郎が寝ている部屋とカミさんと夏子が寝ている部屋の二部屋の燻蒸をやった(説明を読むと、蚊だとか蚤だとかの虫に効くようだがダニとは書いていないので無駄だったのかもしれないが、気は心だ)。

 燻蒸して2時間ほどは部屋に入るなとあるので、さて、どうやって時間を潰そうか、久しぶりに映画でも観に行くかと思って調べると、光の森は地震でまだ休業中だという。少し前にカミさんたちは大分まで映画を見に行ったことがあるが、光の森はまだ休業中なのか。
 
 とりあえず、軽トラックの不調部分を石田オートで見てもらって、コイン精米機で米30キロを精米して、さて、あとはどう時間を潰そうか、よし、久しぶりに阿蘇の中を走ってみようか、と地震以後初めてカルデラ内を一周りすることにした。後から気がついたが、いこいの村の彫刻群の調査でもよかったが、急にに思い立って出てきたので資料をもってこなかったので、別の機会にすることにした。
 
 下野のTWE局のところにも寄ろうか思ったが、家にいてgooglemapを見ている分にはわかるが、準備無しで来てみると何処だかわからなくなってスルーした。南阿蘇中松に最近QSYしてきたJA6BXA局の噂に聞くアンテナ群は無傷で建っていた。
 
 地震以降、こちら方面に来るのははじめてだが、やはり、長陽地区の被害が大きい、今だに手付かずの倒れた家が幾棟も見られる、カメラを向けるのが憚れる。道路も最低限通れるように補修されているがいたるところで波打っている。津波の場合は海での地震で津波が起きて、満遍なく一帯に被害が及ぶが、断層地震の場合はほんのちょっとの距離で天国(とは言わないだろうが)と地獄に別れる、これは不運としか言いようが無い、と言ってる己の明日のことは全く分からない、東日本大震災の時、南阿蘇や西原の人たちはまさか数年後に自分たちが同じ目に合うとは思っても見なかったろう。
 
 阿蘇五岳も西側の烏帽子岳や杵島岳の崩壊が大きい、ちょっとした地滑りという規模ではない、山が崩れるという規模である。東側では根子岳が大きく形を変えている、小生は山は登らないのであまり細かいところまでは覚えていないが、根子岳の中央付近、これは天狗岩と言ったか、大きく削れていて今回の地震のエネルギーの大きさを改めて思い知らされる気がする。(写真1写真2写真3写真4

 今日ついでに、高森の造り酒屋さんに寄って、以前からちょっと引っかかる点を確認してきた。もうはるか昔の事になるが、小生の祖母の兄(大伯父)にあたる人が高森に養子に入って、その家が造り酒屋さんということを間接的に聞いていて、こちらに住むようになって連絡を取ることもなくずっとそうなのかなと思っていたところ、この造り酒屋さんのご当主がインターネットでブログを開設しておいでで、そのなかに時々ご先祖様の話もでてくるので、気をつけて見ていたところ、小生の祖母のカウンターパートにあたるご祖父さんが小生の大伯父あたる人とは別の形で登場するのを知って、ああ、これは違うなと思ったのだが、一応確認しておこうと、今日の南阿蘇一周のついでにお寄りしてきた。
 
 ご当主は所用で不在だということで、オバ上(だったと思う)に応接していただいて、やはり養子に入ったのは今の造り酒屋さんではないことが分かった。ただ近所にあった先方の縁戚であるということは分かったので、それだけわかれば十分だったので、そこまで確認をして失礼してきた。小生が呑兵衛だったら近い親戚に造り酒屋がいれば嬉しいかもしれないが、小生は飲まないので、その点の残念さは全く無い、数年前に廃業して今はもう無いが「神の杉」を命名したのは曽祖父だと聞いている、また親戚も昔の「美少年」と縁戚関係にあった・・・酒に縁があるような無いような・・・

 先祖、親戚というものはわずか二三代遡るともうわからなかくなる、どこまでを親戚というのか難しいが、人類、一番古くまで遡ると全部「ルーシー」にたどり着くわけで、人類皆兄弟ということになるが、自分の代でも両親の代がいなくなって代が下るに従って急にそれまで親戚付き合いが薄れていって年を取ってくるとその辺が妙に寂しくなっていくものである。
 
 白水の圓林寺にも寄ってみた。木村和尚亡き後は無住の寺になったと聞いていたが、確かに庫裏にも人の気配は無かった、それでも檀家さんが管理をしているだろう、荒れてはいなかった、荒れてはいなかったものの、誰も居ない寺には寂寥感が漂っている、和尚のことを思い出すとなおのことその感が強い(南郷谷には1200bpsのI-Gate局が無いので軌跡が大きく飛ぶ、圓林寺への軌跡も記録が全く残っていない)。(写真1写真2写真3
 
  箱石峠を越えて昼過ぎに帰ってきた。箱石、今までこんなアングルで見えたかなあ、草が短く刈ってあるから見えたのだろうか、ここは綺麗に刈ってあったが、265号、両サイドのガードレールに覆わんばかりにブッシュや草が覆いかぶさっていて、この道も荒れ果ていているなあという印象を持った、災害復旧で草刈りどころでは無いのだろう。

 APRS軌跡    

 午後からKK5さんから送っていただいた、ラジオのシャーシを取り外した(写真1写真2)。子供の頃からわけも分からずに分解するときに必ずダイヤルの指針が引っかかって糸を切っていたのを思い出す、今回は指針を抜いて外すことが出来るようになっている構造のようだったので上手く引っこ抜いて無事にシャーシを取り出すことが出来た。

 このラジオのスピーカーはフィールドコイル型と言われるやつだろう、外側のトランスはなんだろうか、アウトプットだろうか、DIさんはこのスピーカーはコイルがダメになっているだろうから、今の永久磁石式のスピーカーに変更する必要があるな、との事だったが、ネットで調べると、コイルを自作する人もいるし、それをオークションに出す人もいるようだ、コーンはしっかりしていそうだ。音はフィールドコイル型のほうが深みがあると書いてあるから出来るならこのスピーカーを活かせると良いが。

 長い間眠っていたにしては、綺麗な方だと思う、錆もほとんど無い、バリコンもくすんでいるが綺麗だ、ただ配線がボロボロな部分があるのでこれは交換したほうが良いが、このままスイッチが入りそうな雰囲気さえある。しばらく眺めて回路を理解して少しずつやれるかどうか・・・・・

右手の人差し指にウヲの目が出来ていて、当たると痛いので、温泉病院で薬を貰って塗っていたが、寝るときに薄く伸ばし塗ってくださいとのことだったが、効き目が現れないので、リバテープにたっぷり塗って張りっぱなしにしておいたらようやく角質部分が白くなてきた


平成28年 6月 9日(木)

 朝のうち、保育園の連絡帳に曇り空だと書いた途端に激しい雨になり、慌てて書き直したが、しばらく振った後は上がって曇り空になる、気まぐれ天気が続く。
   最低気温 18.8℃ (05:22)、最高気温 24.7℃ (14:18)

 昨日の夕方、保育園に太郎を迎えに行った際に、今日お昼頃二度ほど停電しましたねという話が出た、我が家は停電しなかったので、へえ、そうですか、で会話は終わったが、今朝、娘が、昨日停電したね、というので、中学校でか?と問うと、やはり保育園で停電した時間と同じ頃だった。坂梨保育園は坂梨地区、一の宮中学校は宮地地区、同じ坂梨地区でも豆札は今回不思議と停電しなかった、何故かと言うと、一瞬でも停電すると、UPSでカバーしていないシステムは間違いなく落ちるのに落ちていなかったからだ、配電のルートはいろいろと入り組んでいるようだ。

 なんとも気分が良いニュースだ、ウンウントリウムがとうとう「ニホニウム」になった。一時期ジャポニウムという候補名もあったようだがニホニウムのほうが良い。
 
 小生、元素について学んだ記憶が全く無い、小学校ではないだろうから、中学校か、高校か、今娘が元素を習っているようだから中学生の頃なのだろう、子供の頃は「優等生」だったので学んだのであれば覚えているはずだが、それが全く無い、記憶が飛んでいるのか。だから、元素という言葉は知っていても中身についてはずっと知らずに年を取ってきて、二三年前に、ちょっと興味を覚えて、本などを買い込んで、そうなのか、そういうことだったのかと、目かららウロコだった、そして、今回のニホニウム、また改めて元素に対してちょっと注目をしている。

 「スイヘイリーベ」という歌があるhttps://www.youtube.com/watch?v=hc08LP69lVM。これは以前にも書いたことがあるが、名曲だと思う、全く意味を成さない歌詞に曲をつけてリズミカルな良い曲に仕上がっている。小生は受験生ではないから全部を覚えているわけではないが、ちょっと聞いただけでかなりの元素名の並びが頭に入る。今回のニホニウムは原子番号113番目だから、この歌が出来た頃には当然決まっていないので、112番目までは歌に入っているのだろう、原子番号112番の元素はなんという名だろうとしみじみ調べてみたところ、この歌には原子番号111のレントゲニウム(Rg)までしか載っていない、原子番号112の元素はコペルニシウム(Cn)と言って、2010年に正式な英語名が発表されたと、ウィキペディアにある。これに対してスイヘイリーベという歌、これはは2009年に発表されているようである、だから、歌が作られた時点では112番めもまだウンウン***だったのである。
 
 この歌は完成度の高い曲だと思うので、この歌に113番目のニホニウムまで載せた改訂版を作るとなると大変だろうと余計な心配もしたくなるが是非作ってほしいものである。

 そもそもこのウンウン、当初、名前が決まっていないからウンウンと意味不明ながらなんとなく分からないという雰囲気があるコトバを充てているのかと思ったが、そうではなく、IUPAC(国際純正・応用化学連合)という機関で、0から9までラテン語とギリシア語を元に頭文字が重複しないように定められたそのなかの「ウン」だということだ。
 
   0 n ニル (nil)
   1 u ウン (un)
   2 b ビ (bi)
   3 t トリ (tri)
   4 q クアッド (quad)
   5 p ペント (pent)
   6 h ヘックス (hex)
   7 s セプト (sept)
   8 o オクト (oct)
   9 e エン (enn)

 名前が決まっていない新しい元素の原子番号は全て100以上なので、上の番号を示すアルファベットから三つの番号を使って、その番号のあとに、元素を示す「ium:イウム」をつけて命名することになっているらしい。

 だから、ニホニウムという元素名がつくまで使われていたウンウントリウムというは、ウン、ウン、トリ、イウムで原子番号113番めの元素という意味なのだそうだ。 

 まだまだ疑問がたくさんある、どうして自然界には92個しかないのか、絶対に92個しか無いのか、また、どうして、未発見の元素なのに番号が付いているのだろう、あるのは間違いないが見つかっていないのだろうか、出来ないのだろか、再現性の問題なのか、このあたりをまた調べなくてはならない、いやあ、退屈しないなあ

 晩飯。野菜たっぷりの牛肉を入れた甘酢あんかけ、ニラと豆腐の味噌汁、トマト。 


平成28年 6月 8日(水)

 曇のち一時強い雨。
     最低気温 18.2℃ (05:18)、最高気温 24.9℃ (10:55)

 昼ころから雨が降り始めて、一時非常に強い雨になった、記録を見ると14:11に83.6 mm/hrが記録されている。どんな強い雨雲群が覆っているのだろうか思ってみると、極めて狭い範囲の雨だった。しばらく降り続いてやがて上がったが、今日の雨量は13mm、大した量では無かった。
 
 家の草刈りなんか出来るかい、と言ったものの、今日も午前中、昨日の続きで前庭の草を刈った。冬の間に放置しておいた伐採した竹、そのまま忘れて草に埋もれて刈払い機が回せずに、撤去に無駄な時間を食ってしまった。同様にライブカメラのケーブルや無線のラジアル線など冬の間はわかるが、草に埋もれて這っていることを忘れてうっかり切ってその補修でまた余計に時間を食ってしまった。昼になってちょうど終わる頃雨が降り始めた。
 
 草刈りのついでに、ハチウトの点検をした。元気よく出入りしている。そして巣の中も沢山のハチがいた。じっちゃいのところ、一基がどうも按配がよくないとのこと、なんだか申し訳がない。
 
 熊本県の浄化槽協会の浄化槽法定検査(7条、11条検査)があった。
 
 Windows10へのバーションアップ、当方としては全く必要性を感じないのでずっとしてこなかったが、話の種に一台くらいやってみようかと、一番影響のないPCのWindows7から10へのアップ作業をやった。結構時間が掛かったが放っておいて時々、進捗状況をチェックしながらほかのことをやったのであまり気にならなかった。そして特にストップをすることも無く作業は終わってWindows10になった(写真1写真2)。それでどうかというと、もともと必要を感じていたわけではないので、どう便利に、そして使いやすくなったのか、ワカラン。ただ言えることはまた新たに操作方法を覚えなければならないということだ、迷惑至極だ。
 
 晩飯。炊き込み御飯、それから、白身の魚を唐揚げにして、南蛮漬けにしようか、甘酢あんかけにしようか迷ったので、二種類作ってしまった


平成28年 6月 7日(火)

 梅雨入りした途端に中休みか、中休みというのは途中で休むことだから、これは中休みでもない、湿度が高いということだけが梅雨の証なのだろうか。
      最低気温 18.3℃ (00:07)、最高気温 26.1℃ (15:41)

 午前中、道路沿いの草を刈る。毎日、朝のルーチンが終わるのが10時頃で、それで一区切りなので、一服つけていると(別にタバコをすうということではない)、もうそれから外で作業をする気が失せてしまう、でも、今日は散歩から帰ってきてそのまま座らずに直ぐに作業服に着替えて外に出た。道路沿いは公道なので厳密に言うと我が家の守備範囲ではないが、行政はやるにしてもお盆の頃だろうから刈っておいた、ついでに我が家の植栽の枝が道路に張り出しているのはこれは我が家の守備範囲だ、このために、道路の見通しが悪くなっているので枝を払って見通しを良くしておいた(before   after)。

 宅内はジャングル状態だ(写真1写真2)、これも追々やるつもではいるが、最悪冬になれば枯れるのだ。残り少ない人生、モデルハウスではないのだから、草刈りばかりやって貴重な時間をムダにしたくないのだ、と言って、草を刈らない理由づけをしているのだ。
 
 昼少し前にE鴨氏御入来、預かったPCを返却する、腕力認証は都合によりやめた。後はご本人が新規にOSを買ってインストールするかどうかだ。
 
 昼飯に「なごみ野」に行った。なごみ野は観光客には結構名が通っていて評判だが、今回の地震でご多分に漏れず客足がパッタリだそうだ。「なごみ野」は外部の人が知っていて、反面、地元ではあまり名前が浸透していないのだろうか。これは観光情報誌ではよく紹介されるが地元では阿蘇の観光情報誌などは読まないからそのことを知る人が少ないのだろうか。
 
 一般的に観光地の食べ物屋の値段は、いわゆる観光地価格と言われ、例えば「郷土なんとか」だとか、「田舎なんとか」だとかの名前が付いた郷土料理が驚くほど高い価格設定になっている、小生はこういった店には絶対に入らないし、入ったこともない。しかし、「なごみ野」は驚くほど値段が安い、そして美味しい、豪華御膳で満腹になるほどのボリュームが非常に良心的な価格設定になっている。だから、普段地元の人が気軽に昼飯などを食べに行けば、外食産業が少ない地域なので便利だと思うのだが、地元の人からみると、「なごみ野」は観光客相手の店であって地元の人が行く店ではないと感じるのだろうか。少なくとも当分は外部向けだけでなく地元にターゲットを絞ったほうが良いのかもしれない。小生のホームページをいつも御覧頂いている地元の皆さんも昼飯時には公道沿いのファミレスに入る気軽さで一度足を向けてごらんになると良い。

 晩飯。豚肉の味噌漬け、水餃子、ワカメの酢の物、トマト、洋梨の缶詰山ほど。 (写真


平成28年 6月 6日(月)

 曇り。カラリという程ではなかったが、もう早速梅雨の中休みのような天気だった。。
      最低気温 17.1℃ (00:00)、最高気温 20.4℃ (11:42)

 今日も労働意欲がなく、デスクワークで過ごす。家の周り草だらけだなあ、冬には枯れるさ、というまでは放っておくつもりはないが。

 晩飯。チンジャオロース、エビチリ、中華スープ。    (写真)


平成28年 6月 5日(日)

 少し雨が降ったかもしれないが、ずっと暗い曇り空の一日だった。
    最低気温 15.8℃ (07:24)、最高気温 18.6℃ (13:45)

 今日は珍しく全員出掛けることもなく終日家に居た、小生も全く何もせず、組み立てたラジオを聴きながら本を読んだりしていた。ラジオも昼間にラジオ深夜便のような番組をやってくれると良いのだが。受信状態、放送がガンガン入るので、測定器も無いことだし、特に今の段階でトラッキング調整の必要もないだろう。


平成28年 6月 4日(土)

 雨。決して寒いという気温ではなかったが、今まで気温が高い日が続いたので、体感的に、風呂でも、今日はちょっと寒いかですねという挨拶が交わされていた。
   最低気温 14.8℃ (13:58)、最高気温 17.8℃ (00:22)

 熊本地方気象台は、熊本県を含む九州北部地方が梅雨入りしたとみられると発表した。昨年より2日遅く、平年より1日早い。【熊日速報メール】
 
 ようやくか、小生に言わせたら梅雨の中休みが終わったのだ、それに梅雨入りは九州北部だけでなくて、九州と四国、中国地方、近畿、それに東海までの広い範囲だろう、どうしてそう言わないのか。
 
 従兄の健兄が亡くなった、滉兄の長男の章さんが既に関東で葬儀を済ませたとメールをくれた、昨日の熊日に訃報記事が載った、うっかりして見落としていた、我が家の一番近い親戚の従兄弟5人兄弟の長兄で、小生が子供の頃から、いろいろと思い出がある。とうとう逝ってしまわれた・・・・合掌

 阿蘇文化調査研究会のメンバーのお一人である川添さんが我が家を訪ねて来られた。訪問理由をそのうちに詳細を記すが今日は非常に雑駁に書く。
 
 氏が、半年ほど前に阿蘇いこいの村を散歩していて、偶然に敷地内に大きな石造物を見つけて、不思議に思って詳しく見て回ったところ、全部で10体くらいの彫刻モニュメント類が雑草に覆われ置いてあり、それぞれにかなり傷んでいるが説明板があったそうで、その説明板を元にインターネットなどで調べたところ、昭和59年にいこいの村が落成した際に、併せて阿蘇国立公園指定50周年記念事業「阿蘇国際彫刻シンポジウム」なるイベントが開かれて、その際に阿蘇町で招聘した内外の著名、気鋭の芸術家の作品が放置されているということが分かったそうである。当時はちょうどバブル期で全国でいろいろな似たような事業が計画されて、その後バブルが弾けてそれらがウヤムヤになってしまったうちの一つのようである。現在は市を始めどこもその存在を知る人もなく、いこいの村に放置されて現在に至っているそうである。このモニュメントがある場所はロケーションが素晴らしくて阿蘇山、久住山が一望できてそれは素晴らしい所なんだそうで、いこいの村の存続も危うくなっていて、これらのモニュメントをこのまま埋もれたままにしておくとそのうちに「ゴミ」として破壊棄却されるのではと心配されて、なんとか、この存在を世に広く知ってもらいたいと、いろいろなところでその機会を探っておいでだとのことである。
 
 実は氏はこの調査の結果を「阿蘇文化調査研究会」の定例会で発表する予定になっていたが、今回の地震で予定が大きく狂って、延期になったこともあって、改めてその発表をするまでに、大まかながら小生のホームページでそのこと伝えてもらえないかということだった。
 
 氏が集められた沢山の資料をお持ちいただいたのでしばらくお借りして、小生も現地に行って確認をして小生のホームページでは全く影響力などないが、無いよりマシだろうと、改めて後日もう少し詳しく掲載することにした、概略このようだったと思う。まるで人知れずに埋もれていたインカ帝国の遺跡のようなものである。(写真1写真2

 夕方、E鴨氏がPCを持って御入来、先日のPCがまた動かなくなったと言う。スイッチを入れたところ動きがオカシイ、訊いてみるとどうもスイッチのON,OFFの手順を無視して使っていたようで、また、システムが一部壊れてその自動修復に気が遠くなるほど時間がかかっている、しばらく預かることにした。
 5球スーパーラジオ完成した、今日も結構忙しくて、合間合間に時間を見つけてはちょこちょこ配線をチェックしていて夕飯前に一箇所配線漏れがあるのに気がついた、検波電圧増幅部の6AV6の2番ピンをアースに落としていなかった。これでようやく完成した、NHKがガンガン入るがもう少し調整が必要だが、音が出さえすればこっちのものだ。これで楽しみが一つ無くなった、次は古いラジオのレストアをしようか。

 北海道で数日間行方不明になっていた男の子が無事だった、小生も生きているとは思わなかった、詳しく報道を読んでいたわけではないからわからないが、大々的に捜索して見つからないので、もしかしたら両親の狂言ではないか、また、警察犬も全く反応しない、ということも書いてあって、見出しだけから伝わってくる雰囲気にはそのようなニュアンスが感じられた、両親はまさかこんなことになるとは思っていなかっただろう、経過、詳細はあまり読んでいないので知らないが、水だけで数日間過ごしたらしい、発見されたのが自衛隊の演習場内の野営用の施設だという、場所が場所だ、サバイバルの手本、これがアメリカなら洒落でレンジャーバッジ付与をするだろうが真面目な日本ではそういった洒落っ気など金輪際無いだろう。この男の子、数日間ひとりで水だけで生き抜くとは、親が躾のために置き去りにするのが分かるような、なかなかな男の子なんだろう。それにしても、自衛隊の演習場、当然といえば当然だが捜索範囲から除外してあったというが、こんなに簡単に入り込める場所なのか、これはこれでまた問題になるだろう。


平成28年 6月 3日(金)

 晴れ、でも少し雲が多かったか?夕方、メシを食っていると、噴煙が結構上がっているのが見えた
     最低気温 11.4℃ (05:18)、最高気温 24.7℃ (14:55)

 新しいスマホに今まで使っていたスマホの設定を移行させようと思ってしみじみ眺めてみたが、考えてみると、小生、いわゆる二台持ちで電話番号データはガラケーにはいっているから、移すとものと言えばLINEの設定くらいである。このLINEはsecurity上の理由だろうが、新規加入はともかくも、別の機種に変更したり、電話番号を変えるときには非常に面倒で、今回それをやろうとしたが何度やってもエラーで先に進むことが出来ずに移すことが出来ない、そしてようやくその原因に行き当たって半日以上かかってようやくこのバカバカしい作業を終えることが出来た。

 そもそも小生がLINEを始めたきっかけというのが、周囲でこどもたちの保護者の皆さんがラインをやっていて相互連絡などのために必要だったので始めたのだが、当初小生はスマホを持っていなかったがPCでも出来るということを聞いて、それでPCでLINEを始めた、ただ、PCでやる場合でも今は知らないが当時は最低ガラケーは必要だということで、ガラケーの携帯番号でLINEの登録をした。その後、スマホを貰って、そのスマホでもラインをするようになったが、登録番号はあくまで最初に登録したガラケーの番号なんだということが今回どうしても移せなかった原因だということがようやく分かった。それが分かるまで一生懸命にSIMカードに付された電話番号を打ち込んでいた。
 
 LINEの説明に、SMS(short message service)で認証番号を送ると表示されるが、まったく着信音が鳴らずに、都合三台あるどの端末のSMSか分からず、何度もリトライしたけど、どうしても分からない。これも登録にガラケーの番号でなくてSIMカードの番号を打ち込んでいたからなのだ。SMSが受信できない場合は、FaceBookに認証番号を送る、とあるから、仕方がないからFaceBookに加入した。
 
 小生、このFaceBookというやつが嫌いで、なんで嫌いかというと、あの親指を上げてイイね(だったか)のマークが、あれが嫌で金輪際入るものかと思っていた。それでも今回我慢して登録した、それでも、認証番号が送られてこない、これも登録番号がガラケーの番号でなかったせいだと思う。そんなこんなで、最終的にそうではなかろうかということでガラケーの電話番号を使ってみたところようやくLINEの設定を新しいスマホに移すことが出来たが、ということで、新規登録して一時間もしないうちに、Face Bookはさっさと脱退したが、またこのFaceBooKの脱退手続きというやつ、一時的なアカウント停止は簡単だが、完全脱退、この手続きがまた面倒で、難解で、煩雑で・・・・・

 ついでに新しいスマホ移行にかかった時間の浪費について。
 
 当初の予定では、SIMフリーなので今まで使っていたスマホから格安SIMを取り外して新しいスマホに差し替えるだけで終わるつもりでいた。ところが、新しいスマホのSIMスロットと今までのスマホのSIMスロットの大きさが違うのだ、双方とも標準SIMなのだが、幅はピッタリでも(だからマイクロではない)、縦方向のサイズが違うのだ。しかもカードの切り欠きとスマホの切り欠きを合わせようとすると、ICチップが裏表逆になるのだ。ネットで新しいスマホの使用レポートを読むと誉めてばかりあって、このことの記述が無い、小生が何か間違っているのだろうかと思うが分からない。そこでいろいろ調べているうちに、SIMカードには大きさ別に三種類あって、標準タイプと、miniタイプ、それから更に小さなnanoタイプがあるそうである。だから、わからない時は心臓部分のICカード部分の大きさは皆同じなので、一番小さなnanoタイプのカードを買って、それをサイズに合ったアダプターに入れて挿すと、どのタイプのスロットでも合うとある。そうしないで、キャリアーにカードの交換を頼むと結構高いものになるから、数百円のアダプターを使うほうが良いとあった。
 
 そこで、新たにnanoSIMカードを買って、今までのカードを解約することにした、これがまた理屈がわからないが新規に加入するのと違って数百円で済むのだ。そうやって、追加で購入したnanoSIMカードを、騙し騙し本来のスロットでない標準SIMカードのところに挿入して(下の方に随分と隙間ができたが)ようやく使うことが出来るようになった。どうして標準SIMが合わないのかさっぱりわからない、あちら製だからいい加減に作ってあるというような作りではなくて実に感心する立派な仕上げなのだ。いや、分からん、わかりまヘン。ということで、延々と無駄な時間を使ってしまった。今日はそれだけで終わってしまった。ラジオのトラブルシュートをする時間が全く取れなかったぞ。(写真1写真2写真3
 
 晩飯。カツオのたたき


平成28年 6月 2日(木)

 美晴、湿度も低く清々しい一日だった。本来の桃源郷、「阿蘇」の風景が広がる、でも地震で崩れた山肌が見える。往生岳とその奥の杵島岳、いずれも南阿蘇方面である。なかなか地震が終息しない、本未明(だったか)と今夕、ドンと体に感じる阿蘇震源の地震があった。
    最低気温 11.4℃ (05:18)、最高気温 24.7℃ (14:55)

 偶数月は浄化槽の点検があるので、浄化槽周りの草刈りをしておいた
 
 じっちゃいが届けてくれたニホンミツバチは順調に育っている、次々に花粉を運んでいる。じっちゃいがハチウトを運んでくる途中に箱石峠で振動で下に落ちた巣の一部、来てすぐに取り除こうと思って見たところ、沢山の幼生がいたので、こいつらが育ってからとずっとハチウトの床面に置いておいた、そして、今日、覗いてみたところ、幼生はほとんど成虫になったようなので、外に取り出した。そして割ってみたところ、もうスムシが入っているのが分かった。数が少ないし、床面の巣板だから、上まで這い上がってはいないだろう、今の段階で巣板を取り除いておいて良かった、これから頻繁にスムシのチェックをしなければならない。
 
 市役所前の印刷屋に「坂梨小学校の閉校記念誌」を受取に行ってきた。同窓会々員には無料で配布されるが、娘は卒業生ではあっても今のとことは同窓会の会員ではない、同窓会費は子供からは徴収しないようなので、娘は同窓会費は払っていないからだ。だから我が家は有料で申し込んでおいた。
 
 5球スーパー、完成しました、一番心配だった電源も短絡しておらず、ヒューズも飛びませんでした、真空管を5本挿してスイッチを入れました、5本ともポーッと赤く点灯しました、でもこれはヒーター回路ですから点いてあたりまえ、別にどうということはありません、しかし肝心の音が出ません、スピーカーから微かにハム音は聞こえますが、静かなものです、同調回路がオカシイのか検波回路か増幅回路かどこだろう、まあ、ゆっくりトラブルシュートをしましょう。セメント抵抗、あんなに熱くなるものだろうか・・・完成したと書いたけど、完成していないのか・・・・

 通販であるものを取り寄せた。分からんなあ、その商品、今朝一番に局に着いたのだろう?それが明日の配達なのか?分からんなあ。我が家一軒だけに配達するのではないのは分かっているけど、昔と違って今は逐一追跡できるのだから、日本郵便という会社はこんな非効率なことをやっているのか、番号追跡サービスはやめたほうがいいぞ。と先日の国際貨物の配達のことがあったので、心のなかで悪態をついたが、でも、局に届いているのなら窓口に取りに行けば渡してくれるのかなあと思って、問い合わせたところ、確かにとどいておりますが、差出人の配達希望日が明日になっているので・・・・と言う。でも受け取り側が今日でいいと言っているだから、良いでしょうと言うと、そうですね、しかし、先方の配達指定日を無視することは出来ないので、先方に了解をとってみますから、と親切に、先方に問い合わせてくれて、結局今日でもOKということになった、別に、日時を限らなければならないというものでは全く無い、発送側は「成り行き」にせずに何故に配達日を指定したのだろう。結局午後の配達はもう出発した後だったので、窓口に受け取りに行って手にすることが出来た。確かに配達指定日が法的に重要な要素を占める場合があるし、包の中身は郵便局では分からないから、当然のことなのだろうが、配達証明でも書留でもない、単なる「ゆうパック」だ、日本郵便は律儀であることだけは確かだ。分かったことは、前回もそうだったが、朝一番で局に届いた荷物は夕方の配達になるということである。
 
 晩飯、豚肉の生姜焼き、シジミの味噌汁。生姜焼きは普通生姜焼きにする薄い肉ではなくてトンカツなどにする厚手の肉を使って直火で焼いた。同じ焼くのでもフライパンで焼くのと直火で焼くのとでは味が違うとかねがね思っている。


平成28年 6月 1日(水)

 晴れ。午前中雲が多かった。
     最低気温 16.3℃ (04:33)、最高気温 21.7℃ (17:15)

 太郎、昨夜、一旦寝たが、10時ころ目が覚めて涙目で苦しいと訴える。泣くな!と叱咤して、母親に自家用のネブライザーをしてもらって、それで落ち着いてまた寝入ったが、一晩中、呼吸が浅くて早い状態で経過した。夜が明けて、目覚めた後も苦しくはないと言うものの昨夜ほどではなかったが呼吸が早いので朝一番で古閑医院に連れて行こうかなと思っているうちに、みるみる快方に向かい、これでは古閑医院に行く必要もないなという状態まで回復していった。ただ、昼前に、思いっきり下痢をして下着パジャマを汚したので、一瞬緊張したが、昨日の状態でお腹の具合が悪くなっていたのだろう、本人は放屁のつもりでしたところ下痢だったということで、ビオフェルミンを沢山飲ませて、それは一度で収まった、ただ、本人はまた下痢だといけないと思ってか、何度か催したたびにトイレに行っていたが、全部空砲で済んだ。心配した感染性の下痢ではないということは素人ながらも分かった。
 
 夕方には完全復調して、風呂にも行ったし、夕食もしっかり食べたので、明日の保育園復帰は大丈夫である。
 
 偶数月の月初は年金の約半分が入る日である。昼前、太郎を連れていろいろ納付などで走り回る。ついでに、軽トラックのタイヤを交換した。もうかなり前から、減っていてそろそろ換え時だなと思っていたうえに、前輪の左タイヤに釘でも刺さっているのだろう、結構直ぐに空気が抜け気味になる、今のタイヤはチューブレスで一度に空気が抜けることが無いので、交換する積もりでいたこともあって、パンク承知で時々空気を入れながらだましだまし使っていたがようやく新しいタイヤを履くことが出来た。
 
 昼過ぎにJLZ局、御入来。自家製のニンニクと到来物の水田ゴボウなるもの(氏のブログ参照)のおすそ分けを持ってきてくれた。
 
 晩飯。太郎は軟らかい物がいいだろうと思って、「おかゆ」ではちょっとなんだから、少々季節外れになるが野菜をたくさん使ってバターたっぷり味噌仕立ての「餅おじや」を作ってやった(サトイモ、大根、ニンジン、椎茸、ネギ、それに水田ゴボウ)。
 
 なんだか今日も一日忙しかったなあ・・・・・



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